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#23 できるを脱いで、在るをまとう:早いと速いが溶けてきた
2026-01-12 15:41

#23 できるを脱いで、在るをまとう:早いと速いが溶けてきた

気づけば、はやいことが良いと信じていた。

できることばかりを数えて、ただ「在る」ことを忘れていたのかもしれない。

速度や評価の向こうで、時間をそっと生成していたい。 そんな気づきのほとりで、云々した記録。


#哲学対話 #早い #速い #弱さ考 #ABD #Active Book Dialogue

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いやー、かどちゃんさ、あれ、かどちゃん、おっと、危ない、前回と全く同じオープニングを擦ってしまうところでした。
今回の配信分も、かどちゃんはお休みですので、私が一人で、かどちゃんに話しかけているようにお話をしてみたいと思います。
かどちゃんと哲学対話してみたいな、と思っていたテーマの中の一つを今日は取り上げて、今度、かどちゃんが来てくれた時に、うんどんできるように問題提起だけしておきたいなと思います。
では、いきましょう。
いやー、かどちゃんさ、もういいか。
あの、速いと速いが溶けてきたな、というふうに思っています。
速いと速い、あの、音声だと分かりづらいですが、
1個目の速いは速度の速、スピードが速いの速いと、もう一つの速いは早起きの速い、早朝の早いですね。
このスピードの速いと機械が速いというんですかね、アーリーの速いが区別できなくなってきたな、というふうに感じる。
それを速いと速いが溶けてきたな、というような表現をしていまして、
これについてどういうことなのかな、というのをかどちゃんと話してみたいなと思っています。
これについては、おそらくもう何年も前から、何となくモヤモヤと感じてきてたんだと思うんですが、
あることをきっかけにそのモヤモヤが顕在化したな、という感覚があります。
ずっと、これ、速度の速の早いかな、早朝の早の早いかな、って文章を書くときにですね、迷うことが増えたな、というのは以前からあったように思います。
何かお仕事で対応を誰かがしてくれたときに、例えば返信が速いな、とか対応が速いな、とかいうときにどっちの漢字を使うんだろう、って思うことが、そういえば何年も前から増えてきたな、少なくとも発生はしていたな、というふうに覚えています。
で、それが顕在化したきっかけと申しましたのは、去年井上新平さんという方がお書きになった弱さ講、強い弱いの弱さに考える弱さ講という書籍を読んで、
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みんなでですね、とあるコミュニティでアクティブブックダイアログといって読書会を開催して、十数個あるチャプター、1章、2章、3章、章ですね、章ごとにそれぞれ分担をしてですね、まとめてみんなに共有をして、
それぞれの章についてディスカッションする、ダイアログするという取り組みをしたことがあったんですね。で、私はその中で第3章、なぜ時間を無駄にしちゃいけないと思ってしまうのか、という問いかけでですね、書かれた章を担当してみんなにシェアしたことがありました。
その時に、ああ、って思ったことがきっかけとしてありました。ので、かのちゃんとは、どうしてこういうことが起こっているのかなんですとか、今後より私たちがね、幸せを感じられる振る舞いがあるのだとしたら、それはどんなことなのかなとかね、価値に関することもお話ししてみたいと思うんですが、
今日はその今申した第3章のポイントを少し話の枕として紹介して、そこからこういうふうに考えてみてはどうだろうという提起までして締めたいと思っております。
ではまず、議論の前提として、なぜ時間を無駄にしちゃいけないと思ってしまうのかというチャプターについて、かえつまんでですね、どんな内容が書かれていたかをシェアしたいと思います。
ポイントは4つというふうに僕はまとめました。
1つ目は、時間を我々は何か役に立つことに使わなければいけないと考えてしまってしんどいんじゃないかという提起から始まるというものですね。
私たちの中には、時間を有意義に使わなければならないというような、脅迫管理にも近いような価値観があるのではないか。
不思議なくらい失敗を恐れてしまうというのがある。
一日だらだらして終わったら、今日無駄にしてしまったなみたいなね、そんなことがあろうかと思います。
言い換えれば、活動的ではない自分を蔑視しているというね。
何もしないということは、時間という貨幣をドブに捨てる行為とまで我々は思っているんじゃないだろうかという文章がありました。
ポイントの2つ目、もっとね、ゆっくり生きるはずだったのにというのも書かれていました。
様々なテクノロジーが進化したおかげで、私たちは自分たちの手間暇を省力化することができて、
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時間が余るんじゃないか、ゆっくりできるんじゃないかというふうに考えていたけど、
その時間の余白の部分にもっともっと活動を詰め込んだ、そのおかげでかえって時間が欠乏しているように思われる。
そして、この時は僕はきちんと自分の言葉で語ることが難しかったフレーズがあるんですが、
時間を分配された限りあるものと我々は捉えているんじゃないだろうか。
ここから先が僕が一番自分の言葉にするのに難儀したところですが、
時間とは生成していくものなのにという井上さんの、著者の方の意見が書かれていました。
そして3つ目、加速する社会で我々は無自覚にとある規範を内面化してきたのではないだろうかというものでしたね。
我々が生きている現代社会、近代社会は効率化とか生産性最大化という命題に向けてですね、
そのためにできる自分である、自分で自分を立する規範を内面化してきたんじゃないだろうか。
そういう一人一人によってこの社会は成り立っているんじゃないだろうか。
その我々の中にできる自分である、速い効率的な自分であるというのを内面化するのは周囲からの評価というものが大きく機能したんじゃないだろうか。
あらゆる場面、学校とか職場とか社会でこの評価というものが振る舞いをね、我々の振る舞いを規定している。
できる側の自分でありたい、そのために自分で自分を立する、そういう規範を内面化してきたんだろうな、無意識にね、内面化させられてきたのではないだろうかという定義が書かれていました。
4つ目、それを踏まえてそういう規範を内面化してきたが、それが全てではないというのに少し我々は気づいて、うっすら気づいている。
それに、規範を内面化してきたけど完全に100%そうなりきれていないという2点から、葛藤とか時間に関する深度さというのがあるのではなかろうかな。
だから僕らの弱さにもつながるというところがあるのではないだろうかという趣旨で第三章はまとめられていたと、僕はそういうふうに解釈をしています。
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この要約をもとにみんなで議論をしたんですが、その時に私自分自身の手元のメモでこういうふうに残していて、冒頭申したように速いと速いが溶けてきた。
ファーストな手段でアーリーな機械を手に入れてきたけど、僕たち自身も何かにつけてファーストで速度の速、スピードが速いというふうにあるべきという規範を内面化してきたんだろうなということを書いていたところですかね。
そこから速いと速いについて考えるようになったということがありました。
ということでここまででもう10分ぐらい経ってしまったんですね。
簡潔にこの後続けていきたいと思います。
カロちゃんと考えてみたいなと思っているのは、それぞれの言葉の定義をまず振り返るが一番。
2番はどうしてこういうことになってきたのかなというのが2番。
それから3番目、これから価値をどう考えていけばいいのかなというのがありますという感じです。
それぞれの言葉の意味はこれはもう確認するまでもなく早起きの早いというのは何らかの基準より前に起こること。
なので締め切りよりも前とか誰かが期待している時間よりも前とかいう機械としての速さですね。
そして速度の速はの方の早いは辞書を引いたらスピードが速いことって書いてあって何か説明していないようでということだったので私の言葉に直したので不正確かもしれないんですが
短い時間のうちにたくさんの動作や処理ができることというふうに言ってもいいのではないだろうかというふうに思いました。
大きく議論したいことの2番目ですね。どうしてこういうふうになってきたのかなというところなんですが
一つ目は早いから早くできる。処理のスピードが速いから例えばメールを返信するとか何かを対応するということも誰かの基準とか期待よりも早い段階でできあがる。
ということが多いので、なので早起きの早の方が多くを包括するようになったんだろうなというふうに思います。
例えば12時までにメールの返信が欲しいと思っていたとして、実際には1時間前の11時にメールの返信が来たとして
でもお相手がそのメールを返信しようと思えば何がしかのお相手のほうで膨大な量の対応とか確認をしてからじゃないとメールを出せないといった場合に
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メールの答えは早ってこちらが思ったとして処理の速度が速かったからスピードが速かったからメールを送るという機械が
機械というのはマシンの機械じゃなくてオポチュニティの機械が時間として早くできる。だから感じとしてはどっちの早いも当てはまるように思うんですよね。
結果として期待した時間よりもアーリー早かったから早い早朝の早のほうが使われるということが多いのかな。
文脈次第なのでどちらでもOKなのでつまりひらがなで書くことが多くなって溶けてきたように思うのかなというのも思います。
そしてもう一つは少し趣旨が違うポイントですけれども。
さっき冒頭申したように生産性とか最大化とか効率化とかいった中で早いことがいいことっていう規範内面の規範価値観が僕らの中にあるのかなというふうに客観しました。
早く結果が出ればいいし会議資料を早めに配るのがいいしレスポンスは早いのがいいしということでですね。
早いというのが処理の速度であっても機械の速さであっても一種類のいいこととして人からげにされているようなことが見受けられるので早い早いが溶けてきたのかなというふうに思います。
そこからこれから価値どう考えていけばいいのかなというのが議題として挙げたいなと思っているんですが。
まずは何でも逆に言って遅くてもいいじゃないかというふうに安直に言いたいなというわけではないんですよね。
さっきの弱さ講の中で時間は生成するもの。生成というキーワードがあったようにですね。
早いというのも早くないというのもあるいは機械も速度もうねりの中にただただ無意識に無自覚にいるのではなくてうねりの俯瞰も中間もマクロでもミクロでも見れるような視座の高さとか視点の自由さとか発想の柔軟さというのを持っていたいなというふうに思います。
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というふうに僕自身は思っています。ということでカロちゃんこの本番の配信を聞いていただき次回けんけんごうごうかんかんがくがくけんけんがくがくは違うんですよね。けんけんごうごうかんかんがくがく議論させてください。ありがとうございました。バイバイ。
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