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2024-10-01 29:59

#200 ポッドキャスト20周年7DAYS 配信リレー 6-3 ごりの堂々巡り テーマ20

日本ポッドキャスト協会主催 ポッドキャスト20周年企画 7DAYS配信リレーに参加しました

選んだテーマは20!ということで僕が20歳だった30年前からポッドキャスト誕生くらいまでの思い出話をします。インターネット登場以前のパソコン通信から話してます。

サマリー

ポッドキャストの20周年を迎え、過去30年のネット環境の変化や個人の思い出、特にパソコン通信や街の変遷について語っています。リスナーと共に、旧き良き時代のデジタルライフやその進化を振り返る内容です。ポッドキャストの歴史とその進化についても振り返り、特に20年前の出来事を思い出しています。インターネットの普及に伴い、多様な表現方法が生まれており、個人的な体験を通じてポッドキャスト制作の楽しさを伝えています。

思い出のネット環境
毎度、ごりです。僕、ごりはですね、 漁師、神経師、介護職といった視点から一人喋りの
ごりの堂々巡りというポッドキャストを 普段やっております。
いつもはですね、狩猟や有害鳥獣捕獲とか、 あとは介護の話、映画の話なんかもしてますからね。
でも今回はね、配信リレーということで テーマをもらってます。
で、その中で選んだのが20。 結構これ、選んでる人多いのかなーなんて勝手な想像ですけども、
20をテーマに話をしてみようと思いました。 ちょうど30年前のね、20歳の頃からのネット事情、
またポッドキャストの登場までっていうのを 振り返りながら、その当時のまあ思い出話ですか、
そんなのをしてみたいなと思っております。 まずね、今聞こえてきたのはフロッピーディスクの読み込みの音というね、
懐かしい感じがしますけれども、 まあ中学・高校時代というのは98シリーズNECのパソコンですね。
これを使ってゲーム三昧と、そういう時代でした。 ベーシックマガジンを片手に自分でプログラムを入力して、
まあエラーとの戦いですよね。 0とO、1とLね。
なんだかもう、小さい文字を拾いながら一生懸命入力してました。
パソコン自体に触れる前に、僕の場合ポケットコンピューターというね、シャープのPC-E500という、
そういうものに触れて、まあベーシックってものにはもう触れてはいたんですけども、 本格的にね。
遊んだのはまあ98からですか。 まあこのフロッピーディスクのカッチャンカッチャンという音も懐かしいですけれども、
そんなフロッピーディスクを使ってのゲームとして、まあ三国志とか、
信長の野望とかね。 まあイースとかドラゴンスリーアとか。
あとは魔道物語か。
当時流行ってたのは高校生の時にはぷよぷよ とかね、クラックスとかコラムスとか。
あとね、やっぱり高校生ぐらいになるとね、 ランスとかキャンバニーとかね、ドラゴンナイトとか闘神都市とか。
まあこの辺りのゲームタイトルっていうのはやっぱり反応してましたよね。 あとはね、
コピーエイドとか ファイルマスターとか。
この辺りのソフトも結構いじってたような気がします。
なかなかね、 マニアックな高校生だったなと思いますし、
高校の部活ではね、パソコン通信をやっていたんですね。 で、
高校の部活でパソコン通信というと非常に贅沢な気がするんですけども、 これはですね、先輩が
アマチュア無線機を使って サーバーにつなぐという仕組みを作ってくれていたので、
無料でね、 サーバーに、BBSにつなぐことができていて、
それで僕らはもうパソコン通信を楽しんでいたんですね。 なので、逆に言うと自宅ではお金がかかっちゃう
んで、ずっと物質に入り浸って、 来る日も来る日もパソコン通信やってたよ、ゲームを
やっていたよ、お互いゲームを持ち寄って、 さっきのホニャララとかホニャララを使ってのホニャララ
みたいなことをね、やって遊んでたような気がします。 でですね、
僕がね、20歳になる頃というとね、1994年なわけですけども、
これがね、新旧短期大学入学の年というね、 一浪してます。ということで、
初めてね、大阪に、 自分が一人暮らして行ったんですけども、
これはね当たり前ですけど、パソコンに触る時間がさらに伸びましてね、 もう一人暮らしですから、朝から晩まで、
学校の授業がない間はずーっと触ってるみたいな、 もちろんね、友達と遊んだりなんかもするんですけども、
よくパソコン触ってましたね。
何をやるかというとね、パソコン通信やってました。 学生時代はね、もうとにかく
家にいればパソコン通信をやる、ゲームかパソコンですね。 パソコン通信ってね、あんまり
なじみのない人もいるとは思うんですけども、 インターネットってものが普及する以前ですね、
パソコンとパソコンをつないで、まあサーバーですね。 モデムを使ってサーバーにつないで行う通信。
インターネットっていうのはもう、ありとあらゆるパソコンが全部でつながっている みたいなイメージがあるんですけども、
パソコン通信っていうのは基本クローズドネットワーク。 ある一つのBBSに行けば、
もうそこしの中でしか見れない。 また違うBBSに行くには、1回回線を切って電話番号を変えて、
また違うところにつなぎ直すなんていうことをね、 一晩中やってましたね。
これは楽しかったですね。いろんなことをやってました。 まああの
小説系のBBSなんかによく入ってましたね、当時を思い出すとね。
なんか、恥ずかしいですよね。 今思えばね、なんか自作の小説書いたりとか、
詩を書いたりとかね。 当時のね、ハンドルネームがね、
SPラセンっていう名前でやってましたね。 まあ時々、
こうアップするとね、その感想をもらったりなんかして、 結構こう頑張ってやってた
記憶があります。 でね、この頃はですね、ダイナルアップなんで、
通信料が高かったんですよね。 で、夜中11時を超えると電話料金が下がるよっていうものであったりとか、
まああとは第二伝電。 第二伝電系列の電話番号を使うと、ちょっと安いよとかって確かそんなんだと思うんですけどね。
まあそれを使ってパソコン通信を 遊んでましたね。
で、当時ね入ってたのは、まあ草の根のBBSによく入ってたんですけども、大手のサーバーで行くと、
PC版かな? PC版に入ってましたね。NIFTY SERVEはね、なんか運営さんが厳しい、管理が厳しいよって聞いたんで、
なんか足が遠のいてましたね。なんかこう、
自由な方がいいや、みたいなね、そんなイメージがありました。 まあでも当時のね、データっていうのはこの一切残ってないので、
フロッピーディスクの時代ですし、 ハードディスクにもあったのかもしれませんけど、当時のハードディスクはスカジー接続で、
今それがつながる 媒体もない、デバイスもないですから、
当時のデータはね一切ないなということでね。 一足並んでね、そんな感じがしてます。
阪神淡路大震災とネットの影響
まあこれで94年っていうのが一つ終わりましたかね。 で、1995年ですね。大学2年生になる年なんですけども、ここで大きな事件が
起こります。出来事が起こります。それが阪神淡路大震災ということでね。 まあこれはね、かなり大きい出来事でして、死者6,000人以上というね、
大きな災害でしたけども。 1995年当時ですね。関西の医療系の学生が、まあいろんなね、
学校、大学だから医師であったり看護師であったり、 で、僕ら神級師とか柔道制服師とか、あとは救急救命の人なんかもいたのかな。
そういう感じでね。 医療系の学生同士のこの横のつながりを作りましょうなんていう飲み会のグループみたいのがありまして、
そこで1994年の年末に仲良くなった連中がいるんですけども、
その人たちの結構ね、そのやっぱり被災者になってしまった人もいるし、
まあちょっとはっきり覚えてないけど、亡くなっちゃった人がいるんだよっていう噂を聞いたこともあるっていうね、結構大きな出来事でしたね。
このね、阪神淡路大震災で僕の中でイメージがあるのは、僕も相変わらずこの阪神淡路大震災の朝までね、
ネットやってたんですよ。で、そろそろ寝ようかって言った時に地震が来て、1回停電はしたんですけども、すぐに復活してね、
すぐにまたパソコン通信につなぎまして、皆さん今どうですかというやり取りをしました。
で、今考えればね、皆さんどうですかって言って答えられる人って大丈夫な人なんですよね。
ですよね。でも当時はね、その状況もわからない。朝まだ本当に6時前の段階で電話、パソコン通信つなげてね、やってましたんで。
で、その後BBS上にはこういろんな情報が上がってきまして、かなりね、各地の被害状況でありとか、どこにどういうものが足りないっていうものが、
いろんなBBSに上がってくる。特に大手の掲示板にはそのまとめが載ってた気がしますね。結構。
上げる人も人力でやってるし、まとめてる人もね、手作業でやってて、今思えばとんでもないことをみんなやってたなと思います。
これがね、かなりこう、ネットワークってものが災害時に強いぞっていうイメージがね、僕の中でやっぱりついた、そんな年でしたね。
Windows 95の登場とその後
で、この95年っていうのはですね、他にも大きな出来事があって、Windows 95っていうのが発売されたんですね。
で、この95はねー、
すごく画期的でしたね。Windows 3.1とか使ってたんですけども、なんかこう、
目で見ることができるファイルソフトみたいなね、そんなイメージでしかなかったんですけども、
Windows 95はもう、
そこからいきなりインターネットってところにこう繋がっていくイメージができましたね。
パソコン通信とインターネットの併用みたいな感じでしたけど、当時のインターネットってそんなに
使いやすいものではなかったんですよね。
これが、でもWindows 95の登場でかなり使いやすくはなったなぁということと、あと95年は
テレ放題。夜中は定額で
ネットにつなぎ放題になるよっていうのがあって、もうほんとこれでやっぱり夜寝ないっていう
ことになりました。朝まで遊んでる。4時くらいまで毎日繋げてたかな。
朝8時には学校行きますから、ほとんど寝てないので授業中寝てるので見事に
流年ということになったんですけども、
多分ね今これ考えるとね、寝不足もたたって体調悪かったんですね。
体調崩して休学っていう、入院しましてね、どうしようかなぁなんて思いながら
学校辞めちゃおうかなぁなんていうのもあったんですけども、 まあそこはねなんとか学校は
つながったんですけども、 楽しかったんですね、学校がね。
で、この96年ね、流年休学中の96年に
出てきたのがヤフージャパン。 これびっくりしましたね。ヤフージャパン?
日本語でね、インターネット上で検索ができるっていうのはすごかったですね。 びっくりしちゃって。
で、入院中はね、遊んで遊べてるのがね、タマゴッチ
ぐらいですか、パソコンをね病室に持っていくことはできなくて、
プレステを病院に持ち込んで子どもたちと遊んでた 記憶がありますね。で退院してきてからは
そのダイヤルQ2を使ったインターネット
接続というインターQっていうね。 なんかそういう
接続サービスがあったと思うんですけどもね、それを使ってかなり遊んでましたね。
またね、遊びまくってました。 まあそれでもね一応1997年
復学しまして。 で、この頃に出てきたのがデジタル回線のISDN。
で、わざわざねデジタル回線のとかって言ってるのは何でかっていうと、
今まではね、 インターネットをやっている間は電話がかけられないし、受けることもできない
っていうものだったんですけども、ISDNの登場で インターネットに接続しながら電話をかけたり受けたり
ファックスもできるということで、ものすごく 使いやすくなったんですよね。圧倒的な使いやすさが
ありまして、インターネットの普及にはこれはかなり影響したんじゃないかなと思いますね。
まあ インターネット上で遊んでることと言ったらICQメッセンジャーとかですか
メッセンジャーをやる相手を掲示板で探して、どこの誰かもわからない人と
こんにちはとかね、仕事終わりましたよとか学校から戻りましたとかね。 たまにもないことをチャットでやってるみたいな
そんな感じでしたかね。
1998年 っていうのは
これは結構パソコン、インターネット関連では大きい年でして、Windows 98とiMacっていうものが登場するんですね。
これは両方ともなかなかすごいもので、 iMacは本体一体型っていうね、ブラウン感と本体が一緒になった
半透明だったんですよね。トランスルーセント、ボンダイブルーなんてね、もういろんなよくわかんない単語が並んでましたけども、とにかくかっこいいっていうね。
そんな感じだったんですけども、学生のお金ではちょっと買うのがね、大変で。
もう本当にPC-80互換機でなんとか頑張ってた。しかも友達のオフルームみたいなね、ベアボーンの状態でもらったやつを
自分でまた組み立てて、使ってたっていうね、学生にはなかなかiMacはハードルが高かったですね。
まあでもね、欲しいなぁと思いながらずっと指くわえてましたね。
この年ですね、翌年ね、1999年が国家試験
っていうことで、勉強しなきゃいけないっていう年だったんですけども、
98年の頭は長野オリンピック。でもずっとオリンピック三昧。
で、ちょうどこの学年も2年生から3年生にみたいな時だったんですけども、結構これもギリギリ
なんとか3年生になって、それが1998年ですよね。
で、1999年の2月に国家試験を受けるわけですけども、これもね
自己採点では落としてたんですけども、なぜか国家試験に合格していって、
まあ僕は新級短大を卒業して
社会人になっちゃったんですけども、この99年ですね。
1999年のゴールデンウィークに大阪、OAP大阪っていうところで、マックユーザー主催のイベントの
iウィーク大阪と初めてのiMac
iウィーク大阪っていうのが開催されたんですね。 この1999年を
たぶん皮切りだったと思うんだけど、 そこから何年かiウィーク大阪っていうのは続けてやられているイベントで
Appleのね、Apple Japanの原田社長なんかもね、来るようなイベントで、あとユーザー主催イベントだったんですけども、
結構ねプレゼントコーナーみたいなのがあって、それに参加したくて、モノに釣られて参加したのが最初ですね。
記憶にあるのは1回目か2回目かで忘れましたけども、モンキーパンチ先生のサイン色紙がもらえるようなんてのがあって、結構本気で
あのジャンケンに参加したんですけど普通に負けてましたね。 で、
実際ねそこで5色のiMacに触れちゃったんですよね。ゴールデンウィークにね。
もう物欲センサービンビンですよ。
もう すぐに日本橋のデンデンタウンに行ってね。
もうiMac欲しいって。 どうしようかなーって言って見てる。やっぱ高いんですよね。高いけど、なんとかして
iMac欲しいなーって思ってて、何件かお店見て回ってるうちにちょうどね、このゴールデンウィークの前に
このiMacってマイナーチェンジを何回か繰り返していて、5色になったのが99年の1月ぐらい。
で、99年の4月ぐらいに
マイナーチェンジしてるんですね。少しだけ速くなったりとかメモリが増えたりとか、 ハードディスクも増えたりとかっていう
マイナーチェンジがあって、 色は一緒なんですよ。色は一緒なんですけど、
それのおかげでね、リビジョンCが少し安かったんですよ。ちょっとだけ。何万か。
まあお店としては新しいMac、iMacを
店頭に並べたいので、古いのが在庫として抱えるのは嫌だったんでしょうね。 ちょっと安かったっていうのを見てしまって、もうこれしかないなって言って
買いました。 もうね、本当に右手にiMacで左手にプリンター。
Mac対応のプリンターも買わないといけない。その当時僕が持ってたプリンターは
Windows対応のプリンターだったんで、Mac対応のプリンターを買おうって言って買ったんですね。 iMacはね
ちょっと人気がなかったタンジェリン、オレンジ色ですね。 その子を
迎え入れまして、本当はねライムカラーが欲しかったんですよ。 ライムグリーンがね。
まあね、iMacの方は買えなかったんで、プリンターはそのライムグリーンをっていうことでね、色バラバラ、何のセンスもないみたいなね、そんな買い物になりましたけども、
満足してね、帰りました。 まあでかい買い物でしたけどもね。一応社会人になって
最初のでかい買い物が
僕のファーストMacですね。 OS8.5かな?
本当に懐かしい。ジャーンという音をね、初めて自宅で聞いた時にはちょっと感動しましたけどもね。
まあそうやってiMacを購入してしまうと、もうパソコン通信からは完全に離れてしまいましてね。
ホームページ作成とフレンチブルドック
まあもういつの間にかもパソコン通信はもうね、全くやらないっていう状況になっちゃいまして、
その代わりね、インターネットの方にのめり込んでいくわけですけども、インターネットの方で何をやるかっていうと、
ホームページビルダーというものが、インターネットが日本で普及し始めてすぐからかな?あって、
これでホームページを作るっていうのがすごい流行ってたんですよね、当時ね。
僕もご多分に漏れず、ホワのホームページビルダーを手に入れて、
で、個人ホームページですね。僕はね、当時ねフレンチブルドックの写真を載せたホームページを作ってました。自分が買ってたね、
ホワのフレンチブルドック。名前をね、ザコバと言います。 かつらザコバのザコバですね。
メスのフレンチブルドックですね。 まあね、かなりかわいい子でしたけどもね、まあそのフレンチブルドックの飼い主が
集まって、ハットリ緑地公園でオフ会を開催するなんていうのもね、あの当時経験して結構ね、そのオフ会開催するなんていうのも楽しかったですよね。
2回ぐらいやったかな?僕ともう一人で主催で、
一緒にやってましたね。 で、ホームページはね、実は一つだけじゃなくてもう一つ、あのプロレスの観戦ホームページなんかもやってましたね。
これは当時出てきた大阪プロレスというね、プロレス団体の村浜竹博という選手の
応援ホームページっていうのをやってましたね。 これもね、なかなか面白かったんですけども、
あの、 このホームページを作って
思い出したのが、当時ね、 検索サイトって
今と違ったんですよね。 ディレクトリ型検索って言って、自分である程度こう登録、キーワードをつけて登録しないと検索に引っかからないんですよ。
今ね、Google なんかはこうロボット検索、 まあ今どうなのかな。Google が
ポッドキャストの発見と振り返り
やり始めてたのがロボット検索って言って、自動巡回をして情報を集めて、 世界中のありとあらゆるホームページから情報を引っ張ってきて、検索に引っかけてくれる
っていうのがあったんですけども、まぁ実際ね、僕がやり始めた時は登録しないとできなかったよ。
Google とかYahoo! とかがそんな感じだったと思うんですけどもね。
まあ2000年、ミレニアム、まあよくこの頃は、 もうね、この当時でね、僕はね1回仕事をね、もう辞めてます。一番最初に
やった、入った、一番最初に入った職場は結構早めに辞めてしまいましたね。
で、次の仕事をやりながら、 まあいろいろ
遊んでたんですけども、 2001年に
iPod が 登場しましたね。これも音楽を持ち運ぶっていうのに、それまではこう
ポータブル CD プレイヤーとかね、 MD とかそういうので音楽を聴いてたのが、一気にこのメディアプレイヤーみたいなので聞くっていうのが
これで手軽になったってとこですよね。 でもね、iPod もちょっと高かったですよね。
5万円ぐらいしたんですよね。 そんな高いものはさすがに買えない。あの
ポータブル CD プレイヤーは当時安くて数千円で買うことができたような時代ですから、
ちょっとねiPod すぐには手が出せなかったんですけども、 数年後、それが2004年ですね。
iPod mini が登場して、これちょっと安かったんですよね。 で
初めてiPod を、まあミニですけども購入して、
そこで知ったのがポッドキャストです。 なんだポッドキャストっていう感じでしたけども、
まあいろんなところでね情報だけは聞くので、まあ調べて聞いてみようと思って聞いたらほとんど英語だったんですよね。
日本のやつもあったんですけども、なんかこう ニュースの解説だとか、まああとよくわからない人が喋ったりとかしてるだけで、
大学の先生とかがなんか解説したりとかっていうのもあったかな。 あんまりね面白さを感じなかったんですよね。
当時ね。 自分でもできるよっていうことをね、まあ
わかってはいたんですけども、今のね Spotify とか Apple Podcast とかそういうサービスが特になくて、
非常にこう自分でポッドキャストを表に出すっていうのはすごい大変な作業だったんですよね。
今はね、あの本当にいろんなサービスでポッドキャストが手軽にできるようになって非常にありがたいなと思いますね。
あとまあね、今年50歳になるタイミングで20歳の頃の思い出を振り返るっていう感じで、
あとまあね、今回50歳になったタイミングで20代の思い出を振り返るという感じでやってきましたけども、
ちょうどね、本当に20代から
ちょうどインターネットが世に出始めて。
そして、ポッドキャストの登場までっていう10年間ね、その
パソコン通信の頃にやっていた
自分を表現する、文章を書くという表現から、
今僕はポッドキャストをやって言葉で表現するっていう表現というか、ただ垂れ流しているだけかもしれませんけれども、
気がつけばね、そのパソコン通信の頃からやっていた文章で
自分の表現を出すっていうところから、その後ホームページですよね。ホームページ作成、写真や文章っていうところを得てね、
まあ今僕がやっているのはこのポッドキャスト、言葉で表現するっていうことをやってますけれども、
割とね、手軽にできるものだと思います。ポッドキャストね。
なんでね、ぜひね、やってない人はやってみたらどうかなぁと思います。
今回ね、50になったタイミングで20代の思い出を振り返るというね、パソコン通信の時代から
ポッドキャストが登場するまでっていう、そういうタイミングでしたけれども、こういう機会でもない限りね、
なかなかこう、じっくり自分を思い出すってことはないと思ったんで、
今回こういうね、機会をいただいて非常に楽しく自分を振り返ることができました。
皆さんもね、自分の思い出を振り返ってね、ポッドキャストで話してみるのはいかがでしょうかね。
それでは時間となりましたので、今日はこれで終わります。
ご利用いただきありがとうございました。
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