そこを鶴くんは初めてやったのかな。
いやなんかね。うっすらは知っとんすけど。
かぶってないもんね。
かぶってないと思います。
そうだよね。
かぶってない。僕らかぶってないです。
そう。デビューもかぶってないもんね。
そしたら絶対かぶってないです。
新卒でリクルート入って、そこからショームから始まったんですよ。CAショームやって、キャリアアドバイザーのほうですね。
のショームやって、あとRA営業のほうのショームやって、割と営業ショームでも営業どうこうしたりとかですね。
結構こう能動的に動くショームをさせていただいてて。
すごいそんな人いないんですよ。普通にね。そこ止めたいね。
そうね。一回する分かるよ。
ちょっと待ってしたい。
する分かる分かる。ちょっと待ってしたいよね。
僕らの世代でRAのショームさんがアップ行く人一人もいなかったですよ。
どうこうって何?
電話でね、日程調整のこの人急遽とかやっていただきますけど、積極的にアップ行くショームだったんですよってさらっと今言いましたけど、初めて聞いたそんな人。
そうですか。
何目的でどうこうするんですか。
何目的じゃなくて、そういう流れになったのね。何か営業のショームをしていて、ちょっとどうこうで、みたいなちょっと紹介するわ的な感じの流れで。
別に私が何か連れて行け連れて行けって言ったわけではなくて。
それは違うんだ。なんか小林さんの性格上連れて行けって。
なんか性格上言いそうやから。私もっと知りたいから、ちょっと仕事これもっとしとかなあかんからみたいな言いそうやなと思って。
でも私はそうでもないんだよ。だから今私そういうふうに見えてるかもしれないけど、もうちょっと大人しく。違うなあでも。
言うとったかもしれん。
言うではないけど、匂いは出してたんかもしれない。
出てたんちゃうかなあ。
いや、でもまあまあまあまあそんな流れがありながらの、そこから営業になるんですよ。
もうなっちゃうんですね。
営業になって、まあそこでずっとやってる感じですよね。営業をずっと何年やったんだろうな。
でも私リクルート自体にいるのは6年もいなかったんだよね。
短くて、で結婚が決まりの、その時に当時の支社長が結婚報告したら、どっち辞めるっていう話あって。
そういう時代か。
リクルートでもそんなあるんですねって感じよね。
たまたまその方は、ちょっとその当時社内でっていうのが、うんそうそうそうそう。
それでなんか、え?ってなって、どっち辞めんねんみたいな。
そういうつもりじゃなかったんですね。
そうそうそうそう。で、え?ってなって、でもさすがにでもね、それは私辞めるわってなるし。
結婚せえへんとは言えられへんし。
そうそうそうそう。で、1回家庭に入りますっていうことで。
お礼さんの方がお辞めになると。
そう、辞めるんですよね。なんですけど、じっとは入れないですよね、家には。
じっとは入れないですよね。
マグロみたいな。
そうそうそうそう。
追いのかんとして。
追いのかなかみたいな。
そうなんですよね。で、結局そこからお声掛けいただいて、とある人材系の会社派遣の方ですよね。
そこからお声掛けいただいて、人材紹介事業立ち上げるっていうことで、それの立ち上げ要員で手伝ってくれる人が欲しいっていうことで、
私契約社員で事務職で入るんですよ。
もう本当にゼロからでオペレーションも何もないんで、契約書作るとか、それこそ求人票のフォーマットすらないようなところもあったので、
それは全職の経験で何とか乗り切りつつっていう感じでやっていて、人材紹介事業部立ち上げるんですけど、もともと派遣しかしたことない人たちが移動してきての立ち上げなんですよね。
どうしてもやっぱり知識的な部分で私がサポートすることが増えていったっていうのもあって、数ヶ月後に部長に呼ばれましてですね。
静社員で下は課長からスタートせえへんかっていう話で。
おだしょー 責任者やん、突然の。
中村 契約社員の事務が静社員の課長。
おだしょー 事業責任者なってるやん、急に。
おだしょー 面白いわ。
中村 結局試験を受けて、25歳の時なんですけど、その会社の市場最年少で市場最短でマネージャーになるっていう。
おだしょー 面白いなあ。色々そっとかしてマネージャーになるっていう。
中村 そうなんですよ。事業部って言っても、一応メインの、まさか不思議なんですけど、メインのオフィスが東京本社あるんですけど、
西日本がメインで統括部長がいる状態だったので、私が西日本を見ることになって、後に名古屋とかっていうふうに展開はしていくんですけど、
西日本、じゃあ頼もうみたいな感じで言われの。そこでメンバー抱えて、初めてのマネジメントを経験しつつ採用したりとかしながら、仕事を進めていくっていうのをやってたんですよね。
当時の統括部長にもめちゃめちゃよくしてもらってたりとか、あと派遣事業のほうも関わったりするので、色々勉強させてもらいながら、
そちらの派遣事業部のほうの統括部長にもよくしてもらってて、結構これから自分も仕事をどんどんやっていけるなっていう環境ではあったんですけど、
派遣のほうの部門の統括部長とかにもすごいかわいがっていただいて、いろんな外部とのやり取りとか、人脈を広げていただくようなお手伝い。
女性の部長やったので、余計に私の存在が売れずになったので、めちゃめちゃかわいがってくださってたんですよね。
で、これからっていうときに妊娠しまして、流産したんです。
で、さらに子宮経がっていう。
で、もう治療しないといけないっていう状態になって、私的にはすごいメンタルが落ちてしまって、
手術を受けるような体力が、そのとき流産、私がなかったので、経過観察しながらの治療ということで、結構長期に渡る感じになったので。
そうなんだ、手術ができないんですね。
できなくて、ちょっと様子を見ながらちょっとずつ薬でみたいなんで、日本ではもうすぐ手術でなんとかっていう。
もうアメリカではこういう治療法もあるんで、みたいなことで、その先生がちゃんと最後まで見るからっていうので、長期に渡って遂院しながらっていうので見てたんですけど。
で、そういうこともあったので、仕事は続けれないっていう状態で退職の意思をこうしたんですけど。
その派遣の方の部門の女性の統括部長が、退職のときにがっかりしたと言われたんですね。
で、病気にも負けずに退職を選ぶというね、そこがなんか逃げるなよ的な。
えー、厳しい。辛いなー。
でも、自分の中でも給食をして復職っていう手ももちろんあるんだろうけど、でも自分の中ではやっぱり子供をね、やっぱりちゃんと欲しいというのもあったので、ちゃんと治療したいしっていうので。
だからそっちにやっぱり私の優先順位は高かったので、舐めるっていう決断をしたんだけど、もうその女性部長からしたらもう多分この子育てたいと思ってくれてたんで。
まあ気に入ってたからですね、尚のこと。