この番組は、がん専門医からヨーグルト屋へ転身し、神グルトを生み出した林和彦が聴覚や健康、そしてこれからの人生や仕事について語っていくラジオです。
リスナーの皆さんと一緒に作る番組なので、気になることやちょっとしたお悩みの大関係、緩く楽しく一緒に整えていきましょう。
聞き手は私、インタビュアーの早川佑平。長が整えばきっと人生も整う。さあ今日も始まりです。
早川先生、始まりました。神グルトラジオということでやってまいりました。
今日が記念すべき第1回です。よろしくお願いします。
早川先生、よろしくお願いします。
はい、ということで始まったこの神グルトラジオなんですが、音声ということでね、どこで録っているか皆さんなかなかわかんないと思うんですが、先生ここはどこですか?
早川先生、ここは私が最初にヨーグルトを開発して販売を始めた東京・新宿の牛ゴメンにある工房です。
そうなんです。ここでね、工房なのでね、中にもこの部屋は何室って言ったらいいんですか?冷蔵庫とか。
製造室でしょうかね。
製造室もね、今横にありながら、某この牛ゴメンのね、僕らスタジオでね、すごく豪華なスタジオで撮ってるんですけども、絨毯もあって、これここ何て言いましょうかね、このスタジオ。
事務所ですね。もうここで書類書いたりとか、発送の伝票を作ったりとかしましたからね。
そう、この生活感あふれるね、この2畳分ぐらいのスペースかな、スタジオで撮ってるんですけども、
今日ね、記念すべき第1回ということで、いろいろね、やっぱりまずこの林和彦とは何者かというかね、林先生って誰っていうところで冒頭でちょっとお話ししたんですけども、これからいろんな紹介していくんですけども、
本当にオーソドックスに林和彦さん、何者ですか。
今は医者でありながら、ヨーグルトを作って売っている変なおじさんですかね。
変なおじさんですね。だから、お医者さんでもあるんですよね。
大学病院で35年も仕事をしていながら、官歴で起業してヨーグルトを作るようになって、何やってるんでしょうね。
その何やってるんでしょうねっていうですね、林先生を僕がね、あるちょっときっかけでですね、出会って、そこから一気にね、トントンこの番組を始めることになったんですけども、
いろんなね、懲戒人生のこと、いろんなことね、お話しかかっていきたいと思うんですけど、初回はですね、今も少し話ありましたけども、やはりね、
医師なのに、あれなんでヨーグルトっていうところでですね、本当にこの神楽坂乳業という会社、今何年目?7年目?
7年半ぐらい経ってますかね。
7年半、8年目ぐらいに差し掛かりそうですけど、今回と次回ですね、まさにこの創業ストーリーということで、前後編でいろいろ話しかかっていきたいんですけど、
本当にそもそもですけど、なぜ、もともとお医者さん、今もね、お医者さんでもありますけど、特にこのね、がん専門医っていうところから本当にヨーグルト屋になったっていうこの経緯をですね、
もう本当にゼロから聞きたいなと。
はい。私は東京中野の生まれなんですけれども、父親を本当に中学生の時に亡くしたんでしょうね、がんで。
で、それが全ての始まりだった気もします。もうその父親が大好きで大好きで、もう神だったのに、もうその父親ががんという病気になって自分の前からいなくなってしまったと。
その時からもう私の人生のテーマはがんになっちゃったんですよね。だからがんを治す医者になろうと思って、それなりに勉強して、
医学部に入って、で、がんになる医者になるために、がんを治す医者になるために、東京中野時代の消化器芸家になりました。
その頃はもう、げっかがメジャーだったんですね、がんといえば。ブラックジャックの世界なので、がんを治すにはげっかしかないと思って入って。
でも、やっぱりがんで、手術で治せない患者さんたちがいるから、じゃあ内視鏡もやるかとか、それでも産発したら抗がん剤やるかとか。
もう欲張りなので、がんにかかることは全部したくて、緩和病棟に至るまで、延々延々留学も含めて35年間ずっとがんだけを見つめて生きてきたんですよね。
で、教授になったりとか副院長になったりとか、それなりに責任のある仕事になったときに、ちょっと悲しいことに医療事故なんかがあって。
自分が起こした事故問題はないんですけれども、やっぱり責任問題みたいのもあり、ご家族に対応したりとか、行政やマスコミに対応したりなんてやってるうちに、むちゃくちゃ便秘になっちゃったんですよね。
もう患者さんの5倍量10倍量の薬を飲まないとピクリとも動かないみたいな便秘になってしまって、本当に苦しくて。
もう10キロぐらい痩せたし、やばいと思ったんだけども。
そのストレスが原因だろうということになったんだけども、ストレス逃れる方法はもうやめるしかなかったっていうのもありますよね。
でも、いろんな立場もあったのですぐにはやめられなかったので、とりあえずまず懲戒をやろうと思ったんですよ。
いっぱいに言われてるような食事とか運動とか、もう目いっぱい試しました。
腸に良いと言われてることは大体やったんだけども、全然ダメだったんですよね。
で、症状がひどくなる一方だったので薬も増えちゃって、このままだとやばい、死ぬかもしれないぐらいまで思って。
で、もうじゃあしょうがないって。今までは癌の専門医だったけども、懲戒研究するかって始めたんですよね。
聴覚っていってもいろいろあるんだけども、結局もともと消化器でかいだったこともあって、行き着いたのがヨーグルトだったんですよ。
別に美味しいヨーグルトを作るつもりはなくて、自分の聴覚になる、自分の腸を動かしてくれるヨーグルトを作ればよかったので、
もういろんな世界中から金を取り寄せたり、日本中から材料を取り寄せたりしながら試行錯誤を毎日やって、
でもむちゃくちゃまずいんですよね。むちゃくちゃまずくて、食べるのもううっぶって、鼻つまんでただけで食べられない。
でもそれでも便が出ないと困るから、聞くからまあいいやみたいな感じで食べてる毎日だったんですよ。
で、その研究どこでやったかっていうと、私は癌の専門医だったんで、癌の研究室を持ってたんですけれども、
大学ではまさか自分の聴覚のためにヨーグルト作りますってわけにはいかないので、神楽坂の自宅の子供部屋を研究室に、実験室に変えて作ったんですよね。
後で詳しく説明してもいいんだけど、そこの神楽坂の研究室、自宅の研究室でできたから神グルトと神楽坂の一文字を取ったっていうのがあるんですね。
そうなんですね。
そうなんですよ。で、ある時ですね、まずいまずいって毎日1リッターずつ作って、自宅だったので流すわけですけども、下水が詰まって大変なお金がかかって神さんに怒られるなんてこともしながら。
詰まるなんてことあるんですね。
詰まるんです。ヨーグルトはね、皆さん気をつけてください。流し続けると下水が詰まります。
水道屋さんがもしかしたらネズミがそれを食おうと思って入ってきて死んでるんじゃないかって、結局全部パイプごと取り替えてみたいな大変な工事になっちゃいましたけども。
そんなことをしながら作ってたんだけども、ある時急に美味しいのができちゃったんですよね。
何これ美味しいって、今まで食べたことのないような美味しさで、しかもむちゃくちゃ効いたんですよ。
その時から私はあれほどたくさん飲んでいた下剤を一切取らないで、現在まで10年近く過ごしてるって感じです。
なるほど。今めちゃめちゃ、かなりはしょってね、これでも喋ってもらいたいと思うんで、ここで一回ちょっと僕に戻してもらってですね。
後編もあるんであれですけど、今の一番近しいとこはちょっと聞きたいんですけど、ヨーグルト作り2年半、しかも当たり前ですけど、
その本業を、その時は東京女子医大のガンセンターをやりながら、当然それも、僕は医師じゃないんで、イメージで激務あって、
そもそもそんなヨーグルト作る時間あんのって思っちゃうんですけど。
もう毎日12時前には家には帰らないっていう生活を30年35年続けてたんですけれども、もういいやとちょっと思いました。
自分を守るためだったんで必死でもあったんだけど、8時に帰ることにしたのね。
すごい。
そうすると4時間あるじゃないですか。その4時間を毎日ヨーグルトの研究に捧げたです。
だからもう本当に小さな積み重ねの連続だったんだけども、だから大学の人は誰も私がヨーグルトを開発してるなんて知らなかった。
なんか上小学の時は8時に帰り始めたみたいな感じなんですけどね。
あの疫学院の人にはすいません早く帰りますとは言いましたけど。
でもその2年半作ってたっていうのは、なんか僕はその先生の話聞いた時、とにかくエディソンをやっぱり思いついちゃった。
あの電球ね。1万回か10万回か知りませんけど、なんかその時って先生の中では正直ちょっと先見えないっちゃ見えないわけじゃないですか。
見えない。
どういう心境だったのかな。
いやもう必死ですよ。だってもう毎日むちゃくちゃ苦しいんですよね。
この聞いてらっしゃる方々でも便秘のひどい方は分かっていただけると思いますが、お腹が張るとか、なんかこうそういう簡単な表現ではできない。
もう苦しくてたまらない。知ってばっとするぐらい苦しくなるわけですよね。それから逃れたりしてるんで。
だから例えば乳酸菌なんてのも世界中から空輸して取り寄せましたし、逆にその食材みたいのもなんか腸によさそうなものはもうなんだろうと、ごぼうだろうと草だろうと、
もう何でも仕入れていろいろ試した感じだったんですよね。
そのヨーグルトのよく使われる食物繊維なんていうのも何百種類もあるんですけども、
その自分が聞いて欲しいと思う菌と相性のいい材料を組み合わせるだけでももう無限の組み合わせになるじゃないですか。
何百通りじゃなくて何万通りとか何十万通りになるので、それを単に試行錯誤してやってたっていうことですよね。
毎日毎日1個しか作れないので、適当に、本当に適当にやってたんですよ。だから全然美味しいのできなかった。
でもある時本当にやったーと思うのができて、そっから先ほとんど製法を変えずに今のカミグルトに行き着きました。
それは今振り返ったら、これこれこうでこうだったんで理論付けて話せるのか。やっぱり偶然だったのか。
偶然ですよ。だから逆に言うと他の誰にも作れないだろうなと思うんですよね。
私だってもしかしたら20年かかっても作れなかったかもしれない。
すごい運が良かったら2年で作れたし、もっと運が良ければ2ヶ月で作れたかもしれないんですけども、
でも本当にそれまで消化器芸会とかガン専門医として一応研究の頭っていうのは持ってて、
それで論文とかエビデンスを集めた中で、手当たり次第という質もかなり確率の高いところを狙ってたはずなんです、毎日。
でも全然ダメだったんですよね。
逆にあとヨーグルトの作り方誰にも聞いたことないんですよ。
まだまだ話は尽きないんですけどね、後編はまた次回っていうところに行きたいんですけど、
これその前に最後に聞きたいんですけど、このカミグルト美味しいのができたと。
できたっていうのを食べた時に、やっぱりもう即日っていうと言い過ぎかもしれないですけど、
明らかにどのくらいで便通とか良くなったんですか?
もう次の日からですね。もう次の日から明らかに違っていて、
カミさんに食べて食べてこれ見て見てって。
最初みんな食べたからなんじゃないですか?まずいのは当たり前。
カミさんもずっと怒ってましたから、もう絶対やだって言って絶対食べてくれなかったね。
いやこれだけは食えるからしたら、あらほんと美味しいって。
でも別に売るつもりはないから、家族の中でみんなに食べてもらったりとか、仲の良い友達にあげたりしてるだけだったんですよね。
というね、ところか先生がうまく切ってくれましたけど、そこからなぜね、現在に至るのかっていうところをやっぱりね、
今後聞いていきたいので、ぜひ次回聞いていただきたいと思います。
教えて!カミグルト!
さあ、教えて!カミグルトということでですね、
今日第1回ということで、今のまさにね、本編のところにそのまま通じるんですけど、
もう今日は紹介なんです。先生、1分でって難しいかもしれませんけどね、
結構インスタでも1分くらい喋ってたんで、
毎回いろんなカミグルトに関することを聞いていきたいんですけど、本当にオーソドックス、まんまなんですけど、
カミグルトって何ですか?
カミグルトっていうのは、意思である私が自分のために開発した機能性ヨーグルトなんですよね。
だけど、ヨーグルトのようなスイーツではなくて、私は医薬品と食品の中間にあるような存在だって思ってます。
カミグルトの神は神楽坂の神です。宗教的な理由はないです。
なるほど。ありがとうございます。
ということで、いかがだったでしょうか?カミグルトラジオ。
この番組は皆様からの質問、リアクション、ぜひぜひいただきたいので、
先生からもリアクションとかコメント欲しいっておっしゃってた質問を、その辺の一言をもらえると。
今、うちのヨーグルトって一般の小売りはしていないんですよね。
弊社の通販と一部の百貨店様のサイジなんかに出しているだけなので、
お客さんとの接点が普通より少ないんです。
もちろんメッセージをいただいたりはしますけれども、もっともっとお客様と仲良くしたいと毎日思ってます。
いろんな情報を教えていただいて、さらにより良いものを作りたい。
やっぱり製造者魂に火がついてますので、今回もこのコードキャットを始めさせていただいたということですね。
ありがとうございます。そんなわけで、皆様からの質問・相談、大募集しています。
もちろん聴観とかヨーグルトとかも、先生、医師でもあり、がんの専門医でも健康のこと。
今回まだあんまり出てきませんけどね、人生のこともたくさんいろんな、僕も知らないようなことたくさん経験されてますので、
健康のQ&A、人生のQ&Aもいろんなこと、フリートークも含めて先生に今後ぶつけていきたいと思います。
ぜひぜひ皆さんのご質問、ご相談を募集しております。
詳しくはですね、概要欄の方にフォームのURLを貼っておきますので、ご寄せいただけたらと思います。
そしてなんとですね、このご質問・相談採用された方には、このカミグルトをですね、プレゼント差し上げますので、ぜひぜひたくさんのご応募をお待ちしております。
私が牛米の工房で、寸胴鍋で昔ながらの製法で作ったカミグルトをご提供します。
はい、ということでぜひご応募お待ちしております。
ということで、カミグルトラジオ第1回でした。
藍先生ありがとうございました。
ありがとうございました。