00:00
翌日ということで、今日からお盆休みという方も多いと思いますが、毎週最終金曜日に、毎月最終金曜日にこの歌詞がすごいというのを、潟永さんにお届けしてもらっていますが、今日はお盆休みバージョンということで、この歌詞がすごいをお届けしていただきます。今日はどんな歌なんでしょうか。おはようございます。
はい、おはようございます。
台風6号は沖縄とか九州に大きな爪痕を残して、被災された方々にお見舞い申し上げますと言っていたら、今度は7号がお盆に本市上陸のお世話が出てきてですね、もう記録的な猛暑という一帯地球はどうなっているんだろうという夏ですけれども、それでも強く生きていきましょうという思いを込めて、まずはこの歌からです。
はい、坂本久さんの上を向いて歩こうです。
今日この曲を選んだのは、もうお気づきかと思いますけれども、明日8月12日は坂本久さんをはじめとする520人もの方が亡くなった日光ジャンボ機墜落事故から38年目の明日だからです。
ボーイング車の修理ミスで羽田から大阪に向かう途中に尾翼などが破壊されたことが原因でしたが、この機体直前に羽田福岡を往復していて、もし破壊がその時起きていたら、福岡にとっても遠い話じゃないんですよね。
この事故後、久さんを悼んで繰り返し流れたのがこの上を向いて歩こうでした。
作詞はA六助さん、作曲は中村八代さん。私が生まれた1961年、昭和36年の歌です。
Aさんも八代さんも亡くなりましたけれども、歌は誕生から60年を経た今も聴き継がれて歌い継がれて、私たちを励ましてくれます。
改めて歌の力ってすごいなと思いますね。
余談ながらですね、当時Aさんは坂本久さんにあの歌い方やめろと。
上を向いて歩こうという、そのおうおうおうをやめろと言ったんですね。
久さんが、このおうおうおうの中にしか自分を行かせる場所はないんですと。
あとは全部Aさんの場所じゃないですかと言って。
Aさんもああなるほどと思って認めたと。
Aさんの没後に養まれた大優言という小学科の本の中にAさんの言葉が残っています。
またあの曲もですね、リサイタルの2時間前に譜面を渡された久さんが勝手にアレンジして歌ったそうなんですね。
2時間前?
八代さんはそれを面白がって譜面を書き換えたという逸話もあってですね。
つまりこの歌は歌い手坂本久さんと3人の作品なんですね。
03:02
余談ついでにあのAさん自身はこの歌は売れないと思ったそうですが、
実際は日本はもとよりアメリカでも全米ビルボードチャートで日本の曲で初めて1位になりましたよね。
ただし曲名はスキヤキ。
これはこの歌を見出したイギリスのレコード会社の社長がアルファベットで書かれた上を向いて歩こうの意味がわからずに
日本で食べて美味しかったスキヤキをタイトルにしたというわけです。
すみません余談が長くなりましたけれども、さて歌詞ですがこれはもう解説不要ですね。
くじけるなでも負けるなでも頑張れでもなくて、それらをすべて包み込んだ上を向いて歩こうというフレーズをAさんが選んだ。
それがすべてだと思います。涙がこぼれないように。
これ自分の決意にも呼びかけにも取れるんですが、いずれにせよ泣くなとは言ってないんですね。
聞く人に泣いていい、一人ぼっちはつらいよなと優しく寄り添って、でも上を向いて歩こうと。
幸せはその涙の向こうにあるんだよと言ってくれますよね。
だから救われますし、時を越えて多くの人に歌い継がれるんだと思います。
あの夏もその後の多くの災害の時も、どれだけ多くの人がこの歌に涙しながら励まされたことでしょう。
本当に永遠の名曲だと思いますね。
では続いて2曲ですね。同じA六助さん、中村八代さんコンビの名曲をお届けします。
まずはこの歌です。
「黄昏のBegin」です。
もともとは1959年に水原ひろしさんが歌ったんですが、当時はB面でヒットせずにですね。
あんまり知られずに、1999年に千秋直美さんの歌がコーヒーのCMソングで流れて、改めて世に知られました。
今流れているのは、貞政さんバージョンで、永遠貞政A六助を歌うというアルバムに収録されています。
なぜ貞さんバージョンを選んだかというとですね。貞さんはデビュー前からA六助さんと縁があって、出会いのエピソードが面白かったからです。
Aさんに貞さんを紹介したのは幻の山大国で知られる長崎県島原市出身の作家、宮崎光平さんでした。
宮崎さんがご本人の意向も聞かずにですね、勝手に歌手ではなく、話しか志望の若者として紹介されたと、貞さんが、と言うんですね。
その下りが上を向いて歩こうの逸話と同じく、小学科の大優位言にAさんと貞さんの対談で残ってますので、少しご紹介します。
06:02
ここからAさんの言葉なんですが、話しかは無理でしょうと言うと、宮崎さんが、いや歌はうまい。
だったら落語のような歌を歌ったら面白いんじゃないですかってアドバイスした。
これがあなただったと。
あなたってのは貞さんなんですが、貞さんはそれを受けて、あれには参りました。勝手にまさしは話しかになるって決めて、Aさんに相談しちゃうんだから。
でもおかげで僕はAさんと知り合いになれましたと。以来Aさんが亡くなるまで40年以上親しいお付き合いは続いたんですね。
さて歌詞なんですけれども、歌が生まれた昭和30年代の初期、歌詞にあるネオン並木と言えば銀座でしょうね。
まだ日本は復興都城で数少ない大人の街でした。そこを若い二人が雨の中傘もささずに歩く。
やがて雨は上がって暮れなずむ空の下で二人は口づけを交わします。わずか数十分の物語です。
彼女が震えていたのは雨のせいなのか口づけの予感だったのか。
まだ空が広かった美しい昭和の風景が甘酸っぱいノルスタルジーを呼び起こしてスタンダードナンバーになりました。
ちなみにあの佐田さんがそこでじゃあそうしようかなと思ってたらもしかしたら歌手じゃなくて話し方になってたかもしれない。
国学院の知見ですからね。
そうですね。コンサート行っても歌半分語り半分。
喋りが長いですからね、佐田さん。
ということででは最後にこの曲です。
はい、生きるものの歌という歌です。
1974年の発売当時のA六助シンガーズバージョンで2番は語りになります。
この歌その後は佐田さんもですねそれから香山雄三さんとかデュークエセスタンとかいろんな方が歌い継いで今も歌い継いでいらっしゃいます。
歌詞はぜひ読んでいただきたいんですけれども
特に最近近しい人を亡くした方は胸にしみると思います。
私はこの歌詞こう読みました。
私もあなたも生まれたものはいつか必ず去る時が来る。
そして失う悲しみはいつの世も変わらない。
けれどその悲しい夜を耐えていく時を思い出と歌がきっと支えてくれる。
残されたものに亡き人への愛や涙があって生きていく夢や未来があるならば
それは幸せな別れなのだというふうにこの歌詞私は読んだんですけれども
この歌を今日最後にご紹介したのは
Aさんがご自身の著書お話9曜の中にこう残されているからです。
09:03
最初の死は死亡診断書を書かれた時
でも死者を覚えている人がいる限りその人の心の中で生き続けている。
最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなった時
そう僕は思っていますとAさんおっしゃってるんですね。
もう亡くなって7年経ちますけれども
お盆は去っていった人たちとその願いを忘れないための日だと
前後の2つの原爆期や終戦記念日も含めてそうだと
この歌を聴いて改めて思いましてですね。
今日はQさんの歌も含めて
六助さんで中村八代さんというこのね
昭和30年代が生んだ日本の名コンビの歌をお届けしました。
ぜひお盆にゆっくりこの2人のコンビの歌を聴いていただければと思います。
僕何度かA六助さんをお目にかかったことあるんですけど
今おっしゃったように心の中にみんなもちろんこれだけ名曲を残されて歌詞を残されてるからね
みんななかなかAさんを忘れることはないと思うんだけど
僕楽屋でたたみいわし食ってたA六助さんを覚えてるんですよね。
美味しいんだよねこれってたたみいわし食べてた。
で俺ね男子さんとは仲悪いんだよって言って
すいませんって言って謝ったのを覚えてますけどね。
いやほんと粋な方だったですよね。
ということで今日はね素敵な曲歌詞をご紹介いただきました。
この歌詞がすごい元サンデー毎日編集長ガタナガシュイチロウさんでした。
ありがとうございました。
ガールズパンチ×少女隊の×ラジオ隊
×少女隊の春のキーナと
アオイリルマです。
RKBラジオでお送りしているガールズパンチ×少女隊の×ラジオ隊は
ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
ラジコ、スポティファイ、アップルポッドキャスト、
アマゾンミュージック、ユーチューブミュージックで
×ラジオ隊と検索してフォローお願いします。