奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
はい、奏でる細胞のタツです。皆さん、心を開いて話していらっしゃるでしょうか。
今回はですね、少し音が悪いんですよ。というのもですね、初の現役大学生さんゲストのそうたさんの回なんですけれども、
そうたさんのですね、今その時にいらっしゃった宿泊施設、寮のようなところ、すごくきれいな場所なんですけれども、アパートですかね。
そのアメリカのアパートのロビーのようなところで収録させていただいてます。
そのためにですね、お話の途中で、もちろん近くに座っていらっしゃる方もいらっしゃいますし、
清掃員の方がですね、ゴミ箱を片付けに来てですね、ドカンというゴミ箱をやる時もですね、
僕ら収録しているところは斜めに見えていたとは思うんですけれどもね、
そこはアメリカらしくそういうところでも僕は僕の仕事があるという感じでね、仕事をされておりましたし、
あとはね、ギャルというんですかね、女性の方々がですね、来て楽しくお話が始まっちゃったりとかね、している時もですね、
僕たちはそういうことがあってもですね、自分たちのポッドキャストというか、話が楽しくて夢中になってます。
途中パトカーがいらっしゃった時もありましたし、消防車が走ったようなところもあるんですけれども、
できるだけ急にドーンという音とか急にピーポーピーポーという音が入ることに関しては十分配慮して編集させていただきましたが、
多少そういうのが入るところもありますがね、それもアメリカ生活の一部として聞いてしまってもらえるとありがたいと思います。
あらかじめちょっと音質が悪かったことをお詫びします。すみません。
ただね、あんまり編集しすぎないで大学生の壮太さん、本当に心を開いていろんなことをお話ししてくださいました。
できるだけそのままの形で、僕もですね、自分の気持ちをそのまま伝わるようにね、あまり編集せずに皆さんに聞いていただきたいと思います。
とてもね、アメリカ留学をしているときの感想ですね。
一人の若者が都内の某大学からですね、インディアナ大学に留学して9ヶ月でしたかね、9ヶ月ぐらい、10ヶ月ぐらいのプログラムで、
その時間をね、無駄にしないようにしっかりと学んで、多くの人たちと触れ合ってですね、すごい前向きにね、取り組んでいる様子が伝わってきて、
なんかいいなというか、若い時の挑戦というのは素晴らしいなということで、彼自身のね、性格、人柄、もう本当に素晴らしいのでね、楽しく聞いていただければと思います。
それではお聞きください。
奏でる細胞に素晴らしいゲストに来ていただきました。初の現役大学生のゲストだと思います。
壮太さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
壮太さんがここに来たということはどういうことかわかりますか?
僕が来たどういうこと?ちょっと全然見当もつかないですね。
留学今何ヶ月でしたっけ?
僕今9ヶ月ちょいぐらいですね。
そうですね。ということはこのインディアナ州からお届けしている僕らの奏でる細胞という番組に、
インディアナ州に勇敢に飛び込んできた学生さんの生の声を聞いて日本に届けたいなという目的です。
ありがとうございます。
その中で特になぜ壮太さんが気になったかというと、僕の心を裸でお話ししますけど、
いつも楽しそうだよね。どこであっても。
だからなんでそんなに楽しんでるのかなっていうのを聞きたいなと思ったので、
率直にインディアナに留学してみて9ヶ月どうでしたか?
本当に最高で、日本に帰りたいっていうふうに思ったことが1秒もないんですよ。
すごいな、それ。
来る前は日本が大好きだったので、もともとずっと日本にいたいという気持ちがすごく大きかったんですよ。
アメリカに行く数日前とかは、結構不安とか緊張とかで結構ドキドキずっとしてたんですけど、
いざアメリカに着いてみたら毎日本当に幸せ。
自己紹介入れながらやりましょう。
日本にいた時、ドキドキしてた時はどこにいて、
その時にインディアナに来る時の何の仕組みでどういう風に来たのかも教えてください。
僕今都内の大学に通っている大学生なんですけど、
インディアナ州に来た理由は大学館協定という形で、
僕の大学とインディアナ大学が協定を結んでいるので、その協定なので交換留学という形で来ました。
選ばれた。
志願してね。
でも選抜あるでしょ?
ありましたね。
何をアピールすると通るんですか?
まず英語の資格試験とか、あと書類審査とかがあって、面接もありましたね、僕の場合は。
でも全然そんな。
この笑顔で、僕は日本を代表してインディアナ大学に来たいと。
そんな強い使命があったわけじゃないんですけど。
協定を使って生きて、学びたいと。
それでインディアナ州に来ましたね。
響いたわけですね、面接官に。
ちょっとわからないですけど。
で、インディアナに来て。
そんなにすぐ、もうすんなり行ったんですか?
結構もう本当に、決まった時期がインディアナに留学するっていう決まった時期が、出国のギリギリで。
だからもう、本当にドタバタずっとしました。
そんなことあるの?出国する前に行くのが決まるってどういうこと?
本当にギリで。
それまでに行くかもしれないみたいなのが決まってるわけ?
そうなんです、でも確定じゃないですよ。
留学に行けるかもだけど、まだ確定じゃないみたいな。
だって9ヶ月でしょ?
9ヶ月の予定をバーンて決まるのが直前ってことはあるの?
そうなんですよ。
だからもう急いで大使館とか予約とか、ビザ取ったりとかして、もう結構ドキドキでしたね。
本当にビザ降りるのかなとか。
その出国の何日、何ヶ月前に言われたの?この日、確定ですっていうのは。
あのインディアナ大学の方から、その入学許可書が来たのが、いつだったかな?本当にもう1ヶ月ちょい前ぐらいで出国の。
じゃあ1ヶ月前に、そっからビザ?
そう、そっからビザ急いで大使館、いろいろ予約をして、ビザ取ってみたいな感じで。
すごいね。
すごい、やっとドタバタしながらやってたイメージですね。
パッキングとかも全然してなくて。
だからほんと出国の、出国が確かその日の夕方ぐらいで、その日の本当にギリまでずっとパッキングして、やっと空港に向かうみたいな感じでしたね。
なるほどね、バタバタしてたのね。
本当にバタバタしてて。
だから実感が最初なかったですね。
インディアナの予想は立ってた?頭の中で。
全然なかったです。
あるあるだね。
なんかあんまりイメージないものが飛んできた感じね。
そうですね。
降り立った?
最初、ルームメイトが僕いたんですけど、空港まで迎えに来てくれて、お父さんとしてね。
優しい。
本当に最初からすごいインディアナの人の優しさを体験して、本当にみんなあったかくて、大好きですねインディアナが。
本当にあったかいですみんな。
ラッキーだったね。じゃあその人は面識もないのに、一応ルームメイトって決まってるから、一回メールしたみたいな感じ?
そんな感じで、ルームメイトの方からメールしてくれて、何時に空港着くの?みたいな。何時くらいかなって言ったら、じゃあ迎えに行くよって感じで。
その日が初めてだったんですけど、迎えに来てくれて、ご飯とかも連れてってくれて。
その日?
すごいね、だって13時間くらいのフライトなわけじゃん。
そしてそこで初めて会う友達が、ルームメイトが待っててくれて、そのままご飯に行って?
そのままはい。
優しいね。
すごい本当に、初日から人の温かさに。
その人と9ヶ月一緒なの?
ずっと。
ルームメイト僕3人いたんですけど、僕はインターナショナルハウスっていうとこに住んでて、来る前はいろんな国の人が集まる寮なのかなってイメージだったんですけど、僕の部屋だけ、僕以外みんなアメリカ人の白人みたいな感じで、ちょっと最初けっこうビビったんですけど、いざこう会ってみたら本当にみんな優しくて、ラッキーですね。本当に人に恵まれてる。
すごいね。でもさ、それあるあるなかもしんないんだけど、アメリカ人に対するイメージけっこう悪いじゃん。
悪いですね。
雑だったりとか、すぐに言いたいこと言いすぎて傷つけられることもあるとか、わがままだとか、でも会ってみたらそうでもないっていうの結構あるよね。
ありましたありました。けっこう、それこそサンクスギビングとかクリスマスとかいろんな行事のたびに実家に連れてってくれるんですよ。
行ったの?
行きました行きました。
最高だよね。
サンクスギビングもクリスマスも全部ヌーメメとの実家で、違う実家で過ごして、本当に貴重な体験ですね。
アメリカ人の現地の祝い方というか、本当にアットホームで温かかったですね。
じゃあ、この9ヶ月ってサンクスギビングのあたりから休みモードに入るじゃん。
そこで家族たちが集まってたとこに行ったんだ。何人くらい集まってた?
もうけっこう大正体で、本当にルームメイトしか知ってる人がいないので、けっこう気まずかったんですけど最初。でも本当にみんな温かくて。
何人くらい?30人くらいのパーティー?
けっこうそれくらい行った気がしますね。
インディアは大きいからさ、大きいというか土地が安いのね。だからみんな家大きいじゃん。
行ってみるとさ、パーティーって言われてさ、お毎日のパーティー行くよって言って、いいよって約束して行ってみたら、家めっちゃでかくて、親戚だけなのに30人とかいるってよくあるよね。
ハロウィンは?
ハロウィンは普通に友達と過ごしましたね。その日はルームメイトとかじゃなくて普通に友達と過ごして。
ハロウィンも同じパターンがあって、行ってみたら30人くらいの家族がみんな仮装してて、すごいパーティーみたいな。
すごい規模が違いますね、ほんと。
で、その後やっぱりクリスマスもあるじゃん。
クリスマスも言われた。
クリスマスもそうですね。だから僕ミシガンに行ったんですよ。ルームメイトが、おばあちゃんがミシガンに住んでて、5時間かけてミシガンに向かってクリスマスを一緒に祝いましたね。
プレゼントもめっちゃくれて、僕何も用意してなかったんですけど。
あるよね。
いや、それもさ、うちの子供たちが今大学生になってるから、友達のとか彼女の家のおばあちゃんとこのクリスマスパーティーとか行くのよ。
帰ってきた時にさ、すごいギフト持ってくるのよ。
すごい。
どうしたらいいのって、こっちがびっくりしちゃうから。
そうか、ソウタ君そこの中にいたのね。
僕も大量にプレゼントもらって。
この笑顔だと思う。今喋ってるだけでも俺すごい楽しいの。この笑顔と、あと喋りも上手だから。
いやいやいや、そんなことないです。本当に。
みんな呼びたくなっちゃう。
上手というか、アメリカに留学して、僕も知りたかったのは、アメリカの人たちがどうサンクスギビングとかクリスマスを過ごすかってことでしょ。
で、僕たちはアメリカ人と結婚した女性の方と日本人女性の方とすごい仲良くなって、その女性の方はクリスマスとかで心細いのよ。
なぜなら他はみんな親戚いっぱいで集まってるけど、自分の親戚いないじゃん。
そうですよね。
そしたら僕ら一回行ったの。同じ感じで呼ばれて行ったのよ。
そしたら家族のように受け入れられるじゃん。
で、僕らがいた方が奥さんの親戚が集まってる感じになるじゃん。
そうですね。
で、他の家は大体奥さんの親戚と旦那さんの親戚が何か集まってる感じで、それがアメリカの家族って感じするから、
うちらが行った方が盛り上がるっていう風に言われて、5、6年親戚ずらして行ってた。
いつも。
いつも行ってて。
だんだんどちらもギフト準備するようになって。
だからその人の親戚よ。僕らいとこみたいなもんだよっていう感じで、うちの家族で。
いつもその、その後イースターもあるでしょ。
これ言わされてるみたいな感じ。
言わせてるけど。
そんなことないんですけど。
でも新鮮だからすごい聞きたいんだけど、最初にこのプログラム聞いたときに、
こんなのあんだっていう感じだと思うんだけど、どんな印象でした?
最初はやってることってすごいシンプルじゃないですか。
僕は日本語を教えて、向こうから英語を教わるって。
すごいシンプルなのに、今までそういうのをやってきたことがないというか、
やってることは単純なんですけど。
僕もさ、やったから。
僕も一応2人とやってるから。
一番最初さ、まあ簡単でしょみたいな。予習どのくらいしました?1回目の。
だって自己紹介だけじゃん。
10分くらいでできるよね。
すぐやり終わりましたね。
セッション前10分くらい予習してさ、じゃあ1時間これで喋れるのかなって思うじゃん。
そうですね、はい。
全然喋れるよね。
僕本当に、それこそ今学期のパートナーがパトリックっていう男の人だったんですけど、
セッションっていつも1時間っていう決まってるんですけど、
僕とパトリック4時間くらい。
毎週火曜日4時間。
4時間ないじゃん。だってそんな場所あんの?4時間。
あれなんですよ、カフェテリアの前とかでずっと2人で4時間ノンストップで話すっていうのは。
それ開くのルール載ってないけど。
ちょっとルールがあるんですけど。
セッション1つで?1つで4時間?
1セッション。毎週火曜日4時間。長い時は5時間ちょいくらい。ずっと2人で話すっていうことで。
開くスペシャルだね。すごいね。毎回ロングバージョンだね。
そうなんですよ。なんか脱線しちゃうんですよね。
僕がすごい話すの好きで。
毎回テーマ決まってるんですけど、そのテーマ話すとこれも話したいみたいなことがどんどん増えていって、
トータル5時間くらいになって。
すごいおしゃべりじゃん。
でもポッドキャストを始めてくれてる渋長さんって方がいて、
渋長さんとチャットさんっていうペアもこれから全部の開くを公開してくれるんですよ、ポッドキャストで。
2人も1時間で半ページ進めばいい方って言ってた。
本当ですか?
脱線しちゃうって。
そうですよね。
脱線しちゃう組なんだね。僕らは脱線してないよ。
僕とゆくせんちゃんと1時間できっかり終わるもん。
そうなんですか?
準備したやつは全部終わらせようって言って。
あと、図書館のオーディオブースっていうこういう部屋を借りてるから、
1時間で出されるから、1時間内に収録終わらせなきゃいけないから。
なるほど。
修復っていうかセッションなんだけど。一緒にやっちゃってるから。
一緒にやっちゃってるから。
僕は本当に時間の決まりなかったので。
じゃあ、そーた君のポッドキャスト5時間になっちゃうね。
5時間長すぎますね。
でも、それはさ、第1回から5時間にはなんないでしょ?
第1回からじゃなくて、もうだんだん増えてった感じですね。
でも、第1回も1時間以上かかったような気がします。
なるほど。じゃあ、第2回からその準備はどのくらいかかってるんですか?
その5時間のための準備は。
もう脱線の準備はしてなくて。
でしょ?
その予習は10分、30分くらい?
予習はそれくらいの時間です。
一番長くかかった予習の時間ってどのくらいですか?
長くても15分くらいで。
すごいね。
僕最終の気持ちが、DREAMの時に相手に言葉を書いたのね。
手紙みたいなのを書いたのね。
そしたら、30分、1時間くらいかかったかもしれない。
気持ちが溢れちゃって。
その1時間の中に全部収めなきゃいけないから、効率よく書かなきゃいけないじゃん。
なるほど。
だから、ここでこれ10分喋って、これ20分喋って、これを聞いて、これも聞いときたい、これも聞いときたいってやって、一応ちゃんとポットキャスト番組の準備だからさ。
でも、30分くらいでできたかもしれない。
本当ですか?
でも、予習にそんな時間はかけたことない。
そうですね。そこ気楽だよね。
めちゃめちゃ気楽です、めちゃめちゃ気楽です。
で、会って、その時のノリで。
本当にその時の気分で。
でも、平くんにちゃんと添ってるでしょ?
乗っ取ったもので話してましたね。脱出しまくりでしたね。
ゆりかさん的には、会話が広がるようにエッセンスを盛り込んでて、喋ってて楽しくなるように誘導するっていうか、お気にしを言ってて。
僕、多分その誘導に綺麗に乗っかってるかもしれないですね。
乗せられた。
手のひらで転がされてますね、僕は。
相手はどう?
パトリックは実はそんなに喋る人でもないんですよ。
それでも4時間。
どういうことなの?
でも、だんだんパトリックが心を開いてくれて、最後の最後もパトリックもめっちゃ話すみたいな。
そうなんだ。
嬉しかったですね。最初本当に全然喋らなくて、クールな感じだったんですけど、だんだん時間をかけていくにつれて。
開き具合で言ったら、ソータ君の方が結構最初からオープンにいって。
最初から100%して。
パトリックがちょっと警戒してたのかわからないですけど、最初は心はそんなに開いてなかったんですよ。
でも今はめちゃくちゃ開いてくれて、それこそこの間インディー500とかも一緒に行こうみたいな。
開く終わってからパトリックと2人で会う機会がすっごい増えて。
この間、倉津氏も一緒に行きました、パトリックと。
一応開くをやってるセッションの間中は遊びに行っちゃいけないってルールがあるじゃん。
でも終わったらそこは大人の2人ですから、自由にって思ってたんですけど。
終わった瞬間からパトリックがいなくて、それくらい心開いてくれたと思うと嬉しいですし、開くのおかげですね、こういう出会いが。
これから友情続きそうですか?
絶対パトリック日本に来てくれるんですよ。
いつ?
今年の夏に。
もう?
パトカー来ましたよ。
ちょっと違和感が。
いや違くて、俺のテンションと同じくらい。
パトリックが日本に来て。
完璧なタイミングでしたね。
開くが、今倉津くんが住んでるアパートからのラウンジですね。
素敵だよねここ。
そう、僕もびっくりしました来て。
寮が5月11日で退居だったんですよ。
本当は延長したかったんですけど、延長すると1日35ドルくらい。
高くなるんだよね。
高まらなきゃいけなくて、ちょっと1日35ドルはちょっとと思って、急いでこっちの友達に連絡をして、そしたら心よく、俺ん家止まんないよって。
止めていただいて。
めちゃくちゃいいとこですね。
こんな綺麗なラウンジ。
ちょっとこれインスタに後で出しておきましょうか。
そうですね。
ということで、パトリックは日本に来ると。
来ます。
そして会うと。
会います。
そしてその後にもう友情は続いていきそうですね。
一生続いていくと思います僕は。
それがユリカさんのこの開くに込めた願いなんです。
そうなんですか。
12個のセッションに何の話題を入れていけば親友になれるかっていうのを、すごい彼女は生命学者なんで。
そうなんですか。
生命学者みたいな。
命の研究をずっとしてきた人なんだけど、それをそのストラテジを盛り込んで、ハイプスシスって言うんだけど、仮説を立てて。
こういう会話をすれば人はこういう風に盛り上がって、そしてそこには友情が生まれるはずだっていうのを、いろんなテーマでいろんな人にテストして。
そうなんですか。
その中でみんながよく仲良くなっていったものを選んで、この開くの今日。
僕本当に全部綺麗に載せられてますね。
載ってきました。
策略にままではまってますね。
策略っていうか、多分彼女自身が結構英語で悩んだんですよ。
友達を見つけるっていうか、良かった良かった。
どんどんこの開くのを載せられたってことでしょ。
4、5時間で。
で、親友ができたってことでしょ。
あともう一人の開くのパート。
前楽器はアンジーっていうとこで、アンジーはめちゃくちゃおしゃべりでしたね。
だからアンジーとのセッションも毎日4時間。
アンジーも4時間だったの?
アンジーも4時間くらいやってましたね。
そうなの?
時間守ってないな。
それはごめんなさい。そこは怒られそうですけど。
そんなに喋ることが出てきちゃうんだ。
そうですね。
英語と日本語でしょ?
アンジーの時は、僕は基本的に英語を話してたんですけど、
パトリックの時は僕はずっと日本語だったんですよ。
はい、聞いていただきました。いかがだったでしょうか。
とてもアメリカに来て楽しい、とにかく素晴らしいということが伝わってきたと思います。
ラッキーだったって本人も言ってますけれども、
僕もこのインディアナっていうところに来てですね、
インディアナの人々の温かさ、特に受け入れてくれる気持ちの高い州なのかなっていうのは長くいて思います。
とてもラッキーだったなと思います。
もちろん東海岸、西海岸でも素晴らしい出会いをされている方もいるんですが、
中西部っていうところの人々の温かさというものは、日本の方々にもっと知ってほしいなっていうふうに僕は思っているところで、
相多さんの体験もそうですけど、僕や周りにいる研究者の仲間、そして企業の方々のお話を聞いてもですね、
なかなか温かい交流を持っている、そういう経験を持っている人たちがたくさんいて、すごくいいなと思っています。
この地域、ここに来てね、僕は幸せだと思いますし、周りの人たちも留学する価値とか、
いろんなものを乗り越えて来ている人たちがそういう体験をされてってね、いいなと思っています。
もちろんね、みんなみんなラッキーなわけではなくて、インディアナに来ても苦労する方もいらっしゃいますし、
やっぱりね、楽しめないような瞬間もあるんですよ。
だけど、そういうのを乗り越えてね、皆さん頑張っているということが少しでも日本の方々に伝われればと思います。
相多さんの回ですが、今後何回かに分けて出します。
とてもいい経験、いいお話がありますし、彼自身の生き方っていうのも素晴らしいのがありますので、ぜひ聞いていただければと思います。
僕もね、こういう学生さんの挑戦とか、その後の経験をどうやって日本人の活動で活かしていくか、
または次の海外留学であったり、アメリカを見たから今度はヨーロッパを見に行くとか、アフリカを見に行くとか、
他の国をね、世界を見て自分の生き方に役立てていくし、貢献できるところは貢献していきたいみたいな気持ちというのは素晴らしいものだと思いますので、
そういうのはね、本当に応援していきたいなという気持ちです。
今後もね、僕たちのポッドキャストとしてはこういったゲストの方にも来ていただいてお話しできれば僕も本当に嬉しいので、
そういった形で番組は続けていきたいと思ってますので、皆さんも聞いていただければと思います。
今、戦後80周年ということで、いろんな思いみたいなもの、僕は特にアメリカに来て18年なんですけど、
日本から離れたからこそ感じる、その日本の戦後の教育とか、人々が抱えた心の問題とかね、
その表現の方法とかで、人々の中に無意識のうちに入ってしまう、その戦後のトラウマとか、
あとは特に日本っていうのは災害が多くてですね、阪神大震災とか東北大震災とか、
新潟やね、ノートの地震などもあったと思うんですけど、あとは水岸とか熊本もありましたけど、
やはりそういうところの被害とそこからの復興というものと、いろんなものが結びついて、
心の在り方みたいなところに影響していることがあるなと思ってて、
僕はその中から少し切り離されたアメリカに来てますので、完全に切り離されているとは思ってはいないんですけれども、
見方によってはそう見える人もいると思うんですが、
そういったところに自分なりにアメリカで過ごしている人たちと触れ合いながら、
僕は細胞の研究をしているので、細胞の中にその命の仕組みとか命のリズムとかハーモニーというものを見つけていく、
学んでいく姿勢で日々研究しているんですけど、そういったものから見えてくる人々の生き方とか、
歴史の捉え方とか、細胞の中にも深い歴史の跡という形式というものが、
例えば遺伝子の中にあったり、タンパク質の中であったり、細胞同士の結びつきの中に入り込んでいて、
それは病気になったりするときにその仕組みというものがひも解かれてきて、こういう理由で病気になるのかとか、
病気になる前に細胞はもともとこういう仕組みを持っていて、そこから治そうとしている姿とか、
細胞同士がコミュニケーションしていこうという姿とか、一つの命を支えるためにたくさんの仕組みが、
その命を守っていくための仕組みというものが常に絶えず動いていて、
多くの細胞を支えるものが作り出され消費され、作られて壊されて、
というものが流れていく中に僕たちの命があって、
そのエネルギーを日々僕たちはどの方向に使っていくのか、何が大事なのかみたいなものを感じるところがあるんですけど、
日本の教育を受けてこちらに来てという僕の中で、
命は善に向かって生きていきたいみたいな気持ちというか、作られているリズムがあるんだけど、
その善というものを曲げられてしまった歴史というのが、
一つの戦争の歴史と戦後の歴史の中にあるんじゃないかなと僕の中で思っていて、
資本主義社会の中にもあると思うんですけど、いやそうではないよと。
生物、命というものが奏でている音楽の中には、もっと真っ直ぐなものがあるよということ、
真っ直ぐだからと言って作られすぎた善でもなくて、意外と利己的なところもあるし、
その反面利他的なところもあるしみたいなものを少し感じていて、
戦後80周年という節目なので、そういったものを文章の形や作品の形に自分は落とし込みたいなと思って、