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【中国仏教編#3】矛盾する教えをどう整理する? 複雑な世界を読み解く「教相判釈」の知恵
2026-05-02 39:05

【中国仏教編#3】矛盾する教えをどう整理する? 複雑な世界を読み解く「教相判釈」の知恵


▼今週のトピック


華厳宗の五教判と如来蔵思想/


住職交代時の講義と権威の確立/


中国の弥勒信仰と布袋尊の由来/


国家公務員の僧侶と禅の自由さ/


禅の特徴:論理の放棄と直感性/


日常生活の重視と清規の成立/


安史の乱による貴族社会の崩壊/


現代に続く禅と浄土教の融合


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▼ゲストスピーカー:吉田叡禮(龍谷大学文学部歴史学科教授)

1969年、兵庫県西宮市生まれ。

花園大学文学部仏教学科卒業。

駒澤大学大学院人文科学研究科博士課程修了(博士学位取得)。

臨済宗大本山妙心寺天授院(妙心寺専門道場)掛搭。

17歳より熊野や大峰山で修験道を修行。20歳で修験道総本山五流尊瀧院宮家徳師(のち管長・宮家道玄下)のもとで得度し、修験道を学ぶ。25歳、黄檗宗大本山萬福寺で禅修行。35歳、東京龍雲寺細川景一師に師事し臨済宗妙心寺派へ転派。同年、臨済宗妙心寺派大本山天授院(妙心僧堂)で禅修行。花園大学文学部国際禅学科・仏教学科教授を経て、2019年、高野山において真言密教を修行(四度加行)し、現在は観音禅寺で行学二道に励みつつ、大学で仏教および仏教史を研究、教育している。


▼パーソナリティ:大忍貫道

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagramフォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。


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サマリー

このエピソードでは、中国仏教の複雑な教えを整理するための「教相判釈」という概念を中心に、その背景と発展について掘り下げています。インドから伝わった仏教経典が、中国に到着するまでに順序がバラバラになったり、解釈が異なったりしたため、矛盾する教えを整理し、順序付けする必要が生じました。天台宗の「五時八教」や華厳宗の「五教判」などがその代表例です。また、中国仏教の特徴として、仏性(如来蔵思想)の重視や、弥勒信仰、そして布袋尊が弥勒菩薩の化身とされる信仰についても触れられています。さらに、国家公務員としての僧侶(官僧)制度と、それから自由を求めた禅僧のあり方、禅の持つ論理の放棄と直感性、日常生活の重視と清規(規則)の成立についても解説されています。安史の乱による貴族社会の崩壊が仏教のあり方に影響を与え、最終的に中国仏教は禅と浄土教が主流として残っていく過程が語られています。

中国仏教における教相判釈の必要性
かんどう和尚のはじめての仏教。 今回も中国仏教についてのお話になります。
前回は仏教が中国において定着をしてきた様子についてお話をしていきました。
今回は中国仏教の特徴という面でお話をしていきたいと思います。
中国仏教の特徴というと、教相判釈というものが挙げられるかなと思うんですけれども、
これはどういう風な文脈で出てきたものになるんですか?
そうですね。仏教はインドから中国に渡ったって考えてますけど、
実際はインド直輸入というよりは、多くは載域経由なんですよね。
載域で変算されたお経もあるし、
場合によっては、例えば1,2,3,4,5という順番で成立していったお経が同時に入ってきたり、
あるいは5,4,3,2,1とか3,5,4,3,2とかという順不動で入ってきたら、
お互いが矛盾しているように感じるわけですよね。
インドにおいては、整合性を持って発展していったものが順不動で入ってきたときに、
お互いが違うことを言ってるんじゃないかと。でも仏教なんだってなると、
これは相手によって言い方を変えたんだとか、それから弟子も育っていくので、
入門編の人にはこうといて、中級編にはこうといて、最後にはこうといたみたいな風に整理していく。
これがいわゆる競争反尺。教えの姿を判断し解釈していくってことです。
順位付けをするっていうことで簡単に言うといいんですかね。
これは順位付けだけじゃないんですよ、実は。
訳して共犯って言うんですけど、競争反尺はですね。
よく知られているのが天台宗の親玉である天台知義の五次八教と言われる共犯ですよね。
五次兄犯と八教っていうのはまた別々なんですよ。
しかも天台知義の段階では今みたいにまとまってなくて、あれまとまったのは総代ですね。
お弟子さんたちが整理し直したと。
でもその必要があったからまとめていったわけなんですけどね。
五次八教って簡単に言うと、経典は最初核のごとく私は聞きました。
いついつどこどこで何千人の陸と一緒でしたっていう始まりになるじゃないですか。
どこどこでっていうのを集めていって、お釈迦さんの電気と照らし合わせたときに順番が生まれてくるということですね。
それによって段階があるんじゃないか、初級中級上級みたいな段階があるんじゃないかっていうことで、
経典をそこに配当していった。これを5段階に分けたんで、五次教派って言いますね。
八教ってのは四教プラス四教で八教なんですけど、経義の四教と経法の四教って言いますが、
簡単に言えば相手のレベルに合わせて4つに分けるっていう解き方ですね。
解き方の形式で4つに分けたというと、解いた内容でカテゴライズして4つに分類したっていうのが経法の四教。
分け方が違う。そういうふうにお経を分類してみた内容、それから解いた相手、解いた時間で分けてみるっていうやり方。
あとは華厳の教範のように全ては、華厳ってのは華厳学俳優、東大の諸島ぐらいに確立していて、
中東で東アジア全体に広がっていく教えなんですけど、華厳の教えっていうのは総合仏教なんです。
この部分だけ深めれば全体に広がるよっていうんじゃなくって、最初から全部を網羅していくっていう考え方なので、
華厳の考え方だと全てが華厳のお釈迦様の菩提寺の中で悟ったそのお悟りから生まれてきたものなんだから、
全部同じだと。だから深めていけばお釈迦様の悟りに帰っていくし、展開していけば様々な教えとして広がっていくっていう考え方で収めていって、
これは別教同教とかいう分け方です。全部華厳華厳華厳華厳。だけどもみんな違う、別別別別。
さらには仏教のカテゴライズとして、象徴教、それから大乗仏教の始まりの教え、始経って言いますね。
それから大乗仏教の究極の教え、終局という終わりと書いて実教と読むんですけど、終わりの教えと書いて実教。
それから遁業、一発で教えるっていう、相手の気根関係なしにパッと教えるっていう遁業と、
それから窓下で欠けることのない全てを網羅する教え、これは気根のことを言うんですけども縁業。
小押し実遁縁と読むんですけども、五行派っていうのが載れてくる。それぞれに初教というのは中元とかそういう優識だったりとか入れられるんですね。
実教は如来蔵室、仏性の教えですね。遁業は古来は遠遁教とかって天台でも言いますけど、窓下であるってことと一発で教えるってのはほぼ同じなんですね。
ちょっとその辺の分類は、稽古の中でも元々は曖昧でした。後々その中の技、あえて明確化していくんだけど。
仏性思想と中国仏教の展開
今言われたように仏性、仏性っていうのは私たちの中には仏陀になる、仏になる、祖室というものがそもそも備わっているんだっていう、この考え方自体も中国の特徴って言っていいんですかね。
いやでもインドからあるでしょ。
仏性インドからありますかね。
如来蔵室層っていうのがあります。
あーそっかそっか。
じゃあそれが、インドの時の如来蔵っていうのは。
楽派ではないんですよね。有意識や中観は楽派になってるけども、如来蔵っていうのは楽派ではなくて、経典で現れてきます。
最初は如来蔵行、そしたら仏像、不言行とか、そして正慢行、そして涅槃行というふうに如来蔵室層も展開、発展形態があって、その後法相論とか仏相論とかいうものが出てきて。
そういったものが中国に受けられて大乗鬼神論とかそういうものが大ベストセラーになっていくんですね。
そういうふうに共犯をみんなそれぞれの中国のお坊さんたちがやっていく中で、その次の段階としてはどういうふうに中国仏教の思想というのは展開していくんですか。
共犯はね、ずっと続きます。
というのは、これは私の見方っていうのも入ってるかもしれませんけど、ある有名な和尚さんがいたとしますね。
あるお寺に住職に空席ができたとしますよね。
そうすると推薦されて立派の和尚さんが住職として入ってくるんですよ。
入ってきて最初に抗議をするんです。
デビュー作。
我々という水字みたいな感じです。
7日間くらい続くんですよ。
でもそこにはその当時のその場所の権力者とか一般財圏の権力者とかそういう人もどんな人が入ってきたんだと思って聞きに来るし、
もちろんそこのお寺の先代の住職さんのお弟子さんだけじゃなくて周辺のお坊さんたちも有名な人がこんな立派なお寺に入ってきた。
よっぽどいい話が聞けるに違いないって聞きに来るわけですよ。
その時にどの経典を抗議するっていう形になるんですよね。
中国では必ずその権威があるものに乗せて解釈していく。
自分はこう考えるってことを新しく言っても受け入れられないから。
前にあるもの。
前にあるものにだから故に教に曰くとか言うんですよ。
だからこうなんです。
だから教にはこう書いてあるでしょってこう経典に行って権威をつける。
君子注釈学とか仏教だけじゃないですよ。
注釈するという形で自分の思想を乗せるんですね。
本当はこう解釈するんだよみたいな形で自分の思想を伝えるんですけど、
そのためにその経典をチョイスするんですよね。
で例えば法華経を選びます。
華厳経を選びます。
ゆうま行事しますとか。
全体の教えをまず広げてみせて、
全体の教えの中のこの経典はここに位置しますって示さなきゃいけないんですよ。
でそれが教祖反尺になっていく。
そうやって生まれるんです。
中国における弥勒信仰と布袋尊
そういう中で教祖反尺とかがなる中で我々みたいな禅みたいなのが出てきますよね。
そこをちょっとこう私は乖離してるように今話し聞きながら今思ったんですけど。
まさに。
禅だけじゃなくて浄土教も中国の特徴になるんですけど、
浄土はですね当初北偽なんかの時代はですね、
北方の卓伐族の貴族の中で生きたもんですが、
当時は土卒天皇城という、漠然と空の国なんですよ。
聖徳太子も天呪国とか言ってるようにね。
命の長い安楽国に行くんですよ。
だけども信仰としてはやっぱ魅力菩薩がメインでしたね。
やっぱり中央アジアのマイトレーヤ思想。
これもいろいろな都市伝説もありますけれども。
太陽神、土卒天皇城ってことが考えられますね。
土卒天ってのは仏陀になる前の人がいるっていう天の展開、いいところってことですね。
控え非善者ですね。
そうですね。
だから将来仏になる魅力菩薩もそこに。
今いらっしゃるんだと。
ところが中国ではむしろ魅力教にも上昇教と下昇教といって、
土卒天に登っていくっていう話が説かれてる教と、
土卒天から魅力が降りてきてこういうお話をするって説かれてる教が2つあって。
有識にもそういう教がありますよね。
有識の人は魅力大好きですよね。
なんで祖師の中にマイトレーヤ魅力って書が入ったんですね。
中国ではどっちかというと下昇教が人気なんです。
日本では登っていくんですよ。
神保田氏空海も魅力の生まれ変わりっていう考え方があって、
今はそれで準備中っていう考え方なんですよ。
次の56億7千万年後の準備をしてると。
中国ではもうすでにその教家っていうか救いは始まってるって考えですよ。
もうすでに。
それが皇帝なんだと。皇帝という形で現れる。
あるいはその辺にいる変わった人。
中国は結構変わった人を神聖するのがあって。
臨済力に出てくる府家とかね。
そっかあと保定さん。
保定さん中国では魅力菩薩の生まれ変わりなんですよ。
でも明大ぐらいにそういう信仰が生まれてきて、
中国行ったら必ず入口に保定さんが大笑いして座ってますね。
あれは魅力菩薩として信仰されてるんです。
魅力菩薩の入り口を入っていくんですよ。
華厳経の思想に基づくんですけど。
そういう信仰形態っていうのは、
お坊さんたちの頭のいい人たち。
お坊さんが考えていること。
あるいはもう修行がすごいできた人たちが考えていることと、
一般の民衆や、あるいは一般の貴族。
貴族一般って言うかどうかわかんないですけど。
お坊さんじゃない、修行をしてるわけじゃない人たち。
あるいはスポンサー側の人たちが捉える仏教とは、
ちょっと分けなきゃいけない。
そうですね。違いますね。
そのピラミッドみたいなもんで、
根底にある文化的な仏教というか信仰とかそういうものが、
ずっと上に上がっていって距離が出来上がり、
距離が今度また下がっていって文化に影響していく。
この両面が同時に行われたりするんですね。
あるいは行ったり来たりするんですね。
そういうのを繰り返したのが中国かなと思います。
なので浄土思想っていうのは、その後主に阿弥陀さんが出てくるのは、
古くからの文献はあるんだけど、
やっぱり庶民に大きく受け入れられていくのは東大以降かな。
そうなんですよ。庶民仏教なんです。
はじめは貴族の女性とかが、
阿弥陀さんに、はじめは美禄さんだったのが、
だんだん阿弥陀さんにスライドしていって、
それはあるイケメン和尚さんがいて、
その人に対する人気から、
その人が阿弥陀信仰あったらしくて、
そんなところから徐々に広がっていくんですね。
禅の独自性と官僧制度
禅は全く別の動きです。
禅はすごいアウトサイダーだと思いますね、最初は。
たしか沖本先生の本でもそういうのがあったと思うんですけど。
そうですね。沖本勝美先生の禅の見方っていうのは、
かなりまといていると思います。
従来の思想よりもちょっとね、
考え方はあの人発想がすごく優れてるし、
悪く言えばぶっ飛んでる。
でも私もその考え方には賛同してて、
当初はね、禅の人たちっていうのは立院に住んでたんですよね。
立と禅ってすごく親近性が高いんですよ。
だから生活規範みたいなものになってたんですよね。
ところがやっぱりアウトサイダー的な要素が強くて、立院にも馴染まず。
でその、
これまだ私が今考えてるばっかりで、ここで言っちゃうと取られるかな。
あのね、中国は、
日本も真似してるんですけど、漢字って言って国家公務員の寺。
そして官僧と言って国家公務員としてのお坊さんがいるんですよ。
で禅僧も漢字に結局は住んだりはするんですけど、官僧を捨てた人たちじゃないかなと思う。
官僧は国家公務員ですから、国家公務員規定に基づいて業務を遂行します。
でそこには仕事の内容があって、でそれ以外のことをしたらアルバイトとして認められて、
クビになりますよね。
でその官僧という役人の業務内容の中に、
首長サイドという項目がないんですよ。
それやったらクビになるんです。
で彼らがやる仕事は、国家賃語。
国を守る祈祷と、それから皇帝の
何ていうか安納ですか。
健康とか長寿を祈ること。
これが第一の業務であり、それ以外は勉強しときなさいと。
でお寺から離れるときも必ず申請がいるんです。
最近と同じです。
で申請して許されて初めてパスポートを渡されていけるっていうのが当代からあります。
総代はもっと厳しくなりますけどね。
でそういった国家による統制の中で生きていく、
いかざるを得ないんですよ。
その中で何とかこううまくすり合わせていくんですけど、
もし自由に修行したいから、
官僧はその衣食寿は全部国から出ますからね。
給料も出てるでしょ。
給料を捨ててもいいから、
自由に修行したい人々と接触しようと思ったら官僧を捨てるんです。
日本では陰遁僧と言うんです。
陰遁僧が、これ日本の仏教の言い方ですけど、
陰遁僧が都会にいるか田舎にいるかは別なんです。
別に山の中にいるわけじゃない。
で都会の中で人々に宝徳、これは官僧はやってはいけない仕事なので、
やりたければやめましょう。
あるいは初めからならない。
だから日本でいう日尻みたいな。
そうで死道僧って言われるんですよ。
ああそうですね。土町がないってことですね。
土町がないから廃仏希釈の時は真っ先に対象になります。
公式のお坊さんの扱いされない。
されないですね。
でもそういった人たちは旅をしながら点々と行くんですね。
禅籍、禅の書物の中にも、
禅を着るものって言います。
禅っていうのはケ三つです。
ケと書いて禅って書いてある。
これは旅衣装なんですよ。
今ではダウンジャケットなんですけど。
お坊さんはあんま着ないですけどね。
寒い北方ですから、
そういうものを着て旅してた。
旅をするものという意味なんですよね。
本来一所不住でしょ仏教。
ある意味中国の中で固定化されていた仏教に対して、
もっと自由であれ、もっと言えば釈迦の時代に戻ろう。
そんな感じで聞こえますね。
それが安寮をする禅僧の姿なんじゃないかなと。
もう一つ私は独自の考え方があって、
禅の特徴:論理の放棄と直感性
禅の特徴っていうのがありますね。
陰明の法器。
仏教は禅宗、日本でもそうですけど、
禅以外は必ず陰明をします。
論理学ですね。
仏教論理学。
何々だから何々。
こういう場合にはこうです。
例えばこのように。
従ってこうなのです。
今でいうプレップ方式ですね。
それをやるんですけど、
禅はそれを完全放棄します。
結論だけ言いますもんね。
即時的なんですよ。
パンパンパンパン。
これ瞑想の中の世界ですよ。
禅を祭壇してて。
パッションパッションパッションの連続。
今今今の連続なので、
何々だからこうなんです。
なぜならばって戻ったりとか、
先に先に行ったりとかしない。
今しかない。
なので、
仏教は瞑想の中から出てきた教えですからね。
基本的に。
なので論理学じゃないんだ。
ということで、
禅は釈迦に変えれと。
そういう形で始めるから、
そういうコンセプトで生まれてると思います。
釈迦の時代は陰謀なんかでね、
悟りを解いたりなんかしてないですよ。
ダマバダミでもスタッパダミでも。
そうですね。
思いついたパッションで言ってますね。
そうなんです。
禅における日常生活と規則の成立
そしてその相手に、
相手に個人に対して喋る。
大器説法って言いますけど、
その人に向けて喋る。
もちろん大勢250人とか相手に喋ったりするけど、
それは公式発表であって、
禅で言えば浄土とか、
そういうみんなにパッと喋る場合はあるけど、
やっぱり基本的に1対1なんですよ。
禅も。
そうです。
で、あともう1つあります。
3つあるんですけど、
こんなのが1つ目。
2つ目は、
そういった今までの背景にあった教え。
自分が学んできたものとか、
当時の中国なら中国のその場所、
その時に一番浸透していた教えというものを、
日常に表すと。
この日常体、
現実性というものをものすごく重視します。
これが最大の特徴になるかもしれない。
現実性なんで意味をもう放棄していいし、
そして実生活というものが修行の場になっていくし、
それがその三無という形になるし、
後々、律に合わない場合、
律に合わないから、
真偽というものを新たに作るんですね。
新たな律として。
そこが私に言わせると、
禅宗教団の始まりなんですよ。
律の成立が。
いつかわかんないですけど、
バソの弟子の100条あたりだと考えられます。
バソ同一って人はたくさん弟子がいたから。
やっぱり集団規則が出てくるんですよ。
律院も出ちゃったんだけど、
出ちゃったなにに、
やっぱり集団規則が必要になってくる。
そうすると律の縛りないから、
新たな形で、
律をに基づきながらも、
その場にあった真偽という規則を作るんですね。
ローカライズされた。
ローカライズですね。
さらに言えば、
もう一つは、
働きの重視。
自由とか、左右というんですけど、
これは門道、公安という形で具体化します。
その場で働いていく。
これは実は俳優系には華厳があるんですよ。
華厳に正義という教えがあります。
仏性の現れ、働き。
仏性そのものよりも、
働きというものを重視するんですね。
仏性そのものを重視したっていいと思うんですよ。
いいんだけども、
働きは必ず必要になりますね。
我々は働きでものを認識しますから。
この人何ができるみたいな。
何ができるかでやったら必要に窮屈なんですけど、
それよりも、
作用価値よりも存在価値の方が重要だと思いますが、
しかし、やっぱり、
何かしらの形で私たち生きてる限り、
物事と周りの環境と関係し合ってます。
そこには必ず作用が生まれるんです。
たとえ寝たきりでベッドの中にいても、
必ず何かと関わってる。
その作用というものがある。
これを仏性の働きと見ると。
いうところで、
人というものに注目していくんですね。
それが隣在の人思想とかって言ったりする。
人思想って言ったりするんですけど、
今までは、北海道は何か。
仏性の働きと人間中心思想
大乗仏教の特徴として、
全体、すべてのものに
仏地続きの大いなる生命みたいなものが想定されます。
それを北海、
ダルマカーやとかね、
そういうふうに言ったり。
星を、
ダルマダーズとか言って、
物事の基礎に置く。
そこへ注入していくっていうのが、
大乗仏教の大きな特徴になってきます。
そこではもう煩悩だとか、
あるがないかとか、
煩悩のあるなしは関係なくなるし、
男も女も関係なくなるし、
出家無罪気も関係なくなります。
海というものの中から、
海に風が吹いて、
そこから波が立って、
水しぶきがポンと飛び立つ。
その水しぶきが私たちの命、
個人個人の命である。
ある時、また時がくれば海に戻っていく。
また風が吹けば飛び出してくる。
それが輪廻だと。
そう考えたらとても安心できるんですよね。
そういった大いなる、
根源的なものに目覚める。
私たちは、
もとを正せば結局、
水という点では、
波も海も川も変わらないわけです。
その共通する水というものに、
帰っていくというか、
本来水なんだということを認識する。
気づくか気づかないかが、
悟りか悟りじゃないかの違いであって、
根本的に別に悟ろうが悟るまいが変わらない。
グーであろうがパーであろうが、
手には違いはない。
晴れてよう雨であろうが、
空には変わりはない。
その空を知れ、手を知れというのが仏教の大事なところ。
そういうときに、
知ったところで、
今の自分はどうやって、
働くか、動くか、関わるか、
というところが大事なので、
それを本来性に目覚めれば、
ストッパーが、
リミッターカットされますから。
無限に働きが出てくると、
固定概念がなくなるから、
という考え方。
そうしたら、私たちはこういうものだと思って限定してたけど、
リミッターカットされたから何にでもなれる。
これこそが空の教えじゃないか。
固定の自分なんかないじゃないか。
こういうふうに考えていくというのが中国仏教の特徴で、
その働きを、
従来は我々は仏教では知恵という表現したんですが、
知恵だとどうしても頭の、
お勉強とかの知恵と、
どうしても区別感が曖昧だし、
そこを般若っていうふうに、
これもさっきの翻訳のことなんですけど、
訳しきれないから般若、
般若波羅蜜って、
プラチナパラミタの音写して示したところで、
やっぱり中国、漢字の世界ですから、
漢字に縛られるので、
知恵というふうになるとどうしても、
知識っていうことに偏っていくんだけど、
そうじゃないっていうことを言うために、
知恵という言い方を使わずに、
働きという、機、機械の機ですね。
機縁の機とかそういうものをすごく重視していた。
これは弾みですから、
タイミングとかいう意味もあるんですけど、
だから絶対そのタイミングを外さない、
どんびしゃなことを相手に対して、
今必要な方法を解く。
どんびしゃな表現をする。
場合によっては殴っちゃうときもあるかもしれない。
タイミングが大事なんですよ。
そのタイミングを逃すなっていうのが大事なんで。
この一つ目陰謀の法規と、
二つ目、脅威を日常生活に表す。
場所で作用促償って言ったりしますけども、
日常性っていうことと、それから機遊ですね。
働きの重視。
禅の核心:実践と現実主義
これはそれぞれ、
陰謀の法規っていうのは異心伝心っていう形で言われます。
それから不竜門司とかいう形で言われて、
仏前のスローガンにもなりますよね。
不竜門司教諭別で。
さらにこの脅威を日常的に具現するっていうのは、
神技という形で現れてくるし、
働きの重視っていうのは公安っていう形で具現化する。
ということかなと思います。
陰謀の法規は異心伝心ですから、
当然、私事相乗、
祖党説が重視されるってことと繋がってくる。
これは小川隆さんが最近言ってる、
刑婦審議公安というのも繋がってくると思います。
ただ刑婦審議公安っていうと、
別に小川先生を批判するわけじゃないですけど、
歴史的な特徴なんですよね。
だけど思想というか、
禅の本質を見ると、
これまだ私本書いてないから、
パクらないでくださいね。
陰謀の法規、日常性の重視、
徹底した現実主義という言い方してもいいですが、
日常定の重視、それから働き。
この3つっていうのは非常に重要かなと思います。
これはまさに漢民族にはぴったりなんですね。
南方は割と学問的な仏教なんですけど、
北方は実践的なんですよ。
特にやっぱり北方ではそういうものが受け入れられるかなと思います。
南北朝時代もそうですね。
受け入れられた経典っていうのは実践マニュアルの本なんですね。
実践マニュアルが受け入れられる。
南方の方は般若経典とか、
そういうちょっと哲学的なものが好まれる。
統一されてからはだんだん違いは、
それほどなくなってはくるんですけれども、
やっぱりそういう違いはまだまだあるかなっていう感じはしますね。
禅というのは非常に確かに漢民族的っていうのかな。
中国は多民族国家ですからね。
中国人っていうのはたくさんいますので。
漢文化に非常にマッチする考え方だと。
こういうふうに言えるかなと思います。
安史の乱と貴族社会の崩壊
中国で禅自体が一番流勢を迎えるのはどれくらいまでですか?
流勢を迎えるのは何をもって流勢かっていうのを考えてたんだけども、
やっぱり生き生きとしてたのは始まりのスタートダッシュの頃で。
東大の頃。
そうですね。東大の頃で安史の乱。
安史の乱は東洋思想を考える上ではものすごく重要なんですよ。
安禄山とししめによる空出たですね。
東王朝というあれほど発達したものは、
元宗皇帝の時代にものすごく東王朝の文化を花開くんです。
元宗皇帝は前半生は非常に良かったんですね。
開源の地って言ってですね。
もう発展したんです。
これ話すと長くなるから端折りますけど。
晩年陽暮日に入れられて、そこからちょっと崩れていって、
安禄山ししめという節度士、後の節度士ですね。
元々は国境警備隊だった最益の人なんですけれども、
国境警備隊である外国人部隊みたいな傭兵なんですね。
なんだけれども国内の治安も感じするようになって力を持ち始める。
しかも最も中国で一番大事な部分を統治するようになって。
もうほとんど力自体はもうその二人の方が持ってましたよね。
実質的には。
安禄山が特にね。
陽気肥に取り入ったんですよ。
陽気肥がいいよって言ったら元宗皇帝もいいよって言っちゃう。
これは危ないって言って陽気肥の親戚である西昌が言うんですけど、
あの人がね、放っておくとまずいから空出たら起こすかもしれないってあらかじめ言ってたんですよ。
仲悪くなるんですよ。
安禄山と陽国忠が総理大臣みたいな人が仲が悪くなるんですけど、
お前危ないだろ、空出たら起こすんじゃないのかって言ったら、
いや違うんですよ違うんですよってはじめは言ってたんですけど、
違うんだってバーってバーンってやり返しちゃって。
やり返しちゃったからにはもう収拾つかなくなって皇帝の座を奪うみたいな。
それが空出たですね。
でそれによって東王朝のそのいわゆる貴族社会というのはどんどん崩壊していくんです。
だけども、東の初めの頃の李世民っていう第二代皇帝の作った、
徳川家康も座右の銘に置いてたという上官、上官政を著物にあるように、
ものすごい政治システムはきっちりしたの。
その力だけでもない、徳だけでもない、その節中でうまく使いこなすみたいなのをやっていって、
それが酵素をしてその空出たが起こってボロボロになっても何とか150年持つんですね。
その低減というものか上減というものかはあるけど、
上減の地とそれから下層肯定の改善の地、政治システムがきっちり出来上がっていったので、
空出たが150年持ったけど、どんどんどんどん空出たがしょっちゅう起こって、
その節度士を内地に置くんだけど、内地で節度士が勝手なことをどんどんしていって、
税金も送らなくなってきたりとか、要するに財政軍事を全部は持っちゃうんですよ。
その人たちが消えたのが禅だ。
その頃は禅僧は生き生きしてたと思いますね。
漢字にも住んじゃいます。節度士の生涯でとか節度士が作ったお寺とか。
厳密には国家じゃなくて節度士なので、地方権力の庇護のもとに作られた寺だったりするんだけど、
そういうところに住んだりもしますよね。
場所だって開源寺ってところに住んでますから、あれは漢字ですからね。
一応住んでたりするんですけど、結構自由気ままなことや。
壮大になると今度は国家仏教がっちりになるんで、禅僧も死体婦。
いわゆる知識強要人が政治の中心になる。
今までの貴族社会を崩壊して、地筋じゃなくても優秀であれば徒養されていくっていう時代になっていく。
その中で、東大は優秀なお坊さんがいたけれども、貴族社会だから優秀な人がお坊さんになったんだ。
僧大は優秀な人はみんな政治家になるから、優秀じゃない人がお坊さんになったんだとか言う。
そんな歴史観を持つ人がいるんですけど、必ずしもそうじゃないってこと最近わかっています。
しかし僧侶も死体婦化していくっていうところになる。
強要を持つ。
禅僧は死儀に関心が読めないとダメだしっていうことになってくるし、絵とかも描き始めるし、だんだん文人化していくんですね。
そういう流れをずっと作っていくのが僧大っていう分岐点になるんですね。
中国仏教の終着点:禅と浄土
その時に最初ちょっと言いかけましたが、貴族社会では天というものがあくまでも中心で、地上に人民がいるという天地人の関係がきっちりあったんですね。
天から一方通行で一方的に地上に働きかける。
もしその間にいる皇帝というのがいるんですけど、皇帝が間違った政治をすると、親が子供をダメよって叱るというように皇帝である親、すなわち天が皇帝に天罰を加える。
これ天犬説っていうんですね。
天の運行、天の小読みとか星の動きが地上に影響するっていうのは地王説。地事物々が応じる地王説。
似たものなら天犬地王説とかってまとめて言われるんですけど、これが中国の思想の全ての思想の根幹にある天人相関論。
仏教もそういうとこあるんですよ。
やってるのはやっぱり中国人ですからね。
考えたときに、じゃあ仏教ではどう考えるのって言ったら北海。
北海というものがあって、そこから飛び出してきたのは人間なんで、北海に準じるのが自然な生き方であり、心理に即した生き方だと考えます。
ところがその社会状況が変わっていって、貴族社会が変わっていくと、天そのものの価値よりも人の価値が上がっていくんですね。
人にクローズアップされていく。
で、人の中に天の道があるって考えます。
だから今までずっとお空見てたような状態を自分の心の中を見るような状態に視点が変更していきます。
で、人というものが生き生きしていきます。
これ経済発展とも関係があるらしいし、あとは天文学の発展とも関係がある。
天文学は壮大になると飛躍的に発展するんですね。
一行禅師という密教の祖にもなってるし、一行あじゃりとか大日経の注釈書を書いた人もあり、北宗禅の系統の人もあるんですけど、
その人が天文学作りましたがその後、天文学者でもあるんだけど壮大になって天文学が拡大に飛躍的に発達します。
それによって天というものに対する概念が変わってくるという考え方もあります。
で、自然というものは人間が克服するものだと人は。
そういうふうに変わっていきます。
何百年もかけて土地を変えていって川の流れを変えたりとか、そういうことをし始めるのも壮大から。
そういうものを仏教で表していくのが禅であり、当然中国では禅が定着するでしょう。
壮大では完全に禅が仏教の主流になっていきます。
最終的に中国において残るのが、禅と浄土が最終的には中国には残っていくことになる。
そうです。
民心の時代に現在の基礎が確立しますけれども、真の時代に優識と隠名がまた流行るんですよ。
それで在家の人たちの学者の世界である、一般民衆あるいはお坊さんの世界で、みんな座禅をしながら死んだら浄土に行くっていう感じ。
両方とも接種してるんですね。
それが矛盾しないんですよ。
日本でも今一番宗派として大きいのが浄土系と禅宗系になりますよね。
そうですね。
やっぱりその辺りもリンクしてるって考えてるんですか。
中国の影響あるでしょうね。
日本は日本で独自の特徴がありますけどね。
そうですね。
でも今回までお話をお伺いしたことで、だいぶ皆さんも解像度が上がられたんじゃないかなというふうに思います。
だいぶバラけたかもしれない。
今日は本当にお忙しい中ありがとうございました。
ありがとうございました。
また機会がありましたらぜひお話をお伺いしたいと思います。
今回で中国編は以上となります。
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それではまた次回お会いしましょう。
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