はじめに:大丈夫と思える場所について
こんにちは、かいほです。ヨガと発信でもっと好循環。
今日は話したいことがたくさんあるんですけれども、今本当になお話したいことを話そうかなというふうに思っております。
何かというと、ここがあれば大丈夫と思える場所っていう話をしていこうと思います。
子育ての娘の小学校でのちょっとした嫌がらせじゃないですけれども、そんなお話、そして自分が発信をしていてフォロワーさんが減るっていう経験など、いろいろマインド面の話をしていこうかなというふうに思っております。
よければ最後まで聞いていってください。
このチャンネルでは役在しで、ヨガインストラクター私、かいほがヨガと発信を習慣にしたことで人生が好循環に回っていく、そんな裏側を伝えるチャンネルです。
こんにちは、かいほです。
今日はここがあるから大丈夫って思える場所っていうようなお話をしていこうと思うんですけれども、
なぜここのお話をしようかなと思ったかというと、私今、小3の娘と年長の息子を育てているんですけれども、
今日は小3のお姉ちゃんの方の娘の話なんですね。
ちょっと学校でのエピソードのお話なので、しばらくしたらURL限定に変えようかなというふうに思っております。
娘の小学校での人間関係のトラブル
新級してちょっとお友達とのちょっとしたトラブルみたいなのがありまして、
昔未就学の時子育てたくさん悩んでいたし、いやいや気ですごく悩んでいたし、
いろいろ子育てってフェーズごとに悩みがあると思うんですけれども、
またちょっと質感が変わってきたなというふうに思うのが、この中学年に入ってきた2年生の終わりぐらいから、
いわゆる娘の学校での人間関係、そしてそこは大人になるための一歩であり、
そして自分自身もまさに経験があるような、そして自分自身が女性であるから、
学校での女子同士のコミュニティ感とか、駆け引きとか、人間関係というのが見覚えがあるなということと、
本当に人生2回目を過ごさせてもらっているみたいな感じですよね。
いわゆるいじめとかっていうほどの何か嫌なエピソードとか、そこから不登校になるみたいな話ではないんですけれども、
ちょっとしたところから特定のお友達が娘が嫌だなというふうに思うことを、
たまたま2回そういうことがあって、それを話してくれたんですよね。
具体的には筆箱に鉛筆でですけど落書きがあってということで、
ふざけてやっていたっていう側面もあったようなので、隠れて何か気づいたらやられてたとか、
そういう感じではないんですけれども、娘自身が嫌だと感じているということによって、
こういうのって相手が嫌だと思ったらおふざけでは済まされないというか、
おふざけの線をちょっと越えているんじゃないかなというふうには思うんでしょうね。
それを見守りつつ、そんなことを見守りつつ、
親としてどうサポートしていくのがいいのかなっていうのは、ものすごく悩んでいましたし、
夫婦で相談したり、あとは身近なママともに相談をしたり、
あとは娘も娘の親友に相談をしたりっていうので、
そういう時に娘が私に話をしてくれるっていう関係性であったことにまず、
よく話してくれてありがとうっていうところと、ママはいつでも味方だよっていうところは伝えて、
娘自身もそのクラスでちょっと嫌なことがあったなって思った時に、
別の親友がいて、そこの親友に相談をして、
でもその親友も割と大人びたアドバイスをするわけですよね。
それが合ってるかどうかっていうのは別として、そこでチクると。
その先に自分にまたさらに不利益なことが回ってくるかもしれないよっていうアドバイスだったり、
それがいいか悪いかっていうのは分からないですけれども、
そのアドバイスをしてくれる友人と、それを女子二人で解決しようとしている姿にすごく感動したし、
それを抱える私をまた支えてくれる家族と友達がいたりする、
そしてそれを吐き出させてもらえるサードプレイスがあるみたいな感じで、
とてもとてもありがたいなというふうに思ったんですけど、
何かって、もう全部親が入ってね、
もう先生に話すかすごい悩んだんですけど、
ちょっとね、今回は一旦見守ることにしてめちゃくちゃ悩んだんですけど、
一旦共有したほうがいいんじゃないかと思ったんですけれども、
いろいろ側面があるので、ちょっと一旦見守って、また次に何かあったら教えてっていうところで一旦見守ることにしたんですよね。
で、その時に、娘の方だから見守ることしかできないから、
そこに介入する、親が介入していく、解決させる、話し合わせるとか、
こういう対策を講じるとかっていうことも全部全部入っていけないのが、
親と子供には子供の世界があるから、
だから私ができることって、あなたにはここは安全安心な場所がここにあるんだよということと、
娘が何が困った時に、私にはママとパパがいるから大丈夫とか、
私には弟がいるから大丈夫、親友がいるから大丈夫っていうそういう依存先をね、
本当の自立って依存先を増やすことっていうふうに、
精神科医だっけ、なんだっけ、誰かが言ってたと思うんですけど、
そんな感じでね、ここの場所があるから大丈夫っていう一番の土台が家庭であってほしいなというところで、
それをね、最近は特に意識していこうかなというふうに思ったんでしょうね。
それが子育ての話です。
発信におけるフォロワー減少と心の支え
で、あとそれと通じるかなというふうに思って話そうと思ったのが、
ここ最近ちょっと発信をしていたり、自分がワークショップをやっていたりっていうことがあって、
スタイフも、インスタグラムはそんなに変わってないかな、スタイフのフォロワーさんが急に増えたり、
あとは急に減ったりっていうことがあったんでしょうね。
増えたときは、なんかこういう影響なのかなとかいろいろ考えるんですけれども、
急に減ったっていうときには、なんかきっと私が不快にさせることをしてしまったのかなとか、
不快にさせる配信じゃなかったとしても、なんか方向性が違うなというふうに思ってそっと離れてくれたんだろうなというふうに思うと、
減ったからいけないとかっていうことでもなくて、これでよかったんだろうなって捉えるようにはしてるんですけれども、
やっぱり気になるのは、誰かに傷つけたような発信をしてないだろうかっていうふうに自分自身が感じること、
そして発信自体の本当に何者でもない自分が発信をずっと続けているんだけれど、
だからすごいインフルエンサーでもすごい企業家でもなければ、
本当にただのその辺にいるままではあるんですけれども、
その私がなんだろう、この人違うなとか、この人すごくいいなとか、
ジャッジされる側の人間になっているんだっていうことを実感することにちょっと怖さも出たりするんでしょうね。
そんな影響力はないにせよ、誰かがいいと思ったり、ちょっと違うなぁの、
自分自身がね発信を受け取ってただけ、劇戦だけだった時、発信を見たりブログを見たりYouTubeを見たり、
なんかそのアメブロ読んだり、なんかそういう時代はただただ自分がジャッジするだけの側だったのが、
それをジャッジされる側のステージに自分が今立っているんだなぁというふうに思ったりすると、
ちょっと同時に怖くなったり、傷つけてる人がいないといいなぁって思いつつも、
やっぱりそこが気になっちゃったりするわけですよ、それが本音ですよね。
「ここがあるから大丈夫」という土台
そんな時に、私には別のここの場所があるから大丈夫って思えていることがすごくすごく支えになっていて、
むしろもうそれがなかったらもう多分発信続けてられなかったんだろうなぁというふうに思うぐらいですね、自分にとっては。
でその、なんだろうな、この場所があるから大丈夫が、家族、まず家族ですよね。
夫だったり子供だったりの家族がいるから大丈夫、そして私自身の両親がいる。
その両親も私には幸いすごく大切にというか、いい家族に恵まれていたので、いるから大丈夫ということと、
あとは本当に個人的につながっている友達だったり、スタッフでのお友達だったりも、
きっと私が、なんだろうな、どんなサービスを辞めても、どんなサービスをリリースしてもリリースしなくても、
ただただのただのおばあちゃんになったとしても、きっと仲良くできるんだろうな、みたいな方たちに出会ったりしていることで、
なんかあ、フォロワーさんが急に減って、なんか傷つけちゃったかなって、なんか気になる側面があっても、でも大丈夫。
なんか私には、なんだろう、この場所があるから大丈夫っていうところが、本当に土台の根っこにあって、
そこを突き詰めていくと、自分は大丈夫って思える、人っていうところに依存する、家族とか自分の親とかスタッフの方とか、
発信につながっている方とかリアルの友達とかは、全部人、いわゆる人だから、流動することもあるだろうし、
もちろん最近会っていない友人もいますけれども、それがもうこの、もう大丈夫っていう土台が、いわゆるヨガ哲学でいうところのもっともっと大きな存在の中に、
自分がもう大丈夫、今の自分でも大丈夫なんだっていう土台も、やわりと支えてくれているっていうのも、もしかしたらあるかもしれないなぁ、
というふうに思うんですけど、またそれともちょっと違うっていうか、
自分はそんなに心配する必要がない、大丈夫な存在だなぁ、みたいな感じの、ふわっとした、
どんな風になっても大丈夫なんだ、この人には裏切られないし、この人にも裏切られないしの、もっと大きなところに、
大きな存在、ハイヤーセルフというか、なんというでしょうね、ちょっとそれもちょっと違うけど、
きっと大丈夫なんだろうなぁっていう、それは自分にはヨガ哲学があるから、大丈夫なんだろうなぁと思うと、
大丈夫な場所がもっと増えるわけですよ、人に依存しないもう大丈夫が、もっと増えたりとかして、
なので最近はそんなに落ち込むことがない、もちろんね、さっきも言ったように、子どものことがあったら気がかりで悩むし、
フォロワーさんが減ったら気がかりになるし、ということはたくさんあるんだけれど、
でもそのもっともっと大きなところでは、きっと大丈夫なんだろうなぁっていう、
自分でいられることにすごく今は、何だろう、いい手段をいくつか持てているのかもしれない、なんていうふうにも思いました。
「大丈夫」な場所を提供することへの思い
なので、自分がそうっていうこと以外に、自分と関わった人、例えば今度のね、日曜日からスタートする講座の中でも、
それを自分が与えられる講座にしたいなというふうに思っているんですよね。
ここの場所があるから大丈夫っていう、一つの手段の一つ、居場所の大丈夫なんだよっていう、
安心・安全の心理的安全性が確保された場所で、皆さんを迎えたいし、送りたい、みたいなところですかね。
なので、自分のコップがたくさん溢れていないと、人にも分け与えることもできないと思うので、
自分自身もその溢れたコップの部分を皆さんのところに分け与えられるような自分でいつつも、
何だろうな、そんな感じです。
ちょっと最後何言っちゃってんだろうっていうような感じなんですけれども、
今日話したいことは、子どものピンチな時も、ここがあるから大丈夫。
他の誰に受け入れられなくても、この場所があるから大丈夫だよっていう、
場所に家庭もしたいし、自分のサービスもそんな場所にしたいし、
依存先の一つとして、揺るがないどっしりとした口座にできたら、
場所に、自分自身が口座じゃなくても、本業をしていても、そんな存在になれたらいいなぁなんていうふうにも思っているわけです。
あらほうになると、20代の頃よりはちょっとどっしりとした感じになれるといいなぁなんていうふうに思っております。
はい、ここまで聞いてくださってありがとうございます。
それでは、かよほでした。またねー。