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こんにちは、いわみです。
1月16日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は作業だけして、音声配信はやるつもりはもともとなかったんですけど、
なんとなく喋りたくなって回してみました。
特に喋ることは決めていないんですが、
こういう時はだらだら長くなりがちなので、10分くらいで終わらせるということでやってみます。
言ってみれば、この配信の収録の目的は、僕の気分転換的なものなので、
その場合は10分かけようが20分かけようが、そんなに効率というか効果は変わらないので、
始めた瞬間にも意味があるというような形でやっておりますが、
それでそんなに話すことは決めていないんですが、
読んだ本の感想なんかを短く喋ってみようと思います。
本の感想を10分だけで喋るってむしろ難しいんですけど、それに挑戦してみますが、
何の本を読んだのかというと、タイトルがすごいんですけど、
人間はどこまで家畜かという本をオーディオブックで読みましたね。
オーディブルで聞けたので。
書いたのは熊城透さんという方で、ネットとかで結構名前を見てたんですけど、
コラムとかよく書いている人で、精神科医なの?
今、著者の略歴というのを読み上げてみると、
1975年生まれの精神科医、新州大学医学部卒業、ブログ白クマのクズカゴにて、
現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信し続けている。
名前が熊城さんだから白クマなんでしょうね。
なかなかひねり抜き板なのかわかりませんが、
それでこの僕が読んだ、人間はどこまで家畜かっていうね、
これは家畜って言葉ありますけど、
人間はこの本によると自己家畜化してきているっていうのがテーマになった主張の本なんですよ。
自己家畜化ってのはどういうことかっていうと、
自分で自分を家畜のようにしているっていうことですけど、
これすごく腑に落ちるというか、考えさせる本だったので、
ちょっと忘れないうちに喋っておきたいんですね。
これ僕はオーディオブックで聞いたので、
その本文をちょっと引用したりすることが技術的にちょっと難しいんですけど、
だからどういう角度で、しかも10分で終わらせるとなると、
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こういう時はその本の内容というよりも、
本を読んで僕が思ったことをピンポイントで喋ってしまうっていう、
これが僕なりの本のレビューの今のところの正解なんですけど、
それを言い訳しながらやってみると、
あのね、僕が子供の頃というか、
ほんの多分20年とか30年くらい前って、
日本というか、日本にしてみますけど、
もっと雑然としていたなっていう記憶があるんですよ。
これを聞いている方はね、さすがに30,40代以上上だと思うので、
その頃の記憶がある方がほとんどだと思うんですけど、
昔ってもう少しなんて言うんでしょうね、
ワイルドというか雑然というか、
よく言えばもっとはみ出すことが許されていたような気がするんですよね。
それで本当にちょっとずつ変わってきたから、
わかんなかったけど、こういう本で読んでみると改めて気づくのが、
今は結構ちょっとした脱線もあんまり許されないというか、
許されてないわけじゃないんだけど、
でも自分で自分をそこに押し込めてしまっている面があるよなって思ったんですね。
例えばで思いつくのは結構何か引きになるようになってしまうんですけど、
例えばね、タチションとかしてる人もう見ないじゃないですか。
僕の近辺だとね、たまに河原とかで農家のおっちゃんとかね、
河原じゃないな、土手みたいなところでしてる人、
たまーにね、ジョギングとかしてると見かけますけど、
多分これを聞いてる人はほぼね、大体その都市部に住んでる人が多いと思うんで、
タチションって多分見かけたことないですよね。
でも昔は多分結構いたじゃないですか。
自分でしたことあるっていう人もいると思いますけど、男性だったら。
まあ今でもね、キャンプ行ったりとかそういう山とか行けば、
別にそんなに抵抗はないかもしれないけど、
普通にその人が歩いているようなところでするって。
昔も抵抗はあったかもしれないけど、
でも見かけなくなったし、
ちょっと考えられないなっていう感じがしてしまうじゃないですか。
これはね、僕が別に大人になったからっていうよりも、
社会全体がそっちの方に向かってきているっていうね。
これ今タチションの話をしてしまいましたけど、
これは一つの例で何を言いたいのかというと、
そういう動物的な行動というか、
人工じゃないという行動みたいのが、
できない世の中になっているよなっていうことをね、
この本を読みながら、
似たようなことも書いてあったんですけど本にね。
思ったんですよ。
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動物的な行動。
言ってみれば生殖の行動とかもね、動物的な行動ですけど、
そういう出生率が減っているとか、
初体験の年齢が上がっているみたいな、
そういうのもだからね、
タチションとそれを同じにするのかはどうかと思いますけど、
それはともかく、
同じ線の上にあることとして見るのも可能じゃないですか。
それでこの本に書いてあることでもう一つ考えさせられたことが、
その家畜になれない人たちっていうのがいて、
その人たちは結構これから大変だっていうね、
これからっていうか大変な思いをしているっていうみたいな話が書いてあったんですよ。
これはどういうことかというとですね、
要するにその家畜家っていうのは、
言葉は悪いけど基本的には人工の決められたステージというか、
場所でうまくそこに自分を適応させて生きていけるっていうね、
一つの場所に座って勉強ができるとか、
周りの人間とそんなに喧嘩しないで揉めずに仲良くやっていけるとか、
急に怒りだしたりとか、
人を殴ったりとかしないとか、
そういうのが今求められている、
現代人に求められている傾向だとすると、
どうしてもそこに馴染めない人っていうのは出てくるじゃないですか。
そのことをこの本では家畜になれない人たちみたいな呼び方をしているんですね。
そういう人たちは今の世の中だと家畜になれない人っていうのは、
適応障害とか発達障害みたいな、
そういうラベリングをされて、
普通と呼ばれる中央の中から弾かれた存在になってしまうっていうことがあるんですよね。
学校とかね、僕の子供、小学校行ってますけど、
考えるとやっぱり席にずっと座っていられないで動き回っちゃう子とか、
一つの場所に集中できない子っていうのは、
多分特別支援学級みたいなのに入れられちゃう子もいるっていうふうに聞いたことがあるんで、
でもそれはなんて言うんでしょうね、
その線引きみたいなのがすごい厳しくなって、
これができる子はこっちで、できなかったらあっちみたいなね、
線引きがされて、どんどん自己家畜化できる人間とできない人間で線引きがされて、
されていないのがどんどん外に追いやられてしまうみたいなね、
ある意味その窮屈な世界になっているんじゃないかっていうその疑問を、
この本の中では提示されていて、
それでその一つの場所にずっと座っていられないとか、
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自分の感情を爆発させないみたいなことは、
今ではなんて言うんでしょうね、
それができることが良いこととされるけど、
これは必ずしも別に人類の歴史の中でずっとそうだったわけじゃないというか、
むしろつい最近の出来事だっていうこともこの本に書いてあったんですよね。
例えばその中世とかね、日本だと戦国時代みたいな時っていうのは、
その自分の感情を押し殺してバカにされても何をされても黙っているような人がいたら、
多分そっちの方が適応障害というか、むしろその生き残っていけなかったわけですね。
昔は本当にもうなんかされたら火がついたみたいに怒って急に斬りかかるとか殴りかかるとか、
そういう人間の方が特に男の場合は生き残れて、
そういう人たちが子孫を残してきたと思うんですけど、
それでちょっと数百年経った今では同じ反応をしてしまうと、
今度はそれが適応障害とかね、人格に問題があるみたいな風に見なされてしまうっていうのは、
別に人間が変わったわけじゃなくて、
これは社会の規範というかルールが変わって、
それに素早く対応できない、適応できないとそこから弾かれてしまうみたいな。
それでこの読んだ本の熊城とおるさんの
人間はどこまで家畜かっていう本ですけど、
この最終章かなんかに未来予測が書いてあったんですよ。
これは本にも書いてあったけど、かなり悲観的な未来予測。
2段階の未来予測が書いてあったんですけど、
確か2060年ぐらいとさらにその100年後の2160年ぐらいの未来予測も書いてあって、
結構高等無形というかかなりディストピア的な書き方もされていたんですけど、
なんとなくちょっと説得力があるなって思っちゃったので、
紹介してみたいんですけど覚えている範囲で。
2060年の方の最初の未来予測の方を忘れちゃったというか、
わりと悲観的な未来が書いてあって、
その後のさらに100年後の2160年の、
今から言うと136年後っていうことですけど、
135年後か、そこの未来予測が結構衝撃的というか面白いというか書いてあって、
一個すごいなと思ったのは、
人間の生殖みたいな、生殖というのは子孫の繁栄させる方法みたいなのが、
完全に人工化されることが書いてあって、
完全に人工化されるというのはどういうことかというと、
人間の生死と乱死を適当にというか人工的に採取して、
国がそれを保管して勝手に受精卵を作って、それで孵化させてみたいなね。
それだから完全に子育てっていうのは、
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親から今みたいな肉親から切り離されて、
完全に分離されるっていう未来が来るんじゃないかっていう未来予測ですけど、
書いてあったんですけど、
これちょっとうまく説明できないけど、
なんかこれありそうだなって思っちゃったんですよ。
つまりね、生死と乱死を受精させて、
そこから子供を生まれるっていうのは技術的にできそうな気もしますけど、
でもそれができるようになると、
結構だから子育てみたいなのは、
完全に専門家と専門施設で完全に集めて機械的に管理してやった方が、
効率はいいなって思っちゃったんですよ。
本の書き方がそういうことだから思ったわけで、
別に僕がそれがいいなって思っているわけではないんですけど、
その自行家畜化っていうテーマから、
130年後の人間の繁殖の人工化っていうのは、
結構話が飛びすぎている気もしますけど、
本を読むと割とつながっているように聞こえるというか、
説得力があるように思えたんですよね。
それで気になる方はこの本を読んでもらうとして、
新書なので割とさっと読めるし、
オーディブルだったら無料というか定額を聞き放題の中に入っているので、
たぶん5時間くらいで10倍でも聞けたような気がしますので、
気になった方は聞いていただければと思うんですが、
最後にこの本が何を問いかけようとしているのかというと、
最後の未来予測のところが割と僕は肝というか、
これで果たしていいんでしたっけっていうことだと僕は思ったんですよ。
だんだん争い事がなくなったりとか、
ワイルドさがなくなって、
人間がどんどん寿命も伸びて平穏なのかどうかわからないけど、
安全に暮らしていける世界が来るのはもちろん素晴らしいんだけど、
でもその反面として異物を許さない、
はみ出たものを全然どんどん許さない方向に世界が進んでいるんだとしたら、
これをそのまま押し進めると本当に人工のものだけに支配されて、
自然なものは排除されていくっていう、
その一つの象徴的なものとして、
人間の生殖が完全に養殖みたいな、
家畜って養殖されるじゃないですか、
牛とか鶏とかって完全に優れた種だけを残すように、
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一つの優秀なオスウマみたいなやつが種付け用にされて、
そこから子供を産んで、
病気とかがあったらどんどん知りづけられてみたいな、
そういうコスト重視の繁殖みたいなことになって、
良くも悪くも今の現代はまだそういう風になっていないじゃないですか、
ギリギリというか人間の繁殖っていうのは過労してたのか、
自然の摂理みたいなのを残すようになっているじゃないですか、
残すようにというか、それじゃないと今のところは、
人間は繁殖できないから普通に成功があって、
そこで妊娠・出産をして、
それを基本的にはそれを産んだ両親が育てて、
周りの力を借りながらっていうことですけど、
でも今の段階で結構それって限界が来ているな、
たぶん子育てをしている人はほぼ同意できると思うんですけど、
かなり今の核家族の中で子育てをするって、
割とハードなことですよね。
昔はそうじゃなかったのかって言われたら、
別に話にしか聞いたことがないから、
昔と今がどのくらい大変さが変わっているのかっていうのは分からないけど、
でもそれにしても、
核家族っていうのは子育てっていう活動にとっては、
かなりハードな家族形態だなって僕は常々思っているんですよ。
この最後の話は、
家畜化される未来は果たしていいものなのか、
悪いものなのかっていう問いかけなんじゃないかって話ですけど、
僕が言った核家族が子育てにはハードすぎるっていう話と、
だから人間の繁殖が完全に分離、
親と分離されて、
受精卵を本当にカプセルみたいなところで育てて、
それを集団で管理して、
ある程度の年齢まで育てる。
それがもし本当に可能になる、
100年後とかに可能になった未来が来たら、
親が僕らが今感じているような子育てのストレスというか、
苦痛みたいのは解放されるわけだけど、
それでいいのかなって思っちゃいますよね。
でもこれはね、
僕はちょっとこれに似たようなことというか、
こっちの方向に人類は進むんだろうなっていう感じが、
この本を読むとしちゃったわけですけど、
そうなるにはそうなるのに理由があって、
やっぱりだんだん最適化されていくわけですよね、
いろんなことが。
これだと大変だって今みんな言ってるから、
子供は別に育てなくていいですよっていう、
完全に国が主導でやりますからっていう未来が来たとしたら、
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個人の生活というか、
ストレスみたいのはなくなるけど、
それはそれで喜びみたいのも奪われてしまう。
それでそれが当たり前になると、
昔100年前に人間がこうやって子育てをしてきたっていうのは、
伝説みたいな、
本で読むだけの話になってしまって、
そういう喜びがあったみたいなことも、
人間は多分簡単に忘れてしまうから、
みたいなことを思ったんですね。
それちょっとうまく言えないんですけど、
社会の仕組みが変わることによって、
昔起きてたことをどんどん人が忘れていってしまうっていうのは、
今までにも多分同じようなことは、
ずっと起きてきたんだろうなっていう想像もできたんですよ。
今僕が話したのは、
2025年の現在から100年とか130年後の未来を予測して、
未来の人が今のことを忘れてしまっているっていうことを話したんですけど、
例えば今、2025年が未来だとして、
今から100年前の1925年の人ね、
1900年ぐらいでもいいですけど、
その時の人はね、
今と比べたらすごく不便で、
ヴァイルドで苦しい。
立ちしょうべんとかどころじゃないね。
犯罪率も高かっただろうし、
暴力とかそういうのは当たり前だった時代が、
200年ぐらい前はあると思うんですけど、
そこにその時代に戻りたいのかって言われたら、
決して戻りたくはないけど、
でもそこにはね、今と比べたらもっと何て言うんだろう、
ある意味で自由があったし、
ある意味でいろんなやりようがあった時代だったんじゃないかなってことをね、
想像したんですよ。
結局話がどんどん長くなってしまったので、
あまりまとめずに終えようと思うんですが、
この本のテーマは、
自己家畜化。
人間が自分で自分を家畜みたいにどんどんしていくっていうことについてね、
書かれていた本でとても面白かったので、
そういう話が好きな方というか、
人間の未来予測みたいなのをね、
考えてみたい方はすごくおすすめの本です。
この熊城徹さんという人の本を僕は初めて読んだんですけど、
他にもいろいろ書いているみたいなのを読んでみようかなと思いました。
はい、そんな感じで終わりにします。
ありがとうございました。
良い一日を過ごしてください。
さようなら。