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こんにちは、いわみです。
11月12日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
昨日が11月11日っていう、ゾロ目の日ですけど。
この11月11日っていろんな名前というか、由来があって、
皆さんは何が一番ピンときますかね。
あんまり多分決まりきったあれはないですよね。
さっきニュースを見てたら、中国の方で独身の日っていうね。
多分シングルっていうことなんでしょうけど。
ああと思ったんですけど。
僕にとってはね、この11月11日ってね。
このラジオでよく言ってますけど毎年。
ベースの日なんですよね。
これは弦が4本あって、ベースの日ってね。
ちょっとかっこいいっていうか。
これを言ってるのはラジオ局のJWAVEが毎年、
11月11日にベース特集をやってるんで。
前に関東に住んでるときはよく聞いてたんですが、
うちの妻が言うのはあれでしたね。
ポッキーの日って言ってましたね。
そんなのもあるんだなと思いますが、
皆さんにとっての11月11日は何の日だったのでしょうか。
昨日は月曜日だったんですけど、
子供が土曜日の台球で家にいたので、
仕事もしてましたが、あまりはかどらない日だったかなと思います。
土曜日に小学校の音楽会っていうのがあって、
それの台球だったんですよね。
1年生から6年生までいろんな各学年、3局かな。
合奏と合唱といろいろやってましたね。
自分が親になってね、ああいうのを見てみると、
年に2回ぐらい会ってもいいなって思うぐらいのあれですけど、
音楽の楽しみ方っていろいろあるなって思いますよね。
僕は昔自分でバンドとかやってたときは、
かなりガチというか、尖った捉え方しかできてなかったんですけど、
今思うと、あれは音楽の本当に一部分しか理解できてなかったなって。
いきなり何の話をしているのかよく分からないけど、続けてみると、
つまり音楽、何が楽しいのかっていうと、
いろいろありますけど、聴いてる方もやってる方もね、
楽しきゃいいわけですよ、音楽なんていうのは。
音楽に限らずかもしれませんけど、
なんかね、若者特有って言ったら若者に失礼かもしれませんが、
音楽に限らず楽しめばいいわけですよ。
音楽に限らず楽しめばいいわけですよ。
自分が真剣にやってるものって、だんだん視野が狭くなってくるんですよね。
自分が真剣にやってるものって、だんだん視野が狭くなってくるんですよね。
これは音楽だけに限らないかもしれないし、
今でも僕はそういう面があるかもしれないから、
今喋りながらいろいろ思い浮かぶことはありますけど、
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何の話をしてたかっていうと、
子供の小学校の演奏会は見方を変えると、
とっても楽しいイベントですよっていう話でした。
1つ話題を決めて短く話してみようと思うんですが、
今日は何の話かというと、
伝えたいことというか、メッセージというか、
そういうことについてぼわっと話してみたいんですが、
どういう切り口で話すかというか、
なんとなく今言いたいことがあるわけですよ、僕の中には。
それでちょっとややこしいんですけど、
僕がここで今言いたいことのタイトルをつけるとしたら、
僕には伝えたいことっていうのはずっとないと思ってたんですよ。
伝えたいことっていうのはメッセージ的なことですよね。
よくアーティストにメッセージ性が強いとか、
映画とか小説とかメッセージの強いとか弱いとか、
いうことがあると思うんですけど、
そういった意味の伝えたいことっていうのは、
僕は全然持ってないなっていうので、
つまりこれだけは言いたい、
これだけは曲げられないというか、
そういうものって僕の中には見当たらないんですよね。
さっきも音楽の話をしましたけど、
芸術的な活動をする上で伝えたいことがないっていうのは、
割と致命的というか、
それは個性がないに結構等しいことに、
なってしまう時があって、
だから俺はうまくいかなかったのかなって思うこともあるんですよ。
つまりテクニック的なこととか、
ロジック的なことに注力して、
その大元にある何を伝えたいかってことが、
空っぽだったっていうね。
バラバラ喋りますけど、
仕事でそういう音楽じゃなくて、
文章とか書く時とか、
基本的に仕事で書く文章っていうのは、
別に自分が思っていることを書くんじゃなくて、
誰かが言っていることをより伝わりやすくというか、
分かりやすく書くというのが基本的な作業になるんですね。
僕はこの頭の使い方がすごく自分に向いているなって最近思うんですよ。
手を動かす技術者、
技術者というのは、
やっているのは楽しいんだけど、
何を伝えるかっていうことを、
自分で持ってくるのがすごく苦手というか、
それはなぜかというとさっき言ったみたいに、
自分の中で別にこれを伝えたいってものがあんまりないから、
あんまり全然ないからなんですね。
テーマとかそういうのを決めるのはね、
方向性とかそういうのを決めるのはあまり得意じゃないんだけど、
自分の中で何を伝えるかっていうのがすごく苦手というか、
そういうのを決めるのはあまり得意じゃないんだけど、
そういう元々あるテーマとか方向性を練りに練って、
他の人にはできないぐらいの精度でそれを届けるっていうのは、
割と得意なんですよね。
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手仕事と言ってもいいかもしれませんけど、
こねくり回して誰にもできないレベルまで持っていくっていうのは、
割と向いているなっていうのは思っているんですね。
ここまでで話を終わってもいいんですけど、
でもさっきね、昼ご飯を食べながら、
でもそうじゃないってこともあるよなっていうのをね、
別の見方をちょっとだけ思いついたんで、
それを考えながら喋ってみます。
ここで問題にしたいのは、
伝えたいことというかメッセージのね、
一つじゃないんじゃないかなっていうことを思って、
何が一つじゃないのかっていうと、
グラデーションというかそういう段階があると思ったんですよ。
伝えたいことのグラデーションで一番浅いレベルというか、
時間的に短いレベルのことを例として出してみると、
例えばさっきね、道で見かけたことを、
家族とか友達に伝えるっていうのは、
これも一応伝えることですよね。
さっきそこで、
複面パトカーが捕まっている乗用車を見たよっていうことを、
家に帰って家族に伝えるとしますよね。
例えばそれを言ってね、
情景を僕が伝えた相手に伝わらなかったとすると、
それは嫌ですよね。
イライラするというか、
なんで伝わらないんだよって思いますよね。
この今の言ったこと、
自分が話したことが伝わらないっていうのと、
僕が一番最初の方に言った、
自分には伝えたいことがないのは、
大きさが全然違うんだけど、
構造としては同じだよなってことを思ったんです。
もう少し詳しく言ってみると、
まず最初に言った、
さっき見たことを目の前にいる人に伝えるっていうね、
コミュニケーションというか雑談というか、
会話ですけど、
でもこれも伝えることですよね。
それでもう一つは、
例えばね、
アーティストが、
画家とか音楽家が、
何かを聴いている人、見ている人に伝えるっていうことも伝えるですよね。
伝えるものと伝える対象がね、
あと伝え方も違うけど、
方向性というか、
やってることは基本的に同じだなってことを思ったんです。
分かりづらいかもしれないけど、
僕がここで言いたいのは、
時間軸が違うっていうだけで、
やってることは同じだっていうことを伝えたいんですね。
今、僕はね、
その話を、音声配信を聞いてくださっている方にいるわけですけど、
これも伝えたいことではあるわけですよ。
僕の頭の中にあることを、
なるべく具現化して、
分かりやすい言葉で伝えるっていうね。
これがうまく伝わらなかったら、
ちょっと悲しいし、
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もっとうまく伝えたいと思うし、
で、仮にちゃんとね、
僕の思ったことが聞いている人とか、
文章だったり読んでいる人にちゃんと伝わると、
それは喜びを感じるわけですよね。
そう考えると、
僕の中に別に伝えたいことがないっていうのは、
そんなことはないんじゃないかと思ったんですね。
一つの結論で言うと、
伝えたいことが全くない人なんていないんじゃないかっていうことだけど、
言ってみれば当たり前だけど、
でもね、僕にとっては一つのちょっとした発見だったというか、
今、頭の中に思い浮かんだことをちゃんと伝えられることの喜びと、
アーティスト的なね、
別にアーティストじゃなくてもいいんだけど、
もう少しその抽象的なものをね、
顔の見えない人に届けるっていうことのね、
違いっていうのは、
あんまりないんじゃないかって思ったんです。
それで僕は、なんでこんなことを考えたかって言うと、
一つには仕事、今やってる仕事のことがあって、
ゼロから何かをね、生み出すっていうのは、
僕にあんまり向いてないのかなって思っていたんですけど、
本当のゼロっていうのは、
基本的にはありえないわけで、
ゼロっていうところをどこに持ってくるかっていうね、
そのゼロっていうところをね、
僕はね、
あんまり見えないわけで、
ゼロっていうところをどこに持ってくるかっていうね、
その視点の違いだけで、
別に伝えたいことが全くないってことは、
ありえないわけなんですよ。
ちょっとあまり広がらなかったし、
あまりまとまらないので、
また今度話してみようかなと思うんですが、
今まで話したことを自分なりにまとめてみると、
今まで僕は自分のことを技術者としては使えるというか、
やりたいことはあるけど、
その表現者みたいなところでね、
僕の商分じゃないんだなってことをね、
ここ何年か思ってきたんですよ。
それまでに割と表現をしようと思って、
挫折してきたみたいな経験もあるからかもしれないけど、
でもこれはやっぱり何て言うんだろう、
生まれ持ったものが違うんだなってことを思ってたんですけど、
見方が変わってきたというか、
その表現者っていうのは別にね、
ゼロから何かを持ってくるんじゃなくて、
その辺にあるものを何かを伝えるっていう、
その伝え方にしても、
その表現になりうるというわけで、
道端で見かけたね、
ネズミ捕りのパトカーをね、
見た話を人に伝えることだって、
すごいレベルで見れば、
ある意味表現の一つではあるわけですよね。
人によってそれは言い方は違うわけだし、
どこを切り取ってね、
どこを伝えるかっていうね、
発話する人に委ねられてるわけですから、
僕はそのね、
切り取り方を考えるのがすごく楽しいなって、
最近思っているんですよ。
その切り取りのことを、
最近は編集だなって思っていたんですけど、
もちろんこれはね、
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切り取るのは編集でもあるし、
それをどう見せるかっていうね、
そのプロデュース的なこともあるんですけど、
でもこれを一括りにして、
表現することだなって言っても構わないなと思ってね、
何を言いたいのかわからないかもしれないけど、
そんなことを思ったわけです。
でね、最後には全然違う角度から、
同じ話をしてみようと思いますが、
このね、何かを表現するっていうことはね、
多分ね、これからの時代に、
多分唯一残されたね、
多分人間の楽しみなんじゃないかなっていう気がしているんですけど、
今までね、そうやって何かを、
とにかく効率よく進めて、
仕事でも、
お金を稼いで楽しく暮らすっていうね、
いうのが割と一般的な幸せの構造だったと思うんですけど、
だんだんその構造が変わってきて、
今までのやり方が通用しなくなった時に、
じゃあ何が、
次は何かというか、
何が残るのかって言うと、
まずは、
個人的な表現というか、
見たものをちゃんと伝えて、
それがちゃんと相手に伝わったことの喜びみたいなね、
言ってみればすごい原始的なね、
その人間の喜びみたいなものが、
結局は残るんじゃないかなと、
思ったという、
そんな話でした。
はい、ちょっと最後、
わけわからない話をしたかもしれませんが、
終わりにします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
では、この試験が終わりにします。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。