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こんにちは、いわみです。
5月21日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は、今日の最高気温は27℃、今実際にそれぐらいあるんですけど、
僕、短パンとTシャツですね。もちろん靴下も履いてませんし、夏が始まった感じがします。
そういえば、僕、去年ね、いきなり変な話をしますけど、
去年の夏ね、多分ほぼ一回も靴下を履かなかったっていうね、
ちょっと輝かしい僕にとってのね、達成をね、ラジオで話したかなと思って、
なんか一回ぐらい話した記憶はあるんですけど、
本当にどうでもいいことは、重々承知の上で、いきなりこんな話題をぶち込んでますけど、
皆さんはね、多分毎日靴下を履いて出勤されていたりすると思うんですが、
夏に靴下を履かない暮らしってね、履かなくていい暮らしって、
なかなか僕は豊かだなと思っているんですが、
皆さんはどうお考えでしょうか。
外に出かけるときはどうするんだと思うかもしれませんけど、
もちろんあれですよね、サンダルですよね。
しかもただのサンダルっていうか、すぐ脱げちゃうようなサンダルじゃなくて、
ちゃんとベルトでね、パチンと締まるサンダルだったりとか、
あと今年はね、スリッポンでしたっけ、
靴みたいな、よく子供が水遊び用に履いているような脱げない防水の靴みたいな、
隙間の開いた靴みたいな、割とちゃんとしたやつを買えば、
それで一夏過ごせるなと思っていたりしますが、
そんな靴下の話題はこれぐらいにして、
本題というか思ったことを話していきたいと思います。
今日話してみたいこと、考えたことはですね、
発信のステージを上げるためには何をすればいいかみたいなことを考えながら話していきたいと思います。
発信のステージって何ぞやっていう話ですけど、
僕もそんなに明確に定義を切って話し始めているわけではないんですが、
簡単に言うと、発信の初心者のときは言語化の初心者と言ってもいいかもしれませんけど、
自分の思っていることはあまりうまく伝えられないし、
ひいてはそれはね、自分が何を考えているかっていうのは自分でよく分かっていないっていうことでも、
僕はあると思うんですけど、
言語化が正確にできるようになると思考が正確になるというか、
思考が落ち着いてくるというか、
地に足がついてくるという面もあると思っていて、
そこまで来ると初心者を抜けたみたいなぐらいの状態かなと思って、
これを聞いている方も自分で発信をされている方とか音声配信とかブログとかされている方が多いと思うので、
そこは抜けてるよっていう方が多いと思うんですけど、
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僕が思うのは、その次のステージに行くにはどうすればいいのかなってことを最近よく考えるんですね。
その次のステージっていうのは何か、どんなことかっていうと、
ここはいろんな視点というか切り口があると思うんですけど、
一つ言えるとしたらオリジナリティがある。
その人にしか出せない発信というか味があるというか個性があるというか、
そういうことだと思うんですよね。
一人の人が自分の言葉でしゃべっている限り、それは個性と言えなくはないんだけど、
その個性を認めるか認めないかっていうのは周りの人が判断することで、
いくら発信している本人がこれが僕の個性ですって言っても、
周りから見たらですね、よくあること言ってるよねって思われたらそれはそこまでなわけで、
今の僕はね、多分そういうところにいると思うんですよ。
そういうところっていうのはあれですね。
知らない人から見たらよくある話題をよくある口調で、
口調というかよくある文法でよくある意見を言っている、ただの人っていうことですよね。
それも全然悪くないんですけど、なんかつまんねえなって思い始めてきたっていうか、
何回か思ったんですけど、別にこれが自分の仕事とかお金に関係しないんだったら別にそれは好きにやればいいんだけど、
でもね、いかんせんというか、僕が自分で選んだね、そういう生き方というか働き方で、
それだとどうにもなんないなっていうような道を僕は今歩んでいるわけなので、
考えていることがありふれているっていうのは結構致命的なことなんですよね。
みんなと同じものを見て、同じように考えて、同じことを発信して、みんなってなんだよって話もありますけど、
よくある割合とかそういうことでも言えるかもしれませんけど、よくある考え方でも、
いる場所を変えればそれは全然よくあるポジションじゃなくなることもあるわけなので、
例えばこのインターネット上とかツイッターとか音声配信でよくある人がですね、
例えばすごい地方のおじいちゃんおばあちゃんばかりしかいないところにいたら、それはもう異彩を放つわけですよね。
何を持ってよくある意見なのかっていうのはあまり深く追求はせずに、
インターネット上というか、僕の周囲にいる人と僕の考えていることが客観的に見てどの程度似ているかとか、
違っているかみたいなことだと思うんですよね。
やっぱり自分に対するプラスのバイアスは働くなって思っていて、
俺はちょっと違うんだよなって思うっていうことですよね。
そう思いたくなる気持ちは自然なことだし、自然なことではあるんだけど、
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でも本当に客観的に見ると、そんなにオリジナリティのあること言ってないし、
特に誰の目も引かないなっていうこと、耳というか目も引かないなっていうことでね。
それでここでちょっと次なる視点を取り出してみたいんですけど、
表現のスキルというか、論理的に正しいかとか、
そういうところを割と求めてきたところがあって、
そこでスキルでたどり着けるステージがもう終わっているなってことに気づいた、
みたいなことを今日は言いたかったんですね。
最初の発信の初心者のときは、自分の考えがうまく言葉にできないっていう話をしましたが、
だんだんそれ続けていくと、自分の言葉というか考えを言語に、
言葉にすることができるようになって、
それと同時に自分の思考もだんだんクリアになっていくわけですけど、
そうなると結構楽しくなってきて、
すごい自分の考えていることを何でも言葉にしてみたくなるみたいなことわざか何かで、
金槌を持つと全部釘に見えるみたいなね。
僕結構このことわざが好きなんですけど、ことわざなのかな。
日本語なのか英語圏なのか知りませんが、
このことわざ何を言いたいのかというと、
便利な道具を持つと、それをひたすら使いたくなることを言っているわけですけど、
言葉っていうのはすごく便利な道具なんですね。
使えるといろんなところで役立つし、
場合によって威力というか武器にもなるし、防御にもなるし、
いろんな使い方ができるわけですが、便利な威力の強い武器を持つようになると、
それをひたすら振り回したくなるという面はあるんですよ。
この武器が振り回せば振り回すほど使い勝手が良くなるし、威力も増してくるから、
それで楽しくなってどんどん言葉の威力を高めたりとか、
言葉の切れ味を研ぎ澄ませたりっていうことをやりがちなんですけど、
でもこれをやっていてもどこにも行けないなっていうね、
これ以上進めないなっていうところが見えてきたというか、
前から見えていたんだけど、その一段上に行くことを放棄していたみたいなところがあります。
なんで一段上に行くことを放棄していたのかっていうと、
それは次のステージに行くにはどうしたらいいのかってことと答えは同じなんですけど、
これ何回考えても同じ答えにたどり着いて、それをこれだなって思ったことを言ってみると、
発信の次のステージに行くためにすることは、
多分間違っていることをすることだと僕は思ったんですね。
間違っていることっていうのはどういうことかというと、
論理的には正しくないこと、もしくはその論理的につながっていないというか、
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説明できないこと、もっと言うと他の人と違うことっていうことでもあるんですよね。
他の人と違うこと、反対に他の人と同じことはどんなのかっていうと、
今これはすごくわかりやすい例があるんですよ。
それが何かっていうと、生成AIなんです。
生成AIってChatGPTとかGeminiとかいろいろ出てますが、
何か質問を聞くと答えてくれますよね。
すごく正しいんですけど、別に面白くないわけですよね。
もともと正しい答えとか、論理的にその日の打ちどころのない答え、
それほど価値はないんだけど、
AIが登場してきて、この精度が上がったことで、
さらにその正しい答えの価値っていうのはなくなっているなと思って、
じゃあその価値のある答えというか、
価値のある思考を自分で身につけるには、
自分で身につけるには何をしたらいいのか。
もしかしたら聞きようによっては、
意識の高いことを考えて言っているように聞こえるかもしれないけど、
でも言い方は違えど、
誰しもこれは多かれ少なかれ考えていることなんじゃないかなと僕は思っていますが、
今これ喋りながら思いましたけど、
今まさに僕が言ったようなことがつまんないことなんですよ。
つまんないことっていうのはどういうことかというと、
どっちでもあるじゃんっていうことをね、
一つのAという答えを言ったときに、
Bもありますよねっていうのを同時に揃えて出すっていうのは、
これが僕にとってつまんない意見の代表格だなと思って、
これね僕すごくよくやりがちなんで、
これをちょっと方向を変えていこうと思っていて、
これを喋っているんですが、
これは言い換えると何て言うんだろうな、
正しくあろうとしないっていうことですけど、
正しくあろうとするっていうのは別に論理的に正しいとかっていうこともあるけど、
もっと根本的な問題は、
自分が批判されないようにしようっていうね、
意識の何か自己防衛みたいな意識がどこかに働いているはずなんですよね。
僕は自分の言動を振り返るとそういうことに結構思い当たるんですが、
例えば僕はこのラジオの冒頭とかに、
今日の天候みたいなことを言い出すわけですけど、
それで自分の配信動画を聞き返して、
よく言っていることがあって、
コーチュは温かいわけですけど、
これが四国に来たから、
日本の平均より前に住んでいたところよりも温かくなったのか、
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それとも今は全国的に温かいのかっていうね、
当然の疑問なわけですけど、
でもそれをラジオで言うことないじゃんっていうことなんですよね。
これは別にどっちでもいいというか、
どっちでもあるわけだし、
どっちでもないかもしれないし、
果たして別にそれがね、もし答えがどっちかあったとしても、
面白くないわけですよね。
もう一個別の例えを出してみると、
音楽で曲を作るときに、
あんまり曲を作ったことのある人はいないかもしれませんけど、
僕は一時期自分で作曲とかバンドとかやっていたので作ったことがありますが、
そのときに音楽理論みたいなのがあるわけですよ。
コードとかスケールとか。
それでごく基本的な理論というか、
メジャースケールでメジャーのコードを使って、
3コードとか3つ基本のコードを使ってやると、
一旦それなりの形になるというか、
きれいには聞こえるんですけど、
それっていうのは誰にでも作れるし、
何の面白みもないわけですよね。
それで打開するためにもう少し複雑な理論というか、
ちょっと変な音を入れてみたりとか、
ちょっと複雑なコードを使ってみたりということをするようになるんですけど、
でもその理論のところをいくら育てて鍛えても、
人の心を弾けるような、弾くような曲になるかっていったら、
それはまたならない。
音楽の場合はどんな部分が人の心に刺さるというか、
人の意識を引くんだっていう考えると、
やっぱりこれも僕が思うにオリジナリティだと思うんですよね。
オリジナリティとは何かっていうのを、
これもまた難しい問題ですけど、
でもこれを一言で言ってしまうと、
やっぱり一般的には正しいと思われていないことだと、
僕は思います。
つまりある意味で間違っていること。
間違っているほどではなくても、
そんなに正解、メインストリームではないような、
正解ではないことを本気で正解だと思ってやるっていうことが、
僕はこれがオリジナリティなんじゃないかなと。
よく楽器の演奏とかで、
今の若い子っていうのは、
演奏技術が高いと言われるんですよ。
なぜ高いのかというと、
無料の教材がいっぱい転がっているからなんですが、
それはYouTubeだったりとか、
インターネットの記事とか動画だったり、
すごいピンポイントでいろんな曲がいろんな双方で、
上手い人が弾いているのを見れるから、
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それを見てみんな学ぶわけですよね。
今までだったらお金を払ったりとか、
そういう仲間がいないと得られなかった情報が、
結構サクサク手に入るから、
若い人たちのギターでもドラムでも、
演奏技術っていうのは上がっているって、
僕も見てて思います、確かに。
でもその一方で、
自分を勘違いする余地がなくなってしまうっていうことも、
一つのデメリットとして、
勘違いする余地っていうのは、
だんだん上手くなってくると、
俺って才能あるんじゃないかとかって、
思ったりする経験ってあると思うんですけど、
それが簡単に打ち砕かれてしまうっていうね。
それもYouTubeとか動画を見ると、
自分より上手い人がわんさといて、
それに比べて自分は下手くそだなって思ってしまうから、
これは勘違いをしないというか、
図に乗らないっていう面でよくはあるんだけど、
あまり外れられないというか、
メインから外れられないっていう、
そういうデメリットもありますよね。
正しくないこと、正しいことをしないっていうか、
正しくないことをするのがオリジナリティだって、
そのオリジナリティを出すのに、
やっぱり勘違いって結構重要な要素だと思っていまして、
今は勉強熱心な人ほど、
オリジナリティを出しにくいのかなって思っているから、
どっちの方向に行ったらいいというか、
どういう性格の人がいいのかなっていうのは、
なかなか答えはないわけですが、
今日話したことを簡単にまとめてみると、
発信の次なるステージに行くのに必要なことは、
正しさとか教科書的な正しさとか、
きれいに納めるみたいなことを、
一回取っ払ってしまうことだなと。
それで正しいこと、
論理的に正しいことっていうのはどういうことかっていうと、
AIがね、生成AIが出すような答え。
それは論理的には正しいんだけど、
今となってはもう何の価値もないというか、
論理的に正しいことだけをしているようだったら、
あんまり生きている価値がないとは言わないけど、
しゃべっている内容だけを見たら、
それに近いというか、価値はないというか、
もう少し平たく言うと、
つまらないっていうことになると思います。
価値というか、正しさのレールから外れるためには、
どうしたらいいのかっていうと、
やっぱりそんなに勉強しないことも大事だなと。
少なくとも自分がやろうとしている分野では、
そんなにたくさんの情報を入れないほうが、
変な言い方ですけど、
道を踏み外しやすいんですよね。
ここで言っているのは、
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結構いい意味でのメインから外れるということですけど、
僕はもともとそういう、
あんまり勉強熱心じゃないというか、
程度によっては、テーマによっては、
結構しつこく勉強するほうですけど、
こう見えてというか、
人と同じことを好まない傾向があるので、
今まで言ってきたただのことが、
割と自分の自己正当化バイアスが入っている面も、
あるのかもしれないけど、
でも僕は思うんですが、
筋の通った意見を言おうとすると、
必ず切り落とさなければならない情報というか、
切り落とさなくてはならない側の意見というのがあって、
それを切り落とすと、
一般的に見ると間違っているというか、
突っ込みどころがある意見になるわけですよ。
そうは言っても、こういう意見もあるじゃないかとか、
そうじゃない人もいますよねという意見は、
喰らいやすくなるわけですけど、
それを恐れていると、
何にも出せないというか、
つまらない意見にしかならないなということを、
最近は痛感していまして、
今日は暑いけど、これがコーチ特有なのか、
日本の傾向なのか、全国的な傾向なのか、
そんなのどっちでもいいかもしれませんけど、
僕がその時にすべきなのは、
この場合はコーチはとても気候のいいところですと、
今日のコーチはすごく最高な気候ですって、
それだけを言えばいいわけですよ。
他のことなんか知らんということで構わない。
そうですね。
今日の結論を一言で言うとすると、
他のやつのことなんて知らん。
そういう姿勢でいきましょうという、
そんな話でした。
特に得るものはなかったかもしれませんが、
考えたことを喋ってみました。
終わりにします。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。