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2024-08-04 12:07

#202 病気や障害の「受容」ってマストですか?

突如の病気、突如の障害

そんな時あなたはどうなりますか?

想定していない事態に
多くの方が自身のこれからに悲観的になります。

そして「受容」といって
それらを受け入れて前に進むフェーズがある。

しかし、前に進むフェーズとは
受容がマストなのか??

と思った次第でございます。

#社会福祉士 #ダウン症 #子育て #子育てパパ
#掃除機 #掃除 #病気 #障害 #受容
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普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。この放送は、現役の社会福祉士で、障害自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さんおはようございます。社会福祉士のTadaです。8月4日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
皆さん、家の掃除ってどうしてます?
放棄チリ取り派?あんまいないか。掃除機。スタンダードは掃除機かな。
あとはロボット掃除機。うちはね、ロボット掃除機。ルンバさんを使っております。
我が家の名前をつけてるんですけどね。多分、ルンバのアプリ使ってる人は知ってると思うんですけど、
ルンバとかブラーバとかのアイロボット系ってお名前をつけることができるんですよね。
うちのルンバはクロちゃん、そしてブラーバはシロちゃんっていう名前がついてます。
ただね、ボディの色をそのままつけただけなんですけどね。
我が家でね、クロちゃんとシロちゃんはとってもね、家事の戦力としてね、活躍してくれております。
そんな中ね、昨日、日中、妻の実家に遊びに行ってたんですよね。
妻の実家でゆっくりと土日どちらかね、過ごすことが多いんですけど、我が家はね。
行ってて、その間にね、クロちゃんを発動させました。
そうすると、家に帰ってくる頃には、おうちの掃除機、掃除が綺麗に終わってるよっていう感じで、
外出の時はね、そんな感じで、テーブルとか簡単なものをソファの上とかにあげて、
クロちゃんとかね、シロちゃんの邪魔にならないように、
掃除環境を良くしてね、出撃して、遠隔操作でボタンスイッチONっていう感じでね、
掃除をしておくと、掃除をしておいてくれるっていうね、とっても便利な人たち、機械たちです。
でもね、昨日はさ、その実家に行ってた時に、アラームが出たんです。
スマホでね、ピッてね、見てみると、クロちゃんが助けを求めてます。
どんな内容かっていうのを見てみると、なんか掃除が上手くできてないみたいな感じの内容だったんですよね。
で、どのエリアを掃除したかっていうところが分かるんですよ。
で、よくあるのは、ちょっとね、こう、玄関の方に出ていってて、
あのー、玄関の段差があるじゃないですか。
で、その段差のところに脱輪みたいな感じでね、ストップするっていうのは時々あるんですよね。
でも基本優秀なんではあんまないんですけど、
そんな感じで脱輪かなーと思って、まあ倒れてる、止まってる場所をね、確認してみようと思ってアプリで見てみたら、
どうやらほとんど動いてないぞっていうのが分かった。
でね、妻と話して、
クロちゃん今日動いてないんだけど、みたいな感じで言うと、
妻ね、すぐ気づきました。
扉が開いてない。
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そう、うちのね、クロちゃんとシロちゃんは、
お部屋の中に基本隠れてるんです。
はい、まああの、倉庫兼、クロちゃん、シロちゃんの秘密基地みたいな感じなんですけどね。
そうなんです。なので、掃除をしてもらうためには、そこのね、倉庫の扉を開けなくちゃいけないんですよ。
うん。それをね、開け忘れて出ちゃったわけ。
ねえ。
なので、慌ててね、実家からお家に僕帰りまして、
クロちゃんのね、出発口のね、扉を開けようと思いました。
家に帰ってね、その扉を見てみるとさ、
あの、クローゼットみたいな感じの引き戸って言うんです。
引き戸じゃないか。スライド、スライドでもないよね。
こう、引っ張ると谷型、山型にぐいって開く感じのタイプのドアなんですけどね。
どうやらね、クロちゃん、その扉を開けようとたいあたり頑張ってたみたい。
少しね、ドア、開いてました。
ぐーっとね、たぶん内側から押せば、まあ出てこれるんでしょうけど、
さすがにね、ルンバにそこまでの力、求められてないよね。想定外。
ねえ、なんかその時のルンバの気持ちをね、考えると、ちょっと面白かったですよね。
ねえ、暗い倉庫の中から飛び出せと命令を押されてね、スイッチを押されて、
さあ、掃除に行こうって思ったら、
ねえ、扉が開いてない。いつも開いてる扉が開いてないから出れないよ。
どうしよう、どうしよう。
えい、扉にぶつかれい。
開けい、開けい、開けい、開かない、みたいな感じで、
エラーのね、信号を送ってきたんだろうなと思うと、
とてもね、申し訳ない気持ちと尊い気持ちにあふれます。
えー、我が家にとってルンバは家族です。
ということでね、本題に入りたいと思います。
今日はね、病気や障害の需要ってマストですか?っていうタイトルでね、お話をしてみたいと思います。
ほら、SNSって最近、自分のフォロワー、フォローしてる人以外の人のなんかタイムラインとかって結構流れてきません?
いや、それおすすめですか?オタクの、みたいなね、プラットフォームありますけど、
実際に僕、勧められてもそんなに興味がないものも多いんでですね、
まあ、一応流れてきたから目には止まったりするわけじゃないですか。
で、一応社会福祉しかけるダウン障子パパっていうところで発信というか、発信もしてないSNSもいっぱいありますけど、
はい、そんな中でね、ふと目に止まったのが、その障害者需要の話だったんですよね。
障害のあるお子さんのパパさんかママさんか、ほらね、ちゃんと読んでないから全然詳細わかんないんですよ。
の方の投稿みたいのがあって、もちろんフォローしてないんで。
でね、その中に、なかなか自分の子供の障害が需要できなくて困っている、みたいなね、ことを書いてるものがありました。
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そして、どうしたら需要できるのかわからない、愛せるかわからない、みたいなね。
すごく落ち込んでいるような、ネガティブな、悲しんでいるような投稿だったんですけどね。
本当にそのイメージですよ。今完全にね、もう保存も何もしてないんで、前見たなっていうふうに思ってね、思い返しただけなんですけど。
で、それに対してのコメントが結構、まあその賛否両論というかバラバラだったんですけどね。
その中でもまあ、僕の目に多めに映ったものの一つとしてね。
否定じゃないですけど、障害を、子供さんの障害受け止めてください。
時間がかかれば、需要、時間かかるかもしれませんけど、需要できる日はきっと来るから、とかね。
うん、なんかね、需要に対してポジティブな発言、コメントみたいなのが多かったんですよね。
まあ、悪意があるかないかとかっていうのは全然わかんない。
そのね、テキストベースですし、あ、これXね、テキストベースだから余計わかんないじゃないですか。
で、別にその人、発信してる人一人ずつ見て、どんな人かとか見ることも僕もないですし、
あくまでもそのやり取りの中で流れてきたものを見てるだけなんでね、真意がどこにあるかわかんないですよ。
おせっかいな人もいれば、本当に応援したいっていう人もいれば、
まあ、悟すようにね、その需要できないことは悪だみたいな感じでね、
叱るような人もいるんじゃないかなっていうふうに思うんですけど、
これ見てて思ったんですけどね、
需要って絶対せないかんの?
まあ、このポストをね、その需要ができませんっていうお悩みポストをした人が、
その結果どういうふうにね、このコメントが流れてきた結果ね、受け止めたのかは、
ちょっとわかんない、目を覆ってないからね、わかんないですけど、
僕はね、その一連のやり取りを見て思ったら、もう本当にこのこと、
需要はね、絶対必要なんですか?しなくちゃいけないんですか?っていうふうに思っちゃったんだよね。
それって何でかっていうとね、
僕は元々その生活困窮者の生活保護受給者の直接的な支援に携わっていた時間が結構長かったです。
その中で自分の子供が障害があったりとか、
ご自身に障害があったり、障害じゃないにしても重たい病気を抱えていたりとかして、
経済的困窮に陥っているような状況の過程もたくさんありました。
その全てが全て、需要をしていたのかっていうと、わかんないんですよね。
組織としてね、支援に対する方針立てますけど、
需要を促すみたいな支援方針立てたこと一回もない。
もちろんね、僕ら福祉屋さんですよ。社会福祉士はその人たちの人生における幸せを考えていくっていうのが仕事になってくると思うので、
需要は人生のゴールではないんですよね。
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その人たち、自分が関わっていくクライアントたちのその幸せが得られる未来のために需要が必要っていうことなんであれば、
そこはね、プロセスの一環として需要の促しっていうことが入ってくるのかもしれないけども、
もしそれがあってもなくてもその人の幸せっていうのが達成できるんであれば、
別に需要がマストではないっていうふうに思ってるんですよね。
受け入れたから幸せになれるかっていうと、それはまた別の話だと思うんです。
結果論として、受け入れたから幸せになりましたっていう人はたくさんいると思いますし、見たことも当然あります。
でもそうじゃなくて、それは結果論なんで、受け入れることによって幸せっていうのはイコールではないっていうふうに思ってるんです。
むしろ受け入れられないからこそ、その受け入れられない現実に向かって、
何かね、行動する気力であったり力であったりっていうふうに変換していける人っていうのもいるんじゃないかなっていうふうに思うの。
なのでその人々の人生において、その需要が必要かどうかっていうのが、
需要の必要性を考えるところにおいては大事なんじゃないかなっていうふうに思いました。
僕はね、むしろこう需要ができなかったとしても、その揺らぎの中で需要できた日もあればできない日もある。
特にね、障害児子育てをしていく中で、障害児を育てている親御さんの中でやっぱりこう揺らぎがある人っていうのはたくさんいるように感じます。
でもね、その揺らぎこそが僕は尊くて愛おしいものなんじゃないかなっていうふうに思う時もあるわけ。
だって人間だからね、みんな違ってて、育ち方も違う、考え方も違う。
そして大人になったからといって急に大人の振る舞いをしなくちゃいけないって言われたってできるわけないじゃないですか。
感情的になって怒る大人だってそんなこといっぱいある。
どうしようもない現実に打ちのめされる時もある。
それでも何とかしていこう、何とかやっていこうと思って生きていくこと、それ自体が素敵なことなんじゃないかなっていうふうに思ったりしました。
はい、そんな感じでね、今日の放送はこの辺で終わりたいと思います。
SNSを読んでね、思ったこと、本当に日常日の雑談っぽい感じかもしれませんけども、聞いていただいた方、本当にありがとうございました。
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それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士のタダオでした。
またおいで
12:07

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