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2025-12-26 37:43

【年内最後】#78 ジャムセッションズしょうによるミャンマー再訪振り返り② :ともに奏でるラジオ

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※年内最後の放送!年明けは1月9日より配信開始します。

ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。

前回に引き続き、ジャムセッションズのメンバーしょうが、2025年11月に10年ぶりに再訪したミャンマー旅行についての振り返りの2回目をお届けします。

今回は、ミャンマー初日をヤンゴンで過ごし、そこから目的地に向けて長距離バスで移動するところからスタート。
バスで15時間の旅を経ても、まだ目的地の村にはたどり着きません。

車で教育拠点を転々としながら、目的地の村へ移動します。
ミャンマー再訪を綴ったnoteもあわせてどうぞ!
↓↓
■ミャンマー再訪記2025
Day3前編(ニャウンシェから村へ)
Day3中編(Samkar村からPhayarTaung村へ)
Day3後編(PhayarTaung村への帰還)
Day3延長戦(そして宴が始まる)


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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日(たまに水曜日)に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨
◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

このエピソードでは、ミャンマーに再訪したジャムセッションズのメンバーが旅行の詳細や文化について語ります。特に、ヤンゴンからの長距離バス移動や多民族国家としてのミャンマーの特徴が強調されます。また、ミャンマーへの再訪を通じての体験や現地の教育状況についても言及されています。クーデターの影響で観光地の活気が減少する中、地域における日本語教育のプログラムの重要性が強調されます。さらに、ミャンマーの寺院が教育の役割を果たし、地域の子供たちに無料で教育や宿舎を提供していることが紹介されます。寄付文化が根付いた村の現状や、日本との国の役割の違いについても考察が行われます。

ミャンマー再訪の序章
みなさんこんにちは。ジャムセッションズのけいたです。
しょうです。
しょうです。
共に奏でるラジオ、この番組は、株式会社ジャムセッションズが即興演奏から生まれる予想をテーマに、チームメンバーや様々なゲストと共に対話を繰り広げる、そんな番組です。
はい、こんばんは。
こんばんは。
こんばんは。
こんばんは。
年末ですね。世間はすっかりクリスマスモードになっております。
今日クリスマスイブですからね、撮ってるのはね。
クリスマス撮ってるのはね、そうです。
あっという間に年末ですわ。
早い、早いわ。
早い、早い。
早いですね。ちゃんと1日1日をね、ちゃんとしっかりと生きないとという感じです。
毎年言ってる気がしますけど。
今日の放送は、前回のミャンマー放浪期、しょうちゃんのミャンマー放浪期の続きですね。
これ全何回シリーズになるかも全然わからないですけれども。
今、1本目が撮り終わりまして、放送してるんですけれども。
聞いてない人もいるかもしれないので、簡単に振り返ると、
10年ぶりでしたっけね、10年ぶりぐらいに滞在してたこのミャンマーを再び訪れたということで、
現地の正常不安とかその通信手段がちょっと限られる中、なんとかヤンゴンに到着をして、
地震の先生だったっけ、なんか偶然地震の先生から連絡があって案内してもらったり、
あと博物館に行ったりみたいなところでまでは順調なエピソードとしていろいろ話を聞いてたんですけれども、
この前回のラストがなかなかのインパクトがある終わり方で、そこから何ですかね、どこに向かうバスだっけ。
ニャウンシェっていう観光地みたいなところがあるんですけど、ヤンゴンからそこに向かう長距離バス。
ヤンゴンからそこに向かう長距離バスか、途中渋滞でしたっけ、渋滞か何かに捕まって、長距離バスに乗り遅れてしまったと。
そこで諦めるのかと思いきや、タクシーでバスを1時間ぐらい追いかけて、バスに追いついて乗り込むというアクション映画みたいな展開でした、やったと思いますけれども。
そこで前半というか前回の話が終わったという感じだったと。そんな感じでしたっけ。
そうですね。
その続きということで、なんとかバスの座席を確保したしょうちゃんが、ここからまたどんなディープな旅に行くのかというところから続きいきたいなと思います。
僕とあつきさんとでいろいろ聞いてみましょう。
ちなみに前回、あんまり前知識なく話を聞き始めて、いろいろ疑問に思ったこととかもあるだろうし、多分補足しないと聞いてる人もよくわからないというところもあるかもしれないんで。
本編、話し始める前に前回聞いてみてどうだったのかとか、質問、なんかここようわからへんかったんやけどとか、もっとミャンマーのここのこと知りたいんやけどっていうことがもしあったら、そういうところからスタートしてもいいかなと思うんだけど。
何かあるかな。あつきさん何かありますか。
僕はすごくスッと入っては聞いてたんですけど、ミャンマーってどんな国でしたっけ。
どんな国。なかなか難しいね。あつきさんはマレーシアにいたことがあると思うので、マレーシアとの比較で言うと、宗教は仏教がメインですね。
あとはなんだろうな。面積とかで言うと日本の1.8倍ぐらい。人口は多分8000万いないぐらいかな。6000万から8000万の間ぐらいだと思う。
あとなんだろうな。ミャンマーってミャンマー共和国連邦なんですよ。大体連邦ってつく国って、アメリカもそうなんですけど、いわば州、日本って都道府県じゃないですか。
連邦共和国なんで、連邦ってつく国って大体民族がめちゃくちゃたくさんいて、1つの民族で構成されてないことが多くて。ミャンマーも135の民族がいるって言われていると。
6割ぐらいはビルマ族って言われる民族なんですけど、残りの4割はそれ以外の民族で構成されてるんで、多民族国家っていうのかな。みたいなところが特徴としてあるのかもしれないですね。
すごい意外でしたね。言われてああそうなんやって思ったのがあったのと、あと直行便ってあるんでしたっけ日本からの。
今はないですね。多分クーデターのコロナの前はあったと思う。アナとかジャルとかあったと思うけど、今はないですね。
僕も万国経由に行きましたし。
まさに万国経由か。そうでしたね。
はい、そうなんですよ。
なるほど。
平田さんは何かありますか。
僕もそんな疑問に何かあるっていうのは今パッと思いつく感じではないんですけど、
もう仏教の人しかいないっていう感じで。
いやそんなことはないですね。
そうなんや。いろんな宗教が混ざり合ってたりするの。
ロヒンギャっていう言葉は日本でもニュースに出てくると思うんですけど、ロヒンギャっていうのはバングラディッシュとの境くらいに住んでるイスラム教徒なんですけど、
ミャンマーの人たちから、仏教徒から迫害されてるんで、それが民族問題になってたりとかして、
その人たちが難民になって、例えばマレーシアに冒頭で行くとかね。
なんかそういうのとかは日本でもニュースになってますけど。
なので、他民族国家だからこそ起こる民族問題もあるし、
今のクーデターも民族問題があるからこそ複雑になってるみたいなところはあるみたいですね。
なるほど。
その都市の発達具合とか、その辺はどうなんですか。
長距離バスの旅
農業中心とか、ある程度首都圏は発展してるとかそういうので言うと。
ヤンゴンは都会ですね。
ヤンゴンは都会。首都ってことだよね。
そう。
普通にショッピングモールとかで、
例えば、普通に欧米にあるブランドのお店とか普通に入ってたりとかしますし、
普通に日本食も食べれるし。
あ、そうなんや。
僕は直接見なかったけど、入ったショッピングモールの上層階にあるレストランコーナーには一風堂がある。
へー。
そうなんや。
普通ですよ。
ミャンマーのヤンゴンに行ったら、そんなに日本と変わらない生活ができるかなって感じですかね。
清浄不断のイメージが結構強いから、あんまり栄えてないのかなっていう勝手なイメージを持ってたけど。
あと日本企業とかそんなに入ってないのかなっていう印象もあったけど。
入ってるんやね。
クーデターの前は結構入ってて。
例えば、キリンビールが現地のビール会社と合弁会社を作って、
現地でキリンビールを販売してたりとかはしてたけど、クーデターで引き上げたとかあって、
あんまり今大っ平にやってる企業はイオンぐらいかな。イオングループぐらいかな。
イオン系列のスーパーありましたね。
それ以外はあんまり日本の。
あとスマホのシムカード買ったけど、シムカードのキャリアがいくつかあるけど、
その中の一つで僕が買ったやつは、KDDIが技術で提供してるのかみたいな感じで、
一番クオリティが安定してるんだって、KDDIが入ってるからって言ってた。
それぐらいかな。あんまりクーデター以降は…って感じですかね。
へー。なるほど。
またちょっとわからんことが出たら、ずどずど聞いてみたりという感じでいきましょうか。
じゃあ、バスに無事乗れて…。
もともとこの行きのバスのチケットは日本にいるときにネットで買ったんですけど、
多分他にもバス会社めちゃくちゃたくさんあって、
ニアウンシェとかそっちホームに行くバスは、
日本から買える、ネットで買えるのがそこだから僕はそこで買ったんですけど、
それ以外にも普通に現地に行けば、いろんなバス会社があって、
そこのバス会社のチケット買えるっていう感じで、
もともとバスで12時間ぐらいって書いてあったんですね。
夕方の5時半出発なんで、12時間だから次の日の朝5時半ぐらいに現地に着くと。
前回10年前は行ったときも大体12時間ぐらいかかったなって感じだったんで、
次の日の朝方に着くかなって思ってたんですけど、
結局14時間か15時間ぐらいかかって、
現地に着いたのは8時とかそれぐらいでしたね。
途中、普通の日本の長距離バスと一緒で、
トイレ休憩あったりとか、5時半スタートとかだから、
夜ご飯食べる時間、30分とか40分とかだったけど、
何時出発だからって言って、
いわゆるレストランとトイレがある街というか、
そういうところでご飯を食べてまた乗って行くみたいな感じでしたね。
前と違ったのは途中、見聞みたいなのが何回かあって、
行きはパスポート見せろって言われなかったけど、
他のミャンマーの現地の人は、
いわゆるマイナーバーカードみたいなやつ、日本で言うと、
IDを回収されて、変なやつおらんかって言って、
チェックされているのが1回か2回ぐらいあったと、
後から聞いたら、今、会限例みたいなのが出てて、
11時以降は外出禁止とかなのかな。
それだからかわからないけど、途中で完全に止まって、
3時間か4時間ぐらい止まっている時間帯があったんで、
それが12時間じゃなくて15時間になった原因なのかもしれないなとか思ってるんですけど、
そういうちょっとした変化もありつつ、
結構15時間ぐらいはバスに乗ってたっていう感じですかね。
それ以外は特に変わったこともなく、
長距離バスも、一応VIPバスっていうやつを予約して、
VIPって何かっていうと、通常横に4列、4席あるバス、
日本で言うと2,2になって真ん中廊下みたいなのがあると思うんだけど、通路か。
そうじゃなくて1プラス2みたいな座席になっているやつ。
だからちょっと座席が広いっていうのとか、
あと軽食とか水とかおしぼりとかそういうのをつけてくれたりとか、
そういう運転手以外にお世話してくれる人がついているみたいな、
そういったバスだったんで、
それほど苦痛っていう感じでもなくついたって感じですかね。
ニャーウンシェっていう町についたんですけど、
その町は観光地として有名で、
ミャンマーの現状
コロナとかクーデターとか起きる前は被所地的な場所ですね。
インレコっていう湖が近くにあって高原地帯なんで、
ヤンゴンとかよりは涼しくて、観光地もたくさんあって、
バカンス的に過ごす欧米の人とかもいるようなリゾート地っぽい感じですけど、
今はあんまりクーデターとかもあって、
そんなに観光地として栄えている感じではなさそうだった。
でも同じバスに欧米の方3人乗ってて、
多分ロシア人だろうなっていう感じ。
あんまり英語をうまくしゃべれてなさそうだったのと、
スマホの画面見せてきたのがキリル文字っぽい文字だったんで、
多分ロシア人かな。
ロシア人はあんまりミャンマーの今の軍事政権と仲がいいというか、
なのでロシア人は普通に来る。
結構来てるよって誰か現地の人が言ってたんで、
それ以外はほぼ外国人は見えなかったですね。
ちなみにニャウン市には観光で目的でいたんだっけ。
いや、もともと最終目的地の村がニャウン市から車とボートで4時間ぐらいかかるところなんだ。
そっからさらにかかるんでしたね。
連絡取ってた友人はニャウン市に住んでるんですよ。
家があるんですね。
そこで合流をするという想定でいたんですけど、
日本に立つ直前ぐらいまでほぼ頭にしか連絡取れなかったんで、
本当に行って会えるんかみたいなのとかはあったので、
ニャウン市の町で宿を取ってたんですね。
もともとミャンマーのビザを取るときに、
ミャンマー国内での滞在住所を書かされるんですよ。
結構適当に書いていいビザとかもあるんですけど、
ミャンマーの今回ビザ取ったときには、
ちゃんと予約したサイトとかのPDFでよこせみたいなのとか、
結構厳しかったんで、
普通にアゴダで予約をして、
そんなに高くなったんですけど、4,5千円ぐらいの宿を取って、
もし何も会えなくても一応宿はあるという状態にして行ったんですけど、
実際はミャンマーに着いてから連絡も取れて、
現地に着いたら、どことこまで来たら車でピックアップするからって言われて行ったんで、
実際は問題なくすぐ会えたっていう感じなんですけど、
結局そのホテルも使わなかったんですよね。
車に合流して、車に乗れって言われて車に乗って、
どこに行くって言わなかったけど、村に向かってるってぽかったから、
ホテル取ったんだけどって言おうと思ったら、
今日村泊まるだろうって言って、
ホテルとか泊まる余地もないみたいな感じだったんで、
一泊分無駄にしたなって思ったんですけど、
不思議なことに、なぜか宿のほうから勝手にキャンセルになって、
お金は全く払わなくて済んだんですけど、
すごい謎の感じだったんですが、
結果として、取ったホテルは使わず、お金も払わず、
車に乗せられ、どこかに向かうみたいなのがスタートしたという感じですね。
日本語教育の実態
もともと僕が10年前にいたときは、1つの拠点の1つの村しかなかったんだけど、
クーデターを着て、結構そこが紛争地帯に近かったりとかしたこともあって、
そこに一箇所に子ども、その当時も子ども800人ぐらいと、
あと僧侶、お坊さんとかかな、結構な単位でいたので、
それなんか分散させることにしたらしくて、今は6拠点ぐらいあると。
6拠点に分散して子どもたち住まして、教育してるってことで、
そのうちの、全部はいけなかったけど、そのうちの1、2、3、4つ、
最終目的地含めて4つの村を車とかで回りながら、最終目的地まで行くみたいなのが、
長距離バスで朝到着してから、その日が車で乗って点々とするっていうのがスタートしたって感じですね。
初めの方は本当に八雲市の街の外れぐらいにあるところだったので、すぐ着いたんですけど、
そこも100人ぐらい生徒がいて、授業中だったから全員には会えてないけど、
そのうちの日本語、特に喋れそうな4人ぐらいの生徒とちょっとおしゃべりをしつつ、
とにかく日本人と触れ合う機会がないから、
日本人とフリーコミュニケーション、フリートークをして、日本語を使う練習をしてやってくれみたいな、そんな感じで。
なので、とにかく僕はいろんな村に行って、生徒たちと喋るっていうのがほぼその日のミッションというか、やったことっていう感じですかね。
面白いですね。どんなぐらい会話できるものなんですか?
勉強し始めた時期とか、あと個人差とかもあるんですけど、
一番喋れる子は日本語検定であるじゃないですか。
よく外国人が日本で就労するために取る日本語の資格。
N2っていう、2級っていう感じなのかな。ここからスタートしてN1まであると思うんですけど、
N2の試験を受かったっていう子は何人かいましたね。
現地でも受けられると、ミャンマーでも受けられて、ヤンゴンっていう州とか、
あとマンダレっていう第2の町みたいなとこがあるんですけど、そこに行けば日本語検定受けられると。
だからその試験を受けに行ったこともするらしいんですけど、
N2のレベルで喋れる子たちなので、日常生活はそんなに苦ではない。
多分日本語の文章もある程度読めるはず。
だからそんなに、もちろん英語を交えたりとか、ちょっと簡単な日本語で伝えてたりとか、
そんな難しい質問とかはしなかったけど、それぐらいで基本的には日本語で会話ができる子たちが、
一番レベルの高い子たちはそうですね。
すごいですね。ミャンマーにいながらN2が来れるぐらい勉強をする。
実際、例えばヤンゴン、首都のヤンゴンにも日本語学校たくさんあって、
お金さえ払えば別にそこに行けば日本語は学べるんですけど、
僕のヤンゴンに住んでる友人が言ってたのは、
勉強する環境が何でも揃っているヤンゴンよりも、
何もなくお寺で毎朝5時とかに起きて、お寺の作業をお掃除したりとか料理作ったりとか、
お祈りしたりとか、お坊さんの説法を聞いたりとか、
そういう規則正しい生活をしながら勉強する方が、
遥かに身につくスピードだったりとかも違うし、
毎日お坊さんの得の高いお坊さんからの説法を聞いているから、
やっぱり人格もしっかりしているから、
日本語能力以外のスキルというか能力も高く、
都会出身だけど田舎の村に留学みたいな感じで行く人もいるって言ってたんですね。
日本でもあるじゃないですか、教育を都会じゃなくて田舎の宿舎に入ってやるみたいなのがあると。
そういう感じみたいで、かなりちゃんと勉強してる。
ただやっぱりコロナの前は日本に留学したことがある先生が村に長期滞在してたりとか、
ちゃんとしてたけど、今はそういう先生もいないから、
いわゆる誰かから教わるとか、
あとは昔みたいにボランティアが来て、僕みたいにボランティアが来て、
日本語を教えるみたいなそういう環境ではないから、
N2のレベルで喋れても日本人と喋るの2回目ですとか、
初めて喋りますみたいな人とか結構いたんで、
そういう意味で言うと、もともとは友人は日本語教育のプログラムを改善したいから来てくれって言ってたけど、
地域貢献の意義
プログラム改善するとかそんな話は全く出ず、
とりあえずいっぱい喋ってくれとしか言われてないっていう。
だから喋りに行ったみたいな感じでしたかね。
いいですね、でもね。
でも10年前にも思ったけど、
我々、日本語喋る以外の特技ってないじゃないですか。
それでも、ただ日本人というだけで現地で行くとこんなに歓迎されるっていう。
大谷しょう平になったんじゃないかっていうぐらい歓迎されるって、
自己肯定感は無駄に上がるんですよね。
無駄に。
だから日本に住んでて思い悩むことがあったら、
全員あそこに行ったらいいんじゃないかなっていう。
なるほどね。
ここで引き寄せされる。
日本にいると全員というかほぼ日本人だから、
日本語喋るだけでは何も感謝されないんですけど、
向こうに行くと日本語喋るだけで感謝されるっていう。
日本で辛いことがある人はぜひ行ってほしいなと思います。
それは今回も感じましたね。
何だろうな。
いくつか村回って、初めて行った村だけど、
そこにすごい立派な建物が建ってて、
これは日本に働きに行ってる元生徒たちが
お金を出し合って寄付で建った建物なんだって言って、
寄付した人たちの全員の名前が鉄板に書いてあって、
すごい立派な建物が建ってて、
それの一部がコンピュータルームみたいになってて、
パソコンがいじれるみたいな感じの部屋になったんで、
ここで学んで日本に行って、
そこで稼いだお金が循環してるみたいな感じはありましたね。
ちゃんと恩返しをしてるみたいなところは感じてましたね。
そもそもこの寺院のどういう場所なのかっていうのがちょっとわかってないんだけど、
寺院で子供たちがたくさんいて、日本語を学んでるっていう感じなのか、
寺院の役割としてそれをやってるのか、
教育機関みたいなのがあって、
その場所として寺院があてがわれてるのかっていう、
なんで子供たちがこんなに、昔でいうと800人、
この寺院で生活してるのかっていう、その辺ってどういう背景なのか。
日本の昔の寺小屋みたいなものだと思うんですけど、
要はミャンマーの教育制度がそんなにちゃんとしてないので、
学校の数も少ないし、
教育のレベルもそんなに高くないし、
学校の先生の数も少ないし、
だから例えば自分の家に住んでたら、
一番近くの学校まで歩いて10キロですみたいな、
なると大体親が農家だから、
ミャンマーの寺院と教育
親の手伝いしてるって結構ドロップアウトしちゃうみたいなのがミャンマーだけじゃなくてあると。
だから全てのお寺がそうなってるわけじゃないんですけど、
徳の高いお坊さんとかが教育のために寄付を集めて、
学校の代わりみたいな、教育施設として運営している。
チャリティーセンターみたいな感じ、位置づけ的には。
ミャンマーでいうと仏教だし、
多分これがキリスト教の件だと、
キリスト教の教会がそういった機能になっている国もありますけど、
ミャンマーの特にそこの村にお寺を作った徳の高いお坊さんは、
それを子供たちのために開放しようということで作ってる。
子供たちを済ませて教育を施している。
子供たちは無料で宿舎に入れて、
その分お寺のお手伝いとか、農作物を育てたりとか、
そういうことはもちろんやるんだけれども、
それ以外はご飯も食べれて、教育も受けられてということなので、
その付近、地域の近くに住んでいる子たちが集まってきているっていう感じですね。
なるほど、そういうことか。ほんまにまさに寺小屋やね、昔のね。
啓太さんは言ったことあると思うけど、
京都にある実験寺院報道寺、
龍原さんの、松並龍原さんの話を、
ミャンマーに行く3週間前ぐらいに聞きに行ったんですけど、
その時に松並龍原さんもミャンマーに修行に行ってたことがあって。
よくミャンマーの話、龍原さんから聞くイメージがある。
彼は今はミャンマー仏教、定座仏教ではないんですけど、
そこからを学んでいると。
その時に話したのは、ミャンマーの上流階級の話題のほとんどは、
どこに徳の高いお坊さんだったりとか、
寄付先がどこにいい寄付先があるのかっていうのが、
上流階級の会話の一番メインだと。
やっぱりみんな寄付をして、得徳、得を得てですね、
輪廻転生して次の世もちゃんと幸せに生きれるようにいって、
寄付をしまくるわけなんですけど。
だからその、僕が今回行った村も相当寄付が集まってるみたいで、
僕もちょっとだけ寄付をしたんですけどね。
多分僕の人生の中で一番1回あたりの寄付は大きいぐらいの寄付をしたんですけど、
そんなの霞んでしまうぐらいの寄付が多分集まっていて、
それをちゃんと教育に振り分けているというか、
すごく日本ではもう失われてしまったというか、
日本にはない寄付文化が山間には残ってますね。
政府だったりとか、公共の制度がしっかりしていない分、
日本との比較
そういう仏教の教えだったりとかで、
お金がちゃんと回るようになっているというのが改めて感じましたね。
なんかあれやね、ちょっと興味深いね。
整ってないがために整ってないことを補う寺院とか仏教という役割を果たしていて、
日本はそういう意味だと、ある程度いろんなものが整っていく中で、
過去に仏教とか宗教が担ってた役割が機能として切り出されて、
宗教としては少し細っていくみたいな現象が長期スパンの中で起きてるっていう感じだよね。
税金払ってるんやから、そんな役所の仕事やろって言う人いるじゃないですか。
もちろん山間にも税金徴収されてると思うんだけど、
でも役に立たないというか、
例えば税金払ったからって自分の家の前の道路をちゃんと舗装してくれるかっていったら舗装してくれないわけだし、
だったら自分たちでやるしかないとか、
その代わりに近くの仏教人がそれの代わりになるとかね。
そういうふうになっていて、昔は多分日本もそうだったと思うんだけど、
役割分担をしっかりしてしまったんですよね。
それは政府がやることとか、
そういうふうになってしまっているのが、
今のちょっと自己責任みたいな風潮だったりとか、
助け合いみたいなものがちょっと薄れてしまっているような原因かもしれないですね。
普通の旅路だけじゃなくて、そこから見えるこの社会の、
日本とミャンマーの違いみたいなところまで、
ちょっと見えてきたり、思いを馳せるきっかけができて、
いい振り返りだなっていうのを。
一旦時間的にもいい時間なので、
ちょっと2回目のこの旅路は一度ここで切りまして、
もう何回シリーズになるかわかんないですけれども、
また次のシリーズに、第3回目のほうにバトンを渡すということで、
一旦2回目は切り上げましょうか。
はい。ありがとうございました。
ではここまでお聞きいただきありがとうございました。
37:43

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