1. かんどう和尚のはじめての仏教
  2. 【中国仏教編#1】なぜ異国の教..
【中国仏教編#1】なぜ異国の教えが「中国」で根付いたのか? 私たちが知らない仏教伝来の真実
2026-04-18 19:13

【中国仏教編#1】なぜ異国の教えが「中国」で根付いたのか? 私たちが知らない仏教伝来の真実

▼今週のトピック


中国仏教伝来にまつわる二つの伝説/


シルクロードからの仏教の伝来/


北朝における国家仏教への変化/


皇帝即菩薩という統治の正当性/


儒教の孝思想と出家への反発/


仏教側が展開した親孝行の理論/


老荘思想で理解する格義仏教/


南北の地域差と翻訳作業の変遷


▼お問い合わせ

https://kando-bukkyo.jp/top-2/contact/


▼ゲストスピーカー:吉田 叡禮(龍谷大学文学部歴史学科 教授)


1969年、兵庫県西宮市生まれ。

花園大学文学部仏教学科卒業。

駒澤大学大学院人文科学研究科博士課程修了(博士学位取得)。

臨済宗大本山妙心寺天授院(妙心寺専門道場)掛搭。

17歳より熊野や大峰山で修験道を修行。20歳で修験道総本山五流尊瀧院宮家信徳師(のち管長・宮家道玄猊下)のもとで得度し、修験道を学ぶ。25歳、黄檗宗大本山萬福寺で禅修行。35歳、東京龍雲寺細川景一師に師事し臨済宗妙心寺派へ転派。同年、臨済宗妙心寺派大本山天授院(妙心僧堂)で禅修行。花園大学文学部 国際禅学科・仏教学科 教授を経て、2019年、高野山において真言密教を修行(四度加行)し、現在は観音禅寺で行学二道に励みつつ、大学で仏教および仏教史を研究、教育している。


▼パーソナリティ:大忍 貫道


1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagramフォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回のエピソードでは、日本の仏教のルーツである中国仏教の伝来と根付きについて、龍谷大学教授の吉田叡禮氏をゲストに迎え、詳しく解説します。仏教が中国に伝わった当初の伝説や、道教・儒教といった既存の思想との関係、特に儒教の「孝」の思想との葛藤と、それに対する仏教側の理論展開について掘り下げます。さらに、老荘思想を用いた「格義仏教」や、南北朝時代の地域差と翻訳作業の変遷を通して、仏教が中国でどのように独自の発展を遂げたのかを紐解いていきます。

中国仏教編の始まりと仏教伝来の二つの伝説
かんどう和尚のはじめての仏教。今回から新シリーズ、中国仏教編をお届けします。 私たちが普段親しんでいる日本の仏教には、インド仏教に見られなかった習慣とか伝統というのが数多くあります。
そのため一見すると、両者は全く別のもので断絶しているようにも感じられるかもしれません。 しかし実際はそうではないんですね。
この2つを繋ぐ存在というのがあります。それが中国仏教です。 インド仏教、中国仏教、そして日本仏教という流れで見ていくことで、初めて仏教の連続性や変化の意味を立体的に見ていきます。
今回のシリーズでは、その繋がりが自然と理解できるように丁寧に紐解いていきたいと思います。 ただこのようにインド仏教、中国仏教、日本仏教ってラベル分けしていることから分かるように、同じ仏教でありながらそれぞれ別のジャンルなん
ですね。 私は正直言うと中国仏教あんまり詳しくないので、一人でやるのは心もとないんです。
そこでこのシリーズではスケットスピーカーにお越しいただいております。 留国大学文学部歴史学科教授吉田英霊先生です。
吉田先生どうぞよろしくお願いします。 よろしくお願いします。吉田です。 まず最初に吉田先生の経歴から簡単にご紹介させていただきたいと思います。
1969年兵庫県西宮市生まれ、花園大学文学部仏教学科卒業後、小政大学大学院人文科学研究科博士課程終了。
現在は留国大学文学部歴史学科教授を務めておられます。 専門は家言学、禅学、仏教学、東アジア仏教を思想識視点から研究されておられます。
加えて滋賀県にあります臨済州明神寺派の群山観音寺の補住職も務めておられます。
私の学生時代のゼミの担当の先生です。そういうご縁で今回お越しいただきました。
では早速お話を伺っていきたいんですけれども、中国に仏教が伝わったのは西暦でいうと1世紀あたりになるかと思うんですけれども、
その時に中国の方々は仏教をどういうふうに受け止めていかれたんでしょうか。
そうですね。王朝でいうと五感の時代ということになります。だからまあ紀元前後ぐらいから徐々に入ってきて、
最初は明帝というですね皇帝が夢で金銀、金色にピカピカ光る神様が現れたと。
その神様は一体なんだろうと知恵袋のような過信に聞いたところ、それは西暦の方のブッダという神様だと言われて、
宮中に金銀を祀ったというところから始まるっていうのが一つと。もう一つは白馬に乗ったお坊さんがお経をもたらして、
土地の都である洛陽にやってきて、で翻訳をしたというのが始まりだという二つの説があって、いずれにしても今神道将様がおっしゃったように、
紀元200年ぐらいまでの間にやってきたというふうに歴史書には書いてますね。
今金人の伝説の方でおっしゃったように最初は神様という形で受け止められてきたんですよね。
そうですね。要するに徐々に知られていたのはシルクロードの商人とかがもたらした、そういうのが始まりでしょうね。
既存思想との関係:儒教と道教
その当時はすでに中国では道教とか儒教というものが存在をしているんですよね。
そうですね。
彼らは仏教をどういうふうに受け止めるんですか。
厳密なことを言うと、儒教というのが宗教なのかというとちょっと違うかなっていうのと、道教っていうのもその時はまだ宗教化してないんですよね。
道家の思想ですね。いわゆる諸子百家といわれる様々な哲学者が生まれた中の一つで、
徐々に孔子の教えというのは春秋時代、その後戦国時代ってなってますよね。
戦国時代にはそれほどまだ受け入れられてなかったんですよ。
前漢後漢ぐらいから徐々に孔子、それから後を継いでいく孟子とか順子とかという諸子百家の人たちが受け入れられていって、
国を治める上での秩序とか倫理道徳の規範になっていくということで、
おっしゃったように確かに仏教が入っていたときにはそういった体系が一つの道徳規範として定着してきた頃。
まだ定着、完全に定着とは言えないと思うんですけどね。
道家の思想もほぼ同じぐらいに生まれてるんだけれども、これは言ってみればアンチ、孔子の教え、儒教に対してのアンチなんですよね。
どちらかというと個人主義というか、儒教が国家全体の統治などを目的としているのに対して、
道家という老子とか草子の教えっていうのは、
個人の風呂を調整とかそういうものを基本にして自然に生きる、自然のままに生きるというのを中心とした考え方なんですよね。
そういった地盤がある中で異国の教えが入ってくるわけですね。
当初は、今で言う中国の西域とか北方の騎馬民族だったりする異民族の教えというか信仰ですね。
素朴な信仰として受け入れられていて。
京都とかってことですか?
京都は京都で民族だけれども、シルクロードからもたらされたあちらの信仰みたいな、漠然としたイメージだっただろうと思うし、そんなものでいいと思いますよ。
日本が仏教を授与するときは国家事業として授与していきますよね。
国家仏教への変化と「皇帝即菩薩」
中国の場合は国家というか民衆レベルで徐々に入ってきたというのが実際のところなんですか?
結構その先の話になるかもしれないですけどね。
まさに国家仏教になっていくのは中国仏教ですよ。
授与というか受け入れられた後、具体的にはやっぱり南北朝時代、北儀、中国の北方の北儀って言ったら、いわば卓抜族と言いますね。
漢民族からすると、漢民族っていう民族があるのかとか言うと歴史学にはもうちょっと後になってしまう考え方なんだけども、
その卓抜族が北方を支配したときに仏教を自分たちが統治する一つの根拠として、権威と言ってもいいですかね、仏教を使ったんですね。
皇帝族菩薩という考え方を入れた。
つまり菩薩というのは、いろんな定義がありますけど、そのうちの一つとして人々のために良い環境を作るという考え方がありますよね。
それはまさに皇帝がやるべき仕事だと。だから私たちは菩薩なんだということで、皇帝族菩薩って考え方が生まれるんですね。
それは北貴で一回その仏教弾圧が行われます。その直後についた皇帝、公文帝が考え出したというか、その公文帝のブレンだった人、お子さん、どんよーって人なんですけど、その人が考えついたことだと言われてますね。
皇帝族如来とかそういう考え方まで出てきて、仏教精神に基づいて国を治めるっていう考え方ができてきて、そのあたりから仏教は一つの権威なんですよね。
そうじゃなかったら、そのやっぱり皇室は漢王室の血を引いてなければならない。
正統性ですね。
正統性っていうのがあって、三国志なんかでもね、諸君を治めた劉備玄徳なんかは漢王室の末裔っていうことを根拠にしてたでしょ。
そうですね。
やっぱり血統っていうのから根拠がやっぱり必要なんですよ。その根拠のときに、血統のない異民族が治めるときには、仏教という世界宗教、特にシルクロードで用いられていた、広く信仰されていた信仰形態をバックに持つっていうのが一種の根拠づけになったわけですね。
確かに異民族が中国の王朝を取ったときっていうのは仏教のイメージが強いですね。
そう、後に側天武公も女性にして初めての肯定で、やっぱり仏教をバックにしてる。実はこれ日本の小武天皇もそうですよね。
小武天皇もね。
奈良の大仏山建てたわけですよね。聖徳太子もそうですけどね。
そうですね。そうなるとやっぱりだいぶ繋がってきますね。
儒教の「孝」思想との葛藤と仏教側の理論
ちょっと話が戻ってしまうんですけども、
儒教の精神が仏教伝来時には中国では基本的にあったと思うんですけれども、仏教って出家するからすごく親不幸みたいな印象があったってことを、
私は中国仏教で習っているときに聞いた記憶があるんですけれども、そのあたりを回避するために、
例えば禅宗で言われる、一子出家せずにば苦俗天に生ずみたいな、一人でも出家したら一族老党みんな来世天に生まれ変わりますよみたいな、
そういう一つのエクスキューズみたいなものが出てくるかなと思うんですけれども、そのあたりは儒教側の反発みたいな形で見てもいいんですか。
そうですね。それは大いにあったと思いますね。仏教というのはインドに生まれて、先ほど言ったように五感の末ぐらいに中国に伝わってきた。
そのときは素朴な信仰形態だったと考えられますけれども、中国に入ってきたときは、中国も戦乱の時代だし、社会秩序が揺らいでいて、人々はそういった不安の中にあった。
仏教っていうのは人生は苦しみ、どっかって説明されてましたよね。思いのままにならないというと受け入れるっていう部分があるし、あと輪廻思想っていうのもありますよね。
死後どうなるのかということにも応えているっていうことがあって、輪廻とかそれから因果、あとは悟り、下達といった概念が、
当時の中国、特に儒教などでは確立されてなかった。はっきりしてなかったんですよね。特に知識人の人々の間で大きな反響を持つんです。仏教が入ってきたことで。
しかしやはりそこで問題が起こると。今おっしゃったように儒教というのは家族倫理である。特に孝の思想ですね。これが社会の根本に置かれています。
特にその家の中では孝。国レベルでは忠。忠孝というのが一つになるんですね。皇帝が親であれば人民が孝。皇帝の親は何かというと天。
ということで社会秩序はもう忠と孝でがっちり固められているんです。その中で出家お得とか神を剃るとか、あるいは場合によっては年始供養といって指を焼いたりとか、写真供養といってですね。
お釈迦様の前世でも虎に自分の体を供養して託させたりとかっていろんな話があったんじゃないですか。これは衝撃だったと思いますね。
神を剃るというのは親からもらったものを怪我するじゃないですけど、そういうことですか。
そうですね。孝というのが孝教という秩序語教の一つにも入るもので、中国の方、今の人たちでもそうなんですけど本当に日本人以上に、もちろん日本人でも西洋の人でも親孝行がしたいんですよ。
ちょっとその概念がね、想像がつかないほど強い。これはね、私も母親から子供の頃耳中タコができるが言われる。身体発布、これを父母より行く。あえて起床せざるが孝の始めなり。
もうだいたい1日に1,2回聞いてもらった。どんな家だって感じですけど。言われてました。
出家に関してはあまり批判されなかったですけど、私の親からはね。だから神を剃ること、身体発布ですから、髪の毛や皮膚も含むんですよね。
それを傷つけるっていうことに対して、なんと親不孝な教えだということで。儒教的な価値観から見れば批判の対象になりますよね。
実際に仏教はそういった中国の漢王室以来の伝統に反するという批判は何度も何度も起こります。仏教は外来宗教ですし、国家秩序を乱すのではないか。疑いですね。
そういうものは持たれたんですね。でも仏教側も黙ってはいないわけで。真の親孝行とは、親を悟りへ導くことだと。そういった理論を展開します。
で、もちろん親だけに限らず生きとし生けるものを救い取るから、この国の秩序にももちろん貢献できるんだ。こういう理論を展開するんですね。
格義仏教と老荘思想による理解
最初中国に仏教が入ってきた中で、そういう反発もありながらも、だんだんとそれを受け入れるようになっていくと思うんですが、その中でわからないことを全く知らない思想を受け入れるときって、自分に知っているものに当てはめて考えていきますよね。これがいわゆる閣議仏教ってものになってくるかなと思うんですけれども、閣議仏教ってのはこれどうろうそう思想で理解しようとしたんですか。
閣議仏教って格闘技の格。義理忍者の義。格っていう中国語の漢字っていろんな意味があるんですよね。格なんてものすごいたくさんありますよ。ここは来る前にちょっと調べたんですけど。至るとか、至すとか、正すとか、当てはめるとか、関係ありそうな意味だけでもこれだけあります。
それから、お前とは格が違うというときの格とかですね。それから固定する止めるという意味は格の、そうだし、リーダー格とかいう感じで地位とか身分とか。ここでは当てはめるとか正すとかそういう意味での格です。従来中国にあった考え方に当てはめて理解する。
中国の固有の思想のフィルターを通して外来の思想を理解していくっていう考え方がありましたね。特にその老僧思想の中にある無の思想。無ですね。あるないと書く無の思想。
無っていうのはですね、あるないのないというよりは、極であり、例えば老僧の中で言われている無であるからこそそこにはエネルギーがあるんだと。物を生み出す根源になるんだっていう考え方。そこでよく言われるのが車の軸ですね。軸って真ん中が空間じゃないですか。だからこそ車を回すじゃないですか。
扉の軸もそうですけどね。だから無いということは何の働きもないんじゃなくて、むしろ無いからこそ様々に働きが生まれてくる。だから仏教の空とはもう全然違う話なんですけど、空っていうのも虚しい。虚空という意味合いで使われる場合とそれからそれそのものが実体がない。固定の実体がないっていうとありますよね。
仏教はむしろそういう固定の実体存在はないということだったんだけれども、最初はそれと無って似てる概念じゃないかということで理解されます。でも研究していくうちにどんどん違いが分かっていろんな空理解っていうのが生まれてくるんですね。
南北朝時代の地域差と翻訳作業
これは中国の南北朝時代の南の東進の時代になってそれがすごく研究され始めます。知識人たちによって。南はちょっと貴族的な雰囲気があるんですよ。中国は北と南で大きく違うのでこれまた一概に言えないんですね。ほとんど別の国というか文化体系っていうぐらい全然違います。
北ってのは羊籠を挟んで北側を北方。南側は四川省とかも含めて南方って言うんですね。江南地方今でいう江蘇省とか浙江省とか上海から南京とかその辺の地域さらにもっと南の福建省関東省も全部南方に入ります。全然雰囲気違いますね。南方はね今でもそうなんですけど計算が細かいしお商売がうまいみたいなイメージがあるんです。
北方は体も大きいしね大らかで心が広くてかつ実践的というそんなイメージ。空都は何かみたいな細かい議論や哲学なんかは南方の方が発達するんですよ。
もうそのあたりになってくるとかなり仏教の改造度が上がってる状況になってるわけですよね。
南北調で分かれてその頃にはもうほぼ定着し研究の時代とかあと翻訳。
仏天翻訳ってのは大変な研究なんでね。インドも多言語国家ではあるんですけど全く違う言語体系に翻訳される際に
一つの例えばシューニャターっていう言葉をどう訳すっていうのは最初からクーという風に訳されて入ってきてるわけじゃないんですよね。
シューニャターっていうサンスクリットの言葉をどう理解するのってところから入るわけですよ。
とりあえずムーと区別するためにクーと翻訳したけど翻訳された後は翻訳用語でみんな理解しようとするからみんながみんな外国語に精通してるわけじゃないんでそれが独り歩きするんですよね。
これもずっと後まで続きますよ。
今日本の仏教でもやっぱりそれはありますね。
翻訳経典を通して入ってきてるので。
そのあたりを次の次回で詳しくお話をお伺いしていきたいと思います。
まとめと次回予告
今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
19:13

コメント

スクロール