1. かもすハウスの時間
  2. ‐‐ 018 そうだ国会行こうの時間
2023-08-30 43:06

‐‐ 018 そうだ国会行こうの時間

異色の東京見聞録?
小学生時代に永田町に通い詰めた塩田の思い出と、ふたりの政治についての雑感を語り合いました🏛️

収録日 : 2023年6月17日
ホスト : 塩田素也, のぞみるき

アートとデザインと、あわいの時間。

あなたの街のどこかのアトリエ「かもすハウス」。今日も気ままな音楽にのせて、よもやま談義に花が咲いています。気になる話題が聞こえてきたら、どうぞふらりとお立ち寄りを…

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サマリー

このエピソードでは、話者が子供のころに国会議事堂を訪れた経験を通じて、政治への関心や接点について語ります。また、政治の傍聴体験の意義や、一般市民が政治に容易に関与することの難しさについて考えます。国会への傍聴が子供たちに与える影響や、政治家たちの議論の舞台裏についても探ります。特に、議会での意見交換の様子や、人間味あふれる政治の実態が話されます。国会周辺でのデモ活動や抗議活動の裏側についても語り、個人の表現や影響力についての見解が示されています。また、集団意識と個人の関与に関する考察がなされ、民主主義における主張の重要性が強調されています。このエピソードは、政治が個人の感情や行動にどのように影響を与えるかについて考察し、自己効力感や自己表現の重要性が強調されます。

子供の頃の国会訪問
かもすハウスの時間
あなたの街のどこかのアトリエ、かもすハウス。
今日も気ままな音楽にのせて、よもやま談義に花が咲いています。
気になる話題が聞こえてきたら、どうぞふらりとお立ち寄りを。
今日は、政治の話を‐‐‐
どよどよ‐‐‐
しようかなと思ってるんですけど、
たぶん、なんか政治の話って言って、みんなが思い浮かべるような政治の話ではないんじゃないかなと思うんだけど、
一番最初かな、自己紹介的な話をとったときに、
そこでもちょっと軽くしゃべってると思うんだけど、
大きな政治の話というよりは、個人的なその政治との接点とか、
原体験みたいな、どこでこうそういうのを考え始めるようになったかみたいなところが、
たぶん一般的な日本の人とはなんか違うところで、結構自分はインプットしてきているので、
なんかその話をしてみるのも面白いかなと思って。
うんうん、いいんじゃない?
で、はい、しゃべろうと思います。
お願いします。
結論から言うと、中学年ぐらいかな、小学校のときに、
結構頻繁に国会議事堂に通っていて、
なんか話してくれたね、そういう話を。
で、もちろんその一人でじゃなくてね、親に連れられてというか、親についていくみたいな感じで、
行っている時期があって、
そのときって、もちろん長野に住んでたんですね。
そうそう、長野から行ってた。
へー、通ってたんやね、じゃあ。
通ってたってほど頻度ではないけど、年に何回か行ってたのかな、たぶん、だと思うんだけど、
なんで行ってたかっていうと、そのときにその両親が、有事法制っていう、
日本が外国から攻め込まれたときに、
どのぐらい市民の行動を制限していいのかとか、なんかそういう話。
有事の事態に関する法制ってことね。
そういうことね。
そういうのの議論がされている時期で、
両親がそれに対して問題があるんじゃないかと、その法律の作られ方が、っていうのを感じて、
かなり個人的な動機で、国会の議員さんとかに働きかけをするっていうことを、
活動をその時期に始めたんでね、その数年間やってたんでね。
それはじゃあ、なんかのコミュニティに属してとかではなくて、
家族でやってたの?
そうなんだよね。だから、もちろん議員さんとか、そういうね、つながりは、
地域の議員さんとか?
そうそう、地域もそうだし、国会の方の議員さんとか、もともとその活動している、そういう団体があるから、
そういう人たちとのつながりは、持ちつつだと思うんだけど、
基本的には、個人プレイというか、個人活動としてやっている、みたいなことをしてたんだよね。
なるほどね。
で、まあ、うちがね、もともと自営業だから、自分の都合で動きやすかったから、
そういうことも可能というか、やりやすかったっていうのもあるんだけど、
で、まあ、両親はそういうことをやってて、で、両親がそういうことをしてるから、自分も、ちょっと面白そうだなっていう。
だから、その時に、両親がやっていることを、すべて理解しているわけではないけど、
単純に面白そう、みたいなのもあって。
じゃあ、子供たちも前向きだったよね。
そうそう。
いやいやついてくとかじゃなくて、
連れて行かれてたというよりは、なんか、自習社会見学みたいな感じで行ってたんでね。
学校より楽しいみたいな。
そうそう、なんか、学校のその先の見える勉強よりも、
実際に大人の社会をちょっと覗いてくるのが、単純に楽しかったというか、自分の感覚としては。
それはわからいでもないな。
でも、その時の、小学校の校長先生も結構、割と柔軟な人で、
なんか、帰ってきてから、じゃあそれについて、レポート書いたら、休んでもいいよ、みたいな感じの話をしてくれたりしてて。
柔軟な方ですよね。
そうだね。だから、まあ、なんていうか、自主的に、こう、許可を得て、通っている時期があったと。
その時の話を、今日はしようと思います。
傍聴のすすめ
いいね。
で、なんか、今日のこの話を、なんでしようかと思ったかっていうのを、一つとしては、
なんか、今、日本で普通に、なんていうかな、育つと、
あんまり、やっぱり、政治との接点みたいなのが、よくわからなくなりやすいなと思うんだよね。
そうだね。
なんか、その話をする機会が、そもそも、なんていうかな、フラットに話す機会がない、政治について。
いや、ほんとそうですよね。
だし、まあ、そうやってね、その、例えばデモとか、そういう直接的に、こう、働きかける、
議員さんと話をする、みたいなこととかも、なんか、あんまりその、気軽にやる人は少ないというか、
まあ、そんなに気軽にできるもんではないけど、
なんていうかな、生活とは、あまり、こう、地続きで考え、イメージしづらいみたいなのがあるじゃんね。
なんか、なんなら、ちょっと関わってはいけないみたいなオーダーすら感じるけど、生きしみには。
なぜか、ちょっとアウトサイダー感が出ちゃうというか。
で、まあ、なんか、それが、自分にとっては、わりとそこが、こう、そういう感覚がなくて、
もうちょっと、日常の中で、そういうことが起きていたので、
なるほどね。
なんか、その感覚が、たぶん、しゃべっただけでは伝わらないと思うんだけど、
まあ、そういう経験をしている人もいるよっていうだけでも。
それは、日本では珍しい方かもね。
日本で、そういう経験をしている人が、たぶん、めちゃくちゃ少ないので、
なんかね、しゃべってみてもいいかなという。
おー、いいですね。
はい。で、まず、なんかその、でも、興味ある人は、それなりにいると思うんだよね、その政治について。
で、結構、おすすめしたいのは、その傍聴に行く、行ってみるっていうのは、
国会?
そうそう、国会の、行ってみるっていうのは、結構、やっぱり、なんていうかな、体験として、面白いと思うんだよね。
国会って、あれ?たまにテレビで、国会中に政治家が寝ているみたいな。
そうそう、あのね。
ああいうシーンだっけ?よく覚えてるけど。
すごい、おごそかな、会議場みたいな、議会があってっていう、
あそこは、当然、その、権利として、見に行くことができるわけね、その会議しているときは。
それさ、知らなかったですよ。傍聴できるんですね。裁判とかできるのが知ってるけど。
そっかそっか、まあ、そうそう。だから、国会まで行かなくても、市の議会とか、
そのね、そういう、こう、政治的な議会は基本的に傍聴ができるのが、
まあ、そらそか。
前提になっている。
そうだよね。密室じゃダメだよ。
そうそう。
確かに。
で、まあ、その、国会の傍聴っていうのは、たぶん一番、なんていうかな、分かりやすい。
うん。
あの、知ってる人も出てくるし、なんかその、テレビとかで見るような。
それこそ、首相とかも結構すぐ目の前でしゃべってたりするわけだよ。
そっかそっか。
だからその、たぶんその、身体的な距離感が、そこでできるっていうのは、結構大事なんだろうなと思うんでね。
そう思う。
テレビの画面越しに見ているものと、実際自分でその、行ってそこの空気感みたいな感じて、
っていうのでは、全然違うなと思っていて。
そら、そうやな。
で、特に自分はその、子供の時に行ってたので、
やっぱそこの経験、なんていうかな、その時に得た感覚みたいなのは、結構強いなって、今になって思っている。
なので、とりあえずなんか傍聴は、みんな一回行ったほうがいいんじゃないかなって、本当は思っているんだけど。
入場のルールと影響
政治の話をする前にね。
なるほどね。
で、その時もだから、子供の時も傍聴には行ってたんだけど、
もう20年前の話だから、今どうなっているかわかんないんだけど、
その時は、10歳以上じゃないと入れないっていう原則。
そうなんや。
そういうルールになってて。
で、ちょうどその行ってた時が、9歳から10歳ぐらいの時期だったんで、なんか最初入れなかったんだよね。
そうか、そうか。
だからその、なんか入口まではついてって、見送って、ちょっと待ってるみたいな。
そうなんだ。
その、両親が傍聴している間待ってるみたいな感じのことをしてたんだけど、
なんかたぶんその待ってる間に、受付みたいなとこにそのルールが書いてあるんだけど、
それを暇だから読んでて、
で、そしたら、よくよく読んだら、原則は10歳以上じゃないと入れないんだけど、
逆に、10歳以下で入りたい場合は、議長の許可があれば入れるみたいな例外が書いてあったんだよ。
それを目指すとき、自分は見つけて、
すごい救済児やな。
で、それを書いてあるのを発見して、
で、国会の傍聴はたぶん議員さんを通して申請して、
別にそれで落とされるとかそういうことはないんだけど、議員さんを通して申し込まないといけないんだよね。
だから議員さんもその10歳以上じゃないと入れないよみたいなことを言われてたわけね。
なんだけど、なんかそれを言ったら議員さんもその仕組みをあんまり把握しなかったみたいで、
そうなんだみたいなことになって、
で、その手続きの仕方をなんか調べてもらって、やったら普通に入れるようになって、
なるほどね。あるよね。
そうそう。意外とその大人が把握しなかったというか、
10歳以下で子供が入りたがるっていうことがたぶんそもそも、
そんなになかったなと。
ので、そんなこともあって入りましたと。
途中からね。
途中から入れるようになって。
そんな感じだから、そもそも子供が来て見に傍聴しに来るっていうことも、
かなり、なんていうか、レアなわけで。
そうやるな。
すごい、なんていうかな、傍聴って基本的には会議に影響を与えてはいけないから、
矢字飛ばしたりとか、拍手とかもしちゃダメなんで。
賛否をそこで言ってしまうと、投票して選ばれた人さんが話し合ってるところで、
傍聴の重要性
違う力が加わってしまうっていうのは、民主制度としては平等ではなくなっちゃうので。
それはよくないね。スポーツ観戦とは違うんだから。
だから、ただ見るという、監視するというかね、役割だけなんだけど、
でもやっぱりその子供という存在は、その存在だけでちょっと影響力が出ちゃうっていうのがあって。
そうやるな。知恵学院戦って嫌やわ。
嫌なのかわかんないけど、少なくともなんか、いつもの調子とは違う感じになるじゃんね。
その子供に見られてるっていう。
ドキドキする、なんか。
だから、やっぱりなんかその傍聴に行くの、さっき言った方がいいっていうのって、
こっちの見る側の経験としてもそうなんだけど、向こうの議員席に座っている人たちの感覚からしても、
いつもと違うタイプの人たちがいっぱい傍聴に来るっていうのは、やっぱりそれだけ見られてるんだなっていうこととか、
自分の決めること、自分たちが決めていることにすごい注目があるんだなっていうことがわかる。
こういう人たちが注目してるんだっていうことがわかるから、
結構、それって地味にでかいんだよね。
その場での議論には直接影響ないかもしれないけど、
なんかその時に決めたことが、あれでよかったんかなみたいなことを後で思い返すみたいなこととかに多分つながるので、
そういう意味でもね、傍聴はいろんな人が行ったほうがいいなっていう。
議員との対話
で、その傍聴している中で、結構印象的な出来事が一個あって、
そのさっきの有事法制のメイン法律かな、いくつかの法律がセットになっているものなんだけど、
のを見に行った時に、その両方の賛成派の人と反対派の人、議員さんが始まる前に自分のとこに声をかけに来たんだよね。
その議員さんから声かけるのは別にいいのかな、なんかそこらへんちょっとわかんないんだけど、なんか軽く話に来て。
議員さんとしても山場なので、それを子供が見に来てるっていうので、なんか声かけといたほうがいいかなって思ったのかな、わかんないけど。
で、反対派の人は、ベテランのおじいちゃんの議員さんだったと思うんだけど、
その人は戦時中の経験とかもあったので、そこの法律が通って、こういうことに自分の経験したようなことが起きてほしくないから、
多分これ通っちゃうけど、でも自分の使命は、自分の経験をもとに何がダメなのかを伝えるってことだから、今日はそれをしゃべりますみたいなことを言って戻って行って。
で、もう一人、その賛成派の人も来て、その人はその人で、この法律が使われてはいけない法律だと自分は思っているけど、
でも万が一があるから必要だと、その法律を作っておく必要があると自分は思うから、賛成しますと。
でも、もしそれが間違ってると思ったら、また教えに来てねっていうふうに言って帰ってたね、その人はね。
で、なんか、そこで思ったのは、結局最終的に決めてるのは人間なんだなということがまず思ったわけよね。
そうだね。
だから賛成反対でどっちかにあげるしかないんだけど、その人なりにやっぱり葛藤はしていたりするわけで、
そうやって傍聴すると、直接しゃべるまでいかないにしても、そこの距離感みたいなのが確実に縮まるのはあると思うので、
それは自分にとって大きかったなと。
そうだね、確かになんかテレビで見ているだけでは、政治家の人の思いとかまではやっぱり伝わってこないというか、
その人がね、やろうとしている目標達成はわかるけど、なぜそう思うのかとかね、そこには感情があるわけじゃないですか、経験とか記憶が。
それは見えないもんよね。
そうそう。
当然だけどあるんですよね。
なんかね、どうしてもあそこに座っている姿を見ているだけだと、単純に頭数の一人、男性しか見えないんだけど、
やっぱりね、そのやってる人はそれなりに思いがあって、そこまで議員になるっていうところまで、それなりの努力とかはしてるわけで。
だから、やっぱりね、そこに対して自分がじゃあどう向き合うのかみたいなことを考えると、
なんかできることっていうのがもうちょっと広がる気はするよね。
投票っていうだけではなくて、他のアプローチもあるんじゃないかっていう。
確かに。
考えやすくなってくる。
本当だね。
特に若い女性とかあるあるだと思うけど、おじさんは人間じゃないと思ってる人だからね。
おじさんは若い女子を人間だと思ってない節があるけどね。
属性が違いすぎてね、実感がわからないということもあるよね。
音楽とかでもさ、やっぱりその録音された音源を聞くのと、ライブでそのアーティストの演奏を直に体験するのって全然違うじゃん。
感覚としては全くそれと同じ。
じっくりと音源を聞き込むことで理解できることももちろんあるんだけど、
ライブで体験しないと、わからないそのアーティストの存在感みたいなこととかっていうのがあって、
それがやっぱり、そういう国を動かす法律とかっていうことでも同じことが起きているっていうことが、
なんか普通に学校の勉強で教わっているだけでは全然わからないところ。
なんか仕組みとしてはわかるけどさ、国会が法律を作ってみたいなね。
そうだね。
理屈としては教わるけど、法律ってこういうふうにして決まるんだ、みたいな。
人間が作ってるんだ、みたいなことが当然なんだけど、なんかわかってないわけだよね。
そうね、そうね。
実際には。
いや、わかりますよ。
そもそも政治っていう国会って仕組み自体が悪性にならないように、悪いことが起こらないように理性で組み立てられてるわけじゃないですか。
それに従って、沿って、その法律が決まっていくわけだけど、
でもその理性で守るとか守ってるけど、基本はその人間っていう感情がある人たちが行ってるわけだからね。
だから、シンプルに言うと、今の日本の国会は大半がそのおじさんの感情で動いてるっていう。
やだー。
だから別に、なんかそのね、
今のまとめやだー。
おじさんが頑張るのは、それはそれでいいんだけど、おじさんのね、そのおじさんなりにやりたいことがある。
めっちゃおじさん言うよ。
だけど、やっぱりその、そうやって実際見に行くと、やっぱりその異様だよね。
特定の属性のおじさんだけが、そういう人たちの感情だけで、いろいろなことが決まっちゃうっていうことが、感覚として異様な感じがすると思うんだよね。
そうですね。そうだと思います。
じさんだけじゃないはずだからね、この世界にいるのは。
そう考えると、やっぱりなんか、シンプルにそういう構成が偏ってることの異様さとかは、
なんかね、数字とかで見るよりも、もしかしたら、直感としてわかるんじゃないかみたいなのもあるかな。
議員さんになりたいタイプの人が、こういうキャラクターの人が偏りがちとかはまだわかるけど、
そういう、なんていうの、カテゴリー?この年代の、この性別の、こういう髪型した、みたいな人たちだけが偏ってるっていう、なんか変な感じですよね。
もっといろいろいるはずだよね、本当は。政治に向いてる人って、いろんなカテゴリーの人がいるはずなもんね。
あとは、なるべく、なんか先入観のないうちに見に行ったほうがいいんだろうなっていう気もする。
そうですか。もう30個してしまい、間に合いますかね。
だから、大人になってから行くとしたら、なるべくそこを意識的に外して見たほうがいいんじゃないかなっていう。
やっぱ先入観があると、〇〇党の〇〇さんが喋ってるみたいな、そこを見ちゃうわけだ。
でもなんか、その全体の場の雰囲気みたいなのを感じるためには、なんかそういうことではなくて、
どういうダイナミズムで、こう、法律が決定されちゃうのかみたいなことを単純に感じるみたいなほうが重要で、
なるほど。
なんかそのために行くっていうのはいいかなと思う。
じゃあいいかも。
たぶん小学生ぐらいの知識と教養しかないので、自分は。
そう、だからそうだね。政治苦手と思ってる人ほど、逆に行くと面白いかもしれない。
そうかもしれない。
話が脱線しかかってるけど。
そもそもだから、そのね、両親がそうやって国会に行っていて、ついていて、傍聴とかもしていましたと。
傍聴以外に何をしていたかっていうと、議員さんの事務所がその国会、そもそもその国会議事堂っていうのが、
表と裏が当然だけどあって、表がよく写真でこう見る表側だよね。
知ってるよ、さすがに。
裏も別に形としてはそんなに変わんないんだけど、
そうなんだ。
その国会の裏手に議員会館っていうのがあって、
要するにそれは国会議員の人の事務所が集まってるオフィスビルみたいなのが立ってるわけね。
基本的にその議会の開催中は議員さんそこに通って仕事をしていると。
で、秘書の人とかもそこにいてみたいな感じだよね。
で、そこ、そっちに訪ねていくっていうことも当然誰でもやろうと思えばできることである。
なんで、そこもその議員会館に入るための手続きをして、
その時何やってたのかはっきり覚えてるわけではないんだけど、
多分その手紙を渡したりとか喋ったりとか。
そういうシーンは、のほうが見たことあるかな、テレビとかで。
それはだから結構、団体に所属してやってる人は結構いるんだけど、
個人で慈悲で、東京に出てきてそれをやるっていうのは相当レアだったみたいで。
しかも子供連れで来たりするから。
印象残るね。
結構なんか驚かれていたけど。
で、やっぱりそっちも普段子供なんか絶対に入らないような建物だから、
子供の存在が全然ないような建物だから、
反対意見の議員さんのところ行っても、
なんだなんだみたいな。
子供来たぞみたいな。
いくつ?お菓子食べる?みたいな。
で、やっぱり実際お菓子とかもらう。
あ、もらうんだ。
で、そこでも喋ってくれたりするわけで、
おじさんはね、こういう考えでやってるんだよみたいな話とかをしてくれたりすると。
国会でのデモ活動の観察
それはそれで面白かったんだけど、
あともう一個、国会の裏側の特徴としては、
そっち側がわりとデモ活動とか、
抗議活動みたいなことをしている人の定位置になっているんだよね。
で、そこに定期的に通って、
やっぱりそこでも個人的に通ってきてやってる人と、
団体としてデモをしに来たりとかしている人とか、
いろんな人がそこにいるんだよね。
単純にそこにいる人たちがみんな、
一致団結して何か反対しているとか、そういうわけではなくて、
それぞれの目的で来て、
多分、国会議事堂と議員会館の間の歩道みたいなところ。
なので、議員さんの目にも触れやすいっていうこともあって、
わりと定位置になっているんだと思うんだけど。
で、そうだね。
それもね、だからどれだけそれに意味があるのかみたいな話もあるけど、
デモとかね、することって。
さっきの傍聴したりとかすると、
やっぱり議員さんにも当然感情とか思いがあるから、
そこでやっぱり効果的なタイミングで、
効果的な何かメッセージみたいなのを伝えるということに、
やっぱり結構意味があると思うし、
あと、何というか参加することに意義があるみたいな部分もあるよね、やっぱりね。
そこで、自分の主張を伝える場っていうのが、
投票以外の形で表に出て何かを見せたりとか言ったりするみたいなこと自体が、
自分に返ってくるみたいな効果はやっぱあるんだろうなと思う。
個人の影響力と集団意識
だから、表現なんだね。それも一つね。
そうそう。物作ってる人だったらわりとわかると思うんだけどね。
表現するっていうこと自体に意味があるっていうこと。
確かに自分に返ってきますね。
そうやって個人で通ってたんで、
やっぱりそういう個人的な自分の気持ちで通っているタイプの人たちと、
だんだんちょっと仲良くなるというかしてきて、
わりと頻繁に会っていた人は、一人はお坊さん。
お坊さん。お寺のお坊さん。
お坊さんなんだけど、お寺に所属するというよりは、
そうやって歩いて回ったりとか、そういう活動をしている。
わりとだから、政治的なところにも積極的に行くタイプの活動をしているお坊さん。
お坊さんがある意味そういう活動のベテランみたいな感じなんでね、その人は。
おるのね、どこにもベテランが。
ベテランがいて、そこら辺の国会の裏側の事情が結構、裏側っていうのは物理的なね、その裏側。
物理的療法かもしれないけど、裏事情みたいなのが結構よくわかっていて、
あそこに座ってると警察の人に言われるんで、こっちに座ってくださいみたいなことが。
あるよね。
この園籍から出るとダメなんですよ、みたいなことが。
やっぱそういう暗黙のルールみたいなのがあるんでね。
だからそういうのを教えてくれたりとか、
あとはそうだね、さっきの議員さんにお土産もらってきたら、
今日は何もらったんだ?
何もらったんだ?
一個ちょうだい、みたいな話をしたりとか。
軽いな。
そんな感じなんだけど、
でも、その中でちょっと、ある時に行った時に、
障害者の団体の抗議活動みたいなのやってて、
今日もなんかやってるな、みたいな。
で、見てたら、ほら、あの人見ててみ?って言って、
そのお坊さんがね、あの人ちょっと怪しいよって言って。
で、何が怪しいのかなと思ったら、
デモの先頭で、ここから先来ないでくださいみたいなのがあって、
そこを先に行こうとすると、警察の人とかが寄ってきて、
ちょっとここまでにしてくださいみたいな感じになるわけね。
で、警察の人は別にデモの内容に何か反対してるとかではないけど、
その仕事としてここで止めなきゃいけないみたいなのがあるから、
止めているわけね。
で、デモ隊の人が入り込んじゃってると、
やっぱ邪魔されてるというふうに感じて、
感情的になるわけね、それで。
そうだね。
で、それで、なんだお前は?みたいな感じになったりするわけ。
そこでつばじり合いみたいなのが起きるわけね。
で、大事なのは警官の人に絶対触っちゃダメなんだよ。
触ると、その業務妨害みたいな、犯罪というかな、アウトになっちゃうわけね。
だから、口で何か言ってる分にはまあいいんだけど、
何かバシッて触れた時に、あ、触れましたねっていうことで、
連れてかれちゃうみたいなことが起きるわけね。
で、それで、そのお坊さんの言ってた、その怪しいよって言ってた人は、
その先頭に立って、めちゃくちゃその威勢よくそういう警官の人に、
いろいろなんていうかな、罵声を浴びせてるみたいな感じなんだよね。
で、煽ってるわけ。
だから、一番何か積極的な感じに見えるんだけど、
結局、それが何でそれをやってるかっていうと、
どうも、そのデモ隊のやっていることを逆に邪魔するために、
その人が送り込まれてるんだと。
えー、そうなんだ。
だから、よく見ててみって言って、見てたら確かに、その人は絶対に警察の人に触れないわけね。
で、それに乗せられて、結局、感情的になっちゃった人たちが、
警官の人に、そうやって掴みかかったりとかして、連れてかれちゃうと。
2番手、3番手の人たちが。
で、そうすると、その活動している人たちが、
暴力的だとか、感情的になりやすいみたいなふうに、
全体としては見えるわけだよね。
でも、その人は結局、一番先頭ですごい頑張っているふうに見えて、
実は、そっちに誘導して、スッと引いていっちゃうみたいな役割をしている人なんだよ、みたいな話をしてて、
確かに見てたら、そういうふうにするわけよね。
肩から見てて、わかんないね、そのお坊さん。
なんか、基本、人間観察してるんだよね、そこら辺の。
だから、やっぱ、たぶん、その同じ人が、違う団体に、でも同じことをやってるみたいなのを、たぶん見ているんだと思うんだけど。
実際、その人がどうなのかっていうのまでは、わかんないんだけど、
確かに、何か言ってるような感じに、その場でなってて、
だから、そういう活動に対しての見え方みたいなのも、結構わかんないっていうところ。
なんか、パッと見て、わかるものでもないっていうのもあるんだよね。
やだよね。私、なんか、そういうの一番嫌なんですよね。
集団が持つ力みたいなもの。
もちろん、それがいい方向に働くときもある。
最近、LGBTQのリモコレとかも、すごい勢いを感じるじゃないですか。
みんなが関心を持っているっていうのが、誰が見てもすぐわかるし、
そして、それに乗っかりやすい、ちょっと関心がある人が、
あ、興味持っていいんだ、もっと関心持っていいんだ、みたいな、主張していいんだ、みたいなふうに思える。
そういう良さもあるけど、チャックみたいなね、操作されている。
集団意識をかじ取りされて、本意ではないことをしてしまう。
本意ではない方向に行っちゃうって、やだ、すごいやだ。
そうだね。集団になることで、そういうふうに誘導されやすくなっちゃう部分も、やっぱあるなぁとは思うね。
だから、なんか、さっきの傍聴のときの話もそうだけど、
必ずしも大人数で集団になっているから、効果があるわけでもないんだよね。
結局、見慣れちゃうとさ、意味がないわけだよね、議員さんにとっては。
もうそうやった。
やはりなんか、なんでこの人がここにいるの?みたいな方が印象に残ったりすることもあるわけで、
だから、個人の活動の方が力が弱いかというと、別にそうでもないという、
特に感情的な部分とかっていう意味では、人数で大きく変わるわけではないという。
それは、でもちょっと救いがある話だね。
なんかさ、投票率が低いって、日本でずっと問題になっているじゃないですか、特に若い人が。
あれって政治に関心がないから、みたいな一言でくくられることが多いけど、
私が若いときに投票しなかったこととかもあって、
でもそのときの感覚を分析すると、影響を与えるのがまず怖いと思ってたんですよね。
自分の一票が確実に影響があるのっていうのがわかるからこそ、むやみに選べなかったし、
影響を与えるのが怖いと思うのは、逆に普段、影響力がないと思っているからなんですよ。
自分は他人に何か影響を与える力がないって、若いし、かつ女性だったりとか、
自分のルーツとかもあって、そう思っているから、急に自信がないんですよね。
でもその状態って、とても貧しいと思うし、
だから逆に集団に入って影響力を与えようとか、
何か自分に金星をつけてから与えようみたいに思っちゃう人もいると思うんだけど、
今のその話、個人が個人の議員さんに一人と一人で影響を与えることができる。
自分も感じられるし、その人に何か感じてもらうことができるのかもって思えると、
すごくなんか、今まん延している政治の遠さみたいなものが、ぐっと近づくような気がしますね。
自己効力感の重要性
あと、私の場合は関心が持てないみたいな結果にいったけど、
男性で多いのは文句ばっかり言ってるとかね。
そうだね。その自分で影響が与えられないって思ってると、
何か言葉がどんどん強くなっちゃうみたいなことはあるよね。
近場の人に愚痴って、ちょっとその場で解消しちゃうみたいな。
それもあんまりね、良くないな。
それはネガティブな表現かなと思うんだよね。
だから、最初の傍聴の話もそうだし、デモの話とか、
そういうのを経験したことで、やっぱり自分の中では、
自分がそういう影響を与えうる存在だということが、
すごい実感を持って感じられているという状態になってるなって思うんでね。
なんかあれだよね、たぶん心理学的に言うと、
その自己効力感みたいなことだと思うんだよね。
自分が影響を与える存在だっていうことが、やっぱり感じられる。
そうだね。
政治と個人の感情
なんか、今日はどんな話になるのかなと思ってたけど、
意外とこう容所容所でジーンとくる話でしたね。
なんかだから、政治の話ってどうしてもでっかくなっちゃうけど、
結局は、一人の人間がどう感じて何をするか、何を表現するかみたいなことの
連鎖反応みたいなことなんだということがわかれば、
別に他のその社会的な活動と何にも変わりがなくて、
ほんとそうですよね。
というか、それの集大成として法律みたいな形になっちゃうわけだから、
やっぱりなんかその、結構日常的なそういう人との関わり方みたいなのが、
そもそもそこから始まっているということでもあるなぁとも思うよね。
なるほどね。
きっと今日聞いてくれてる人は、
モテさんが持ってる謎の自信の由来みたいなのかな。
ああ、そういうところからみたいな、わかったと思うし、
逆に、なんか私は今聞いててすごい思ったけど、
なんでジムが自信ないのかみたいなところ、
その自己効力感の低さは、やっぱそのように扱われてきたからっていうのもあるし、
そしてそれを受け入れてきた。
権利がない、権利影響力がないみたいなことを受け入れてきてしまったからなんだなぁって、
ちょっとこう痛いとこつかれたなぁみたいな振り返りもできて、
でも気づけたから、次からは選べばいいだけだとも思うので、
なんか良かったなぁって思いました。
なんかやっぱ自分がそういう効力感を得られる体験を自分で選んだりとか、
そういう環境に身を置くというね、
やり方がわかっているかどうかみたいな話だったりする、
なんかその傍聴の仕方がわかるとかさ、
結構そういう具体的なところだったりもするのかなと思ったり。
でもそう、この話は本当になんていうかな、
喋る機会が全然ないから。
ないよね。
自分で設定しないとやっぱ喋れないね。
確かに確かに、攻めてきますね。
攻めてきますか。
いや、わかんないけど、私が聞いているポッドキャスト番組の中で、
政治について触れた話は初めてですね、初めて聞きました。
それをでもあくまで個人体験として喋っているのがいいと思います。
特に何党が何とか話は全くしてないから。
してないから。
じゃあ今日はそんなところで。
いいですか。
今日も聞いていただきありがとうございました。
ありがとうございます。
カモスパウスのじおともてらと、
小澤みるきでした。
43:06

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