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シュタインズゲートは、やっぱり、きついのか、ということで、
えーっと、シュタインズゲートというね、まあ、ゲームおよび、ゲーム原作とした、アニメシリーズというものが、まあ、もう15年ぐらい前のね、作品があり、
一般的には、傑作と言われてはいますが、一方で、まあ、そこで表彰される、いわゆるオタク的なコミュニケーションやキャラクターの造形、
あり方については、まあ、かなり放送当時からきついと呼ばれるものがあり、賛否両論な作品というかね、そういう作品ではありますが、
こないだ、あの、柿内聖吾さんがやっているポエティックラジオの第313回で、初めてね、柿内さんが、この2026年にシュタインズゲートを見てみて、どう思ったかっていうので、
まあ、結論としては、無理だったというね。あの、めちゃめちゃ面白い配信をされていて、ぜひその回も聞いてほしいなと思うんですけど、
ちょっと自分の、なんていうか、応答というか、ああ、やっぱダメだったかって思いながらも、
とはいえ、僕が見ていた当時の、これは良いものだって思ったこの感覚を、改めてね、ちょっとこの15年後に見てみたらどう思うんだろうと思って、
ちょっとパパッとね、シュタインズゲート1期、まあ1期というか、あの、1期で基本的には完結する内容にはなっているんですけれども、
まあ、それをで、24話、パパッとね、あの、最初の1話だけと思いながら見てたら、だらだらと結局ほぼ前話ぐらい見てしまったので、
まあ、そこでの感想も含めて、10年ぶりにシュタインズゲートを見たら、やっぱ無理なのか、きついのかということを、ちょっと振り返ってみたいなと思います。
まずですね、シュタインズゲートが何なのかということとか、あらすじとか、そういうものはですね、ちょっと、まあ僕はこのポッドキャスターは本当に楽にやりたいので、
そういうこう聞いている人の向けの優しい導入みたいなものは、一切しないです。すみません。
シュタインズゲートはネットで調べればいくらでも出てくる作品で、有名作品でもありますので、細かいことの説明というのは省きます。
あとですね、これとはいえシュタインズゲートって結構ネタバレがね、厳禁というか、そういうネタバレ厳禁で成り立っているアニメみたいなところはやっぱりあるので、
ちょっとあの、この配信の中でも前半全くネタバレに関係しない部分での、自分の10年ぶりに見てみてどうだったかっていう気づきの部分と、後半はネタバレの部分も含めて、
なんかどう思ったかっていうところは、一応明確に分けて話そうかなというふうには思うので、本当に全然知らないし、もしかしたら見てみたいかもって思う人は、
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前半分ぐらいまでで、後半のここからネタバレですという部分はもう完全にシャットダウンしてもらえればいいんじゃないかなというふうに思います。
で結論から言うと、シュタインズゲートきつかったのかというと、やっぱね、確かにきつかった。きつかったですね。
これを多分30過ぎて初見でこのアニメを見たら、まず前半の3話ぐらいで見れないと思います。
結構ね、1話は良かったんだよな。やっぱアニメの、当時のというか今も全然そうだと思うんですけど、
1話でやっぱり切られないように、いかに1話をね、要は視聴者を引き込むというかね、どれぐらい次が見たいと思わせるかとか、
このアニメってこういうアニメなんですよということをしっかり伝えるために、やっぱ1話って結構作り込みがしっかりしている部分とか、
演出が引き込まれるようにもなっているから、1話はね結構見れたんですけど、2話3話ぐらいでやっぱなんかあの、いわゆるのきつさ、
0年代、10年代、ネット、日安文化におけるそれをインストールした若者たちのコミュニケーションというもののきつさは、めちゃめちゃありました。
ありましたけど、とはいえやっぱりこの作品っていいなというか、久々に見たなっていうところの感想を、本当にこの後ちょっと喋っていこうかなとは思います。
今回ね、僕このポッドキャストはコンテンツ語りではなくて、自分語りをコンテンツを通じてやるというのが基本的な目的なので、
自分がこのシュタインズゲートをどんな感じで出会ったかっていうと、実はね、これアニメが放送されたのが2011年。
ゲームが作られたのが2009年とかですね、という時代の作品で、自分が実際にアニメから入ったんですけど、
アニメを見たのが2013年、14年とかで、かつその後ハマって、当時PSPとかで復刻版みたいな形でゲームも出されていて、
PSPを当時持ってたし、中古とかで結構安く手に入ったので気になってやってみましたね。
で、当時はアニメも良かったんですけど、やっぱり結構そのノベルゲーム的なものの、それにちゃんと特化して作られた作品でもあったので、
その良さは結構ノベルゲーム版というか、ゲーム版の方はあったかなという印象ですね。
で、そんな形で見たんですけど、これ何で見たかっていうか、そもそも僕その新アニメとか全然見てなかったんですよね。
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当時多分高校ぐらいからアニメをほとんど見なくなって、で、その時期が多分ほぼ同時に、
深夜アニメの勃興期というかね、まあいわゆる春日ラキスターとかですよね。
その後、K-ON京都アニメーションみたいなものになっていくところが、ゼロ年代にひとしきりあって、
そこからまたさらにどんどん拡張していくのが2010年代なんですけど、その頃がちょうど高校大学で、
まあいわゆる普通にプライベートが忙しいというか、勉強だったりとか大学生活とかいろんなものが忙しかったんで、
ほぼアニメから離れてたんですけど、大学をほぼ卒業する前は、やっぱりいろんなことがひとしきり暇になってきた時に、
後輩に、ホンダさんこれちょっと見て見て、面白くなかったら全然いいんですけど、みたいな感じで、
勧められた作品が2本あって、それがシュタインズゲートとサイコパスっていう2つのアニメシリーズなんですよね。
サイコパスの方はちょっと別の話になるんで、また別の時にしようと思うんですけど、
サイコパスもシュタインズゲートも、たぶん後輩が選んでくれたんだと思うんですけど、
やっぱり全くアニメを見ていない人にちょっと何のアニメを勧めるかみたいなことで、
しかも僕に対して、どういうアニメだったら面白がってくれるのかなと思って選んだのが、
たぶんサイコパスとシュタインズゲートだったと思っていて、
後輩、この人が言うならちょっと見てみようかなと思って見たのがきっかけでしたね。
で、シュタインズゲート見て、あ、なるほどと思って。
なるほどというのはですね、つまりそのいわゆる新アニメっていうのは、
当時やっぱり0年代から言われていたオタク的なね、当然そのオタク的なものの位置ってどんどん回復していくし、
なんなら自分も元々はガンナム好きだったりとか、ロボットモノのアニメめちゃめちゃ見てたりとか、
押井守のアニメとかそういうものを見ていた、
まあ、いにしえのオタク的に言うとその0年代の新アニメオタク的なものはなんかね、
軟弱だみたいな、いわゆる萌え萌え的な表彰ですよね。
萌え萌えアニメとしての表彰に対して、やっぱり結構下に見ていた部分があって、
多分そういう人に対して響くものとして、サイコパスとかシュタインズゲートみたいなものを僕に進めてくれたんだとは思うんですけど、
なので、シュタインズゲートもね、だからさっき言った序盤のキャラとかコミュニケーション、日安文化の表彰がきついっていう話はしたんですけど、
まあとはいえね、後半に従っていろいろ話は展開している部分があったりだとか、
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あといくつかの面でやっぱりいいなと思って、最後までね、見たし、ノベルゲームもやったっていう感じだったので、
結構いい作品として、なんか自分を改めて、アニメっておもろいんだっていうのに久々に返してくれた。
その後ね、結構新アニメ枠の中で自分の中である程度、この作品だったらなんか見れそうかなとか、面白そうだなみたいなものを見ることができたので、
どんどんね、アニメだから見ないみたいなことではなく、好き嫌いはなく、どんどんアニメ的な世界にまた戻ってくることができた作品として、
結構なんか感謝しているみたいな作品だったので、その後別にとはいえ見返したりとかっていうこともなかったので、
久々にね、10年見てからは多分ほぼ12年ぐらい経って見たという形ですね。
で、確かに自分も記憶の中ではやっぱり序盤がなんかたるい展開というか、なんかいわゆるゼロ年代アニメの日常系みたいなものを彷彿とさせる意味のないやり取りが多かったように記憶していて、
これちょっときついのかなと思って、まず1話ちょっと見てみるかみたいな形で、柿内さんも言ってたしみたいな、久々に見たらどんな感じなんだろうと思ってみたというのが今回でしたね。
で、ここからまだもうちょっと全然ネタバレとか関係のない感想をちょっと進めていくんですけど、久々に見て思ったところで、やっぱいいかもって思ったのは、
東京の夏ですね。東京の夏っていうのは非常にうまく演出されていて、それが実際のアニメというか物語の中身とも結構関わってくる演出だったので、
で、確かノベルゲームにここまでの演出はなかったなと思っているので、結構アニメ独特なのかなと思いました。
具体的に言うと、これ2009年とか2010年かとかが舞台という形になって、場所が東京の秋葉原ですね。
本当にオタクの聖地で行われていく物語なんですけど、SFが入ってるというところもあって、やっぱなんかSFって夏なんですよ。
なぜかね。これなんでだかな。SFって全部、全部ってかSFってなんで夏なんだろう。これ日本だけなのかな。
篤谷スタガがなんか基本夏を表彰するイメージが勝手についているのかな。
まあというか、明確にあれですよね。それこそその時をかける少女のオマージュ的な部分が多いにあるのかなと思いますね。
細田守でアニメーション映画も作られたこの時をかける少女。
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特に細田守版ではかなり夏の日常がループしていくというですね。
タイムリープものの作品。これにほぼオマージュというかリスペクトをしているっていうところもあるんで、夏のある夏の物語っていう形になってるのかなと思いますね。
あとは遡っていけばハインラインの夏の扉とか、ああいうのも夏って、タイトルにはついてるけど別に中身そこまで夏って重要ではない気はするんですけど。
でも冬とかね、夏とかっていうのが対比されている作品だったと思うので。
SFってそういう夏のジリジリとしたところでっていうのが、特に日本のSFアニメーションではかなりお決まりの舞台設定というところがあり、
シュタインズゲートも例に漏れずそういうものとして表彰されていた。
まず舞台設定としては原作のアニメの段階からそうだとはいえ、アニメーションでもそこが存分に演出されていたなと思いますし、
そこに関しては一番は光ですよね。
過剰なほど光でぼやけているという描写が多くありましたし、
この光が強いというこのコントラストによって影も強くなるし、光で蜃気楼のようにぼやけるという描写がSF的なね、
これがSF描写として、これが現実なのか夢なのか、もしくはSFによって生まれた新たな世界なのか、みたいなものを意図的に演出しているものになっているかなと思いますね。
その光が強いみたいなものの演出を僕が12年ぐらい経って見返したときに、
ああって思ったのは東京の夏の秋葉原が舞台なんですけど、
久々に思い返したのはその十何年前、まだ東京に多分1回か2回ぐらいしか行ったことなかった自分として、
めちゃめちゃがてんがいく演出だったなっていうのはちょっとでも思い出したんですよね。
東京って光強いんですよ、夏の。
簡単に言うとやっぱ高層ビル群とアスファルトの照り返しによって反射が強いので、
他の一般的な地域、地域というか地方よりも光がね、やっぱ強いんですよ。
なんかそれがすごいSteins Gateって象徴されているなっていうのを思ったし、
僕がまだ東京って1回しか2回しか行ったことなかった景色とすごく重なってみえたので、
非常に取り込まれたものはあるのかなというふうに思いますね。
憧れっていうわけじゃないんだけど、
あ、こないだ行ったときに見たやつだみたいななんかこう新鮮な、
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東京がだって明るい、夏の東京が明るいって行ったことないと分かんないじゃないですか。
これこそテレビとかでは分かりづらいというか真に感じることはできない現象を、
実際に行くと分かるっていうことをアニメでこういうふうに演出してるんだなというのは思いましたね。
特に18,19までずっと東京なんか1回も行ったことなくて、
都市部もそんな大きな都市みたいなところに行ったことなかった人間としては、
都会の明るさ、これはビル的な光ではなくて、
夏の太陽の光を無限に乱反射し続ける都市空間っていうところが正直世界にもないですよね。
あんな高層ビル群の中で乱反射しまくってるっていうところは、
香港とか上海あたりもそうなのかもしれないですけど、
より日本の夏の光の強さみたいなものをある意味分かりやすく演出している光の描写はかなり多いなというふうに思いましたね。
あとは結構背景も秋葉原物体でオタクの聖地であるみたいなことは、
作品の中でも結構重要な一要素でもあるんで、
当時の新アニメ枠の中でもより写実的な風景描写がかなり多かったなっていうのは見返して思いましたね。
これも結構今見たら普通で、だからやっぱり今初見で見るとちょっとだからみたいなところになるのかもしれないですけど、
当時の新アニメってそんなにお金かけられないから風景描写とかって割と結構適当だったりするし、
現実のものというかね、いくら現実の街が舞台だとしても、
あんなに本当の街をそのままトレースするような描写っていうのは結構シュタインズゲートは新しいっていうか、
そこに意図的な演出が入ってたのかなというふうには思いますね。
それがいわゆる、あれもちょうど秋葉原の再開発の境目の時に作られたものなので、
実際にアニメの描写がどこまで正確に再開発前のものになってるかどうか、
私はあまり詳しくはないのでわかんないんですけど、
でもやっぱ当時見た時も今今回見直しても、
本当に秋葉原のあそこだっていうのはめちゃめちゃわかるぐらいに明確な描写があったし、
やっぱり当時のその秋葉原ってオタク的なものの象徴として強いイメージがあったので、
そこも強いメッセージ性は感じましたね。
夏の光と秋葉原というこの2つによって、非常に今でいうクールジャパンみたいな話になっちゃうんですけど、
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当時そこまでまだ言われるちょい前ぐらいだったっていうところもあり、
まだまだそのオタク自体も市民権を得るか得ないかのギリギリのところであった、
いわゆる日本らしさみたいなものをすごく結構ちゃんと描いてる作品にもなってるんだなっていうのは見返してちょっと思いましたね。
結構海外でもこれは評価高い作品なんですけど、
結構海外の人が好きそうなSF展開の作品なので、
まあそれで評価高いのかなと思ってたんですけど、
そこにねやっぱり日本らしさ、
あの夏の幻っぽい雰囲気と秋葉原のすごく写実的な背景、
そういう都市空間で行われる物語っていうところは確かに魅力すごいなというふうに思いましたね。
ただやっぱり一方でね、やっぱりずっと描写されていく、
その当時のオタク的コミュニケーション、
ニチャン文化、
本当に確かにちょっとオタクの人がニチャン的な文法を口に出して喋るのめっちゃ恥ずいなみたいな時当時すごいあって、
今だとねそれだいぶ市民権をもはや得てると思うんですけど、
いやそれでもきついなというか、
よりね今みたいにみんなうっすらオタクの中でも使い古されたニチャンミームを口に出してるのとは違って、
当時の本当にまだまだコンテクストが非常に高いニチャン言葉を喋ってたりとか、
中二病的な主人公の各キャラクター、主にハーレム状態になっているので、
女性キャラクターへの当たりみたいなところは見ててきついなっていうのはやっぱり一個一個ありましたよね。
そこのきつさっていうのがちょっと後半も聞いてくるんですけど、
後半というかネタバレ部分みたいなものはちょっとまだまだもうちょっとだけ止めて話すとですね、
劇版BGMというか劇中で流れる音楽効果音みたいなものも独特というか下げらしい部分があって、
この感じだなっていうのは久々に思いましたね。
しかもそれが一話ではね、意図的に無音の状況多いんですよ。
BGMとか効果音とか全く使わない時間っていうのも序盤の方に結構あって、
これがね、またなかなかやっぱ引き込まれる一話の構成にはなってるなと思いましたね。
結構不穏な空気というか、なんかもう物語始まっちゃってるんだけど、
なんか中身読み取れないし、これ何を何が始まってるんだろうっていう時に完全に無音のまま、
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これ結構現実というかその写実的な実写的なものに仕立てあげたかったという多分意図だとは思うんですけど、
それぐらいその無音の中で物語とか登場人物の会話とかが進んでいって、
ある時ね、この一話の中でもちょっと特殊なというかガラッと展開が変わるシーンのところからBGMというか、
驚しい音楽が付き始めるっていうところが印象的で、
ちょっときついやりとりの例の2チャン的なきついコメディシーンなんかの時の間の抜けたような音楽みたいなところもあるんですけど、
基本的に話がグッとシリアスに向かっていくと結構気分を盛り上げてくれるBGMっていうのがどんどんその後の話では挿入されていくっていうところで、
振り幅を感じれるというか、序盤のきつい展開の中でも、これでも多分なんかあるなっていう。
これ多分なんかあるなを裏切られたら多分めちゃめちゃキレてたと思うんですけど当時も。
多分当時も最初これかったるい展開だなと思いつつも、音楽の導入と、要は主人公の岡部というオカリンという愛称のオカリンが口調がフッとシリアスに戻るというか、
我に返るみたいな瞬間が前半だと本当にちょこちょことしかないんですけど、その時に空気が変わるこのギャップがやっぱり一番面白いというか、
あれこれアニメだけど面白いみたいな、本当に今まで言うと本当に嫌な言い方なんですけど、当時全くねもう6年ぐらいアニメを見てなかった自分としては、
そういうふうに思った記憶はあるし、今回の1話を見てもそこの音楽のかけ方とかはかなり意図的な演出だったんだなと思って、
これ結構やっぱり1話は引き込まれるっていうふうに思っちゃいましたね。
で、ここからもうネタバレ全開というか、ネタバレを前提にしないと話せない感想みたいなのもやっぱりいくつかあるので、
ちょっとここからはもうネタバレというか見たことがある人前提、もしくはもう見ないで別にいいです、
とりあえず何言ってるか聞きたいみたいな人のため、人のみちょっとこの後後半をね聞いていただければと思うんですけど、
とにかく一番その今回見返して思った感想は、これが2010年とかの作品で、いわゆるこの作品世界ってこの後の2010年以降の未来が
ディストピアになるか、もしくは明るい世界を取り戻すかについて戦いを始めるという、ざっくり言うとそんな作品ではあるんですけれども、
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このディストピアに近づいていくというのが、わりと今の現実世界でしゃれにならないぐらいそれに近づいてきているというところが、
なんかやっぱり心が重くなったし、この頃のある意味ね、なんかジョークで言っていたディストピアがジョークじゃなくなってきたこの10年間と、
そういうなんかジョークみたいなことを言うからそうなっていくんだよなっていうきつさがあって、
このシュタインズゲートという物語自体が良い悪いとかではなくて、やっぱりこの2000、まあゼロ年代の後半の方ですね、
8年から12、3年ぐらいまでの、日本だけじゃないんですけどね、日本だけじゃない世界も含めた、
やばい方向に向かっていく兆しの無意識がめちゃめちゃ入ってたっていうのが、この10年ぶりに見ての感覚ですね。
で、まあ象徴的なものはやっぱり2つあって、1つ目が2chを発端とした刑事版文化の中から、それがSF的な話に繋がり未来がディストピアになるかもしれない、
だからそのために今過去や未来を変えるために主人公たちが放送していく、というところによって設定されているおふざけ。
これがまさに今の陰謀論のそのままの源流に近いなっていうのは思いましたね。
特にあの中盤、主人公のオッカーベも本音を漏らすんですけど、自分たちがね、興味半分で進めていたものが、
なぜかその本当の陰謀に巻き込まれていくという展開の中で、これはおふざけだったんだと。
興味本位というか、ただの遊びのつもりでやってたんだ、そんなつもりはなかったんだ、許してくれって泣くシーンがあるんですけども、
この物語の構造自体が本当にそういうところがあって、
陰謀論ってなんでこんなに広まってしまうのかっていう話ですよね、って信じてしまう人がいると。
なんで信じてしまう人がいるのかっていうと、まず最初に、
ふざけて拡散した人たちがいるっていうのがやっぱり結構この10年見ても思うところなんですよね。
まさかあの時はおふざけで誰も信じてなかったし、これってジョークでしょって思ってたものがどんどん反転して、
それを本当だと信じた人によって特殊な行動がどんどん積み重なっていくっていうのが、
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ここ15年ぐらいだったとはやっぱり思っていて、そこの発端がいわゆるネット文化から始まってるんだよなっていうものは多いですよね。
この頃都市伝説ブームとかもやっぱりあって、一番有名なのは信じるか信じないかあなた次第ですって、
あれ完全なネタ番組だったのに、いつの間にか本当の陰謀論番組になってますよね。
そして本当にそれを信じてる人も一定数出てきてるっていうのがやっぱりかなり恐ろしいことで、
今回のシュタインズゲートで話されている陰謀とかも、実際の現実ではそうじゃないんですよね。
でもこれが本当に反転して本当ということにどんどんなってきてるみたいなところは、
まさに頭を抱えるところで、わかりやすく言えばピザゲート事件とかそういうものの流れと一緒ですよね。
もともとはピザゲート事件を含めて、今の旧アノン的なもののアメリカの流れも、
この日安文化が発祥だったということが完全にわかっているんですが、
向こうの日安文化を真似て作られた、真似てというか、そこの流れはいろいろあるんですけど、
そこにある名称がいろいろ変わってんだよな、エイトちゃんかな、最終的には。
最終的な方がエイトちゃんの方か。
いずれにせよアメリカの日安と同じような刑事版文化の中から陰謀論や旧アノンが生まれていったものと、
同様に今回も刑事版文化にあった、元からあったジョン・タイターのタイムリープ理論みたいなものの、
ジョークが本当になっていくっていうところだったんですけど、
それの最たる現実の例として、ピザゲート事件みたいなものがあると。
ピザ屋の下で人身売買や用事の誘拐、そして食肉が行われているんだという陰謀によって、
それを本当に真に受けた人が銃を持ってそのピザ店に突入。
そしてそこのピザ店にはそもそも地下室がなかったという、もちろんデマなのでね。
何も地下室もなく、ただただ銃乱射事件という悲劇が引き起こされてしまったというものがピザゲート事件であって、
その発端とかも含めてですけど、たぶん完全に日安文化のおふざけから始まってるんですよね。
これはウィットに富んだ皮肉やジョークなのであって、これを信じる奴はダサい、バカだという雰囲気が確かに確実にこの前ありました。
日安文化および2008年9年ぐらいまでのところまで確実にありましたね。
ここの掲示板で書かれているやりとりはウィットに富んでいるので、これを真に受ける奴はダサいという雰囲気が完全にあって、
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でも結局そうやっておふざけですよって始めたものが、それを信じる人によって本当の陰謀や本当の悲劇になっていくっていうのが、
完全にこの後2010年以降にたどった人類の歴史になっていて、それをそのまんま表しているというかね。
このシュタインズゲートも岡部自身はそんなつもりなかったのに、おふざけで中二病の延長でやっていたタイムマシン開発というのが本物になっていくという流れでしたね。
これがもう本当に陰謀論すぎて、正面から見れないというか、このシュタインズゲートのその部分だけ切り取るとやっぱ結構危ない作品だなと思いますね。
だってこれ自体もやっぱりフィクションにはなっているので、あくまでSFのフィクションですよという形でおふざけが本当になっていく怖さみたいなものを描いているんだけれども、
一方でやっぱりこれもね、見る人が見てしまったらやはり本当ではないか、やはり組織の陰謀があるというね。
エージェントによって我々は盗聴されているという話になっていくかなと思うんですね。
シュタインズゲート、見た頃まではそれ自体が一つの面白い演出というかプロットだなってやっぱり思ってたけれども、
15年経つと結構見てられないというか、やばいなというのは思いましたね。
そういう意味も含めてよく作られている本当に作品なんだよなと思いますね。
もう一つこれも典型的なんですけど、キリュ・モエカの形態や依存ですね。
形態というよりはFBへの依存、人への依存の表層というのもこれもまたうまく捉えているし、
よりそれが過激化した15年後になっているなあとは思いますね。
これも陰謀論系の話ですよね。
キリュ・モエカもFBと呼ばれるメール相手からの操作というか洗脳によりいろいろな悪事に手を染めていくわけなんですけれども、
そして携帯依存症になり、一度も会ったこともない、電話すらしたこともない相手に対して強大な忠誠心と依存を持ってしまうという描写だったんですけど、
当時この頃から携帯依存とかも言われていたし、やっぱり病んでいく人々みたいなものもあったので、
こういうキリュ・モエカみたいな存在もあるだなというキャラ作りではあったんですけれども、
その裏にあるFBの存在、そしてFBが本人が求めているように振る舞っていく、そしてそれによって人心を掌握していくみたいなものが、
これもいわゆるカルトの新宗教とかの流れだったりとか、もしくは特留という特命型流動犯罪グループの特殊詐欺グループですね。
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この特殊詐欺グループなどとほぼ同じような手口というか、末端の人にいろいろやらせて自分はスケープごとしていくと。
一度も顔を見たことない相手に洗脳もしくは脅しによって相手の行動を完全に掌握して、
そういった犯罪につなげていく、そして実行犯として仕立て上げていくという流れがあったんですけれども、
このFBとキリュウモエカの関係もまさに特留のそれでしたね。
特殊詐欺の本当に実行舞台の末端と親元というか親元役みたいなところの構造になっていて、
これも昔からもちろんそういった構造は大成正年にあったとはいえ、より現代において深刻になっていっているこの特殊詐欺グループとかの
人身掌握術であったり洗脳、それから依存状態みたいなものを表しているかなと思いましたね。
なのでこの陰謀論と特殊詐欺の2つがほぼ直球で入っている後半の流れって見ると、
ちょっとやっぱり背筋が凍るというか、やっぱり本当にそのまんまいたち返しですけど、
これ見て笑ってた当時の僕にそのままダイレクトに15年後現実として立ち戻っていくという構図になってましたね。
そういう意味でも見事というか、かなり見事な作品だと思いますね。
まあとはいえね、後半の展開って、これも完全にネタバレにどんどん本当に、
完全なネタバレではあるんですけれども、そのハーレム的なね、主人公の周りの女の子たちの願いを一つ一つ消していく。
っていうのがプロットのメインになっていくんですけど、
さっき言ったようなね、やっぱりね、陰謀論のおふざけが本当なディストピアに巻き込まれていくこととか、
そういう特殊詐欺グループとの関わりというかね、そういう闇みたいなものを背景にしながら、
意外とね、メインプロットはとはいえ、目の前の女の子の願いを涙を飲んで消していくっていうのを主人公だけが受け負っていくっていう、
いわゆる泣き者ですよね。
本当に当時流行ったというか、その前にエロゲーで流行ったプロットですよね。
うつ展開と美少女をどれか選ぶかっていう時に、選ばれなかった人たちはどんどんどんどん向こうになっていったりとか、
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そのプロットを当て込んでいて、ある意味ここまでさっき説明したような、
SF展開とかね、そこにある社会構造の後半なものを巻き込んでおきながら、
メインのプロットは女の子の切な願いを無駄にしても別の女の子を助けるということに奔走する主人公っていう話にしてて、
すごいよなと思って、これがないと当時のオタクは見ないですからね、本当に。
嫌な言い方しますけど、やっぱりこう、燃えるキャラクターみたいなものが配置されていて、
いろんなパターンで、記号的競争的だけど、いろんなパターンのいわゆるハーレムアニメ的なキャラクターが設置されていて、
その子たちの裏の事情みたいなものを汲み取りながらトゥルーエンドに向かっていくっていうね。
この王道の流れをちゃんと設定しないと、やっぱり当時のノベルゲームとしては成立しないっていうのが非常に面白いところで。
後半の展開って、すごいシリアスな状況なのに、一個一個の行動が泣けてくるぐらい馬鹿らしいし、
うすら寒いっていうのがキツイっていうのはありますよね。
これは多分、別に15年前も当時ちょっと本音では思ってた部分ではありますし、
見返したり掛け合いさんに指摘されてしまうと、確かにキツイよなこれというふうに思いましたね。
ということで、そういうふうにして、当時もね、やっぱりね、
深夜アニメに熱中していたオタクたち、ハーレムアニメ的なね、ものとかをキトしていたオタクたちを、
エサにね、やっぱりどんどんね、ここに集めつつ、一発ガツンとね、これまで説明したような黒い闇をぶつけることで正気に戻すっていうことについて、
成功半分とはいえ、やっぱり結局さっき言った通りトゥルーエンドに落ち着いていくので、
不成功半分っていうのがこの作品の成果なのかなって、15年経って思いますね。
一方でなんか僕とかも含めて、いわゆるその萌え萌えアニメちょっと嫌だなって思っている人たちに、
いやいやこういうのありますよっていうふうに示した作品としてもかなり機能してたなぁとは思うので、
やっぱり下げ好きっていうのは、いわゆるオタクっぽい人の他にも、僕みたいな結構これでアニメ帰ってきたっていう人も結構多かったんじゃないかなって、
当時のね、20代前半とかの人たちの感想でいくと、そういう部分は多かったのかなとなんとなく思いますね。
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はい、ということで、なんかこの番組最長ぐらいでシュタインズゲートを語るとは全然思ってもなかったですし、
正直僕そんなに思い入れがあるというか、考えてみるとあれが分岐点だったなぁという作品ではあるものの、
なんかこんなに今久々にね、十何年見て感じるところが出てくるのかっていうのは結構意外でしたけれども、
まぁこんな感じですかね。
だいぶコンテンツ語りなのか自分語りなのか、なんか曖昧な分かりづらい話にはなってしまったんですけれども、
まぁ今回はこんな感じでしりきれと終わろうと思います。
はい、ありがとうございました。