自分ではもうどっかで引いてみてる自分もいるんですね。
俺のトーク聞いてる場じゃないだろうと、なんか思ってるわけ。だから、そういう点で疲れてるんだと思いますよ。
僕はファンでもあるんで、あれですけど。でも、そういう意味でどうでしょう?疲れてると同時に、すごいちょっとずつ脳筋も減って。
ちょっと消えていく。
3年前に僕は本当にクォンタファミリーがすごい好きだったんで。
その時に、「将来また文芸の方行かないんですか?」って言ったら、あずまさんも気軽に答えたんですけど。
なんかやっぱり、いつかそっち戻るかもね、みたいなこと言ってたんですけど。
そっちの方でもこぼって、そっち行きたいみたいなともまた違う。言うのはただですから。
そうなんだろうなぁ。
なんか何の制約もなかったら、明日からあずまひろきさん、どう生きていきたいですかね?
何の制約もなかったら?
いや、なんか旅とかに。
世界一周の旅みたいな?
意外と普通っちゃ普通だよね。
でも、それがないってことですよね。
自分探しの旅に出たいですね。自分探しの旅ですよ。僕が今、主張としてるのは。
でも、そのくらい…
1年くらい1人になって砂漠に行ったりとか、そういうのとかして、自分を探したい。もう一回。
でも、その意味では、やっぱり大学でデビューして、30年?
そうそう、30年くらい。
だから、いわゆるそういう意味でも、せっかく自分探しって気が出てきたんですけど、あずまひろきは自分探しはしたことがあるんでしょうか?
した時期とかあるんでしょうか?
それはとてもいい質問で、たぶんそれやってないんだと思うな。しっかりと。
しっかりと自分探しをやってなかったっていうことに、40代くらいになって気がつき、とてつもなく幼稚なんですよ、僕は。
いっつも言ってるけど、やっぱり言論席帰った時も言ったけれども、書いてるけど、本当に普通の人だったら20代や30代の前半でやる人生経験を40代でやり直してるみたいなとこがあって。
さらに言えば、本当だったら10代の頃に直面するべき、本当は自分は何なんだろう?みたいな問いが、ちゃんと解決されてないで今に来てるような気がする。
哲学者が、あんまり自分のことは哲学してなかったみたいな感じですか?
だから、僕はたぶん哲学者の名前にも本当に値しないんだと思いますが、本当に自分探しの旅とかに出かけるべきなんでしょうけどね。
でもなんか、僕が実際初対面に言うのもあれですけど、東さんがおっしゃってたように、一人の時間を当然大事にすべきだし、されたいとは思うんですけども、
気づけば、こっちの言論の方にもありましたけど、一人がいいはずなのに会社も経営し、そしてある意味ファンサービスに毎日頑張り、言論カフェではポーズとして吠えることもあるみたいな。
だから、消滅したいんですよ。
これが最後の言葉なんてことにしないでください。
消えてない。でもね、突発放送は好きなんですよね。
最近多いんですか?
コメントに向かって何喋っても、別にハラスメントとかにもなんないじゃない?そこにいないんだから。
だから、コメントに対してグチグチグチとか言っても、別に誰も傷つく人もいないし、嫌だったら切ればいいわけだし、いいな、これみたいな。
で、リアルな人と飲むと、後で何かまずいこと言ったかなとか、とにかくいろいろ後悔するけど。
突発とかだとね、後悔したら画像を消せばいいんだし、もうめっちゃいいわけですよ。
だから、世界一周しながら突発の旅とかがいいですよね。
だから、それこそ後で聞きたかったんですけど、やっぱりあれほどいろんなことをして、疲弊しないのかなというか、疲弊されてるんで。
どうやってバランスとってるのかなって言ったら、じゃあ、今、突発放送。
かなりヤバいですけどね。だから、かなり人間としてもギリギリまで来てるみたいなね。
酒飲んで、一人、「こんにちはー!」とか言って、「今日もよろしくお願いします!」みたいなことを言うだけで、ストレス解消とかになってるわけだから。
もう、限界まで来てますよ、僕は。
それ以外なんかないんですか?
なんか、ステレオタイプに言うと、心とかのことは体で、単純に例えば何か運動するとかじゃないですけど。
僕はね、スポーツとかもしないのも良くないのかもしれない。
スポーツとかないですよね、すみません。
ないんですよ。
心配されないですか?でもやっぱり。
いや、でも意外と健康なんですよね。
あ、そうなんですか?
そうなんですよ。
なんか、ちゃんと人間ドッグみたいに言って、特に大きな。
人間ドッグとか健康診断みたいなのはやってますけど。
いや、なんか書いてありますよ。
全部Aじゃないけど。
Aじゃないって気をつけろって書いてあるけど。
まあ、そんなに危機的な数字じゃないだろうみたいな感じで。
じゃあ、やっぱり突発放送とプラス旅?
でも旅もなあ。
もう歳もとってるし、バックパッカーみたいな旅やったらあっという間に死にそうだし。
しかも結局旅しても、こないだあれ文芸春秋でしたっけ?
去年の、結局アメリカ取材して、オッペンハイマーのみたいな。
仕事しちゃいそうじゃないですか。
でもあれ良かったですよ。
たった一人一週間は博物館だけを行く。
なんか若くなった気がした。
おお、いいね、こういうのだよ、みたいなさ。
今日一番輝いてますよ。
とにかく博物館にただ行くだけですからね。毎日。
いいですね、なかなかないですよね。
ああいうのなんですよね、今僕に必要なのは。
1ヶ月本当に何もしなくてよかったら、旅どこで何したいですか?
どこに行くかな?ちょっとわかんないな。
1ヶ月、後で原稿にするとかを考えたりすると、邪心が入ってくるからな。
やっぱりでも仕事をしちゃいますよね。
最近その言論カフェは、お客さんが変わってきて、
しっかりとしたものを作ったりとか、何か会場を経営したりしている。
しかも地方で名師だったりするような、ちゃんとした人たちも結構聞いてくれてるんですよ。
でも僕は、そのたびに申し訳ない気持ちになってね。
だから今日も言ってるみたいに、現実の僕はといえば、いまだに50も超えて、
やっぱ俺って何者なんだろう?みたいな。
自分探しの旅に出るべきかと思ってるぐらいの人間なんですよね。
そういう意味で、全体が人を騙してるみたいで、それも申し訳ないなと。
質問とかされると、それっぽいことを答えてるわけですよ。
この間の、たとえば井上さんのイベントのように、
パンパックとかになったらば、やっぱり国民に説明をする義務があるんじゃないですか?
キリッとか言ってるわけですよね。
本当は、俺そんなこと言うほどの資格ねえなと、自分でずっと思ってますよ。
でも、この間の放送でも、ちょろっとそういうことも言ってましたよね。
何かを確信を持って主張するってことが、たぶん僕はできない。
結局、例えばこういう番組を見てて、
僕の本、ぜひ読んでくださいとかっていうのは、
やるべきだということは知ってるんだけど、できない。
読んでもいいし、読まなくてもいいし、
どうせ本なんてそもそもみんな読んでないし、
本読んでる奴なんかろくなことないし、
俺なんて本ばっかりいっぱい読んだからこんな奴になっちゃったわけだし、
掃除って何もやらなくていいですみたいなね。
こういうふうになっちゃうんだよ、なんか。
だから、それは良くないと自分でも思うんだけど、
どうしてもそういう性質があるんですよね。
これを見る人が見たら、すごくふざけてるって見えるし、
あとシニカルだって見えるんだろうけど、
そして実際そういうふうに、僕は批判されてると思うけど、
ふざけてるとかシニカルとかって以前に、
僕という人間の根底的な性質なんですよ。
この自己突っ込みみたいなものが。
そこが常にあるわけですね。
お前そんな偉そうに言ってるけど、本当にそうか?みたいな。
なるほどね。
これ、今のところと関連しますけど、
今回、作家から政治家で井上さんの話がありましたけど、
いわゆる作家から政治家、もっと言うと、
つまり、小有名から立場を持ったっていう人で、
この人は、影響力ある立場を持っても、
あずまさん的に担当職人と評価できる人って何かいますか?
どうしても僕、今日冒頭からずっと頑固なんですけど、
とにかく小有名を持って立場を持っていくと、
やっぱり最後はなかなか、
訂正する力がみんな働かなくなっちゃうんじゃないか?
思いつかない。思いつかないっていうか、
そういうので自分が指針としてる人がいないんですね。
僕は、自分が指針とする先輩っていうのが全然いないんですよ。
だから、こういう時もパッと名前が出てこないんだと思うんですよね。
ああいう人のああいうところは良いから、
自分も学んでいきたいと思うっていうのがあんまりないっていうか、
反面教師みたいなことばっかりある。
やっぱり常にツッコむというかね。
こうならないようにしよう、ああならないようにしようってことはすごい考えてるんだけど、
こうなりたいみたいなものがないんですよね。
そんなあずまひろきが自分探したら面白そうですね。
だから結局、自分探しがないっていうのは、
自分の規範みたいなものもないっていうか、
自分の言っててだんだん嫌になってきましたけど。
僕に言論人とかやらしてる段階でも、日本は間違ってるんだと思いますね。
そこまで訂正しないと。
もうそこまで訂正した方がいい。
僕はやっぱり、すごく幼稚で未熟な人間なんですよ。
そのことに言論選挙を書いてる時も思ってたし、その後も日々思ってますね。
それが言えるっていうことが、持ち上げるわけじゃないですけど、すごいなと思うんですけど。
ただ、もうちょっとだけ伺いたいんですけど、
あずまさん、今日当然訂正するの方で聞きましたけど、
あずまさんは訂正しない方がいいと思うことってあります?
それは訂正しようと思っても勝手に存在してるからな。
日本的なものの良さっていうのは、訂正する力にもちょっと欠いてもありますけど、
ロシア・ウクラヌー戦争が勃発してからは、やっぱりすごい考えるようになりましたね。
裏返って言い方になりますけど、
日本ってずっと平和ぼけだって言われてるわけだけど、
平和ぼけが長く続くってのも、なかなか大したものだし、
実際、やっぱりみんなが戦争とか政治の問題を考えてる時って、文化ってあんま発達しないわけですよ。
日本って、今でも世界に対して売り物に日本ができるものって、文化なんですよね。
日本の持ってる文化的豊かさって、やっぱり平和ぼけみたいなことと表裏一体でもあって、
今は急に、みんながとにかく安全保障について考えなきゃいけないんだ、
軍事について考えなきゃいけないんだっていうことが、すごくまことしやかに言われる時代になってきたんで、
逆に僕は、平和についてちゃんと考えなきゃいけないなと。平和の価値について。
猪瀬さんとはだんだんディズニーランドっていうキーワード出てましたし、
この猪瀬さんの方にもディズニーランドってキーワードありますよね。
そこの価値っていうことでもあるんですかね?
あの時にダンジョーでも言いましたけど、ディズニーランドって簡単に否定するけど、
ディズニーランドを実現するのにはめちゃめちゃ裏方がいて、
ディズニーランドが運営されてること自体が奇跡みたいなもんだと。そういう考え方もできると。
例えば日本がディズニーランドだったとして、だからディズニーランドから外に出ろと。
猪瀬さんは簡単に言うけど、そもそもディズニーランドがなんで成立できてたのかと。
あのディズニーランドを作るためにどんだけ裏が動いてたのかと。
それに日米安保体制だけでできてたわけじゃなくて、やっぱりいろんな工夫があったわけで、
その価値っていうのを全部一気に否定するっていうのも乱暴なんじゃないかと、最近考えるようになりました。
蔵野戦争以降、いわゆる左翼的な、いわゆるお花畑的な話をする人たちも多かったので、
まあそういうのは良くないなと。平和って言ってれば平和が実現するわけじゃないから、
それは全くそう思うんだけど、やっぱり平和って大事だっていうことって、
もっとしっかりちゃんと言っていかないといけないとは思いましたね。
あの私事ですけど、ライフワークで戦争の記憶っていう戦争体験者の方にも10年ぐらい全国回っていろいろ話聞いてるんですけど、
まあいろんな当然思想がある方とかいるんですけど、全員もう最後に一応に言うのはやっぱり、
まあ本当にステレオタイプですけど、平和に対する気球というか。
だからそれってもうめちゃくちゃアホくさいし、今何言ってんだみたいに一見なりがちですけど、
その実際第二次大戦経験した人からすると、本当にすごい印象的だったのが、
第二次大戦終わった後のこの70年どうでしたかって言ってたら、それは余生だって言ってましたね。
たぶんもうそれはディズニーランドなんでしょうね。
だからなんかその辺を、必要以上に日本に来産するのもおかしいですけど、必要以上に自虐するのもあれですよね。
戦後の日本ってディズニーランドみたいなもんで、あんまりみんな考えずバカになっていったのかもしれないけど、
とりあえずそれを70年とか80年やってるっていうことは結構すごいことで、
じゃあこの後ディズニーランド維持できなかったとしても、
じゃあその後の次の目的って、もう一回ディズニーランドを作ることだと思うんですよね。
僕は戦争に行った人たちの気持ちはわからないけどね、もちろん。
けれども、きっと戦地に行った人たちっていうのは、当たり前だけど平和のために戦争をやってるのであって、
戦争ってやっぱ戦争をなくすために戦争をするんだと。
そういう意味で戦争自体がね、一個矛盾みたいなもんで、
常にずっと戦い続けていかなきゃいけないっていうのはやっぱ不幸ですよね。
だからそういう意味で、平和ボケの思想的な意味について考えなきゃいけないなと最近思ってますね。
ここでありましたよね、この本の中でも、やっぱりリベラルと保守の話で、
どっちかだけ良い悪いじゃなくて、それぞれの、例えば保守の部分のちゃんと国を守るっていうのが大事にしつつ、
リベラルというか、あとそこのカルチャーの部分というか、その辺のバランスというか、
それを政治で全部きれいにやるのは無理にしても、
僕らがそういう今みたいな概念を持っておくのが大事かなと思いつつ。