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普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。 この放送は現役の社会福祉士で、障がい自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さんおはようございます、社会福祉士のTadaです。 7月3日、木曜日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いしまーす。
昨日はさ、めっちゃ短めのパンツ履いてる男の人のね、パンツっていうかズボンですか、パンツね、履いてる男の人の話をしたんですけど、あまりね、共感は得られなかったようだ。
インスタのストーリーズでもね、アンケートを取ってみたんです。 超短い短パンの男性見かける、みたいな感じのね、アンケートを取ったけど、ほぼいなかった。
そんな感じなので、僕の目に映るものがめちゃくちゃ短パンな男性だったっていうことかな、というふうに思ったりもしますけども。
話はそこから伸びて、いや伸びたのは話ではない。 短パンがそこから伸びて、ハーフパンツの話をしたいと思います。
ハーフパンツね、昨日からうちの息子ね、ハーフパンツになったみたいですね。 妻がね、事前に夏がやってくる前にね、買い揃えておいてくれたんですけども、
なかなかさ、ほら、今頃学校とかって空調も効いてるし、校内にいるときはね、割と涼しいっていうかね、冬は暖かく、夏は涼しく、みたいな感じみたいなんですよね。
だからね、悩んでたわけよ。長ズボンからハーフパンツに切り替えるタイミングだったんですけども、いよいよ暑いからね、ということで、妻がね、ハーフパンツを導入してくれましたけども、
いやー、ごめんね。
かわいい。
いいね。長ズボンを履いてスタイリッシュな息子もいいですけど、
ハーフパンツを履いてね、ちょっとやんちゃな感じが出てるね、9歳男子ですよね。
まあ、それもかわいいなっていうふうに思ったわけですけどね、今日は写真から見始めて、夜はね、ちゃんとリアルハーフパンツっぽいに合うことができたのでね、よかったなというふうに思いますけども、
まだね、ちょっと戦力不足で、実はね、靴下が冬仕様というかね、冬仕様でもないんですけど、
要はね、靴下がね、まだ長めの靴下とかしかなかったわけ。だからね、一応妻がそれを履かしてくれてたんですけど、
いやでも想像してくださいよ、ハーフパンツに長めの靴下ってさ、もうある程度の大人がやると、だいぶ痛いファッションじゃないですか。
ね、もうおじさんの極みみたいなさ、組み合わせの仕方ですけど、
ね、なんか知らんけど、小さい子がやってるとね、それすらも可愛い。あえての外しみたいなさ、感じにさえ思えてしまうけど、
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そこはね、妻が今回ね、またくるぶしソックスをいくつか、昨日調達してくれたみたいなので、今日からはね、いい感じのバランスのファッションになるのかなというふうに思ったりしますけども、
そうじゃなくても可愛いぜっていうね、ただの親バカトークでした。
そんな中でね、今日の本題に入っていくんですけども、今日はね、こんな大人になってほしい、なんてもできちゃう世の中だけど、っていうタイトルでね、お話をしていきたいと思います。
いやもうさ、インターネットとかSNSがめちゃくちゃ普及して、情報発信っていうものの手段は、もうほんといまだかつてない頃、個人に開かれたじゃないですか。
今まではメディアですよね、テレビとかラジオとかさ、そういうメディア各局が情報発信のね、ほぼほぼになってたわけですけど、
今はもう本当に個人が発信する、そしてそれを信用して、購買をしたりとか、そこに行ってみたりとかね、そういった活動、経済活動につながっているわけですけども、
この動画を投稿したりとか、ライブ配信したりとか、これらってさ、ほんとアイデア一つで、誰もが大きな影響力を手にできるような感じしません?
実際そうですし、そんな時代になりましたよね。そういう意味で考えると、やろうと思えば何だってできる、自分がやる気さえあれば、その発信っていうことができるわけですからね。
このね、そういったチャンスがあるっていうことは、とてもワクワクすることじゃないですか。
だけど、その一方を発信しない人たちっていうのは、この一方の方をね、すでに想像している方が多いかと思うんですけども、その一方ですよ、ワクワクする一方を、その発信力っていうのは諸刃の剣でもありますよね。
受け取る側にも、発信する側にも、正直大きな責任とかリスクが伴う、この話、ニュースとかでもよくあってるじゃないですか、悲しいニュース、残酷なニュースがありますよ、SNS系のトラブルとかさ、
だけどね、ちょっとリアルに、すごく悲惨な精算な出来事とかではないんで聞きやすいと思うんですけど、僕の身近な最近の出来事でね、この諸刃の剣だなっていうのを改めて感じたお話を聞いてくださいよ。
それはね、この前の出来事ですけど、仕事帰りにね、ちょっと狭めの歩道、そんな都会に住んでないので、狭めの歩道多めなんですけどね、歩道があるだけありがてぇってレベルかもしれないですけども、
その歩道を歩いてると、その歩道の通り道に、小学生、中学生じゃないと思うだけどって思うんだけどね、それぐらいの小学生くらいの子供たち、数人がスマホでね、スマホを壁に置いて、その数人でね、たぶんショート動画を撮影してたと思うんですよね。
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でもそこってさ、狭めの道なんですよ。でも割と人の往来はあるみたいなところで、さぁ、もう全然ね、気にせず、もうその人の往来を気にせずね、もうマイペースだったの、その子たち。
もちろんね、撮影自体を否定するつもりはないんです。でもさ、道幅が狭い以上、通行人への配慮というかね、そういったものも絶対必要じゃないですか、あとさ、その通行しづらさだけじゃなくて、動画とかそういったものに移りたくないっていう人だっているかもしれないし、
あと狭いからぶつかったりしたら怪我をするかもしれないじゃないですか。そんなことを思いながら、なんだかなーっていうふうにね、思いつつ、特に何も発作ね、その場を後ろから通り抜けようとしたわけですよ。
そしたらさ、もう一つびっくり。もうその子供たちの影に隠れて見えてなかったんですけど、少し段差もあったからね。ただ、その子供たちの奥にね、親らしき人がいるわけよ。お父さんらしき人とお母さんらしき人。
なんならお母さん側は、その撮影のフレームの中に自ら飛び込むように入り込んでウェーイみたいな感じにしてましたからね。で、まあその父親はね、もうそれを見ながらニヤニヤ見守るだけ。ちょっと若気なね、まあご夫婦に見えたんですけど、まあそのお父さんの風貌もね、またちょっとチャラい感じにもして、
なんかね、ほんとなんだかなってさらに思いながら、もう見てるこっちがね、ちょっとイライラしてしまったんですよね。うん。まあでも、帰りながらこの光景から考えたことっていうのはね、はじめにも話したように、発信力がある。まあその人たちがあるかどうか知らないですけど、発信力を持つということはね、同時にリスクにさらされるっていうこと?だと思うんですよね。
こう、無自覚にさ、人の迷惑になること?まあ別にSNSだけじゃなくてもしてるかもしれないけど、特にさ、SNSって全然知らない人たちじゃないですか?その先にいる人たちってほとんどさ。なので、無自覚に人の迷惑になると、やっぱ後々痛い目ね、見るかもしれないなっていうふうに思ったんです。うん。
やっぱネットでも現実でも、マナーやモラルというものを書くと、その先に思わぬトラブルや批判がね、待ってるかもしれないんですよね。まあでも今回撮影してたのは子供たちだから、まあ子供たちってまだまだ未熟ですよ。うん。だからね、その未熟な子供たちにとって、この周りを見るとかさ、配慮するっていうのは正直難しいかなと思うの。
だからこそ大人のサポーターが必要だよねって思ってたのに、大人が同じような雰囲気を出してるっていうことで、おいおい!っていう感じだったんですけど。
いやほんとさ、一人の子供、少子化進んでますし、親だけじゃなくて、余裕があるんだったら、教師であったり地域の人たちとか、こういう大人たちみんなで声を掛け合って、子供たちに正しい振る舞いを伝えていけたらいいんじゃないかなっていうふうに思ったりしますよね。
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でね、そんな僕なんですけども、この話をする前に、大人が子供に正しい姿勢をとか、マナーをもらおうとかね、そういう大人になっていってほしいなみたいな話をする前々前から、僕は息子に対してこんな大人になってほしいっていうものが実はあります。
3つあってね、今日はその話をして終わろうかと思うんですけども、僕が息子に対してこんな大人になってほしいっていうものを1つ目、まずは周りが見える人であってほしい。スマホの画面とかに没頭するのではなくて、人の気持ちや状況、ほんと些細な感情の機微などにも気づけるような優しさなのかわからないですけども、気づける力、そういうものを身につけていてほしいな。
そして願わけば、その見つけたものに対して差し伸べる、手を差し伸べたりサポートするっていうことをしていくような子になってほしいなというふうに思います。
実際でもこれはね、今現時点でもできてるなって思うことがありますね。例えばね、僕が調子悪かった時とかでちょっと頭痛い、普段はじゃれあったり暴れるのが好きな息子ですけども、本当に調子悪くてちょっと横に慣らしてって言ったら、ちゃんと寝室まで何なら息子手を引いて誘導してくれたりとか、寝室の扉を閉めてくれたりとか、そういったことをする。
そういう使命感もあったりするんでしょうけど、やっぱりね、周り、相手が一体どういうふうな状況なのか、自分はどう動いたらいいのかとかいうのを考えられる人であってほしいなというふうに思います。
二つ目、助けを呼べる人であってほしい。これはね、本当その通りなんです。人はね、一人では生きていけんのですよ。一人で生きていってるって嫌ってるやつ。自給自足ですか。もうそれならね、文句は言わん。でももしどうですか。
病気になった時、病院にかからないですか。かかるでしょうよ。助けを呼べる人っていうのはやっぱりすごく大事だと思うんです。
なんかこう、日本人の美徳的なものもあるのかね、なんかヘルプって言わずに我慢してしまうっていう人もいまだにね、多いかなというふうに思うんですけど、我慢が故にパンクするくらいなら、さっさと助けを呼んでしまうっていうのが僕のね、スタンスですし、おすすめです。
自分が困った時に助けてって言えることは、強さでもあるんです。そして素直さですよね。だからそういう強さと素直さを持ってほしいなというふうに思います。
そして最後3つ目。ありがとうとごめんねが言える人であってほしいということ。
これはね、先日、保育士のね、保育士してる僕の友達がね、話してた話で本当にそうだよなっていうふうに思ったんですけども、やっぱりありがとうとごめんねが言えれば、社会の中では少々やっていけるよねっていう話をしました。
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このありがとうとごめんね、小さな感謝と謝罪の言葉っていうのは、人間関係を円滑にして、信頼関係を築く大切なコミュニケーションだと思うんですよね。
そういった意味でも、やっぱりありがとうとごめんねが言える。これだけでね、全然大人の世界でも通用するんじゃないかなというふうに僕は思ってます。
まあまとめですけど、僕自身もいろんな発信媒体を使ってね、発信させていただいてるんです。チャレンジしてます。
そういった立ち位置からも、何でもできるということは全然悪いこととね、決めつけるつもりもないし、正直悪いことではないと思います。
僕もSNSなどを使って発信することによって、新たな繋がりや絆、関係性が生まれていったことっていうのもたくさんありますし、現在進行形でそれが生まれ続けています。
もちろんね、嫌なこともあるかもしれないけども、いいことももちろんある。だからね、正解とか不正解とかではない。
でも、やり方を間違うと、思いもよらない痛い目に遭うことはあるかもしれないねっていうのは念頭に置いとこうかなと思いました。
そしてね、こんな大人になってほしいというところなんですけども、やっぱり大人になってできる選択肢が冒頭みたいにね、増えてきた。
もっともっとこれからも増えるんじゃないかなっていうふうに思います。
でも、どんなに選択肢が増えたとしても、根っこはいたってシンプルで、普遍的なものというのが大切なんじゃないかなというふうに思うわけです。
子育て中の皆さんはどうですか?子供にどんな大人になってほしいかっていうのあります?
そして、子育てをしていない、子育てが終わったリスナーの皆さんは、どんな大人に自分はなっていたいですか?
大人だろうけど、どんな大人になっていたいのか?そして、そんな大人になれているのか、なれていないのか?
なれていなければどうすればなれるのか?
そんなことが面白ければね、コメント、DMなどで教えてもらえると嬉しいです。
ということでね、今日もエンディングのお時間です。
社会福祉士タダのお気楽ラジオでは、今お聞きのあなたからメッセージをお待ちしています。
私、社会福祉士のタダに聞きたいこと、質問、相談、なんでもOKです。
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それでは、今日も素敵な一日に。
お相手は、社会福祉士のタダでした。
またおいで。