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さんこまラジオ、地区100年以上になる古民家で馬さんとともに暮らしながら、ホースセラピーの取り組みをしている三陸駒舎のきびはらがお送りいたします。
さて、今回はゲスト回となります。 4月の頭から15日ほど滞在をしてくれた
北梶さんの滞在を振り返ってという内容になっています。 少し長くなったので前半後半にちょっと分けてお送りしたいと思います。
僕たちも無意識にやっているものが立ち現れてきて、いろんなつながりも見えてとても面白い内容になったのでぜひお聞きください。
よろしくお願いいたします。
じゃあ今回ゲストの 牧田さんから簡単に自己紹介を
していただいてよろしいですか。 はい、牧田和久です。社会人1年目は保育士、2年目は小学校の先生をしていて、
いろいろありまして、次の職が6月からになりそうなので、それまでの間いろんなところを見せていただいたりとか、一緒に働かせていただきたいなと思って、
4月の1日から15日まで三陸駒舎でアルバイトしていました。
よろしくお願いします。 ありがとうございます。2週間ほど
アルバイトしながら、でもなんか研修みたいな感じでしたね。
毎晩ね、毎晩、ほぼ毎晩ですね。 今日の学び3つみたいなと
いってひねり出していましたけど。 2週間ちょっと15日滞在して、
普段僕たちはずっと毎日いるので、何か当たり前になっているとこがあるかなって、日常になっちゃっているので、
逆に何か外から来た人間としてどういうふうに見えたのかなっていうのをぜひ教えてもらえると嬉しいなということで、今回こういう場を設けました。
どんな傷つけ学びがありましたか。 はい、何個かあるんですけど、1個目は
三陸駒舎は生活する場所とか生活ってところがキーワード、 仕方ってところがキーワードなんだなというふうに思いました。
いいですね、その心はって感じですね。 というのも、私が生まれた場所とは生活のリズムとかやることがちょっと違うなと思っていて、
私の住んでた家はわりと農業がベースにあったりとか、 父はサラリーマンなので、そういうところがベースにあるような家庭だったけど、
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また友達の話とか聞いてみても、 サラリーマンのお家とか、それぞれの家のことがあると思うんですけど、
三陸駒舎は動物の世話とか、動物が中心になっているのかなっていうのをすぐに感じて、
動物の世話みたいなのが直接的に、家の仕事みたいな感じで関わる人はあんまりいないかもしれないんですけど、
生活の一部みたいに入っていくところが面白いし、そこを追求するのがいいなって思ったのと、
その暮らしの話の中で、三駒に来る人がみんな家族みたいな感じがしていて、
家族だから馬の世話もするし、働いている人たちも三駒の建物の中を整理したりとか、
気づいたことがあったらやったりとか、外のことをしたりとか、いろんなことをしているのを見て、
それも仕事では、職業としての仕事な感じと、家族として仲間として三駒を作っていく、
そういう家事、家事なのかな、家事みたいな感じの分担の一つみたいな感じで、馬の世話とかそれ以外の職業的な仕事も含めて、
そんな家事を分担する感じみたいなのがすごい面白いな、暮らしと絡まってあるところが三駒面白いなっていうふうに思いました。
なるほど、面白い視点ですね。
でも僕たちもセラピーをやってるセラピーって、ほぱんはよくホースセラピーとかって言いますけど、
それってちょっと違うなっていうのがあって、馬の暮らし型セラピーってよく説明するときに、暮らしっていうのが出てきて、
まさにそういう暮らしの形を作ることが大事みたいなところはいつも意識してるというか、やってるところだなっていうのはありますね。
そうですよね、暮らしと、よくあるのが生活と自分の暮らしと仕事は別々みたいな、それが全部繋がってて一緒くたんっていうのはありますね。
暮らしっていうのが中心になることで、子どもたちとか、子どもたちに対してどういう影響って言ったらいいんだけど、
どんな子どもたちに変化とか、その場の在り方みたいなのって関わってるっていうふうに感じました。
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場面でってことですか。
場面でもいいし、うちの場として、いわゆる普通、キャンプとかやると子どもたちやるじゃないですか、そこでキャンプっていう暮らしは作るんだけど、
そういった今までと違いとか、どういったものを感じたかなっていう、面白いと思った暮らしっていうのは、
子どもたちどういう影響を及ぼしているのかなっていうのを聞きたいな、もう少し突っ込んで。
悔しい。
いろんな人がいると思うんですけど、やったことないんだっけ、お皿洗ったりとかご飯作ったりとか、
気持ちがないとやらないかなとか、ご飯ってある意味家庭によると思うんですけど、
私の家だと、私は悪いですけど、なんとなくお母さんが買い出してくれるじゃないけど、別に料理しなくてもいいみたいなところがあったりとかすると、
やっぱり料理って生活を食べていくって結構大事だと思うんですけど、
料理的なところは、やらないと学ばないところが、3コマだとやりたかったらできるので、
そこで暮らしとつながってるから、アジア共の料理とかうまく使ったら、食材とかも生きているときに必要な食べ物とかは、
たぶん揃えてくださっていると思うので、そこで暮らしとつながっていくんだなっていうのと、
働いているときにスタッフの方に、今まで私が働いていた職場とはまた感じが違って、
切り離して仕事をしていたって話をしていて、すると自分の生活を丁寧にしていくというか、
そういう感じがして、自分の生活と仕事が混ざり合って、それが私は心地いいみたいな話をしていました。
【佐藤】確かに。僕は、きびはら家も含めて、働いている人たち、スタッフで、
三陸コマ社の暮らしをつくっていくっていうか、それを整えていくことがまた子どもたちにも帰っていくし、
いろんなプログラムが発展していくというか、生み出されていくというか、そんなイメージですかね。
そこに作られたプログラムじゃないというか、用意された、必然があってみんなやったりとか、
そこに暮らしがあるから、いびが、ちゃんと木に足がついているというか、そういうのがあるなと思います。
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さっき言ったように、動物も含めて家族だから、ご飯をあげなくちゃいけないよねというか、必然というか当たり前というか、
家族じゃなかったら、家族だからみんな普通にご飯を作って食べたりするわけで、そうですよね。
なるほど、そこは面白い。ありがとうございます。
2つ目は、やってみたいというのをすごく大事にしているところかなと思っていて、
自分のやってみたい、のびのびとしている子たちが多いなという印象と、本当にやってみたいという気持ちをそこを大事にしているなと思っていて、
大きな声を出したりとか、大きな動かしたりとか、細々したことに没頭したりとか、
何やってもプログラムがないので、何やってもいいというところが、やってみたいを大事にしているなというところと、
逆にそこをやってみたいみたいなだけでいくと、自己中心的で一方向にいくパターンもあるなと思っていて、
例えば私だと、大きな声を出されたら嫌なんですけど、大きな声を出したら、その人に向かってやめてよとか、静かに来てよとか、
そういう嫌な思いに対して主張することが許されることによってバランスが取れているなというふうに感じました。
主張の伝え方も、手が出ちゃったりとか足が出ちゃったりとか、それは言ったらいけないんじゃないみたいな言い方とかもあったなと思うんですけど、
それをとりあえず伝えてみるというところが、成功というかOKみたいな感じで、そこからうまくいってないなとしたら、
うまくいくならこうしたらいいんじゃないとか、こう考えてみたらみたいな問いを投げたりしているところがすごくいいなというか、
やってみたいという気持ちが大事にできているのかなと思いました。
【佐藤】なるほど、やってみて抑制されてないというか、あれがダメとかこれがダメとか、子どももそういうのはないし、
さっき言ったね、私たち大人も率直に伝えていいというか、どっちもなんだなって聞いてて思いましたけど、そんな理解で合ってます?
【森】はい、合ってます。大人も言っていいところが特にいいなって思います。
【佐藤】なるほど。
【森】大人が空気を作っているところもある。
【佐藤】確かに大人が言っているから子どもも言えるってところはあるなって思います。
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確かに大人が我慢したりとか、こうあるべきだみたいな、先に形を作って、それに自分自身をはめながら演じるみたいな、
子どもたちもそういう、こうしなければならないみたいなところに縛られていくというか、
確かに。だからまず気持ちを発露するというか、思ったことをまずオープンでカードを開いて伝えるみたいなのが大事っていうか、
確かにそうですね、まずい、抑えきれず手を出ちゃうとか、
いやそれちょっと暴力だからあるけど、まずはそういう気持ちなんだよねみたいなところを受け止めるというか、
受け入れるわけじゃないけど、ちょっと受け入れられないけどまず受け止める、確かにしてますね。
なるほど。ありがとうございます、確かに。
そういうのをやってるからその暮らしもさっき言ったように面白くなるというか、
仕事としてやってるとそういうね、仕事モードですみたいな、つくんだけちゃいけないけど、そういうのしてないってなりますね。
それも一つ目と二つ目って絡み合ってるというか、二つともないと成り立たないようにいらっしゃいます。
どう思います、一つ目と二つ目のつながりに。
でもなんか今聞いてあーって落ちた感じがします。
なるほど。
確かに生活だからずっと演じるっていうのは難しいというか、
無理無理無理みたいな感じ。
厳しいと思うので、だからそれだからこその開放的な感じ。
だからこその出ていられて本当の自分で出せるから、いい方向にやってみたいもないしできるか。
なるほど、確かに。
ありがとうございます、僕もちょっと気づきました、そんな気づきを得ました、今話しながら。
じゃあ三つ目いきましょうか。
はい。
いくつまであるんだっけ。
最後です、三つ目ですね。
三つ目、はい、最後どうぞ。
三つ目は、子どもたちを受け止めてくれる動物たちがいるなって思っていて、
受け止めてくれるところがポイント。
で、その動物たち。
で、なんか小屋、ヤギ小屋に座って話しかけてみたりとかする子はいる。
ひたすら、幼児とか割と多いなって思ったんですけど、
うさぎに草を食べさせて、なくなったら。
あと犬に向かって、わーみたいな話しかけてこられたりとか。
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犬も返してくれてたりしました。
そういう出来事があって、
そういう子どもの様子を見ていると、
動物たちとコミュニケーションをとっている感じがして、
特別なことを言っているわけじゃないけど、
そんな話を聞いてもらっているとか、
気持ちを受け止めてもらっているっていう感じがするなと思っていて、
動物のことを、動物が本当に受け止めているよって思っているかわかんないですし、
子どもの方も受け止めてって思って話していないと思うんですけど、
やりとりの中で、動物たちが受け止めてもらって、
そこから聞いてもらったとか、承認されているみたいな気持ちになるのかなっていうふうに感じました。
なるほど、確かに。
動物たちのお世話する時間とかも取ってたりすると、
それぞれいろんな役割があって、
さっきの餌あげるとかもそうだし、
自分ってその動物から必要とされてるんだみたいな感覚を感じたりとか、
ちょっと固い言葉で言うと自己猶予感とかだったりもするんだけど、
まずそこの存在みたいなものをお互い認め合うというか、
言葉通じないからこそ、子どもと動物の間に起こることもあるなっていうのを見てて思います。
言葉にしちゃったのがすごい安っぽいけど。
でもうさぎはあげればひたすら食べに来てくれるから、楽しいし、単純に。
食べてもらえるとすごく子どもたち、すごく嬉しそうにあげてる子は顔してまたやったりとかして。
それって人間だとなかなか人間としてできたいことないかもしれないけども、
動物たちだからこそやれる役割かもしれないなって思いましたね。
なるほどね。
よかった動物が出てきて。
馬いる場所じゃなかったっけ?
馬以外の動物いろいろ種類いるっていうのもすごく大きいなって思います。
さっき言った大きな馬から、じゃなくうさぎまでいる。
それぞれがそれぞれ自由に生きてるので、
そこにはまる子がそれぞれはまっていくみたいなところもあるなと思います。
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やっぱりちょっと大きな馬は苦手って言ったりとか。
ありがとうございました。
はい、ということで前半部分でした。
いろんな繋がりが見えてきて、後半も前半と絡んだ内容というか、
もう少し深掘りしていきますので、また次回もお聞きください。
それでは良い一日をお過ごしください。
それではまた。