リアルかといってね、
今日の話別にスタジオ作ってる人をディスるとかそういう話でもなくて、
それ間違ってるよって話でもなくて、
あったらあったりすごいいいなっていうのは素直に思っていて、
欲しいなとも思うわけですよ正直。
それは人が集まる場所を作るっていうことで、
すごく価値があるなって思ってます。
ラジオ局の収録ブースほどかっちりおくまった場所ではなく、
なんならちょっと飲食店の角にあるような収録ブースとかだと、
フラッとちょっと穴が入って、
ちょっと撮りませんかみたいな話になったりする。
どこでも撮れて後からAIで処理できるからさっていう話だとしても、
そこでいろんな人が周りに耳と目がある状況と、
ちょっと半個室ぐらいのブースの中入って、
ちょっと空気感変わるっていう、
そういう場所の設計はすごくありだよね。
話をするモードとしてはありだなと思ってますね。
なのでそういうボッドキャストの撮影する場所っていうのは、
そこが人が集まってくる場所っていう設計ができるのであれば、
すごく意味がある場所だなって思います。
かたや都会の薄暗い雑居ビルの質のレンタルスペースみたいな感じの場所なのであれば、
それはただの場所菓子ビジネスなので、
そこに人が集まってくるっていうそういうイメージの場所ではないのであれば、
あんまり意味はないのかなっていうふうに思いますね。
レンタルスペース的な意味でのスタジオっていう意味ではあんまり意味がないだろうなって思いますね。
なので本質的には予算が限られた中でどっちに向かった方がいいのかなっていうと、
スタジオの固定の収録の部屋、スタジオとまでいかなくても収録部屋をすごい防音したり設計したりって何か作り込むっていうことよりも、
自分のいる場所がスタジオだよね、常時スタジオだよねっていう考え方も僕すごくありだと思ってるんですよ。
自分が特に喋る出役で出るのであれば、
そして自分がいろいろと動き回ったりいろんな人と会うのであれば、
自分がMC兼自分のいる場所が常に出張スタジオですっていう感じにできれば、
もっとコスト下げて本質的な収録ができると思うんですよね。
つまり、ブライトな装備で、軽装備で、ある程度品質のいいマイク、取り回しのいいマイクを常に持ち歩くってことですよね。
これちょっと撮ろうかっていう時にパッとサクッとマイクつけてその場でピッと15分だけ撮るとかね、
そういうスタイルで全然ありだし、全然番組なんて成立しますよね。
音質側とか外だと音側とか、そういう話は意味がないっていうのは冒頭で言ったノイズキャンセル技術すごいから、
別にノイズなんてなんとでもあるよっていう話なんですよね。
あとその最近面白いなと思ってるのがね、
ボイシーとかだと音質って面ではすごく音質悪いんですよ。
声の了解度を高めるために声の質感を殺して、何を言ってるかわかるように色々処理をかけて、
声が聞こえるようにしてくれてるんだけど、
それとポッドキャストとかでマイク使って配信してる人の声の質感って全然違うんですよね。
全然違うから、当然そのポッドキャストみたいな外部マイク使って配信してる声の方が
リスナーにとっても好ましいでしょって思ってたんだけど、
取り比べて色んなパターン出してあげたらさ、ボイシーで。
ボイシーのいつものスマホマイクが一番いいっすっていう人が少なくない数いたんだよね。
どうでもいいっていう人もいたし、どっちでもいいしっていう人もいたけど、
アイフォンマイク、いつものアイフォンマイクがいいっていう人がいて、
それはどういうことなのかなって考えたんだけど、
やっぱりボイシーだとみんなアイフォンマイクで基本録ってるから、
そういう音がデフォルトになってて、それに耳が慣れてくるから、
それが耳なじみいいんですよね。
僕自身もそういう基本アイフォンマイクでやってたから、
それが多分普段から毎日聞いてくださってる方の耳には完全に耳に馴染んじゃってて、
それがいきなり外部マイクのラジオクオリティーな声になったとしても、
なんかちょっと違和感だなっていうか聞きにくいなっていうふうに思うみたいですわ。
僕それがちょっと衝撃でね。
そういうふうにおっしゃってる方も、
でもカネリンの他のSpotifyの番組はもちろん全然違和感ないし、
そっちの方がいいと思うよっておっしゃってて。
まあそれはSpotifyとかのPodcastの方はね、
みんなそういう外部マイクで録るのが当たり前で、
Spotifyの方、Spotifyじゃねえな、Podcastの方でスマホのマイクで録ったりしてると、
なんか音の悪さが目立っちゃうよね。
だしボイシーみたいに処理がかかるわけじゃないから、
なんか音量がおかしかったりとか背景ノイズがうるさかったりとかっていうのが目立ってくる。
そして周りの番組はみんなこの外部マイクを使って、
いわゆるラジオクオリティな音質で配信をしているので、
一人だけぽつんとマイク、iPhoneマイクとかだと目立つ。
逆に耳なじみが悪いということだよね。
だからそのプラットフォームで周りがどういう感じなのか、
その時にリスナーさんがどういうモードで聴いているのかっていうことかな。
ここに左右される可能性があるっていうのが最近気づかされたことですね。
で、なんかこれも面白い話だなと思って、
だってそのプラットフォームっつったって、
聴いてる方はスマホでアプリ切り替えるだけじゃないですか。
で、ボイシーアプリの隣にはポッドキャストアプリがあるわけでしょ。
で、それを切り替えた時には別に一緒じゃんって、
同じスマホはスマホじゃん、スマホから流れてきてる音じゃんって思うんだけど、
それでもなんかモードがあるんだろうね。
ボイシー聴いてる時の、いつも聴いてる人たちの声の並びでワーって聴いてる中で僕のボイシーを聴くのと、
スポーティファイの方で気に入ってるポッドキャスト番組をワーって聴いてく中で、
僕のそのポッドキャストの番組を聴くのとで、耳のモードってのがあるんだろうな。
なんかね、そうなんだって思ったわけ。
うん。でも、僕が普段から聴いてる番組でも、
そんなにスタジオで録ってる番組って、スタジオというかね、結構リモートで録ってる人多いと思いますわ。
静かな自宅の部屋で録って、それをリモート会議で繋ぎながら録って、
それを後からお互いにローカル環境で収録した音源、静かな音源を後でガッチャンコするから、
まあそれは静かなところでいいマイクで録ってるから、ある程度スタジオ品質というか、いわゆるラジオクオリティみたいな感じの高い質にはなってると思うんだけど、
そうじゃなくて、最近僕が好きな、それこそたびたび名前を挙げてるけど、
ノットニュースっていう番組とかはスタジオじゃなくて外で明らかに録っているんですよね。
さすがにスマホ、本体マイクとかじゃなさそうだけど、
楽曲のチョイス、楽曲のチョイスと、あとその入れ方とか音量のバランスとかってかなりセンシティブなところで、
それってプロデューサーがさ、言語化して緻密に定量化して支持できるものではないんですよね。
結構クリエイティブな領域なんですよね。
なのでそのプロデューサーが頭に描いているような雰囲気感っていうものを、
多分自分が和社として出るのであれば相方ぐらいまではコミュニケーション取りながら雰囲気は浸透すると思うんですが、
そこにBGMを入れるか入れないかって、入れないってなるんだったらもうそのままシーンとしたままで、
トークだけでってことになって、特に何ら問題なんだけど、そこに音楽を入れるっていうだけでもう途端に難易度がめちゃくちゃ上がりますよね。
音楽の入れ方一つで全部台無しになる可能性がある。
仕上げの調味料みたいなもんかな、料理で言うと。
最後にちょっと青のりを振りかけますみたいな時に、青のりバーってなんかもう1キロぐらい上からぶっかけちゃうみたいな。
そんなことになりかねないというかね、結構ねBGMって難しいんだよなーって思ってます。
かといってね、このプロデューサー自身が全部編集するかとか全部チェックするかとか、
全部音楽の入れ方、ボリューム、微調整、どのタイミングで、どのミリ秒でセリフを入れ始めてみたいなことを調整するかって、
おそらくそれを本来は自分の世界観を表現するためにはやるべきクリエイティブな領域だと思うんだけど、
結構時間かかるからやってらんないんだよね。
やってらんないプラス他にもっとやらなければいけないことがあるって判断をする場合、
コンテンツの中身を作るため、次のゲストを交渉するとか、いろいろとやることがあるってことを考えると、
割とザナになったりする。
完全にもう脳内リンクしたエンジニアとタッグが組めているのであれば、そんなに心強いことはないね。
でも完全リンクってなかなか考えづらいんで、そう考えると、そういう言葉で考えるとBGMってない方がいいんだかもしれないねって。
あることでプラスに作用することって、アビーブにもよく呼ばれてるけど、まあねえかもなって。
ガードレールとかって前彼言ってたけど。
彼が言語化することは、ふとした時にじわっとくることはあるなあ。
前も誰か言ってたけど、デザイナーの方と打ち合わせした時に、その方の口から出てきたんだけど、
ちょっとポッドキャストをやりたいっていうようなお話を受けて、相談に乗ってたんだけど。
僕はさ、割とどっち側でもいいっていうか、僕自身やりたいものとしては100年後に残るものは作りたいよねって思いがあって。
そういうことから考えると、あまり今の人の受けを狙っていると、
それってなんか賞味期限の薄いビジネス書みたいになっちゃうんじゃないのって思ってるから。
あんまり今の価値観とかトレンドに合わせたくないんですよ。
なんかそんな話をしてた時に、いやほんとその通りだっていう風に言ってくれてて、
すぐ分かることなんて何の価値もねえよって。
10年後とか20年後とか、ふとした時に、
あの時あのおっさんが言ってたことってこういうことだったのかもしれないなみたいな、ちょっとふとよぎるみたいな。
そういう話をしていきたいんですよねって。別にその人おっさんじゃないんだけどさ。
お兄さんぐらいの年だと思うんだけど。
なんかそんなようなこと言ってて。
だいぶ志向がおっさんだなって。
若いけどだいぶ志向がおっさん、まあいい意味で、
そこまで熟練してんだなっていう風に改めて思ったんだけど、
デザインっていう、デザイン?
クリエイター。
まあね、その人はね、ちょっと僕の口ではね、どういう人なのかって語れなくて、
で、その人はどういう人なのかっていうことが語れない人なんですよね。
で、その人はいろんな切り口で世の中のことをこう捉えたり語ったりしてくれる話が結構毎回面白いなと思っていて、
でも毎回ね、10分や20分喋っただけだと表面的な話で終わるし、
表面で終わらないようにちょっと踏み込もうと思うといきなり大気圏まで飛んでるみたいな感じになって、
この人何言ってんだろうみたいな感じになってしまっていたりするから、
もったいないよなって思ったりしてて、
だからポッドキャストいいんじゃないのって話で、
語りたいだけ語って、それを相方つけて、ちゃんとあんまりぶっ飛んでいかないようにガードレール敷いてもらって、
相方にうまいこと手綱引いてもらって、うまいこと引き出してもらってさ、
あなたのワールドを見せてよって、それ俺が一番聞きたいわって、そんなような話をしてましたね。
なんかね、そういう人は世の中多い気はしてて、
結構その面白い人っていう単語あるじゃないですか。
面白い面白くないって。
なんか僕何でもその面白い面白いって言って、
その単語に集約されちゃうのがあんまり好きじゃなくて、
面白いよく分かんない人と、
面白い本物の人がいると僕、あえてそういう言い方するけど思ってて、
面白い本物の人って、本物かどうかって、
その人、ポッドキャストやったらそれ全部暴かれると思ってるんですよ。
面白いなんちゃっての人とか、
言っちゃ悪いけどそんな本物でもないただ面白そうに見える人とかだと、
ポッドキャストまず続かないし、
続いたとしても結局何言ってるか分かんないみたいなのとか、
化けの皮が剥がれていくみたいな様子があると思ってて、
そういう意味でもポッドキャストって結構怖いメディアだし、
怖いも何も本当に本物の人じゃないと取り組めないし、
続かないしやろうと思わないんだろうなっていうのは思ってますね。
物理的に場所に来てもらうわけじゃないから、
物理的には自分からお会いしに行って、出向いて行って、
自分から向こうに行ってもさ、
そこで会話を録音させてもらって、
これちょっと番組で使わせてくださいって言ったら、
自分の番組に来てもらって出てもらってるってことになるじゃない。
なんかさ、
そうやってさ、自分の場所?自分のハウスだよね。
ゲストハウス。
別荘みたいな場所かな。
自分の自宅でもない、職場でもない、
もう一個の場所だよね。
これ、僕なんかね、
インターネットRPGのMMORPGっていうジャンルのゲームのさ、
自分の中のギルドの、ギルドハウスみたいな、
そういうイメージあるんですよね。
バーチャル空間の自分の家みたいなさ。
そういう場所がポッドキャストの番組っていうイメージがあって、
最初はちっちゃすぎて誰もそこに家があることも見向きもしてくれないけど、
自分の発信しとることがまともなことを発信しとって、
自分のライフワークと紐づいとりゃネタは無限に出てくるもんで、
なんなくくもなく別に淡々と発信すりゃよくて、
たまに興味湧いてくれた人はゲストで来てもらって出てもらって、
そうやってちょっとずつコンテンツは積み上がっていくもんで、
やればやるほどレバレッジが効いていって、
徐々に徐々に大きくなっていくと。
それって自分の人生の資産の積み上げと、
あとは研究結果報告書の積み上げみたいなイメージあるよなって思ってて、
発信の軸でも納豆が得意な人とかよく言ってらっしゃるし、
この間も元大学教授の方がよく言ってらっしゃったんだけど、
自分の人生かけての研究だよねって好きなことやるとかっていうのは、
人生かけて研究してるんだよみんなって。
みんな研究者なんだよねっていう話はしていて、
そうだなっていうのはずっと思ってるんだけど、
だからこそ好きなことやればいいじゃないのって思うんでね。
その研究を何かしらみんなしてると思うんですよ。
黒橋学さんであれば名古屋の研究してるんでしょって。
デザイナーの人であればデザインの研究をしてるのかもしれない。
その人の場合はもうちょっと広いレイヤーでいろいろと捉えてるのかもしれないけど、
あとは香りの研究してる人いるかもしれないし、
音楽の研究だったり、映画の研究だったり、料理とかね、
いろんな領域で好きを突き詰めてる人ってそれってそれぞれに研究してるでしょ。
研究室じゃんそれ。人生かけた研究室でしょ。
その研究発表の場所っていうので、
ポッドキャストってもうライトに考えをまとめながら言語化しながら喋っていく。
こんな理にかなった場所ないよなって思いますよね。
それをテキストで書きますかっていうとね、書かないでしょ。
こんだけテキストでブログとかなんだとかって言ってできるのにやらないんだからやれないんですよね。
テキストを書くっていうのは大変なんで。
大変プラスそこって人が集まる場所みたいにならないんですよね。
テキストで対談とかなんないからさ。
やっぱりそれはギルドハウスにならないんですよね。
自分の出版社ぐらいのイメージにしかないんだよね。
一方的なんだよね。テキストってやっぱりウェブ版で自分から相手に投げるっていうその一方向、片方向のやりとりですよね。
イメージとしてはね。
ああいうブログとか長文のものってね、完成させたものを投げつけるっていうものでしょ。
音声だと音声もそうやって完成したもの投げつけるというか公開していくものなんだけど、
その回によっては、じゃあちょっと今度一緒に喋りましょうで、この喋った記録そのまま撮っておいて、はいこれあげておきますができる。
音声だからそんな何か構成し直すとかなんだとか、無駄なことをする必要がない。
っていうことだよね。
だからポッドキャストの活用法っていろいろあると思うし、いろんな価値筋あると思うけど、僕は一個いいなと思ってるイメージは今言ったようなものですね。
自分の研究結果の発表としての場所であり、自分の第3のギルドハウスというか、
ゲストハウス、自分の場所だよね。自分の発信できる場所、そこにはいつも自分一人で発信してるけど、
常にオープンで誰が来てもいいし、喋りたい人がおったら一緒に喋って発信もしてもいいし、
そういう場所持っておくと、変なことで面白い人が来てくれるかもしれないし。
そんな感じかな。自分の場所を持つことのメリットって。そんな感じです。