1. 社会福祉士Tadaのお気楽ラジオ
  2. #287 当事者が支援者として活..
2024-10-29 13:40

#287 当事者が支援者として活動する時に気をつけること

自分や家族が助けてもらったから…
自分や家族が今もそうだから…

そんな理由で
当事者であった人や当時者が支援者になること
割とよくある気がする。

かくいう僕も
ダウン症のある子の父でありある種の当事者

彼がいたから社会福祉士に公認心理師になったことは
間違いなく事実。

しかし当事者で支援者という存在は
支援者としての振る舞いに気をつけなければいけないことがあると思ってる。

キレイに言語化されたものがあったので
そこから今日のお話をしてます。

(参考 川﨑聡大教授 X)
https://x.com/vn7rfilshyd3gcu/status/1850337062375088336?s=46&t=AJauMH-RMYHGNWLJbU-S8g

#社会福祉士 #ダウン症 #子育て #子育てパパ
#当事者 #支援者
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/60c2c439b82bc5e1f3d897b5
00:06
普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。この放送は現役の社会福祉士で、障がい自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さんおはようございます。社会福祉士のTadaです。10月29日火曜日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
今月は日曜日が仕事な分、平日はなるべく早く帰ってやろうと思って、今のところ10月はおおむね早く帰れているような感じですかね。
早く帰る時は時々お話ししてるんですけど、妻と息子が最寄りの駅の一つ先の駅、僕からすると最寄りの駅の一個手前の駅、そこが車を止めやすいところなので、そこまで迎えに来てくれるんですよね。
それがすごく僕的には嬉しいです。ならば息子のスタミナが早く尽きちゃうんで、すごく疲れてる時はそれはなしっていうことなんですけども、
昨日も無事、学校と放課後等デイサービスに行った息子は体力を残して僕を迎えに来てくれました。
もちろん妻の運転ですけどもね。息子は電車が好きだから、僕を迎えに行くっていうのもあるけども、電車が近くで見れるっていうのも嬉しい。
そんな感じで来てくれてるんじゃないかなっていうふうに思います。
近くにさらにコンビニがあるんですよ。
最近息子ね、お買い物の練習をしてるからコンビニに寄りたがるんですよね。
学校でね、お買い物ごっこみたいな感じでね。
仮の紙のお財布と紙のコイン、通行貨みたいなものを使って、実際に物を買うみたいなね、お店屋さんごっこみたいな感じの授業をしてるみたいなんですけどね。
そんな感じで、少しね、そういう生活の中でできること、自分でもやれるんじゃないかって思うことが増えていってるんですよね。
ですからコンビニに何も買うものないんですよ。
彼はだってお菓子食べないし、ジュース飲まないし、
特にコンビニに彼が欲しいものというのは基本存在してないんですけど、
お買い物という行為をしたいようでね、コンビニに入っていきます。
なんで週に1回くらいね、僕と妻のアイスとお菓子でも買おうかみたいな感じでね、コンビニに寄り道して帰るようにしてるんですけどね。
今回も行ってきたんですよ。
コンビニに入って、僕と妻のアイスでも選んでもらおうかなっていう風に思って悩んでたら、
息子がね、コンビニの中をね、アイスコーナーから遠く離れて行きまして、
さすがに1人でね、爆走させるのも良くないな、お店だしね、っていうところで僕と妻も追っかけて行って、
とりあえずね、おにぎりのコーナーがあったんで、
03:00
息子、おにぎりだけは食べるから、塩おにぎりでもこうやってやるかみたいな感じでね、
塩おにぎり食べるかい?みたいな感じで言うと、
ほい!ほい!みたいな感じで言うから、彼の背の届くところじゃなかったんで、
僕が塩おにぎりを取って、息子の手に持たせたんですよ。
息子はね、すでに手にかごを持ってて、そのかごに、ぽいってね、塩おにぎりを入れましたと。
まあ、OKでしょ。ご機嫌そうな息子ですよ。
ね、あとはじゃあ、僕と妻のアイスでも買ってレジに行こうかなっていう風に思ったら、息子、
レジに走って行ってるー!
自分の塩おにぎりだけレジに持って行って、お姉さんに入って行ってるー!
ということでね、もうレジまで行ってるので、僕と妻のアイスクリームは買えず、
会えなく、コンビニでのお買い物、塩おにぎり一つだけ。
塩おにぎり一つだけコンビニで買ったことあります?
もうね、そのでも塩おにぎり一つを買う息子のキラキラとした堂々とした顔よ。
怒る気も失せるわ。
そんな感じでね、その日は塩おにぎり一つだけ買って帰りましたというお話でした。
まあ、成長ということで良しとしましょう。
ただ、次はアイス買おうっていう風に思ってます。
それでは本題です。
今日はね、当事者が支援者になる時に気をつけること、みたいなね、タイトルでお話をさせていただこうかと思います。
皆さんの周りにはいますか?
例えば、子供の頃自分が入院していて、とても良くしてもらったから看護師さんになりたくて看護師になりました。
自分がものすごく大病患っていて、丁寧に関わってくれた先生がいて、病気が治り、今は元気になりました。
だから自分も医者を目指しました。そして医者になりましたっていうお医者さん。
子供の頃にとても良くしてくれた、自分の人生を変えてくれるぐらい楽しい経験を与えてくれた保育士の先生。
また自分の進路への大きな希望を見出してくれた学校の先生。
そんな憧れた存在に自分たちが大人になってなりたいと思い、そしてなっていく。
そういうことってね、割と少なくはないのかなっていう風に思ったりもするんですよ。
もちろんめちゃくちゃ多いとは思わないけども、いわゆる世の専門職系の人たちっていうのは、そこを目指す過程に何かしらその専門職の人と関わることがあったのかなというふうに思ったりもするんですよね。
もちろん全然そうじゃないっていう人もいるでしょうけどね。
僕自身もそうですね、社会福祉士、ソーシャルワーカーとして今自分のアイデンティティを一つ持っていますけども、
生活や人生に何かしらの悩みや弱みを抱えた、いわゆるマイノリティな人たち、悩みを抱える人たちへの支援というのが主体になってくるものになります。
06:02
僕自身もダウン症というね、障害を持った子供の親であります。
なので全部が全部じゃないですけども、障害児を育てる親っていう点ではマイノリティになるのかもしれませんし、
そういった意味では当事者性があるというふうに考えています。
そしてそんな中でソーシャルワーカーとして仕事をしていくうちに出会っていく人たちの中に自分の当事者性と被る悩みを抱えている人たちがいます。
そのままで障害の子供を育てる親御さんであったり、
直接のかぶりではないですけども、お腹の中にいる子供が障害を持っているとか、障害の持った子供が生まれる可能性の高い人であったりとか、
あとは自分自身で子供を育てる能力といってはいけませんけども、
そういった少し社会的なスキル、知恵、知識が足りないような人たち、
あとは育てられるような環境にいない人たち、そういった人たちと関わることも少なくはなかったです。
でもこういった自分自身と被る可能性がある、被っている相談者やクライエントと関わるときに僕がすごく気をつけていることがあります。
それは支援をするときに自分自身の当事者性を一旦切り離して客観視することです。
つまり切り離しているので、当事者性を支援の中で全面に持ち込まないということを考えています。気をつけているんですよね。
これなんでかというとね、ちょっと2つあって、1つ目はね、まず僕は当事者性を持ってその力を持って支援をするときに、
その相手に対して効果的な支援ができたとする。
ただ僕がずっとその方に関わっていけるのかというと、それに関してはやっぱり僕もサラリーマンですから、ずっと関われるわけがないわけですよ。
その関わっている間にその人たちが一定の目処が立つ。
自立であったりとか先に進む一歩進み出すような目処が立つ。
そしてお別れということでこちら側の支援を必要としなくなるようなステージまで行けるならいいけども、そうとも限らない。
やっぱりそういう僕のやっているような福祉的な支援というのは、1年とか何ヶ月とか1年とかで収まらない。
簡単に解決しないことというのもすごくあるんですよね。
やっぱり人によっては子どもを育てていく過程で子どもも大きくなり自分も動ける時間が増えて働けるようになっていく。
それは困窮者支援の現場からの意見ですけどね。
なのでやっぱり3年とか5年とか6年とかもっと言うと10年とかね。
そういったスパンでやっぱりご本人たちが先に進むための支援をしていかなくちゃいけない。
せいぜい僕がその中で関わるのって2,3年だったりするわけですよ。
だからこそ自分だけが支援者ではない。
09:01
自分じゃない人が関わったとしても同じクオリティで支援が届けれるよっていうことが僕は大事だと思っているから、
僕は当事者性をそこではあまり出さないようにしているんですよね。
僕だけが持っているスペシャルスキルみたいのがあるのであれば、
それを使うっていうのは支援の平準化ができない。
安定したサポート、サービスの提供ができないということですよね。
なので僕はそういったことより自分のスペシャリティを磨きつつ、
それはうちに抑え、いわゆる支援者たちのスキルであったりの底上げっていうのを図るようなことを考えるようにしています。
当事者性がなくても知識を蓄え、支援の方法、学び、提供していくことによって平準的なサービスがお届けできると思うし、
支援者の力の底上げっていうのが絶対的に大事だなというふうに思っています。
とはいえ2つ目なんですけども、当事者は当事者としてやっぱり当事者でない方々とは違う視点や経験を持っているの。
それ自身は悪いことと僕も思ってなくて、僕じゃなくて僕以外にも当事者の方で、
とても尊敬する支援者の方とかたくさんいるんですよ。
でもそういった人たちってやっぱり自分の当事者性を客観視できてるなというふうに思うんですよね。
客観視っていうのはどういったことかっていうと、
例えば自分自身の経験こそが全てだっていうふうに思ってなかったりする。
自分もあくまでもNイコール1の存在であり、その支援している対象も別のNイコール1の存在である。
そして自分と同じ支援者であったりする人たちもNイコール1の存在であるということで、
一人一人その相手だけじゃなくて自分自身や自分の仲間たちも個別化して見ていっているっていうところ。
その中で自分の持っている力の棚を下ろしをした時に当事者性もあるよ。
そしてそれを生かすためにはどういったらどういうふうにしていったらいいのか。
それは相手に対し支援者、非支援者に対してもですし支援者仲間に対してもそう。
そういったところで自分の当事者性を発揮できるっていうところがすごく大事なんじゃないかなというふうに思ったりもします。
とかかっこいいこと言ってますけど、これね気づくのめちゃくちゃ遅かったんですよね。
ちょっと具体的な事例を出すのははばかられますので出さないけども、
いつか上手に事前に準備してミックスした事例であったり架空事例を織り混ぜながらお話できたらそれでいいかなというふうに思うんですけど、
今ちょっとそんな整理をしていないのでそこには割愛させていただきますけども、
自分自身も当事者性を支援の中で全面に出していってしまったことがあって、
結果としてうまくいったんですけど、後々すごく反省したことがあったんですよね。
12:04
なので僕もそういった経験があって今こういう状態、考え方を持っています。
もし今何か当事者の方が支援者となっていたりとか専門性を持つ仕事に就いていたりする時に、
特にこういう福祉的な支援を行う人たちに関しては当事者性を全面に出して支援するっていうのは個人的にはお勧めしないですね。
それはあくまでも自分自身の価値観の押し付けになってしまう可能性があるからね。
そんな感じでちょっと限定的な人へ向けてのお話になったかもしれませんけども、
そんな感じで僕は仕事の現場にいますということでね。
って言っても今は現場最前線は少し離れてますけど、
もしこの放送を聞いてくれている当事者であり支援者の方が少しヒントになったらいいなというふうに思ったりしました。
そんな感じで今日の放送はこの辺で終わりたいと思います。最後まで聞いてくださりありがとうございました。
それでは最後にお知らせです。この放送以外にも各種SNSで発信活動を行っています。
Instagram、スレッズ、TikTokでは親バカ投稿、
NOTEでは子育てや日々の学びの中で感じたこと、
Xでは言葉遊びや世間への行動を中心に発信しています。
プロフィール欄にリンクを貼っていますのでよかったら覗いてみて、
いいね、コメント、フォローなど応援よろしくお願いします。
それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士のタダでした。
またおいで。
13:40

コメント

スクロール