まあそれってあらゆることに言えるよね。
今たまたま料理の話をしてますが、
じゃあ音楽とかさ、
クラシックコンサートみたいなの僕もたまに行くし、
毎日クラシックは聴いてるけど、
それにしたって耳が慣れてなかったりとか、
その楽器のことわかってる人であれば、
音楽家であれば音楽のその演奏を聴けば、
僕ら一般人よりもより多くの情報を得るわけじゃないですか。
だからさ、そういうことで考えると、
自分の感覚期間、需要帯を増やすっていうのは、
たぶんものすごく世界を広げるんだよね、
その一個人の。
そういうふうに思いますね。
だし、音楽とかであれば、
行ってみればなくて困らないかもしれないし、
毎日別に楽器を演奏するわけじゃないし、
毎日コンサート行くわけじゃないから、
必要性はやっぱり低くなるのはそうなんだけど、
だからご飯は毎日食べるよね。
毎日誰かが作る、自分が作るか誰かに作ってもらえるか、
誰かが作ったものをレンチンして食べるかみたいな、
そういう話だったらさ、
そこに投じる価値は結構高いよね。
料理のことをわかる。
つまり自分が作れるようになるっていうことですよね。
ですよね、なのかな。
料理評論家みたいな、
料理を評論する人間っていうのはさ、
料理が詳しいですっていう人間はさ、
自分が作り手じゃなくて、
ただ味を見るばっかりの人っているのかね。
それは成り立つのかね、それは。
作り方わからない、自分で作れない、一切作れない。
だけども他人のこの味はどうこう、言えるのかな、それってね。
どうなんだろうね。
ちょっと想像がつかんな。
そういう、
それは言えねえんじゃねえかなって思うよね。
なんで別に僕がシェフになろうと思ってるわけじゃ全然さらさらござせんのですが、
ちょっとなんかさ、
僕の料理のレパートリーさ、
野菜炒めとさ、
チャーハンしかないってそれどうよって話でさ、
ちょっとなんかうまいものをサクッと作れるようになりたい。
それもね、なんかその手の込んでない、
日常的な男飯みたいな感じで全然よくてさ、
素材をね、なるべく手間をかけずに、
ある程度なるべく簡単に美味しいものができるって、
それってすごいことだよね。
でも多分それがさ、技術がある人がやってるのを見てればすっごい簡単で楽勝で、
手抜きみたいにやっててすげえうまいじゃんって見えるのかもしれないけど、
やっぱそれって多分舐めてるんで、
本当はものすごい緻密な何かがあったりするのかもしれないけど、
なんかそのいろんなレシピを覚えるとか、
ハウツーをいろいろと学習したいっていうことじゃなくて、
そういうことよりかは、
普遍的なもっと根本的な何かがあるんじゃないかなって思っていて、
多分何かあるよな。
それをちょっと見たいなって思っていますね。
すごいやっぱ価値高いっすよね。
幸せな食を提供するシェフとか、
シェフというか料理人の人とか、
ソムリエの人ってものすごい価値だよなって思います。
それすらもこれからは何ですか?
食事もAIで、お酒のペアリングもAIでっていうことになってきちゃうのかな。
料理すると身体的なものがいるからロボットってことになってくるから、
ちょっとハードル上がるのかもしれないけど、
じゃあそのペアリング、お酒のペアリングとか、
知識で売っているソムリエとか、
っていうのはこう、
全部知識が入ればそれで判別できるのだとしたらどうなんでしょうね。
でもその情報が味覚での情報でリアルタイムで現地で、
データ化されていないのであればそれは身体性が必要になってくる、
身体を持つ人間の方にアドバンテージがあるので、
AIよりも人間必要ですよねってなるよね、そこは。
味覚という感覚機関がAI、ロボットに搭載されるかどうかっていうところですよね。
だから人間の舌っていうのはかなり複雑っぽいじゃないですか。
これが機械化、データ化されるっていうのは、
なんかまだまだまだちょっとって先だと思いません?
すごくまだ先だと思うから、
おいしいおいしくない、あと味覚で何か自分の価値を表現するっていう仕事はなくならない気がする。
ただ大体できるような程度の提案しかできないのであれば、
それはあまり価値のないものってなってきちゃうかもしれないよね。
リアルタイム性、身体性、その辺ですよね。
まだアドバンテージがありそうなことってね。
まあいいや、そんなことをゆるゆると考えておりました。
それではおいしいご飯を食べましょう。
バイバイ。