KANERIN HOUSE シーズン2
やってみましょう。 最近この100年単位でね
時間を遡ったり 未来に飛んだり
そういう試行実験をすることがちょこちょこあるんですけども あなたはどうですかねそういうことありませんか
僕の感覚的にですね
時間の考える
幅というか 時間軸を広くとると
結構視界が開けるんですよね
でまぁ最近ちょこちょこいろんなところで語ってるんですけども なんか最近あのポッドキャスト番組いろいろやりすぎて
なんか5個か6個ぐらいやっててどこで何をいつ喋ったのかよくわかんなくなってきたんで あのまかぶったらさせんって感じなんだけど
あのね えっと
今 今っていう例えばあの例えばまあわかりやすいんで
ノートで記事書くとかさ ポッドキャストとかスタンド fm で音声を配信するっていう時に
何を したくてやるのかっていうことをそんなに考えずにあるよね
とりあえずやってみようみたいな感じじゃん全然それでいいんですけど やっていくといろいろ欲が出てきて
なんかもっと伸ばしたいなとかもっとフォロワーいると嬉しいなぁとかもうご飯食べ れたらいいなっていうかマネタイズできたらいいなぁとかそういうことをいろいろ
考えるようになるんですよね で
そういう時に 割とまず考えがちなのがさ
ハックする っていうことだよね
情報商材みたいなものに手を出したりってのもそうだし スクールみたいなの通ったりとかあと本読んだりとか伸びてる人見て真似してみたりとか
まあいろんなやり方あるんでしょうよ それら
どれ今挙げたようなのどれをとっても様々な問題でさ それらは共通して今の選択肢何が言えるかっていうと
今に縛られているっていう共通ってあるんですよ 今ではね見てるのは今の
人たち リアルタイムで今
多く見られるためにはこういう風なコンテンツの作り方をするといいよ こういうタイトルのつけ方がいいよ
こういう出だしのしゃべり方がいいよまあそういうハウツーというかテクニック論すべて 今の話をしてんだよね
でそうなると何っていうと まあいろんな sns 見てみればわかるんだけど似たようなみんな似たようなフォーマットなるんだよ
まあそれもそのはずで 似たようなフォーマットだからこそみんな見るんだよね安心して見れる
まあ新聞とかもそうかもしれない安心できる似たようなフォーマットじゃない どこの新聞も似たようなフォーマットじゃないですか
それ今 sns の話に戻すけど今だもんねそれは
僕が言ってるのはですね何が言いたいかというと 似たりよったりになっちゃうよねって話で
似たりよったりもいいよって言うんだったらいいんだけど 似たりよったりっていうのってさ
なんか思うんだ思んないよねって思うわけですわ 思んないでなんで思んないのか
ってこう考えてあんまり答えは出てなかったんだけど AI が出てきてちょっと答え出ちゃったよね
思んない だってAIと一緒じゃん
っていうこの答えが出ちゃったよね まあそうだよなAIと一緒だったら確かに思んないな
人としてどうなんみたいなことは割と誰でも想像がつくようになってきた だからつまり割と
この みんなと一緒
なんか似たりよったりになるってのはイコール あんまいけてないことだよね
そういうコンセンサスが取れ始めてきたような気がしてんだよね でですよ
で冒頭の話に少し戻るんだけど そんな時に100年後の人たち100年後の人たちをね思い浮かべるんですよ
100年後に生きてる人たち まあ当然今生きてる人たちみんな多分死んでるよねっていうところ
僕はね120とか40ぐらいまで生きるんでワンチャン生きてるかなとか思ってんだけど まあいいわ100年後の人たちに
この今の僕たちが作ってるコンテンツとかってさ 100年前のコンテンツになるわけよ
100年後の人たちの視点で考えた時に今僕らがやってることとか作ってるものとか 書いてる
文字とかさ 100年前の人の
ものになるんだよね そん時にさ大抵のものはもう価値ないしなんなら誰にも見つけられずに埋もれてんじゃん
それがちょっと寂しいなと思うわけですよ こんだけ一生懸命いろんなことに悩んでさ
こんだけ命の時間を削っていろんなものを作り出したりしてるわけじゃん それがさ
たかなか100年経ったらもう一切合切何もなかったことになってるって 寂しいなぁ
って僕は思うんですよ 僕はね僕の価値観では寂しいなって思うわけ だから
100年後の人たちにも だからこの僕のこのポッドキャストとかさ
ワンチャン聞いてほしいなって聞いて なんかもうおもろいねー
おもろいねーって思ってほしいわけよ そうなるために
じゃあ そうなるためにどうしたらいいのかなんてわかんない
結論わかんないんだけど 多分これやったら絶対おもんないよなとか絶対100年後の人を面白がってくれないよ
なっていうのは何かっていうと みんなニタリオッタリの中に入ることだと俺は思うんすわ
ニタリオッタリの中に入っていて それでもなお100年後の人たちが面白えって思うようなのは本当に内容が
もうピカイチで超絶素晴らしいものは あり得るかもしれないでも僕は凡人だしね
そんな内容をピカイチの天才のみたいなのは無理ですわ 無理でしょ
リムだよねリム そこに入ってっちゃダメだよねって
100年後を目指すのであればってことを考えた時に よく言うんだけど今の生きてる
誰か人間に理解されるようなことをやっては逆説的にダメなんだよね だって今の人が理解できるようなことがさ
それは多分きっと100年後の正解じゃないから
だから そう思っててさ
なんでそのポッドキャストわかんないっていう番組でね いろいろと仲間とあーだこーだってこうディスカッションしてるんでまぁ
また来週か再来週かの回で放送されると思うから是非それ聞いてほしいんですけど 例えばですねこのフィラーってあるでしょ
言い淀みですよ あーとかうんとうんととかえっととかねとかちょっと勘じゃったとかね
そういうのはね今の今のこのナウの常識感からすると全部編集でカットなのよ カットカットカット恥ずかしいから
言い淀みはそれは間違いであって余分なものであって ノイズである
そしてノイズはカットするものである それが今の人たちに受ける今の人たちでコンセンサスが取れている常識なんだよね
でもそれってじゃあ100年後常識なのかな
逆にそれ全部取らない方がいいんじゃないかなって だってみんな取ってるから取ったらみんなと一緒になるよって
そしてAI時代来るよね AIがもうあえてフィラーを入れてるぐらいだけども
それでもやつらのAIの入れてくるフィラーって本物のフィラーとかその言い淀みとか 言い間違いじゃないじゃない?仕組まれたものでしょ
僕たち人間にできることって リアルのリアルガチの言い淀みとかリアルガチの噛むっていうことができるのは人間しかいないんだよ
AIにはできない やつらには仕組まれた人間の真似事を仕組むことしかできないって考えると
コンテンツって何って その人間らしさの本当の生の人間の喋ってるその
言い淀みがエモいとかさ そういうことになってる可能性あるよね100年後の価値観でさ
100年後の価値観で言うとさもうおそらくもっとツルツルになってると思う AIが浸透しすぎて今でももうツルツル感わかるでしょ
情報のツルツル感ってわかりません?ザラザラした感じがどんどんツルツルになっていく
でもそうなってくるとさ 生の感じとかうわぁ
すごいこれ 生の噛んでるやつ切らずにそのまま出してるよって
それはさ
うわぁ当時の100年前のこの令和の人たちって みんなこのカットすることが常識でさ
カットしない奴はもう人間じゃねえぐらいの価値観だったのに それをあえてカットしないって選択をしたこの人たちはどういう神経してんだろう
何がしたかったんだろう ただめんどくさくて何もしなかったっていうことじゃないその意図を感じるこれは何なんだ
そこでさ100年の時を超えてさ 死後に会話できると思いません?100年後の人たちに
普通のことをやっても意味がないそんな風に思っています コンテンツとは何かっていうところからの最低限ですよね
そういうことをね毎日毎日考えてね毎日毎日何かしらのポッドキャストの収録したり 編集したり音楽作ったり音楽探したりっていろいろやってんだけど
まあ おもろいね
そもらう もうかね2度2度と同じことはしたくないしつまんないんで作業になっちゃうからね
同じことは なんで気の向くことしかやんないしああこれ面白いなって思うことしかやらないですね
そういう生き方ですね その中で何かしらのヒントが毎日ああこういうことかもってそのニュアンスがたまに得られたりするんだよね
でそういうニュアンスが積もり積もってピッピッとこう ニュアンス同士がつながったりして
あーこれはこういうことだったかもしれないなぁ とか思ったりしながら
自分のその感情の赴くままにね 感性の行くままに
いろんなことを試していくでそしてねそういう感覚できているとその感覚同士が ババーッと波長が通ったりスパークしたりする人間同士
見つけ合っちゃったりもするよね もうね理屈とかね形式とか法律とか大嫌いなんだ俺
意味ねー 邪魔邪魔すぎる
超邪魔 めっちゃ邪魔すね僕たちのクリエイティビティとか
アート性を阻害するもの それがロジック
リーガール そういうものだよね邪魔でしかない
そのごっこ遊びに過ぎないんだよな 資本主義ごっこ遊びとか
なんかそういう法律ごっこ遊びみたいなそのごっこ遊びの上でごっこ遊びのルール をゴニョゴニョすることが何か種の目的になってしまってそれどうでもいいよって
そういうことはねあんまり話し通じないんでね誰に話しても だからまああの僕はねこう話してね話し通じてないとかね
反応がないとかねそれは僕にとっちゃなんかある意味 自分のやってること間違ってないかなっていう逆説的にそういう意味合いもあるんですよ
さっきも言ったようになんか今の人たちにあんまりこう分かられてしまうものって多分それ 違うよなぁってそれ今のコンテンツだよな
自分が作りたいのって何か100年後に何かちょっとくすっと笑える絵もってなるような ものを作りたいよねっていう前提があるとしてあるあるんだけど
だとするとそれは何かあまりにも今の人たちにわかるわかるって言われるとはそれは 違うんだなーって思ったりね
だから分かり合えないことこそが僕にとってはまあ スタンダードでありつつそれがやっぱり正解なんだろうなぁみたいなのがあるんで
だからそれはねたまたまね今一緒にねあのポッドキャストスタジオ運営している仲間が一人 なりし何かいるんだけど特に一緒にねポッドキャスト
わかんないっていう番組やってるそのアビーブとかはねそういう感覚がね あっちゃうんだよなぁ
なってるから大丈夫かなぁとか思ったけどさ まああまりにも合うからこれはスンマイ
いわゆる気が合うやつなのかなってちょっと思ったり 感覚がここまで会う親子ほど年が離れててここまで話が合うの珍しいけど
わかったフリしてるだけかなとかいろいろ思ったりもするんだけどどうもあんま言語化は できねえんだけど彼は
感覚的にやっぱり近しいものがあるからなんかそういう似たようなことを考えているのか もしれないし違うことを考えてんだけど似たようなニュアンスのものを思う
思ってるのかもしれないなって考えたりしてますね だから何がコンテンツなのかってよく考えた方がいいし
ロジックじゃないんだけどなんかこれは行け好かねえなぁとか なんかこれはよ気が乗らねえんだよなぁ
っていうことはそのね感覚を大事にする必要があるんですよ ロジックはその時に組み立てればロジック組み立てられるけど意味ないですね
何のためにロジック組み立てるのって誰かに説明するためなんだろうけど別に説明したく ないし説明して分かっても欲しくない分かった気になって欲しくないし分かって欲しくないんで
感じてくださいって感じでその感じられないんだったらもうはいそういうことです っていう