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2025-04-16 13:50

【仏教誕生編#3】ブッダはなぜ「母を選んで」生まれたのか?仏伝が語る命のはじまり


【今回の内容】

お母さんの予知夢/


世界を統べる王かブッダ/


里帰り出産の途中で産気づく/


右脇から生まれた?


【アフタートーク】

イギリス人による仏教再発見の話


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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワーする2万人越えの臨済士の僧侶、私、かんどう和尚が、一から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
皆さん、こんにちは。今回こそ、仏陀の伝記、仏伝をもとに、仏陀の生涯を見ていきたいと思います。物語は、仏陀の前世から始まります。
仏陀の前世は、トソツテンという天界に住まう神でして、仏陀になる人というのは、みんなですね、前世の段階で、このトソツテンという天界に住まうと言われています。
その天界から、どのような親のもとに生まれるのがいいだろうか、観察をして、そして、シャーキャ族の王であった、スッドーダナ王と、その妃、マーヤ夫人を選んで、その母体に入ります。
この親を選ぶという感覚、現代の日本ではわかりづらいかなと思うんですけど、インドでは、子供が親を選ぶという考え方があるんですね。
それがどういうものかというと、ガンダレバという妖精みたいな存在になって、そして母体に入り込むという、こういうふうな話があるんですね。
そのようにして、マーヤ夫人が後の仏陀となる菩薩、前回お話ししましたね。
仏陀は悟る前は菩薩というふうに呼ばれますね。生まれたときはまだ仏陀になっていませんから、菩薩というふうにここからお呼びをしていきます。
この菩薩を妊娠したときに、お母さんは不思議な夢を見たんだそうです。
美しい白い像が、このお母さんの右脇を開いて、体内に入っていくという夢です。
これはいわゆる予知夢なんですね。吉祥を示す白い像、これは菩薩です。
そしてこの菩薩が右脇から入ると。
右脇、これ何を意味しているか皆さん覚えておられますか。
右というのはインドでは象徴なもの、きれいなものの象徴ですよね。
そして脇というのは、これは腕の一部ですけれども、インドの古い神話においてはですね、
この生き物の、人間の元になるもの、これをプルシャって言うんですけど、
このプルシャからいろんなものが、口からバラモンが生まれたと。
そして腕からクシャトリアが生まれたとかね、こういう逸話があるんですけれども、
クシャトリア、仏陀は王族クシャトリアですから、腕から生まれたという逸話、
これに基づいて脇から生まれてきた、脇からですね、脇から入ってきたというふうになっているんですね。
その夢をですね、夫のスッドーダナ王に、マーヤ夫人、お母さんを告げますと、
王はですね、おかかいのバラモン、当時の聖職者ですね、宗教家。
彼らを呼び寄せて、その夢の示す内容を問います。
するとバラモンはですね、こう言うんですね。
おきちゃき様は王子を御介にいなさいましたと。
王子は素晴らしい素質を備えて生まれてこられますと。
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在族の生活、これはもう一般の生活を送れば天倫王となり、そして出家をすれば仏陀となられますと言うんですね。
この天倫王というのは聞き慣れないワードかなと思うんですけど、
これはインドにおいてですね、世界を武力を使わずに治める、完全無欠の王様、
こういうものがインドではですね、いるというふうにずっと考えられてきたんですね。
実在する王様じゃなくて、王様としての理想像ですね。
そういうものにあなたのお子さんはなられますよというふうに言われるんですね。
これは菩薩のお父さんのスッドオダナ王はね、ものすごく嬉しかったと思いますよ。
何でかというと、スッドオダナ王が治めるこのシャーキャ族という部族、
これあんまりね、規模大きくなかったらしくて、近くにですね、大きな国のコーサラっていう国があるんですけど、
そこに隷属しているような、賊国のような状態だったらしいんですね。
だからスケールは違いますけど、現代の日本なんかに似ているかもしれませんね。
日本ってやっぱり小さな国なので、古代だと中国にね、矯準してましたし、
現代だとね、アメリカにね、守ってもらっているというかね、
やっぱりこう、あまりね、アメリカに対して大きくは出られない状況ですけれども、
そういうのに似ているかもしれませんね。
だから常にね、いろんな国の顔色を伺いながらやっていかないとならないっていうのが、
このスッドオダナ王が引き入れたシャーキャ族っていう部族なんです。
そういう中でですね、あなたの息子はインド全土を治める、王になりますよっていう予言をされたんです。
だからそれはもう嬉しいんですよ。
でも手放しでは喜べない。
もう一つの予言があるからです。
出家したらブッダになるという予言です。
この当時、このスッドオダナ王の子供って、母札しかいないんですよ。
だから多い継承者である母札が出家したら、とんでもなく困るわけですね。
だからスッドオダナ王は何としてでも、この母札、息子が出家しないように、
様々な策略をこの後巡らせることになります。
そういう話もこの後していきたいなと思うんですけれども。
そうこうしているうちに、婦人は隣月となりまして、里帰り出産をしたいと申し出るんですね。
この時期に里帰り出産あるんだなって私こう思ってね。
なんか面白かったんですけど、古代インドでもそういう習慣があったんでしょうね。
婦人はですね、その実家に帰る途中で産気づいたそうです。
この産気づいた場所がですね、ルンビニーっていうんですね。
現在のネパールの西南部にあたるルンミンデイっていう場所があるんですけど、その場所がこのルンビニーです。
これ聞いてわかるように、この母札はですね、現代の国境で言うとインドじゃなくてネパール生まれなんですね。
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これ意外に思われる方が多いかもしれませんね。
お母さんが産気づいた時、たまたまですね、木の枝を掴むタイミングだったらしいんですよ。
木の枝を掴むタイミングなんかあるのかなと思うんですけど、そういうタイミングだったらしくて。
これ掴んだ時に産気づいたので、その木の枝を掴んで、立ったままで出産をしたらしいんですね。
これ聞いてね、あれ?って思われる方がおられるかもしれませんけど、後々の仏伝ではですね、母札はお母さんの右脇から生まれたっていうふうに言われるんですね。
こっちの方が有名だと思うんですけど。
これは、さっき言った夢の中で白い像が右脇から入ってきたっていうのが、出産の場面にね、転用されたものなのかもしれないですね。
この右脇から生まれたっていう記述は、何座も表したかったっていうふうにも研究者の中で言われますね。
よくね、出産の痛みを表すのに、鼻の穴からスイカを出すくらい痛いとか言ったりしますよね。
そういう表現の一つとして、右脇から生まれたっていうのを使ったんじゃないかと。
脇の毛穴から出産するって、これとんでもない話ですからね。
それぐらいの難産だったんだと。
実際にですね、母札のお母さんは、出産した後7日後に亡くなられてるんですね。
さっきにですね、母札のお母さんの名前をマーヤだっていう紹介をしましたけど、
これマーヤっていうのはですね、インドの言葉では幻っていう意味なんですよ。
だからこのマーヤもですね、名前じゃなくて、母札にとってはお母さんは幻のような存在でしたっていうのが、
後々に名前として定着したんじゃないかって言われてありますね。
すごく切ないですよね。
じゃあお父さんのね、すっとう棚っていう名前は何かってね、ちょっと気になります?
これはですね、白飯っていう意味です。白米っていう意味。
すっとう棚王のこのシャーケ族の地域って稲作をやってたんですよ。
だから清い白いご飯ってことで、常盆王っていうふうに官役で言われてますね。
これなんか面白いですね。
というわけでね、次回は母札が誕生するあの有名な場面のお話をしたいと思います。
お楽しみに。
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ここからはアフタートークです。
今日はですね、本編にちなんだ話として、
ブッダが誕生したルンビリーのお話をしたいと思います。
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このルンビリーという場所は、現在のネパールの西南部にあたるルンミンデイにあると言いましたけども、
この場所はですね、タライボンチのジャングル、湿地帯にあってですね、マラリアの温床なんですよ。
ブッダもこの場所ね、何ととなく訪れてるんですけども、
ブッダ80歳まで生きたって言ったじゃないですか。
このマラリアがあるような場所において、80歳まで生きたってことは、
これはブッダはマラリアの体制があったんじゃないかって言われてるんですね。
そういうところからブッダはですね、モンゴロイド系の人だったんじゃないかって言われるんです。
現代のチベットの人とかに近かったんじゃないかって。
インド大陸のブッダゆかりの地っていうのは、
これね、ブッダゆかりってことで仏跡って言われるんですけど、
近年まで、近代まではどこにあるかもう分かってなかったんですよ。
仏教ってのはインドの地においては13世紀に滅亡するんですけど、
そこからインドの人たちにとって仏教は完全に忘れ去られるんです。
だからどこに仏跡があるのか、全く分からない状態になってたんですね。
そういう状態がずっと続いてたんですけど、
18世紀になってインドはイギリスの植民地になりますね。
そこで徐々に明らかになるんです。
インドに赴任したイギリスの人たちって、インドの歴史にものすごくロマンを感じるんですね。
その中でブッダという人が開いた仏教という教えがあったって発見をするんです。
そこから仏跡探しがブームになるんですね。
そういう流れの中で、当時ですね、どこにあるか全く分からないから、
手がかりが必要ですね。
そこで大きな手がかりになったのが、
中国のお坊さんが書いたインド旅行記です。
この中国のお坊さん、誰か分かります?
玄奘三蔵法師です。
最有機のお師匠さんって出てきますよね。
あの玄奘三蔵、これモデルになる実際の人物がいたんですよ。
その方がインドに7世紀に旅をするんですけれども、
その時にインドの様子とか距離感をちゃんと計測して、
それを記録に残しているんですね。
これがものすごいヒントになったんです、当時のイギリス人にとって。
だからイギリス人たちは、この玄奘三蔵が書いた旅行記を一つの地図としながらですね、
それでいろんな仏跡を探すってことをしたんですね。
そういう流れの中でルンビリーも発見されたんですけれども、
このルンビリーを探す時にですね、
この旅行記ともう一つ別に頼りにされたものがあって、
それがですね、仏滅後、ブッダが亡くなって100年ほど後に現れて、
インドを統一したアショーカ王という王様がいたって話を前々回くらいかな、
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させていただきましたね。
マウリヤ王朝の3代目の王様です。
この王様がですね、ブッダの大ファンだったので、
このブッダのゆかりの場所にですね、石を、いろんなタワー等ですね、石柱をですね、寄信しまして、
そこにここはブッダが生まれた場所ですとか、ここはブッダが悟った場所ですとかですね、
石にですね、文字を彫ってたんですよ。
これがね、アショーカ王石柱っていって、インドで一番古い文字資料になるんですけど、
これを目印にするんですね。
これが発見されると、この場所だってのがわかるんです、書いてあるから。
すごくルンビリの場所に残してあるアショーカ王石柱、面白くてですね、こう書いてあったんですよ。
ここはブッダの生まれた土地だから、このルンビリ村は税を免除し、
生産物の8分の1だけ支払えば良いって刻まれてたんです。
ものすごくリアルでしょ。
ここからですね、ブッダが実在の人物かどうかってのも結構議論があったんですけど、
ブッダが亡くなって100年後くらいに出ているアショーカ王がですね、
こういう記述を書いてるから、これはもう間違いなくブッダは実在したってことになってるんですね。
考古学的にはそういう風になるらしいんです。
そこからブッダの架空ってのもなくなって、やっぱり実在だったんだっていう風になっていくんですね。
このルンビリの歴史からですね、そういう風にいろんなことが後々わかってくるようになったっていう話でございます。
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