1. 社会福祉士Tadaのお気楽ラジオ
  2. #75 僕と東日本大震災
2024-03-12 12:40

#75 僕と東日本大震災

福岡在住の僕と(当時山口在住か)東日本大震災の思い出。

#社会福祉士 #公認心理師 #公務員
#3.11 #東日本大震災 #思い出
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/60c2c439b82bc5e1f3d897b5
00:06
普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。この放送は現役の社会福祉士で、障がい児子育て奮闘中のTadaが、人と環境の相互作用に着目した発信を通じ、皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
みなさん、おはようございます。社会福祉士のTadaです。3月12日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
はい、ということで、3月ももう3分の1終え、残すところあと3分の2になりましたね。
いやー、早い。早すぎるぞ、1、2、3月って感じ。
やりたいことも、やらなければいけないことも、少し置き去りにしぎみな感じがするんだけど、何とか長寿命を合わせていけたらいいなというふうに思っています。
昨日は3.11でしたけど、皆さん何かされましたか?
東日本大震災を、いろんなところでね、報道やニュース、ネットでもたくさんの情報が出てると思うので、思わずにはいられない1日になったんじゃないかなと思うけど、やっぱり思ってるだけではなくて、
何かね、自分の身に置き換えて、もし何かあった時にどうすればいいのかっていうところまでね、想像するような日になればいいんじゃないかなというふうに思います。
うちはね、ちなみにやりましたね。備蓄食食事会。言い方だけでもちょっとエレガントな感じにすればね、なんかいい感じでしょ。
要はね、防災バッグの中に入ってる缶詰やらをね、食べる日ですよ。
あの人たちもね、賞味期限やら、消費期限やらあるんで、定期的に出していかないと、もしね、防災バッグや備蓄庫の中に入れっぱなし、置きっぱなしにしているとすると、大変なことになってるかもしれませんよ。
まあね、とか言いながら、防災バッグ買ったのも僕ね、この家に越してきてからなんで、まだね、2年ぐらいしかないんですよね。経ってない。
そして何を隠そう、この備蓄食食事会、本日初開催でございます。
やりたいね、やろうね、とか言いながらね、あっという間に日は立つもんですよね。
でもね、大切なことなんで、今日やっぱりね、やってよかったなって思いました。
なんかね、これをやることで、バッグの中を改めて見て、どんなものが入ってるか、どんな風に使うのかとかね、考えようって思ってたら、もうね、妻がすでにやってくれてました。
さすがですね。
ちょっと前にもね、話したんですけど、死を思うことによって、生きることの尊さや大切さを、より考えることができるのと同じように、
03:05
もし今、この家で僕たちが被災したらっていう風に考えると、どうやったら避難できるのか、どうすれば生き残ることが、生き延びることができるのか、というのをね、しっかり考えれる時間になるなっていう風に感じました。
前置きはこれぐらいにして、本題に入りたいと思います。
今日はね、僕と東日本大震災というタイトルでね、お話をしたいと思います。
といってもね、僕が住んでいるのは福岡県なので、東日本大震災に関しての直接の被害は全くなかった。
そして、親族、家族や友人、知人も東北地方にはね、僕はいなかった。
今はね、SNSの発達、インターネットの発達もあってね、東北地方にもね、大切な人たちがね、生まれました。
なんでね、すごく心配だと思います。今そういうことがあったらね。
でも当時はね、なかった。
で、その日、2011年3月11日、僕何をしてたかというと、
普通にね、働いてたと思いますね。
で、ニュースがあったのは覚えてる。
ただ、勤務時間中だったんで、テレビとかもね、ないから、
特に気にせずね、普通に仕事をして、普通に夕方に仕事を終えた。
そして、その後、職場の仲間うちで、僕含め3人でね、こじんまりと飲みに行ってたのを覚えてます。
そこで、テレビを初めて見たの、その日の。
なんていうの、テレビのワンシーンみたい、映画のワンシーンみたい。
そんな映像がね、居酒屋のテレビにずっと映し出されてるのを見て、
3人でね、驚いたのを今でもね、覚えてますね。
でもね、本当にそれだけ。
それが、東北から離れた地に住む僕の、2011年3月11日。
それから少しして、僕は役場で働いてるので、災害発見のね、募集がありました。
ただ、僕はその時、社会福祉士も持ってないし、懇人心理士も持っていない。
強いて言うなら、その役場の防災対策の課に数年勤めた経験がある、
今、福祉の仕事をしている一般事務職員っていう感じだったんですよ。
だから、その一般事務職員の仕事内容は、
同行する看護師さんと保健師さんのお手伝い、サポート役みたいな感じですかね。
としての募集でした。
それでもね、何かしたくて応募したんですよね。
06:00
で、結果として行けることになりました。
ただ、1週間後退ぐらいでチーム作って行ってたんで、
僕が結局行ったのは、ゴールデンウィーク中、
4月末から5月の大週にかけての1週間。
岩手県の宮古市っていうところに行きました。
まだまだね、3月11日から2ヶ月も経っていない状況だったので、
交通もかなりやられてて。
まずね、こっち側から青森県ですね。青森空港まで行きました。
で、そこから、どうしたんだっけ。
新幹線に乗って森岡駅まで行ったのかな。
そうそう。で、そこでまず一泊。
で、次の日の朝、森岡駅でレンタカーを借りて、
森岡駅から岩手県の宮古市まで。
全部ね、下道で何時間かかけてね、行ったんですよね。
うん、確かそうだった。
で、まず宮古市役所で挨拶をして、
そこからさらにね、車を飛ばして、
宮古市の中の太郎地区っていうところに行きました。
そこもね、海の町で、本当に甚大な被害があったところなんですよね。
まだまだね、仮設住宅もなかったので、
避難している皆さんと同じようなね、
体育館みたいなところで生活をして、
隣にね、併設して宿泊施設みたいなところもあったんで、
寝泊まりはね、僕ら派遣組はそこの宿泊施設の一室。
で、まあ、うちだけじゃなくてね、
その時はどこがいたかな?
えっとね、福井かどこかの医師会から派遣されたドクターの先生であったりとか、
あと入れ替わりで国境なき医師団のドクターやスタッフの方とね、
一緒に寝泊まりしてました。
じゃあね、現地で僕が何をしてたか、
1週間何をしたかっていうと、
本当にね、何もしてない。
うーん、実際何もできなかったんですよね。
なんかね、まあやっぱ看護師さんと保健師さんの助っ人というかサポートという感じで、
道すがらね、道中の運転であったりとか、
航空券の手配であったり、新幹線のチケットの手配であったりとか、
そこら辺は全部僕がやったんですけど、
現地でできることはね、
現地の人たちと話しして遊ぶっていうことぐらいしかできなかったんですよね。
保健師や看護師はちゃんとね、
自分たちの専門性を生かして血圧を測ったりとかね、
身体状況の確認を、相談を受けたりとかね、
してましたけど、
僕はね、
言ったけどね、そんなに力にはなってなかったなっていう風に、
今思い返してもね、思います。
それでも現地のスタッフも、避難してる人たちも優しくって、
09:02
名物のドクターがいたんですよ、
太郎地区っていうところにはね。
そのドクターがたまたま僕が行った1週間だけ、
イタリアかどっかの学会に行ってるっていうことで、
厳しい、情熱的なドクターさんだったらしいんですけど、
その先生がいない間にっていうことでね、
地元の職員さんたちがこっそりとね、
一席儲けてくれたんですよね。
お酒を楽しませていただきました。
でもね、当然スタッフさん、職員さんたちも被災者なわけで、
旦那さんを亡くされた看護師さんがいらっしゃったり、
新婚で新築で建てたばかりの家が水没してしまったっていう、
男性の方がいたりとか、
でもね、みんなすごくね、
避難所の人たちのことを考えながら、
きびきびと動いていたのが印象的でした。
太郎地区のね、被災したところとかもね、
いっぱい店に行ってもらったんですよ。
太郎地区にある診療所の中も見させてもらって、
そこにあった時計が、
2時43分じゃなかったね。
直後じゃなかったんでしょうね。
時が止まっているかけ時計が床に落ちていたりとかね、
そういったものも見ました。
そんな感じでね、僕自身は、
何か役に立てたことって言うと、
本当に全然してない、でも現場を見て、
自分の心に刻んで学ぶっていうことをね、
させていただいた、どちらかというと、
そういう一週間の体験でした。
後日なんですけど、そこからね、
しばらく経って、
当時の岩手県宮古市のスタッフの方々、職員の皆さんがね、
遊びに来てくれたんですよ。
なので、ご案内するというね、観光ツアーをしたりしました。
それもね、とってもいい思い出ですよね。
あれ以来ね、全く足を踏み入れていない東北地方。
やっぱりね、こうやって話していると、
行ってみたいなって思う気持ちが強くなってきます。
あの時、何もできなかった僕ですけど、
それからね、いろいろ勉強して力もつけてきたつもりです。
そして何もできてなかった分、今こうやってね、
お話をすることで、一人でもね、多くの人に、
ちょっと離れた、現地の人でも被災者でもない、
支援に行った人という視点からでのね、
お話が届けられたらいいのかなというふうに思います。
取り留めもない話だったんですけど、
これがね、僕と東日本大震災のお話でした。
じゃあ今日もね、長くなったのでこの辺で終わりたいと思います。
最後にお知らせです。
12:01
この放送以外にも、各種SNSで発信活動を行っています。
Instagram、スレッツ、TikTokでは親ばか投稿、
ノートでは子育てや日々の学びの中で感じたこと、
Xでは言葉遊びや小言を中心に発信しています。
プロフィール欄にリンクを貼っておりますので、
よかったら覗いてみて、
いいね、コメント、フォローなど応援よろしくお願いします。
それでは今日も素敵な一日に。
社会福祉士のタダでした。
またおいで。
12:40

コメント

スクロール