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2025-06-08 11:13

#2-18.美味しいのその先へ。食の感度を高めて、世界から受け取る情報量を爆増させる。

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今回のテーマは「料理」です。実は僕にとって、料理は英語と並ぶ二大コンプレックス。食べるのは大好きなのですが、作るのは本当に苦手で、レパートリーは野菜炒めとチャーハンくらいしかありません…。仕事柄、「好きなように生きればいい」なんて偉そうなことを言っている手前、この話題に触れるのは少し勇気がいりました。

「海外に行けばいいじゃん」と言われても英語が壁になり、「美味しいもの作ればいいじゃん」と言われても料理ができない。そんな自分自身のコンプレックスと向き合う中で、なぜ今、料理を学ぶことに価値を感じるようになったのか、その心境の変化を正直にお話ししています。

これは単に「美味しいものを自分で作れたらQOLが上がるよね」という話ではありません。毎日誰かが作ってくれた食事を口にする中で、その背景にある思いやストーリーを受け取るための「感度」が自分に足りていないことへの、もどかしさのようなものです。音作りを始めて「聞く耳」が拡張されたように、料理を学ぶことで「味覚」という感覚器官を拡張し、世界の解像度を上げられるのではないか。そんな期待を込めて語りました。料理が苦手な方、何かコンプレックスを抱えている方に、ぜひ聞いていただけると嬉しいです。


() オープニング&僕の2大コンプレックス「料理と英語」の話

() 知らないと本当の尊敬はできない?料理から学ぶリスペクトの本質

() 食の感度は人生の豊かさに直結する「ストーリーを食べる」ということ

() 作り手じゃないと評論できない?料理評論家の存在意義への素朴な疑問

() AI時代にこそ価値が高まる?味覚という身体性が必要な仕事の未来


サマリー

料理のスキルや知識を高めることが、食の楽しみを深め、コミュニケーションを豊かにする上で重要だと語られています。さまざまな視点から料理の意義を再考し、個人の感覚を拡張することが人生の質を向上させると述べられています。

料理の魅力と個人のコンプレックス
かねりんハウスやっていきましょう。
今日の話題はね、料理ですね。
ズバリ料理。
料理皆さんします?
僕は全然できないんですよ。
料理食べるのは好きなんですけどね。
ちょっと作る方はねーっていう感じで、
別に作らないわけじゃないんですけど、
作る料理のレパートリー少なすぎ問題。
で、僕の場合は料理と英語ができないってのが、
二大コンプレックスで、
なんか触れないようにして生きてきたんだよね。
ここの二つ、痛いとこ疲れるなーって感じで、
自分の言葉がね、
全部ブーメランで返ってくるんですよね。
この、なんていうの?
仕事を辞めて好きなように生きりゃええわ。
みたいな、そういう調子に乗った配信ばっかりしてるとね、
全部ブーメランで刺さってくるんですよね。
この背中にグサグサとね。
で、日本に留まってる理由ないじゃん。
みたいなのをね、すごいね、仲間うちのね、
あるとあるおっさんによく言われるんですよね。
海外行けばいいじゃん。
ってね。
まあそうなんだけどね、みたいな。
なんで、僕に一番触れてほしくない部分は、
英語が喋れないっていうのと、
料理できない問題ね。
感覚の重要性とストーリー
でね、
僕の友達というか知り合いというか、
なんというかっていう、
人がめっちゃアンコ料理うまい人いてね、
なんでそんなうまいんだろうなーって、
不思議でしょうがないんですよ。
で、
ちょっと今度料理でも習おうかなー、
みたいな気持ちになってますね。
で、料理って、
ほんと僕の中ではブラックボックスなんで、
何が起きてんのかは全然わかんないんですよ。
だからシェフとか、
尊敬しかない。
まあ知らないからこそ尊敬しかないし、
まあ知ったら知ったで、
ちゃんと尊敬できるのかなっていうのはありますよね。
何も知らずして、
すごいみたいなのって、
それってちょっと細かにしてますよね。
知った上で初めて尊敬ってできると思うんですよ。
こんなに難易度の高いこと、
こんなに手間がかかることを、
こんなに突き詰めてやってるんだこの人すごい、
っていう尊敬の念じゃないですか。
何も知らないと、
何がすごいのからすらわからない。
これがすごいことなのかどうか、
どのようにすごいのか何がすごいのかわからない。
その人の思いを汲み取ることができないじゃないですか。
ここにこんな手間をかけてくれてるんだ、
その気持ちが嬉しいなっていう、
そういうコミュニケーションが取れないよね。
っていうのでさ、
ただ自分が料理美味しくなって上手になって、
毎日自分で美味しいものが食べれたら、
QOLが上がるよねっていうこともあるんだけど、
そういうことじゃなくて、
生きてる以上はさ、
生きてない日ってないんですよね。
絶対誰かが作った飯を食ってるじゃないですか。
自分で作ったものか、
家族が作ったものなのか、
恋人が作ったものなのか、
外食べに行ってレストランで誰かが作ってくれた、
それが機械化されていようが、
その仕組みがそのお店が、
誰かがそのレシピを作って、
仕組みを作って作ってくれた、
誰かの手がかかってる、
そういうのあるものを食べるわけだよね。
で、その情報をさ、
感度がないと全部取り逃しているっていうのが、
すんごいもったいないなって思うわけ。
だよね。
で、最近ね、僕は音作りですよね。
音声のコンテンツを作るっていうことを始めましたと。
で、そのために僕がまず、
聞く耳を拡張するっていうことですよね。
ヘッドホンとかその音響の設備を整えるっていうのは、
自分の感覚機関を拡張する外部デバイスですよね、
言ってみればね。
そういう感覚を持って僕はやっているんですが、
じゃあ味覚のことはどうだっていう話でさ、
ある程度作る側の苦労というかさ、
作る側のプロセスっていうものを知ってたら、
これじゃあ同じものを食べるにも、
もっと情報量が増えてさ、
もっと美味しいものになるんじゃないかなって。
僕たちってこう、ストーリーを食べるとか言うじゃない?
何でも今ストーリー、ストーリーって言うじゃないですか。
ただただ美味しければいいかって言ったら、
じゃあ吉野山も牛丼も美味いぜって。
別に牛丼、吉野山ダメって言ってるわけじゃないけど、
でも必ずしもその、
旨味として美味しい美味しくないっていうことだけじゃなくて、
こんな人がこんな思いで、こんなストーリーでここにいてくれて、
僕にこんな思いを持ってこういうものを作ってくれたんだっていう、
そのストーリーを含めて思い出になるわけじゃないですか。
いかに愉快な思い出を紡いでいくかっていうことですよね、
僕らの人生ってさ。
そういうふうに思うんだよね。
であれば、その思いを受け止める感覚期間の需要帯がないとさ、
投げっぱなしでさ、どっか行っちゃうんね。
投げてもらってることにすら気づかないって、
それはちょっと悲しいねって思うわけです。
技術の進化と人間の価値
まあそれってあらゆることに言えるよね。
今たまたま料理の話をしてますが、
じゃあ音楽とかさ、
クラシックコンサートみたいなの僕もたまに行くし、
毎日クラシックは聴いてるけど、
それにしたって耳が慣れてなかったりとか、
その楽器のことわかってる人であれば、
音楽家であれば音楽のその演奏を聴けば、
僕ら一般人よりもより多くの情報を得るわけじゃないですか。
だからさ、そういうことで考えると、
自分の感覚期間、需要帯を増やすっていうのは、
たぶんものすごく世界を広げるんだよね、
その一個人の。
そういうふうに思いますね。
だし、音楽とかであれば、
行ってみればなくて困らないかもしれないし、
毎日別に楽器を演奏するわけじゃないし、
毎日コンサート行くわけじゃないから、
必要性はやっぱり低くなるのはそうなんだけど、
だからご飯は毎日食べるよね。
毎日誰かが作る、自分が作るか誰かに作ってもらえるか、
誰かが作ったものをレンチンして食べるかみたいな、
そういう話だったらさ、
そこに投じる価値は結構高いよね。
料理のことをわかる。
つまり自分が作れるようになるっていうことですよね。
ですよね、なのかな。
料理評論家みたいな、
料理を評論する人間っていうのはさ、
料理が詳しいですっていう人間はさ、
自分が作り手じゃなくて、
ただ味を見るばっかりの人っているのかね。
それは成り立つのかね、それは。
作り方わからない、自分で作れない、一切作れない。
だけども他人のこの味はどうこう、言えるのかな、それってね。
どうなんだろうね。
ちょっと想像がつかんな。
そういう、
それは言えねえんじゃねえかなって思うよね。
なんで別に僕がシェフになろうと思ってるわけじゃ全然さらさらござせんのですが、
ちょっとなんかさ、
僕の料理のレパートリーさ、
野菜炒めとさ、
チャーハンしかないってそれどうよって話でさ、
ちょっとなんかうまいものをサクッと作れるようになりたい。
それもね、なんかその手の込んでない、
日常的な男飯みたいな感じで全然よくてさ、
素材をね、なるべく手間をかけずに、
ある程度なるべく簡単に美味しいものができるって、
それってすごいことだよね。
でも多分それがさ、技術がある人がやってるのを見てればすっごい簡単で楽勝で、
手抜きみたいにやっててすげえうまいじゃんって見えるのかもしれないけど、
やっぱそれって多分舐めてるんで、
本当はものすごい緻密な何かがあったりするのかもしれないけど、
なんかそのいろんなレシピを覚えるとか、
ハウツーをいろいろと学習したいっていうことじゃなくて、
そういうことよりかは、
普遍的なもっと根本的な何かがあるんじゃないかなって思っていて、
多分何かあるよな。
それをちょっと見たいなって思っていますね。
すごいやっぱ価値高いっすよね。
幸せな食を提供するシェフとか、
シェフというか料理人の人とか、
ソムリエの人ってものすごい価値だよなって思います。
それすらもこれからは何ですか?
食事もAIで、お酒のペアリングもAIでっていうことになってきちゃうのかな。
料理すると身体的なものがいるからロボットってことになってくるから、
ちょっとハードル上がるのかもしれないけど、
じゃあそのペアリング、お酒のペアリングとか、
知識で売っているソムリエとか、
っていうのはこう、
全部知識が入ればそれで判別できるのだとしたらどうなんでしょうね。
でもその情報が味覚での情報でリアルタイムで現地で、
データ化されていないのであればそれは身体性が必要になってくる、
身体を持つ人間の方にアドバンテージがあるので、
AIよりも人間必要ですよねってなるよね、そこは。
味覚という感覚機関がAI、ロボットに搭載されるかどうかっていうところですよね。
だから人間の舌っていうのはかなり複雑っぽいじゃないですか。
これが機械化、データ化されるっていうのは、
なんかまだまだまだちょっとって先だと思いません?
すごくまだ先だと思うから、
おいしいおいしくない、あと味覚で何か自分の価値を表現するっていう仕事はなくならない気がする。
ただ大体できるような程度の提案しかできないのであれば、
それはあまり価値のないものってなってきちゃうかもしれないよね。
リアルタイム性、身体性、その辺ですよね。
まだアドバンテージがありそうなことってね。
まあいいや、そんなことをゆるゆると考えておりました。
それではおいしいご飯を食べましょう。
バイバイ。
11:13

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