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2019-03-28 38:30

第二回:Tak.さんと『僕らの生存戦略』について

第二回:Tak.さんと『僕らの生存戦略』について
00:02
はい、うちあわせキャスト第2回ということで、
今回もたくさんのゲストに来ていただいてます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さっそく、前回少し出てきた、僕らの生存戦略、
僕が今書いてる本についての話をしようということで。
僕は何から話したらいいのかわからないので、
何か質問していただけるのが一番よろしいんですけども。
じゃあ、こちらから質問が多くなる回になるかもしれないですけど。
僕らの生存戦略。
一応前提として、倉下さんが今書かれている新しい本のタイトルですよね。
タイトルですね。
僕らの生存戦略っていうの。
これが面白いのが、この企画案というかアウトラインというかコンセプトというか、
それを倉下さんがスクラップボックスで公開されていると。
そうですね。発想工房というプロジェクトの中にタイトルと同名のページがあるんで、
そこにも構成案というか企画案のネタみたいなのがすべて公開されてますね。
フルオープン。誰でも見られると。
誰でも見られる、はい。
すごいですね。
これリンクどっか後で貼る感じですよね。
はい。この考えて生み出す技術というプロジェクトページにインタースキャストのネタ情報があるんで、そこにリンクを貼っておきます。
はい。という感じでですね、書きかけの本の企画とアウトラインが公開されていて、しかも日々更新されているという。
だからこれプロセスをある意味覗き見できるみたいな書き方になってますね。
そうですね。これができるのがシングルの面白いという特徴で。
出版社の本の書き方だとこれはたぶんできないので。
できないですよね。
そのベールの奥に隠す意味って実はあんまりなくて、
しかも一応僕としてはいろんな人にチェキシーさんの技術を知ってもらいたいというのがあるんで、
この内容を見せておくことで、こういう進め方があるんだってわかってもらえるというのがあるんで。
そうか。じゃあそのプロセスを見せること自体が本の目的の本というか、書くことの目的のひとつみたいな感じですか。
ありますね。そういうことが今後できつつあるのかなと。
ここの話に至る前に、アリスの物語っていうライトノベルがありまして。
ありましたね。
あの本がコンテストを入手して出版されました。
結構修正を入れてもらって、それを開講するというプロセスのPDFを公開してるんですよね。
藤井先生。
そうですね。あれは結構参考になったみたいな話もあったんで。
であればその公開する射程をさらに伸ばして、スタートの段階から見せていくっていうことで、
03:00
だから知的生産の技術のコンテンツとして人と楽しめるのではないかっていうのと、
あと単純に公開することによって、見た人がこれこれこうなんではないかとコメントを寄せていただければ、
コンテンツ作りの私にとってもプラスになるのではないかと。
まあいろんなことがあって、ここには。
その辺が新しい。
誰もやったことがないわけではないだろうけれども、あんまり普通やらないですよね。
まあそうでしょうね。
ただ考えてみたときに、例えば大学の先生とかよくあると思うんですけど、
自分が今書いてることとか研究してることって、他の人に話したりすると思うんですよ。
しますね。きっと。
同僚とかね、学生とか。
僕とかたくさんのような一人揃うもの書きって、それがないんですよね。
ないです。
そういうのって自由に進められる分、行き詰まったときにどうしようもないというような感じがあって。
今ここで打ち合わせキャストしてるのも、少しだけ窓を開けるっていう意味もあるんですけど、
その一環ですよね。だからこうやって公開することも。
ちょっと風が通りますよね、なんかね、人の話とか。
そうですね。
こうやって書くことによって、ある種ちょっとした締め切り効果というか、
なんか進めなければいけない気持ちにもなるんで。
ああ、そっか。
メリットとデメリットというか、メリットのほうが結構大きいんですよね。
だからネタバレしてしまう怖さとかパクられる怖さっていうのがデメリットではあるんですけど。
やっぱりそういう怖さってあります?
僕の中ではないですけど、想定する人はいるだろうなとは思うんですけど。
そこまで手の内を晒すことについての怖さってないですか。
ああ、全くないですね。それはないです。
同じ素材をたとえば僕とたくさんが揃えたとしても、出来上がる本は全く異なるんで。
そうでしょうね。
ある種、企画ワンページに並べてあることも何か奇抜な発想があるわけではなくて、
ひとつひとつはよくある事実というか、事実って誰が扱っても事実なんで。
迷んでいくと言われてみればそうかもしれないけれども、そうですね。
ただこれをいかに並べるか、いかに選択するか、いかに語るかっていうところがコンテンツの価値というか、
お金を払ってもらえる部分だと思うので。
こんなものはいくら怖がっても何も怖いことはないですね。
なるほどですね。僕は怖いんですよ。自分がやると想定すると。
どこに恐怖がありますかね。
それはね、わかんない。
わかんないですか。
ただ、シェアをする文化ってあるじゃないですか。
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多分主流はそっちだと思うんですけども。
シェアをすることの価値っていうのは重々わかってるつもりなんですけど、
どうもそれがうまくできないという、多分それは自分の欠点というか、
欠点っていうのはあれだけど、自分の弱いところじゃないかなって。
プロセスを公開すること自体がダメなわけじゃなくて、
プロセスを公開するのがすごく苦手で、
ある段階までいったものをシェアするのは全然いいんだけど、
どの段階までいってない、混沌とした段階で公開するのがうまくできないというか。
それは申し訳なさみたいなのがあるということじゃないですか。
いや、全然ないですね。
そういうことではなくて。
それについて当然誰かが意見とかコメントをくれるじゃないですか。
ものすごくそれがありがたいんだけれども、
一方で自分がすごい混乱しちゃうんですよね。
はい、わかります。それはわかります。
その混乱が怖いのかな、今考えてみると。
おそらくその可能性はあるでしょうね。
よく影響を受けるのが怖いと言い方があるじゃないですか。
ありますあります。
それだと思ってたんだけど、どうもそうじゃなくて、
影響を受けることはむしろ歓迎というか、そのために公開するわけだから。
むしろ歓迎なんだけれども、混乱しちゃうんだよね。
それがうまく言えないんですよね。
なるほど。
それが何なのかってずっと考えてるんですけど、
たぶんその混乱が怖いんです。
僕もこれでこのままきちんと出来上がるかどうかは初めての試みなんでわからないですけど、
その中でもいろいろ明らかになってくる点はあると思うんで、
結局やっぱりうまくいかなかったねっていうことも一応あり得るんですけど。
あるし、これは素晴らしいやり方だということになる可能性もあるし。
まああるですね。
そういうことですごく見ていると、それも含めて楽しみなところもあるし、
公開しながらやるやり方のひとつのテストケースみたいな感じでもあるし。
そうですね。
このやり方は、例えば完成した原稿をブログにアップしていくのとはまたちょっと違っていて、
完成した記事を上げていくってなると、後で変えられないじゃないですか、もはや。
そこに原稿が出来上がってるんで。
このプロセスは、いわゆるシェイクをそのまま進めていくことになると思うんで、
ここで上がってるものが完成形にピッタリ同じ形になってるってことはなくて、
どんどん変わっていくんで。
だから記事を書くよりは楽ですね、気分的には。
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あ、楽なんだ。
そうですね。
記事は一個一個書くのは楽なんですけど、
結局それを書いた後にまとめ直すのが大変なんで、結局は。
そうですよね。
でも今それを聞いてて思ったんですけど、僕と正反対。
逆ですか。
記事を変えちゃいけないという感覚は全くなくて、
ブログで公開した出来上がった記事をぐっちゃぐちゃにして、
全く原型がなくなるぐらい書いちゃうのは何の抵抗もないんですよね。
そうか。抵抗はないんですけど、すごくめんどくさい。
僕の中で作業の量が多いんですよ。
一つの記事を書くときにかなり流れをしっかり組むんで、
文章的な流れっていうか。
逸脱も一つのラインに入れてしまって、
読み物として面白いものに仕上げようとするんで、
パーツにバラす作業が結構めんどくさいんですね。
めんどくさいっちゃめんどくさいですよね。
だからもう始めから部品ごとにしておいたほうが、
作業自体の楽さはあるっていう感じですね。
そうか、なるほど。
たとえすごく一貫したものでなくても、
自分がこれで公開できるっていう形にならないと公開できないんですよね。
一方で公開したものをいくらでもぐちゃぐちゃにして変えちゃうことには全然抵抗がない。
普段アウトライナーを使ってるか使ってへんかの差はあるんでしょうけど、
僕は完成した記事を手入れてバラバラにするくらいだったら、
同じ素材を元に一から書き下ろすのを選んでしまうんで。
そういうことなんだ。面白いですね。
ほんとなんかこういうちょっとした違いを覚えて全然違うって。
そうですね。そこでかなりプロセスは変わってきますよね。
面白い。これはあれですね。今後中止します、僕らの生存戦略。
でもこれ今アウトラインの状態じゃないですか、今公開されてる。
アウトラインよりも1個手前ぐらいかな。
1個さらにラフな。
なんて言ったらいいんやろうな、これはでも。
だからKJ法で言うとカードが縦に並んでる感じですね、ここの流れは。
これがここからどうなるのかっていう話で、
これ見てると、仮にアウトライン以前のものかもしれないけど、
アウトラインとしたときにものすごく大きいなと思ったんですよ。
いわゆるアウトラインというよりも、
すべてのパーツを一度テーブルに広げてるみたいな感じじゃないですか。
そうですね。まさにそういう感じですね。
こんな大きなアウトライン、
こんな細かいアウトラインってまず作らない。
でしょうね、おそらく。はい、わかります。
ここまで作るんだ、パーツを細かく出すんだったら書いちゃうんでしょ、テーブル。
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あー、もう文章として。
文章として書いた後で書いたりする。
なるほどね。
ここまで細かくパーツを書き出したという経験がない。
僕もこれ初めてです、初めてです。
いつもこれやるわけじゃない。
はい、僕の生存戦略ページの真ん中ぐらいに過去の目次案っていうのがあって、
ありますね。
それを押してもらうとバージョン1っていうのがあって、
1章から6章まで章立てなんですけど、
よくあるパターンは僕が最初にこういう章立てを作るところがあったりですね。
いわゆるアウトライン。
アウトライン。
この6個の章立てを作る前にその素材のブレストというか、
どんなことについて書くかは当然列挙するんですけど、
あそこまで細かい列挙ではないですね。
今並べてるものの列挙ではないです。
じゃあこれはある意味初めての書き方をしてると。
してますね。
ここからどうアウトラインを組み立てていくのかが今最も重要な課題なんですよね。
そこでボタン掛け違うと大変なことになるとは思うんですけど。
でもとりあえず一旦、
結局この企画案って最初に立てた企画案がちょっとどん詰まりになったと。
さっき見てもらったバージョン1の企画案が、
これではない感が強くなったと。
言った時に、おそらくこの1から6章のアウトラインをちょこちょこっと操作する知的作業では多分一緒だろうなと思ったんですよ。
どん詰まり感は変わらないんだろうなと。
そうした時にどうしたらいいかなって思って、
まず最初に自分が今この本で書きたいことは何だろうっていうのをちょこちょこっと箇条書きで並べていったんですね。
それが成長したのが今この形なんですよ。
普段やったらある程度共通項が見つかった段階でそれを章にするんですよね。
でも今回はあえてそれをしなかったんです。
章になりそうなものがあってもあえて並び替えもせずに、とりあえず全部並べたろうと。
小企業にまとめることをとりあえず放棄したんですよね。
一体どんだけ自分がそこに並べられるものがあるかを並べ切ってから、次に章立てを考えたいんですけども、
その章立てが例えばここに並んでるのが項目だとしたら、章はたぶん2つ上の階層なんですよね、きっと。
ああ、なるほど。この上にまだ説みたいなものがあって。
だから先にどっちを考えるのかっていうのがまず切ってるんですよね。
その段階的に上がっていくのか。
まずこの全体を眺めて、何か章になりそうな大きいことを言うのを探すのかっていうのが、今次のステップで悩んでるところなんですけど。
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それを今先に聞きたかったんですよね。これがそのまんまアウトラインになっていくのか、それとも一旦これを全部出し切った後でもう一回改めてアウトラインから考えるのか、どっちなんだろうなーと思って。
どっちができるかは、たぶん2通り試すことにはなると思うんですけど、これを一旦コピーしておいて入れ替えてみる作戦と、
あるいは単純にトップダウンで1章から6章くらいまでを考えるかっていう、両方たぶんやるでしょうね。
これ分からないとどっちが進むかは。
やりますか。
やらざるを得ないですね。
片方で最初にやったほうでうまくいったらいいんですけど、そうでなかったら反対をやるしかないでしょうね、これは。
どっちからいきます?
今考えてるのは1回トップダウンでやろうかなと。
やっぱりそっち行く。なるほど。
ひな形を作ってみてうまく収まりそうだったらそれでいいですし、そうじゃなかったらもう一回項目レベルで並べ替えるところから。
これだって見てると、段落レベルぐらいの項目がアウトラインになって、場合によってはセンテンスレベルもなってる。
だから領土揃えてないんですね、ここはね。
そうですよね。
招待になるようなものもあるでしょうし、一行だけのものもあるでしょうから、混沌としてますよね。
だってこれアウトラインみたいな形してるけど、これ僕の書くブログの1記事より全然長い。
これでもまだまだ途中ですからね、おそらくは。
すごいね。
ただ、方向性というか、どういう方向を目指してるのかっていうのはなんとなくわかるというか、感じられますよね。
はいはいはい。
その感じを、初期の段階でこうですとギュッと絞り込むんじゃなくて、
どういうことが言えるんだろうをとりあえず今広げてる段階ですね。
そうですよね、そういう感じですよね。
招立の構成を考えるというか、最初に立てた目次案。
もうすでに原稿も50万字くらい揃ってた目次案を久しぶりに見たときに、
2つ多分違和感があったんですね、分析すると。
一つは、すごく説教くさいなって思ったんですよね。
なんかおっさんが若者向けで言ってる感がすごく強くて。
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最近書いた新章は、なるべくそういう説教感は出さないようにしたつもりで書いたんですよね。
やるわ。
どう読まれたかはわからないんですけど。
そういうテイストの文章は、この本は若者向けに書くつもりなので結構いいなと思って。
だからこの書き方やとたぶん僕が満足する本にはならないだろうなっていうのと、
あとあまりにも話が論理的にまとまりすぎてる感があって、
これからこうです、こうしたらこうなりますみたいなふうになってたんですね、僕のこの招立では。
でもたぶんそれは多少の嘘があるんですよね。
その嘘はもちろん本を書くときにある程度許容しなきゃならないものなんですけども、
ちょっと今回それは許容できない幅になつつあるように感じられたんですよね。
この企画本を立てたときから、今に僕に至るまでにいろいろ考えたこととか知ったことがあって、
その視点で見ると、どうもちょっと嘘くさいの度合いが強いなと。
嘘くさく感じちゃったと。
そうですね、ハリボテっぽく感じましたね。
ロジックが勝ち過ぎちゃってるっていう感じがあって、
読み手に寄り添えてない感もありましたし、
だからあのままではたぶんダメだろうなと、不適なものになるだろうなと。
なるほど。でも最初それを作ったときはそうは思っていなかった。
また思ってなかったですね。
ちなみにいつですか、それを最初に作ったの。
あれいつだろう。
あの読書文ってメルマガで連載してた文なんで、
メルマガで連載して書きながら考えてたんで、相当前ですよね。
2年じゃ時間がないはずですけど。
3、4年前ですよね、メルマガでやってたのって。
4年前だと仮にするならば、
僕その頃まだ34とか35やったんですよね。
30代、まだ前半だった。
そうそう前半だった。そのときの気持ちとやっぱり気持ちのずれがあるんですよね、そこは。
ずれねえ、その辺は。
あれですね、これあの気合の入った本ほど書き始めるのに時間がかかって、
その間に自分が変わってしまうという。
そうそうそう、そういうのはありますね。
扱う領域もこの本結構広いんで。
ものすごい広いですよね、これ。
これだけ見せると。
これまでに読んだ本で、言いたいことと僕が言わなくていいことみたいなのがいろいろ出てきて、
書写選択がまた変わってくるんですよね。
あの本がこれを言ってるからこれを言わないでいいっていうのと、
結局いろいろ出てきたけどこれ言われてないからやっぱり言わなあかんよねっていうようなこととか変化があったんで。
それがこの3、4年で変わったんですよね。
同じふうにはならないし、同じふうにしてしまうと自分から見てるときに不完全になっちゃいますよね。
21:05
これなんでそのとき書かなかったんですか。
あれは企画のストックとして、今やってることが終わったら僕らの生存戦略をセルフパブリッシングで出そうっていうのはあったんですよ。
後回しになってたのは、さっき言われたこの本が僕の中で存在が大きいんで、
いろいろ落ち着いてちゃんと準備を整えてからやろうとか。
ありがちな。
時間が経ってしまったっていうことはありますね。
でも良かったんじゃないかなと思いますけどね、おそらくは。
そう思えるならいいですよね。
強度だから、いろんなものが一周した段階って、
ブログとかも、ここの1、2年でブームみたいなのも去ってみたいなのがあって、
落ち着いて話せる機会がやってきたのかなと今は思うんですよね。
結局ブログについてもたぶんここの中で書くことになると思うんで。
ブログについても。
どの形でどこでどう書くかわからないんですけど。
そういう意味では、今まで…。
たぶん倉下さんが出してる本ってほとんど読んでると思うんですけど、
鬼のようにセルパグ文を出してた時期も含めて。
あんまり実用書じゃない系統の本の要素がほとんど入っている。
実用書じゃないっていうか、真ん中のある機関とか。
目標の研究もそうだし、あとブログ充電もそうだし。
その辺の要素がそういう意味では、わりに集大成的に書かれている感じですね、こうやって見ると。
そうですね。それはそうやと思います。そうなると思います。
そういう意味では結構集大成感がある。
そうですね。今20代とか25ぐらいの人に、
ぜひとも知っておきたいことをがっつり詰め込むような本になるんで、
そういう集大成的なものにはたぶんなるでしょうね。
そうか。対象はその辺なんですね。若い人。
その若い人のほうが、この本が対象にする属性に重なる割合が高いっていう言い方がいいんで、
僕らと同じ年代の人でもこの本の対象にはたぶんなるんですけど。
そうですよね。ならないことはないですよね。
項目の2コメにズレが生み出す行きづらさっていうのがあるんですけど、
やっぱり行きづらさっていうものを抱えてる人っていうのが一応この本の対象で、
24:03
おそらくは若い人のほうがそういう人が多いだろうなという意味での若者向けってことですね。
僕も行きづらさを抱えてるんですよ。
そうですよね。僕も抱えてますけど大丈夫です。
完成はかなり先になりそうですけどね。
これ、さっき考えてたんですけど、
これってセルファブを前提に書いてると思うんですけど、
仮に紙の本だとした場合、書店のどの棚に置かれるんだろうなって。
僕が素直な書店に行ったら自己啓発に置かれると思うんですけどね。
おそらくはタイトルからしても。
ああ、そうか。生存戦略。
いかにもビジネスショーとか自己啓発ショーに並んでそうなタイトルですよね。
でもそうですよね。並んでてもそんなに違和感ないかな。
この狙ったようなタイトルにしてるのは、
そういう本に紛れ込もうっていうことなんですよね。
つまりそういう本を手に取る人にとって、手に取ってほしい本ってことですよね。
擬態。
要するに擬態ということです。
ここに書かれてることは、すでにわかってる人にこのことを伝えても何の意味もないわけで。
まあそうですよね。
こういう情報に普段は接続しない人に
うっかり手に取ってもらうような本になってもらえたら一番いいかなと。
じゃあ逆に、この企画を出版社に持ち込もうという発想には一度もならなかった。
全くならないですね。
それはなぜですか。
項目の一番最初にマスメディアが機能不全っていうのがあって、
ここでもろにミスってますから。
相当勇気にいますね、これをマスメディアに。
もちろん出版社の中にはそういうことをちゃんと言えるところもあると思うんで、
そういうところからオファーが来たら別に全然あれですけど、
ここでは既存のマスメディア批判があるんで、
説得するのは相当難しいと思いますよ、おそらくは。
生きづらい本だなと。
生きづらい人に向けた生きづらい本。
この本が成功したら僕はダメだと思うんで、
つまり100万本とか売れたら、
たぶん僕が言ってることとここの本の内容はズレてしまうんで、きっと。
いやでも別に売れたら売れたでいいじゃないですか。
それは嬉しいんですけど。
僕自身がこうやって本を書いてるとは言え、
27:00
別にそのへんの無造無造の一市民でしかないっていうことが大切なんで実は。
著名人ではないというところがたぶん鍵なんで。
売れたら売れたら嬉しいですけど、
そもそもそんなに大量の人にリーチする内容ではないと思いますけどね。
わかりませんがそれは予想でしかないんですけども。
そうですね。それはわかんないですよね。
でも、この間の、
倉下さんの一番最新の本であるところの、
頭の中にあるやるおわっていうタイトルが。
もうやるおわでいいですか。
あれすごく反応が多いじゃないですか。
すごいよ。めっちゃびっくりしてるんですけど。
これまでの本で一番早くて多いですね、反応が。
だからやっぱりそういうものを求めてるというか、
そういう人が多いんじゃないかなっていう。
少なくともそういう人向けのコンテンツが、
今までのビジネス文脈の本ではなかったっていうのはあるでしょうね、きっと。
そうなんでしょうね。
こういうのってあんまり多くの人に認知しないって、
もしかして思い込んじゃってるものが実はそうじゃないっていうことも。
多くじゃないっていうのは多分規模感の問題で。
いっても1万ぐらいやろうなという感じですかね。
1万はもちろんセルフファブリクションがめっちゃ多いんですけど。
10万とかはないんじゃないですか、きっと。
まあわからない。それこそわからない。
でもまあミリオンとかにはならないでしょうね。
ミリオンは……。
でも5,000人とか1万に届けば僕たちは大満足ですね、それは。
といういろんな意味で楽しみ。
僕自身もこの本がどう構成されるのか楽しみではあるんですけど。
だからこれがどういう並びになるのかはまだ全然、全くわからないわけですね。
入り口と出口だけはこの本を書き始めた段階から決まってて、
一番最初の、さっき言った僕らの絶望戦略の僕らって誰なんだろうっていう話からは、
マスメディアが使う僕らっていう言葉が実は機能不全を起こしてるっていうのが入り口っていうのが決まってて、
出口が僕ではなく僕らっていうらをつけてる意味っていうところが、
一応本の中では個人の子っていうものから小さな共同体へっていう書き方をしてるんですけど、
そこを話の出口にすることだけは決まってる。
そこは動かさないんで、あとはその内側をどうデザインしていくかっていうところですね。
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楽しみですね。
僕らっていうのをすごく気になってたんですよね。
昔から80年代の終わりくらいから気になってて。
80年代の終わりに、ポパイとかホットドックプレスみたいなあの手の雑誌によく使われてた。
でしょうね。
僕らの版とかみたいな。
そのときは自分は対象年齢だったはずなんだけど、
僕らって俺じゃないよなっていう感覚をずっと抱いていて。
最初にメルマガでやってたときから、僕らっていうところを非常に食い込んでいたというか。
結局僕らの内側にいる人は気づかないんですね。この言葉が気の不全を起こしてるということに。
外れてる人だから気づけるというか。
そっか。そんな昔から外れてた。
一回外れる人はもうずっと外れ続けていくものなので、
よほど上手い擬態を身につけない限りはおそらく張り継いでる。
だからまさに、ここは倉下さんよりかなり年上なんですけど、
そしてこの本は倉下さんよりもずいぶん下の人をイメージして書かれてると言いつつも、
割に自分ごととして読みたくなっちゃう感じのタイトルですね。
まあでも僕のメルマガを好んで読む人であれば多分それは対象になるでしょうね、おそらくはね。
自分とかもっと上ぐらいの年代の人にも実はこういう発想って、
若者にも必要なんだけれども、実はすごくそれが必要なんだなという気がすごくしてるんですよね。
だから結構その記録読んでほしいなっていう。
まあまだできてないですけど。
結局ある世代の一翼総中流というか、日本が均一な価値観でいた頃以外のロールモデルが実はないんですよね。
ないです。
ないと大きく言い切っちゃいましたけども。
そこがない時点で、そこに外れる人はどうしても行きづらさを感じてしまうっていう問題を僕はどうにか解決したいとは言わなくても、
そこにある行きづらさって別にあなたのせいではないんですよっていうことは言いたいですよね。
そうですよね。ツイッターとか眺めてても、「いやそれはあなたのせいじゃないんだよ。」って言いたくなることってあるんですよね。
ただこれをあまり強く書くと説教臭くなるなっていうのがあって、
どんな文体にしようかっていうのがあるんですよ、ずっと前で。
この内容は説教臭くなくふくのってかなりハイレベルな。
33:00
でも求められてるし、ある程度なら自分もそれぐらいの文章力が身についていたらいいなとは思うんですけども。
いけると思います。
はい、ありがとうございます。
いや、まだいっぱいあるんですけど、時間がもうさないです。
全然別にどこで聞いてもらっても続けてもどうしても聞くわけですよ。
そしたらもう一個だけテクニカルなことで聞きたいんですけど、どこかに気になる記述があって。
スライドを作るように本を書けるかっていう。
たぶん前回の話の。
前回の話を受けた話ですね。
僕らの生存戦略に適応する。
適応しようと思ってる。
つまりさっきの話で言うと、
方法論の一つとしてトップダウンで組み立てるんじゃなくて、入り口と出口はもう決まってるんで、
ただひたすらつながりだけ。
入り口につながるものを、一番つながりのいいものをその下に並べてっていうことをひたすら繰り返して、
リニアしかない状態で本にできるかっていう一つの実験ができるんかなと思って。
スライドを僕は絶対に、スライドを作るときってアウトライン立てないんで。
アウトラインっぽくないですね。暮らしたカードスライドは。
僕はもう最初に言うことが何かっていうのを決めた後はもう話の流れだけで作っていくんで。
そのマインドセットでこの本作りみたいなのを進められないか。
進められたとしたらどんな感じになるかなっていう。
結構違った感じになるかもしれないですよね。
結局これまでの方も必ず、特に実用書は構造意識、かなり強く構造意識して作ってるんで。
1章と2章と3章と4章があって、それぞれがどう機能してるか。
何を主張してどこの話につなげてるのかっていうのを考えてるんですけど。
それがさっき言ったように、逆に硬さにつながってる。
読み手にとっての硬さにつながってる可能性があって。
やる終わって割に緩いんですよね、それが。
そういう…。緩い?緩いですか?
厳密に話は流れてますけど、これまで僕が作ってきた本よりは、章ごとの構造関係はそれほど強くなくて。
そうですね。
順番をどっか2章と3章入れ替えたとかは一応部分的には結構可能な。
他の本では結構無理なんですよ。
2章は2章の位置に必ずあるものですし、3章は3章の位置にあるべきものなんですけど。
入れ替えられるという意味ではそうかもしれない。
それが僕が言う緩さっていう意味なんですけど。
そういう緩さを極限まで伸ばしていける方法もあるかなと。
36:03
これはわからないんですけど、前回の話聞いてそういう作り方も多分できるんだろうなと。
スライドを作るように話をただ流していくだけ。
構造を立てるにしても、流れの中で区切れるところを区切るだけっていうような作り方。
これが十万字とかの本でできるのかどうかわからないですけど。
その辺の話をずっと考えていて。
多分より語り感が出るんですよね。
たぶんそうでしょうね。おそらくそうやと思います。
たぶん彼が実現したとしたら、僕がこの本に求めてるものに適合するだろうなという気もするんですよね。
さっき言った偉そうな感じがないとか、堅すぎないっていうのを求めてるんで。
どのように書けばそれが実現できるかっていうことですね。
そこも結構実験な感じですよね。
的ですね。
だからやっぱり、堅苦しく理論立てた本を読む人というよりはっていう人が対象なんで。
そうか。
もちろん好む人も別にいいんですけど。
そういう人にも読まれる本でなければ多分意義がないんで。
極めてそういう柔らかい、正直どこからでも読めるみたいな感じ。
今までの本にはなかった感じを求めてますね。
だいぶ違うものになるかもしれないっていう感じですね。
そうですね。出来上がる原稿はたぶんメルマネ書いてたのとまるで違うものになると思います。
あれ全然使わない感じですか?
いや、あそこで書き出した内容は当然項目立ててここになりますけど、
多分文章の再利用は一つもないと思いますよ。
わかりました。
楽しみにしてます。いつになるかわかりませんが。
ありがとうございます。
でも年内ぐらい?イメージとしては。
それはさすがに年内だと思いますよ。
この構成案が非常に進まなければ話は別ですけど、
今一応次のステップを模索してるんで、年内ぐらいにできたらいいかなと思います。
楽しみにしてます。
というところで、こちらからは以上です。
ありがとうございます。
じゃあまた次回はまたアウトラインの話になりそうですけども。
望むところです。
はい、じゃあよろしくお願いします。
はい、失礼します。
38:30

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