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スピーカー 2
俺たちが生まれた年っていうふりで、そのときに流行ってた曲っていうプレイリストを一個作ったので、
それについてちょっと話そうと思って。
その辺に関してはズム動くのはたぶん詳しいと思うから。
スピーカー 1
好きですね。
スピーカー 2
これ一番言わなきゃいけないのは、およげたんやっくんなんだよね。
スピーカー 1
ねー、これ、そうなんだよね。
でもこれ、最初知ったときはちょっと意外で、もっと後の曲かなって思ってたんだよね。
自分たちが幼稚園ぐらいの頃に、ポンキッキでかかってたの。
スピーカー 2
そうそう、ポンキッキ、ポンキッキ。
スピーカー 1
で、イメージだから、あの頃に80年代にできた曲なのかなって思ったら、
それより前に世の中には出てたってことなんですね。
同様か同様じゃないかで揉めたっていう時なのかなって思って。
スピーカー 2
出たのは1975年の末らしいんだけど、
ずっとヒットして、その年の曲ってなったら出てくるっていう感じだったんだよね、1975年。
かかってたんだろうな。
スピーカー 1
税金がかからないとかかるで揉めたみたいですよね。
スピーカー 2
そう、それで志望雅人さんはそんなもらってないみたいなね。
だと志望雅人はあんまり喋ってないのに、
スピーカー 1
B面だったら一本でも人参の薙刀健一、その話いっぱいしたみたいな話あったよね。
これなに?B面は一本でも人参なんだ。
スピーカー 2
そうそう、一本でも人参。確か確かそうだよ、一本でも人参。
ちょっと調べるね。
スピーカー 1
あ、そうなのね。
スピーカー 2
一本でも人参。
一本でも人参。
そうなんですよ。
薙刀健一はすごいヒットレコードの人だったんだね。
スピーカー 1
そうね。飲み歩いてるだけじゃないんだなって思っちゃった。
スピーカー 2
今イメージそうだね。
あと東京新聞かCMのイメージあるね。
ああ、そうだね。
泳げたやきくんが一番ボーンってくるってイメージなんだよ。
スピーカー 1
そうですね。作ってくれた中だったら、
たぶん一番売れた枚数も泳げたやきくんが一番売れたんじゃないかな。
スピーカー 2
だってすんげんでしょ、あれ。何百万枚。
スピーカー 1
相当だと思うよ。
後世に残るぐらいの記録だった気がする。
スピーカー 2
ランキングは、例えばレコードだけのシングルとかいったら、
まだ一番上のほうにいるとかそういう感じじゃない?
スピーカー 1
じゃないかな。
スピーカー 2
しかもこの頃って、百万枚っていうのはあんまりポピュラーじゃない枚数っていうか。
俺らCDバブル世代は、百万枚売れないと話にならないみたいなことすぐに言うけど、
スピーカー 1
この時代は別に大ヒットって言っても、百万枚なんて売れてないっていう曲が山ほどある時代だから、
その中でもたぶんビリオンいってるとかそういうレベルじゃないかな。
スピーカー 2
一回のプレスで5千枚とか言ってたよ。って書いてあったね。
スピーカー 1
進むのが広いんでしょうね。
大人も聴けるし、ちょっとこのタイヤ記の飛合的な部分で大人も感情が入れられるし、
スピーカー 2
ポンキックで子供がアニメーションと一緒に覚えたっていうのもあるし、
あとはリズムが単調というかシンプルだから、
フラテでも歌いやすいっていう部分もあるし。
オリコンチャートで11週連続で週間売り上げ10万枚。
毎週10万枚で売れてたんだよ。11週連続で。
この時代にそれはすごいと思う。
500万枚だった最終的に。
おーすごい。
スピーカー 1
それはたぶんCDの時代も含めて1曲で売れた枚数としては、
たぶんトップか、そういうレベルじゃないのかな。
スピーカー 2
リオンとかいったらやっぱすごかったもんね。
すごかったすごかった。300万枚なんて、あの時代でもさすがに300万枚はみたいな部分はあったから。
スピーカー 1
セイエスあたりが280とかそんなんじゃなかったかな。
余計に売れてるわ。
余計に。
スピーカー 2
あ、フィジカルセールス泳げたあやきくん1位です。
スピーカー 1
やっぱそうなんだね。
スピーカー 2
457万枚。
スピーカー 1
いやーそれはもう桁が違うというか数字が全然違う。
スピーカー 2
セイエスが7位です。
スピーカー 1
あーその間にそんなにあんの?
スピーカー 2
282万枚。
スピーカー 1
2位は何ですか?
スピーカー 2
2位ねこれ絶対わかんない。
宮城の女の道。
スピーカー 1
女の道?
スピーカー 2
そうピンクから取り上げた。
スピーカー 1
あれそんなに売れたの?そうなんだ。
スピーカー 2
325万枚。
その次にやっと世界に1つだけの花。
あ、世界に1つだけそこに行くの?
スピーカー 1
あれダンゴ三兄弟なんかそこら辺に入ってこないのかな?
入ってきます。ダンゴ三兄弟5位です。
スピーカー 2
その間にサザンオールスターズの津波が入ってます。
ダンゴ三兄弟、君がいるだけで、セイエス、トゥモローネバーノーズ、チクチャーン。
ラブストーリーが突然にラブラブラブ。
スピーカー 1
宮城さんの女の道がそこまで売ってたのは全然知りませんでした。
スピーカー 2
すごいね。
ねえ、そんなに売れたんだねあの歌。
スピーカー 1
いつもいいじゃん。
宮城さんと宮城治さんがごっちゃになって、
スピーカー 2
ピンクから取り上げたか、トロサマキングスだったか一瞬わかんなくなるんですよね。
スピーカー 1
なんか俺の中のイメージでは、ヒゲ生やしてクレオパトラみたいな髪型の方がどっち?
間違いないです。
ビジュアルとしてはどちらが宮城さん。
宮城さんですね。ありがとうございます。
宮城治さんは口を開かずになんとなく歌ってるってイメージがある。
スピーカー 2
知らない。ちゃんと出てこないわ俺。
曲がね、宮城さんのほうは女の道じゃない?
スピーカー 1
宮城治さんは涙のミサオっていう曲なんだけど、
歌詞は女のミサオっていう風に言うのよ、歌詞の中では。
スピーカー 2
あーはいはいはいはい。
ちょっとごちゃになっちゃった。
スピーカー 1
女の道と女のミサオがなんとなくごちゃごちゃになっちゃって、
どっちがどっちだっけっていつもわかんなくなるんだけど、
スピーカー 2
俺がカラオケで歌えるのは涙のミサオのほうです。
でもこれ今涙のミサオを調べさせていただきました、Wikipediaで。
トロサマキングストが涙のミサオね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
トロサマキングストと同じく、お笑い出身のピンカラトリオが、
女の道で偶然のヒットを飛ばしたのに対抗して発売されたシングルらしいです、これ。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。だからやっぱ似たような女性の物語にしてっていう。
いやそれは知らなかった。もうWikipediaってすげーなー。
スピーカー 2
すごいねー。集合値。集合値怖いですよ、ほんとに。
集合値すごい。
スピーカー 1
なんとなく似てるような感じになったんだね。
だけど売上はダントツーで。
スピーカー 2
そう、泳ぐタイヤ君でした。
スピーカー 1
この時点でも相当な昔だよね。
スピーカー 2
そうだよ。マジそうだよ。困っちゃうよ。
スピーカー 1
不法を見てると、たぶんそういう人たちが、
アガサ・クリスティーとかだって、あと亡くなったの。
スピーカー 2
すげーな。ちょっとなんか、
俺らがそこにいるんだって思っちゃうね。
スピーカー 1
そんな昔のことか。
歴史上というか、確実に同じ空気吸ったことないんじゃない?みたいな人たちが、
全然この年に。
そうだよ。だってこの年に、
例えば76歳で亡くなっても、1900年に生まれてんだもんね、この人たちは。
スピーカー 2
そうだよね。そりゃそうですよ。
スピーカー 1
1900年ってだって、まだ大正明治?
スピーカー 2
だって今から125年前だよ。
スピーカー 1
明治かな。大正にもまだなってないくらいって思うと、
やっぱりもう違うよね、感覚がね。
スピーカー 2
そりゃ違うよね。明治33年だそうです、1900年。
スピーカー 1
そうですか。それはやっぱり。
不法の何月何日に誰が亡くなりましたって一覧見てるけど、
知ってる人のほうが少ないもんな、もう。
スピーカー 2
そりゃそうだわ。
そりゃそうだな。
さっきみたいに武者の工事さんやったみたいなビッグネームを探すのが難しいぐらい、
知らない、みたいな人のほうが多いというか。
スピーカー 1
さてさて。
スピーカー 2
76年の俺が用意したプレイリストを見ながら話していったけど、
結局CDセールスの売り上げとかの話になって、
CDセールスとかが盛り上がった時代の話って感じだったね、俺たちが。
スピーカー 1
なんて言ったらいいんだろう。
まあそうだよね。76年だけじゃないけど、
その前後に生まれた人たちがいわゆるCDバブルみたいなものを買い支えてたっていうのは間違いないんじゃないかなって思うしね。
スピーカー 2
だからそれの影響っていうのは、やっぱりタイヤキ君とかが一番売れたとかにもブーム的な売れ方とかさ、
そういう感じのやつはちょこちょこあったんだよね、当時俺たちがちっちゃいときに生まれたときとかに前回は。
ピンクレディとかもそうじゃん、入れなかったけど。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
わーって売れて、また次の曲わーって売れてみたいなさ。
そういうのはあったんだろうね、親の中とかでも。
スピーカー 1
あったんじゃないかな。
スピーカー 2
純粋に音楽を音楽だけで楽しむというよりは、テレビがもう76年だとほぼ全家庭に普及したあと。
まだ白黒はあるかもしんないけど、カラーも当然にあるぐらいのね。
スピーカー 1
そうだね。ただテレビの受蔵器としての普及率はもう相当な筋になってたと思うし、
そこから流行や文化が発信されていくっていうのももうスタイルとしては始まってたんだろうなって思うと。
スピーカー 2
ちょうどテレビの、言ったら悪いけど、テレビにうまく操作されてたというか。
うまいそうね。
テレビとしてのマーケティングみたいなのがうまくわーっていって、
そこが全体的にみんなが見るみたいな感じのやつで、
そこに当たり前のようにいってたみたいな時代だよね、きっとね。
スピーカー 1
いってた頃の、もうすでにそういうのが当たり前だったかもしんないけど、
自分らはそこに生まれて、気づいたときにはもうそういうもんだったし、
もうずっとね、それこそ20代後半ぐらいまではテレビしか友達いなかったぐらいだから、
それぐらいテレビにぶっちゃり入着してたような自分の人生みたいなところがあるので。
スピーカー 2
だからそこのたぶんCDバブルとかが、本当は振り返ってみたらピークだったわけじゃん。
本当はその辺からインターネットが出てきてさ、95年ぐらいから出てきてるから。
そのCDバブルとインターネットの対等みたいなのが、
ちょうど始まりと終わりを迎えたときのが、そこを影響してるんだよね。
自分らがこれを見てるしね。
スピーカー 2
たかんな頃に感じられてよかったかもしれないよね、そこの感じで。
スピーカー 1
いや本当に。実際さ、インターネットが出てきて、今までのCDっていうものとしての存在があったところに、
MP3とかああいうデータで聴くっていうのが出てきて、
あの時の感じっていうのは、まあ人によるとは思うんだけど、
俺なんかはやっぱりずっとCD買い続けて、カセットテープにダビングしてってのをやってきたから、
これがデータに変わるとかないよねって思っちゃってたもんね。
スピーカー 2
やっぱ物として持っておきたいっていうことのほうが重要だったよね。
いやそれデータも物なんだけど、言ってみたら。
スピーカー 1
今だとさ、データって軽くフラッと言えるけど、あの頃に理解できてなかったんだなと思う。
スピーカー 2
今振り返ると。
スピーカー 1
データで音楽を聴くっていうことが目に見えないものを、
結局なんか目に見えるCDだったりレコードだったりカセットテープを、
それを機械に入れて何かしらの操作をすると音が出てくるっていう認識が、
スピーカー 2
20代、20歳になるぐらいまではそれしかなかったから、
スピーカー 1
そうじゃない何かデータってものがどこかにあって、
それをどうすると音が出るの?みたいな感じで、
わかんなかったなと思う最初は。
スピーカー 2
なんならiPodの中で回ってるぐらいのことを思ってた可能性もあるよね。
ディスプレイに出る絵とかもディスクっぽいのとかだったりするじゃん、表現が。
だからそういうワンチャンって言っちゃった。あるよね、そういうのね。
スピーカー 1
あったと思う。デジカメもそうじゃん。
カメラの振り向きがデータになったわけじゃない。
あの頃やっぱりパソコンとのいろんな親和性とか考えると、
全てがデジタルのデータに置き換わっていくっていうような空気感は、
スピーカー 2
あの時本当あったなって思うんだけど、それについてくるのが大変だったっていうか、
全く今までなかったものが登場して、それをどうするとどうなの?みたいなのを、
スピーカー 1
今だったらスマホでGoogleなりチャットGPTなりにお願いすればすぐ出てくるんだろうけど、
当時インターネットはあっても、それをサラサラサラッと理解できるような回答はあんまり期待できない時代だったというか。
スピーカー 2
そうだよな。もうその仕組みが変わったからね、そのデータというものが。
スピーカー 1
そういうのに本探したもん。解説本みたいなの。それでもわかるMP3みたいなの。
スピーカー 2
流行ったな、流行ったわ、ああいうの。
それ見て、そういうこと?ふーんみたいな。
確かにね。今は例えばWi-Fi飛んでるっていうのもさ、データが飛んでるっていうのもなんとなく子供の頃から当たり前だから、