私はおじいさんの逆というか、自分の声に関してはむしろ自己肯定感が上がるかなと思って、
でも多分進行してたら、そっちの拙さでネガティブバージョンになるような気はします。
そうだね。録音してみたら声が思ってたのと違うみたいなのもあるけど、
それは結構慣れてきてて、自分の録音した声っていうのがなんとなく把握はできてるんで、
そこはそんなにギャップにはならなかったんだけど、
多分やっぱりしゃべりの部分だろうね。間が変だなとか、
口癖みたいなのとかもすごい意識しちゃうじゃん。
なんか繰り返して聞いてると、そういうことだと思う。
でもそうですね、感想とかもらってみて、
やっぱり音声メディアの独特の距離感みたいなのは面白いなっていうのも改めて思って、
音と映像の違いで結構重なりやすさみたいなのもあって、
音はよくも悪くも重なっちゃう。
流れている音楽としゃべってる声とかが勝手に重なっちゃうわけ。
だから音だけで聞こえてくるもののほうが、
やっぱりなんか聞いてる人の時間の中に重なったものとして感じられていて、
映像はやっぱりなんかその、どこかで撮影されているものを見ているっていう、
なんかどこかに一線引いている。
確かに。
そういう心理状態が生まれやすいのはあるんだろうなと思ったり。
だからこそ今回のその音楽作ってもらったのも、
やっぱりよかったなと思ったんですよね。
聞いてみて。
これがなんか、ただ借りてきた音だと、借りてきた世界観がその印象を決定づけてしまうっていうところで、
ちゃんとこのコンセプトから作ってもらった音が乗っかってるっていうのが、
すごいでかいなと思いました。
それで、前回作ってくれたアーティストの人の名前を、
アローコとか間違えて読み上げてしまっていたので、
紹介し直しますね。
最初のオープニングとまたエンディングにも使っているこのテーマ曲の作者さんは、
ヤギエイミーと静かな実験っていう名前で活動されています。
バカ?
よく考えてみたら、その英語の名前はエイミーって書いてあって、
そうだよなと思って。
そういうことで、概要欄でリンクをつけてて、
そこでその公開している音楽聞けるようになってるので、
ぜひそちらも聞いてもらいたいなと思います。
じゃあ、今日は進行のバトンを私が受け取って、
もとえさんの文化、おいたちを教えてもらおうかと思っておりますが、
もともと、ノートっていうブログサイトみたいなところで、
結構前に書いた記事を元にしてしゃべるっていうような形ですね。
古い記事なんで、ちょっと見られると恥ずかしいかなと。
改めてちょっとそこから取り上げて、
これをしゃべりながら対比として、
同じぐらいの時期のゆきさん何してたかみたいなのと、
しゃべれたらお互いのことが伝わるのかなと思ってます。
もとえさんは埼玉生まれなんですね。
そうですね。
いくつぐらいまで、なんかすごい長野の人ってイメージがやっぱあるけどね。
2歳ぐらいだったのかな、多分。
長野に移ってきたのかね。
なんでも、ほぼ育ちは長野なので、
埼玉のことを別にそんなに知ってるわけではなくて、
本当に生まれた地元、両親が同じ町の生まれだったので、
そこに里帰りで帰った時の記憶、
その周辺の記憶だけですね、埼玉で覚えてるっていうのはね。
でも両親が2人とも埼玉っていうのは、
やっぱ結構いろいろ受け継ぎますよね。
そうね。
やっぱり、引っ越してきたとはいっても、
話題に上がるのは、前住んでたところの知り合いだったり、友達だったりっていうのもあるし、
特に最初の頃はね。
やっぱ里帰りっていうイベントごとで、
結構印象に、子供の頃残りやすいところで行ってるので、
むしろ子供の時の記憶、楽しかったことの記憶っていうのは結構埼玉の比重も高いので、
感覚としては半々ぐらいな感じがするんですね。
私は関西の滋賀県生まれで、
でも母が大阪の人やから、
父は地元の人やけど、
やっぱ半分ぐらいは移住者みたいな気持ちがどっかでありましたね。
埼玉って言っても、結構その田舎の方の埼玉なので、
学校も都会には出てないので、
なんか都会暮らしのその感覚っていうのは、ほぼ自分の中にはない。
なんかその点で言うと、るきさんの方が京都が近かったりするから、
もう少しその大都会ではないけど。
そうだね、でも私は滋賀京都に行って、
もとやさんと出会ってからこっちに移住してきたんですけど、
やっぱり東京が近いっていうこと、
その東京に足を運べるっていう、
あの都会を味わえるっていうのは、
結局その私が地方都市に2、3年住んでいたっていうことに、
同じようなことだなと思いました。
たしかに、ならしたら同じぐらいの感覚。
そんな感じ。
そういう意味では、2人とも住む場所の好みはわりと近いんだろうね。
ルーツになっているようなところは田舎で、
でもその都会的なものもある程度定期的に接種しているみたいな。
そうですね。
そんなもとやさんですが、お家には、
これどういうことだろう。
NHKしか映らないテレビがあったんですか?
あれね、なんなんだろう。
不思議ですね、今考えると。
チャンネルがなかったってこと?
なんかアンテナの関係だよね。
そのNHKしか映らなかったんですよ。
テレビ、アンテナの関係で。
民放はほぼ見てない。
物理的に見れなかったんですね。
田舎で友達の家とかも何キロか先にあるみたいな感じだったので、
自分で友達の家に遊びに行ったりとかあんまりしてなかったから、
もう完全にそういう状況。
なんかそれが成り立ったのは、両親の文化度の高さがある気がしますね。
家の中で…
退屈しないっていう。
家の中でって子供が…家族が退屈しないでいい豊かさが両親が持ってたんじゃないかなって。
多分両親がそんなにテレビをそもそも見たいって思ってなかったし、
だからそんなにそこに投資してないというか、こだわってなくて。
で、その代わりに本とかはだいたい欲しければ買ってくれるみたいな、
なんとなくそのルールがある。
本に関してはそんなに制限ないっていうようなとかはありました。
この資料にも書いてあるけど、
お母さんが糸操り人形の劇団に若い頃入っていたとか、
お父さんがなぜかフランス語がしゃべれるとか。
そうですね。
なんかね、そういうのがすごいミックスされてるのはすごく感じますね。
大人になってみると、けっこうそうじゃない家もいっぱいあるっていうのも、
当然なんだけど、自分が当たり前だと思っていたものを全然触れないで、
大人になった人もたくさんいるっていうのがわかってきたら、
けっこうそういう意味では自分は恵まれてたんだなっていうのがわかったり。
そうね、うちはそこまで文化度が高い家ではなかったけど、
でもやっぱり母が絵を描いてて、美大に行ってて、
それこそそうだね、絵はいくらでも描いていいっていう環境でしたね。
そうだよね、だからそういうところが何に対して許されていて、何が制限されているかみたいなので、
けっこうやっぱり価値観変わってくるよね。
それこそテレビはね、ずっと流しっぱなしの家とかもあるわけだよね、普通に。
そのお父さんとお母さんは、今もそうだけどパン屋さんですよね?昔から?
ここももう一つ自分の中では、けっこう家庭環境として大きな違いだよなと思うのは、
両親が自営業っていうのが、自営業の家に生まれた人は、なんとなく共通している感覚だと思うんだけど、
サラリーマンの、一般的にサラリーマンとしてやってきている家庭で生まれてるのとは、前提が全く違うところがあって、
けっこうこれ大人になってから人としゃべるときに、違いを感じやすいところだなと思いますね。
で、両親はパン屋をずっとやってたわけじゃなくて、
もともとはなんていうか、本当に母親が劇団を若いときやってたのをやめて、地元帰ってきて、
父親のほうもバックパッカーみたいにして、世界をいろいろうろうろしてて、帰ってきたみたいな感じで、そこでタイミングで出会ってて、
すごい出会いだね。お互い小学校の同級生だけど、いいものを。
同級生が、いろいろ経験した上でまた出会って、それで一緒に結婚してやっていくってなったときに、
お互いやっぱり就職するっていうルートは選びたくなくて、とにかくできることで何かお金を稼ぐっていうのを最初やってたね。
母親はなんかその刺繍したものを売ったりとか、雑貨作って売ったりみたいなこともしてたし、
あとまあ、その頃は今よりももっと農業、農業ってことじゃないけど、畑もけっこうしっかりやってて、
母親のお兄さんが今も畑農家やってるんだけど、それもあってなんかその手伝いとかもしたりして、
で、その畑でとれたものをそのまま売ったり加工して、やったりみたいにしてるうちに、
パンもそこでその商品の中に入ってきて、で、埼玉でそのときはそういう感じでいろいろなものを売ってってことをやってて、
それがそのこっち長野に越してくるタイミングで、もっとよりこうパンに絞ってパン屋としてやるっていう形になったと。
だから自分がこう意識の中で記憶しているのは、そのやっぱパン屋になった後のことの方が多いかな。
ちなみに私ももったやさんに出会う前からパン屋でアルバイトを始めたりして、もともとだからパン屋同士で出会ったみたいな、不思議な共通性が。
パンがちょっと接点にはなってるところはありますね。
うちの親はサラリーマン。
まあまあサラリーマンも経験してるけど、自営個人店のお店とかで自分がバイトしてたから、なんとなく背景はわかるって感じだったかな。
面白いのが、出会って割とすぐの頃に、アバウトタイムを、映画のアバウトタイムをね、見てっていうか、もとやさんが先に見てたのか。
そう、一回見て、それでるきさんにもおすすめというか、一緒にまた見た。
あれがすごくね、もとやさんちを象徴するような映画ですよね。
ね、なんか不思議なんですけど、あんまりネタバレにならない程度に紹介すると、主人公がタイムトラベルができるっていう、ちょっとね、SF的な設定があって、
ただ、そのSFっぽい部分はあんまり重要ではなくて、タイムトラベルできる主人公のその青年の人生がどういうものなのかっていうことを、ただ見せられるっていうような。
で、ちょっとラブコメっぽい要素もあったりするっていうような、なんか不思議な映画なんですけど、
その主人公のなんか家庭環境というか、なんかその家族関係の雰囲気とかが、なんか最初見たときに、あれこれうちだと思って、うちじゃんと思って。
面白かったんで、まるきさんにも見てもらったんだけど、あれはなんか作った人がそういう家庭環境だったのかなとか。
そうだね、そう思わせるぐらいのリアリティーがね、あるよね。
はい、なので、ちょっと気になった人は見てみてください。
そうだね、たやさんのことを知りたくなったら、あのタイムを見れば8割があんな感じなので。
そうですね、あんな感じって言ってそうなのかって言うにはちょっと謎の映画だけどね。
でも謎の家だよね。
まあそうだね。
それも含めて。
だから、なんか映画見た後に、あれ自分ってタイムトラベルできるのかなってちょっと思ってしまう。
そうだよね。
もしかしてできるんだったのかなみたいな。
若干混乱してたよね。
そんな感じですね。
自分はあれかな、一番共感できるストーリーとしては、最近出会った漫画のザクザクロさんが書いてるエッセイが、家庭環境が似てるとかじゃないんだけど。
ザクちゃんっていう作者のキャラクターが、なんとなくね、人間関係の作り方とか。
そうね。
トラブルの抱え方みたいなものがね。
だったかな。
ザクちゃんは滋賀県生まれだしね。
そうなんですよね。
結構共通って多いですね。
多い。年齢も近いし。
漫画もおすすめです。
おすすめです。
その次に話すのが、すごくこう…モッタヤさんのアイデンティティ?
アイデンティティの一つだなと思うんだけど、おじいちゃんの職業というか、生き方がね、聞かせてもらえますか?
誰でもそうだと思うんですけど、年を減るごとに先祖というかね、の影響みたいなのを感じるようになってきてて。
で、その意味で、自分のおじいちゃん、父方のおじいちゃんがキリスト教徒だったんですよね。
で、そのキリスト教徒の中でも、日本にしかないのかな?多分日本発祥の方法で活動しているキリスト教徒で。
無教会派って呼ばれているらしいんですけど、いわゆるキリスト教ってね、その教会があって、そこに日曜日に通ってっていうようなことをね、するのが一般的なキリスト教徒っていう人のイメージだと思うけど。
おじいちゃんの場合は、その教会っていうのが、たぶんその、何だろうな、牽引主義みたいになっちゃうっていうところの問題点とかが、それを解消するために、もっと原点に戻って、
キリスト自身がやっていたみたいな、自分がそこに行って人に伝えるとか、そういう共感する人で、集会をもってやるみたいな、形のない信仰の仕方みたいなのを実践していた。
おじいちゃんが提唱したというわけではないんだけど、そこにその共感してやっていたという人だったみたいですね。
僕が生まれる前に亡くなっちゃってるので、結構その聞き伝えみたいな、そこで知っているっていうだけなんだけど、ただなんか自分が今何かをやろうってしたときに、結局なんか同じようなことをやろうとしているなっていうのを思うことが多くなってきてて。
おじいちゃんの使命を知らぬうちに受け継いでいる。
そうなのかもしれない。でもなんかそのいとことかの人でも、なんとなくそのそういうやってきたことの何か一部をそれぞれ引き継いでるんだなって思ったり感じることは結構あるので、
自分もだから多分それの何か一部を引き継いでいるのかなとか思ったりしてます。
なるほど。日本の人って自分の宗教はこれってはっきり自覚がない人が多いと思うんだけど、うちもまあ同じくで、
でも多分美術をやってたから、神様について考えることは多くて、自分にとってはそのどこに入りたいとかじゃなくて、宗教っていうもの自体が関心があったんですよね。
だからそのおていさんのおじいちゃんがもともとキリスト教だったっていうのは、他の人よりはその素養があるというか、教養があって、そこはありがたかったかな。
あんまりそこに何も考えたことないっていう感じの人だと、パートナーとしては多分自分はやりづらかった。
自分自身も信仰としてキリスト教を引き継いでは全然なくて、ただやっぱりね、そういう信仰心みたいなものがどんなものなのかっていうのは、考えざるをえないというか、やっぱりその神族の信仰を引き継いでいる人もいるので、
その人たちのその集会に子供のときに参加したりとかね、もしてたから、なんかそういうものの雰囲気っていうのも体験はしている。
なんか濃いね。
これ、私とももたやさんの一番の違いだと思うんですけど、私は若い頃は、なぜ道評に行ったほうがいいのかとかが、多分全然わかってない若者だったし、今もその延長線上にいるんですよね。
もたやさんが時々話してくれる小学校のエピソードがだから印象的だなって思うんですけど、それ聞きたいですね。
ここも家庭環境として改めて考えると変だなと思ってるんですけど、両親が結構その気になっている問題とかに対して、市民運動とかね、すごい団体を作ったりとかしてないんだけど、
本当に自分の足で国会議員さんのとこ行ったりとかするようなことをしてて、それになんか連れて行かれるというか、自分も小学校でちょっと退屈してないとかいうのがあったりして、
そういう時に、なんかサボる口実として国会に行きますみたいな。国会に行くなら、なんか社会勉強だし、いいんだろうみたいな。
確かに、先生をそれはちょっと止めにくい。
でも、校長先生もその時変わった人だったんで、じゃあレポート書けばいいよみたいなことを言ってくれたりとかして、そういうのついてったりとか。
で、だから普通はその時期にあんまり経験しないような社会との接点みたいなのが、そこでできて、いきなりなんかその国を動かしてる人たちの世界に、小学校の高学年ぐらいだと思うんですけど、
なんかそのぐらいの年齢でやっぱり、こう時間に触れてるっていうのは、勉強で知ったこととは全然違う経験。
そういう中で、法律の作られるところ、国会ってそもそもその法律を作るっていうところなわけだけど、
その時は、だからその通らないでほしい法案があって、でももう多分この状況的に通っちゃうだろうっていうような時に、そこに傍聴しに行ったんですよね、その時。
そしたら、やっぱりその子供がこう傍聴しに来るっていうのはかなり珍しいことで、
だからその議員さんもちょっとなんか緊張するというか、子供が見てるみたいな、どうしようみたいなのは、やっぱり若干プレッシャーかかるみたいで、
なんていうかな、その責任感を感じた議員さんが2人、自分のとこに始まる前に挨拶しに来て、ちょうどその賛成するっていう人と反対するっていう人がそれぞれ来たんですよね。
で、多分それは本当に自分の意思で来たっていう感じだったんだけど、
賛成する人は、この法律は使っちゃいけない法律なんだけど、もしものために用意しておかないといけないと自分は思っているから賛成するけど、でも使っちゃいけないと思っているんだという説明をして、
でもそうは言っても、自分の判断が間違っていることもあるかもしれないから、そう思った時はまた言いに来てねっていうふうに、釈明というかね、ある意味説明をしに来てくれて、
で、反対の人は、それはそれでね、自分がなんでこれを反対しなきゃいけないかっていう、防衛に関する法律だったんで、その戦争の経験からこの法律は作っちゃダメだと思っていて、
でも、たぶん通っちゃうと思うけど、でもそれでも自分の意見を言わなきゃいけないと、自分の経験したことからっていうことを言って、それで採決して、結果的にそれは成立したんだけど、
体感で、その政治との距離感とかスタンスみたいなのは、そこですごく固まった気がします。
今のが小学校の頃の体験よね。
うん。
その次にちょっと中学校に移っていこうかと思うんですけど、ここでマッキントッシュに出会ったと書いてあるはずが。
そうですね。自分たちのこの新さ世代ぐらいの人は、たぶんね、中学ぐらいでパソコンさわり始めてたり、ネットが身近になってきている時期だと思うんで、
みんなそこら辺で何かしらネットとかの経験っていうの出てくると思うんですけど、
自分の場合、知り合いの大人の人で、マック使ってる人が多くて、その中の1人からおふるのマックをもらって、それが結構初めて自分で使えるパソコンになったんですよね。
それを最初いじっていろいろ覚えたので、なんかちょっとその1つ時代が古いマッキントッシュの知識が若干身についてしまってるっていう、それはありますね。
で、それ以降、ずっとアップル製品そのまま使い続けていて、結果的にそれはなんか自分の仕事とかに役に立ったりしてるんで、良かったなと思ってますね。
アップルユーザーってやっぱり、あいつアップルユーザーって言えば、なんとなくああいうやつかなみたいなくくりができるというか。
ある程度ね、今はちょっとiPhoneでアップルがすごい拡大したので、若干そのユーザー層変わってきてるなって思うんですけど、
そうそうそう、そのiPhoneの前のアップルの感じっていうのは、やっぱ知ってる人とあまり知らない人で結構分かれるなって思いますね。
ね、そこが1つもとやさんの個性かなって感じはしますね。スタバでアップル使ってるみたいな。
反転きてね。
そこが違うんだけど、一般的なアップルユーザーとはちょっと違うんだけど、そういう分かりやすい色かなと思いますね。
そんな中学時代があって、その次に専門学校にね、行くんやけど、もとやさんが。
その話を聞いたのが、私たぶん初めて会った時にその話聞いて、それがすごくこう、だからというか、ちょっと変わってるんやなっていうのが分かりやすいエピソードでしたね。
ここまででもだいぶルートとして色々ずれてきてるんだけど、
なんかさらにね、こっから決定的にずれたのは、その中学を卒業して高校進学をしなかったんです。
で、高校進学せずに専門学校に入ってて、その専門学校で家具製作の勉強をメインにして、デザインだったり、若干美術みたいなことも知識としては学んだりしてて、
それがやっぱり今やってることにダイレクトにつながる経験だったのは確実ですよね。
で、これもその専門学校って高卒からじゃないのっていう人も多分いると思うんだけど、実際そうなんですよね。
なんか変な入り方をしてて、そこでそもそも、両親が木工をやったらいいんじゃないかっていうことを言って、
最初その技術専門学校っていう、ハローワークとかで入るところ?
ああいうところを考えてたんだけど、なんかその近場の木工やってるところがやめちゃって、
だから木工を勉強できるその学校が近くでないかっていうのを探したときに、たまたま見つかったのが、この長野の富士見っていうところ、ちょっと離れたとこなんで。
工芸専門でやってるみたいな学校だったんですね。
で、そこを見つけて、とりあえずダメ元で聞いてみようみたいなことになって。
聞いたら、私立だったので、なんかそこらへんがちょっと緩くて、
研修生っていう形で、でも実際にやることは本科生と同じことをできるように、じゃあしますっていう話で入ることができたと。
で、まあその学校自体は、なんか生徒が少なくて、卒業と同時に事実上廃校になってしまって、なんか悲しいですけどね。
でもそこでタイミングよく入れたのが、今に生きているので。
まあ環境的にはその美大に近いから、ここらへんでね、るきさんと話が通じやすいところもあったりするなと思って。
そうですね。
私は高校は一応行ってて、もう進学クラスに入って、そこでキャリアコースみたいな感じだよね。
露骨についていけない自分を物当たりにしたので、暗い3年間を送ったんですけど。
それを送ってないっていうのは、うらやましいなっていうのと、
でもその後、私も美大に行ったから、そこの楽しさを共有できるっていう2つあるかな。
私は美大に行って、一応現代美術を学びました。
ルキさんと出会ったりとかもして、
その他のアーティストの人のためにも結果的にそれはなるかもしれないなっていうのを気づいたりして、
で、どんどんなんかそっちの方向にシフトしてきているのが今って感じですかね。
その流れで今こうやってポッドキャストもやっている。
そうですね、そうそう。
じゃあ我々の出会いについても一応説明しておきますか。
そうですね、最後ね、締めというか。
だからその学校に入った、学校出て4、5年かな?
そういう感じでね、こう作家活動期があって、
そっから移行するタイミングで、
移行し始めたくらいの時期に、ちょっとまだその時はそんな方向性定まってなくて、ちょっと悩んでいて、
もっとその作家としての幅を広げるというかな、経験を増やしていこうか、
だからその時はちょっと作家を、活動のやり方を変えるっていう方向もあって、
でもそうじゃないのかもしれないなっていうのもどっかにあったんだと思うんですよね。
それで海外にそういうクラフトのやっぱり教える学校っていうのを、
なんか自分が行ってた学校のさらにグレードアップ版みたいな、より理想版みたいなのがあって、
で、そこに行ってみてもいいかもしれないって思い始めてた。
だけど、それを決める、そこに行くって決めたら、やっぱりそのルートで行くのが自分の人生になりそうだなって思って、
それでいいのかどうかが、その時点で決められなくて。
24、5とかですよね。
24歳くらい。
で、そこで、ここら辺がなんか自分の変なとこだけど、
パートナーをとりあえず探そうと思って。
いや、英談じゃないですよ。
だから、やりたいことから決めるのか、一緒にやる人から決めるのかみたいな話だと思うんですけど、これって。
で、自分の場合は、一緒にやる人がいるなら、その人と一緒にやることを決めていきたいと。
自分のやりたいことが決まってからだと、人に合わせづらくなるから、
そんなにそのやりたいことが明確でないのなら、
まず人から相手がいるなら、それを基準にして、その先考えていくって方がいいかもしれないって思って、
で、誰かいないかなって言ったらいいなって思って、
マッチングアプリをここで使って、パートナー探しをし始めたと、唐突に。
唐突に。
確かにちょっと今までの流れから急に、違うカードを出してきた感じですね。
その頃めっちゃベタだけど、逃げ恥がめっちゃ流行ってたので、
それでイメージがしやすくなったっていうのはあるなと思っていますね。
それまでも、意識はしてたけど、
そういうパートナーになる人に出会えたらいいなっていうのはあったけど、
出会うことでどうなるのかみたいなのが、ドラマではわりと丁寧に描かれていただいた気がして、
それが良かったのはありますね。
そこは一生ですね。
私も美大に入ったけれど、結構早々に、これは作家はなれないぞって、
自分の能力では合わないぞって気づいて、
でも絵を描くことをやめるってことはできなくて、
パン屋に入るんだけど、パン屋もとても大会系で合わなくて、
どうしようかなって思っていた時に、逃げ恥を見て、
とりあえずマッチングアプリするかと思って、
なんかパートナーになるってことを決めてから、
ときめきが起こっていくっていうのが良かったですね、逃げ恥は。
確かに、そうそう。
なんかその流れがね、面白い話だよね、あれはね。
で、その後でまた仕事どうするかとかなっていくわけじゃないですか、
自分もたぶんそこがイメージがなんとなくできて、
じゃあとりあえず出会いからって思ったのかもしれないです。
はい、そうですね、これちょっと最初に相談したんですけど、
思ってた以上にやっぱりボリュームが、ボリューミーになってしまいますね、これね。
なんかそこ、なぜか最初に大丈夫って。
できると思ったんだけどね。
無理だよね。
難しいですね。
もてさんの喋りでは無理だよね。
そっか。
すごく雑にやらないと、雑が無理だから。
これ雑にするとさ、ほんとに飛びすぎてついてこれないよね、たぶんね、この話の展開ってさ。
そこがいつも悩んじゃうんだけど、まあいいや。
今回の私の文化っていうテーマで話したかったのは、
この記事書いたときもそうなんですけど、
やっぱりこの自分のバックグラウンドが共有されてない状態で、
人に何かを喋ってたときに、結構びっくりされちゃうこととかがあったりしたので、
当然だけど、相手は自分に対してそういう想定をしてないって聞いてるから、
なんでそういう発言が出てくるのかとか、わからないっていうことはあるよなっていうのを思って、
自分が特にちょっと特殊なところが多いっていうのはあると思うんだけど、
それはたぶん誰にとってもそうなんじゃないかなっていうのも同時に思っていて、
何かトラブルの原因って、やっぱり背景が見えてないので、
その行為だけが気になってしまっているというか、状態だよなと思うので、
全員に対してそれをやるのは大変だけど、
本当になんか身近で一緒に何かをやっていきたい人とかについては、
今日話したみたいなことを話していかないといけないし、
少なくとも1回でね、やっぱりこう喋るにはボリュームがすごいことになっちゃうんだけど、
少なくとも話せる関係性にまずなるっていうのが大事だよなと思って、