00:01
みなさま、こんばんは。ごきげんいかがですか?
ママの迷いを希望に変える、子育て・自分育てアドバイザー、タダノカオルです。
本日は、コラボLIVEということで、がんサポートナースの人生を豊かに、ラジオ?レディオかな?をされている、さちこさんにお話を聞かせていただきたいと思っております。
まだ、さちこさんはいらっしゃっていないご様子なので、コメントを付けさせていただいて、ゆっくり待たせてもらおうかな。
さちこさん、いらっしゃいました。
こんばんは。
こんばんは。
さちこさん、今日はどうもありがとうございます。
いえいえ。iPodが音声がいまいちかもしれないんですけど、大丈夫ですかね?
全然問題ないです。
聞こえますか?よかったです。
私の声は大丈夫ですか?
全然大丈夫です。
よかったです。ありがとうございます。
いえいえ、ありがとうございます。
縁あって、さちこさんとつながれてとっても嬉しいんですけど、
そもそも、とこさんのチャンネルにたどり着きまして、コラボをさせてくださいってことでお話をいただいたときに、
とこさんのサムネ、キャプションのところにさちこさんが。
そうなんです。毎回毎回載せてくれてるんですよ。
本当に。
本当に。
だからそれで、さちこさんのところに飛ばせていただいたら、
さちこさん、本当にさまざまなことをされていらっしゃるんで。
おかしいですよ。
どうなっているのかと思ったら、私の興奮心がムクムクしてきて、さちこさんのどんなことをされているのかお話を聞かせていただきたいなって思いましたので、
今回はコラボライブをお願いさせていただきました。
ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
今のさちこさんの肩書きっていうのも、いっぱいありますよね。
03:07
そうなんですよね。
ガールスサポートナースの法人の代表をしながら。
法人の代表。
その法人は2019年の10月に立ち上げたんですけど、
その後、2023年の7月に、もうすぐなので丸2年になるんですが、
今いる三重県の南室郡紀宝町という、
本当に世界遺産の熊野川を挟んで和歌山県との境っていうところにある1万人足らずの小さな地域に移住をして、
看護師でありながら地域おこし協力隊としての活動をさせてもらっていて、
その移住してから去年の12月に、川を挟んだ隣にある和歌山県信濃市っていうところの中高一貫の学校で、
保健室の非常勤として、週の1.5日だけなんですけど、月曜の午前中と木曜日だけなんですけど、
保健室で養護の先生のサポートをしながらお仕事をしたりとかしています。
そうですよね、すごいすごい。そして最後、徳子さんが立ち上げたスタイフシステム。
そうですね。
何か知らないけど。
と思って。
もうね、どんだけ広いんだって感じ。
本当に徳子さんが必要とされて、いろいろ活動されてるんだろうなぁと思って。
お話をちょっと聞かせていただきたいんですけれども。
どうぞどうぞ。
まず、がん病棟で働く看護師さんを支援する活動ってことですか?
というわけで、限定した活動ではなくて、もともと私が病院勤務を辞める最後の6年間を看護師病棟で勤めてたんですね。
千葉県の一つの病院と横浜にある一つの病院と合わせて6年だったんですけど、
最初に働き始めたのがたまたま立ち上げだったんですよ。
それも本当にずっと探してて看護師病棟で働きたいと思って。
06:00
ずっと探してたんだけど、近くになくってそういうところが。
いよいよ国が看護師病棟をいっぱい作ろうっていう時期に、千葉県がそういう強化県みたいな感じで、
日本の中でも千葉県とどことどことみたいな感じで、
集中して看護師病棟を増やそうっていう動きがあって、
それで、私がずっと探してたもんだから、
エージェントからまだ探してますかって聞いたんですよ。
ある時の年末あたりに。
探してはいますけどって言いながら、
今度立ち上げるところがあるんですけどって言われたのがきっかけで、
車で1時間だったんですよ片道。
ちょっとどうしようかなと思って。
でもこんなチャンスないだろうなと思ったんで、
もう行きますって言ってその当時働いてた病院を辞めて、
ようやく本当にずっと探してた、いつかは働きたいと思ってた病棟に、
立ち上げっていう形からゼロからものを作るっていうのも経験をさせてもらって、
私も外から来て、当時の市長も外から来て、
何なら先生も外から来てるっていう。
スタッフも多分7割ぐらいは外からだったんですよ。
足りなくなっちゃって、中から呼んだって感じだったんですけど。
そうなんですね。
そうなんですよ。本当それは大変でした。
いわゆるアウェーだったんですよね、病院の中からすると。
立て増しして新しい病棟を作りました。
しかもそこは他の病棟に比べたら半分ぐらいしかベッド数がなくて、
一見人がうるわっているように見える病棟なわけですよ、結局。
他の病棟も、まあまともな病棟だったんですけど、
最初から人が足りなかったんですよ。
ようやくギリギリ間に合ったぐらいのスタッフが、
なんとなく揃いましたね。
そうなんですけど、
病院の中から出てきて、
病院の中から出てきて、
病院の中から出てきて、
病院の中から出てきて、
スタッフがなんとなく揃いましたみたいな感じでスタートしたもんだから、
意識の高いというか、
看護ケアをやりたいという人と、
しょうがなしに来た人と、という意識の差があったりとか、
あとは大体の看護師さんが、
看護ケアをそもそも、
看護ケア病棟というところでは働いたことがない人たちだけだったんですよ。
なので、全部市長から教えてもらい、
09:01
先生から教えてもらいみたいな感じで、
最初の病棟が本当にオープンしますっていう、
2ヶ月ぐらい前から入って、
午前中は市長と先生から勉強会を開いてもらって、
午後は物を揃えたり、
いろいろここに何を置くとかっていうような準備をしながらオープンをしたんですよね。
そうなんです。
病院の立ち上げっていうのは、
長いこと病院で働いている割には結構悪いんですよね。
大変ですよね。
大変でした、本当に。
物を揃えるのもそうですけど、
意識の問題?
そうなんですよ。
それこそ今お話ししていただいた、
意識が高い人と意識が低い人と、
アウェイと、
アウェイが反対なんだ。
そこの方とっていうので、
グッと突如でしょうね。
そうですね。
予定の日程よりずれてしまったもので、
それによって私はたまたま一般病棟でしばらく2ヶ月、
2ヶ月はいなかったかな、
1ヶ月半ぐらいそこで待ってなきゃいけなくなっちゃって、
でもある意味、
もともといる病院の人たちと仲良くはなれたんですよ、
そのおかげで。
一つの病棟であろうと、
ちょうど渡り廊下続きの病棟だったので、
なおさら私はそれでよかったなって思ったんですけど、
ただもう顔分けやとは何ぞやみたいな、
そもそも何をどうしてるんだろうっていうところからだったんで、
本当に毎日のように、
特に初日から夜勤なんて普通に始まるわけで、
少しずつ患者さんは増やしてはいったんですけど、
もう夜勤明けで早朝から捕まえて、
夜にあったよくわからない出来事をこれでよかったのかって聞きまくって、
っていう日々が続いて、
日中は日中でやっぱりたびたびわからないことが起こるんですよ。
普通はそうだけど、
ここでは違うよみたいなところが、
だんだんわかってきた人、
これでいいのかなってなってくるんですよね、やっぱり人間って。
自分たちの今までやってた看護とは、
ちょっと意識を変えないといけないっていうのがあって、
本当にドアの開け閉めから叱られましたし、
今まで無意識にやってた、
多分香里さんもあったかもしれないんですけど、
洋室に入った時にちょっとごめんなさいとか言いながら、
ベッドに当たったりとかするじゃないですか。
12:02
カートが当たるだけではなくて、
私たちの体自体がコツンと当たったりとかするのも、
それがどれだけ痛いかわかってるって叱られて。
なるほどね。
結局骨に転移してる人なんて、
ちょっとしたことで痛みを感じる人たちが、
それこそ末期になってくると普通にあるわけで、
そうですよね。
そういった意識も低かったですし、
ナースコールを取った時に、
どうされましたって今までは聞いてたのに、
それNGだったんですよ。
どうされました?NGなんですね。
しゃべれないかもしれないよねっていう意識で、
即行きなさいって。
行きますって言って即行きなさいって言われました。
とにかく聞いてる場合じゃないよって言って、
ちゃんと確かめてから対処しなさいって言われたりとか。
私たちの何気ないちょっとしたところが、
患者様にとってはものすごくストレスになったりとかね。
ってことですよね。
そうなんですよ。
本当、しまったと思ったんですけど、
ちょっと患者さんとかご家族に聞かれた時に、
あとは何か訴えがあった時に、
これは私が例えば勝手に判断してダメだなとか、
ちょっと先生に聞いておこうみたいな、
先生に確認してから返事をちゃんとしようとか
言うことが多々あるじゃないですか。
そうですよね。
あれをある日、
口癖のように分かりました、ちょっと先生に聞いてきますね
みたいに言った時、
たまたまそばにいた市長から、
行かなくていいよって言われたんですよ。
そこにいてって言われたんですよ。
何もしなくていいから黙ってそこにいてごらんって言われたんですよ。
そうなのに。
20歳じゃそこらの新人男性じゃないのに。
で、私、はーっと思って、
そうだ、困ったらすぐ先生って言ってたと思って、
もうよく分かんないけど黙っていたんですよ。
で、その時に頭で考えるわけですよね。
どうしよう、今私何をしたらいいんだろうみたいな。
で、でもそれだけで、
患者さんって落ち着いたんですよ。
なんかこう、いてくれたっていう。
いてくれるっていうことが、
その人の今のやるべきことだったんじゃないのっていう風に
言われたんですよ。
その人の今のやるべきことだったんじゃないのっていう風に
15:00
私に気づけって言ってたんだろうなと思ったんです。
簡単なんですよね。
先生に聞いてきますって言うと、
先生の指示をもらって対処してくれるんだなって
思いはするかもしれないんですけど、
なんかそこに私たち逃げてたかもしれないと思ったんですよ。
なるほどね。
そうすればよかったんだと思って。
だから緩和ケアの病棟に行って、
そういう細かな一つ一つを身につけさせてもらったことで、
すっごいなんかね、視点が変わりました。
看護に対する。
なるほど。
でも、そもそもなんですけど、
その緩和ケアの病棟立ち上げに関わられた時の
幸子さんっていうのは、
緩和ケアの経験がゼロだったってことですか?
ゼロゼロです。
ほとんどのナースはゼロでした。
緩和ケアがしたいっていうことを公言されてて
お声がかかったって感じなんですね。
そうですそうです。
なるほど。で、市長さんは経験が終わりになったんですね。
一人だけ、市長だけは経験があったんですよ。
前の病院でも立ち上げされていて、
なるほど。
まだ当時ほんと少なかったんで、
経験してるナースのほうが少ないんですよ。明らかに。
で、なんとなく認定看護師とかが増えてきた頃だったんで、
まだまだ私がいる間は認定看護師はいなかったし、市長しか。
そうですね。2019年?もっと前ですよね。
もうちょっと前かな。
認定看護師はその頃少なかったはずですよね。
まだまだほんとに少なくて。
えいこさん、てりぃさん、こんばんは。遊びに来てくださってありがとうございます。
こんばんは。ありがとうございます。
なるほど、なるほど。
でも、ある意味その市長さんとの出会いっていうのは、結構さちこさんにとっては衝撃でしたね。
衝撃でした。なんか私、今まで何やってたんだろうと思いました。
なんかやっぱり、なんだろう、そうじゃないってなんとなく思ってても、
知らず知らず先生を頼ってたし、
なんかこう、看護師なのに、
なんか看護だけじゃなくって、指示を受けて動く人みたいなことの方が多かったんじゃないかなってめっちゃ反省して、
顔負け病とって、新人から来た方がいいなと思いました。
18:02
めちゃくちゃ勉強になりました、ほんとに。
そうなんですね。
じゃあ、あれなんですか。さちこさんは、そもそも看護ケアをやりたいと思われたきっかけって何だったんですか。
私、20歳で看護師になって、
20代、もう看護師になって2年経って結婚をして、子供を2人産んでみたいな感じで、
20代最後に離婚をしてみたいな、ほんとにそれからもいろいろあるんですけど、
一旦実家というか長崎に戻ったときに、
チャプレンさんの話を聞いたんですよ。
チャプレンさん?
チャプレンってわかります?
わからないですけど。
日本でいう宗教看護師というか、要はスピリチュアルなケアをするのがメインになるような方々で、
外国の方では結構チャプレン、チャプレンって言って、
外国でチャプレンになった日本人の方もいらっしゃるんですけど、
その方の話を聞いて、
当時まだ看護ケアって言葉が出ない頃から、
いつかはホスピスに行きたいなと思ってたんですよ。
なるほど。
でも若いうちってそんな年も絶対上の方が多いであろう、
若いうちに、
どこでもいいからとにかく、
20代、30代くらいは経験積もうと思ってたんです。
うんうんうん。
で、運良く、
経験積もるのができるようになったんです。
そしたら、
勉強をして、
それをやって、
勉強して、
勉強して、
勉強して、
勉強して、
勉強して、
小児科さん、婦人科、精神科以外はほぼほぼ回ってきたんですよ。
病院も、もう本当に大学病院以外は、
大きな病院からちっちゃなクリニックまで、
なぜか経験することができて、
経験積もれたんですね。
そろそろ行きたいな、でもないなと思ってた40代になってから、
看護ケア病棟に巡り会えて、
へー。
引っ越すきっかけがあったんで、
横浜の神奈川の方に行くときも、
もう一回探そうと思って、
本当に、ドクターが違えば看護ケア病棟って全く変わるよって言われたんで、
それもちょっと経験したくて、
たまたま探してたら、
今までの立ち上げとは大違いの、歴史のある病院に巡り会えて、
そこで4年、
スタッフもすごい充実はしてたんですけど、
21:02
やっぱり退職さも多いっていうようなところではあったんですけど、
あ、本当に違うなっていうのも実感をして、
そんな中で倒れちゃったんですよね。
ん?そんな中で?
行けなくなっちゃったんです。
行けなくなっちゃった?
仕事に。バーッとしちゃったんです。
あー。
49で。
それがきっかけです。外に行けようと思ったのが。
あー。なるほど。ご自身の経験なんですね。
あー。
本当に行ったところでバーアウトされちゃったんですか?
看護ケア病棟を変えた病院で4年やってて、
もう本当に目と鼻の先だったんですよ。病院が。たまたま。
なるほど。うんうんうん。
で、やっと体が楽に働けると思ったんですよ。その時は。
車で1時間じゃなくなった。
あー。もう歩いて数分だったんで、
もうみんなに言ったらみんなが来そうなぐらいの近いところに住んでいて、
で、もう焼き焼けでどんなに遅くなろうが帰ってばたん急でいいくらいの、
いわゆる一人暮らしになったんですね。子供は育ってるし。
あー。そうなんですね。
もう若い時に結婚しちゃったから、私一人暮らしの経験もなくって、よく考えてみたら。
うんうんうんうん。
寮生活ぐらいでしかなかったので、
うわ、もう本当ラッキーとかと思って、
ところがなんかその気持ちの面というか、頭の中が全然切り替えられなかったんだろうなと思ったんですよ。
どっぷり使ったんですね。
うん。もうずーっと帰ってまた調べ物して戻ってまた帰って戻ってみたいな、
うん。
もうずっと休みの日も何にしても、なんかこう患者さんの、受け持ちの患者さんのことを考えてる日々になってしまって、
うん。
で、それが別に苦痛じゃなかったんでしょう。本人は。私本人はね。やりたかったし。
そうですよね。なんかすごく言うことができます。
なんだけど。
心底、そこにどっぷりね。
うん。
でね、家族も含めてすごい本当に、家族みたいな感じで関わるぐらい深く関わってしまうので、
で、あとはね、もう夜勤のたんびに見取りがあったりとか、
はい。
もう一番多いときは二交代の一晩で4人見取りました。
あー、そうなんですね。
さすがにその時は市長がいたわってくれましたよ。
そう。本当に。
大変だったねって言われるぐらい。
本当にもう、なんか見取りもすごくやっぱり多い病棟ではあるし、
だからそこ、それが耐えられなくて辞める人もいましたし、
うーん。
やっぱりみんな残業の日々だったんで、
24:00
うーん。
ドクターも倒れてましたね。
あー、そうなんですね。
変わる変わる。
私は今働いているとこが命が生まれてくるところなんですけど、やっぱりものすごくエネルギーを使うんですよ。
そうなんですね。
逆もしかりなんだろうなって思います。
うーん。
すごいところで激務されてたんですね。
いやー、もうだからとうとう私もなってしまったと思ったんですよ。
うーん。
でもなんか、3日ぐらい薬をもらって寝ちゃうと、
体自体は全然なんていうんだろう、そんなにクタクタでもなかったので、
復活されたんですね。
ご飯がおいしくなったとかって思ったんですが、
そこでその当時の看護部長が止めてくれたんですよ。
あー。
もうそろそろ働けるとかじゃなかったんです。
何言ってんのって言われて、そんなに早く簡単に元気になるわけないじゃないとかって言ってくれて、
結果2ヶ月ぐらい休んで、
結果辞めるんですけど。
辞めるんですけど、それもまた気持ちよく送り出してくれたんですよね。
その頃からね、なんかね、風向きが大きく変わった気がしたんです。
うーん、すごいね。
なんで?なんでこんな意識があっちに向いてんだろう、私みたいな。
全然戻る気満々だったのに、
外でガンカフェとかやってる患者さんとか、
フラッと見に行ったりとかしたために、
あの、ガン告示の現場に看護がなかったことに気がついて、
そっからね、もう緩和経病棟に戻っていては、
こういう人たちに何もできないんだっていう意識になっちゃったんですよ。
なるほど。
それでもうきっぱり辞めようと思って、
一旦辞めて、行きたくなったらまた行けばいいかぐらいで、
それは部長も言ってくれたんですけど、
なんか外の世界をいろいろ見て回り、
異業種の人たちともたくさん関わることになり、
なんか私、外の世界のことを本当に知らなかったんだなって気がついて、
でもなんだろうな、面白くなったんですよね、外にいることが。
外にいないとできないことがいっぱいあると思い出したんですよ。
でも、それでブログを書きながら、
相談に乗りますって感じで発信していったら、
それでもね、一看護師がなんかよく習ってもいない、
なんか知らない作文みたいなブログを書いてるだけだから、
27:01
最初はもう何もかすりもしないんですけど、
半年ぐらい時間があったから毎日毎日書いてたら、
そこから申し込みがあるようになって。
なるほど。
どんなお手伝いをするってことをブログに書かれてたんですか?
やっぱり、告知されたばかりの人に、
告知されたばかりの時って一番不安定で、
整理をしてあげる必要があるっていうか、
頭の中を整理するとか、
とにかく気持ちを落ち着かせて、
次の選択をちゃんと自分でできるようにならないと、
もうずっと不安とよくわからない感じで、
物事が進んでしまう人たちがたくさんいることに気がついて、
そこにもし見つけてくれる人がいたらいいなと思いましたし、
別にそれだけではなくて、
一応、緩和教病棟にはいたので、
何かしらご相談に乗れることはあるかもしれません、
みたいな感じで、
ただ、行ける範囲があるんで、
最初はもう本当に東京近郊あたりで、
カフェとかホテルのラウンジとかを使って、
面談をしていました。
あ、がん患者さんに対してのご相談に乗ったり、
家族の場所がありますよっていう、
治療する場所をご紹介したりとか、
それはしないです。
それはしないです。
それはしない?
基本、アドバイスするものではなくて、
とにかく話を聞いてもらえていない人たちが多いので、
とにかく吐き出してもらって、
それを客観的にまずは整理をして、
今から何をしていかなきゃいけないかっていうのを
一緒に考える。
あ、なるほどね。
でも、病院にいると、
病院にいると、
時間がとにかく足りなかったので、
それは無理ですね、病院で。
ちゃんと聞けてなかったんですよね、結局。
ついついアドバイスとか説明とか指導する羽目になり、
それで満足してたんじゃないかと思って、
聞けば聞くほど、
こんなに時間が必要なんだっていうのを思い知らされたんですよね。
1時間とかじゃ絶対足りないんですよ。
平均2時間は喋っていかれますので、
そこにとことん自分の時間を使って、
その後はLINEとかメールとかでやり取りは全然できますよ
っていうふうにしてたんで、
まだコロナ前だったから、
あんまりオンラインでZoomとかって流行ってなかったので、
突発的な心配事が起きたら、
30:01
全然LINEとかで教えてくださいねとか、
必要だったらまた会いますよとか言いながら、
地味に私を見つけてくださった人に対して、
一生懸命時間をとにかく提供するっていうことを
基本やってたんですけど、
自分の時間が足りなかったので、
自分の時間が足りなかったので、
自分の時間が足りなかったので、
基本やっていく中で、
またまた同じ看護師で、
僧侶になった人がいて、
その人とつながったことで、
法人とか作ればいいのにって言われて、
法人作ったっていう流れになるんです。
なるほどね。
なんかすごいですね。
導かれてる感じがする。
そのあたりは本当に、
出会う人出会う人が、
なんだろうな、
またこんな人に会っちゃったみたいな感じの、
が口から出るぐらい、
すごく、
もう私は病院じゃないんだよって言われてるような気がして、
もう全く戻る、
やめてしまったみたいな感情はもう一切なくなりました。
外からしかできないことがこんなにいっぱいあるんだと思って。
しかもね、
それが多分さちこさんがやりたいと思ってたことだったんじゃないですか?
最初はぼやーんとしてたんですけど、
しかも一人で何ができるのと思ってたんで、
でもこのままだと食べてはいけないなっていうか、
もちろん副業みたいな感じで、
無理なく働いてはいたんですけど、
でもそこは全然病院ではなくて、
都内全域をリュック背負って歩きと電車で回る訪問看護だったんですけど、
しかも障害の持ったお子さんの。
そういうのも初めてだったし、
でもやることやること全部そういえば初めましてだったなと思って。
だからなんだろう、
選択する場もなく、
向こうから来た感じでした。
何かが。
なるべくして進むようになっていたって感じですね。
ですかね。
でもそれが一つ一つ本当に勉強になったし、
何かがんだけじゃないよねって思い出したし、
でも法人を立てるときには、
やっぱりわかりやすい名前がいいよって言われたんで、
とにかく最初に患者さんとか家族が検索をして、
少しでも引っかかるワードにしたくて、
あの名前になったんですけど、
ただその後、
33:00
意外なことに看護師さんとかからの、
メルマガとかそういうブログとかの登録が、
患者さん以上に増えていったんですよ途中から。
なるほどね。
それで看護師向けの講座を作るっていう流れになり、
当時の私の人脈の中から、
それこそ一緒に働いた市長に声をかけたりとか、
その当時ちょっと近くにいらっしゃった方々に声をかけたら、
もう皆さん心よく講師を引き受けてくださって、
それでもう本当にコロナが来た直後っていうか、
同時ぐらいの感じで、
講座をスタートさせたんですよ。
だから最初からオンラインで、
Zoomも私もそれまであんまり使ったことなかったんですけど、
もう急遽コロナが来ちゃったんでどうしようってなって、
もうYouTubeかなんかでZoomの使い方みたいなのを、
習ってとか覚えて、
もうそれで一か八かで始めたんですよ。
なんかすごいですね。
なんかすごくいいお話が聞けちゃった。
本当に行き当たりばったりかみたいな感じの。
ちゃんと道が続いていってね、すごいですね。
だからあんな状況で世の中があんなになったにもかかわらず、
遠いところから、沖縄とかからも受けてくださって、
これはオンラインじゃなかったら絶対この人たちとは出会えなかったんだなと思ったんですよ。
本当ですよね。
このZoomっていうのはね、
下手すれば海外とも繋がれちゃいますからね。
本当に、
いやー、なんかすごくさちこさんが波に乗っているような、
見ていることを天から祝福されているような、
そんな感じがしました。
すごく素敵。
そうですね。
私も配信でいろいろ裏話をしてはいるので、
あれなんですけど、まさにそれだったんです。
お導きだったんですよ。
本当に、本当にお導きですね。
すごいな。
じゃあ今も、悩みがある、気持ちが整理できていない、
癌を告知された方の心のサポートをされていると同時に、
そういうサポートをされる看護師を増やしていくという、
その両面から法人で活動されているって感じなんですね。
そうです。
ものすごく素敵な活動ですね。
まさにありがとうございます。
すごい。
全然、癌サポートの人生を豊かにっていうのだと、
36:06
好像されているってところだと、認定なのかな?
全然そんなのじゃないんですけど、
しかも、やってる間に結構予想外な展開になってきて、
要は癌サポートナースの養成講座って、最初は養成講座っていうネーミングだったんですけど、
受けたいけど、癌のことほとんど私苦手でとか、
癌の患者さんへのサポートというよりは、
やっぱり同じような医療職を支えたいんですけどっていうような看護師さんが増えてきて、
なので、今、うちからの認定を出して、
癌サポートナースっていって名称を持って動いてる人たちの中には、
別に癌の患者さん対象ではなくて、
もう本当に地域で出会った、いろんな方々のご相談に乗ってるっていう感じの方が多くなってきてるんですよね。
そうなんですね。
そうなんです。
あと、ガンカフェを地域で作ったりだとか、
何を作ったり?
ガンカフェとかガンサロンとか、そういうの聞いたことあります?
いや、ガンカフェは初めて聞きました。
そうか。全国に結構な数、いろんな方々がやってらっしゃるんですけど、
おおよそ、癌患者さんとかご家族とか、遺族とかが、
やっぱり自分たちが経験したことを、
今度誰かのために役に立てられたらいいなっていうような意思で、
大体月に1回ぐらいのペースで、
いろんな地域で、大きかったり小さかったり、場所もいろんなところを使われてされてるんですけど、
そういうところにまず私は行く機会があったので、
地域の方の声を聞くことになったんですね。
それをガンサポートナースとして、
ちょっとずつでも何かをやりたいって言ったメンバーの人たちに、
どこから何から手をつけていいかわからないじゃないですか、最初って。
しかも別にこれを本業にしてる人はほぼいないので、
副業みたいな感じで、少しずつ自分が本当はやりたかった看護に近づくといいなと思って、
一歩二歩踏み出してらっしゃるんですけど、
その時に私が勧めたのが、
とにかく自分たちの地域にあるガンカフェとかを探して行ってみてくださいって言ったんですよ。
もうひたすらそこで何をされてるのか、
どんな話をされてるのかを黙って聞いてきてくださいって言ったんです。
何も言わなくていい。何なら私看護師ですって言わなくてもいいから。
39:01
ちょっとあの、
どっかから聞いたんで何をされてるのかなと思ってきましたとかでも何でもいいから、
とにかく地域でどういったことが行われてるのか、
そこに行けば多分自分たちが、
どうやって役に立つことができるのか、
どうやって役に立つことができるんだろうって、
きっと考えられると思うと思ったんですよ。私もそうだったんで。
先ほどお話しした、医者に指示をもらいに行こうとしたら、
行かなくていいからって言ったときに、
その動画が頭に浮かびました。
そうなんです。
どうしても上から目線になっちゃうんですけど、
そうじゃなくて、患者さんとかご家族とか、
家族を亡くされた方々が、
何でその場を作ってらっしゃるのかとか、
何なら聞いてくればいいと思ったんですよ。
医療職でもない人たちが、
ああやってサードプレイスを作って、
継続的に開いてらっしゃるのかっていうのを、
知る必要があるなと思ったんで。
やっぱり行くと、ほぼメンバーのみんなは、
また来てくださいって言われちゃったんですよって言って、
感動して帰ってくるんですよ。
本当にただただ聞いてるだけで良かったんですねって言われて、
みんな質問されると思って、
答えられなかったらどうしようって言ってたんです、最初は。
いやいや、そこがそもそもおこがましいんだよって言って。
別に分からないなら分からないでいいじゃんって。
ただ聞いてもらいたい人たちがそこにやっぱり集うので、
そうなんですねって聞いてるだけで、
別に解決してもらうためにそこに行くんじゃないっていうのを、
分かってもらいたくって。
そうすれば一度でも行くとみんなそれは感じてくれて、
もうそれがきっかけで、
今長い人は2年以上やってらっしゃるんですけど、新潟の方とか、
地域にガンカフェがないと思ったら自分たちで作ろうって言って、
自分たちで作って定期的に開催をしていたり、
そういった活動から来た人からいろんなことを学んで教えてもらって、
時間をかけて人の話を聞くってこんなに大変だったんだって、
感じてくれています。
だからアドバイスは私たちは基本しないよねっていうスタンスなんです。
なるほど、なるほど。
その人たちが自分たちでできるっていうのを信じることがまず大事だよねって言っていて、
絶対そういう力を持ってらっしゃるんで、
ただ混乱してるし、
42:02
先生たちが自分たちでできるっていうのを信じることがまず大事だよねって言っていて、
自分たちとのコミュニケーションがうまくいってなかったりするのが原因で、
不安になったり怖くなったり、
家族とうまくいってなかったりっていうのが発生しているので、
とにかく聞いて聞いて聞いて、
わからないことを一緒に悩むっていう姿勢でいると、
どこかのタイミングで、
その方々が腑に落ちる答えを自分の中から出されるんですよね。
もうそれが一番の選択肢だと私は思っているので、
そうなるように伴奏するっていうのが私たちの大切にしたいことかなって言って、
だから別に改めてがんのことを勉強するとかも必要ないと私は思っているので、
もう私がそもそも認定でもなんでもないし、
本当にただの看護師の資格しか持ってないんですけど、
十分私はそれで別に役に立てることはあると思ったので、
気持ちを持っている人なら誰でもなってもらいたいなと思っています。
それが保健師だろうが、それこそ助産師さんだろうが、
それはあんまり私はこだわっていなくて、
私たちの意思に沿っていらっしゃる方なら、
やっている間にどんどん自分たちが磨かれているというか、
成長させてもらえているなと思っているので、
そういった人たちに来てほしいですね。
でも本当にすごく大切なんですよね。
自分が話をすることで、患者さんの方が話をして、
その話をすることで自分の中で整理ができて、
話していくうちに自分で気づきが降ってきたりするんですよね。
本当にそうです。
私こういうことがしたいと思っていたんだとか、
私はこうしようと思っているんだということに、
ご自身で気がつくと、本当にご自身で動くことができますからね。
やっぱりそこには時間がいる。
本当ですね。時間が必要ですよね。
本当にこれは病院の中のいろんな他の業務があるじゃないですか。
そうなんですよ。
対応しながらというのは本当に難しいことですよね。
難しいんです。どんなに意識が高い人でも、
目の前に業務があるので、
45:00
1人の患者さんに1時間も2時間もついていることが、
そもそももう不可能じゃないですか。
本当に。そっちの方を力を入れてやろうと思ったら、
それこそ残業残業でね。
そうなんですよ。
もしかしたら幸子さんはされていたのかもしれないですね。
職場で。だからバーアウトされて、
それをなんとなく見抜いたその時の市長さん?部長さん?
部長さんです。本当に。
やっぱりもっと休んで、外に目を向けてっていうところに、
上手いふうにその方がされていたかどうかはわからないですけど、
すごく重要なきっかけを与えてくれたことは間違いないですよね。
本当にそうです。部長さんを見て面接の時に、
ここにしようって決めた人だったんで。
そうなんですね。その方が。
やっぱりいい人だったなって思いました。
すごいですね。だって普通だったらね、
休んだよって。
めっちゃ引き止められますけど。
いつ働けるってなるのに離れなさいって、
なかなかそのセリフを言うのは勇気がいることだと思います。
です。本当に感謝してます。だから。
でも多分それは幸子さんだからこそ、
そういう展開になったんだと思いますよ。
でも本当に。
病院回らなくなっちゃう。
だから今でこそ本当に、この音声配信がきっかけで移住をしたんですけど、
今の私の業務はひたすら相談、相談というか相談窓口っていう看板を沿ってはいるんですけど、
実際に本当に気軽にお話に来てほしいっていう感じで、
敷居をすごく低くしてるので、
フラッと空いてるみたいな感じで、空いてますよみたいな。
来ますか?喋ります?とかって言って、
普通にカフェとかで喋ってる感じで、
別になんでもないんだけどね、みたいなので、
お喋りしてたら、なんかちょっとお困り事が見つかったとか、
それだったら保健さんにちょっと一緒に聞いてもらえます?とか、
いうのが今の職場では、本当に保健さんが近くにいたり、
訪問看護ステーションが近くに立ち上がったりみたいな、
同じ空間の中で働いてるので、すごく連携がスムーズですし、
もう下は小学校6年生から私の相手をしてくれるんですよ。
そうなんですね。
素敵なお仕事ですね。
こういうのは絶対やりたい看護師多いんじゃないかなと思うんですよね。
いっぱいいると思います。
だからもうちょっとこれをきっかけに、
残り地域起こし協力隊っていう形ではあと1年ちょっとなんですけど、
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とにかく形を作って、仕組みみたいにしてやっていけると、
多分各地域に、別に大きな組織の中にいなくても、
看護師が例えばクリニックから業務委託をもらうとか、
行政から業務委託をもらうとかしながら、
地域の看護師さんっていう形で、
訪問看護じゃないんだけど、でも私訪問行けば、
まさに私も今それもやってるんですけど、
依頼があったら、例えば配偶者が亡くされた方のお家に行って、
ゆっくりお話し聞いたりだとか、
奥さんは訪問診療を受けてるんだけど、
旦那さんのメンタルのケアのために私が訪問に行くとか、
っていうこともやれてたりするんで、
そういうふうにいろいろな仕組みを作って、
そういったのをバックで支えてくれるようなシステムがあると、
診療所とかクリニックみたいな、
依頼をする医療機関の質は上がるし、
地域の人は、
病院には別に行く必要はないんだけど、
これって誰に言ったらいいのかね、みたいなのを
とことん知らないといけない。
そういうふうに、
自分でわからなくても、
わかる人と仲良くなっていれば、
全然そこは一人でしょうがなくてもいいので、
すごくやりがい感というか、
増すんですよね。
看護師でよかったなって思えるというか、
そういうのって今まで本当になかったなと思ったんです。
組織にいると。
そうですね。
ただ疲れて帰るみたいな。
満足もしてなくて、
何か足りないって思いながら帰るみたいな。
もう今全然、時間内に帰れますし、
新しい人とどんどん、
仲良くなってもらえて、
いっぱい人生の話を聞かせてもらえて、
そこに私と一緒にいればいいなと思ったんです。
この人には、ただ1ヶ月に1回ぐらい遊びに来てもらって、
お話し相手になるだけでも違うんだなとか、
そういう、
まさに看護師が専門とかではなくて、
大きな形で、
人の健康とかを、
専門的に、
専門的に、
専門的に、
専門的に、
人の健康とかを支える役って、
できるなと思ったんですよね。
本当ですね。
とっても、
患者さん、患者さんではなかったとしても、
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話を聞いてほしいっていう、
ニーズにすごく応えてもらえる場所ですよね。
本当にこの場所、
この取り組みはすごいと思います。
本当に話を聞いてて、感動しました。
地域おこしっていうのも、
なんだろうって思ってて、
そういうことだったんですね。
なかなかないんですよね。
そこの場所の名を広めるとかね、
そういう感じで、何をされてるのかなと思ったんですけど、
そうでもなくて、
他にもいらっしゃるんですよ、地域おこし協力隊の方々。
地域に広げるための活動ってことですね。
そうですそうです。
本当に地域に足りなかったものを投入し、
その中で新しいことをまた始めて、
それを今のところうまくいってるので、
それを今度は学会で発表し、
いろんなところで発表することで、
ちょっとでも行政の人とか、
特に小さな地域で頑張ってらっしゃる医療職とか、
ドクターとかが目に留めてくれたら、
じゃあうちの地域でも、
そういった形で動いてもらえる看護師さんを、
作ろうとか呼ぼうとか、
どうやったらこの形がうちの地域でできるんだろうって、
考えてくれる人が一人でもいてくれたら、
絶対これ、いいなと思ったんですよね。
やってるほうにもいいし、
疲弊をしないで大切なものを、
犠牲にしないで働けるし、
すごく人生経験が深まるし、
そこにたくさんの交流とか、
やりとりが生まれて、
地域に孤独になる人を減らすっていうのは、
健康寿命を絶対伸ばせると思うんですよ。
そうですね、間違いないですね。
そう、そしたら医療費削減になるし、
何と言っても人と人がつながりますよね。
本当に。
なのでやっぱりサードプレイスとか、
いろんな子育て中のママの居場所だったりとか、
そういうのってたくさんあればあるだけ、
いいなと思って、
そういうのにつながるといいなと思います。
本当に、本当に思います。
素敵です。
私も今、
助産師として病院で働いてはいますけど、
私がやりたいことは本当に、
私はもうお母さん限定にはなっているんですけど、
女性もそうですけど、まずはお母さんが思っていること、
正直にいっぱい口に話せる場所、
というのを作りたいと思って、
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今この活動をしているところがあるので、
すごくやっぱり、
さちこさんがおっしゃるように、
話して気づけるんですよね。
もらうものでは気づけないんですよね。
自分が出さないと気づくことができない、
自分がその経験で、
内容は全然変わっちゃうけど、
さちこさんにはすごく共通するものを、
全然私はまだ法人を作っているわけでもないし、
全然弱性ですけど、
すごく共通しているものを感じて、
とても嬉しくなりました。
ありがとうございました。
本当にね。
いつかお会いしましょう。
本当に。
そこに、その境地に至るまでの、
さちこさんの人生の流れを聞かせていただいて、
本当に今日は私、ラッキーだったなっていう。
ありがとうございました。
嬉しかったです。
本当に素敵。
ぜひ、このアーカイブというかで、
収録のお話をさせていただいて、
早くに聞いてもらいたいですね。
この間、取材も受けたので、
それがアップされたら、また皆さんにお知らせします。
本当にぜひ、本当に。
私もすごく感動されたので、
これを聞いて感動される方がいっぱいいると思うし、
聞いた医療職の方で、
私もこういうことをやりたいと思って、
本当に頑張っている人ほど、
自己犠牲をしないでほしいなと思います。
本当ですね。
もうそんな時代じゃないと思います。
あれと知れないですよね。
同じ場所で全部やろうとしないで、
やっぱり、
全然、いくつもやっていいと思いました。
自分がやってみて。
全部が、
自分がやりたいことだったり、興味を持つことだったら、
別に途中で辞めてもいいわけで、
せっかくのチャンスさえあれば、
一回やってみようかなぐらいで始めると、
意外と面白くなってきたら、
どんどんいろんな人にまた出会うきっかけにもなるかもしれないし、
そうですよね。
自分の中に芽生えたものは大切にしていただいてね。
ぜひぜひ。
そうすると、さちこさんのように上手い具合に、
追い風じゃないけど、
本当ですね。
メンバー見ててもそうなんで、
必要な人が現れるみたいなね。
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年齢関係ないですよ、本当に。
本当にいくつになってもね。
ありがとうございました。
いやいや、なんか長く喋ってしまいました。
いいね、素敵なお話を聞かせていただいてありがとうございます。
ありがとうございました、本当に。
じゃあ、これからこの場で、
さちこさん、何か告知したいこととか、
ミッセージを。
そうですね。
7月の27日の初会に、
また今度、今やっているオンライン講座の、
今年からちょうどリニューアル、
だいぶ中身をリニューアルしたんですけど、
それの日程が始まるので、
今絶賛募集をしております。
看護師さんって休みが取れないので、
7ヶ月がひとクールで、
月に1回ズームで、
午前2時間、午後2時間というような感じで、
いろんな学びをしながら、
学びといっても、本当にインプットだけではないのが、
うちの講座なんですけど、
受ける人たちもアウトプットしながら、
それこそ同じ志の人たちと一緒に、
学問的な学びを深めるというよりは、
ちょっと自分たちが凝り固まった思考を緩やかにしたりとか、
人と対する上で、
もっともっと人間力を高めるというか、
チャレンジしたりとか、
病院の中だけだと狭くなる視野を、
ちょっと広くしてもらいながら、
本当に残りの人生で、
自分がやりたい看護ができるようになってもらえるといいなと思って、
ずっと10期終わって、
新しくリニューアルの1期が今進行中なので、
2期生としてまた受けていただける方がいらっしゃったら、
私のスタイフの中では、
公式LINEのリンクとかも載っているので、
そこからでもいいですし、
レターでもいいですし、
お問い合わせいただければと思います。
【佐藤】ありがとうございます。
このラブライブのキャプションに、
佐藤さんのリンクに飛べるように貼らせていただきますので、
【佐藤】ありがとうございます。
あとは来月学会に行くのに、
札幌に行きますので、
行かれる方は、会えるといいなと思います。
【佐藤】来るかもしれません。
【佐藤】6月、7月ですね。
いやいや、とんでもないです。
ありがとうございました。
【佐藤】ありがとうございました。
よろしくお願いします。