はい、ありがとうございます。なんかいろいろお聞きしたいことがあって、なんであれなんですか?心理学を専攻というか学ぼうと思ったんですか?
大学で何やっていいかわかんないっていうのが、高校2年生ぐらいの時の進路選択の時の悩みだったんですけど。
僕サッカーやってて、ポジションごとに人の生きる個性が違うみたいなのは、そういうところがサッカーの面白いところだなとか思ってたんですけど。
なるほど、なるほど。
それで、まず人の個性にすごい興味があったっていうのが一つ。あとは、世の中がすごい勢いで変わっていくぞってめちゃめちゃ脅されていまして。
世界が対等してきて、AIが対等してきてもなくならないスキルなんだろうって考えた時に、人間に関わることって絶対なくならんなと思いまして。
人の個性も好きだし、人の心って人が生きているうちは絶対なくならんなと思って。
もう心理学ばっちりじゃんってなりましたんで、心理学一択でしたね、その時から。
なるほど、人の個性好きそうっていう気持ちの部分と、ちょっとダサン的ななくならないだろうみたいな、そういう両面でってことですね。
そうですね、はい。
ありがとうございます。その中でも教育心理学と社会心理学でしたっけ?
そうですね、教育心理学の専攻の研究室は社会心理学もやったって感じですね。
なんかその2つ選ばれた理由とかもあるんですか?
社会心理学は人の個性とかもそうだし、その社会の中で人ってどういう影響を受けてどういう心理状態になったりとか、
どういう影響を受けて心理が動かされるみたいなところにすごく面白みを感じたっていうのがあるのが1つ。
なるんだ。
で、教育心理学は僕の祖父がちょっと教育関係者だったのもあって、シンプルに教育ってものに興味があった。
だいたいこんな決め方をしちゃいましたね、当時は。
ああ、なるほど。人が動くというよりも動かされるっていうところね。
意識的に動くというよりも無意識的に動いてしまうみたいなことを研究されていたっていうことなんですかね。
そうです、そうです。本当に無意識にどう動いちゃうんだろうみたいなところですね。
面白そうですね。
どうですか、学んでみて心理学って松原さんにとってどんなものなんですか?
本当に奥が深いなと思ってて、一般的な書籍とかで言われるような、こういう時に人間絶対こうしちゃうんですよみたいな、そういう軽いもんじゃなくて、
人間ってどういう本能に駆動されているのかみたいなところを、統計やら何やらありとあらゆる手段を使って探りに行くみたいな、
意外と泥臭く奥深い、でも楽しい、永遠に解けない謎にチャレンジするような、そういうものだと捉えています。
私も似たような感覚を持ってて、このポッドキャストを続けて聞いていただいている方は、参考書籍として、
図解心理学用語大全という書籍を元に配信していることをご存知だと思うんですけど、最初に心理学の誕生みたいなテーマから始まって、
もともと心理学って哲学がベースになっていて、哲学って何を考えるかというと、答えのないことに何らかの答えを出そうと歴史上みんなが考え続けてきた結果みたいな、
そんなことだと思うんですけど、心理学も似たようなニュアンスがありますよね。
人の心という掴みどころないことに挑戦しているような学問ですよね。
そうですね。やっぱり目に見えないものを科学するっていうのはやっぱりそういうことですよね。
数字だけではなかなか測れないものが多いですよね。
今日はね、そんな心理学はある意味学ばれているので、この心理学ラジオとしては大先輩の松村さんにいろいろちょっと聞いていけたらなと。
大人多いですが、よろしくお願いします。
学ばれたのは教育心理学っていうもんだと思うんですけど、この3個書籍では発達心理学みたいなことがこの子どもの発達、教育と近い分野なのかなと感じたんですが、
松村さんの中でこの2つの教育心理学と発達心理学の違いみたいなのってどのように捉えられているんですか。
これはもう大学の時に僕は叩き込まれたんですけど、やっぱり似てるんですよね。教育心理学と発達心理学って。
教育心理学ってどちらかというと、学習させたりとか教育をした上でどういう心理状態になっていくんだろうとか。
学習と教育がやっぱりテーマなんですよね。ある意味人為的というか、人の力を加えた時にどういう心理が働くっていうのが教育心理学のテーマですと。
発達心理学はどちらかというと、その学習とか教育っていうよりかは、人として生きて生まれて育って死にゆくまでなんですね。
発達の中で、成長の中でどういう心理状態になっていくってところを見ていくんですよ。ある意味自然発生的な心理学なんですよね。
なるほど、めちゃくちゃ分かりやすいですね。
松村さんどっちかというと、自然な過程というよりも人が人為的に関わって学習教育していくところの心理の動きを勉強されていたってところですか。
そうですね、主にそっちをやってました。
私も子供がいて、どういうふうに子に関わればいいのかみたいなところって、親はみんな一度は考えるテーマじゃないかなと思っていて、その辺も範疇なんですかね。
そうですね、やっぱり僕のところも半年ぐらい前に子供が生まれたんですけど、やっぱり小さいうちはどちらかというと発達心理学がメインテーマなんですけど、でもやっぱりその時から親の教育って始まってるんですよ。
やっぱりそういうところではある意味密接なんですよね。教育心理学と発達心理学って割と。
そうですよね、そうですよね。何でしょう、発達心理学の中に、イコール子が生まれてから死ぬまでの中に人為的な教育も関わってくるっていうことですもんね。
そうですね、そうですね、まさに。
なんかちょっと問題行動を起こして気を引こうとか、なんかあえて反発してみようみたいなちょっとねやんちゃな子になったりとかするのは、やっぱりそういう愛着のところが足りてなかったりする子が多いという統計は出てますね。
ありがとうございます。この放送でもね、愛着障害の本も紹介しながら、愛着理論とか母性剥奪みたいなことをご紹介した記憶がありますけど、
そんなにそういう本来得られるべき愛着、愛情が形成されてないと、いろんな問題が出てくるっていうことですよね。
それをやっぱり子供が小さい時からSOSを出したり、かまってっていう合図を言葉じゃないせいを何かしらの態度で出しているはずって思った方がいいですね、親としては。
これちょっと僕の個人的な興味でもあるんですけど、このサインとか反応に僕結構気づきづらいタイプというか、割と見過ごしてたり後回しにしちゃってる感覚が、無視はしてないですよ。
もちろん対応はするんだけども、妻の対応の速さってやっぱりすごいなとか、母親だなって思う瞬間がやっぱりあるんですよ。
そこの男女差とか、逆に父親はこういうところみたいなのって何かあったりするんですか?
ありますあります。これやっぱり男女で明確に違いますね。やっぱり母親の方が子供を守らなきゃいけないっていう本能的なところが強く刻まれているので、
よくある話で言うと、男性って例えばソファーで子供抱っこしながら一緒に寝ちゃうみたいなこともあったりするんですけど、力抜けて子供落としそうになってもあんま気づかないんですよ。でも女性ってほぼそれないんですよ。
ですよね。敏感なんですよね。それはやっぱりその本能的なところもそうだし、生物科学的なところでも母親が子供の異変に気づいて、やっぱりその授乳してあげるとか、優しく包んであげるみたいなところは母親にしかできない仕事なので、そもそもの脳の構造が違うので、そういう子供の気づきやすさは女性の方がはるかにありますと。
だからそれができないからって言って自分を卑下することはあまりしなくていいかなとは思います。
一方で松原さん自身も男性だと思うんですけど、お父さんとしてこうしてあげられる愛情、愛着形成みたいなのってどういうことなんでしょうか?
そうですね。父親としてっていうのは、やっぱりちゃんと声をかけてあげるっていうのはすごく大事。特に男性は話しかけても反応が返ってこないと飽きちゃったりつまらなくなったりしちゃうんですけど、特に赤ちゃんがね、喋れないうちとかはそうなんですけど、それでもめげずにちゃんと話しかける。目を見て話すってことをちゃんとコミュニケーションとしてやってあげれば充分です。
目を見て話しかけてあげる。いや、反応がないと飽きちゃうってまさに、今はもううちの息子4歳代なんで、普通に言葉のコミュニケーションできるんですけど、確かにできないときにあんまりできてなかったかもなーなんて今思いましたね。
しょうがないんですよ。男性はね、結構そういうの求めちゃう。やっぱりなんかレスポンス欲しくなっちゃうんで。
子供に求めても仕方ないんだけども、筋の通ったやりとりみたいなのをどうしても欲しいますよね。
そうですね、やっぱりそれは男性能的にやっぱりそうなっちゃいますよね。
ねー。でも対子供に対しては、コミュニケーションのやりとりというよりも一方的でもいいから、話しかけてあげるっていうことが大事なんだ。
そうですね。やっぱりその自分に構ってもらえてるってやっぱ思えることが大事なんで、子供自身が。
一方的でもこの人は自分に好意を向けてくれる人だってやっぱそう思わせたら勝ちっていうか、勝ちというわけじゃないですけど、やっぱそこは大事かなとは思いますね。
具体的にありがとうございます。あとね、後半のいい子に育ってほしいという親の思いはありつつ、コントロールはしてはいけないっていう、この辺はどうですか?
そうですね。やっぱり親としていろいろやらせてあげたいってなっちゃうんですよね。やっぱりどうしても。
はい。うちなんてもう習い事を3つぐらい缶詰みたいな感じですごい言ってますけどね。
それが子供がやりたいって言ってることだったら全然いいんですけど、やっぱり女の子だったらピアノやらせたいとか、男だったらなんかかっこいいスポーツやらせたいとか、あとはなんか頭良くなってほしいから英才教育をとかいうのは子供の主体性ある意味奪っちゃうって言われますと。
あーなるほどね。ですね。すごいなんか線引きむずいなと思うのが、主体性をまだ持ってない、知らない領域については割と入り口を提供してあげるのって親の役割だなと思いつつ、続けるかどうかみたいなところは子供の反応とか興味を見ながら、みたいな風にうちのスタンスとしてやってるんですけど。
松原さんのお家はどういう感じでやろうと考えられてるんですか?
そうですね。あの、金岡さんのスタンスはかなりいいと思います。っていうのは、きっかけは与えてあげていいんですよ。
ただそれを親がコントロールしようとするとどういうことになっていくかというと、続けさせようとしちゃうんですよ。やっぱり。本当によくあるのが、女の子で一番あるんですけど、ピアノやらせる。
ピアノもつまんない、やめたいって言った時に、いやでもなんかこんなに上手なのにもったいないよ、もうちょっとやってみない?って言って子供の意に反して続けさせる。これ、親が悪いと思ってないんですよ。むしろいいことをしてると思ってるんですけど、子供の意に反して続けさせてしまうっていうのがかなり良くないんですよ。
なんで良くないですか?
子供のこうしたいっていう欲求を真っ向から否定してるんです。子供はいつか気づくんですよ、これ。
お母さんがこう言ったから私こうしたけど、でもなんかあれってお母さんのエゴじゃない?みたいなことがなってくると、どうなるかというと、人を信じづらくなるんですよ。
この人は私のことをいいように言ってくるけど、自分の思いが入ってるんじゃない?裏があるんじゃない?って疑いぶらたくなっちゃうんですよね。
そうなると大きな影響はないかもしれないですけど、人との関わりの中で親密になりたくないとか、はじめましての人はめっちゃ警戒するとか、好天的な人見知りみたいな感じになっちゃうんですよ。
親が全てだから、その親が自分のエゴに基づいて自分をコントロールしていたんだということに気づいてしまうと、他の人もそうしてくるんじゃないかって思ってしまうってことですね。
これ難しいですね。親が本気でね、例えばうち男の子なんで、今水泳に通わせてるんですけど、例えば運動能力をね、男の子だからと思って高めてあげたいと思ってサッカーとかね、体操とかちょっとしんどくて嫌だってなったぐらいで、やめたらつく体力もつかないからって言って頑張って続けさせようみたいに、
まだなってないんですけど、なる可能性もあるなぁなんてすごく思っていて、関わり方としては本人がどうしたら続けたくなるのかっていう観点で関わるのはありなんですか?
グレーな感じがします。
それはグレーなんだ。
やっぱりその続けさせようって意図が入ってるとちょっとプロ寄りかなって感じがしますね。
続けさせるように説得するようなコミュニケーションをとっちゃうじゃないですか。
親のそのエゴがあると。
これがちょっとグレー。
それは何なんだろう、体力がない子に別に育ってもいいやって思うってことなのかな、親としての世界っていうのは。
そうなんですよ。
もうあなたは何、別に体力がなくたって愛すべき存在なんだよってところが親のスタンスとしてめちゃめちゃ大事だと僕は思っていて。
なるほどなるほど。
結構そういうふうに思っちゃってる時って体力がないとダメ。
勉強ができないと必ず痛い目見るダメっていうバツのレッテルを貼っちゃうんですよね。
それね、それなんでバツを貼っちゃうかというと自分が後悔してるからだと思うんですよ。
例えば、僕結構子供の頃に体調を崩しやすくて小児漸卒とか肺炎とかあって、体力があったらなぁみたいなことをやっぱり親からも言われたと思うし、
実際に体力がついてきたらその症状が軽くなってなくなってみたいな経験をしているから、自分みたいになってほしくないなっていう思いがやっぱりあるんですよね。
これどうやってクリアしていけばいいんですかね。
本当にでも金岡さんのおっしゃってくださることは本当に真っ当というか、やっぱりみんなそういう何て言うんだろう葛藤を持ってますし、
さっきから例に出しているピアノを続けさせる親とかもやっぱり自分ができてなかったってケースが多いんですよ。
何がやっぱり一番子供の幸せになるかっていうのはやっぱり自問自答した方がいいかなっていうのはあって、
体力つけることが目的なんだったら、週末子供と一緒にランニングしてあげることの方が子供はよっぽど嬉しいはずです。
そうか。やり方を押しつけないってことなのかもしれないですね。
なるほど。
自分ができていないことを押しつけちゃうときって、それも子供いつか気づくんですよ。
お父さん自分ができないことを自分にやらせようとしている。
コントロールしようとしているってやっぱりそこでも思っちゃうんですよね。
無意識ですよ、もちろん。
なんかコンプレックスを自分にぶつけられてるっていうのはすごくわかるんですよ。
わかるわかる。
それは今は親が悪いみたいな言い方してますけど、親になった僕たちも僕らの親からやっぱりそういうのを無意識に与えられていて、
僕らの親たちもそれは愛情だと思って僕らに渡している。
そうそう、まさに。良かれと思っての連鎖ですよね。
そうなんですよ。
でもそういうのが僕らのどっかに心に影を落としちゃうというか、
ちょっとずれた話をするんですけど、
例えば車用意する子とかはだいたいコントロールされているのに反発したくなっている子ですね。
えー、むっちゃ車用意してた。
なんかあるんじゃないですか?
むっちゃあります。
むちゃくちゃコントロール強めだったと大学ぐらいで気づいて、すごい反発して親に手紙書いてみたいな経験もあるんで、
やっぱりコントロール強め、それは良かれと思ってのコントロールが強めだった。
あの典型的な家庭だったなと思いますね。
ですよね。
僕もね、車用意ひどかったんで、やっぱり親の英語、
特に父親があんまり勉強得意じゃなかったんで、僕にはいっぱい勉強しろって言ってましたし、
でも子供はやっぱり疑えないんで最初は。
親が全てだと思ってそれをやるんですけど、
何か違う、何かコントロールされてるぞって感覚が心に根付いてくると車用意が出てくるって言われたりもしてます。
これは多分どこの本にも書いてないと思いますね。
どこで知ったんですか、それ。
あの無意識の勉強してる時にちょっと知りました、それは。
えー、すごいですね。
なんかこう、やり方を押し付けずに子供が楽しいと思えるやり方もあるよっていうことを松原さんさっき教えてくださってて、
まあ体力つけるだったら一緒に遊んであげるとか、
それもまた体力つけるために遊んであげてんだぞが少しでも背景にあると、
それはそれでまたなんか遊んでることにも意図を感じてしまうってそういうことになりうるんですかね。
そうですね。
これはその意識が強いとやっぱり伝わるってのはありますね。
あなたといるだけでお父さんも幸せなんですっていうこのスタンスをいかに自分の中につり込ませられるかが結構鍵な気がします。
あー、なるほどな。
いやー、それもやっぱりこう奥さんと比べちゃうなっていう自分がいて、
妻はすごくいい母親だなって僕から見てても思うんですよ。
子供に言葉でもうあなたが生まれてくれてよかったとか、
一緒にいるだけで幸せみたいなことを日々言ってるんですよね。
自分は同じようなことちょっと恥ずかしさもあってなかなか言えないなとかできないなって、
それを聞きながら思うんですけど、
なんかでもそういうスタンスを当然自分もそう思ってるので、
なんかそれをもって接するっていうことだけでもいいんですかね。
うん、いいですいいです。それだけでももう、
なんかそこに気づいて変えていくだけでも今までとは多分ガラッと変わりますし、
どうしても難しい場合は本人が自分の親との関係性にまだわだかまりを残している可能性があるんで、
いやーそうなんですよね。
こっちを精算した方がいいかもしれないですね。
わかるー。やっぱりそこをやっていくと人との関係性ってやっぱり変わっていくんですかね。
しばしに変わります。
えー、なんか松原さんの考えるそこの変化、どういう変化があるのかみたいなちょっと聞いてみたいんですけど。
そうですね、あの僕も、だからその車嫌いも激しかったですし、親とのわだかまりもありましたと。
うんうん。
これを精算しないと、親と僕の関係がまんま僕と子供の関係になるんですね、割と。
うんうん。
それ嫌だなってめちゃめちゃ思って、親との関係をちゃんと精算したいと思ったんですよ、そもそも。
すげー。
これもでも心理学の中でフロイトの理論をベースに作ったNLPとかなんかそういうのがあるんですけど、
自分のその無意識を作った記憶に対して許しを与えるんですね。
そういう記憶を植え付けた親に対してまず許しを与える。
もう大丈夫、お母さん許せたってなったら、
もうお母さんの立場になって、あなたはこういう愛情を込めて言ってくれたんだね。
僕にとってはそれは鎖に感じてました。重みに感じてました。
うん。
ごめんねっていう気持ちが、気持ちを膨らませていくんですよ。
まあそういうテクニックがあるんですけど、そういうことをして、最後何をするかというと、それを親に伝えに行くっていう。
ああ、ですよね。
僕は忘れもしないんですけど、夏の中華屋に母親を呼び出して、2人でランチして、
もうギリギリまで、手紙書いたんですよ、手紙書いて持って行って、
ギリギリまで本当に言い出せずに、
もうこのまま解散会ぐらいの時間になった時に、
意を決してですね、ちょっと今日読んだのは理由があって、聞いて欲しいことがあるって言って、
書いた手紙を読みながら、あの時はごめんねと。
僕が愛情を受け取りきれてなかった。
まあ、お母さんなりに僕のことを愛してくれたのに、なんか僕はそれを重りだと思って、
なんだこいつみたいなタイプとって本当にごめんなさいみたいなことを、
謙虚な気持ちに左右収納って、
そういう言葉につながったっていうことなんですか?
そうです。
なるほど。
イメージで言うと、
コップの中にネガティブな感情がいっぱいあるんで、
それをポイポイポイって捨ててって、
開けたからのコップに親からもらった愛情を流し込んであげる。
その作業をするってことですね。
こんなにちゃんと踏み落ちたのは初めてですわ。
本当ですか?よかったです。
生産しなきゃいけないっていうことは何回も聞いてきたし、
実際にそれにチャレンジして、
ある意味そういうことを伝えようとして、
すごいでも嫌な気持ちを味わいながら、
やっぱりこう伝えたこともあるんですよ。
でもなんでそれが必要なのかみたいなことをちゃんと分かってなかった。
そうするといいからぐらいしか思ってなかったんですけど。
でもやっぱりそれをする前と後では、
圧倒的に親に対する気持ちとか見方が変わっていて、
それはでもなんで起こっているのか分からなかったんですけど、
そういうことだったんですね。
じゃあそうすると人の感情っていうのは、
味わってないと貯蔵されているっていうことなんですか?
そう思って間違いないですね。
そうなんですね。消えないんですね。
そうですね。
感情の大きさによってもやっぱり刻まれ具合って違いますし。
例えば私たちの夫婦で言うと、
私よりは妻の方がやっぱり感情的というか、
大きく感じ取るタイプなんですけど、
そういう人は何か味わうのもむっちゃ大変じゃないですか。
消耗して。
そうですね。
でもそれをやっぱり減らないと、
未消化感が残っちゃうということなんですかね。
そうですね。
感じやすいって時点である程度でも、
その器自体はできている気がします。
ネガをしっかり離して手放して愛を入れるみたいなことを無意識でもやって、
人がやっぱり感情の偏差が強まっているはずなんで。
そうなんだ。
どんどん感じなくなっちゃうんですよ。
そういう蓋をし続けていくと。
ああ、そっか。
感じると辛いから嫌だ、嫌だ、嫌だってどんどん拒絶が膨らんでいくんで。
ああ、なるほど、なるほど。
だから今感じられてるってことは、拒絶をせずに味わえてるってことですよね。
ですですです。はい。
いや、そういう意味で僕どっちかというと、
拒絶を特にちっちゃい頃はしてた感情って分かんなかったんですよね。
僕も拒絶してました。
ですよね。
いや、そのコントロールされ続けたら何か違和感がやっぱり出ていて、
でもそういうのに対処の仕方分かんないから蓋をしますよね。
そうですね。
松村さんが何かそこに気づいたというか、変わっていったのはちなみにどのタイミングだったんですか。
大人になって心理学を学んでからみたいな。
そうですね。大人になってからですね。
それこそ独立を決める頃らへんのことでしたね。
割と近いタイミングってことですか。
そうですね。ちょうど1年前ぐらいですね。親を呼んでボロ泣きしたのは。
そうなんですね。
ある意味心理学を学ばれて、自己理解でプログラムを受けた方は過去に向き合うと思うんですけど、
そういったことを経ても、なかなかそこに向き合うってことはやられてこなかったってことなんですね。
そうですね。やっぱり見たくなかったんでしょうね。
大事にしたいことはちゃんと持ってるけど、
自分を引っ掛けているというか、引っ張っている足枷というか、
囚われみたいなものをあんまり見て見ぬふりをしてきたというか。
いいとこだけを見ようとしてたというか、ありますね。正直。
なるほど。ちょっと猫育ての話に戻ると、
やっぱりそこを生産、解消していくことがいい応援になっていくっていうスタートラインなんですかね。
そうですね。自分がどうして欲しかったかっていうことにも気づけるし、
どうされたら嫌だったかってことにもちゃんと向き合えるので、
そこに向き合わない限りは、同じことをやっぱりしちゃいがちなんで。
やっぱり親を肯定したくなっちゃうんですよ。そんなことはいつも。
親のことを肯定したくなっちゃうんですよ。子供ってどうしても無意識では。
確かにな。
いくらあんなクソ親とか思ってても、心のどこかで肯定したくなっちゃってて、
だから気づいて変えないと連鎖しちゃうんです。
親のことが悪くないと思うということは、自分が子にやっていることも悪くないということと同義ですかね。