ちょっとお話違うけど。
仏教が伝わるって言いますが、何をもって伝えると思いますか。
難しい。
何をもってですか。
考えたことはありますか。
ないですね。
日本でもそうなんだけど、やっぱりまず信仰なんですよ。
金陣がやってきたって前回話しましたけど、金ピカの何かが見えた、それがすごいらしいっていうので拝む。
あとはマジカルな力、祈祷などによってその威勢者が自分たちが統治する、あるいは敵に勝つためのマジカルな力、神像力っていうやつですね。
それに期待をするんですよ。
中国でも同じ、韓国でも一緒です。
その際に国益考えるんですよ、当然。
威勢者ですから、王様ですから。
自分たちの国、あるいは自分にも利益があるかどうか。
利益があると考えるから受けられるんですね。
さっき何をもって伝えるかって言った、伝わるって言ったんですけど、
公伝と普通の伝来、そして定着、これを分けて考えたほうがいいんですね。
公伝ってのは歴史書に僕が伝わりましたって書いてある、公の歴史書に書いてある。
厳密に分かりやすくイメージで言うと、そこの皇帝なり王様なりが仏様の像の前でぬかづいたその瞬間。
これは公伝ですよね。
日本でも三坊の御事のりとか出て、発布されるわけですよ。
今日を皆信仰しようとか、そういう言葉が皇帝、権力者、朝廷とかの名で出てくる。
これ公伝に、公やけな定着になります。
史的なものがいっぱいあって、信仰ですね。
ゴリヤク宗教から始まります。
あとは中国で言えば西域の文化の輪廻っていうことなんですけども、
仏教も文化の一つとして入るんですけども、
じゃあその中で仏教って何?っていうことになりますね。
これ難しい話ちょっと言うと、
仏法相の三坊、これが揃うということ。
強立論の三蔵が揃っているということ。
それから実践としては、三角、階、上、下、これが揃っているということ。
この三坊、三角、三蔵、これ全部揃って、
初めて伝来と言えるかな。
さらに加えると、それが継続性を持つっていうことが定着になってきますよね。
その意味では、お坊さんは基本的に働いてはいけないわけで、
スポンサーが必要なわけですよね。
それは当然その土地の権力者だったり有力者、経済的に豊かな人がバックアップしていかないと。
あんまりやっぱりそんなに個人だけのものでは限界があるから、
権力や国っていうものをバックに持った人がバックアップするという、いわゆる世襲ですね。
世襲さんがいないといけない。
で、あと活動の場がないといけない。
そしてその正当性っていうものも中国では考えられます。
さかのぼっていけば確実にお釈迦様につながっているのだという。
確かに中国仏教系風すごい気にしますよね。
禅宗とかそうですよね。
禅宗全部顔向いていったら方形しかないですね。
これっていうものはないから。
ちょっと後ろめた差があるのかなって私は思ったりしたんですけども。
それはあるかもしれませんけど、法を伝えるっていうことの大切さってのは思ったより重いと思いますよ。
だから禅宗の特徴にもなると思います。伝統っていうのが。
これ重要なことだと思いますよ。
ちょっと話ずれちゃいましたけど、何でしたっけ。
その薬莢事業で。
薬莢事業ですね。
熊原寿は熊原寺馬ですね。
クチャの人だったですよね。
あの人の伝承みたいなものを見てたら拉致されたみたいな話がありますよね。
連れてこられて。
薬莢事業に従事させられるみたいな話があったと思うんですけども。
あのあたりも権力者の人たちが自分たちの権威づけってことになるんですか。
熊原寿優秀なんですよ、すんごい。
お母さんインド人だったっけ。
海外の人でしたね。
留学させてるんですよね、スリアンカとかに。
そこで占いとかもできます。小読みに精通してて、レーダー。
政治的に使える人だったんですね。
熊原寿だけじゃないです。それ以前のネハン教翻訳した人ですね。
ドンムシンですか。
ドンムシン。ドンムシンともドンムセンとも言うけど。
ドンムシンも取り合いされてるでしょ。
やっぱり銀吊り木があったんですよ。
北領館。北儀に取られたくない。北儀に取られたら自分の国が滅びるって言うんですよ。
人材として。
人材なんですね。
ドンムシンを相手国に取られるとうちは滅びるということで、
ドンムシンという人は純粋にネハン教翻訳したかったんですよ。
足りない部分があるからって言って、ちょっと出かけてきますって言ったんですよ。
どうも北儀っていう地域にあるらしいからって言って、
あの人もし北儀に取られたらうちが滅ぼされてしまうっていうことで、
かわいそうに出て行った数キロのところで殺されちゃうんですよ。
そういう事件がありました。
熊田中もそう。本当に政治に翻弄された人で、
拉致というか、強引に連れて行かれて連れて行かれて連れて行かれて、
最終的に中国の長輩になるようになった人で、
あまりにも優秀だから、中国人と掛け合って優秀な子供を作ろうとさせられた。
ありましたね。
すごい話でしたね。最後まですごくそれが後ろめださがあったみたいな。
えげつないですね。ただその文章が、熊田中は自分自身がバイリンガルなんですよね。
多言語にものすごく精通してたんで、自分で翻訳してます。
もちろんネーティブチェックはあるんでしょうけど、
非常に微分だし、読むときにリズムがいいんですよね。
セソンゲとか…
そうそう、ホゲ教、明皇蓮華教なんかも、その前にも後にも翻訳があるし、
阿弥陀教元もそうですね、独自して声に出すのにすごくいいんですね。
序文、本文、ルズ文みたいな、小集文とか言うんですけども、
そういう風に分けていったりとか、型ができてきて、
幻聴三蔵の時になると役割分担なんかもすごく細かくできあがって、
翻訳にのわす。
だからおっしゃるように熊田中役って非常に微分で、
中国では教養者は韻を踏んだりとか、微分でないと受け入れないんですよ。
聞く気にならないって私最近聞いたことあるんですよ。
聞く気にならないんです。
申し訳ないけど、唐の時代にインドに行って、向こうの言葉もマスターして、
大量の経典を文字で持ち帰ってきた人っていう人に幻聴って人がいますよね。
幻聴三蔵はあの人学者なんですよ。
厳密な翻訳をするんですよね。
だから中には般若心経のように大般若経とかパラパラやってるじゃないですか。
あれも幻聴三蔵やってる。
受け入れられているものもあるんですが、
彼が本当に持ってきたかった女優意識論とか専門性の高いやつは、
ものすごく厳密にやってるんですよね。
実を言うとサンスクリットと照らし合わせてようやく理解できるって何のための翻訳かって。
翻訳の意味がない。
言うぐらいダメなんですよ。
現地の人はそうは言わないよねっていうことありますよね。
例えば有名な話で夏目漱石が、
アイラブユーをどういう風に訳すかって言って学生に、
私はあなたを愛してますと訳したら、
そんなこと明治男が言うかと。
明治男とは言わない。
夜の散歩の時だったんで、
月が綺麗だねと訳した。
その場所に受け入れられる形に仕立て上げないといけないわけです。
翻訳っていうのはそういう問題がありますね。
全くその通りに直訳したら、
かえって理解しにくいっていう。
そういうあたりから、