愛着が欠如している母性剥奪の状態の子どもにどんなことが具体的に起こっているかというと、6つ例が出てきます。
1つが鬱病、2つ目が挙食、ご飯を食べないことですね。
3つ目が注意力の欠如、4つ目が協調性自発性の欠如、5つ目が感情の欠如、6つ目が言語発達の遅れ。
成長するにおいて非常に課題になることが、愛着が欠如していることで発生してきているというところなんですね。
いろんな事情、それこそ戦争なんかは究極の事情で、父さん、お母さん、親とか養育者がいなくなってしまうということは仕方がないことかもしれないんですけれども、
子ども、特に1歳前後の乳児期については、ものすごくこの養育者との人間関係というのが大事になってくるんだなというところを改めて感じますよね。
日本の中にも、こういう戦後の時代では今ないですけれども、愛着障害を感じている方とか、周りにそういった愛着障害で何か不都合なことが起こっている方というのがいらっしゃると思います。
そんなことを解決するために書かれたのが、特別参考書籍の、「それは愛着障害のせいかもしれません。」という一冊です。
私、過去にこれを読んでいて、具体的にこの愛着障害を克服するための考え方とか方法が書かれていて、非常に参考になったので、ぜひこのタイミングでご紹介したいなと思います。
一番大切な考え方が、安全基地という考え方でした。
この乳幼時期にお母さんとかお父さん、養育者という安全基地がなかったことが、この愛着障害を生んでいるということで、それを改めて大人になってからの人間関係で作り直そうという考え方じゃないかなと思うんですけれども、
具体的には安全基地の作り方として2つ紹介されていて、まず1つは自分の中に、自分自身がその安全基地を作っていくという方法です。
言葉を変えると、自己肯定感を高めるということですね。
そのために紹介されていることとしては、自分を好きになる、自分を許す、憎しみを手放す、この3つが自分を安全基地にしていくために必要なことということでしたね。
自分はたくさんの人から愛されているということに気づけるということだったり、自分自身で許せないことがあるときに、あの時は確かにああいうことをしてしまったけれども、だからこそこれからの人生でこういうことをするんだという決断をしたり、
憎しみとしては、例えば捨てられたまま育ってきた子児みたいなところで言うと、自分を捨てた親を許せないとか、自分を傷つけた親を憎んでいるとか、憎しみとか復讐の気持ちを手放していくということも必要だというところが書いてますね。
安全基地を作るための2つ目の方法が、誰かの安全基地になるということです。
これは誰かを安全基地にするということではなくて、自分自身が誰かの安全基地になることで関係性としていつの間にか自分の安全基地にもなっているということのようですね。
自分の安全基地に誰かをするっていう方からやるとおかしくなるのかななんて感じました。
そして誰かの安全基地になることっていうのは覚悟ができれば十分に可能なことだということを書いています。
一方で誰かを安全基地にする、現実の世界で安全基地となってくれる人を見極めるっていうのは結構難しいことだよっていうふうにこの本では述べられていました。
自分が誰かの安全基地になるということはある意味大きな責任が伴うことですけれども、その時に必要なスタンスとして相手に見返りを求めず受容し認め見守る必要があるということですね。
どちらも非常に難しい、自分自身が自分の安全基地になることよりもある意味難しいことかなっていうふうに思ったんですけれども。
そうですね身近にこの愛着障害だったり母性剥奪の状態の方がいるときにはぜひ自分自身が安全基地になるっていうことだったり、
相手の中に相手自身が安全基地を作れるそんな関わりが必要なんだなっていうのをこの参考書籍を読んで改めて感じたところです。
自己理解を深めるっていうところとつなげるならば、もしかしたら今起こっている不都合は愛着障害のせいかもしれませんっていう視点を持つことかもしれないなと思います。
この特別参考書籍のタイトルにもなっていますけれども、愛着障害じゃないかっていう仮説が立つだけで安全基地を作っていく行動が取れるようになりますし、
その行動を介して何かその課題が解決されていけば、愛着障害のせいだったんだ、自分自身のせいというよりもその自分に起こっている現象のせいだったんだっていうふうに適切に課題を分離して自己否定をしないで生きていくことができるようになるかもしれません。
なので、何か自分に今不都合なこととか人間関係の課題が起こっている人は愛着障害の可能性を確認してみてはどうでしょうか。
自分自身もね結構当事者に近いところがあって、言うはやすしでやるのは非常に難しいなっていうふうに自分で自分の言葉でお話をしながら必死必死と感じているんですけれども、
だからこそね、お聞いてくださっている方もそんな一長一短でできることではないと思いますので、一緒にいろんなやり方を試しながら頑張っていきましょう。
ここまで聞いていただいてありがとうございます。また次回の放送でお会いしましょう。さよなら。