なるほどね。なんかこう大げさに言うとあれと似てますよね。認知行動療法みたいな。認知行動療法というより療法ではないかもしれないけど、結局人ってこう物理的な面とか外的な表面的なところだけ捉えてしまって感情を動かしてってなるんだけど、自分の心の中の動きを細かく解像度高く見るっていうための時間ってなかなか持てないですよ。
そう。なんかあの人にあんなこと言われた。ムキ沸騰してずっと1日イライラして終わりとか。でも細かく見て、なんで私あの時ムカつくって思ったのかな。今ムカついてんのかな。そもそもどっから来るのかなこの最初のフワッていうワンツーで来るやつね。
カチンって来たとか。あれなんなんとかいうところまで見て。答え出なくてもまず見ないと始まらないっていうところ。これはね結構時間取れないですよ。意識しないと。
そうかもね。認知行動療法って言ったけど、その認知行動療法とそれからなんだろうな。そうじゃない気づきの違いってさ、認知行動療法ってやっぱりゴールが今の世の中なのよ。と思わない?
今の世の中。
つまり今の世の中の常識にそぐわせようとしてるってこと。
なるほど。
だってあれは医療だからね。
だから今の世の中でつつがなく生きていくためにアダプトしようっていう。
そうそういうことになっちゃってるってこと。例えば学校行きたくない人がいて、認知行動療法で何をしようかというと学校行けるようにさせたいわけじゃない。もう明確なのよ。そっちに持ってきたいのは。
だから結局人とうまく話せませんっていうような問題があってもゴールは人とコミュニケーションがうまくできるというところに認知行動を変えたいのよ。
でも必ずしも学校に絶対行かなきゃいけないわけじゃないし、人とうまく付き合えなきゃいけないわけではないわけで、
自分の考え方がどうなってるのかを分析して、なぜこうなってるのかっていうのの中のそこから派生する選択肢って無限にあるわけで、
自分が選んでいく方向は学校行かないかもしれないよ。人とコンタクトしないかもしれないよ。それが許されるのが認知行動療法じゃない、
ぜひ、じゃあ何かっていうとわかんないけど、迷走したりとか、宗教的な考えとか、私がやってるスピリチュアルケアなんかもそうだけど、そっちの考え方で、認知行動療法はそうじゃない。
絶対的に世の中に認められる答えの方にその人を変えようとしてるよ。
なるほどね。医療だからね。 そう、そういうこと。治療だからね。
規範的なものに沿わせようっていうところがどうしても出てきちゃう。だからメソッド自体がどうっていうよりも、そこのゴールの方がそうなっちゃってるから、
自分のことを心の中を見つめて書き出してみたりとか、違う可能性ないだろうかみたいな探ること自体はありだと思うけど、なるほどね、そういうことか。
だからさ、例えば学校に行けなくなったみたいな感じで、じゃあよく自分の内側を考えてみようかってなったとするじゃない。
で、認知行動療法もスピリチュアルケアも、それ例えば宗教かもしれない、他のもののアプローチも、同じことやることは、たぶん同じこと。自分の中を見るっていうのはね。
でも結果としてその子が、うん、だからやっぱり学校はいかないわってなったときに認知行動療法は失敗になっちゃう。
そうですね。
で、ああもう違ったって別なやり方で、さらにこの子に治療を付加しなきゃいけないっていう風になっちゃうわけ。
でもそうじゃない感じだと、ああそうなったんだねって今はね、そういう選択もありだよねっていう風になるってこと。
その違いだけかも、出口の違いかも。
結局ね、出口ね。まあまあまあまあ大人はそういう出口に持ってきたがりますよね。大人というか周りの社会的な一般的なものって。
だからまあそこで認知行動療法、なんか急にすごくコアな話に入ってっちゃったけど、そこの療法を経た人が、あ、そうか。
一時的にね、じゃあやっぱり学校行かなきゃなって思ったとしても、結局同じ苦しみがまたやってくるじゃないですか。
その歪みよりもしかしてこじらしちゃうかもしれないってところがあって、なんかそういう意味で言うと、ただただ裸になるというか、魂レベルで裸になって自分のことを見つめるって結構難しいことなんだなって。
それにさ、認知行動療法の期間ってわりと3ヶ月が1つのクールになってて、3ヶ月で成果を出したいと思ってるわけよ。変わる?3ヶ月で人間ってそんなに。
で、それがなんかできないとさ、じれてくるというかさ、逆に私たちも人間っていうのはさ、頑張りたいじゃない?真面目であるほどさ、認知行動療法に乗って頑張りたいわけよ。
そうするとさ、なんかもやもやしてるんだけど、変わりましたみたいな感じ、表面的だけなってさ、復帰していくわけよ。
また戻ってくるじゃない?変わりきってないのに頑張らせるからだよ。認知行動療法でさ、表面的だけいじってさ、やる方は医療側満足して成果ありましたって言うけど、根本的な変換になってないのに。
だからなんかちょっとね、本当に片手落ちって言ったら失礼だけど、一生懸命やってる先生。
もちろんね、それで幸せになる人も一定数いるでしょうけど、極論すると認知行動療法によって私自分の気づきとか自分の心の動きをつぶさに見直した結果、認知行動療法を選ばないということが最適だとわかりましたってまでいけたらすごいんだけど。
まあなかなかね、ザ・イイ子の人たちが多いから。
だから認知行動療法やったら社会復帰できましたとかさ、学校行けるようになりましたとか、なっちゃうじゃない。それが周りが望んでる形だから。
そうすると今までと同じよ、その望みに応えたくなっちゃって、自分を抑えて応える。社会復帰します、学校もう一回行きます。でも自分は頑張ってやっちゃってるから、我慢してやってるから、また壊れるよ。
なんかね、人類全般の普遍的なものなのかもしれないけど、社会として上で仕切ってる人が、やっぱこういうルールがあった方がいいよね。こういうルールがあった方がみんなが幸せになれる確率が一番高そうだよねってルール作って。
でもそれが窮屈な人もいたりとか。
だけどみんな一応従う、なんとなくうまく回ってるような感じにはなる。だけどどうしても歪みが生じた人は怒って外れて、どうしたらいいんだろう。
そこで今認知行動療法ってものがあって、その枠組みの中にやっぱり戻った方がいいよね。この大きな流れとか。
上からしたらそういう人ばっかりは都合がいいかもしれないんだけど、一つの人、人間じゃなくて人っていう生き物に分離された時にっていう場を持てないんですよ、そもそも。
人、どこまで言っても人間であるから。医療につながってる視点でももう人間としての、社会的生物としての人間だから。
なかなかこの一個体としての人、ある種そこはエゴイズムみたいなもの出てくるし。
あとはやっぱりそうだね、医療っていうのは社会の仕組みの中の一つだから、目的はやはり社会の仕組みの中にその人を戻すってことじゃない。
それ病気を治すっていうのは体のことにしてる、心のことにしてもね。
で社会の仕組みって何かっていうとさ、働いて稼がないとさ、生きていけないわけよ。で働くってことは職場の人間関係がうまくいかないとできないわけだよ、というふうにさ。
やっぱり社会でいこうと思ったら、もうどうしようもないしがらみってあるよね。
だからその中で、ああ学校行きたくないんだ、じゃあいいよとかさ、ああなんか仕事一つうまくできないんだって。
ちょっと何か言われると腹立っちゃってぶん殴っちゃうの、いいよいいよそれがあなただもんねとは言えないのもわかるよね。
だからそこってどうしたらいいんだろうね。
一つはやっぱり白黒思考ならないことかなっていうのは一つ思っていて。
だって認知行動療法でね、仮にわかった、自分のこともちょっと理解できた、少しうまくやれる気がするって言って戻るじゃないですか。
でも必ず100点満点にはならない。
当たり前ですけど、100点満点どころかね、前もう15点でもう無理だって言って医療に繋がって。
ちょっと頑張って、ああなんか私自分わかった気がするとか少し気持ちが戻った、で職場戻って。
それで42点でした。全然ある話で。上がったけど全然。
でもみんなそうで、一つは他の人のことはわかんないんだけど、実はみんな100点満点毎日365死なんで人間は存在しないんで。
そりゃそうだよ。
みんなあれこれ、ああもうあれもこれもできなかった、あの人とうまくいかなかったって言ってるのが当たり前だよっていうことをまず知るということ。
本当そこ。だからね、医療も学校もそうなんだけど、よくすることをさ、その人をよくしようとしてるじゃない。
だからもっと人とうまく付き合えるようにしようとか、人に何か言葉をかけられても傷つかないようにしようとかさ、
そういうふうに今よりもよくしようっていうふうなアプローチをしちゃってるけど、本当それは無理で今言ったみたいに、あなたが言ったみたいに。
だから違うと思うんだよねアプローチの方向が。ダメでも大丈夫なようにするんだよ。
だからもうがみがみ言われて傷つくんだよ。嫌になっちゃうんだよ。でも次の一歩が踏み出せるようにするんだよ。
だから別によくしなくてもよくて、そんな感じしない?殴られるとか言いそうになっちゃった。
だから雨が降らないようにするんじゃなくて、濡れないようにするんじゃなくて、濡れても大丈夫なようにするんだよ。
そしたら最強じゃない。濡れないは無理ですね。濡れないは無理だから。
だからでもそうしようとしてるじゃん。認知行動療法でさ、認知の仕方を変えて濡れないようにしましょうってやってんだよ今。
いや無理だわ。
だからみんな濡れるやんってなってまたがっくりするでしょ。違う違う、濡れても濡れネズミになっても大丈夫なようになるんだよ。
そうですね。
そんな気するわ。
当たり前だけどコントロールできないことの方が大半なんだから。濡れますわ。
濡れますよ。
でそれがなんかダメってことを思い込んじゃったらもちろんそれでまた戻ってきちゃうから。そうじゃないと。
人に全員に好かれないのも当たり前です。人がいっぱいいたらなんだこいつ気に入らねえなって自分に対して悪意を向けてくる人なんて絶対います。
だからそれじゃなくてみんなとうまくできるようになんて無理なんだから。誰かに嫌われてても平気なようになるんですよ。って感じですね。
分かる。そういう時にみゆゆさん今言ったみたいに誰かになんか腹出すこと言われたとか悪意向けられた時に落ちりがちなのは僕よく言う表現が自分の頭蓋骨の中だけで反響させないっていう。
自分の一人の頭蓋骨の中の世界だと、私強くなったと思って社会に戻ってきたのにまたこんなこと言われちゃった。それはあなたのせいじゃないから。
カンカンカンカンカンって重複してワンワンワンってエコーするんですよ。やっぱり私はこの世界で生きていけないんだ。いやいやいやもうみんなあるから。人間それぞれ頭蓋骨それぞれ個別にあるから分かんないだけで。
もう皆さん反響してくからそんなこと。だからある種の強度大識っていうと違うのかななんていうかみんな似たようなことが起きてるんだよってことを知っておくだけでも完璧主義から抜けれるのかなって思うし