海辺での思索
おはようございます、かくうです。
今ですね、走ってきて、海まで走ってきてですね、その海の浜辺で収録をしているところなんですけど、
雑音とかですね、ちょっと海の音とかで音声が聞こえなかったら申し訳ないんですが、
まあでもせっかくですね、海のいい音がしてますので、ここでですね、収録したいなと思って収録させていただいてます。
今日はですね、まあちょっとした雑談にはなるんですけど、
まあ海をですね、まあ眺めていたんですよね。まあ本当に病んでいるのかって言われるかもしれないけども、
まあそんなですね、今は別に病んでいる感じではないんですけど、
なんか海ってですね、私の人生と大きく関わっていてですね、
あの若い頃は結構ウェイクボード、あの船で引っ張ってもらう、あの板足につけてですね、船で引っ張ってもらって立って、
まああの海面をですね、滑る、ウェイクボード、スノーボードのように滑るですね、あのスポーツがあるんですけど、
まああれをですね、結構やっていて、そう、でめちゃくちゃ面白かったですよね。
あれってですね、8人乗りぐらいの船で引っ張ってもらった方が馬力が出るので、それでやっていたんですよね。
7人とかぐらい乗って、でみんなで技を競い合ったりとか、あれがいいこれがいいとか動画を撮り合ったりとかですね、
やってワイワイとですね、昔はやっていたんですけど、
まああとはですね、水上スキーかな、バイク、水上バイクとかですね、知り合いが持っていて、一緒に乗っていてですね、
あのまあそういうことを思い出すんですよね、まあこの波の音とですね、あの潮の匂いとか、
でなんかですね、あのついあの海水をですね舐めたくなるんでですね、ちょっとぺろっとですね、あの指つけて舐めたり、
でやっぱ海だなあっていうのを感じたりしてたんですけど、
それでですね、あの私、
なんか思い出したことがあって、よくですね、肋骨にひびが入っていたんですよね、あのスノーボードとかもしてたんですけど、
でスノーボードもですね、あのこうなんだろうな、パイプって言って鉄のパイプがあるんですけど、テスリーみたいなやつとかですね、
ああいうのをすかすとですね、あの結構ダイレクトに肋骨に直液したり、この鉄のパイプが、
で洗濯物のようにこうバスタオルを干すかのように人が干されるっていうところで、あの干された干されたってよく言ってたんですけど、
まああれやるとですね、肋骨にこうひびが入って、まあ1ヶ月間ぐらいですね、
あの放置してるんですけど、まあ笑ったら痛いと、まあ深呼吸しても何しても痛いということでですね、
まあよく1ヶ月笑えないねっていう笑い話になってたんですけど、
でそのウェイクボードもですね、あのレイディーっていう技があって、それを失敗すると、まあ結構肋骨とか顔面とか胸から落ちたりするんですよね、
まあそれで肋骨ひびが入ってて、
で、まあ一番ひどい時で1年に3回ぐらいひびが入ったことがあって、
まあ3ヶ月笑えない状態になったんですよね、
で1年で3ヶ月笑えないって、なんか1年の4分の1笑えないんだなっていう、
まあそういうのをですね考えていて、
でもなんでそんな1回、なんだろうな、1年の4分の1笑えないようなことをやっていたかっていうと、
まあもうすごくですね、やっぱウェイクボードとかスノーボードっていうのが楽しくて仕方なかったというとこなんですよね、
でふと考えた時に、もしこれが仕事だったら、そう仕事で肋骨にひびが入るようなことをやっていたら、
当然ですね続かないっていうかやらない、むしろ損害賠償というかそういうのを請求っていう形になると思うんですよね。
じゃあここの、なんだろうな、そういうスポーツとこの仕事の違いってなんだろうなって考えた時に、
やっぱり楽しさとか居心地さとかワクワクドキドキだなっていうのを思ったんですよね。
仕事ってお金とかもらってるじゃないですか。
当然雇われてるし義務感もあるし、振られた仕事はできるだけやらないといけない。
異常に与えられたら人に振り分けたりとかいろいろあるでしょうけど、
基本的にはやらないといけないし、で対価としてお金をもらっている。
でスポーツは逆にお金を使っている。
お金を使って道具とか揃えたり、そこに行ったり、
時間も使って休みの日に行ったり。
でそういう怪我とかして、またそれも笑って楽しんでみたいな。
この差ですよね。
だからなんかね、人間っていうのは本当にそのワクワクドキドキとか楽しさをめちゃくちゃ求めているんだなっていうのを感じたんですよね。
逆にそういうのが全くないと続かない、できないっていうところなんですよね。
なんかそういうのを考えているとですね、めちゃくちゃ面白いんだなっていうところと、
やっぱり人間はそういう幸福追求っていうのが非常に強くて、
むしろそれがないと生きていけない、続けられないっていうのに、
最近ですね、すごく気づいて、気づくんですよね。
だからなんだろうな、
お金をもらっているから続けないといけないとか、
もちろん家庭のためとか家族のためとか、
自分の使えるお金のためっていうのはあるかもしれないけども、
それでもやっぱり仕事だから頑張らないといけないって、
根性とかでなんとかやっていく、
それも一つの生き方ではあるけども、
でもやっぱりたとえ仕事であろうが、
家族のためということであっても、
当然ですね、自分の幸福追求っていうのはしていかないといけないと。
それも人間として生まれてきた義務だなっていうところ。
だからそういうところを考えた上で、
改めて今の自分の生き方を考えてみるのもすごくいいんじゃないかなというのを感じて、
今日はこの放送を撮らせていただいています。
仕事と楽しさの比較
本当に人生って何が正しいか終わってみないとわからないんですよね。
というのが最近私が思っているのは、
人生死ぬまで全て勝てって思ってるんですよ。
皆さんもですね、いろいろ何かに日頃挑戦されたり、
ノルマとか仕事で与えられたりして、
それが成功したのか失敗したのか、
あるいはチャレンジとして何か人の集客をやってみて何かを開催したりとか、
いろんなことあるかと思うんですけど、
それ一つ一つに失敗と成功ってあると思うんですよね。
失敗するぐらいならやらなければよかったとか、
そういうお話って結構あるかもしれないんですけど、
でも私の中でですね、それさすべてが過程であるって思うんですよね。
ずっと失敗してきたとしても、
最後に自分が死ぬ時にいい人生だったなって思えば、
人生は成功なんですよね。
だからその過程ですべて何もかもが全部失敗に終わって、
ずっと失敗してきている、
もう10年も何十年も全部失敗しているってなったとしても、
自分の中で死ぬ時にいろいろチャレンジして、
いい人生だったって思えたんなら、
それってやっぱり人生の成功なんですよね。
だから目先のこと、
そういうのを一つ一つ失敗したら落ち込むけども、
最終的に何が目標なのかっていうところ、
もちろんなりたいものとかやりたいことあると思うけども、
でも本当に死ぬ時にいい人生だったって思えた人生だったら、
とてもいい人生だったっていうのを思うわけなんですよね。
なんかこの辺ですね、非常に難しい話ではあるんですけど、
それでもですね、私自身は本当に良かったなと、
ただ一言を言える人生でありたいなと、
そのためにどんなことをやっていかないといけないのか、
どんなことを達成したいのかっていうのを考えてですね、
日々やっていきたいなと思っています。
なので皆さんもですね、日頃からいろんな失敗とか苦しいこと、
つらいこといっぱいあると思いますけど、
ぜひですね、すごい長い目で見てもらってですね、
最終的に自分が笑っているのか、
それとも本当につまらない人生だったかなって死ぬ時に思うのか、
それのどっちかだと思うんですよね。
少しでも笑えるように。
もし100%の笑いじゃなくても、
それでもどちらかといえば良かったなって本当に言えるような、
そういうですね、人生の選択肢。
人生の選択肢を選んでいく。
それだけだと思うんですよね。
結構ですね、失敗したか成功したかっていうよりも、
どちらを選択したのか、自分の考えに沿って選択したかどうかが、
最終的にですね、人間としての満足感であると私は思うんですよね。
だってですね、今までたくさん失敗してきたのに、
その一つ一つを今でも引きずって、
あの時こうすればよかった、ああすればよかったとか、
思うことはありますけど、でもそれってこの人生の一部じゃないか。
ずっとずっと何十年前の失敗をくよくようと、ずっと引きずっている人って、
人生トラウマ、大きなトラウマとか当然あるかもしれないけど、
そこまでないんじゃないかなって思うんですよ。
でもあの時、こっちの選択肢を取ればよかったって、
積極的な選択肢を取ればよかったっていう後悔は結構響くなって思うんですよ。
結構あるなと。
だからですね、積極的な選択肢を選んでいれば、
基本的には後になって大きく後悔するようなことって少ないんじゃないかなって思ってます。
だから自分もですね、いろんな選択肢あるんですけど、
人生の選択と満足感
ひとまずはですね、大きな選択肢を選ぶことを考えつつ、
今の環境も整えていくっていう、まだできることが自分にもあるというのをですね、
考えて探して一つずつやっていく。
少しでもですね、自分の希望した生き方とかができるようにですね、
選択肢を増やしていく、準備をしていく、やっていくっていうところですね。
はい、ということでですね、ちょっと長くなりましたが、
皆さんもできることを探してやっていかれてはどうでしょうかという構成でした。
はい、ということでですね、長くなりましたが、ここで収録を終わりたいと思います。
ここまで聞いてください。ありがとうございました。
それではまた明日。