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普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。この放送は、元気な社会福祉士で、障害児子育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さんおはようございます。社会福祉士のTadaです。8月6日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
盛り上がってますね、オリンピック。毎日ね、何かしらメダルダッシュのね、報告が、朝ね、テレビを、スマホを見てみるとね、出てきたりしています。
えーと、まあ僕自身は、お昼休み、仕事のお昼休み中とかにね、TVerで、まあダイジェストであったりっていうのを、まあ見てね、楽しむっていう感じなんで、
本当にね、リアルタイムでフルに見る種目は今年はほとんどないかな。えっと、あれだけ見ましたね、女子の卓球シングルスは見ました。
まあ、たまたまです。狙ってみたわけじゃなくて、たまたまついてて、まあそれでね、妻と一緒に盛り上がったっていう風な感じですね。
銅メダルを取ったね、早田ひな選手。実はね、僕の住んでいる福岡県北部、なんならね、我が家の結構近くにある高校出身なんですよ。
まあ別にね、会ったことあるわけでもないし、面識も当然ない。だけどね、まあ近所のね、スーパーとかに行くとね、大体毎年ね、その高校時代に、早田ひな選手何々大会出場とかいうのがね、ペタペタペタペタ貼られてたのをね、すごく思い出します。
もう当時からね、すごくね、強かったんだろうなっていう風に、まあ全然詳しくないんですけどね、もう本当に貼られてたから、すごくね、記憶に残ってますけど、
まさかね、その選手がオリンピックの舞台に立ち、シングルスで銅メダルを獲得するって本当に素晴らしいことですよね。思わずね、興奮しました。
サニーブラウン選手もね、陸上のね、すごく良かったですね。
まあ決勝進出は敵わなかったけども、本当にね、自分の最大限の力を発揮した。
なんかもう、それでもまだまだ届かない世界の壁の熱さを感じたし、まあね、この大舞台で力をね、120%発揮できるっていうのはね、本当にすごいなっていう風に思ったりしました。
ちなみに我が家ではなんですけども、この週末はね、柔道、柔道にハマっております。
実家でね、テレビを見ていた時に柔道があってたのかな、息子がね、突然柔道を始めましてですね、柔道しまくってますね。
日曜日なんかね、ほとんどね、日中柔道してて、彼はね、スタミナ切れでして、18時30分に就寝しましたからね。
はい、まあ夏休みですが、早寝早起き、よく遊び、よく食べ、よく眠る、素晴らしいサイクルで彼は過ごしてるんじゃないかなという風に思います。
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はい、それではね、本題に入りたいと思います。
今日は、ラベルを剥がすことが普通の幅を広げていく、というタイトルでね、お話をさせていただきたいと思います。
毎日放送しているこの放送の出林でも、普通の幅を広げていく、ということをね、常々お話しさせていただいてます。
これがね、この放送の、僕のこの放送の一番の原動力というか、指針なんですよね。
今日はね、そこに紐づくような話になってくると思います。
もともとお話ししようと思ったのは、前回の放送、需要のことについてね。
病気や障害の需要、それってマストなんですか?みたいなタイトルでお話をさせてもらったかと思うんですけども、少し話し足りないところがあったんですよね。
そこら辺を補足しながら、今日のお話をしていきたいなという風に思うんですけども、
その前にね、本当にすごいなと思ったのが、その前々回の放送ですよ。
需要の、需要それってマストですか?の放送に対してね、このスタイフの配信者でもあります、
のびままさんね、のびままさん、僕と同じ手でダウン症の息子を持つ親ですよ。
僕はパパで、彼女はママさんなんですけど、とても快活で綺麗のいいトーク。
僕は大好きでよく聞いてますけども、思考がちょっと似てるのかなという風に思うことが多々ある、正直。
今回その前々回の放送でもらったコメントがまたね、思考回路が似てるなという風に思ったんですよね。
ただね、そこも含めてこの放送をしたかったなというところがあったので、
今日はね、ラベルを剥がすことが普通の幅を広げていくというタイトルで放送を少しお話ししてみたいと思いますので、
ぜひぜひ聞いていってもらえたらと思います。よろしくお願いします。
前々回の放送ではね、病気や障害の需要のことについて話しました。
結構ね、需要に関してした方がいいよという風にね、進められることが多いという風に思うんです。
それに関して真っ向から否定するつもりはないんですけども、
マストではないなという風に思っているよというところを僕の考えをね、お話しさせていただいたんですよ。
これに対してね、これに関して究極論で言うと、のびままさんもね、コメントに書いてたように、
需要をするとかしないとか、それ自体を考えることがいらないんじゃないっていうね、その通りそこだと思うんです。
僕自身もこの社会の在り方としてね、最終的にそうなってほしいなということは常々思っています。
そのための第一歩、小さな一歩、一人ずつに広げていくような一歩、
そういった意味でまあ僕はね放送、普通の幅を広げていけるような放送をしていきたいなという風に思ってるんですけど、
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これはね、一足飛びでできるようなものではなくて、やはりある程度段階が必要なんじゃないかな、この社会全体を変えていく個人の価値観に関しては、
生まれ持ったものであったり、生育歴であったり、そういったね、もともとの要因であったり、外的な要因であったりっていうところから変容していって、
個々の価値観というのが生まれてきているので、これに関しては個人差がめちゃくちゃある。
ただ社会全体を受容するしないとかいうことを考えること自体がいらないような世の中にしていくということには、やはり相当な段階を踏んでいく必要があるんじゃないかなという風に思ったりするんです。
これをどういう風に説明しようかなと思って、少しね、僕なりに分解してみたんですよ。
よくさ、言うじゃないですか、なんか昔は差別とか全然なかったよみたいな、障がいのある人もない人も全然地域で育っておったとか、
実際僕の子供の頃も小学校の頃支援給とかなかったと思いますし、今振り返ってみたら確かに何か知らん特性がある友達だったなという風に思ったりするんですけど、
そこはね、あんまり気にせず溶け込んでたような気がする。
ただこれはね、狙ってこうしてたわけじゃなくて、社会が成熟していない。
日本の福祉は先進国、他の欧米諸国の福祉と比べて10年とかそれ以上遅れているという風に言われますけども、
ある意味遅れていて良かったのかもしれないっていうところ、これは不明瞭のまま過ごすことができる国土だったんじゃないかなという風に思うんです。
特に狙って、混ぜ交然にしてインクルーシブ、今で言う風にしていたわけではなくて、
なんか分けるの怖いよね的な感じで不明瞭にしていた。
だからこそ、子供の頃は不明瞭なまま過ごすんで、障害のある子とかない子とか、
そういったことがね、取っ払われて過ごすことがね、多かったんじゃないかなという風に思うんですけど、
じゃあ大人になってどう?って言うと、大人になってさ、繋がりなくないですか。
結局、子供の頃の時にしか繋がりを持ててないっていうのは、
特にインクルーシブを打って出ていたわけではないっていうことなんじゃないかなって思うんですよね。
ここで少し社会がね、日本の社会が成熟したことにより、何を行ったかというと、
明瞭か不明瞭から明瞭に持っていったんですよ。
これがいわゆるラベルを貼っていったっていう風にね、表現してもわかりやすいのかなっていう風に思ったんですけど、
例えば特定の障害をね、障害のある子にラベリングする、貼って、
うちの子で言うとダウン症です。ダウン症は昔からあったけどね。
あとは自閉症ですとか、学習障害ですとか、注意欠陥多動症です、みたいなね、ラベルを貼っていく。
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このラベルを貼ったのって何でですか?
これは課題を解決するために貼っていったんですよね。
ただし、この課題を解決のために貼ったラベルが、思わぬ悪影響を及ぼす。
これは何かというと差別ですね。
今まで不明瞭だったものを明瞭にすることにより、ニーズをキャッチして、そのニーズに基づいたサービスを提供できる可能性が上がったのと同時に、
ラベルが付いてしまった人たちには差別というデメリットも引っ付いてきた。
ただ、これは明瞭化させるというステップを踏んだからこそ起こった現実。
これは順番順番にいろんなものが明瞭化されていき、課題解決に向け、そして差別が生まれというところを踏んでいってるんだと思います。
これを乗り越えていくことによって、課題の解決を成し遂げ、
そうしていくうちに差別する風土がなくなり、当たり前、つまり普通という風になっていく。
差別する人すらそれが差別の対象と思わなくなっていく。
それぐらいに世間に浸透していく。
この時に普通の幅が広がっていくような社会が完成したということになると思うんですよ。
ダウン症という風に取るとあれなんですけど、例えば知的障害とかいう風に明瞭化、シラベル化していくというところで課題解決を図る。
知的障害の人でも働けるような風土を作るとか、誰一人困らず、親が親なき後のことを考えずに過ごせるとか、そういった課題を解決する。
ただ、知的障害という言葉が生まれたがゆえに差別も並行して生まれていく。
でもそれに負けずに課題解決に向かっていく結果、知的障害というものは課題がないものになって障害ではなくなる。
そうした時に差別する気持ちもなくなり当たり前になっていく。
こうすると受容するとかしないとか自体を考えることがなくなるんじゃないかなという風に思うんですよね。
今、現代においてはラベルが貼られており、課題解決と差別、この両方があっている時代だと僕は思っています。
もしかしたらこれは全てたくさんのものがあるので多様性という風に名付けられ、たくさんのものがあるという風に認識され、
その結果、あくことなく尽きることなく不明瞭だったものが明瞭化され、そして課題解決差別というものが生まれていくサイクルが続いていくんじゃないかなと思います。
そして同じものが解決したものがまた課題として生まれてくるという可能性も時代が流れていくことによって起こり得ることなのかなという風に思ったりもするんですよ。
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でもこれは時代が前に進んでいる証拠だと思うんですよね。
現代において結局この明瞭化、ラベルを貼られていることによって課題解決のサービスも生まれているけども差別が生まれているような状況、そこの真っ只中にいる人たち、これはいろんな人がいて叱るべきなのかなという風に思うわけ。
僕とかは需要という言葉を意識しないままいつの間にか需要しているタイプです。
48時間くらい落ち込んだんですよ。息子生まれてね。
何に落ち込んだのかっていうと漠然とした不安ですね。
障害のない子が生まれる体で考えていたのでほとんどさ。
だから生まれた時にどうしようダウン症って聞いたことあるし仕事では携わったことあるけど具体的にはよくわかんないなぁみたいなところからの不安ですよね。
もう障害人間とかどうするんだろうとか考えていたりしましたから。
これなんでかっていうと期待値が高かったんだなという風に思います。
妻ともともとご単位不満足でも満足でも幸せに育つように愛していこうという風に約束していたにも関わらず
どこかで僕は期待値を高くしていたんだと思います。勝手ですよね。
期待値の高さは落胆の大きさですからこれが本当に良くないとは言わない。
期待するもしないもその人の生き方や価値観が当然あるんでですね。そうなんですよ。
ただ僕の場合は48時間くらい悩みに悩んだ結果息子があまりにも可愛すぎてラブ。
ラブですよ。重要っていう形になったんじゃないかなというふうに思うんですけど
これは本当に人それぞれあってやっぱりいいのかなというふうに思ったりしています。
子と障害に関しては期待値の高さや落胆ということがなくていいような社会にしていくのが最終的な目標です。
でもやっぱり障害のある子が生まれようが生まれまいがどんな子が生まれても
親が楽しく幸せに子育てができるような社会風土、そういう制度設計ができていれば
ここにおいて期待値を高く持つとかそういったことすらないはずなんでですね。
最終的には最終到達点としては僕はそういう社会にしていきたいと思う。
ただ今現時点ではもう少し時間がかかっていくと思うので
一歩一歩ね僕自身もやれることをやっていきたいなというふうに思った次第でございます。
これからもね皆さんの普通を聞きながら吸収しながら
僕自身も普通の幅を広げていき皆さんの普通の幅も広がっていくようなね放送をしていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。
そんな感じで長くなりましたので今日はこの辺で放送終わりたいと思います。
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それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士の田田でした。
またおいで