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はいどうも、DMM.comの亀山です。亀っちの部屋ラジオ、週末版、始まります。
はい、サブMCの高橋です。今週もよろしくお願いいたします。
今週のゲストをお呼びいたします。前回に引き続き若新雄純さんです。よろしくお願いします。
はーい、よろしくお願いします。
はい、どうも。
一騎一遊ブラザーズの俗にしております。
はーい、もうあの、大変、栄養、栄養な称号を。
記念シール作って配ろうぜ、みんなに。
いや、めちゃめちゃ嬉しい。まさに亀山さんと一番話したかったこと。
あと、一騎一遊もそうですけど、人間の感情みたいな、掴むのが難しいというか、通じや言葉にしづらいものみたいなものが、いかに面白くて。
それ自体はもはや手段ではなくて、人間にとっての目的ではないかみたいな話だったと思うんですけど。
それって伝えても噛み合わない人もいるんですよ、そういう話って。
でも、亀山さんとはね、なんか。
なるべくみんなデータとかルールとか論理したいとかってあるよね、どうしてもね、その辺が。
そうですよね。もちろん僕らも、大学の研究もしてるので、一応それなりのモデルっぽいものを作ったりとか、やるんですよ。
ヒントに使えるパターンを作るみたいな研究はしてはいるんですけど、モデル化するとかの前に、
人間の感情とか、感覚とか人の印象とか、空気感って流れていっちゃうものじゃないですか。
だから流れていってしまうものを見逃さないっていうか、まず感じ取れるっていう人を育てるところの方が結構先だなっていうのは、いつも思ってるんですよね。
そうだね。同じ一つの定義を決めても当てはまらないじゃない。
そうなんですよね。
無限に個別性があるっていうか、僕はそれが好きなんだと思うんですよ。
めんどくさいなって考える人は共通する部分を探すっていうか、いわゆる一般化できることはないのかってことを探す人が多いと思うんですけど、
僕はむしろ一般化できないところに興味があるっていうか、どこまで行ってもまとめきれないものが人間くさくて愛おしいなみたいな。
テレビとか見てても苦悩の研究家っていうよりも楽しくやってそうな感じだよね。
頭抱えて真理を求めてるって感じには見えないよね。
もちろん僕もね、孤独だなって気持ちとか、人を妬む気持ち、嫉妬心みたいなものとかにすごい押しつぶされてますからいつも。
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悩みがないってわけじゃないんですけど、それをどう消すかじゃなくて、僕らはどこまで行ったって、
神山さんのようになったって多分悩んだり寂しくなったり、妬んだりとかあるわけじゃないですか。
あるある。
それがなくならないっていうことが面白いなと思って。
そうだね。なくならないけど、そうだね、なんていうかな。
でも自分らの、自分の工程、自己工程じゃないけど、なんとなく自分らがうまく癒せるようには少しずつなってきたかもしれない。
いいですね、なるほど。神山さんは最初からそんなこと悩んでないとか、凹んだりしないじゃなくて、悩んだり凹んだり傷ついたときにどうやって自分で自分を癒すかってことに。
そこまで震えて泣いてたこともあったからね、二十歳になって。
僕のコンサート、好きな音楽の。
コンサート行ったらさ、俺の友達が3人くらい来てたのよ。俺誘ってもらってなかったのよね、そのとき。
その限りなんかめっちゃ寂しいみたいな。
超素敵な話。
でも今の面白いですね、傷つかないように生きろとか、そういうことを気にするなっていうメッセージは多いですけど、今神山さんがおっしゃった、いかに傷つく自分を上手に癒すかっていう、自己癒しみたいなものは全然世の中に出てこないし注目されないじゃないですか。
でも大事なことは本当はそっちだと思うんですよ。傷つかないんじゃなくて、傷ついても癒せるみたいなことが大事で。
そういうものをもっと世間は注目した方がいいんだと思うんだけど、めんどくさそうっていうか、ややこしくて大変そうだから、みんな最初から傷つかない、へこまないっていう方の技を得ようとしちゃうんだと思うんですよね。
そういう時に傷ついた時にさ、相手にちょっと恨みを持つのもあるんですよ。例えばね、なんで俺のけものにしたんだみたいなね。そっちに行くとちょっとこじらしちゃうんだけど、誘われなかったんだ、俺がどっかちょっと魅力ないのかなっていうことになると、じゃあちょっとモテるようにというか、惹かれるようにしようっていう。考え出すよね、そこはね。
そういう自分が意地悪なことされたりとか、誰かに恨みかねないことした時に、人間はほとんどの場合はその感情を過方修正して、許さないとか、あいつらの方が悪いんだとか、俺は被害者なんだっていう風な、そういう方に意識を下向きに修正していくらしいんですよ、自分の感情を。
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そうじゃなくて、俺が頑張って、俺がもっと魅力的になればいいじゃんって、上向きに修正することが人間にとってとてもまさに大事で、多分健康に生きるヒントなんでしょうけども、まさに神山さんのそれを。
だから、よく怒り呼ばれに頑張りましたとか言う人もいるけどさ、その怒りが人に向かってるか自分に向かってるかの話の違いじゃない、結局は。
そうですよね。
自分の不甲斐ながら向かえば、じゃあもうちょっと練習しようみたいな話になるんだろうけど。
そうそう。
なんかちょっとそれっぽいこと言っちゃったら、まあいいや。
僕が神山さんこんなこと一緒にしたいよ、みたいなことを言ってもいい回答ですよね、これね。
もちろんです。
不甲斐なさって神山さんおっしゃったじゃないですか、それもすごい大好きなテーマなんですけど、僕は一応今は離れて久しいんですけど、大学生の時は今はリタリコっていう社名の会社。
はい。
僕もCOOとして2年弱やってて、一応障害者の就職支援とかサポートでは日本最大手なんで、だからその道に詳しい人からするとよく言われるのは、だから若者だけじゃなくて弱者、社会的な弱者の支援っていうか、そういうことに関心があった人だと言われがちなんですよね。
だけど別に僕はあんまりどうやって社会的な弱者を救うかみたいな、そもそもその構造自体があんまり素敵なたてつけじゃない感じがするんですけど、
僕がよく神山さんと会う会でも、一部の教者が集まって弱者を救おうって言ってる人がすごい。
みんな言ってるね。
言ってるね。
熱い感じで。
僕はだからあんまり本当の、それはまず社会的弱者っていると思うし、それは社会保障をちゃんとするとか、ちゃんと教育にしても仕事にしても機会を与えるって大事だと思うんですけど、
今はそっちの問題よりも多くの人間が自分の不甲斐なさっていうか、人間としての愚かさと向き合うのが下手になってきてる気がして、弱者を救う時代ではなくて、僕らも含めたら愚者をどう社会がちゃんと受け入れるかっていうか、
それは天者と愚者が分けられるんじゃなくて、ほとんど愚者じゃないですか。
でも今なんか、社会的に弱者みたくなってしまってる、稼ぎが少ないとか仕事に味付けないとか、社会のせいで思ったような人生を送れてない人たちが声を上げつつ、天者っぽく振る舞ってた人を、実はこいつ愚者だったって言って、探して引き下ろすみたいなことをやってるじゃないですか。
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でも僕それ、愚者をみんなでさばいていくってことをやったら、最後に誰も賢者みたいな人が残らなくなって、全員で自滅することになるんじゃないかなって思ってて。
それ思うよ。みんな同じ人間の中に賢者の場所もあるんだろうけど、両方持ってるのは間違いない。
ですよね。だからその人分解して、賢者度100%って絶対存在しないわけなんで、僕ら人間が持つ愚者さというか愚かさを、別に気にせずいい加減に生きようって言うんじゃなくて、それともう少し向き合って、みんなの問題じゃないですか、みんなが愚かであるってことは。
なんか、弱者に寄り添うとか言う前に、我々全ての人がそうであるってことの意味で、愚者に寄り添えるっていうか、人間の愚かさをもっと丁寧に扱える社会になってほしいなっていうのが、最近のすごい関心。
いやでも本当に同じだと思うんだけど。
人が見るときっていうのは、ふた取り合って軽蔑して、無商売の女だろっていう人もいれば、苦労してるのねっていう同情をする人もいるんだけど。
軽蔑と同情ね、なるほど。
軽蔑も同情も同じ部類で、僕らみんな一緒に暮らしてた人達だったんだよね。
だからその辺で言うと、あんまりこの人たちかわいそうだから助けてあげようみたいなことを言われすぎると、悪気になるんだろうけど、ちょっとおいおいと思ってしまうとこもあるね。
いや本当そうですよね。
そういう人に限ってちょっと優しくしてたのに、あの人は私の心が通じなくて裏切られたとか言うんだけど、いやそもそも大した思いないだろうって思ってるからね。
勝手に弱者を救うような姿勢を見せておきながら、勝手に裏切られた、勝手に厳密したって言って。
そういう正義はちょっと空回りしてるじゃないですか。
本当の正義の人っていると思うんですけど、そういう本物を否定したいわけじゃないんですけど。
大学生とかも、みんなそうやってこぞって、社会的な弱者や社会的な問題をどう見つけて、それを自分たちが何かを施したり、あるいは手を差し伸べていくか直していくかみたいなことばっかり言ってるから、
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自分たち人間、みんなが等しく持っている愚かさみたいなものを、もっとちゃんと扱えるように悪気がなくても傷つけたりとか、やっぱり人間は欲深いし、ルールがあったって破ることもあるし、ついつい我慢できなくてしちゃうこととかもいっぱいあると思うんですけど、
それを全部無法地帯にして許せってことではなくて、お互いに許容し合うことで安心して生きれるみたいな社会を、今の時代に合わせて作らないと、無菌状態になって、みんなちょっとでもどっかに体に媒菌ついてるともうアウトみたいな、順番に滅菌されていくみたいな。
だからいいことしたりとか、社会のためにやろうと思う人たちも、やっぱり自分の中のちょっと奥の方を一時的に振り返って、自分の中の醜さじゃないけど、ちょっと目立ちたいなとか、ちょっと今いいことしてる自分かっこいいとか思ってるとか、そういったところも自覚するといいんだけど、すごく自分は潔癖で、相手はダメで助けましょうってなると、今みたいなちょっと違うともう許さないみたいな。
基本今のこと見ててもさ、いろんなバタバタしたの見てるけど、人のこと言えんよねって思うんだよね。
ほんとそうですよね。
僕は10年ぐらい日本全国のニート的な若者だけ集めた会社っていうのをやってるんですけど、やってるって言っても事業を本格的にやってるわけじゃなくて、全員会社の取締役になって、いわゆる働かなかったら別に報酬がないっていう事業主側にして、みんなで居場所を作るっていうようなプロジェクトで、
一応10年間で420人ぐらい取締役になってるんですかね、今まで。
俺はアーバとかで飲んだことあるわ。
そうなんですけど、あれを誤解されるのは、僕がそういうニート的な若者集めて、職業訓練して、世の中に出れる、一人前に僕が育てるってことをしようとしてるって勘違いされるんですよ。
だからおかしい全然会社に集まったメンバーが稼げるようになってないし、全然社会にも復帰できてないじゃないかって言って、なんで全然上手くいったのに10年も続けてるんだって言われてるんですけど、
僕にとって大事なのは、別に何者でもなくても居場所があって、全く仕事の経験がなかったりとか、実績がなくても堂々とこの場所では取締役だ、みたいな。
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だから社会から当たられる立場とか云々みたいなものも、笑い飛ばせるぐらい、別にこのままでもいい、このままでも僕らは存在はできるじゃないかみたいなものを作りたいっていうのがあって。
だからみんなそういう問題に触れると、なんとかして彼らを救わなければとか、稼げるようにしなければとか、変えてあげなければってなるんですけど、彼らと話を聞いて、もちろん稼ぎたいっていう人はたくさんいるんですけど、
一番の声は、仮に自分たちが今のような社会的にはみ出してる状態だったとしても、本当に生きてるよ、みたいな。存在してるよ、みたいな。
そんなに運が良くなかったからこんな感じだけど、本当にちゃんとマナー守って電車乗ってるし、節度もって生きてますけど、みたいな。そういうことが大事なんじゃないかなっていう。
だから本当に、早期の飲み屋の女の子たちも全然生きてたからさ。
今ちょうど沖縄に来てるんだけど、水族館立ち上げ再建に来てるんだけど、
昨日沖縄のヘビだと飲んでたけど、みんなあんまり金持ってなさそうなんだけど、すっげー楽しそうに飲んでたよね。
なんか幸せそう、みたいな。むしろ湊のワイバーやってるよりも楽しそうに踊ってたし。
だからその辺で家庭道場するというのはちょっと違うと思うけど、
でも今、これからどういうふうにやっていきたいと思う?
今の話で言うと、せっかくテレビにいっぱい出れたりとか、大学の先生させてもらったり、他にもいろんな会社もやったりしてるんですけど、
それなりに知られる存在になったからこそ、さっきの亀山さんの話じゃないですけど、
そんな人間がいかにしてトルに足らない存在で、みんなと変わらない愚かな情けない生き物なのかってことを頑張って表明したいんですよ。
なるほど。
だからそれが結局いつも亀山さんとよくお会いする会の人たちが悪気はないと思うけど、
結局ちょっと残念なことに窮屈な社会を作ってると思ってて、
今まで社会的に成功した人や、政治家になったりとかして権力を得てる人や、大学で若くして先生になって博学であることを証明できたような人たちが、
人間的に立派であるっていうふうに見える社会が僕は良くないと思ってて、
そういう人たちが一つの、人間としてもあたかも優れた人がいるみたいになることが良くないと思ってるんですよ。
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そうすると、そういう人たちをテレビやネットメディアで見て、これもニュースフィックスですよね。
ニュースフィックス見て、自分たちとは違う、品種の違う優れた種の人たちがいるのかっていう誤解を与えていることによって、
俺たちは優れてない側なんだっていう変な劣等感というか、そういう鮮美気を与える構造になってる気がするんですよ。
そうじゃなくて、僕と亀山さんが2人でタッグを組んで、開き直るって意味じゃないけど、
どんな立派なことをやっているように見える人も、どんな優れた業績を出している人も、
取るに足らないちっぽけな寂しくて恥ずかしい存在なんだっていうことを、
無理して言う必要はないですけど、ありありと堂々と表明できるようになってくるとみんな安心する?
2人で漫才組んで、僕が言ったら何言っとんねんってバーンと叩くみたいな、そういうのを言うねん。
このおっさん何言っとんだ?みたいな。
いやいや、それだけじゃなくて、良かった、稼いでる人や先生という立場になった人も、
自分らと同じ情けないところとか恥ずかしいことがたくさんあるやつなんだっていうのを、
本当はこのリーダーと言われるような人たちが責任を持って言うべきだと思うんですよ、もっと。
恥ずかしい自分をきちんと見せる。
僕もとはいえそんなこと言っておきながら、
じゃあ僕のファン座の購入履歴全部見せろって言われたら、ちょっとそれはうってなりますよ。
それはちょっとさすがにそこをはばかれるんですけど、
それは聖壁云々とかってすぐそういう、ある意味単純な話ではなく、
こんなにこの人小さいこと気にしてたりとか怯えてたりとか震えてたりするんだっていうのを、
神山さんと一緒に世間に発信し続けられたら、
たまたま運がなくて今人生つまんないなと思ってる人も、
でもみんな同じ人間なんだなっていう安心感が世界に生まれるんではなかろうか。
どうすればいいか。
一気一遊ブラザーズじゃなくて。
一気一遊。
一気一遊だった。
一気一遊ブラザーズあり、
本当の意味で、言葉の意味が正しいかわからないんですけど、
ある意味だからハレンチだってことですよね、人間としてね。
デブるはずみたいな歌を歌うって感じかな。
僕たちは恥ずかしいんだっていう。
僕こうやってちょっと人間が稼げるようになったりとか、
名前を知られるようになってきても、
やっぱり三つ子の魂、百魔神じゃないですけど、
中高生の頃からの、もっと俺を見てくれとか、
俺は特別な存在でありたいとか、
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これは俺が稼げたんだから、本当は奢りたくないというケチな気持ちとか、
ずっと根底が残ってて、
こんなにも人間って生まれ変わらないものなんだなっていう。
変わってきたこともあるけど、
変わらない人間としての器の小さいところがたくさんあって、
俗に言う成功者っぽい人って、
そういうものも全部乗り越えて、
人格的に根本的に優れた存在になれたんだ、みたいな風な。
ニュンニュンしてるじゃないですか。
あれに対するロックなメッセージは出したいですね。
でもちょっと成功者たちをフォローするわけじゃないんだけど、
芸人とかっていうのは結構自分を晒しやすいじゃない。
実際、俺なんか自分で起きてる現象っていうのは、
結構言いたいこと言ったりとかして、
たまに最後とか下ネタで染みっころうと思ったりしたら、
やっぱり会社の方からここ消してもらえませんかって。
つまり、それっていうのは多分俺だけじゃなくて、
どこの会社の社長も、
俺なんかはついて行っちゃって、後で下されちゃうタイプなんだけど、
他の人たちも結局正直思ったら、
その人のやつが結局会社の問題になったり、
大学の問題になったりなる。
みんな本当はもうちょっと俺バカなんだよって言うけど、
それは困りますって言われてるとこもある気がするんだよね、
立場的にね。
だから、その辺がみんなに発信するっていうところの難しさなんだよね。
そこでも研究したいですね。
下ネタって、大学生が飲み会でゲイがなくなった時に脱ぐのと一緒で、
いざとなったらとりあえずそれ言っとけば、
ちょっとユーモアな人間ぶれるけど、
別にそれ本当に下ネタってじゃあ幅広い世代の人や、
いろんな性別の人に全部刺さるかっていうと、
当然嫌な思いする人もいると思うし、
それはある意味、
自分の中だけの秘密にしておけばいい世界だと思ってるんですけど、
自分を下げるために下ネタを言うとかっていうよりは、
みんなも共感できるような、
人間としての恥ずかしいこととか、
弱いことを見るとか。
そうですね。
俺も泣いてるんだとか、
実はもう来年会社ってぶれるか悩んでるんだとか、
でも本当にかぶり重ねちゃったみたいな。
その辺の絶妙な、
僕らが弱さと愚かさでお互いに繋がれるっていうか、
下ネタ言えばとりあえずみんな笑ってくれるみたいなことは、
鉄板ではあるけど、
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ちょっと工夫が足りないなって思う。
タビヤマさんのことせめてなんじゃないんですけど。
そういうことよりも、
もちろん俺が言いたかったのは、
今みたいな、
例えば会社やばいんですよみたいな、
俺も本当にもう疲れてフラフラですって言うと、
実際困るわけよ、リーダーって。
そうですね。
そういう時に、
俺も弱い人間だよって言いにくいのはあるよねっていうだけだって。
だからみんな強がって、
フーチンもさ、
習近平もみんな本当はビビってるくせに、
本当は寂しがりがあるよね、彼らはね。
それは最後にすごく大事な話です。
本当にまさにそうですよ。
世界的リーダーが、
どんな今緊張感とか不安に苛まされてるかってことを、
一言ポロッと言えるだけで、
一気に世界は平和の方に傾くかもしれないじゃないですか。
でもなぜかみんなそれをやれない、
やるべきではない、
やれないものだと思い込んでるせいで、
どんどんどんどん人間って、
防衛本能で傷つけ合う方向に行ってるわけなんで。
そうじゃない、
株価に影響しない、
人間として尊厳を失わないんだけど、
みんなに共感される、愛される、許される、
そういう愚かさを僕らがどうやってきちんと体現するか、
許し合えるコミュニケーションを作るかっていうのは、
すっごい漠然とした抽象的な話になっちゃうんですけど、
すごい今後考えたいなって思ってるというのはですね。
確かにその辺で言うとね、
俺とかは、
まだ緩めで言いやすいところもあるんだけど、
毎年ビシッとやってる人がいきなり崩れて、
プーチンが泣きながら、
ちょっと最近も辛いわとか言えないようなキャラできてる。
かわいそうだけど。
めちゃくちゃ面白いけどさ。
でも俺、何だっけ、ガシが泣いてたじゃない。
あれびっくりしたと思うんで。
あれはもう張り詰めて、
よくあそこでそうかと思って、
同情した人もいるけど逆に言うと、
失望した人もいるわけよね。
なかなか難しいね。
突っ張って生きていくのも。
そうですね。
だからなんか、
僕らの時代はやっぱ中高生の時に、
上手に突っ張れるというか、
思春期になったタイミングで、
突っ張って生きていくというか、
上手に突っ張れるというか、
思春期になったタイミングで、
突っ張るというモードに、
上手に入れた人たちが、
突っ張ってるやつ同士で集団を作り、
教室の中の空気感をある程度上手に制することができて、
存在感出して生きてたじゃないですか。
あれを中高生の時に、
いかにして中学生になったら生きがるかじゃなくて、
いかに弱くてみんなに愛されるかみたいな。
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あの人が体良くて、
スポーツも強いのに、
ああいうところ可愛くて許せちゃうよねとか、
あの人本当にこういうとこすぐ泣くし、
可愛げがあるよねみたいに。
思春期になった時に、
生きがるに変わるその辺の、
これまでの言葉で何て言うのかわからないですけど、
なよっとするみたいな、
新しい、
思春期の若者がいち早くそこへ行きたい、
それが言えるようなポジションになりたいと思うような、
弱いけど許してもらえるっていう状態が作れたら、
社会は何か良い方向に行きそうだね。
それはちょっと、
結構そこら辺はお菓子うまそうだなって。
お手本になって、
すいません、こんな夜って僕みたいな感じでさ、
ちょっと俺も軽車バージョンで、
すいませんって今回赤字レースみたいなこと言いながら、
そうだね。
それ神山さんだからすごいできてるから、
みんな羨ましい人多いじゃないですか。
弱虫ですブラザーズでいこうね。
寂しんですブラザーズね。
そうですね。
最近使って気に入ってる言葉が三流って言葉。
三流。
僕は神山さんは一流の経営者ですけど、
間違いなく、
一流ぶらないっていうかね、
どこまで行ってもどこかに、
くだらなさ情けなさを抱えてる。
所詮三流なんだけど、
三流は三流なりに必死になってしがみつき、
必死になって頭を何かここにくり回して、
何とか何者かであろうとしてるんだよっていうことを、
頻繁にインタビュー受けたりテレビに出るような人が堂々と言えると、
社会は健全になるのかなっていう気はしますね。
三流ブラザーズね。
じゃあ俺は金儲け一流だけど、
人として三流ですって言って。
すごいキーワードいっぱい出ましたね。
いやー一流ブラザーズと三流ブラザーズ、
三流の兄貴として、
ぜひこれからも。
じゃあ夏ぐらいにCDデビューしますって皆さん。
ぜひ聴いてくださいということで、
今日はこれへんで終了します。
どうもありがとうございました。