1. 社会福祉士Tadaのお気楽ラジオ
  2. #390 3.11〜僕らは忘れてしま..
2025-03-11 13:56

#390 3.11〜僕らは忘れてしまう生き物だから〜

3.11

忘れてはいけない
なぜ忘れてはいけない?

でも忘れてしまう
なぜ忘れてしまう?

そんなお話を
人の心の仕組みを交えつつお届けします

------------------ー

この放送は、RKB毎日放送と「日本一のポッドキャスター」コテンラジオの樋口聖典によるプロジェクト「Podcast lab.Fukuoka」に参加し「音声コンテンツをもっと身近な存在に」をコンセプトに、ポッドキャスト番組の企画・制作・配信に関する支援を受けています

https://rkb.jp/podlab_fukuoka/#about

------------------ー

#社会福祉士 #ダウン症 #子育て #子育てパパ
#PodcastLabFukuoka #Podcast #Spotify
#東日本大震災 #地震 #3.11 #こころ #公認心理師
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/60c2c439b82bc5e1f3d897b5
00:06
普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。この放送は現役の社会福祉士で、障がい自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
みなさんおはようございます。社会福祉士のTadaです。3月11日火曜日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いしまーす。
いやー、昨日からね、また新しい1週間始まりましたけど、みなさんどうでした?僕はね、むちゃくちゃ忙しかった。
なんでかって言うと、金曜日、先週の金曜日は人間ドックでね、1日ね、仕事休んでたんですよね。今の僕の仕事って、なんかね、1日休むとね、次の日ね、デスクが付箋とかメモだらけになるような感じの仕事をしてます。
1日休むと、だいたいそういう風になるわけよ。その金曜日があって、さらにね、地方自治体で見よりのない、引き取り手のないご遺体のね、仮装や埋葬みたいな仕事もしてるんですけども、週末もね、一応やるわけですよ。
一応ね、365日、うちの街では対応してるんですけども、週末に見よりのないご遺体のね、対応が一件あって、だからもう週末の時点で、いやもう月曜日からプラス1ミッションあるなっていう風にね、覚悟してたんだけど、仕事に昨日行ってみるとですよ。
プルルルって電話かかってきて、はいっていう風に対応したら、なんともう一体ね、見よりのないご遺体の引き取り要請がありました。
割とね、これだけでもうほんとね、1日のね、勤務時間の大半をね、消費することが確定するわけですよ。
一体大体、うーんどうかな、事務処理、戸籍調査とかもね、最低限やったりするので、2,3時間ね、引き取りもするし、まあ、郵金品の確認もするしとかするとね、1件あたり2,3時間はね、絶対食うわけなんですよ。
2件になると、まあ、4,5,6時間みたいな感じになるわけじゃないですか。そう、なんでね、ほんとに1日の勤務時間のね、大半を消費するんですよね。
そう、だから、その代わりにできなかった仕事っていうのが絶対に出てくるわけですよ。ね、しわ寄せが来るわけ。
で、そのしわ寄せが来たできなかった仕事は、残業して片付けるか、翌日以降に回すかの二択になるわけよ。
ね、で、月曜日ですよ。まだまだ週明けだし、しかもね、実は週末不調だったんですよ。
バリウムのせいかな、わかんないけど、人間ドッグ終わってその日の夕方からね、なんかすっごい調子悪くって。
03:03
うーん、まあ、そんなこともあってね、週末調子悪かったから、もうね、たまった仕事は翌日に回そうって即決しました。
ね、どうしてもやらなければならないことだけ片付けて、もうね、そそくさとね、職場を後にした昨日でした。
本当にね、押し寄せる波のようにやってくる仕事ですよ。今週もね、飲まれないように必死に生きていきたいなというふうに思います。
それではね、今日の本題に入りたいと思います。
今日はね、3月11日ですからね、今日は3.11、僕らは忘れてしまう生き物だからというタイトルでね、お話をしていきたいと思います。
何の日か、3.11ですよ。東日本大震災、2011年3月11日、もうあれからね、14年が経ちますね。
今日はね、この14年前に起こった大きな災害、これに思いを馳せつつ、少しね、心の話を交えて、僕らのね、これから生きていく上で大切なことをね、少しお話ししていきたいなというふうに思います。
よかったら聞いてください。
そう、14年前の僕はね、何をしていたか。仕事してました、普通に。仕事中だったら特にね、ニュースとかテレビとかも見ることもできないので、そのまま一日が過ぎ去っていって、当然ね、小耳には挟みましたよ。
東北の方でね、大きな地震があったって。でも、遠かったしね、実際にそんなにどれぐらい大きいのかっていうのまでね、イメージわからなかったわけ。
で、その日の夜、飲み会ね、職場の同僚と3人でね、こじんまりと飲んでたんですけども、その居酒屋でね、飲んでた時に、居酒屋のテレビに映った景色。
そこでね、すごくね、とんでもないことになったっていうふうに思ったんですよね。
そう、とはいえ、そのテレビに映った景色は、あまりにも想像の範疇を超えていることもあるせいなのか、どこか遠くの物語のようで。
これ、前にも抱いたことがある感覚だなっていうふうにね、思い返したら、9.11ですね。
あの時にもね、抱いたような感覚でした。
めちゃくちゃに共感性の高い人以外は、おそらく僕と同じ、こんなふうな感覚になるんじゃないかな。
知っている誰か、いや、ただ知っているだけじゃ、きっと弱くて、知っている中でもよっぽど大切な人とかじゃない限り、
そういうね、画面越しに大変な光景を見て、胸を裂くような不安や焦燥感に駆られるっていうのは、難しいんじゃないかなっていうふうに思います。
これは、心理的距離っていうのがね、関係しているっていうふうに言われますね。
06:03
僕ら人間は、物理的、時間的、社会的に遠い出来事ほど、抽象的に捉えて、感情的な影響を受けにくくなるっていうふうな特徴を持っています。
心の話ですけどね、これはね、きっとこれでね、僕らの本能の一つだと思うんですよね。
だってさ、先に話しためちゃくちゃに共感性の高い人は、きっとすっごく苦しいと思わない?
ね、いわゆるこれって心理的距離がバグっているっていうふうに考えることもできるかなっていうふうに思うんですけど、
そういう人はきっとね、生きづらいんじゃないかなっていうふうに思います。
つまり、心理的距離がある場合は、感情的にならない、これは非常に大切な人間の機能のね、一つなんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
しかしですよ、それはあくまでも自分のことじゃない場合。
自分の身に起こることに関しては、どう足掻いても人ごとにすることってできないじゃないですか。
ね、中でも人っていうのは、幸せなことや楽しいことよりも、不安や恐怖にフォーカスしやすい習性があります。
これはね、ネガティビティバイアスっていうふうに呼ばれているんですけど、
僕ら人間はポジティブな情報よりもネガティブな情報に強く反応して記憶しやすい、そういう傾向を持っていて、
これは進化の過程でね、危険を回避するために発達した本能の一つっていうふうに考えられています。
現代こそね、このネガティビティバイアス、ちょっとね、過剰じゃねえっていうふうに思うかもしれないけど、
いろんなことに守られ恵まれた時代ですから、そうじゃねえよっていう人もいるかもしれないけど、
かつてに比べると、大昔に比べるとね、よっぽど安全な社会になっています。
だってさ、本当に紀元前、太古の昔っていうのは、人間っていうのは本当に動物、動物の一種ですよ。
だから、世にはびこる動物たちと、たまの取り合いね、命の取り合いをしていたわけじゃないですか。
食うか食われるかみたいな。
だからさ、そういう状況の中でポジティブな情報に反応しているだけじゃ、あ、いや食われてしまうぞっていう話なわけですよ。
そう、だから、もしかしたら食べられるかもしれない。
ここに足を一歩踏み入れると、ここで夜寝ようとすると、
ここで寝ようとすると、ここで陣地を張ろうとすると、
自分たちより強い生き物に襲われ、食べられてしまうかもしれないみたいなさ、
こういう聞き察知能力みたいなことが大事になってくるわけですよ。
だから僕たちはどうしてもネガティブな情報に強く反応して記憶しやすいっていう傾向があるっていうことなんですよね。
この東日本大震災もそうですよ。危機的な状況。
09:00
こういう状況が起こるんではないだろうか、またあるんじゃないだろうかみたいなふうに思うことによって、
次の危機に対して素早く動けるようにとか、次の危機が起こった時にどういうふうに対策すればいいのかみたいなことができるんじゃないかなっていうふうに思いますし、
何よりも冷静でいられる可能性が高かったりしますよね。
普段ね、経験することのない状況などになると、良くも悪くもどんなことが起こっても人間っていうのは普通の状態じゃいられなくなります。
変に灰になっちゃったりするわけよ。だからそういう状況で判断能力が鈍っちゃうわけだから、
危機的な状況になればなるほどその判断能力が鈍ってしまうとミスが起こりやすくなる。
なので、想定することによって、危機的状況を想定することによって自分自身が冷静でいられるという側面はすごくあると思うし、良いことだと思うんですよね。
ただね、そんなネガティブな感情も薄れて消えていくっていうのも人間なんですよね。
忘れていくっていうのにも種類があったりするんですけど、
例えばね、この東日本大震災みたいに地震や津波みたいなね、こういう命の危機を体験した時の記憶っていうのは欲圧っていった機能が働いていることが多いと思います。
これ何かっていうと、人間は耐えがたい記憶、トラウマであったり悲しみ、こういったものを無意識のうちに抑え込むことで心の安定を保とうとする。
これはフロイトの言う貿易性の一つ、意図的ではなく無意識に働いちゃうんですよね。
それとは別で、実際に地震や津波を経験しなかった、今回のこの地震ではいわゆる僕のような人たちですよね。
これは時間依存性の忘却、このせいだと思いますね。
これは時が経つにつれて記憶の痕跡が薄れていく現象。
ドイツの心理学者のエビングハウスっていう人が研究した、エビングハウスの忘却曲線っていうのがあるんですけどね。
このエビングハウスの忘却曲線によると、人間の記憶は時間とともに自然に消えていくっていうことが示されているんです。
そんな感じでさ、人は結局忘却の生き物なんだなっていうふうに感じます。
我が家でもね、この人は忘却の生き物っていうのはよく使う言葉なんですけども、何かしらみんなどうですか?
日々のちょっとしたこととかって忘れたりしません?
僕も妻も割と忘れっぽい性格で、忘れたときは、人は忘却の生き物だからっていうことで、お互いにそこでスルーしようとしております。
でも本当にこんな感じで忘れてしまうっていうのは、人間の機能の一つなんですよね。
本能的に、短期的には不安や恐怖をブーストさせるような機能は備わっているんですけども、長期的に不安に晒されるほど、きっと人間は強くないからこういう構造なんだろうなっていうふうに考えたりします。
12:06
けれどね、やっぱり大切なことは大切。
だから時々思い出す仕組み作りをしておくことっていうのが大事なんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
だからこそ、今日3月11日、3.11の日には、皆さん3.11について可能な限り思いを馳せてほしいんです。
もちろんね、それぞれの立場や状況が違うだろうから、どう思いを馳せるかっていうのに正解なんていうのはないんですよ。
ただ、忘却しないようにね、忘れないように。
そして、忘却しているなら思い出せるように。
そうすることでね、次の危機に備えたり、またね、命の大切さを感じたりすることができるんじゃないかなっていうふうに思います。
皆さんがこの放送を聞いて、3.11に思いを馳せたならば、どういうふうに思いを馳せたのか、どういうことを感じたのか、もしよかったらね、コメント、DMお待ちしていますので教えてください。
それではね、今日はこの辺で放送終わりたいと思います。最後までお聞きくださりありがとうございました。
それでは最後にお知らせです。この放送以外にも各種SNSで発信活動を行っています。
プロフィール欄にリンクを貼っていますので、よかったら覗いてみて、いいね、コメント、フォローなど応援よろしくお願いします。
それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士の太田でした。
またおいで
13:56

コメント

スクロール