Wickedとその感動シーン
ノーコールのマーケット担当佐藤と、ノーコールの司法阿部です。
今日は日常回ということで、まいつさんは以前、Wickedを見られたみたいで、私も見たんですけど。
いや、Wickedをね、奥さんと見に行って。やっぱりミュージカルってあるんで、やっぱり女性のお客さんが多いんだなっていうのはやっぱり感じましたね。
へー、そうなんですか。
まあ、でも別にディズニーじゃないけど、普通の映画よりなんか女性の方が多いのかなっていうイメージでした。
まいつさんは奥さんが見に行こうっていうことで。
そうそう、いややっぱりね、俺一人だったら絶対見に行かなかった。
ね、まあまあ確かに。
でも俺、なんか人がいいっていうのは、できるだけ体験しようっていうポリシーがあるんで、まあ行ってみようかなみたいな。
ミュージカル映画とか全然見たことないしね。
え、端的に感想をお願いします。
端的に普通に面白かった、すごくね良かったと思いました。
なんかまいつさんがウィキッド見た後に出社されたじゃないですか。
その時にまあまあ普通だったみたいな感じだったんで。
それは本当にもう歴史改変が起こってて。
俺は普通に面白かったとは言ったんだけど、テンションがそんなに高くなかったっていうだけだと。
私も当事者だった、歴史改変。
歴史改変。
そうそうそうそう。
でも普通に面白かった。
でもやっぱりヒャンさんはどこが一番良かったっていうか、感想を教えてほしい。
ちなみに私はめちゃくちゃ泣きました。
俺も最後の方は泣いたと思う。
本当ですか?よかった。
なんか泣いたのは、ここからはたぶんネタバレみたいな感じになるんですけど。
あのパーティー、クラブに、エルファバが来た時に踊り出すシーン。
なんかすごい、本当は悲しいのに強がってて、でも勇気出して踊っててみたいなシーンで、めっちゃ感動しました。
いやでもそこは俺も感動しましたよ。
あ、そこ一番ですよね。
あと最後のところ、どっちかになるかなみたいな。
文化的な交流の心理
あ、最後西。西を探せみたいな。
ほうきに戻って、塔から出て行って反抗するみたいな歌で。
最初のシーンは、よくある異文化交流みたいなところのやつがあるのかな。
松本ひとしがやってたテレビ番組で、世界中を旅するフォトグラファーの人が、マサイ族みたいな閉鎖的な部族のところで写真を撮るんだけど、
そこで一番仲良くなる方法が、現地の人の服装になることっていう。
へー。
最初は警戒されるわけよ、スーツとかかわいい服とかやって、写真撮らせてくださいとか言っても。
でも現地の人の服着たり、現地の人と同じメイクとかすると、お前はもう仲間だっていうことで、写真をすぐ撮らせてくれると。
それはどういう心理が。
いやてかそもそも、服装とかメイクとかって国によって若干違うでしょ。
あるいは方言も若干違う。方言も当然違うよね。
それはなんでそうなってくるかっていうと、
当然いろいろな要因があって変わってくるんだけど、
それはある種的味方の区別がつきやすくなるように進化してきている可能性があるのね。
へー。
というかそもそも言語がなんでこんな複雑にいろいろあるかの一つの例として、
交流がないからいろんな言語が複雑に分かれているのかなと。
交流があったらだんだん一つのものに統合されやすいのかなみたいな。
確かに。
でもそれ実際は逆で、例えば赤道付近。
インドネシアって確か言語700ぐらいあるんだよね。
へー。
人口密集地帯の方が言語が分かりやすいっていう。
それは分かってるのよ。
交流が多い方が言語分かれてるの。
へー。
逆に。
なんでですか。
これは当然仮説段階なんだけど、
言語がそもそも分かれる理由の一つとして、
違うグループに何話してるのか分からないようにするためっていう可能性があるのよ。
未開の部族とかの時に、
例えば自分の部族のところだけは弓の矢尻のところを工夫して、
殺傷能力が高くなったとして、
同じ言語を使ってて喋ってる内容が分かったら、
向こうでも勝手に複製されちゃうでしょ。
アイデアを流出防止のために言語が分かれてきたんじゃないかっていうのが一つの仮説なんだよね。
それはどのくらいの時代ですか。
ずっと昔。
つまり言語が出来始めた頃に、
多分そういう理由があったんじゃないかって仮説段階だけどね。
話の元に戻すと、
仲間としての理解と誤解
逆に学校みたいなところであると、
男だってそうなんだけどさ、
グループ分かれるでしょ。
それこそエルファバとグリンダーが分かれたように。
当然違う。
グループが分かれるのは自然法則みたいなものなわけよ。
だけどグリンダーと同じような行動をするっていうのは、
あなたと同じ仲間ですよ、アピールっていうことで、
心が通じ合ったかのように見えると。
実際もしかしたら結局最後2人は別れたわけじゃん。
残るグリンダーと抵抗するために外に出たように。
分かり合ってはなかった可能性あるわけよね。
別に喧嘩はしてないけど。
まあ確かに。
けれども同じ踊りをしたってだけで、
すごく友情が結ばれたかのように我々観客は思ったでしょ。
つまり同じ行動をとる、同じダンスをする、
同じメイクをするっていうのは、
そういう効果を我々にも自然と実は与えてたってことだよね。
しかもそれが自分たちにとって奇妙であればあるほど深くなるというか。
その通り。
うれしい。
物語構想上はだって意見が異なってんだよ。
冷静に行動だけを見たら。
でも誰もそう思ってない。
2人は通じ合ってて、けど別れたんだって思ってるけど、
冷静に行動だけ見てたら全然愛出てないわけだよね。
喧嘩してないけど。
でもそれはあの時同じ踊りを踊ったっていうことで、
もうあの2人は仲間なんだと我々が勘違いしてる可能性もある。
メタ的に言っちゃえば、
オズの魔法使いっていうのがあって、
それのファンが確か書いたんだよね、
ビキッドっていう小説自体を。
だからつまり前日談を後から作ったわけよ。
ってことは話の整合性を取らせるために、
最終的には別れる、敵対してる2人なんだけど、
元は仲良かったっていうことにしてるから、
絶対別れる結末が決まってたってわけだけどね。
でもあれはお互い頑張ろうぜ、みたいな別れじゃないんですか。
でもなんか、それもあるかもしれないけど、
エルファバは私は抵抗するっていう感じで、
で、グリンダの方はまだ権力欲が強いからか。
確かに。
だって一緒に逃げればよかったじゃん、最悪ね。
確かに先生にすっごい先生みたいな感じでしたよね、最後。
本当に仲間だったら一緒に逃げればよかったでしょ?
確かに。
でも我々はグリンダが薄情者とは思わなかったじゃん。
それは中盤で一緒に踊ったから、2人は仲間なんだと思ったってことだよね。
確かに。でも最初はなんだこいつと思いましたけどね、グリンダと。
でも別にこれは何?皮肉的な見方をしてるとかっていう意味じゃなくて、
最終的に前述談を後から書いたから、
2人は敵対するってのは決まってることだから。
もし私が少数派だとして、ずっとクローズドっていうか閉鎖的に生きてきたとして、
ある日来た人が緑になってきたら、バカにしてんのか?
これもあれなのかな?私が緑を下に見てるからなのかな?
ここがすごく難しいところなのよ、確かに。
この多数派が勝手に少数派に合わせる。
それが最近っていうか、少し前アメリカが買ってた文化的登用なんじゃないかみたいな。
多数派が少数派の服着たりして、それ本当にいいの?みたいな。
とかいろいろあるけど、本当の目的が交流のために、
相手の文化っていうか、相手の仕草を尊重して同じように行動する。
アイデンティティの葛藤
なぜなら交流したいがためにやってるんですっていうのはね、
別に悪いことじゃないような気がしますけどね。
そこにリスペクトがあれば。
リスペクトってもう分かんないから、最終的にはその人の心情でしょ?
それを第三者が測るのはなかなか難しいからね。
一個ちょっと相談したいんですけど、
私は在日なので、成人式とか卒業式の時に、
みんな振袖とか袴着るんですけど、着るものはチマチョゴリ。
チマチョゴリ着るのもよかったんですけど、成人式の時は、
それでチョゴリ着て行くのも個人的には写真撮影も撮ったし、
いいやみたいな感じになっちゃって行かなかったし、
4年生でもう少し来年卒業式なんですけど、
渋谷の大学にチョゴリを着て行くのかみたいなことを思ってて。
でも成人式はもう終わってはいる?
終わっても着なかったんですよね、成人式は。
写真は撮ったけど、式には行かなかった?
そうです。
要するに成人式はもう行かなかった。
で、大学の卒業式にどっちの服装で行くかみたいな。
それは本当に軽々しくラジオで話せないぐらい深い問題ね。
だけど、もし俺がどうだったかっていうのを今考えてるってことですが、
自分の在日っていうアイデンティティが強いんだったら、
別にチマチョゴリを着て行くことに、俺は別に何も思わない。
そういう人がいたとしても、それただ執事を表してるだけだから。
ただ若干そうすると、他の同級生とは違う格好になるわけだよね。
そうなんですよね。
それを見て、俺たちとは実は違ったのかなみたいな。
っていう風に相手が思う可能性もゼロではないね。
そうですよね。
俺は思わないけど、少なくとも私は思わないよ。
同級生だとして、ヒャンさんがそういう服着たとして、
俺は全く思わないけど、思う人がゼロではないかもしれない。
でも、そういう思う人がいるよりも、
自分の執事をそういう歴史があるんだから着るっていう選択肢が一つある。
っていうのと、別にそこまで強く主張する必要ないの。
なぜなら、私普段日本語喋ってるし、
別に韓国式の生活を送ってるわけでもないしと。
もし日本に住み続けて、日本的な生活をするんだったら、
それは非常に日本人にかなり近い行動様式を取るわけだよね。
だから、別に普通の日本人の学生と同じような格好をする。
っていうのも一つあると思うんですよね。
つまり、よりプライベート。
つまり、ちまちおごりを着るのは、よりプライベートの式典。
例えばヒャンさんの結婚式の写真であったりとかにして、
パブリックのところでは日本式の格好をするっていうのもありだし、
パブリックのところでも、
ちまちおごりの韓国式のアイデンティティを表すのもありだと思うし。
これはもう選択になってくるってところ。
なるほど。自分のアイデンティティに問う。
そうそう。アイデンティティをどこまで持つか。
アイデンティティを確かに強く持った方がいいんだけど、
Wickedとの関連
強く持ちすぎると、それは当然、
世界中の移民の人が苦労するように圧力がゼロではないっていうことね。
そこをどこまで許容するかって。
私は別にそこまで偏見ないけど、
偏見を持つ人がいない世界ではないっていうのは、
もう厳然たる事実だから、それを踏まえてどうするかっていう。
目立っちゃうじゃないですか。
そうそうそうそう。
あ、違う服着てるみたいな。
で、中にはわざわざ着なくてよくない?って思う人も絶対いると思うし、
そこに私が着たいという思いが勝てないのが事実で、
ウィキッドの話に繋げると、
そうやってエルファバは毎日、
私が卒業式でどうしようかなって悩んでるのを
もう逃れられない人生なわけじゃないですか。
見た目で分かっちゃうみたいな。
確かに確かに。
本当にそこにめっちゃ感情移入しちゃいました。
なるほど、確かにヒャンさんが感情移入する理由もわかったね。
最後に一点だけ付け加えるとすると、
そういう偏見を持つ奴がいるからといって、
自分のアイデンティティーを薄めるしすぎるのも、
それはそれで問題だっていう意見も私はわかりますので、
だから本当にそれはもうどうするか。
つまりエルファバみたいに、
でもそうするとやっぱり戦う道には進まざるを得ない、
そういう偏見を持つような奴とね。
っていうところもあるんで、
難しいところであるっていうのを、
最後に一点付け加えて終わりたいなと。
私も言っていいですか最後。
どうぞどうぞ。
やっぱちょっとちょこりきっちゃうと、
ちょっと可愛くなりすぎちゃうんで、
そこはちょっと目立っちゃってみたいなところで、
それがいい回答だと思います。
素晴らしい。
はい、今日ありがとうございました。
ありがとうございました。
また次回のポッドキャストでお会いしましょう。