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こんにちは、いわみです。
3月13日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
シンパシーとエンパシーの違い
今日も前置き抜きで本題から入りますが、
今日の話は、シンパシーとエンパシーについて考えていたら、
なんか違いがだんだんわからなくなってきたって、そういう話をしてみたいんですが、
シンパシーとエンパシーというのは、僕自分のラジオでも何回か取り上げたことがあるんですね。
たぶん2、3回話したことがあると思うんですけど、
そもそも最初はですね、たぶん何年か前に、ブレイディ・ミカコさんの本を読んでですね、
その時に初めてこの2つの定義の違いみたいなのを知ったんですよ。
ブレイディ・ミカコさんってイギリス在住のコラムニストですけど、
その日々を綴ったエッセイなの。
僕は、イエローでホワイトでちょっとブルー。
ちょっとこの順番がいつもわからなくなるんですけど、確かその本の中でも出てきたし、
たぶんその後でそのエンパシーとシンパシーに関するそれをテーマに扱った本も書いてるんですよね。
他者の靴を履く、ちょっとその辺もぐだぐだになってますけど、
その本を読んで僕は思ったことを最初に話したんですけど、
今回なんでそれをもう一回話すのかっていうと、
英語圏の人でもこのシンパシーとエンパシーの違いってよく分かってないというか、
イーロン・マスクの視点
もしかしたら人によってとか国によって違うなっていうのが分かってきたっていうことをまず話したいんですよ。
今回の話をしようと思った直接のきっかけは、これニュースの記事なんですけど、
リンクを貼っておきますけど、CNNの記事なんですけど、
これタイトルからしてね、興味深いんですが、
イーロン・マスク氏は西洋文明を共感から救いたいってですね、
3月7日に投稿されているんで、これねすごく興味深いんでね、
興味がある人はぜひ読んでほしいなと思うんですが、
これ記事の内容はね、イーロン・マスクさんが今同時ってね、
政府効率化省でやっていることを何をしようとしてるんだっていう、
まあ今一番よくあると言ってもいい考察の内容なんですけど、
その中でですね、ジョー・ローガンのポッドキャストに出た時の話があって、
その中の一つでね、興味深いエピソードとして取り上げられているところが、
その共感に関するところなんですよ。
西洋文明を共感から救いたいってどういうことなのかって言うと、
これねちゃんと僕は理解できているわけではないんですけど、
その文章を拾ってみると、西洋文明のバグだって言っているんですよ。
バグってのはエラーみたいなことですね。
エンパシーが西洋文明のバグだから、
それは救わなくてはいけないっていうね、
そういう話し方をジョー・ローガンのポッドキャストで言っているらしいんですよね。
西洋文明の根本的な弱点が共感であり、共感搾取である。
西洋文明は共感反応を悪用しているのだっていうね。
西洋文明が悪用しているわけじゃなくて、
西洋文明のバグであるところの共感っていうね、
ここで言う共感はエンパシーっていうことですけど、英語で言うと、
それを悪用されているんだっていうね。
だからそれは正さなくてはいけないっていう、
そういうロジックらしいんですよ。
文化による共感の観点
もっと強い言葉で言うと、
イーロン・マスクさんは共感が自殺行為だとも言っていたりとか、
ウェポナイズだからこれ、兵器かね、
共感が兵器として使われているみたいな、そんな話もしていて、
ここまで来ると何を言っているのかわからないっていう感じもあるんですけど、
でもここはあえてエンパシーを使ってみるというか、
何をこの人は言おうとしているのかっていうのを
ちょっと理解してみようと思うんですが、
それで簡単に結論から言ってしまうと、
多分イーロン・マスクさんが言っているこのエンパシーっていうのは、
これは日本語で言うところの共感で、
つまりそれは僕が思っているところのシンパシーのことを言っているんじゃないかっていうのはね、
まず一番わかりやすい捉え方だったんですよ。
これエンパシーとシンパシーの違いってね、
僕は結構前にね、勘違いしてたなって思ったことがあって、
両方ともエンパシーもシンパシーも両方共感っていうふうに言われるんだけど、
でも英語圏で言うと、その二つが一緒なんですよね。
でも英語圏で言うと、その二つには結構明確な違いがあって、
シンパシーっていうのは同情とか感情の揺れ動きのことをね、
感情が動くこと、気持ちのことを指す言葉で、
一方そのエンパシーっていうのは他人の気持ちになって考える。
そこに同情とかね、感情は別に動かなくてもいいけど、
でも相手の立場になって考えてみるっていうね、
どっちかっていうとシンパシーよりもエンパシーの方が高度なね、
その高次元の概念というか、スキルみたいなふうに捉えられているっていうね、
本とかを読んで、なるほどなって思ったんですよ。
すごくわかりやすいというか、
日本人からすると両方共感っていうふうに言われちゃうけど、
でもシンパシーとエンパシーっていうのはそういう違いがあるんだな、
2年とか3年くらい前の音声配信で話した記憶があるんですけど、
でも今回のイーロン・マスクさんの話を聞いていると、
ここでイーロン・マスクさんが言っているこのエンパシーっていうのは、
他人の立場になるっていうこととはちょっと違うんじゃないかなっていう気がしたんですよ。
これ僕気になったので、CNNの原文を当たってみたんですよ。
当たってみたっていうか、ただ開いただけですけど、
それでも日本語で共感とされているところは全部エンパシーで、
この記事の中にシンパシーっていう単語は一個も入ってなかったんですよ。
だから多分実際にイーロン・マスクさんが話した言葉はエンパシーっていうね。
EMPATHYですね。
っていうことなんだけど、
だからこれ気になってね、シンパシーとエンパシーの定義はね、
国とか文化によって変わるんじゃないかと思って、
チャットGPTに聞いてみたんですよ。
チャットGPTはパッと一覧表を出してくれたわけですけど、
これがどこまで信憑性があるというか、一般的なあれかはわからないけど、
挙げてくれたやつを簡単に説明してみると、
確かにエンパシーとシンパシーは文化圏によって違いますと。
それで共感を持って、
アメリカは共感を重視する度合いが強いんだっていうことをチャットGPTさんは言ってるんですよ。
対してイギリスとかドイツは低い。
ドイツがすごい低めって言ってますね。
ここで言う共感がね、シンパシーのことなのかエンパシーのことなのかっていうのは、
ちょっとわからないんですけど、多分これ両方捉えて、
両方取り入れて、
興味深いというか、考えてみるべきなのは、
アメリカにおいて共感の重要度が高いっていうのは、
ちょっと意外な気もしたんですよ。
何か勝手なイメージですけど、アメリカ人ってのは割と合理的で、
感情ってね、同情みたいなのをあまりしない人が多いと思うんですよ。
アメリカ人としては、
アメリカ人としては、
同情っていうよりもやっぱりエンパシー。
自分と全然違うバックグラウンドを持つ人のことでも、
ある程度は理解しているというか、
そのままのバックグラウンドを持つ人もいれば、
同情ができるかどうかというのが、
やっぱりそのスキルとしての感情ってのがあって、
あまり意味がないということなんですよね。
自分の意味とそれとしての感情というのがあると思うんですけど、
シンパシーとエンパシーの違い
理解しようとして 対話していかないとね 社会が回っていかないから
いろんな文化の人を受け入れていくっていうね その能力みたいのは
僕はそのアメリカが一番ね 高いのかなって思ってたわけですよ
その能力が高いのはね そうなのかもしれないけど
中にはその能力こそがそのね 西洋文明の
欠陥なんだってね バグなんだって言っている そのイーロン・マスクさんみたいな人が
いるっていうのは
なるほどなーって言っちゃあれだけど
でもいるんだって思ったんですよ
認識がずれてたなーって思うのは いくらそのアメリカ人とか英語圏の人であっても
一個の単語に対するね その概念というか 意味付け 捉え方っていうのは
割と違うものがあるんだなっていう
今はこれシンパシーとエンパシーの違いをね
僕が説明されて理解したような
ものを
全員がね その共通認識として持っているわけじゃなくて
結構ね ごちゃ混ぜになっているし 場合によってはね 結構正反対というか 僕が
エンパシーだと思っていたことを 逆にそのシンパシーとしてね
の定義だと思っている人もいるかもしれないし その反対もね
あり得るから ちょっとそれはね 本当に文脈で捉えてみないと
一個の単語だけで捉えても
多分混乱するなと思ったんですよ
イーロン・マスクの共感性
で 仮にね そのイーロン・マスクさんが ここで言っている その
エンパシーが
いわゆる僕が今まで思っていたところの その同情というかシンパシー
として置き換えて考えてみると そうするとね この言っている イーロン・マスクさんが言っていることは なんとなくそのね
理解はできるんですよ
その共感はできないけど 理解はできるわけですね そうして考えると
その移民とかね 大変な思いをしている人を見て
かわいそうだなーって思って
不法移民を受け入れてあげたりとか
医療制度とかね 補助を与えてあげることをね
多分それはキリスト教とかそういうことも 関係しているのかもしれないけど
それをやりすぎたから 今アメリカは大変なことになっているんだっていうのが
たぶんね このね イーロン・マスクさんとか
トランプさんの
言っていることなんでしょうね
たぶんそれはだから そのアメリカの一定数の人が そう思っているのを代弁しているってことも 言えるかもしれないし
で 僕ちょっと前にその イーロン・マスクさんの電気をね 読んだんですよ
ウォルター・アイザックソンっていうね そのすごい有名な電気作家の人がいて
スティーブ・ジョブスの電気も書いた
人で その人が最近 イーロン・マスクさんのね 電気をすごい分厚い上下感のやつを書いて それをね
バーッと読んだんですけど
その中でね 結構1個のテーマになっていることが
イーロン・マスクさんは そのめっちゃ共感性がないっていうことをね 結構それが1個のテーマになっているんですよ
その理由としてはいろんな
推測されているわけですけど
例えば1個としては そのイーロン・マスクさん 南アメリカ生まれ育って
南アフリカか
で 育ったわけですよね
その頃の南アフリカってのは まだそのアパルトヘイトとかが ちょっと残っているような時期だったので
多分それがね 1個の幼少期の体験となって
あんまりその相手に共感しすぎると
相手に利用されてしまうから それは良くないっていうふうなね
根強い価値観が生まれたんじゃないかってことを 電気にも書いてあったと思うし
あともう1個書いてあったの ボーディングスクールっていうね
これはイギリス式の教育法みたいなんですけど
すごいね サバイバル
で 相手をめっちゃ蹴落としたりとか
ボーディングスクールっていうのは
全寮制の中学校なのかな
小学校 中学校ぐらいのことらしいんですけど
その本で書かれてたイーロン・マスクさんが言ってた ボーディングスクールってのは
本当になんていうのね 相手をぶん殴ったりとか本当に
はめたりとか そういうのを推奨されているというか
そうやって本当の相手を蹴落として乗し上がっていくのを良しとするような
学校みたいな そんな描かれ方をね していた記憶があるんですけど
その影響も大きいんじゃないかみたいなことをね その伝記には書かれていたわけですね
そんないろんな要素がかみ合わさってというか
結果的にそのイーロン・マスクさんはね そのめっちゃ共感性の低い
人物に仕上がったっていうか これ生まれつきみたいのもあるかもしれないけど
中にはいますよね
なんか僕 この話をしていてね
頭の中に一個単語が出てくるのは
これ聞いている皆さんも思うかもしれないけど
それってなんていうか 日本で言うと多分サイコパスなんじゃないかってね
頭から離れないんですけど
多分ね イーロン・マスクさんはね 世間一般で言われるところでね
多分サイコパスなのは間違いないと思うんですよね
サイコパスってね定義も それこそその定義もいろいろあるから