今何日目でした?
確かにこれ今どこぐらいなん?
ヤンゴンに降り立ったのが1日目だとすると、2日目ですね。
2日目?これ全部で何日ある?
何日あるかわかんないけど、とりあえずノートを、とりあえずミャンマー編は書き終わったんですけど、13話まで言ってる。
13話。
一番最初はデイゼロだったんで、前日単だったんで、スタートしてないですけど。
なるほどね。
でもそんなに、今たぶんノートで言うと6話目くらいかな。
5、6、7くらい。だいたい半分くらい来たところ。
半分くらいは来てると。
そうだね。何話そうかな。
村にいってるんですけど、まだ最終到着の村まではたどり着いてないっていう感じですけど。
最終の目標としている村がまた別にあるってこと?
ありますあります。
なるほど。
今回4つ回ったのかな。4つ回ってその一番最後が。
目的の村?
目的の村。
なんかRPGみたいで。
目的の村に行くには最後ボートに乗らないといけないって。
そっかそっか、まだボート乗ってないって言ってた。
湖を渡らないといけないんですけど、まだ乗ってないんで。
今では車で移動してて、車は寺院が持ってる車なんですけど、
面白いのが、僕の友人が迎えに来てくれてる。
あと常に日本語しゃべれる女の子が1人か2人ついてる。
それは多分、特に日本語がしゃべれる子とか、
日本に行くのも決まってる子とか、
多分優秀な、男の子はいなくて女の子だったんですけど、全員。
が、お世話係兼話し相手みたいな感じでついてて。
さらに面白いのが、常にお坊さんが、若いお坊さんが、
常に運転してるか助手席に乗ってた。
これなぜかというと、一応今は安全な地域だけど、
ちょっと前までは紛争地帯だったりとかしてて、
陸路で行く時も車で行く時も途中官網みたいなのがいくつかあったんですけど、
やっぱり向こうでのお坊さんの地位の高さあるんで、
お坊さんが乗ってたら途中にいる兵士とか警察とかも、
よっぽど手出しできないというか、
一応チェックするけどスルーみたいな感じなんですって。
だから村と町を行き来する時には、その寺院の人たちは、
若い僧侶を乗せてるっていう。
っていうのを後から教えてもらったんですけど。
というのも、僕はヤンゴンに戻って、ヤンゴンの現地の友達と喋ってたら、
よく村まで行けたねって言われて、私行けなかったけどって言われて。
ヤンゴンであった友人もNPOで働いて、
その村に何度も行って、コーディネートとかで行っているんですけど、
一番紛争が激しかった時には、
現地の人であっても、途中の関門でここから先はもう行けないから帰れって言われて、
行けなかったけど、よくあんた行ったねって言われて。
僕は全然よく分かってなかったんだけど、
多分そういうお坊さんと一緒に行ったとか、
そういういろんな僕が全然知らない配慮がされて、
たどり着いたんだなっていうのは、後から知ったみたいな感じのことがありましたね。
多分一般の観光客が普通に行くのは無理だったと思う。
アテンドしてくれたから行けたんだろうなっていう感じはありましたね。
あとはそうですね、印象的だったのが、
途中の村で先生、私のこと覚えてますかって聞かれたんですよ。
それを言った女の子をなんとなく見覚えがあるようなないような感じだったんですけど、
10年前僕が村にいたときにその子もいたと。
今あなた何歳ですかって聞いたら、
21歳ですって言ったんで、10年前は11歳。
僕が小学校5年生とか6年生のクラスの日本語も教えてたような気はしますけど、
その女の子も見覚えがあるようなないようなそんな感じだったけど、
多分会ってるんだろうなと思って、もちろん覚えてるって言ったんですけどね。
でも10年前に行った子がまだいて、
その子が来年から日本に行くんですっていう話をされたときはちょっと嬉しかったですね。
日本に行くのは留学みたいな感じでね。
その子は今日本に技能実習生というか特定技能でいける職種がいくつかあるんですけど、
ミャンマーの場合は介護、あと外食、建築もいるのかな。
とか農業とかね。
そういう分野で行くことが多いと。
その子は外食で行きますって言ってた。
福山って広島県の福山だと思うけど、福山に行きますって言ってた。
それはすごい感慨深かったですね。
啓太さんとあつさんにしたかわかんないけど、
名刺交換とか交流会で自己紹介するのがすごい苦手だっていう話をもしかしたかもしれないんだけど、
要はいろんなことやってるし、
Jam Sessionzの名刺も大したこと書いてないから、
大体名刺渡してもあんまり話が盛り上がらないっていうのは、
僕はすごい嫌で。
だから交流会とか行くのとか、名刺交換するのすごい嫌なんですけど、
たまたま持ってた名刺、Jam Sessionzの名刺を、
もし日本に来ることがある子たちは、
これ渡しとくから何かあったら連絡をくれと言ったら、
一瞬で名刺がなくなるっていう。
日本だとこの名刺渡しても何これみたいな、
何これって言うのはあれだけど、何してるかわからへんみたいな感じの、
反応されることが多い名刺を、
あんだけありがたく受け取ってくれるのはすごいありがたいなっていうのはあって、
前回の放送でも言いましたけど、
自己肯定感が爆上がりするので、
何度も言いますけど、人生に迷ったらミャンマーに行ったほうがいい。
村に行ったほうがいいかなって。
いいですよね、前回もその話ね。
何ていうことはないことをしてても、
すごく認められる感というか、
なかなか得られないですよね。
そうなんです。日本にいたら得られない。
いるだけで、そこにいるだけでいいと。
いるだけで認められるというかね。
もちろん長くいたら、いや働けよって思われるかもしれないんだけど、
そこに行くだけで許容される感じ。
ちょっと全日本国民に味わってもらいたい感じがしますね。
そんなこともあり、
最終の村にたどり着くには、
1個前の村からの近くにボートの船着き場みたいなのがあって、
そこでボートに乗り換えて、
40分ぐらいかな、40分か50分ぐらいボートで走らせると、
最終の村。
僕が10年前に3ヶ月滞在してた村にたどり着くっていう感じ。
そこが最終の村なのか。
唯一この旅で危ないなって思ったのが、
船着き場にも兵士がいて、
僕何気なくボートに乗ったときに、
久しぶりのボートだからテンションが上がって、
スマホで動画回してたんですよ。
そしたら友人がそれやめろって言われて、
結構きつく言われたんで、
しまったっていうか、スマホ落としそうになったんでやべえなって思ったんです。
そっちもやばいなって思ったんですけど、
要は兵士が動画回してるの見たら、
すごい取り上げられるかもしれないし、
要は兵士がいる拠点がここにあるっていうのを、
敵側にバレたらやばい。
動画とか写真の、海外とかでも、
例えば軍事基地の写真撮ったら怒られるとか、
そういうの普通にあると思うんですけど、
それと同じ感覚で、
兵士がいる前で動画を回すなって言われて、
確かにそうだなって思ったんだけど、
それも別に何事もなくね、
普通に兵士もスルーしてたからよかったけど、
そういうちょっと兵をボケしてる我々日本人が、
現地でよく隣の国で拘束されたりするじゃないですか。
そういうちょっとした不注意もあるのかなって、
ちょっとこう思ったりしたっていう、
そんなに危ない目にはほぼあってないけど、
やっぱりまだクーデターを着てて、
紛争が続いている国なんだなっていうのは、
そういうはしはしでは感じましたね。
なるほど。
なかなか非日常やね。
日本人はあんまりイメージできない。
そうね。
実際最終目的地の村にたどり着いて、
本当にすごく変わってないどころか、
新しい建物が建ってたりとかして、
すごくそういう意味でもいろいろ多分寄付が集まって、
よりいろんな充実してるんだろうなっていうのは思ったんですけど、
でもやっぱり窓ガラス割れてて、
これ爆弾で割れちゃったんだとか、
建物に傷があってあれは銃だよとかっていうのを聞くと、
あとその寺院の職員の人が銃を持ってて、
ちょっと見入りに行ってくるみたいなのとか話してるのとか見ると、
やっぱりなんかその昔10年前に行った時とちょっと違うなっていうのをやっぱり感じましたね。
なるほど。いいね、宴会。
僕もマレーシアにたまに帰るときは、
お酒買って持って行ってみんなで一緒に飲んでって、
やりたくなりますよね。
そうそう。
やっぱりどこもお酒とタバコの繋がりで、
男たちが集まるっていうのは変わらないなっていうのは、
田舎の村に行けば行くほどあるんですけど。
昔はお寺の中ではさすがにお酒飲めないからって言って、
寺院から出て村人の家でやるみたいな感じだったんですけど、
その日はお祭り騒ぎだし、大丈夫じゃねってなって、
寺院の中にある隠し部屋みたいなのがあって、
その隠し部屋で村人8人ぐらいと酒を組み交わすみたいなのをやりましたね。
それはすごい懐かしかったですね。
ミャンマービールから始まり、
僕が買ってきたウイスキーは一瞬でなくなってしまったんですけど、
値段を言わずにみんなで飲んでもらって、
あとから値段を言ったらすごいビビってたんですけど。
あとその後、ミャンマーのウイスキーみたいな怪しいウイスキーを飲む。
また地酒みたいなお米を蒸留した、米焼酎の強いやつみたいな。
それも飲み、チャンポンしてベルベルに酔っ払うっていうのが、
その日の一番最後の楽しい記憶でしたね。
何日ぐらい滞在するの?最後の村は。
それはですね、一日しか滞在してないんですけど。
一泊だけして、もう次の日の夕方にはヤンゴン行きのバスに乗るという。
なるほどね。そっかそっか。
一泊しかしてないんですけど。
そっかそっか。
そこで一泊ベロベロに酔って、次の日の話はまたちょっと聞きたいけど、
ここにまたボーと乗って村に戻り、逆の様子ですよね。
そうなんですよ。ほぼこの旅は移動しかしてないんじゃないかっていうぐらい。
お前のだいぶ移動やな。
間の村と村の間もそうですし。
そうそうそう。そうなんですよ。
それ10年前に行った時もそのルートで行ってるってことだよな。
10年前は基本的にはルートは一緒なんですけど、
その拠点もそんなにたくさんなかったんで、
八雲市から直でボートに乗るっていうルートもあったし、
途中まで車で行って、そっからボートっていうのもあって、
ボートだと多分ほんと3時間4時間ぐらいずっとボートに乗ってたから、
めっちゃつらかったから、車になってよかったなっていう感じですね。
ということか。車で村をてんてんとしてる間に近づいてってるってことか。
そうそうそうそう。
もちろん舗装されてる道は途中で終わってて、そっから先は未舗装なんですけど、
ただ季節が、寒期は一番涼しくて雨が少ない時期だったんで、道もそんなに、
例えば大雨降ってたらぐじゅぐじゅになってたぶん通れへんとかなってるかもしれないけど、
そういうこともなく、だから陸路もそんなに大変ではなくっていう感じでしたね。
大変だと感じるか感じないかは人それぞれなんでちょっとわかんないけど、僕は大丈夫という感じでございますね。
あと、その日にようやく2日ぶりぐらいにベッドで寝れた。
てか横になって寝れたんですけど、初日は空港で夜を明かして、2日目はバスの中で様子をしたんで、
ようやく横になって寝れると。
僕がいたときにはなかったゲストルームみたいなのができてて、ホテルの部屋みたいな感じでベッドも2つ置いてあり、
一応シャワールームとトイレもあり、ただシャワーヘッドは壊れてて水しか出ないんで水シャワーだったんですけど、
そういうちょっとした変化は感じつつ、その日はゆっくり寝れたっていうのがありがたい。
ようやく横になって寝れたっていうのがその日の最後のいい思い出でしたね。
確かにしてね、なかなかハードな。
ご飯のこととかいろいろ喋ることがたくさんあるんですけど、結構いい時間になるかな。
一回ここでまた切って、もうあと一回二回ぐらいって感じかな。
そうだね。一回二回ぐらいでいけるかなって感じですかね。
じゃあちょっと3回目はここで一旦区切りましょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。