かもすハウスの時間
あなたの街のどこかのアトリエ、かもすハウス。
今日も気ままな音楽にのせて、よもやま談義に花が咲いています。
気になる話題が聞こえてきたら、どうぞふらりとお立ち寄りを。
今日は、政治の話を‐‐‐
どよどよ‐‐‐
しようかなと思ってるんですけど、
たぶん、なんか政治の話って言って、みんなが思い浮かべるような政治の話ではないんじゃないかなと思うんだけど、
一番最初かな、自己紹介的な話をとったときに、
そこでもちょっと軽くしゃべってると思うんだけど、
大きな政治の話というよりは、個人的なその政治との接点とか、
原体験みたいな、どこでこうそういうのを考え始めるようになったかみたいなところが、
たぶん一般的な日本の人とはなんか違うところで、結構自分はインプットしてきているので、
なんかその話をしてみるのも面白いかなと思って。
うんうん、いいんじゃない?
で、はい、しゃべろうと思います。
お願いします。
結論から言うと、中学年ぐらいかな、小学校のときに、
結構頻繁に国会議事堂に通っていて、
なんか話してくれたね、そういう話を。
で、もちろんその一人でじゃなくてね、親に連れられてというか、親についていくみたいな感じで、
行っている時期があって、
そのときって、もちろん長野に住んでたんですね。
そうそう、長野から行ってた。
へー、通ってたんやね、じゃあ。
通ってたってほど頻度ではないけど、年に何回か行ってたのかな、たぶん、だと思うんだけど、
なんで行ってたかっていうと、そのときにその両親が、有事法制っていう、
日本が外国から攻め込まれたときに、
どのぐらい市民の行動を制限していいのかとか、なんかそういう話。
有事の事態に関する法制ってことね。
そういうことね。
そういうのの議論がされている時期で、
両親がそれに対して問題があるんじゃないかと、その法律の作られ方が、っていうのを感じて、
かなり個人的な動機で、国会の議員さんとかに働きかけをするっていうことを、
活動をその時期に始めたんでね、その数年間やってたんでね。
それはじゃあ、なんかのコミュニティに属してとかではなくて、
家族でやってたの?
そうなんだよね。だから、もちろん議員さんとか、そういうね、つながりは、
地域の議員さんとか?
そうそう、地域もそうだし、国会の方の議員さんとか、もともとその活動している、そういう団体があるから、
そういう人たちとのつながりは、持ちつつだと思うんだけど、
基本的には、個人プレイというか、個人活動としてやっている、みたいなことをしてたんだよね。
なるほどね。
で、まあ、うちがね、もともと自営業だから、自分の都合で動きやすかったから、
そういうことも可能というか、やりやすかったっていうのもあるんだけど、
で、まあ、両親はそういうことをやってて、で、両親がそういうことをしてるから、自分も、ちょっと面白そうだなっていう。
だから、その時に、両親がやっていることを、すべて理解しているわけではないけど、
単純に面白そう、みたいなのもあって。
じゃあ、子供たちも前向きだったよね。
そうそう。
いやいやついてくとかじゃなくて、
連れて行かれてたというよりは、なんか、自習社会見学みたいな感じで行ってたんでね。
学校より楽しいみたいな。
そうそう、なんか、学校のその先の見える勉強よりも、
実際に大人の社会をちょっと覗いてくるのが、単純に楽しかったというか、自分の感覚としては。
それはわからいでもないな。
でも、その時の、小学校の校長先生も結構、割と柔軟な人で、
なんか、帰ってきてから、じゃあそれについて、レポート書いたら、休んでもいいよ、みたいな感じの話をしてくれたりしてて。
柔軟な方ですよね。
そうだね。だから、まあ、なんていうか、自主的に、こう、許可を得て、通っている時期があったと。
その時の話を、今日はしようと思います。
いいね。
で、なんか、今日のこの話を、なんでしようかと思ったかっていうのを、一つとしては、
なんか、今、日本で普通に、なんていうかな、育つと、
あんまり、やっぱり、政治との接点みたいなのが、よくわからなくなりやすいなと思うんだよね。
そうだね。
なんか、その話をする機会が、そもそも、なんていうかな、フラットに話す機会がない、政治について。
いや、ほんとそうですよね。
だし、まあ、そうやってね、その、例えばデモとか、そういう直接的に、こう、働きかける、
議員さんと話をする、みたいなこととかも、なんか、あんまりその、気軽にやる人は少ないというか、
まあ、そんなに気軽にできるもんではないけど、
なんていうかな、生活とは、あまり、こう、地続きで考え、イメージしづらいみたいなのがあるじゃんね。
なんか、なんなら、ちょっと関わってはいけないみたいなオーダーすら感じるけど、生きしみには。
なぜか、ちょっとアウトサイダー感が出ちゃうというか。
で、まあ、なんか、それが、自分にとっては、わりとそこが、こう、そういう感覚がなくて、
もうちょっと、日常の中で、そういうことが起きていたので、
なるほどね。
なんか、その感覚が、たぶん、しゃべっただけでは伝わらないと思うんだけど、
まあ、そういう経験をしている人もいるよっていうだけでも。
それは、日本では珍しい方かもね。
日本で、そういう経験をしている人が、たぶん、めちゃくちゃ少ないので、
なんかね、しゃべってみてもいいかなという。
おー、いいですね。
はい。で、まず、なんかその、でも、興味ある人は、それなりにいると思うんだよね、その政治について。
で、結構、おすすめしたいのは、その傍聴に行く、行ってみるっていうのは、
国会?
そうそう、国会の、行ってみるっていうのは、結構、やっぱり、なんていうかな、体験として、面白いと思うんだよね。
国会って、あれ?たまにテレビで、国会中に政治家が寝ているみたいな。
そうそう、あのね。
ああいうシーンだっけ?よく覚えてるけど。
すごい、おごそかな、会議場みたいな、議会があってっていう、
あそこは、当然、その、権利として、見に行くことができるわけね、その会議しているときは。
それさ、知らなかったですよ。傍聴できるんですね。裁判とかできるのが知ってるけど。
そっかそっか、まあ、そうそう。だから、国会まで行かなくても、市の議会とか、
そのね、そういう、こう、政治的な議会は基本的に傍聴ができるのが、
まあ、そらそか。
前提になっている。
そうだよね。密室じゃダメだよ。
そうそう。
確かに。
で、まあ、その、国会の傍聴っていうのは、たぶん一番、なんていうかな、分かりやすい。
うん。
あの、知ってる人も出てくるし、なんかその、テレビとかで見るような。
それこそ、首相とかも結構すぐ目の前でしゃべってたりするわけだよ。
そっかそっか。
だからその、たぶんその、身体的な距離感が、そこでできるっていうのは、結構大事なんだろうなと思うんでね。
そう思う。
テレビの画面越しに見ているものと、実際自分でその、行ってそこの空気感みたいな感じて、
っていうのでは、全然違うなと思っていて。
そら、そうやな。
で、特に自分はその、子供の時に行ってたので、
やっぱそこの経験、なんていうかな、その時に得た感覚みたいなのは、結構強いなって、今になって思っている。
なので、とりあえずなんか傍聴は、みんな一回行ったほうがいいんじゃないかなって、本当は思っているんだけど。
で、その傍聴している中で、結構印象的な出来事が一個あって、
そのさっきの有事法制のメイン法律かな、いくつかの法律がセットになっているものなんだけど、
のを見に行った時に、その両方の賛成派の人と反対派の人、議員さんが始まる前に自分のとこに声をかけに来たんだよね。
その議員さんから声かけるのは別にいいのかな、なんかそこらへんちょっとわかんないんだけど、なんか軽く話に来て。
議員さんとしても山場なので、それを子供が見に来てるっていうので、なんか声かけといたほうがいいかなって思ったのかな、わかんないけど。
で、反対派の人は、ベテランのおじいちゃんの議員さんだったと思うんだけど、
その人は戦時中の経験とかもあったので、そこの法律が通って、こういうことに自分の経験したようなことが起きてほしくないから、
多分これ通っちゃうけど、でも自分の使命は、自分の経験をもとに何がダメなのかを伝えるってことだから、今日はそれをしゃべりますみたいなことを言って戻って行って。
で、もう一人、その賛成派の人も来て、その人はその人で、この法律が使われてはいけない法律だと自分は思っているけど、
でも万が一があるから必要だと、その法律を作っておく必要があると自分は思うから、賛成しますと。
でも、もしそれが間違ってると思ったら、また教えに来てねっていうふうに言って帰ってたね、その人はね。
で、なんか、そこで思ったのは、結局最終的に決めてるのは人間なんだなということがまず思ったわけよね。
そうだね。
だから賛成反対でどっちかにあげるしかないんだけど、その人なりにやっぱり葛藤はしていたりするわけで、
そうやって傍聴すると、直接しゃべるまでいかないにしても、そこの距離感みたいなのが確実に縮まるのはあると思うので、
それは自分にとって大きかったなと。
そうだね、確かになんかテレビで見ているだけでは、政治家の人の思いとかまではやっぱり伝わってこないというか、
その人がね、やろうとしている目標達成はわかるけど、なぜそう思うのかとかね、そこには感情があるわけじゃないですか、経験とか記憶が。
それは見えないもんよね。
そうそう。
当然だけどあるんですよね。
なんかね、どうしてもあそこに座っている姿を見ているだけだと、単純に頭数の一人、男性しか見えないんだけど、
やっぱりね、そのやってる人はそれなりに思いがあって、そこまで議員になるっていうところまで、それなりの努力とかはしてるわけで。
だから、やっぱりね、そこに対して自分がじゃあどう向き合うのかみたいなことを考えると、
なんかできることっていうのがもうちょっと広がる気はするよね。
投票っていうだけではなくて、他のアプローチもあるんじゃないかっていう。
確かに。
考えやすくなってくる。
本当だね。
特に若い女性とかあるあるだと思うけど、おじさんは人間じゃないと思ってる人だからね。
おじさんは若い女子を人間だと思ってない節があるけどね。
属性が違いすぎてね、実感がわからないということもあるよね。
音楽とかでもさ、やっぱりその録音された音源を聞くのと、ライブでそのアーティストの演奏を直に体験するのって全然違うじゃん。
感覚としては全くそれと同じ。
じっくりと音源を聞き込むことで理解できることももちろんあるんだけど、
ライブで体験しないと、わからないそのアーティストの存在感みたいなこととかっていうのがあって、
それがやっぱり、そういう国を動かす法律とかっていうことでも同じことが起きているっていうことが、
なんか普通に学校の勉強で教わっているだけでは全然わからないところ。
なんか仕組みとしてはわかるけどさ、国会が法律を作ってみたいなね。
そうだね。
理屈としては教わるけど、法律ってこういうふうにして決まるんだ、みたいな。
人間が作ってるんだ、みたいなことが当然なんだけど、なんかわかってないわけだよね。
そうね、そうね。
実際には。
いや、わかりますよ。
そもそも政治っていう国会って仕組み自体が悪性にならないように、悪いことが起こらないように理性で組み立てられてるわけじゃないですか。
それに従って、沿って、その法律が決まっていくわけだけど、
でもその理性で守るとか守ってるけど、基本はその人間っていう感情がある人たちが行ってるわけだからね。
だから、シンプルに言うと、今の日本の国会は大半がそのおじさんの感情で動いてるっていう。
やだー。
だから別に、なんかそのね、
今のまとめやだー。
おじさんが頑張るのは、それはそれでいいんだけど、おじさんのね、そのおじさんなりにやりたいことがある。
めっちゃおじさん言うよ。
だけど、やっぱりその、そうやって実際見に行くと、やっぱりその異様だよね。
特定の属性のおじさんだけが、そういう人たちの感情だけで、いろいろなことが決まっちゃうっていうことが、感覚として異様な感じがすると思うんだよね。
そうですね。そうだと思います。
じさんだけじゃないはずだからね、この世界にいるのは。
そう考えると、やっぱりなんか、シンプルにそういう構成が偏ってることの異様さとかは、
なんかね、数字とかで見るよりも、もしかしたら、直感としてわかるんじゃないかみたいなのもあるかな。
議員さんになりたいタイプの人が、こういうキャラクターの人が偏りがちとかはまだわかるけど、
そういう、なんていうの、カテゴリー?この年代の、この性別の、こういう髪型した、みたいな人たちだけが偏ってるっていう、なんか変な感じですよね。
もっといろいろいるはずだよね、本当は。政治に向いてる人って、いろんなカテゴリーの人がいるはずなもんね。
あとは、なるべく、なんか先入観のないうちに見に行ったほうがいいんだろうなっていう気もする。
そうですか。もう30個してしまい、間に合いますかね。
だから、大人になってから行くとしたら、なるべくそこを意識的に外して見たほうがいいんじゃないかなっていう。
やっぱ先入観があると、〇〇党の〇〇さんが喋ってるみたいな、そこを見ちゃうわけだ。
でもなんか、その全体の場の雰囲気みたいなのを感じるためには、なんかそういうことではなくて、
どういうダイナミズムで、こう、法律が決定されちゃうのかみたいなことを単純に感じるみたいなほうが重要で、
なるほど。
なんかそのために行くっていうのはいいかなと思う。
じゃあいいかも。
たぶん小学生ぐらいの知識と教養しかないので、自分は。
そう、だからそうだね。政治苦手と思ってる人ほど、逆に行くと面白いかもしれない。
そうかもしれない。
話が脱線しかかってるけど。
そもそもだから、そのね、両親がそうやって国会に行っていて、ついていて、傍聴とかもしていましたと。
傍聴以外に何をしていたかっていうと、議員さんの事務所がその国会、そもそもその国会議事堂っていうのが、
表と裏が当然だけどあって、表がよく写真でこう見る表側だよね。
知ってるよ、さすがに。
裏も別に形としてはそんなに変わんないんだけど、
そうなんだ。
その国会の裏手に議員会館っていうのがあって、
要するにそれは国会議員の人の事務所が集まってるオフィスビルみたいなのが立ってるわけね。
基本的にその議会の開催中は議員さんそこに通って仕事をしていると。
で、秘書の人とかもそこにいてみたいな感じだよね。
で、そこ、そっちに訪ねていくっていうことも当然誰でもやろうと思えばできることである。
なんで、そこもその議員会館に入るための手続きをして、
その時何やってたのかはっきり覚えてるわけではないんだけど、
多分その手紙を渡したりとか喋ったりとか。
そういうシーンは、のほうが見たことあるかな、テレビとかで。
それはだから結構、団体に所属してやってる人は結構いるんだけど、
個人で慈悲で、東京に出てきてそれをやるっていうのは相当レアだったみたいで。
しかも子供連れで来たりするから。
印象残るね。
結構なんか驚かれていたけど。
で、やっぱりそっちも普段子供なんか絶対に入らないような建物だから、
子供の存在が全然ないような建物だから、
反対意見の議員さんのところ行っても、
なんだなんだみたいな。
子供来たぞみたいな。
いくつ?お菓子食べる?みたいな。
で、やっぱり実際お菓子とかもらう。
あ、もらうんだ。
で、そこでも喋ってくれたりするわけで、
おじさんはね、こういう考えでやってるんだよみたいな話とかをしてくれたりすると。
だから、表現なんだね。それも一つね。
そうそう。物作ってる人だったらわりとわかると思うんだけどね。
表現するっていうこと自体に意味があるっていうこと。
確かに自分に返ってきますね。
そうやって個人で通ってたんで、
やっぱりそういう個人的な自分の気持ちで通っているタイプの人たちと、
だんだんちょっと仲良くなるというかしてきて、
わりと頻繁に会っていた人は、一人はお坊さん。
お坊さん。お寺のお坊さん。
お坊さんなんだけど、お寺に所属するというよりは、
そうやって歩いて回ったりとか、そういう活動をしている。
わりとだから、政治的なところにも積極的に行くタイプの活動をしているお坊さん。
お坊さんがある意味そういう活動のベテランみたいな感じなんでね、その人は。
おるのね、どこにもベテランが。
ベテランがいて、そこら辺の国会の裏側の事情が結構、裏側っていうのは物理的なね、その裏側。
物理的療法かもしれないけど、裏事情みたいなのが結構よくわかっていて、
あそこに座ってると警察の人に言われるんで、こっちに座ってくださいみたいなことが。
あるよね。
この園籍から出るとダメなんですよ、みたいなことが。
やっぱそういう暗黙のルールみたいなのがあるんでね。
だからそういうのを教えてくれたりとか、
あとはそうだね、さっきの議員さんにお土産もらってきたら、
今日は何もらったんだ?
何もらったんだ?
一個ちょうだい、みたいな話をしたりとか。
軽いな。
そんな感じなんだけど、
でも、その中でちょっと、ある時に行った時に、
障害者の団体の抗議活動みたいなのやってて、
今日もなんかやってるな、みたいな。
で、見てたら、ほら、あの人見ててみ?って言って、
そのお坊さんがね、あの人ちょっと怪しいよって言って。
で、何が怪しいのかなと思ったら、
デモの先頭で、ここから先来ないでくださいみたいなのがあって、
そこを先に行こうとすると、警察の人とかが寄ってきて、
ちょっとここまでにしてくださいみたいな感じになるわけね。
で、警察の人は別にデモの内容に何か反対してるとかではないけど、
その仕事としてここで止めなきゃいけないみたいなのがあるから、
止めているわけね。
で、デモ隊の人が入り込んじゃってると、
やっぱ邪魔されてるというふうに感じて、
感情的になるわけね、それで。
そうだね。
で、それで、なんだお前は?みたいな感じになったりするわけ。
そこでつばじり合いみたいなのが起きるわけね。
で、大事なのは警官の人に絶対触っちゃダメなんだよ。
触ると、その業務妨害みたいな、犯罪というかな、アウトになっちゃうわけね。
だから、口で何か言ってる分にはまあいいんだけど、
何かバシッて触れた時に、あ、触れましたねっていうことで、
連れてかれちゃうみたいなことが起きるわけね。
で、それで、そのお坊さんの言ってた、その怪しいよって言ってた人は、
その先頭に立って、めちゃくちゃその威勢よくそういう警官の人に、
いろいろなんていうかな、罵声を浴びせてるみたいな感じなんだよね。
で、煽ってるわけ。
だから、一番何か積極的な感じに見えるんだけど、
結局、それが何でそれをやってるかっていうと、
どうも、そのデモ隊のやっていることを逆に邪魔するために、
その人が送り込まれてるんだと。
えー、そうなんだ。
だから、よく見ててみって言って、見てたら確かに、その人は絶対に警察の人に触れないわけね。
で、それに乗せられて、結局、感情的になっちゃった人たちが、
警官の人に、そうやって掴みかかったりとかして、連れてかれちゃうと。
2番手、3番手の人たちが。
で、そうすると、その活動している人たちが、
暴力的だとか、感情的になりやすいみたいなふうに、
全体としては見えるわけだよね。
でも、その人は結局、一番先頭ですごい頑張っているふうに見えて、
実は、そっちに誘導して、スッと引いていっちゃうみたいな役割をしている人なんだよ、みたいな話をしてて、
確かに見てたら、そういうふうにするわけよね。
肩から見てて、わかんないね、そのお坊さん。
なんか、基本、人間観察してるんだよね、そこら辺の。
だから、やっぱ、たぶん、その同じ人が、違う団体に、でも同じことをやってるみたいなのを、たぶん見ているんだと思うんだけど。
実際、その人がどうなのかっていうのまでは、わかんないんだけど、
確かに、何か言ってるような感じに、その場でなってて、
だから、そういう活動に対しての見え方みたいなのも、結構わかんないっていうところ。
なんか、パッと見て、わかるものでもないっていうのもあるんだよね。
やだよね。私、なんか、そういうの一番嫌なんですよね。
集団が持つ力みたいなもの。
もちろん、それがいい方向に働くときもある。
最近、LGBTQのリモコレとかも、すごい勢いを感じるじゃないですか。
みんなが関心を持っているっていうのが、誰が見てもすぐわかるし、
そして、それに乗っかりやすい、ちょっと関心がある人が、
あ、興味持っていいんだ、もっと関心持っていいんだ、みたいな、主張していいんだ、みたいなふうに思える。
そういう良さもあるけど、チャックみたいなね、操作されている。
集団意識をかじ取りされて、本意ではないことをしてしまう。
本意ではない方向に行っちゃうって、やだ、すごいやだ。
そうだね。集団になることで、そういうふうに誘導されやすくなっちゃう部分も、やっぱあるなぁとは思うね。
だから、なんか、さっきの傍聴のときの話もそうだけど、
必ずしも大人数で集団になっているから、効果があるわけでもないんだよね。
結局、見慣れちゃうとさ、意味がないわけだよね、議員さんにとっては。
もうそうやった。
やはりなんか、なんでこの人がここにいるの?みたいな方が印象に残ったりすることもあるわけで、
だから、個人の活動の方が力が弱いかというと、別にそうでもないという、
特に感情的な部分とかっていう意味では、人数で大きく変わるわけではないという。
それは、でもちょっと救いがある話だね。
なんかさ、投票率が低いって、日本でずっと問題になっているじゃないですか、特に若い人が。
あれって政治に関心がないから、みたいな一言でくくられることが多いけど、
私が若いときに投票しなかったこととかもあって、
でもそのときの感覚を分析すると、影響を与えるのがまず怖いと思ってたんですよね。
自分の一票が確実に影響があるのっていうのがわかるからこそ、むやみに選べなかったし、
影響を与えるのが怖いと思うのは、逆に普段、影響力がないと思っているからなんですよ。
自分は他人に何か影響を与える力がないって、若いし、かつ女性だったりとか、
自分のルーツとかもあって、そう思っているから、急に自信がないんですよね。
でもその状態って、とても貧しいと思うし、
だから逆に集団に入って影響力を与えようとか、
何か自分に金星をつけてから与えようみたいに思っちゃう人もいると思うんだけど、
今のその話、個人が個人の議員さんに一人と一人で影響を与えることができる。
自分も感じられるし、その人に何か感じてもらうことができるのかもって思えると、
すごくなんか、今まん延している政治の遠さみたいなものが、ぐっと近づくような気がしますね。