2025-12-26 17:06

この歌詞が凄い!

元サンデー毎日編集長 潟永秀一郎
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00:07
イリカミネ
三菱電機
さて、トランプ政権の誕生から始まりまして、日本も世界も激動した2025年も
残すところあと5日ということで、このキーサイトの最終金曜日恒例
この歌詞が凄い、今日がね、今年の鳥ということになります。昭和100年ということで、そして戦後80年
今年、昭和を代表する歌詞の歌を今日は、この歌詞が凄い届けてくれるということです。一体どんな曲、どんな
歌詞があるでしょうか。元サンデー毎日編集長、潟永秀一郎さんです。潟永さん、おはようございます。
はい、おはようございます。本当にいろんなことがあった1年でしたけれども、1枚には、政府高官から
核武装発言まで出て、節目の年の背に、改めて感じるのは昭和は遠くなりにけりです。忘れてはならないこともあることを
胸に刻んで、今日は昭和を代表する歌手の方で、その歌を取り上げさせていただきます。
と言ってもですね、皆さんあげたら、この番組全部使ってしまうので、
泣く泣く4人に絞りました。ということで、まずはこの方です。
はい、沢田賢治さん。曲は勝手に仕上がりです。ジュリーですね。
戦後日本の音楽シーンを変えた2つのムーブメントのうちですね、フォークソングは今年年頭に取り上げましたけれども、
もう一つがグループサウンズブームでした。ビートルズなどに影響を受けた日本のロックの黎明期で、
後のJポップへと続く系譜の一つですよね。その元年と言われるのが1967年、昭和42年、
ザ・タイガースやザ・テンプタースなどが次々にデビューした年で、その象徴的存在の一人が、
ジュリーこと沢田賢治さんですね。ドラマ時間ですよで、今は亡きキキキリンさんがジュリーと悶えていた場面が浮かぶご同杯も多いんじゃないでしょうか。
ポスターの前でね。
さらにジュリーはソロになってからも化粧をしたり、キャミソールを着たり、ウイスキーを吹いたり、果てはパラシュートを背負ったりですね。
03:00
楽曲だけじゃないステージパフォーマンスでも時代を開きました。
演歌歌手の方以外で紅白の大鳥を務めたのも昭和53年のジュリーが最初でした。
やっぱり後に影響を与えたカリスマとして外せません。
代表曲も迷ったんですけれども、ステイルスで言うと昭和50年の時の過ぎゆくままにが最大のヒット曲なんですけれども。
今流れている勝手に仕上がれは2年後昭和52年のレコード大賞と日本歌謡大賞でダブル大賞を受賞していることから選びました。
ちなみにレコ大の最高視聴率はこの年で50.8%と5割超えだそうですよ。
確かに僕も見てたもんね、この時。
すごいですよね。
この詩は昭和を代表する作詞家の一人、悪夕さんです。
内容はですね、彼女にさられる男が寝たふりをして背中を向けてその間に出て行ってくれと願う。
そのくせドアが閉まると窓辺に走って後姿を追い寂しさをごまかすためにレコードをかけて朝まで踊り続けます。
キーワードはかっこつけさせてくれ。
今はあまり言われることもなくなった男リズム、男の強がりがテーマですよね。
男のとか女のとかステレオタイプの表現は令和の時代にはもうそぐわないんですけれども、
らしさが求められた時代の音楽遺産の一つだと思います。
ちなみに同じくジュリーの筆頭曲カサブランカダンディーの冒頭は聞き分けのない女の方法を一つ二つ張り倒していたのですが、
こちらはさすがに今なら暴行か障害で逮捕ですね。通報されますね少なくともね。
時代は変わったということでですね。
では次は駆け足でこの方です。
山口ももえさんです。
曲は昭和53年のヒット曲プレイバックパート2。
作詞は秋陽子さんです。
実を言うと70年代を代表するアイドルももえさんと80年代の松田聖子さんとどちらを残すか最後まで悩みました。
でもももえさんは21歳で引退して主婦になったということも昭和的だということで残しました。
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専業主婦がまだ6割を占めた時代です。
今回ももえさんの活動を振り返って驚いたんですけれども、
花の中産トリオの一人としてデビューしたももえさんの芸能活動って14歳から21歳までのわずか7年なんですね。
それでシングルレコード1100万枚以上売り上げて映画は主演13作で興行収入120億円以上。
覚えてらっしゃいますかね。テレビドラマDBSの赤いシリーズ。
これもシリーズとして。
ウサギ。
伝説の存在ですよね。
というかこのプレイバックパート2歌っている時ですね。ももえさんまだ19歳ですよ。
いやー。
ただ漏れの色気。
ちょっと大人っぽかったですよね。
ですよね。風格がありましたもんね。
さて歌詞です。
実は数あるヒット曲の中からこれを選んだのは、実はですね、さっきかけた勝手に仕上がれのアンサーソングだからです。
そうだったんですか。
そうですか。
つまりこの歌の主人公は勝手に仕上がれで出ていった女性の側なんですね。
その視点から書かれていて、そうやって読むとなるほどと意味が通じるんですが、何がプレイバックなのかですね。
1番では車のミラーを擦ったと文句を言っている相手にバカにしないでよそっちのせいよと言った後、
ちょっと待って今の言葉プレイバックプレイバックと、
夕べのことを思い出します。
これわがままばかりの彼氏に言った自分の捨てじる人がそうだったということなんですね。
2番で時を巻き戻す言葉はまさに勝手に仕上がれです。
ポルシェのアクセルを踏み込みながらラジオから流れてきたこの歌にハッとします。
勝手に仕上がれ出ていくんだろうは、夕べ彼に言われた言葉だったからです。
強がりばかり言ってたけれども本当はとても寂しがり屋なんだってことをなぜあなたはわからないなと思いながら、
あなたのもとへプレイバック。
彼のもとに帰る決意をします。
ぜひ改めて2曲続けて聴いてみてくださいね。意味が通じますから。
面白い。
そうなんですよ。ちなみに曲名がなぜパート2なのかですけれども、
プロデューサーは当初プレイバックというタイトルだけ決めて秋陽子さんに作詞を頼んで、
シングルカットされたのが宇佐紀流堂さん作曲のこちらでしたが、
もう一つ別の歌詞で魔界の孔子さんが作曲したバージョンもあって、
09:04
こちらがパート1としてアルバムに入っているので、
こちらもまたぜひネットか何かで探してみてください。
それでプレイバックパート2なんだ。
パート1があったんですね。
あるんですね。
でも秋陽子さんの勝手に仕上がりに対して秋陽子さんが書いたというのが面白いですよね。
じゃあ次の曲お願いします。
坂本久さん。歌は昭和38年のヒット曲、見上げてごらん夜の星を。
以前上を向いて歩こうはご紹介したのでもう一つの代表曲にしましたけれども、
久さんはスキヤキというタイトルで海外発売された上を向いて歩こうで、
日本人初の全米ビルボード1位を3週連続獲得したり、
100万枚以上売り上げた全米ゴールドディスクを外国人で初めて受賞していますから、
これは外せないですよね。
もう一つ大変残念ですけれども、
久さんは520人が亡くなった国内最大の航空機事故、
昭和60年の日光機墜落事故の犠牲者でもあり、
今年がちょうど40年の節目だという理由もあって選ばせていただきました。
また見上げてごらん夜の星を選んだのも今年にまつわる理由がありまして、
もともとこの曲は昭和35年に初演された同じタイトルのミュージカル主題歌で、
その舞台美術を担当したのがアンパンマンの作者柳瀬隆さんでした。
多曲の話で本当恐縮なんですけれども、
今年上期のNHKの朝ドラアンパンでその経緯が描かれました。
作詞はA.ロックスケさん、作曲は泉拓さん、
ミュージカルは集団就職の時代、
昼は働いて夜は夜学と言われた定時制高校で学ぶ
区学生の若者たちをあげまそうと作られました。
どんなストーリーかというとですね、前日制と定時制、
昼と夜で同じ机を使う女学生と区学の男子学生が机を通じて文通を始めて出会い、
夢を語ってこの歌を歌うというストーリーなんですけれども、
作詞したA.ロックスケさんの孫、匠さんはこの歌についてですね、
根底には弱い立場の人を励ますというテーマがある。
夜空を見るというのは自分と宇宙を比べること。
悩んでいる時、迷いがある時はただ空を見るだけで
悩みや苦しみの小ささに思いたり視野が開けることもあるのではないかと思いますと
雑誌さらいのネットコラムに記しています。
Qさんが日光起事故で亡くなった9日後、当時の人気番組だった夜のヒットスタジオでは、
森慎一さんが予定を変えて追悼の思いを込めて涙ながらにこの歌を歌い、
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出演者やスタッフももらい泣きした伝説の場面がありました。
歌詞はあえて解説しませんが、この歌を作ったAさん、泉拓さんの願いを思って、
そして歳子を残して43歳で旅立ったQさんのことをしのんで、
ぜひじっくり改めて聴いてみてください。
きっと今、生きてこの歌を聴けることの大切さや、
明日を生きる希望がもらえるんじゃないかと思います。
では、いよいよ今年の大取りはやはりこの方です。
はい、美空ひばりさん。
歌は最後のシングル曲、遺作となった川の流れのようにです。
作詞は秋元康さん。
作曲は三丈明さん。
秋元さんは皆さんご存知でしょうけれども、
三丈さんは知らない方もいると思うので簡単にご紹介すると、
スミレセプテンバーラブなどのヒット曲で知られる一風堂の元メンバーで、
解散後はトンレーズの雨の西アブザブなどでも、
秋元さんと組んだ作曲家でいらっしゃるんですね。
さて、ひばりさんを昭和の代表歌手に挙げて、
違和感のある方はまずいないと思いますけれども、
この番組で大取りとしたのは福岡とのご縁もあります。
それは生涯最後のステージが小倉だったからです。
この歌が発売されたのは平成元年1月11日。
昭和が終わった4日後でした。
前の年、昭和63年12月発売のアルバムからのシングルカットで、
当初は別の曲の予定だったそうですが、
ひばりさんの強い希望で変更されました。
まさに昭和を締めくくる曲です。
合わせて全国ツアーが組まれたんですが、
この時すでにひばりさんはとても舞台に立てる体調ではなく、
そもそもこの2年前、ひばりさんは公園先の福岡で倒れて、
重度の慢性肝炎と両足の大腿骨へしで、
厚生会病院に運ばれて、
最正解ですね。
最正解、福岡病院に運ばれて、4ヶ月近く入院したんですが、
その後も重篤な状態続いてたそうです。
なのに翌年4月、お医者さんと救急車を待機させてまで、
東京ドームのコケラ落とし公園に臨んで、
実に39曲を歌って、
フィナーレでは100メートルの花道を歩いたんですけれども、
さすがに体調は一気に悪化します。
アルバムはそんな中で収録されて、
ツアーの初日、平成元年2月6日の福岡公園も本当に無理をして、
まして翌日のコクラ公園は、周囲の防犯隊を振り切って、
新幹線ですら移動できず、ヘリコプターで飛んで、
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それでも全20曲を歌い切ったと。
楽屋で控えたお医者さんからは、
凸結したら終わりだと言われながら、
まさに命がけの公園をやり遂げたんです。
亡くなったのは翌3月。
まだ52歳だったんですね。ごめんなさい。
こちらも歌詞はストレートなので解説しませんが、
ヒバリさんが、私の人生の歌だと最後のシングルに選んで、
舞台の上で死ねれば本望だと歌い切った歌。
福岡の方々は地元の公園を感じながら聴いていただければ、
また一際染みるんじゃないかと思います。
雨に降られてぬかるんだ道でも、
いつかは晴れる日が来ると力をもらえるんじゃないでしょうか。
歌って素晴らしいですね。今年もありがとうございました。
また来年どうぞよろしくお願いします。
今年ね昭和100年最後大鳥は美空ヒバリさんということになりました。
ありがとうございました。
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