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2026-01-09 26:10

#79 ジャムセッションズしょうによるミャンマー再訪振り返り③:ともに奏でるラジオ

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ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。

本年1回目の放送は、前回に引き続き、ジャムセッションズのメンバーしょうが、2025年11月に10年ぶりに再訪したミャンマー旅行についての振り返りの3回目をお届けします。

今回も、教育拠点を回りながら目的地の村を目指して移動を続けます。
目的地にたどり着けたのでしょうか。是非お聞きください。

■ミャンマー再訪記2025
https://note.com/shok0511/n/n536ccbc1a487
https://note.com/shok0511/n/n269de458604a

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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日(たまに水曜日)に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨
◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

このエピソードでは、ジャムセッションズのメンバーがミャンマーでの交流旅行を振り返り、その独特な体験について話しています。村で再会した子供たちや、現地の事情、社会の変化についての洞察が共有されています。ミャンマーの再訪を通じて、内戦の影響や寄付への感謝、現地の人々との交流が語られています。また、友人との再会や宴会の様子も紹介されています。

ミャンマー旅行の振り返り
みなさんこんにちは。ジャムセッションズのしょうです。
共に奏でるラジオ、この番組は株式会社ジャムセッションズが即興演奏から生まれる協奏をテーマに、チームメンバーや様々なゲストと共に対話を繰り広げるそんな番組です。
ということで、2026年最初の番組は、昨年から放送している私がミャンマーに行って子供たちと交流してきた、そのミャンマー旅行記の3回目をお届けしたいなと思います。
ということで、この後3人での対話が続きますので、ぜひお聞きください。
みなさんこんばんは。ジャムセッションズの池田です。
大津です。
しょうです。
前回に引き続き、しょうちゃんのミャンマーのフォロー記の振り返りをしている放送会の今回は第3回となります。
第2回も簡単に振り返ると、ミャンマーの全然知識みたいなところはあまりなかったところがあったりもするので、ミャンマーの広さとかどんな国なのかみたいなところもちょっと振り返りつつ、
ヤンゴンからニャウンシェというその町に、いろんなトラブルもありながらも到着をでき、
そこから村ですかね、
寺院で子どもたちが日本語を学んでいるという村がいくつかあるので、そこを回ることができたというところまでお聞きして、
そこを回ることで日本語のレベル感だとか、そこでの寺院の成り立ちとか、最後の方に話になったのが日本とミャンマーの社会の違いみたいなところまで少し話が及んだところで第2回が終了したと。
そんなところで終わりまして、次は第3弾ということで、またどんな話が聞けるのか聞いていけたらと思います。
村での交流の重要性
今何日目でした?
確かにこれ今どこぐらいなん?
ヤンゴンに降り立ったのが1日目だとすると、2日目ですね。
2日目?これ全部で何日ある?
何日あるかわかんないけど、とりあえずノートを、とりあえずミャンマー編は書き終わったんですけど、13話まで言ってる。
13話。
一番最初はデイゼロだったんで、前日単だったんで、スタートしてないですけど。
なるほどね。
でもそんなに、今たぶんノートで言うと6話目くらいかな。
5、6、7くらい。だいたい半分くらい来たところ。
半分くらいは来てると。
そうだね。何話そうかな。
村にいってるんですけど、まだ最終到着の村まではたどり着いてないっていう感じですけど。
最終の目標としている村がまた別にあるってこと?
ありますあります。
なるほど。
今回4つ回ったのかな。4つ回ってその一番最後が。
目的の村?
目的の村。
なんかRPGみたいで。
目的の村に行くには最後ボートに乗らないといけないって。
そっかそっか、まだボート乗ってないって言ってた。
湖を渡らないといけないんですけど、まだ乗ってないんで。
今では車で移動してて、車は寺院が持ってる車なんですけど、
面白いのが、僕の友人が迎えに来てくれてる。
あと常に日本語しゃべれる女の子が1人か2人ついてる。
それは多分、特に日本語がしゃべれる子とか、
日本に行くのも決まってる子とか、
多分優秀な、男の子はいなくて女の子だったんですけど、全員。
が、お世話係兼話し相手みたいな感じでついてて。
さらに面白いのが、常にお坊さんが、若いお坊さんが、
常に運転してるか助手席に乗ってた。
これなぜかというと、一応今は安全な地域だけど、
ちょっと前までは紛争地帯だったりとかしてて、
陸路で行く時も車で行く時も途中官網みたいなのがいくつかあったんですけど、
やっぱり向こうでのお坊さんの地位の高さあるんで、
お坊さんが乗ってたら途中にいる兵士とか警察とかも、
よっぽど手出しできないというか、
一応チェックするけどスルーみたいな感じなんですって。
だから村と町を行き来する時には、その寺院の人たちは、
若い僧侶を乗せてるっていう。
っていうのを後から教えてもらったんですけど。
というのも、僕はヤンゴンに戻って、ヤンゴンの現地の友達と喋ってたら、
よく村まで行けたねって言われて、私行けなかったけどって言われて。
ヤンゴンであった友人もNPOで働いて、
その村に何度も行って、コーディネートとかで行っているんですけど、
一番紛争が激しかった時には、
現地の人であっても、途中の関門でここから先はもう行けないから帰れって言われて、
行けなかったけど、よくあんた行ったねって言われて。
僕は全然よく分かってなかったんだけど、
多分そういうお坊さんと一緒に行ったとか、
そういういろんな僕が全然知らない配慮がされて、
たどり着いたんだなっていうのは、後から知ったみたいな感じのことがありましたね。
多分一般の観光客が普通に行くのは無理だったと思う。
アテンドしてくれたから行けたんだろうなっていう感じはありましたね。
あとはそうですね、印象的だったのが、
最近のミャンマーの状況
途中の村で先生、私のこと覚えてますかって聞かれたんですよ。
それを言った女の子をなんとなく見覚えがあるようなないような感じだったんですけど、
10年前僕が村にいたときにその子もいたと。
今あなた何歳ですかって聞いたら、
21歳ですって言ったんで、10年前は11歳。
僕が小学校5年生とか6年生のクラスの日本語も教えてたような気はしますけど、
その女の子も見覚えがあるようなないようなそんな感じだったけど、
多分会ってるんだろうなと思って、もちろん覚えてるって言ったんですけどね。
でも10年前に行った子がまだいて、
その子が来年から日本に行くんですっていう話をされたときはちょっと嬉しかったですね。
日本に行くのは留学みたいな感じでね。
その子は今日本に技能実習生というか特定技能でいける職種がいくつかあるんですけど、
ミャンマーの場合は介護、あと外食、建築もいるのかな。
とか農業とかね。
そういう分野で行くことが多いと。
その子は外食で行きますって言ってた。
福山って広島県の福山だと思うけど、福山に行きますって言ってた。
それはすごい感慨深かったですね。
啓太さんとあつさんにしたかわかんないけど、
名刺交換とか交流会で自己紹介するのがすごい苦手だっていう話をもしかしたかもしれないんだけど、
要はいろんなことやってるし、
Jam Sessionzの名刺も大したこと書いてないから、
大体名刺渡してもあんまり話が盛り上がらないっていうのは、
僕はすごい嫌で。
だから交流会とか行くのとか、名刺交換するのすごい嫌なんですけど、
たまたま持ってた名刺、Jam Sessionzの名刺を、
もし日本に来ることがある子たちは、
これ渡しとくから何かあったら連絡をくれと言ったら、
一瞬で名刺がなくなるっていう。
日本だとこの名刺渡しても何これみたいな、
何これって言うのはあれだけど、何してるかわからへんみたいな感じの、
反応されることが多い名刺を、
あんだけありがたく受け取ってくれるのはすごいありがたいなっていうのはあって、
前回の放送でも言いましたけど、
自己肯定感が爆上がりするので、
何度も言いますけど、人生に迷ったらミャンマーに行ったほうがいい。
村に行ったほうがいいかなって。
いいですよね、前回もその話ね。
何ていうことはないことをしてても、
すごく認められる感というか、
なかなか得られないですよね。
そうなんです。日本にいたら得られない。
いるだけで、そこにいるだけでいいと。
いるだけで認められるというかね。
もちろん長くいたら、いや働けよって思われるかもしれないんだけど、
そこに行くだけで許容される感じ。
ちょっと全日本国民に味わってもらいたい感じがしますね。
そんなこともあり、
最終の村にたどり着くには、
1個前の村からの近くにボートの船着き場みたいなのがあって、
そこでボートに乗り換えて、
40分ぐらいかな、40分か50分ぐらいボートで走らせると、
最終の村。
僕が10年前に3ヶ月滞在してた村にたどり着くっていう感じ。
そこが最終の村なのか。
唯一この旅で危ないなって思ったのが、
船着き場にも兵士がいて、
僕何気なくボートに乗ったときに、
久しぶりのボートだからテンションが上がって、
スマホで動画回してたんですよ。
そしたら友人がそれやめろって言われて、
結構きつく言われたんで、
しまったっていうか、スマホ落としそうになったんでやべえなって思ったんです。
そっちもやばいなって思ったんですけど、
要は兵士が動画回してるの見たら、
すごい取り上げられるかもしれないし、
要は兵士がいる拠点がここにあるっていうのを、
敵側にバレたらやばい。
動画とか写真の、海外とかでも、
例えば軍事基地の写真撮ったら怒られるとか、
そういうの普通にあると思うんですけど、
それと同じ感覚で、
兵士がいる前で動画を回すなって言われて、
確かにそうだなって思ったんだけど、
それも別に何事もなくね、
普通に兵士もスルーしてたからよかったけど、
そういうちょっと兵をボケしてる我々日本人が、
現地でよく隣の国で拘束されたりするじゃないですか。
そういうちょっとした不注意もあるのかなって、
ちょっとこう思ったりしたっていう、
そんなに危ない目にはほぼあってないけど、
やっぱりまだクーデターを着てて、
紛争が続いている国なんだなっていうのは、
そういうはしはしでは感じましたね。
なるほど。
なかなか非日常やね。
日本人はあんまりイメージできない。
そうね。
実際最終目的地の村にたどり着いて、
本当にすごく変わってないどころか、
新しい建物が建ってたりとかして、
すごくそういう意味でもいろいろ多分寄付が集まって、
よりいろんな充実してるんだろうなっていうのは思ったんですけど、
でもやっぱり窓ガラス割れてて、
これ爆弾で割れちゃったんだとか、
建物に傷があってあれは銃だよとかっていうのを聞くと、
あとその寺院の職員の人が銃を持ってて、
ちょっと見入りに行ってくるみたいなのとか話してるのとか見ると、
やっぱりなんかその昔10年前に行った時とちょっと違うなっていうのをやっぱり感じましたね。
ミャンマーの内戦と寄付祭
基本的にはすごく穏やかではあるんだけど、
そういう端々には内戦紛争の影響を感じたりとかはしましたね。
じゃあ戦場になってるとことね、場所として。
ちょっと前は戦場の近いところだったって言ってて、
だからその寺院の一番トップのお坊さん、
そのお坊さんは5月に日本に来てたんで、
僕が会ったのは2回目だったんですけど、
その人も今僕がさっき話した最終の村にはいなくて、
別の村に滞在してるっていうふうに言ってて、
なんかちょっと分散してリスク分散を図ってるみたいなことを言ってたんで、
なんかそういうのもちょっと違うなって思いましたね。
で、さっきの寄付の話と重なるんですけど、
僕がその村に行ったら、すごいいつもと違う縁日みたいな感じになってて、
何かあんのって聞いたら、
たくさん寄付をしてくれた寄付の人がいるから、
その人への感謝を込めたお祭りみたいなのがあるって言ってて、
ちょうど僕が泊まった日にそれがあるって言ってて、
多分僕がした寄付の何百倍ぐらい寄付をしたんだろうなって思ったんですけど、
で、実際寄付したご家族も来てて、
僕はわざわざ挨拶をさせられて、
寺院の人からしたら、
この寺院は定期的に日本人が来て、
子どもたちに日本語教育やってるんだっていうのをアピールするためもあり、
挨拶をしたんですけど。
ミャンマーの人?
ミャンマーの人ですね。
たぶん、カキョウ系の人だと思いますけど、
ミャンマーのお金持ちが、
多分大量の寄付をしたんだろうなという、
だから村をあげて、
もうおもてなししてた。
おもてなし。
で、そういう日は子どもたちもいつも必死そうなご飯を食べてるんですけど、
だいたいお米と炒め物とスープぐらいしかないんですけどね、子どもたちは。
その日はご馳走が振る舞われて、
たまたま僕が滞在したので、
そこの場にも出くばすことができたという感じですね。
あとは、
その村の最終目的、僕の中での最終目的は、
10年前村にいたときはほぼ毎日のように宴会を僕のために開いてくれてたんですけど、
その宴会をまた開くからってその友人が言って、
それもあって、
バンコクの空港でちょっと高めのウイスキーを免税店で買って持って行ったんですけど、
それをみんなで、
それプラス地酒をみんなで飲むっていうのは、
その日の夜は、それが僕の中でのメインプログラムでしたね。
友人との再会と宴会
なるほど。いいね、宴会。
僕もマレーシアにたまに帰るときは、
お酒買って持って行ってみんなで一緒に飲んでって、
やりたくなりますよね。
そうそう。
やっぱりどこもお酒とタバコの繋がりで、
男たちが集まるっていうのは変わらないなっていうのは、
田舎の村に行けば行くほどあるんですけど。
昔はお寺の中ではさすがにお酒飲めないからって言って、
寺院から出て村人の家でやるみたいな感じだったんですけど、
その日はお祭り騒ぎだし、大丈夫じゃねってなって、
寺院の中にある隠し部屋みたいなのがあって、
その隠し部屋で村人8人ぐらいと酒を組み交わすみたいなのをやりましたね。
それはすごい懐かしかったですね。
ミャンマービールから始まり、
僕が買ってきたウイスキーは一瞬でなくなってしまったんですけど、
値段を言わずにみんなで飲んでもらって、
あとから値段を言ったらすごいビビってたんですけど。
あとその後、ミャンマーのウイスキーみたいな怪しいウイスキーを飲む。
また地酒みたいなお米を蒸留した、米焼酎の強いやつみたいな。
それも飲み、チャンポンしてベルベルに酔っ払うっていうのが、
その日の一番最後の楽しい記憶でしたね。
何日ぐらい滞在するの?最後の村は。
それはですね、一日しか滞在してないんですけど。
一泊だけして、もう次の日の夕方にはヤンゴン行きのバスに乗るという。
なるほどね。そっかそっか。
一泊しかしてないんですけど。
そっかそっか。
そこで一泊ベロベロに酔って、次の日の話はまたちょっと聞きたいけど、
ここにまたボーと乗って村に戻り、逆の様子ですよね。
そうなんですよ。ほぼこの旅は移動しかしてないんじゃないかっていうぐらい。
お前のだいぶ移動やな。
間の村と村の間もそうですし。
そうそうそう。そうなんですよ。
それ10年前に行った時もそのルートで行ってるってことだよな。
10年前は基本的にはルートは一緒なんですけど、
その拠点もそんなにたくさんなかったんで、
八雲市から直でボートに乗るっていうルートもあったし、
途中まで車で行って、そっからボートっていうのもあって、
ボートだと多分ほんと3時間4時間ぐらいずっとボートに乗ってたから、
めっちゃつらかったから、車になってよかったなっていう感じですね。
ということか。車で村をてんてんとしてる間に近づいてってるってことか。
そうそうそうそう。
もちろん舗装されてる道は途中で終わってて、そっから先は未舗装なんですけど、
ただ季節が、寒期は一番涼しくて雨が少ない時期だったんで、道もそんなに、
例えば大雨降ってたらぐじゅぐじゅになってたぶん通れへんとかなってるかもしれないけど、
そういうこともなく、だから陸路もそんなに大変ではなくっていう感じでしたね。
大変だと感じるか感じないかは人それぞれなんでちょっとわかんないけど、僕は大丈夫という感じでございますね。
あと、その日にようやく2日ぶりぐらいにベッドで寝れた。
てか横になって寝れたんですけど、初日は空港で夜を明かして、2日目はバスの中で様子をしたんで、
ようやく横になって寝れると。
僕がいたときにはなかったゲストルームみたいなのができてて、ホテルの部屋みたいな感じでベッドも2つ置いてあり、
一応シャワールームとトイレもあり、ただシャワーヘッドは壊れてて水しか出ないんで水シャワーだったんですけど、
そういうちょっとした変化は感じつつ、その日はゆっくり寝れたっていうのがありがたい。
ようやく横になって寝れたっていうのがその日の最後のいい思い出でしたね。
確かにしてね、なかなかハードな。
ご飯のこととかいろいろ喋ることがたくさんあるんですけど、結構いい時間になるかな。
一回ここでまた切って、もうあと一回二回ぐらいって感じかな。
そうだね。一回二回ぐらいでいけるかなって感じですかね。
じゃあちょっと3回目はここで一旦区切りましょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
26:10

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