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#22 「ごめん」がほどき、つなぐもの:「謝る」とはどんな機能を果たすのか(前編)
2026-01-08 18:15

#22 「ごめん」がほどき、つなぐもの:「謝る」とはどんな機能を果たすのか(前編)

(ときどき泣き声が入っていますが隣のお家の元気な赤ちゃんの声です!)

「謝る」にはどんな機能があるんだろう/きっかけ/謝った・謝られた・謝らなかった/他者との関係維持、他者との関係の調整・明確化、文化や習慣を維持しようとする自浄作用、、、、、かどちゃん、いかがでしょうか??


#哲学対話 #謝罪の機能 #悲喜こもごも #いやーかどちゃんさ

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いやー、かどちゃんさ、かどちゃん?か、か、かどちゃん?って、かどちゃんは今日お休みです。すいません、申しません。
かどちゃんとちょっと予定が合わず、今日は一人で収録しています。 かどちゃんが、今度来てくれた時にディスカッションできるように、
今日、かどちゃんと話したかったことの前提をお話ししてみるので、かどちゃんはこれ、本番を、配信を聞いていただき、また次回議論させてください。
かどちゃんに向けてお話ししますね。
いや、かどちゃんさ、今日はごめんについて考えたいと思ってたんです。
ごめんというのは謝罪、謝るということについてですね。
謝るということがどういう機能、役割を僕らの中で果たしているのかということについて云々したいと思っています。
少しだけ前置きをしますが、誰かの何かを批判するつもりはないですし、何かについてこうあるべきだという主張をするつもりもないです。
謝るとはどういうことかという機能についてお話しできればいいなというふうに思っています。
きっかけが2つあって、1つ目のきっかけが、この謝るという、謝るとはどんなことだろうとフラグを立ててくれたんですね。
2つ目がそれをやはり考えてみたいと強く動機づけてくれたんですね。
1個目は去年出た新刊を読んでた時に、ずっと読んでいって最後の後書きのところで、著者が読者に向けてこのように書いていました。
この本を読んでくれてありがとう。
これを読んでくれた皆さんの中でもしかしたら、これこれこういうふうに解釈をしてくれた人もあろうかと思う。
でも僕の意図はそうではないのだよね。ごめんなさいという謝罪が書かれていたんですよね。
著者から意図せぬところで私読者として謝罪を受けました。
その時は私の状況とか背景とか考え方も合わさって、著者の方と同じ意図と言いますか、同じような解釈、意見を僕はその本を読んで持ったわけなんです。
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だから、著者が言うような、著者の思う以外の解釈をしていたわけではないから謝罪していらんという謝罪してくれなくてもいいし、そもそもどんな受け取り方をするかとか、どんな意図を持って発信するかについては自由だと僕は思っているので、
謝らなくてもいいのになとか、逆に作者と著者と違う解釈をしたからといって、これ変な言い方になりますけど、謝罪を求める人もいないのではないかな。
たぶんここはうんぬんするべきところではないように思うんですが、これがあって謝られるということについて、あらこれはどういうことかなというふうに思い始めたということがありました。
そして2点目ですね。これは我が子、長女8歳、次女4歳のやりとりをずっと横で見ていて、ああそういうことか、そういうこともあるのかというふうに思ったことがありました。
子どもたち、うちの姉妹仲良しなんですけど、ずっと遊んでいると時々ケンカするんですよね。時々ケンカをして、例えばおもちゃを取り合ったりして、これ私の、いやこれは私のよということでケンカになって、もうどうしようもなくなって、
ねっちもさっちもほやくちゃになった時にどちらかがごめんねって言うんですね。そうしたらもう片一方がいいよって言うんですよね。あるいはケンカしてごちゃごちゃになっている時に片方がもう謝ってよって言うんですよね。
そうしたらもう片方がごめんねって言うんですよね。そうしたら謝ってよって言った方がいいよって言うんですよね。ごめんね、いいよっていうやりとりがあって、そこで2人の状況がぐちゃぐちゃになっていたものが1回リセットされて、じゃあどうするっていう話になってたり、
さらにもう1回、いやこれそもそも私のものだからあんた我慢してよみたいな話になっていたり、1回リセットされているように見受けられる時も多々最近ではあるんです。それは事情が4歳で年少に上がって人とのコミュニケーションの仕方を徐々に徐々にですね、クラスメソッドたちと勉強しているということもあって進化してきているようにも見えるんですが、
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ごめんね、いいよのやりとりがあります。補足、ちょっと感じるのは謝るという行為に至れることが喧嘩してぐちゃぐちゃになっている時にごめんねって言えるとか、あるいはここはごめんねって言ってよっていう風にその場を、なんでしょうね、謝るという行為でリセットする提案ができるっていうのは
ちょっと私お姉さんでしょみたいな成長した感じを醸し出している、誇るに示すとかですね、誇示しているような感も横で見てて見受けられるというのがあります。
この2つでですね、考えてみたいと思いました。これまでの私自身の謝ったとか謝られた経験を思い出してみると、そうして僕は謝った経験の方がすごく多いなという風に思います。
すごくたくさんこれまでやってきた謝罪は、謝罪を特に求められてもいないし、それをする必要もないんだろうけど謝罪してきたというのがあります。
例えばその時の言い回しを挙げますと、何かを差し出す時につまらないものですいませんとか、急ごしらえなんですけどすいませんとか、あるいは連絡を取った時に遅くなってすいませんとか、
あるいは時々こちらからご挨拶に、あるいはお礼に伺うべきところをお声掛けいただきすみませんって謝ったりとか、忙しいとこごめんねって言ってみたりとか、というコミュニケーションを柔らかいものにするためなのかな、そういう言い回しをやりとりの冒頭で使ってきた、対応してきたというような記憶があります。
あるいはお仕事で僕は営業だったのでお得意様に迷惑をかけて、まずは言葉で謝って、かつご迷惑をかけた分については補填をするということをしてきました。
思い返すと、その時会社対会社、企業対企業で本当に機能したのは僕の謝罪の言葉ではなくて補填の方だったのかな。
担当者同士の関係を柔らかいものにしたのは僕の謝罪の言葉だったし、先方がいいですよ、いつもおっしゃらってるんで大丈夫ですよって言ってくれたようなやりとりであったけれども、企業対企業の機能的な補填は謝罪の言葉ではなくて補填の方だったのかなっていうふうにも思います。
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し、一度お得意様を怒らせたことがあって、一度では二度ではないんです、その中の一つで、とても怒らせたことがあって、謝っても謝っても収まらなくて補填しようが何しようが何にも聞き入れてくれなくて、
ではもう日知も察知もいかないので私がお宅に行って、その方の部長さんや局長さんに掛け合って、私がではあなたの代わりに謝りに行きますっていうふうに言ったら、じゃあもういいですってなったっていう経験があったんですよね。
これは思い返すと謝罪の言葉が機能しているというよりかは、何でしょう、これ以上荒立てることが戦法にとってもメリットではないというような思われ方をしたのかなと思います。
この時も謝罪の言葉というよりかは、状況を何かしら展開しなきゃいけないっていう必要性の方が事態を収めることに機能したのかなっていうようなことがあります。
一方で逆にですね、謝られた経験があるかなって思い返すと、オンでもオフでもあんまり記憶にないんですよね。
さっき言った通り、今は違うんですけど、謝ることをコミュニケーションの手段と対応してきた性もあるのかなというふうには思います。
謝ってほしいかどうかで言うと、特にそんなことも思ってないなと感じています。
カドちゃんから今回、ごめんカドちゃん勝手に事例として出しますが、カドちゃんから離出券お願いします、ごめんなさいってLINEをもらったんですよね。
そんなもん全然僕謝ってほしいと思ってないし、逆にもうそんな丁寧にごめんなさいなんて言ってくれてありがとうっていう感じなんですけど、
逆に早めに離助って言ってくれて助かったなっていう、ありがとうっていう思いがありました。
そして3番目ですね、謝ってないっていう経験もあるんですよね。
謝ってない経験を振り返ると、まず出てくるのは自分が謝るべきだった場面を見逃してるんだろうなっていうことがまず最初に思いつきます。
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そしてもう1個、人生で意図的に謝らなかった経験が1個あるんですが、その相手とはもう8年以上前ですけど、そこから残念ながら関係がなくなってしまってるんですよね。
謝らなかったっていう経験も人にはあるんだなというふうに思い起こしました。
最初に申したその謝るべき経験を見逃してないだろうかなっていう言葉をここで僕が差し挟んだのは、
なんか謝ることって大事なこと、言い換えれば自分は良識ある人間であるっていうことを表明したい気持ちの表れでもあるのかな、
謝らなきゃいけないのに気づかないようなのは、そんなのはダメだっていう気持ちが僕の中に自分に対してあって、こういう言葉を差し挟むようになったのかなというふうに思いました。
で、最後まとめですね。謝罪というのは、これあくまで私の一意見ですが、相手との関係性を、その場面、その場面ではネガティブなことが起こっているかもしれないんですけど、
相手との関係性を豊かなものにするために言葉を尽くすっていうことをするのかな。
ネガティブな状況とか、例えば何かこちらの失策に関しては、機能的には何かを補填したり、あるいは責任を、責任の所在を論じたりとか、改善策を話し合ったりとかっていうフィードバックがあって、
補填とかフィードバックっていうのがあるのかなというふうに全体的には思いました。
それを少しだけ具体的に挙げるとすると三つに整理できるのかなと今では思っていまして、一つは他者との関係の維持。
さっきのうちの姉妹の話ですけど、和訳茶になってしまったとしても相手とのぐちゃぐちゃな状況を一旦リセットとか整理して、
そのときそのときの場面とか関係をまた元に戻そう、あるいはより良いものにしようっていう気持ちが働いて謝るということで一歩進めているのかな。
二つ目は、これさっきの求められていないのにこちらから謝るみたいな話から考えたんですが、
他者との関係の調整とか明確化という機能があるのかなというふうに思いました。
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まずこちらから謝りの言葉を投げかけることで、つまりはつまらないものですがとか、
自分を否定することで、自分をまず否定し、いやいやそんなことないですよって相手に否定してもらうということで、
否定に否定を重ねることでお互いの関係をにんわなものにしようとするっていう機能があるのかなというのも思いました。
それに関連して何かこちらが下手にいるんですよっていうことが表明できれば、
例えば僕は営業のときにそんなことをよくやってたなと思うんですが、上下関係というか明確にしておくと関係を築きやすいのかな、やりやすさが出てくるのかなというふうに思いました。
もう一個は穿ちすぎ、飛躍しすぎかもしれませんが、文化を保とうとするような事情作用というかエコシステムみたいなものがあるのかなと思いました。
具体的に明文化されてて秩序とか社会のルールを守ろうとするものは法律があるんでしょうけど、その法律に書かれていないような行間にあるもの、村の中の常識とか良識とかいうものがあったとして、
それを犯したときに今の行い、私の行いよくなかったですよね、ごめんなさいということで自分は今常識とか良識から外れた行為をしましたよ、それに気づける人なんですよ、
そしてお互いに相場の良くなかったよね、本来はこうだよねみたいな確認し合う場面を作ることで、その目に見えないルール、常識、秩序、良識を維持していこうとするような機能が全体としてはあるのかなと思っていましたよ、角ちゃん。
長くなりましたね、ということで次回はいかがですかっていうのと、角ちゃんから見えている世界ではどうですかっていうのと、もし良い謝罪があるとしたら我々を幸せにしてくれるようなものがあるとしたらそれはどんなものだろうかっていう哲学対話ができればいいなと思っています。
ありがとうございました。
18:15

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