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2025-04-11 15:50

#14 アドラー心理学から学ぶべき「目的論」「課題の分離」「共同体感覚」(⑤臨床心理学)

アドラーの「目的論」「課題の分離」「共同体感覚」(大分類⑤臨床心理学)について、自己理解を深める視点から紹介します。


(参考書籍)

齊藤勇 監修・田中正人 編著『図解 心理学用語大全』(誠文堂新光社、2020)


【大分類】①心理学の誕生 ②行動主義 ③ゲシュタルト心理学 ④精神分析 ⑤臨床心理学 ⑥認知心理学 ⑦発達心理学 ⑧人間関係の心理学 ⑨社会心理学 ⑩性格の心理学


(特別参考書籍)

岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013)


(配信者紹介)

兵庫県出身、京都府在住。一児の父。ひふみコーチ株式会社認定 プロフェッショナルコーチ。大学卒業後に大手ビール会社へ入社、現在はクラフトビールを始めとした酒類全般の営業に加え、2023年より自己理解コーチとして活動開始。プロコーチとしては通算100名以上のクライアントに対して、累計500時間以上の有料セッションを提供。複業家の友人との共同Podcast『パラレルワーカーの本音』も配信中。ストレングスファインダー®の1位は最上志向。自己理解コーチとしての自己紹介やnote・Instagram等のSNSについてはこちら


(番組詳細)

このPodcastは、「個性のウラオモテを認めて味わう人を増やす」ために、株式会社ジコリカイで“自己理解コーチ”として活動する配信者が、自身やクライアントの「自己理解」を深めるべく探究し始めた「心理学」をテーマにお話しする番組です。毎月ひと桁目に1がつく日の朝に配信、月末はゲストをお迎えして心理学に関する雑談をお送りします。テーマに興味のある方や同じく対人支援をされている方、自己理解を深めたいと感じている方の参考になれば嬉しいです。「自己理解プログラム」に興味をお持ちの方はこちら


※株式会社ジコリカイが運営する番組ではございません

サマリー

このエピソードでは、アドラー心理学の主要な概念である目的論、課題の分離、共同体感覚が紹介されています。特に、目的論は行動の背後にある目的を理解することが重視され、課題の分離は他者との問題を明確にするための重要な手法とされています。また、共同体感覚は他者との信頼関係や貢献感を育むことで幸福感に繋がると強調されています。以上の観点から、目的論や課題の分離、共同体感覚の重要性が述べられています。自己理解を深め、自分の価値観に基づいて生きることが、他者への貢献へと繋がることが探求されています。

アドラー心理学の基本概念
ようこそ、自己理解を深める心理学ラジオへ。このポッドキャストは、株式会社自己理解で自己理解コーチとして活動する配信者が、自身やクライアントの自己理解を深めるために探求し始めた心理学をテーマにお話をする番組です。
テーマに興味のある方や、同じく対人支援をされている方、自己理解を深めたいと感じている方の参考になれば幸いです。
はい、今日も聞いていただいてありがとうございます。
今日のテーマは、アドラー心理学から学ぶべき目的論、課題の分離、共同体感覚というところで、皆さん一度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか、アドラー心理学という言葉。
岸見一郎さんと小川文武さんの著書、嫌われる勇気、ダイヤモンド社のこの一冊で知った方も多いんじゃないでしょうかね。私もこの一冊で知りました。
この本も今日の特別参考書籍として使っていきながら、メインの参考書籍は、いつも通り、図解心理学用語大全、こちらを片手にお話をしていきたいなと思います。
大分類が変わりまして、5番、臨床心理学というところの一つ目として、アドラー心理学が取り上げられています。
今日はテーマを3つに絞って自己理解を深める視点につなげてご紹介していきたいなと思います。
まず一つ目ですね、目的論です。アドラー心理学の骨格となる考え方ですね。
この目的論、どういったものかというと、経験や感情が原因となって行動という結果を引き起こすと考えるのが原因論。
一般的な考え方ですが、目的論は目的を遂行するために経験や感情を利用するというふうに考えるんですね。
もうちょっと具体例を出しながらお話していくと、一般的な考えの原因論の方は、
例えば悲しいという感情になると、それが原因となって泣くという、これが原因論ですよね。
赤ん坊が何か起こって、それによって悲しいという感情になって、そうして泣く、これが一般的な考え方なんですけれども、
アドラーさんの考えた目的論というのは、同情してもらいたいと、例えば子どもが思ったとして、
この同情を抱いたいという目的を達成するために、悲しいという感情を使っていって、
そうするとアウトプット、行動としては泣くということ、悲しい気持ちを使って泣くと、
どうしたの?という形で親が同情してくれるという、そんな考え方ですね。
確かに私、4歳の息子がいるんですけれども、しばしばですね、涙が出ていない、泣き声だけ出す、みたいなことはやっぱりあって、
親に構ってもらいたい時とか、甘えたい時とかに声だけ泣いて、注目を集める、みたいなことは普通にやっていることだなと思います。
嫌われる勇気でもですね、父親との関係が良くないから何々ができないというふうに考えている方がいるんですけれども、
それを目的論的に捉えると、父親と関係を修復しないのはなぜなんだと、
どんな目的で関係が悪い状態を使っているのかなというところで考えると、
じゃあその目的を変えてしまえば、父親との関係は修復していけるというふうに捉えて、目から鱗だよねという話がありました。
カードを自分で握るような感覚になれるんですね、目的論を用いると。
出来事自体はさすがに変えれないんですけれども、自分の感情の使い方とか認識の仕方というのは目的によって変えていいんだよ、
変えられるんだよというのがアドラー心理学の骨格にあるというところかなと思います。
課題の分離とその重要性
あとはですね、よくアドラー心理学の中で使われる考え方が、
人間が抱える問題は全て対人関係上の問題であるというふうに捉えるのがアドラー心理学の考え方です。
一般的な考えでは問題とか課題というのは私の内面、自分の中にあると考えるんですけれども、
アドラー心理学では全て問題は自分と誰かの間にあって、
それを私が抱えているときに私の問題、私の課題であるというふうに捉えるというそんな発想をします。
こういう発想をするからこそ出てくるのが次の課題の分離という考え方ですね。
まず課題の分離を扱っていく前に、課題ってそもそも何かというところを、
ちょっと抽象度の高い言葉でビジネスとかでもよく使われますけれども、
課題っていうのは問題を解決するために取り組むべきことを指すのが課題です。
問題っていうのはじゃあ何なのかというと、一般的に言われるのは理想と現状のギャップを生んでいるものが問題だと、
その問題を解決するために取り組むべきことが課題であると、
そういう立て付けになっているのが一般的だと思うんですけれども、
この課題を分離していきましょうねっていうのがアドラさんの考え方です。
意味としては他人が克服するべき課題と自分が克服するべき課題を分けて考えることになります。
例えばですけれども、アドラさんが挙げているのは承認欲求っていうのは、
自分が他人の課題に介入し合っているから起こることだということで、
自分の自由を奪っちゃうよということを言っているんですね。
嫌われる勇気のタイトルの由来にもなっている考え方がここにあるかなと思っていて、
自由とは他者から嫌われることだっていうそんな短い名言があるんですけれども、
まさにこの嫌われる勇気っていうタイトルの大元になっている考え方かなと思います。
他者から承認されるそういった欲求を捨てることで初めて自分の自由が手に入る。
だから嫌われる勇気を求めっていうのがこの嫌われる勇気の伝えたいことなのかなと思います。
じゃあ向け合うべき課題とそうじゃない課題の具体例なんですけれども、
例えばこの人を助けたいなって自分自身が思った時にこれは自分の課題です。
なぜなら自分が自分の意思で誰かに関わっていく。これは自分の課題なんですね。
自分側の問題を解決するために取り組むという発想だから向き合うべき自分の課題である。
一方でこの人に告白したいなって他人が自分に思っていたり、他人から他人に悩んでいたりするとします。
そこに介入していくのはエアドラー心理学的には違うよねと。
なぜなら自分自身は告白されたいとか別に思ってないけども、
相手が思っていることに対して介入していくというのは課題の分離ができていないということなんじゃないかなと思います。
例えば好きでもない人に愛を告白された場合、
例えば相手が傷ついたとしても自分自身としては受け入れる必要がない。
なぜなら心の傷を克服するとか、この好きだという気持ちを持ってそれが虐待することで傷ついてしまうというのは
相手の課題だからですね。
だけどもそこである意味人に気を遣ってしまって告白を断れなかったり、
好かれているというある意味の承認欲求が満たされるからお付き合いをするってことをしてしまうと
相手の課題に対して自分がアクションしてしまっているということになるので
これだと自由が奪われてしまう。
なぜなら相手の感情はコントロールできないからですね。
自分を評価するということは相手の課題なので
それをコントロールすることができないからそれに振り回されてしまって疲れてしまう。
そういうことを嫌われてもいいからやめましょうねって言っているのが
アドラさんの考え方の一つです。
共同体感覚の意義
そしてこの課題の分離ができている前提で最後にご紹介するのが
共同体感覚という考え方です。
これは個人が共同体、仲間、グループに所属をすることで覚える信頼感とか貢献感のことを言います。
共同体感覚を持つと人は幸福に生きられるよっていうことをアドラさんは言っていて
課題の分離をすると自分は自分、他人は他人ってある意味になりますよね、はっきりと。
だからこそ他者は全員敵なんだとか仲間じゃない
自分が自分の課題だけ扱って自分の人生を生きていこうっていう感覚になると
ちょっとそれは幸せになれないよねっていうふうに言っていて
じゃあどうすればいいかというと自分と他人の課題をはっきり区別した上で
自分の課題として相手に貢献する、協力をすることで
みんなを幸せにしていこうっていうのが共同体感覚を持っている人のやり方になります。
例えば私は相手に貢献できる、相手は私を助けてくれる、私は仲間の一員である
こういった感覚を持てるのが共同体感覚を持っている人
そうすると自分の課題、自分のやりたいこととして相手を助けるっていう
そういうギブができるようになってきます。
そうするとみんながギブし合って
しかも相手の課題のために自分がギブをするのではなくて
自分の課題を解決するために誰かにギブをするっていう
そういう構図になるので精神的病理から解放されるっていうふうに
アドラさんは言っています。
自己理解に少しつなげると
我々株式会社自己理解で提供している自己理解プログラムだったり
自己理解メソッドその考え方とも共通するなと思っていて
まず自他分類をする
自分の課題と相手の課題を切り分けるってことは
自分の価値観を明らかにしてその価値観に沿って生きるってことだと思っていて
自己理解と課題への取り組み
他人の価値観に沿って生きていたら
それは他人に振り回されて自分が本当の意味で幸せになれないよってことを
なかなか分からないっていう方もいらっしゃると思うんです
ですけど自己理解をして過去の経験をしっかり紐解くことで
自分の価値観が明らかになれば
その価値観に沿って生きることが自分の課題に取り組みながら
自分で自分を満たして生きるということだなというふうに
この本を読みながら感じました。
その上での共同体感覚とか貢献ギブってどういうことなのかというと
おせっかいをすることかなと思っていて
自己理解メソッド的には仕事の目的を設定して
それを誰にも頼まれてないけどやっちゃうみたいな話かなと思っています。
どういうことかというと
例えば私は妻と息子と暮らしてますけども
ついつい妻の姿とか言葉を聞いていて
私の仕事の目的とかおせっかいしたくなるポイントって
自己需要っていうところなんですけども
妻が自己需要できてないから自己否定の言動があるときに
こういう考えをすると自分を受け入れられるかもよとか
こういうふうに考えてみたらどうかなっていうことを
おせっかいで言ってしまうんですね。
妻はそれを聞いてたまに役に立ったって感じてくれることがあって
これって妻のためにやっていることではあるんですけども
妻が抱えている課題を私が解決してあげるっていうよりは
私がおせっかいをしたくなる
イコール私の課題を解決するために
妻に対してアドバイスをするって行動しているので
自分の課題を扱っていることに
このアドラーシー理学的にはなるのかなというふうに思います。
なので相手の課題を解決することにはなっているんですけども
スタートがそこではないっていうところから
相手の課題に振り回されないで済む
相手にギブできる貢献できるっていうところが
生まれているなと今ちょっと考えてみて感じました。
アドラー心理学の重要性
参考書籍の図解心理学用語大全では
このテーマ臨床心理学っていう
実際に臨床の場面で精神科医の方が
患者の傷を癒していくとか
病理から解放されるところを目指していく
心理学の考え方の分類にこのテーマって属してるんですけども
こういうふうに考えるとメリットがあるってことは
アドラーさんは言ってます。
例えば他人の目が気にならなくなったら
もっと楽に生きられるので精神的な病理から
解放されるっていうふうに主張していることだったり
感謝の気持ちを伝えることが
共同体感覚を持つためには大事だよってことも言ってます。
例えば自分のお節介でのギブって
相手に感謝がもらえなくても自分は満たされるけど
なんか自分が好きでやってる感じなので
相手の課題を解決したのかなってことは
ある意味わからないじゃないですか。
だから相手から自分の課題を解決してもらったら
ありがとうっていうことで
自分の課題を解決した行動なんだけども
相手にも貢献できた、ギブができたってことが
はっきりわかるということで
貢献実感が持てるっていうところが
臨床心理学っぽいところかなというふうに感じました。
なんかいいですよね。自分が自分のやりたいように
ある意味自分の仕事とか人生の目的に沿って生きていくことで
誰かに貢献する。
そういう人が増えていくと
承認欲求とか評価されるべきみたいな
そんな世の中でもなくなってくるのかなと思うし
もっと気持ちよくギブ&ギブで生きられるようになるのかなと思っていて
こんな世の中がパドラーさんの描いた理想の世の中なのかなと思うと
すごく共感できるなというふうにお話ししてて感じました。
どうですかね。課題の分離できてますでしょうか。
あるいは共同体感覚、共同体に所属をする中で誰かに貢献する
そういった感覚って持ててますかね。
あくまで自分の課題としてその物事を扱った上で貢献する
そういうスタンス持てているかどうか確かめてみてはどうでしょうか。
もしもまだそういった感覚持てないよって方は
自己理解メソッド的には価値観だったり
そこから派生する仕事の目的、人生の目的みたいなことが
見つかってない可能性もあるかなと思いますので
まずはそこを自己理解を深めてみられると
もっとこの共同体感覚につながるんじゃないかなと思います。
ここまで聞いていただいてありがとうございました。
また次回の放送でお会いしましょう。さよなら。
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