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2026-01-02 25:11

2026/1/2 アタッチメントを探求する②

#アタッチメント #愛着 #発達障害 #ニューロダイバーシティ
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サマリー

このエピソードでは、アタッチメント理論について深く考察し、ストレインジシチュエーション法を用いて愛着の4つの行動パターンである安定型、回避型、アンビバレント型、無秩序型が説明されています。また、アタッチメントに関する誤解やその質的側面にも触れています。さらに、愛着障害に対する誤解やその影響について深掘りし、親の感受性がどのように関与するのかを探求しています。このテーマの教育現場における重要性や、社会での自立についても言及しています。

アタッチメント理論の基本
Reverse Diverse、アタッチメントを探求する。
こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
今回はですね、前回に引き続きまして、アタッチメントを取り上げていこうと。
しばらくは。
このシーズンはですね、2026年から新シーズンとして、アタッチメント、愛着を探求するということで、おしゃべりしていきたいと思います。
前回第1回は、こんな話を今後していきますよっていう予告だったので、実質的には第2回から具体的な話になるかなと思うんですけど、
第1回の時に平林さんが話したことの中で、もうちょっと説明あった方がいいかなと思った点が2つあったので、ちょっと硬い入り方かもしれないけど、その2つから話していこうかなと思ってます。
1つ目は、もともとこのアタッチメント理論が発達理学の中で非常に重視されている文脈として、ストレインジシチュエーション法というのがあって、
そこで4つの行動パターンが切り出されていて、その4つが何なのかという説明が欠けていたので、補ってもらっていいですか。
分かりました。ボールビーの理論として紹介してしまったんですけど、正確にはボールビーのもうちょっと後の人、エインズワースさんという人が、愛着のパターンを標準化して、手続きを決めて、こういう状況を作り、
子供にこの実験室である設定をしたときに、どんな行動パターンを示すかによって、愛着の行動を分類しようと。そのやり方の有名なものがストレインジシチュエーション法というもので、
私ちょっと間違ってたんですけど、小さい親子、1歳くらいの子と養育者の人とストレンジャーが3人部屋の中にいて、その状態からスタートして、途中で養育者が、具体的にはお母さんとかお父さんですね。
お母さんが病室に退出して、その場からいなくなる。初めて会うストレンジャーである実験者みたいな人との2人になって、そのときに子どもがどんな様子を示すのかを観察する。
その後、養育者がその部屋に戻ってきて、戻ってきたときに、養育者に対して子どもがどんな反応をするのか、その行動のパターンを分類すると、大きく4つに分かれる。
関係性の話だっていうことではありますよね。
その4つが安定型と回避型、アンビバレント型、無秩序型というふうにあって、安定型は養育者が離れたときには不安を示して、再会すると落ち着くという、そういう関係性ですね。
信頼関係があるということを読み取っている。
回避型というのが、養育者との分離再会に関わらず、あまり反応を示さないという、距離をとっている、そういう行動パターン。
アンビバレント型は、養育者がいないととても不安とか苦痛を出すんだけれども、再会しても戻ってきても、それが収まらないというか、怒っちゃうとか、怒りとか抵抗が続いているというパターン。
無秩序型はとても混乱して、それが近づきつつ逃げるみたいに、予測、一定のパターンを示さないということかと思いますが、無秩序に行動しているように観察されるという、そういうパターンに分けられますよ。
回避型の考察
平林さんは、回避型の説明の時に、ちょっと共感を覚えたっていう。もうちょっと掘り下げてください。
自分はあんまり感情を満たすタイプではなくて、なんでかなーみたいな。なんでなんだろうと思った時に、あまり不安な時も、それが満たされている時も、そのことにあまり影響を受けたくないというか、
大丈夫だからみたいな感じにしておきたいっていうか、そういうタイプなのかな。それってなんか、自分のそういうパターンはこれで言うと回避型なのかな。
つまりこうなんか、自分の、別に老いたちっていうわけでもないんですけど、なんか自分のその、今の大人になりつつある時に、自分を理解する時の、なんか手助けみたいな。
なるほど。つまりこの実験っていうのは、もう本当に赤ちゃんとか、子供と特定の人間、親だよね。親との関係性においてどういう反応があるかっていうことだけど、今平林さんが言ってるのは、もうちょっと大人になっていく過程の中で、いろいろな他者との関係において、自分はこうちょっと回避型の傾向っていうのが、行動パターンっていうのがありそうだと。そういう解釈ですね。
それとこれを結びつけたってことですね。
あー、なるほどね。
やっぱりなんかそういう結びつけて考えるみたいな、こうなんか、癖があって、世の中全体にあると思うんですけど。
まあね、社会の心理学家。
そういう心理学的なものを、今の自分の行動の元々の根っこのところと関連付けて解釈したいっていうか、あまり意味がないんだけれども、そういうなんか心理学が好きな、私も心理学に関心を持ったっていうのは、そういうことを勉強できるんじゃないかと思ったんだと思うんですけど。
そういうふうに見ると、やっぱりもうちょっとこう、理論だから、そんなにウェットな。
そんなにこう、現実で起きてることにうまくフィットして当てはめて考えられるものではないし、そこからね、なんかうまい解決策が出てくるようなものではないよね。
うん。
なるほどね。
はい。
私ね、単純に思ったのは、これどのぐらいの年齢層にもよるんだけど、例えばね、私もどっちかっていうと回避型だと思うの。子供の時は。
それはなぜかっていうと、やっぱり親に迷惑かけちゃいけないってずっと思ってたんだよね。
貧困層で生まれ育って、もうその日食べるものも、あるかどうかわからない不安定な状況の中で、親にこうしてああしてなんて言えなかったよね。
私の妹は4つ下なんだけど、親がちょっとだけ生活が安定してきたときに生まれてるから、ああしてこうしてって言えるんだよね。
お姉ちゃんと年だろうねって話したことあるんだけど、やっぱり私たちは、姉と私っていうのはものすごく家庭の状況が不安定すぎて、自分たちは貧乏だと分かってるし、
父親も母親も一生懸命それなりに頑張ってるっていうのはわかってる。父親は父親でいろんな問題を抱えてたけど、頑張ってるのはわかってる中で、自分のそのニーズを親に満たしてもらうっていうことに対してすごく消極的、抑制的だったなっていうふうに思うから、
でもそれをその回避型って言うのかどうかっていうふうにも思うね。
実際にこの手続きはもう少し厳密なものだったね。
そうだよね。実験的にやってるからね。
あるんだと思うんですよね。
実際の関係性っていうのはもっと複雑な要因が絡んでると思うから、ただ単に親との関係性、親が子どもに対してどういうふうに応答してきたかみたいなことだけじゃなくて、子どもも子どもで主体性というか持ってて、
これは親に話した方がいいけど、これは親には話さない方がいいっていうのを子どもながらに、もう2,3歳ぐらいで考えてたと思うんだよね。子どもなりにね。
だからそういうところはあんまり4つのパターンみたいなものに簡単に当てはめて、自分はこっちのパターンだなみたいに。
捕らわれすぎない方がいい。あともう一つやっぱりこれは特性の話でもないし、回避型だからといってこういう障害とか特性とか、アンビバレント型だから何々障害とかそういう話でもないし、優劣でもないじゃないですか。
基本的には特定の人との関係の中では比較的安定的な行動パターンを自分が見せてる時もあるし、非常にアンビバレントな行動パターンを見せちゃう時っていうか、してしまう時っていうのもあるわけで。
そもそも実験室場面みたいに、子どもからしたら初めて行く場所で、そこのすごい違いもありそうだし、さっき井野さんが言ったみたいに、社会的な要因っていうのもその時のですね、その子の。
だからそれが何か生まれ持ったものとか、それがずっと永続するようなものっていうふうに考えてしまうのは全然違うのかなって。
特定的なものではないよね、きっとね。その相手が誰かによってやっぱり変わってくるものだから。なんかその客観的に観察するときに、なんか回避型になってるなみたいな。この人との関係でなんか回避型になっちゃうなんでだろうとか、考えるのはありなのかもしれないけどね。
そうですね。なんかあんまりセキュア、安心というふうに、こういう時は自分は感じてないのかもしれないみたいな手がかりとしてね。なんでこんな態度を自分はとってしまうのかみたいな時に、少し思い出してもいいかもしれないですけどね。
またこのシーズンが深まってくるとそういう話にもなってくると思うけど、あらゆる人と安定型の行動パターンを見せるっていうことは絶対ないので、人間っていうのはね。だからなんかあんまりこの4つのパターンに当てはめること自体を目指さない方が、目指してる人もいないかもしれないけどね。
ちょっと気をつけて使わなきゃいけない部分はあるかなと。
そうですね。
アタッチメントの誤解
もう一つ、今日ちょっと長くなっちゃうかもなんだけど、第1回で出ていた話でやや説明不足だったのは、このアタッチメントっていう概念が、日本では愛着って訳されたことによって、絆とか愛情とかつながりみたいな、すごく情緒的な心の問題として。
誤解されてるみたいな話ありましたけれども、平昭さんから、いやいや、アメリカでも実は誤用があるんだっていう論文を読んだよっていうことで、そこの誤解が一体どういうものだったのかっていうのをちょっと辿ってみたんでね。
この論文を読んだというよりは、SNSで流れてきて、大事だなと。読まなくちゃいけないなと思って。ただ、夜、携帯でSNSを見ながら英語の論文が読めるほどの英語力はないので。
ノートブックLMっていうGoogleのサービスがあって、最近好きで使ってるんですけれども、PDFなどを入れてアップロードするんですね。そうすると音声解説っていう形で、読み込んだものについてラジオ形式で紹介してくれるっていう。
もちろんそれ以外のこともいろいろできるんだけど、そのラジオ形式で聞くのにちょっといろいろ試して使っていて、そこに入れてみようということで、このアメリカのThe Journal of Child Psychology and the Psychiatryの精神分析っていう雑誌に書かれた。
そのアタッチメントという用語の誤解ですよね。それが、まずこのアタッチメントっていうものを量で捉えてしまうっていうことが一つの大きな誤解として。
これ日本でもありますよね。
ありますね。
結構有名な愛着理論の専門家も器っていう概念を使ってるから、量で捉えてるんだと思うんですよね。基本的にはね。だけど質なんだよっていうことを言ってますよね。
関係性だってことですよね。
よく私ここで思い出したのが、熊谷真一郎さんが、自立は依存先を増やすことっていうふうに言ってて、やっぱりこれも量的な捉え方を一つ招いてしまったっていうところがあるなと思ってて。
でもやっぱり自立にしても依存にしても質の問題だと思うんですよね。例えば人に頼るっていうことでも、何を目的にしてどういう関係性の中で頼るのかとかね、そういうことによって全然違ってくる。
依存先を増やすことが自立なんだって言って、自分が不安だから安心感を得るためにSNSでBBUみたいな、それも依存先を増やすことだ、弱さの自己開示みたいに言うのはちょっと違うんじゃないかなって常々思っていて。
これもまたこのシリーズの中で、ちょっと自分の考えを整理していければなと思ってます。だから量で捉えるんじゃなくて質で捉えるって言ったときに、じゃあ何を意味するのかっていうのは結構重要かなと思う。
愛着障害の誤解
もう一つ大きな誤解として、さっきの固定化の話じゃないけど、愛着障害っていうものを脳の発達の問題みたいに捉えている。これ臨床化が多いっていうことが言われてましたよね。
そこだと不安定な愛着自体が問題なんだっていうふうに非常に短絡的に捉えられてしまう。具体的には無実情型っていうのをトラウマとか虐待とイコールで結びつけて、親を不当に非難する言説に繋がっちゃったり、あるいは親から子供を引き離すみたいな行政的な対応に繋がったりしてるっていうことがあって、
結構これ深刻な問題を生み出してるなっていうね。
そうですね。すごく固定的なものっていうか、障害、日本での障害っていう捉え方と似ていますよね。
たった1回の学校作り研究会の中で、最近うちの学校でちょっと扱いにくい子がいたら、あの子は愛着だからみたいに言う先生がいてっていうような話もこれと近いのかなと思ってね。
障害っていう概念が日本ではすごく特殊な意味合いを持って使われてるから、これ行政的な概念でもあって、一定のあり方が固定化されているっていうね、持続する状態のことを障害っていうから、
愛着障害って言った時に、そういう固定化したものとして、あるいは脳の問題として捉えてしまうっていうことがあるみたいだけど、基本的にはそうじゃない。むしろ子供の話じゃなくて、親の感受性の話なんだっていうような説明もされてましたよね。
この感受性っていうセンシティビティっていう概念も結構マジックワードだから、これも本当は掘り下げていかないと誤解に誤解を生んでいく。
親のせいみたいな形になったり、親がこうすれば子供は安定的な愛着関係を結べるんだみたいな、今度は親が子供をある種コントロールするみたいな、大人が子供をコントロールするみたいな視点にまた戻っていっちゃうから、
そうではなくて、子供自身がというか人が成長していく長いプロセスの中で、どうやって自分自身の人生を自分の責任において歩んでいくのかみたいな。
それがやっぱりできないと生きていけないからさ、今本当に社会の中で多くの人がすごく生きづらさみたいなのを感じているのは、究極的にはここにあるんだろうなっていうふうに思う。
自分の人生の手綱を持ってない。持ちきれない。どうしていいかわからないっていうね。それはやっぱりさ、世界がすごく不安定でもあるから、わからなくはないんだけど。
結構その学校で、その子がなかなか先生の思う通りにいかない時に、発達障害ではなさそうなんだけれどもってなった時に出てくる愛着なんじゃないかっていう話。
これって、そのように考えたとしたら一体何がどうなるのかって考えると、どうしようもないことなんだっていうふうに考えたいっていう。
教育的な指導のせいではないとか、どうしようもない環境のせいではないとか、環境って難しいですけど、学校が環境のせいではないとか、何かそういう先生の力の及ばないもの。
それはあると思うんですけど、何でもかんでも先生がなんとかできるわけじゃないから。
ないし、できたら怖いからね。
何かできないことがあるんだっていうことは、そのまま置いておいてもいいはずなのに、なぜかそれをどこかに帰属させる。何かのせいにしないと、今は手立てがないっていうことを受け入れられないのかなっていう。
教育現場における自立
そうでしょうね。それはそう思います。
究極的には自立の話でもあって、自立って一体何なのかって言ったときに、何でも自分でやるとかそういう話ではなくて、他者って自分の思い通りにはいかないものなんだっていう、他者性を受け入れるっていうプロセスだと思うんですよね。
でもやっぱり親ってそれがなかなか難しい。自分と子供ってさ、結構連続戦場にあることが多いから、何でこの子言うこと聞かないんだろうみたいに、どうしても。でも、他者だからさ、ままならないものなんだ。
そのままならなさを受け入れていくっていうのが自立においては非常に重要なんだけれども、そのままならなさを障害のせいにするとかね、病気のせいにするとか家庭環境のせいにするとかいうふうに非常に短絡的にピンで止めてね、理解しようとするみたいなところはあるんだろうなと。
そうですね。家庭環境の影響っていうのは絶対あるはあるけど。
それを言ってどうするんですかね。
そうですよね。だから実際にじゃあできることっていうか、学校としてはどういうところからどうするかという。
そうそう、そのような子もいるわけだから、さっきの言葉だと非常に無規律上型の行動パターンをとっているように見える子どももいるっていうのがある種この社会だと思うんだよね。
で、そういう社会において、じゃあ学校においてね、じゃあ何が教員のその裁量の範囲の中でできるのかっていうのを考えていくことでしかなくって、
そういうのをあらかじめ見極めて排除しようとかっていうのは到底無理な話なんだけど、どうしてもそっちの回路が開いちゃうんだよね。
集団の中にどうやって適応させるかみたいなことばっかりを考えている。
そうですね。
今回ちょっと長くなりましたけれども、第1回目の補足ということで、アタッチメントの誤解をいくつか紹介してきました。
この論文のリンクは概要欄みたいなところにあげておきますね。
で、ノートブックLMのリンクと一緒に。
Googleアカウントがあれば使えるので、Googleアカウントが持ってて、ノートブックLMにPDFを入れれば。
結構その今まで自分がちょっとこれ読めないなっていう、本とかでもちょっと長そうなやつとか、難しそうなやつとかですね。
ちょっと買ったけど手が出ないなみたいなものとかをちょっと入れてみて。
聞いてみると、それがすごく正確じゃないかもしれないんですけど、手がかりにはなって、それをまた誰かとシェアしてみたりするといいんじゃないかなと。
ノートブックLMは一応、AIの中でも比較的熱像、ハルシネーションって呼ばれるものが少ないよとは言われてますよね。
そうですね。
そういった情報に基づいて出してくれるので、それでもやっぱり混乱することはあるので、AIもちゃんと確かめた方がいいけれども、
入り口として使ったり、対話しながらその文献の内容理解を深めていくっていうツールとしては活用できそうですね。
それでは今年度2回目の、今年2回目のポッドキャストを以上にしたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
25:11

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