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普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ
この放送は現役の社会福祉士で、障がい児子育て奮闘中のTadaが、人と環境の相互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
おはようございます。社会福祉士のTadaです。
2月2日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
体調はだいぶいいんですけど、まだ咳が収まらなくて、よく咳込むんですよね。
この放送も咳込むから、結構止めながら喋ってます。
全部止めてたら切りないんで、我慢しながら喋っているところもあるんで、
ちょっと欲張りが変なところがあったら、咳我慢しているところだなって思ってもらえたらと思います。
なんかね、咳きついんですけど、腹筋6つに割れんかなって思うくらい咳してるんで、
もう本当、頼む俺の腹筋って思うところではあるんですけど、
1個ね、嬉しいことがあって、それ何かっていうと、家で家族でご飯食べてるときに、
僕が咳込むじゃないですか、咳込んだらね、隣に座ってる息子が、
僕の背中をね、すかさずトントンしに来てくれるんですよ。
しかもね、トントンってセリフつく。
可愛くないですか。
いや、ただの親バカな話なんですけど、ただね、これにはちょっと1個弊害があって、
トントンってされるから、僕の咳込んでごめんねっていう意味を込めてね、
ごめんねって言うんですよ。
それがもう1,2週間ずっとやってるから、
なんかね、ごめんねが移ってしまって、
すっごいね、なんか薄いごめんねを連発するようになってしまってね、
だいたいうちの子はね、あんまり謝らない子だったんですよね、もともと。
まあ今もかな。
ちょっと頑固じゃん。
ごめんなさいわってね、明らかに悪いことしたときに、ごめんなさいわって言ってもね、
ツーンって無視するんですよ。
いや、もともとね、難聴疑いが子供の頃からあったんで、
ダウン症の子ってそういう子多いんですけど、
今はね、一応標準取れて、補聴器とか何もいらないよってなってるんですけど、
突発的にね、もう聞こえなくなるんじゃねえかなと思って、
我が家ではね、この子とご都合性難聴って呼んでるんですけど、
本当にね、それぐらい謝んないときがあるんですよ。
なんか最近ね、僕の責任を謝ってるせいで、
それが移ったのか、
ちょっとしたミスのときとかね、
別に謝んなくていいときも、
ごめんね、ごめんねって両手合わせてから謝るんで、
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ちょっとこれはこれで問題だなと思ってまして、
はてどうしたものかと悩んでいるような、今日この頃でございます。
さて本題です。
強制社会を目指す日本の今と未来。
これについてね、今日はちょっとお話をしたいと思います。
というか2回に分けて話したいと思ってて、
まずね、今のことから今日はね話そうと思うんです。
ただ先に言っておくと、僕自身明確にこう思いが固まっているとか、
その認識がもうこれで違いないというふうに思っているわけじゃなくて、
僕の考えも日々経験していく中で変わっていきますんで、
今現時点での僕の考えっていうのはそうだよ、こうだよっていうのを話していきたいっていうのを、
先にお伝えしておきますね。
まずなぜそんなことを考えたのかっていうとですね、
昨日誕生日だったのもあって、1日休み取ってたんですよ仕事。
でね、たまたまその日にあのうちの息子が行っている支援学校のPTAの人たちがね、
企画してくれた施設見学会があって、
もうそこにね行こうっていうふうに妻と決めてて、
バスハイクなんでですね、その学校の父兄の希望者何十人かがね、
バスに乗って施設見学に行ったんですよね。
でまあ支援学校なんで当然見に行く施設っていうのは障害関係の施設なんですけど、
障害の施設って結構いろいろあって、
これまた需要があるかどうかわかんないですけど、
一応まあ知識をみんなに、なるべく多くの人に持ってもらいたいっていうのを
僕の放送の理念でもあるので、
いつかねどこのタイミングでその障害のサービスであったりとか、
施設の形態であったりっていうのはね、
ゆっくり一個ずつ話していけたらいいのかなっていうふうに思うんで、
今日はざっくり話しますけど、
昨日見学に行ったねその施設は、
もうね端的に言うとね、一個の村みたいなところ。
障害のある大人の方、18歳以上の方ね、
が住む場所であり、働く場所であるみたいなところなんですよ。
その施設に入所している人は定員60名なんですけど、
その人たちも当然その施設の中のサービスを使ってます。
お仕事みたいなのもしてますし、訓練みたいなのもしてるんですけど、
施設外からもね、そういう支援を受けに来るっていう、
あとお仕事しに来たりしに来るっていうふうな機能も持っているような施設。
なんか施設っていうと一つの箱物をイメージすると思うんですけど、
僕がね一つの村って言ったのはそこが違うよっていうことを伝えたくて、
一つの箱は居住スペースとしてあるわけですよ。
あと多目的ルームみたいな感じ?体育館みたいなところとかもあるんですけど、
それじゃなくてその施設の周りに、例えば農園があったりとか、
その農園で採れた野菜を加工する場所があったりとか、
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あと養鶏場があったりとか、
ほんとめちゃくちゃ広大な敷地で、
まさにその敷地の中で自給自足を完結させるみたいな理念をね、
もともと発足した方が、もうだいぶ昔の方みたいなんですけど、
そういった方がいらっしゃったみたいなんです。
だから野菜を作る肥料も、商品にならない野菜とか、
むちゃくちゃデカいディスポーザーっていうんですかね、
生ゴミを肥料にするような機械があるじゃないですか。
なんかあれの超デカいバンみたいなやつがそこの農園にあって、
それにこう野菜をぶち込んで肥料に変えて、
新しい野菜を作っていくみたいな。
そんなになんか仕組みが完結されてて、
ほんとに一つの村って感じなんですよ。
なんで村っていうかっていうと、町ほどの規模はないからね。
1個の建物があって、周りに畜産や農産があるみたいな感じだから。
作った物品、加工した食品であったり、
あとパンとかも作ってるみたいだけど、
それはちょっと施設から離れて、町中で販売をしてるみたいな。
2時間ないぐらいの見学だったんで、全部が見れたわけじゃないんですけど、
施設自体もすごく綺麗だし、
農園にしても畜産にしても、それなりに綺麗に整備されてて、
衛生面の管理も行き届いてて、
すれ違う入所者さんたちも結構笑顔で挨拶をしてくれる方が多くてね、
いい施設なんだろうなっていう風なイメージを持ちました。
非常にいいイメージを持ったんです。
でもね、その反面ちょっと思うところもあって、
今ってほら、ちょっと前の放送でも軽く説明させてもらったんですけど、
この国はね、共生社会を目指してるわけなんですよね。
共生社会っていうのは、その地域でね、
いろんな障害があろうとなんだろうと、病気があろうとね、
生き生きと過ごしていくっていう風な社会を目指してるっていうことなんですけど、
その地域で暮らすっていうのと、こういう施設で暮らすっていうのって、
結構相反するところにあるというか、
まあそうじゃないですか。
当然ね、施設で生活していても月に1回であったりとか、
街に行ってお買い物したりとかっていうイベントとかはあると思うんですけど、
それも別に自由に行ってるわけでもなくて、やっぱりイベントとしていく。
さっき村に例えたのもちょっとそこら辺があって、
要はその村で囲われているっていうイメージを持ってしまうんですよね。
なんかこう、一般社会と分断されているようなイメージを少し持ってしまったんです。
ただね、その反面僕は障害児を育てる親として、
もし自分たちが子供の面倒をサポートができないような状況になった時に、
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じゃあ地域で彼が一人で暮らす、施設で暮らすっていう風なことを考えた時にね、
こういう一つの完結した村のような施設があるっていうのは、
すごいありがたいなっていうのも思ったのも本心なんですよ。
これって強制社会を進めていくものの一員、
ダイバーシティアンドインクルージョンとかいう言葉、
難しい横文字なんでまたゆっくり別の機会で話そうかと思いますけど、
こういうことを念頭に社会の変革を進めていくものの末端の一人として、
この考えを持つのが適切なのかどうなのかっていうのはちょっと悩んだところなんですけど、
やっぱり当事者、親としてはまだね、
世の中はそんなに強制社会に向かって進んでないっていう風な感覚も持ち合わせてるんですよね。
これから社会がどういう風に変わっていくのかによって、
またきっと5年10年後、僕の考えも変わっていくんじゃないかなと思うんですけど、
とりあえず今現時点の状況で考えたら、
障害あるなしとか、いわゆる少数派ですよね、
マイノリティの人たちの生活だけじゃなくて、
マジョリティですよね、ほとんど大多数の人たちの日常生活においても、
意外と閉塞的な生活を送ってるんじゃないかなって思うんですよね。
皆さんどうですかね、アクティブにいろんなとこ行ってます?
大人になって意外とそれってなくないですか?
日々生活することに一生懸命で、
家と職場の往復とか、
あとは家と職場と飲み屋の三角トライアングルとか、
なかなか他のコミュニティに属したりとか、
幅を広げて自由度高く過ごしてる人って、
少ないんじゃないかなって思うんですよね。
もちろん経済力のある範囲内で行動ができるっていう制限で言うと、
障害のある人とか、日常の高齢者とかと比べると、
動きは違うのかもしれないですけど、
それって本質的にはそんなに変わってなくて、
場所が移動するだけで人は変わってなかったりとか、
結局閉鎖的な生活を送っている人が多いんじゃないかなって思うんですよね。
なんかね、ぶっちゃけた話すると、
僕ね、僕が生きてるうちは、
世の中から差別ってなくなんないんじゃないかなって思ってるんですよ。
福祉の後進国って言われてる日本ですけど、
先進国でって言われてる欧米とかも、
別にガンガン差別あるじゃないですか。
なんでね、きっと福祉の先進国に住んでる人たちも、
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僕らより多様性を受け入れる、
その多様性に関する理解や知識や認識はあるのかもしれない。
でもそれと一緒に暮らす、愛入れるっていうのは、
違うっていう風に思ってるんじゃないかなって思うんですよね。
僕らだって普通に生活している中でいるでしょ?
職場に一人とか、同級生に一人とか、
こいつとは一緒友達にならんぞみたいな。
あれこれ僕だけですかね?性格悪い感じ?
いやでもきっと皆さんの中にもあると信じたい。
それと同じでね、
混ぜこぜにどこでも住み合う、生活し合うっていうのは、
結構やっぱり何かしらの問題が生まれるんじゃないかなって、
どっかで思っちゃってるんですよね。
もちろん多様性の理解であったり知識であったりっていうのは、
まだまだ日本では根本的なそこの理解が足りてないので、
そこはしっかり進めていかなくちゃいけないっていう風に思ってます。
社会課題として。
それでもその結果、じゃあみんながみんなを受け入れ合えるかっていうと、
そんなこともないっていう風に思っちゃってるんですよね。
なんでこういうマイノリティが幸せに暮らせるような場所、
そういったところがあるっていうのも、
やっぱり一つ大切なことなんじゃないのかなっていう風に、
今回の施設見学を終えて思ったんです。
これからもっともっと社会が良くなるように、
僕自身も勉強して、そしてそれを発信して、
頑張っていきたいとは思います。
その結果、僕だけの動きじゃないですけど、
その結果、社会がより良く変わっていった先に、
僕がどういう風に考えているのかっていうのは、
またその時になってみないと分からないんですけど、
今日は昨日の施設見学を終えて、
そういう気持ちになりましたっていうことをお話ししたいと思って、
今日の放送にさせていただきました。
明日はさらに未来を考えた時に、
僕、仮説が一個あってですね、
未来こうなるんじゃないのかっていう仮説があって、
それと共生社会のあり方みたいなところを話していきたいなという風に思っています。
良かったら、今日も長くなりましたし、
明日ももしかしたら長くなるかもしれませんけども、
ぜひ聞いてもらえると嬉しいです。
それでは最後にお知らせです。
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それでは今日も素敵な一日に。
社会福祉士のタダでした。
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またおいで。