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【修正版】立派な志は不要!「下心」や「恥」を原動力に変える仏教的思考法
2026-07-07 14:11

【修正版】立派な志は不要!「下心」や「恥」を原動力に変える仏教的思考法

※配信したエピソードに音声が入っていない不具合がありました。ご指摘いただきましたので、音声を修正し、再アップロードしました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。


動機や志を私たちは重視します。しかし、実際にはそうでないことがほとんどではないでしょうか。今回は、ブッダの弟ナンダの物語から学びます。


【目次】

ナンダの物語

ダンマパダ第13・14偈

天下泰平の大義


【参考文献】

ダンマパダ・アッタ・カター


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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発信を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。

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サマリー

本エピソードでは、仏教における動機や志の重要性について、ブッダの弟ナンダの物語を通して考察します。当初、ナンダは妻への未練から修行に身が入らなかったものの、ブッダの導きと自身の「恥」という感情を原動力に、最終的に悟りを開きました。この物語は、立派な志がなくても、人間の持つ「下心」や「恥」といった感情が向上への大きな契機となり得ることを示唆しています。歴史上の人物や仏陀自身の例も挙げながら、始まりの動機よりも、その後の努力と結果が重要であるという仏教的視点を解説します。

座禅に励む知人の僧侶と動機への疑問
私の知人のお坊さんに、すごい座禅するお坊さんがいて、座禅の鬼みたいな人なんですけれども、
1週間、ずっと続けて座禅する、これ節神って我々の世界では言うんですけれども、これを頻繁に日常的にやるんですね。
禅宗のお坊さんとは言えども、これだけ座禅する人ってあまりいないんですけれども、彼も最初から熱心なお坊さんだったわけじゃないそうなんです。
もともとはお寺の生まれ育ちになるんですけれども、何かしらの決意があったお坊さんになったわけじゃなくて、
惰性のような形で、敷かれたレールの上を走るような形でお坊さんになったそうなんですね。
でもお坊さんとして生きていく中で、いろんな出会いがあって、徐々に徐々に仏教の方にコミットしていく、
引かれていく、向き合うようになっていたと。その結果、そういうふうに座禅座前の生活を送るようになったそうなんです。
私たちは動機、始まりっていうものをすごく重視します。純粋な志とか立派な志、こういうものが大事なんだってことが言われるんですけれども、
でも本当にそうなのかなってことをちょっと私は思ったりするんですね。今回はそれを実感する物語をご紹介したいと思います。
ナンダの物語:出家への道
今回ご紹介する物語は、何だというお坊さんが主人公になります。彼が出家する前から物語は始まります。
ある時、ブッダが竹林精舎、これは仏教史上初のお寺になります。この竹林精舎に滞在していたときに、ブッダのお父さん、スットーダナ王って言うんですけれども、
このスットーダナ王の使者がやってきまして、あなたのお父さんがあなたに会いたがってますよってことを伝えようとします。
でも使者はブッダの教えに触れたことで出家をしてしまって、ブッダを王のもとに連れてくるっていう役目を果たせないんです。
王はいつまで経っても使者が帰ってこないので、また別の使者を使わす。けれども彼もブッダのもとで出家をしてしまって帰ってこない。
結局10人もの使者を派遣しまして、10人目の使者がようやくブッダを連れてくることに成功します。
ブッダはシャア家族っていう部族の出身になりまして、お父さんは部族長、王様なんです。
こうしてようやくブッダは故郷であるカピラバッツに帰京します。
ちょうどそのとき、ブッダのハラチガイの弟の結婚式が行われて、ブッダはこの式典に参列します。
ブッダの生い立ちっていうものを簡単に説明させてもらいますけれども、ブッダは生まれた直後にお母さんを亡くしてます。
お母さんはマーヤ夫人と、マーヤという名前だったって言われるんですけれども、
そのお母さんが亡くなった後は、このお母さんのお姉さん、妹どっちか分からないって言われる姉妹ですね、
マハーパシャパティっていう人がお父さんのすっとう棚を再婚もして、ブッダを養育してくれた。
すごくね、養母なんですけど愛情を注いでくれたっていう風に言われてます。
この養母のマハーパシャパティとお父さんのすっとう棚の間に生まれたのがナンダなんですね。
このナンダの結婚式の最中に、ブッダは自分が持ってた鉢をナンダに手渡して祝辞を述べます。
祝辞を述べ終わったブッダは結婚式を後にするんですけれども、
このナンダに手渡した鉢をブッダは受け取らなかったんですね。
鉢ってのは容器ですね。
ナンダは戸惑いながらもこれ忘れてますよってことをブッダに言い出せなかった。
なんで言い出せなかったかっていうと、すごく尊敬をしてたらしくて言い出せなかったって言うんです。
これちょっとわかる気がしますね。
すごく目上の人の失敗とかって指摘しづらいじゃないですか。
それと多分似たような心地で忘れてるって指摘することはちょっと失礼になるかなっておそらくナンダはこの時思ってるんですね。
だから言えなかった。
どこかでブッダがその鉢を忘れてるってことに気づいてくれるんじゃないかなと思って、
ナンダはブッダの後をついていくんですね。
でもいつまで経ってもブッダは鉢を受け取ってくれないんです。
とうとうこの竹林少女にまで戻ってきてしまいます。
そこでブッダはナンダに気づきまして、
ついてきたのか、出家しようかって言ってナンダを出家させてしまうんですね。
結婚したばかりの。
ラーフラの出家と王位継承問題
これはナンダが出家して数日後の話で、
ちょっとサイドストーリーみたいな話が差し込まれてるんですけれども、
ブッダは出家する前に結婚をしてまして、
その奥さんとの間にラーフラっていう子供がいるんですね。
このラーフラに対してブッダの元奥さんが、
この間来たお坊さんいたでしょって、
あの人あなたのお父さんなんですと。
あなたのお父さんは莫大な財産を所有してましたけれども、
出家して以来その財産を見ませんと。
きっとあなたのお父さんはその財産持ってるでしょうから、
お父さんのところに行って、
財産を私に相続させてくださいとお願いしてきなさいって言うんですね。
言われた通りにラーフラはブッダの元に行きまして、
お父さんって財産を私にくださいっていうふうにお願いをするんです。
でもブッダはそれを受けてこう思うんです。
財産は死ねば失われるし、
自らを悩ませるものにもなると。
それよりも私の教えを財産として与えようと。
そう思ってラーフラを出家させるんですね。
皆さんこのまずさってわかりますか?
すっとうだの王には2人の息子がいたわけですね、ブッダのお父さんには。
ブッダとナンダですね。
この2人の息子は王位継承者なんですよ。
王位継承順位の1位がブッダ。
このブッダが最初に出家しちゃった。
だから次は2位のナンダに王位継承権が移る。
でもこのナンダもブッダの手によって出家させられてしまった。
そうなるともう残っているのはこのブッダの息子のラーフラ。
彼が王位継承者になるんです。
そしてそのラーフラもここで出家をさせてしまってるんですね。
ちょっとスケールは違うんですけれども、
現代の日本の公室に置き換えるとことの重大さが理解されるかなと思います。
この皇太子が次々と出家させられていってるんですね。
これにはさすがのスットーダノーもブッダに抗議をするんです。
あなたやナンダが出家をした時も辛かったと。
でも孫のラーフラは一層辛いと。
親の許可がない人を勝手に出家させることはやめてくださいって。
もう至極真っ当な話ですね。
これによって仏教では
親族の許可がない人を勝手に出家させちゃダメだよっていう規則が定められます。
ナンダの修行と「恥」の力
話は本筋の方に戻るんですけれども、
なりゆき出家したナンダになりますが、
残してきた妻が気がかりで修行に身が入らない。
このナンダの奥さんはすごく美人だったそうで、
国一番の美人だったと言われてます。
そんな妻を残して自分は何してるんだろうっていうふうに思って後悔してたんです。
その様子を見かねたブッダは人通力、今で言う超能力みたいなものですかね。
この人通力を使ってナンダを天の世界に連れて行きます。
この天の世界に行く途中に貧相なメスの猿を見るんですね。
貧相なメスの猿がいるなって思いながら。
その後天の世界に到着しますと、
そこには天女たちがいるんですけど、絶世の美女なわけです。
それを見せてブッダはナンダに尋ねます。
あなたの奥さんとこの天女どっちが美しいですかねって。
そう問われたナンダは、
いやこの天女の美しさに比べると私の妻は先ほどの貧相なメスの猿と同じですって言うんですね。
ひどいこと言いますね。
それを聞いたブッダは喜びなさいと。
修行が進んだらこの天女とお近づきになれますよって言うんですね。
それからナンダはじゃあ頑張りますって言って一生懸命修行に励むってことをするんですけれども、
修行仲間からは呆れられるんです。
なんちゅう不純な動機なんだと。
そうですよね。
それでもうすごく軽蔑されてしまう。
そういう視線って人は敏感じゃないですか。
だからナンダもすぐ気づくんです。
自分が軽蔑されてるってことを。
そのことに自分はすごいダメな人間だなと。
これは恥ずかしいなっていうことを思うんですね。
仏教ではこの恥ずかしいと思うこと。
これがすごく大事なんだって言われまして、
これを懺悔というふうに言います。
この懺悔の気持ちがあるから悟りに至ることができる。
人間は向上することができるんだとこういうふうに考えられています。
私も似たような経験がありまして、
10年くらい前になるんですけど、ネット世界で
お坊さんじゃないけれどもすごく仏教に詳しい方がいらっしゃって、
本とかも出されてるんですけれども、
本当にお坊さんに全然詳しいんです。
当然ですけど当時の私よりも詳しいんですね。
その現状がすごく恥ずかしいなと思ったんです。
やっぱりお坊さんってのは仏教のプロなわけじゃないですか。
でもそれよりもお坊さんじゃない人の方が詳しかったら、
自分の存在意義は何なのって、
どこに私たちの価値があるのかっていうことを当時思ったんですね。
その恥ずかしいと思ったことから、
仏教の座学の部分をやるようになったっていう、
この恥ずかしいと思うことはやっぱり大事なんですね。
すごく大きな契機になる。
なんだもここから熱心に励むようになりまして、
そして悟りの最高段階のアラカンになることになりました。
仏教的教え:心の修養と情欲
アラカンになったなんだは、
ブッダのもとを訪れまして、
以前天女とお近づきになれるという、
そういう話がありましたけれども、
私はもうその約束を放棄しますと述べます。
もう煩悩が全部絶たれているので、
異性の欲望なくなっているんですね。
そういうなんだの心を知って、
ブッダは次の詩を唱えます。
屋根を粗雑に拭いてある家には雨が漏れるように、
心を修養していないならば、
情欲が心に侵入する。
屋根をよく拭いてある家には雨が漏れることがないように、
心をよく修養してあるならば、
情欲の侵入することがないと。
まがさすっていう言葉がありますけれども、
心に隙があると怒りとか欲求とか、
良くない心の働きっていうものが差し込んでくる。
けれども、修行が進んでいくと、
そういう隙というものがなくなって、
差し込まれるというものがなくなるんだってことなんですね。
歴史上の人物と仏陀の始まり
今回すごく人間くさい話だったなと思うんですけれども、
それだけに一般化できる話だなというふうにも感じました。
冒頭でも申しましたように、
始まりが立派なことってあまりないんじゃないかなって思うんです。
私ちょっと日本史とかが好きでして、
大河ドラマとかも毎回見るんですけれども、
今ちょうど豊臣兄弟があってますね。
秀吉にしてもそうですし、
家康とかにもそうですけれども、
何か天下大平みたいな大義が最初にあって、
そのために邁進していくんだっていうふうに、
ドラマとかでは描かれますよね。
でも、現代のいろんな日本史の先生方がおっしゃるのが、
いや、そうじゃないんだと。
秀吉にしても家康にしても、
天下大平みたいな志を最初から持ってたわけじゃないよって。
やっていくうちに、
行き当たりばったりでやっていくうちに、
そういうふうになっていったっていうのが実際のところなんだっていうんですね。
これ仏陀にしてもそうなんですね。
初期の仏典を見たらわかるんですけど、
最初から苦しんでる人を救うために出家したわけじゃないんです。
まずは自分の苦しみを何とかしたいっていう思いから出家されてるんですね。
だから家族や妻や子供を捨ててまで出家してるんです。
これ現代の価値観で言うとやっぱりとんでもない話だって非難されると思うんですけれども、
そういう思いで出家をした。
でもその結果として出家した後に、
いろんな人たちを救っていくわけですね。
だから結果的には数多くの苦しむ人たちを救うことになって、
後世まで仏陀の名前は残ってるってことになってるわけです。
結論:始まりより結果と継続の重要性
だから始まりは決してかっこいいものじゃなくてもいいと思うんです。
でも一生懸命やってたら、
それがいつしか自分以外のいろんな人のためになってくる、こういうことがある。
だからそんなに始まりというものを大事にしなくてもいいんじゃないかなってことを思ったりします。
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