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  2. スポットライトに照らされて~..
2023-08-31 1:00:52

スポットライトに照らされて~「人の立場に立って考えろ」は正しいか?~【あなたも私もサイコパス!? vol.2】

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前回より始まった特集シリーズ「あなたも私もサイコパス!?」2回目の今回はブルーム『反共感論』のエッセンスが詰まった第1章を読み進めて行きます。

いじめやトラブル、凄惨な事件があると「他者への共感が不足している」とか「他人の気持ちへの想像力が足りない」だなんて言われがち。心ない人はいつだって社会の問題児。でもそれって本当でしょうか?むしろ他人の気持ちがわかるからこそ、効果的に嫌がらせできるとしたら...?共感が巻き起こす様々な結果を紹介しながら、その光と影に迫ります。

みんな最近共感したことある?感想・お便りは「⁠⁠お便りポスト⁠⁠」まで


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  • 特集:あなたも私もサイコパス!?- 前回の振り返り/他社の立場に身を置く/情動的共感と認知的共感/共感への違和感はどこにある?/すべてを共感では説明できない/共感はいかに失敗するか/国民の僕、ゼレンスキー/肩入れする性質の功罪/『虐殺器官』との共通点/情動的共感はアンフェアだ//認知的共感はフェアなのか?/あくまでも中立/第1章のまとめ/何のための共感?/概念に挑む


📻カタラジオとは?📻

  • 医師と企画者という異色で異職の二人が、交わり、語らい、化学反応を起こす、似非インテリジェントな実験型ラジオ番組です。


🤝出演🤝

  • ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。
  • ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。


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📚参考文献📚


サマリー

カタラジオは、リアリティ番組形式の概念獲得リアリティ番組になっています。本エピソードでは、道徳心理学の専門家であるポール・ブルームの著書「反共感論」の特集を紹介しています。この本では、著者が世界をより良い場所にするために共感に頼ることの問題点を指摘しています。著者は浄土的共感と認知的共感の2つの共感の種類を紹介し、特に浄土的共感に違和感を抱いていることが分かります。著者は共感だけによる行動原理では説明できない行動パターンが存在することを指摘し、その行動原理を突き止めたいと考えています。共感だけではなく、信仰や統計学など、共感以上の何かが行動を駆動する場合もあると述べています。ウクライナとロシアの戦争についてスポットライトが当たっていますが、実情を見ればウクライナが良くてロシアが悪いというわけではありません。ウクライナの人々に共感しやすい一方で、共感は先入観によって影響を受けることもあるということです。認知的共感の使い方や道徳的判断についても考えられます。この章では、認知的共感と情動的共感の違いについて深掘りし、目的に対して新たな共感の形が必要であることや情動的共感の限界について議論されています。今後の話の展開に注目です。

タイトルコール変更
ヤマガミ
【あなたも私もサイコパス!? vol.2】 カタラジオ
ミント
はい、始まりました。
意思と企画者が緩く語らう概念獲得リアリティ番組
カタラジオの時間がやってまいりました。
ゆる進行のミントと
ヤマガミ
ベシャリ担当の山上です。
ちょっと待って、びっくりしてさ、
何今のびっくりしてリバーブかけっぱなしにしちゃったっていう単純ミス。
ミント
あれ?何にびっくりしたんですか?今の。
ヤマガミ
何ておっしゃいました?概念獲得リアリティ番組。
恋愛リアリティーショーみたいな。
あれ?違いましたっけ?
もう茶番をやめましょうか。そういうことになったんですよね。
ミント
そうなんですよ。実は今日からタイトルコール変わりまして
概念獲得リアリティ番組カタラジオになりました。
ヤマガミ
おめでとうございます。
ただね、一方で今までの
意思と企画者が緩く語らう
エセインテリジェントな実験型ラジオ番組っていう
その互換の良さというか
小気味いい感じも結構一方では気に入ってたんだけどね。
ミント
はいはい、そうですよね。
ちなみに何で概念獲得リアリティ番組になったんでしたっけ?
ヤマガミ
結局だいぶ俺たちにこのラジオのスタンスが定まってきたんだよね。
ミント
前回のね、この特集の中で僕らがやってることが
リアリティ番組なんじゃないかと。
ヤマガミ
今まで獲得してきた概念が進化だったり
田中も含めらしいだったり
今回は共感という
概念に対してそいつらを乗り越え獲得していくという過程を
リアルに皆さんと一緒に共有していくという
概念獲得リアリティ番組じゃないかということに
前回の収録で気づきました。
ミント
はい、ということなんですね。
というところでね、実はその話題
ちらっとこの反共感の特集の初回か
前回のYouTubeでも少し触れたんですけど
そのあたりの掘り下げというのは実は
カタラジオショーツというコンテンツがね
ポッドキャスト限定配信でやっておりますので
その中で裏話だったりとか
そういった僕らの仕込みについての
あれこれみたいなところが語られているので
ぜひ聞いていただきたいですね。
ヤマガミ
今までYouTubeリスナーの方
YouTubeだけ聞いてくださっているリスナーの方もいると思うんですけど
ショーツの方はカタラジオショーツっていうコンテンツは
ポッドキャスト限定のコンテンツに
これから我々分けていくことにしましたので
ミント
しようとね
ヤマガミ
そうそうそう
ぜひポッドキャストの方も聞いてみてください
ミント
だいぶ雰囲気違って柔らかい感じになっている
ヤマガミ
ちょっとゆるっと
そっちこそゆるっとベシャっている感じになっているかもしれないね
ミント
だからそっちではちゃんと今まで通りのやつ使ってもいいかもね
ヤマガミ
そうだねゆるいカタラ
そっちがもうSインテリジェント感すら抜けつつあるかもしれないけど
ミント
まあまあまあ確かにね
そっちも完全コンプリートしている人が
真のリスナーであると
ヤマガミ
真のリスナーってなんだ
ミント
ということでねやっていきたいと思いますけれども
どうですかちょっと
言い心地悪いかしら
概念獲得リアリティ番組
ヤマガミ
いやいやなんかね
逆にちょっと
なんていうか
背筋が伸びる感じというかさ
そっかついに俺らもリアリティショーの
参加者になってしまったかっていう
キャストになったわけですねリアリティ番組が
ミント
そうですねそうですね
まあでもねこの言葉の意図をちょっと説明しておくとね
要は毎回毎回なんか特集でテーマ組んで
でその概念を説明してくれているような
本を読んでいくわけですけれども
どちらかというとね
本をこう小気味よく要約するわけでもなく
なんなら普通よりちょっとゆっくりぐらいのスピードで
だらだら読んでいくわけじゃないですか
でもその過程で僕らがやっていることって
概念獲得
これまで僕らは考えたことなかった
考え方のスタイルだったりとか様式だったりとかを
手に入れることなんだよと
まあそういうことですよねやってるとね
ヤマガミ
新しい概念をねこう
自分の中にインストールしていく過程を
皆さんにお見せする版ですよね
ですね
ミント
うん
ということでね
今日もね概念をインストールしていくことになると思うんでね
ヤマガミ
まあ全部何回になるかわかんないけど
何回かかけてこの共感という概念を
インストールしてまいりましょう
ミント
はいではやっていきましょう
ヤマガミ
カタラジオ
あなたも私もサイコパス
もうタイトルコールが板についてまいりましたね
ミント
そうね2回目にしてついに
はいということで先週に引き続きね
特集の本編入っていきたいと思いますけれども
はい前回聞いてくださった方もご存知かと思いますけど
「あなたも私もサイコパス!?」テーマの紹介
ミント
今回のテーマはね
あなたも私もサイコパス
反共感を読むということでね
この特集では
社会一般にポジティブなイメージと
セットで語られることの多い共感
について
その口座だったりとか
ネガティブな側面にも光を当てながら
僕らの中の共感概念をアップデートしていこうよと
まあそんな特集ですね
ヤマガミ
ざっくり
ミント
語られ所の特集でもお馴染みですけれども
今回もねテーマになっている本を
複数回に分けてゆっくり読みながら
お互いが感じたことや
驚き気づきを脱線しながら語られていくというスタイルでね
可能な限りね
本当の原本読んでなくても
わかるように進めていきますけれどもね
ゆるく語られていきたいなと
ヤマガミ
できれば皆さんも一緒に読んでいただけると
より理解が深まるかもしれないです
ミント
間違いないですね
一緒に概念獲得していきましょう
ヤマガミ
よろしくお願いします
ミント
はい
ではもう何やってるんだっけというところをね
冒頭でおさらいしておきましょうかね
毎度やってますけれども
読んでいる本まずは紹介していきますと
これはポール・ブルームさんというですね
イエル大学心理学教授で
道徳心理学というジャンルの世界的権威というところですね
この反共感論という本は
2016年ですかねに書かれた本で
日本では2018年に出てますというところでございます
今日読むところなんですけれども
本書がね
全6章とそれから2つの幕間で構成されてますよと
幕間で構成されてますよと
いうところなんですけれども
これどっちが正しいの?幕間が正しいのか
幕間かな?
ヤマガミ
幕間か
ミント
失礼しました
幕間って読んでましたね
すごいね
衛生インテリジェントだと思われましたね
ヤマガミ
幕間で来て言うじゃん
ミント
確かに幕間ね
失礼しました
ヤマガミ
いやいや
ミント
前回は前半グッと読んじゃおうぜ
みたいな話もしてたんですけど
ちょっとね
よくよく読んでみるとボリューミーじゃないかと
いうところもあり
あとね
あれ著者も言ってましたよね
1章だけとりあえず読んどけばいいんだ
ヤマガミ
とりあえずこの本を理解したければ
1章読めっていう風に
ミント
ですよね
というちょっと著者の意向
ヤマガミ
音波からして
2章だけに
甘える
ということでね
まあでも1章から3章に違うと
ミント
かなりのボリュームになるよね
そうなんだよね
2章3章が
1章の補足というかね
1章に対して注釈を加えるような形で
より深掘っていくよっていうスタイルなので
多分1章をちゃんと分かってもらっていた方が
いいんだろうなっていうところもね
ありますよね
ヤマガミ
この1章が重い感じ
なんかスティン・カロンに似てるよね
スティン・カロンも1章が重くてさ
主の次元が
1章で結構奮い落として
奮い落とされて
読み終わったら2章3章は結構スッといけた感じだったじゃん
確かにね
で4章に本ちゃん来るみたいな
なんかちょっと構成が
あの時と若干似てるなと
確かにね
ミント
だからこの始めにしっかり読むスタイルとか
1章をボリューミーでやってくるスタイルとか
やっぱりこの
サイエンスティフィックな方々が書いた本の構成というか
ヤマガミ
ある意味ステレオタイプみたいなのがあるのかね
ミント
わかんないけど
なんでこの本を書くのかってことはやっぱり始めにしっかり言うわけじゃないですか
その主題になっているテーマの問題は何なのかってことを
やっぱり掘り下げるっていう
そこの問題の特定みたいなところが
やっぱり大事なんだなっていうことをね
痛感する
ヤマガミ
なるほどね
ミント
久々の読書でございますけれどもね
そんな感じで今日は1章
注目して読んでいきたいと思います
で本編読んでいく前に
ちょっと前回振り返っておいた方がいいですかね
簡単にね
ヤマガミ
そうだね
ミント
前回は初回ということで
もしかしたら今日初めての方もいらっしゃるかもしれないですけど
もし余裕がある方は前回も聞いていただければなと思いますけれども
前回使ったのはあれだよね
なんでこの本読むのみたいなざっくりとした話題から
そうだね
入りまして
この書いてるポール・ブルームさんって誰っていうところから
今回ねその彼の得意領域でもある
道徳心理学って何ぞやみたいな
ヤマガミ
謎学問ね
ミント
話題してましたね
なんでも実験心理学とか認知科学とかね
実証系の学問の現地から
批判的に道徳あるいは倫理学を再検討していこうというところなのでね
ヤマガミ
そもそもが反共感
反的な学問なわけね
ミント
道徳心理学が
みたいなことをちょっと若干茶化すような形で言ってましたけれども
だいぶ骨太なね
あの著者だと思いますので
ヤマガミ
そうだね
ミント
読んでいきましょうということで
前回はじっくりしっかり目次と始めにを咀嚼するという
かたらじおなじみの回でやってまいりましたよというところがありましたと
で著者の主張が実はねもう分かってるんだよね
前回読んだ時点で大体ね
超端的に言うとちょっと間違ったと言ったよ
超端的に言うと
共感は道徳的指針としては不適切
道徳的な観点からは共感を何に越したことがない
っていうちょっとね
常識化するとびっくりするような
結論がまずは主張として言われてたかなと
ヤマガミ
一言で言うとそういう風になるよね
ミント
これを僕らが受け止めきれたかというと
どうだろうかと
ヤマガミ
なんかなんでやねんって感じだよね
共感ってのだってもう僕らにとってはポジティブな
感情なわけだからさ
なんで道徳と繋がるのやねんっていう感じだよね
ミント
というところでね今回はその真意と言いますか
そのさっき言ってた主張の
言わんとしてることなんやねんみたいな
ところをちょっと掘り下げていく一章になるんじゃないかな
ということで
出発していきたいなと思いますけど
出発していきましょう
大丈夫ですかね
ではでは
早速いっちゃいましょうかね本編
ヤマガミ
はい
ミント
はい
じゃあ何が書いてあるのかということで
まず一章どんな章なのというところのお話を
サクッとインプットしていければなと思いますけれども
初めに冒頭の言葉を借りると
一章:共感に対する攻撃
ミント
一章はですね
共感に対して包括的な攻撃を仕掛ける章
ということですごいですね
ヤマガミ
攻撃的な章だよね
ミント
ちょっとどういう風に攻撃かけていくのかというところなんですが
ちょっと冒頭でもね触れましたけど
どこか一箇所読むんだったらこの章読むべきだよ
著者のポール・ブリムさんもね
おっしゃってますけれども本書のメッセージと言いますか
肝と言いますか
一番大事なポイントが詰まってる章という風に言えるのかなというところですね
どうですか読んでみての印象ですけれど
一旦内容に触れる前に
印象論
ヤマガミ
いやー面白いというかやっぱり
なるほど共感をこういう風に攻撃を仕掛けていくのかっていうのが
もう読み始めからいきなり感じるよね
ミント
はいはいなるほどね
ヤマガミ
裕福すぎ痩せすぎがないように
共感力高すぎっていうのもないっていう風に
ミント
ああ言ってましたね
皆さん面白いよね言い方だよね
ヤマガミ
そうそうそう
だから多くの人は共感っていうのは絶対的な善の感情だから考えてますよって
裕福も善でしょみたいな共感も善でしょって同じような感情だよっていう風に
考えてるいやいや違うよって怒りとか称賛とかみたいに
共感にも長所と短所があるそういう感情ですよっていう風な
攻撃のジャブを打ってきた最初
ミント
確かにね確かにね
なんか僕もパッと読んでみての印象としては
前回も同じような話題になりましたけど
やっぱすごく誤解されやすいテーマなんだろうなっていうところが
ちょっと伺い知ることができるかなと思ってて
なんとなく随所に著者の苦悩が見えるような章だったんじゃないかなっていうのもね
なんか全体読んでみた印象で
なんかそれこそ僕今本書いてるんですよって言ったらみんな興味持ってくれるけど
テーマは反共感論なんだって言うとみんなちょっとこう苦笑されたりとか
ちょっともう笑ってやり過ごされるみたいなので
反共感論を書くことは反子猫論を書くことに近しいみたいなですね
ヤマガミ
子猫っていう絶対的に前に立ってナイフを突き立てるようなことをしてるとか
ミント
そうそう子猫可愛いみたいな世界観に対して
いやいや子猫可愛くねえからって言ってるぐらい極端なことをやってるんだみたいな
そういう自覚はあるんだよっていうのをコメントに出てちょっと可愛いなと思いましたけどね
なんかでもねそういうなんか著者がさ
テーマに望む姿勢みたいなのがポロポロ出てくるところもね
ちょっとあの朱野紀元じゃないですけど
ダーウィンさんの頃をね思い出します
ヤマガミ
この人結構ユーモラスな方だよね語り口だったり
思由が結構なんか結構極めて人間的な側面もある
まあまあ後々出てくるけどいろいろこう
なんかこの人は結構人間的だなって思うところもちょこちょこある
ミント
確かに確かにこの人が共感しない人が消しそうじゃないんだよね
ヤマガミ
そうだよね
ミント
おそらく人のことをすごく理解しようとするタイプ
共感もしてるんだと思うけどだからこそというかね
この目についた
ヤマガミ
その人が書くこの反共感が
ミント
とこなんだろうね
というところでちょっとざっくりした印象から入りましたけれども
せっかくゆっくり読んでいくんで
まず最初に確認したいのが
著者の目的というとちょっと大げさかもしれないですけど
著者はこの本を通じて
あるいはこの本にとどまらずね
彼が研究活動を通じて何をしたいと思っているのか
っていう話題が実はバコーンと書いてあるので
それをまずシェアするのがよろしいかなと
いうところなんですがすごく端的に現れている意地を張って
著者は世界をより良い場所にしたいのだというわけですね
ヤマガミ
理想主義者だねすごい
共感の分け方と定義
ミント
非常に理想を掲げているよと
で面白いのが世界をより良い場所にしたいんだけど
その上で共感に頼ることは
その目的に反するんじゃないかっていう結論に達したんだ
っていうのが著者の入り口にあるわけですよね
ヤマガミ
この結論に達するってことはやっぱりこの
裏でこの著者が言いたいことは
皆さん、著者以外のマジョリティは
共感に頼ることによって世界はより良い場所になると思ってるっていうメッセージ
ミント
そうだよね確かに確かに
でここで著者は若干のチューニングを入れてて
面白いんですけど
その結構誤解されやすいテーマだよねっていう話題も冒頭したと思うんですけど
そこをもう一歩踏み込むと例えば道徳性とか
思いやりとか親切愛情
良い市民であることみたいな
あるいは人間らしくあるとか貧困法制であることとか
そういった概念に反対してるわけじゃないんだって言うんですよね
ヤマガミ
それは別なんだよね
ミント
それどころかそういった概念に正しく賛同するために
むしろ共感に頼ることはダメなんじゃないか
っていう気持ちでこの本を書いたんですよっていう風に言ってるんですよ
ヤマガミ
今これ聞いてるリスナーの皆さんは多分
この共感と思いやり何が違うなんていう
多分クエスチョンが浮かんでるはずなんだよね
ミント
そうそうそうまさにまさに
ヤマガミ
俺もそういう風に思いながら読んでたからさ
ミント
だから要はすごく実はね
その著者の中のいろいろな機微があって
ここはセーフラインでここはアウトみたいなところを
定義しながら話してるっていうところもね
一緒の大事なポイントになってくる
ヤマガミ
だからイメージとしては共感っていうのは
思いやりとかそういう他の感情とは別物だよってことを
意識しながらここから聞いてほしい
ミント
そうだよね
じゃあ共感エンパシーの定義何なのって話を
まず一番最初にしといた方がいいのかな
ヤマガミ
そうだね
ミント
これはねなんか実は著者も
すげえいろいろな定義があって
むずいよって話をしてるんだよね
ヤマガミ
そうだね
ミント
ただ結論から言うと超ざっくり
大まかに二つの共感があるっていう風に言っていて
でも先に言っちゃうと一つは浄土的浄土ですね
著者の上に動くと書いて浄土的共感
もう一個が認知的共感というやつで
浄土的共感の方は実はもうそれこそ
アダム・スミスなんかの名前も出てましたけど
古くね哲学者の間でも話題になってきた概念で
もともとエンパシーじゃなくて
シンパシーの方かな
同感とか同情っていう言葉でも
呼ばれていたようなものですよと
でこちらの言葉ちょっと読み換えると
浄土的共感の方ですね
感情によって相手の状況に自らを重ねる態度
ヤマガミ
っていう風にまとめられるかなと
まさにこの第一章のタイトル
ミント
他者の立場に耳を置くっていう
そうだね
かつもう一個そこにくっついてる定義じゃないですけどが
あってこれ何かというと
自動的かつ無意識的に生じることっていう風に書いてある
だからなんていうのかな
ある現象を見た時に
ヤマガミ
まず即座に反応する心の動きみたいなのがあるよね
ミント
なんかそういったもの本当に
もうオートマティックに動く
自分の感情の動きみたいなところを
彼は浄土的共感という風に呼んでいるんだな
ということが理解できそうですと
もう一個の認知的共感の方は
読んで人のごとく認知するというところに履席していて
他の言い方だと社会的認知とか
社会的知性みたいなキーワードも出てましたけど
ざっくりさまると
知性によって相手の思考を理解しようとする態度
という風に言い換えられるかなというところで
これは明示的に対比書かれてなかったんですけど
さっきの自動的無意識的にあえて対比させるならば
作為的あるいは意識的に生じるものだという風に
言えるかなという風に受け止めてますけど
どうですか大体理解あってそう
ヤマガミ
まさにまさにまとめてくれた通りだね
ミント
はいはいはい
ポイントなのはあれなんだよね
この本の批判の矛先っていうのは
どちらかというと校舎の認知的共感ではなくて
電車で上がっていた浄土的共感
つまり感情によって自動的無意識的に
相手の状況にスッと感情移入しちゃったりとか
状況に身を重ねちゃったりとかするような態度に
今回の批判の方向先は向いているんだと
というのが本書の位置づけというか
どういった角度で論を進めていくのかというところの
補助性になるかなという感じだよね
そうだね
どうですかここまでは大体そんなずれなく読めているかな
ヤマガミ
全く同じ理解だけど
同じ理解だけどこのことは知らなかった
共感をこういう風に分けて
浄土的共感と認知的共感に分けて考えるんだ
ということがまず新しい概念で
ミント
そうだよね
これちなみにどうなんだろうね一般的な分け方なのかね
他の学問領域ではあんまりやらない
ヤマガミ
どうなんだろうあんまり調べてないけど
まあでも面白いよね
まあ確かにこれが
でもそもそもこの人が独自に定義した
共感の分け方とするとこの本自体の存在意義が
ミント
なんかちょっと危うくなってくるというか
でも逆に言うとねそういう風に
分けることに意味があるんだっていうことを
一個概念として提示してるわけだもんね
その意味では共感の解像度が一段上がるという
言い方もできるかもしれない
ヤマガミ
浄土的共感と認知的共感は
これ日本語にすると全然別だけど
英語にしたらどうなんだろう両方とも
エンパスでまとめていいものなのかな
ミント
ああ確かにね
訳語まで多分見えてないよね
ヤマガミ
そうちょっと俺も過ぎたいよね
何か訳語が違ったら何かそもそも全然
その概念として別の問題だというのが
言語学的にちょっと分かると何か理解が
やすいかなみたいな
ミント
ちょっとヒントがあるとすれば
さっきのアダムスミスとかって名前
チラッと出しましたけど浄土的共感の方は
古くはスコットランドの啓蒙主義哲学者によって
詳細に論じられてるみたいなこと言ってて
彼らはそれを同感だったりとか
同情みたいな話題で整理してきたよっていう話なんで
その意味ではむしろ共感じゃなくてみたいな
ヤマガミ
どっちかというと浄土的っていうぐらい
浄土的共感はどっちかというと感情の動きで
認知的共感は理性の動きなんだよね
ミント
そうだよね大きく分けるとそういう2つなんだ
ヤマガミ
理性と感情ってだから意外と
この次元で全然別のもんじゃんっていう風に勝手に
ミント
言い換えることができそうだよ
共感の問題点
ミント
だからすごい乱暴に受け取るんだったら
つまり感情的になるなってことすかみたいな
ことになりかねないよね
ヤマガミ
感情を抑えて理性の働きで
物事を考えろお住まいになっちゃう
ミント
ちょっと共感という敵を大げさに
大きく書いている可能性があるという嫌いは
ちょっとありますかもしれないですね
まあまあまあそういうこともあるけれども
一旦反共感論という土台の上では
浄土的共感に目指して
戻りましょう
じゃあどういう切り口で
これ考えていくのかというところで
なんか僕これ読んでみて
要は著者が浄土的共感の方に
違和感感じているシーンが色々あるんだろうな
っていうのをちょっと思いながら読んでたんですよ
で例えばの話でいくと
まあいい行いがあるよねっていう話の中で
なんか動機に結構触れるじゃない
ヤマガミ
あるねあるね
ミント
この人は
例えばさ重乱者事件って
前回のはじめにの中でもピックアップされた
センセーショナルな5日カット集の事件があって
20人ほどね
幼い子が亡くなりましたという話があったけど
例えばその重乱者事件の後に
社会は社会には共感がもっと必要だ
っていう言説がめちゃくちゃ社会に流れたと
でびっくりするぐらい
共感をテーマにした本が溢れたみたいな
そんな話があったじゃないですか
で著者はもちろんその共感が
他の人に良い行いをする上で
大事な役割を果たしているのを
共感の限界
ミント
否定したわけじゃないんだけど
でも本当にその動機って共感だけなんだっけみたいな
なんかそういう切り口から話を始めてるのかな
ヤマガミ
そうだね
ミント
そうそうそう
だから要は行動するときの
意思決定したりとかするときの動機として
なんかその良い行いの現象で
共感以外にも当然あるよねっていうのは
ある種当たり前のことを言ってると思うんだけど
なんかこの辺りがなんか全体のフックになってるんじゃないかな
っていう風に見ながら見てたんですよね
ヤマガミ
まあその道徳っていうものを
行動原理にするのと
共感ってのを行動原理にするのでは
ちょっと差があるよっていう話が結構あって
道徳には共感以上の何かがなければいけない
っていう風にこの人は言ってる
ミント
はいはいはいそうなんだよね
そこでいくと逆にその
共感に依存しない判断っていうのも
意外とありますよねみたいな
なんかそんな話もあったじゃないですか
ヤマガミ
例えば猛死だっけ
池で覚えてる子供を助けるときに
我々はその子供に共感して助けるのかって話
いや別に共感しなくてもすぐに
体が反射的に子供を助けてる
それは別に共感じゃないでしょっていう
だから当たり前のことだけで
我々の行動原理は共感だけじゃないですよ
っていう例えがあったりね
ミント
そうだねだからこの人の言い方で言うとね
共感は浅寺が溺れた子供を助けるのに
共感はいらないよとね
溺れたままにすることが間違いだ
っていう理由でも十分助けるに足るでしょっていう
なんかそんな言い方をしてましたよね
ヤマガミ
そう例えば脱税だったり
ポイ捨てだったりとか
共感ってのはやっぱりこう
誰か人間がいないと被害者がいないと共感できないから
脱税とかポイ捨てとかってある意味被害者はいないけど
それもやっちゃいけないことだからさ
それはもう善行するわけじゃん
共感なしで善行していくわけじゃん
だからやっぱり共感だけが善行を行うトリガーではないよってことも
例図として挙げられてるよね
ミント
そうですね
まあなんか言われてみれば
そりゃそうだって思う気もするけど
ここで著者が言わんとしてたことは何なんだろうねってところが
ちょっと掘り下げられるといいのかしらね
ヤマガミ
そうだね
みんな結構だから
ミンティがさっき銃乱射事件話してくれたけど
結局みんな善行のトリガーはやっぱり共感だと
で殺人事件が起きたり
その銃乱射が起きたり
共感が足りないもっと共感をする
戦争はその
人種差別だったり戦争だったりは
共感力の足りなさから起きるんだって
これ言われがちじゃないニュースとかイメージがね
それに対するステージとして
今こう一個一個掘り下げてるんじゃない
確かにね確かにね
ミント
結構ポイントとして
ある現象
例えばさっきの脱税みたいな話をしたときに
脱税を非難するときに
別に脱税の犠牲者とか被害者っていないよねってことをね
結構この人はしきりに言ってましたよね
ヤマガミ
そうそうそう
ミント
でもその共感っていうフレームで物事捉えようとすると
犠牲者や被害者がいて
そちら側に対する共感によって
ある行為を止めるべきだとか
これはやってはいけないんだっていう
なんかそういう構造にはめ込むことが
多々あるけれども
別にそれだけで全部説明できないよねっていう
まあまあ冷静に考えたらそれはそうだっていう気もするけど
まあそういうところを言ってるんだよね
でなんかもう一歩踏み込むと
この人今ちょっと脱税とか
なんかでかい話題にも適応できると
でなんか地球温暖化とか化石燃料の枯渇とか環境破壊とか
なんか特定の個人の活動と
もちろんそれ大きな目で見るとひも付いてるんだけど
なんかAさんが直接困ってますみたいな話題と
ちょっと違うレイヤーの議論だ
ヤマガミ
そうだね共感っていうのは
その数字に対して共感はできなくて
共感はやっぱ小人数に対してしかできないから
ミント
そうねそうね
っていう今の話もそうだけど
もっと一般的な共感って言葉は避けて
彼は書いてました
一般的な気遣いに根差さないと
起こり得ない活動っていうのもあるじゃんみたいな
なんかそういう要はある種反論みたいなところを起こしてられると
いうのが著者の違和感表明みたいなところにあるのかな
そうだね
ヤマガミ
という感じもありましたね
共感だけじゃ説明できない前向の行動原理がありますよ
ミント
はいはいはい
だからこの辺りの例示だったりとか踏まえると
まあ著者の主張ってどこにあるのってところでいきますと
共感以外の行動原理
ミント
世の中には共感による配慮に動機付けられていないような
親切行為っていうのも実はたくさんありますよと
ヤマガミ
そうそうそう
ミント
ただそれは見過ごされやすいと
この理由の考察が面白くてなぜなら
異なる動機があるにも関わらず
他者はその行為を共感というフレームによって解釈しがちだからだよ
みたいなことを言っていて
なるほどなと
ヤマガミ
はいはいはい
ミント
例えば環境破壊に関して言えば
現世代の人と将来世代の人たちの間の
要はどっちがたくさんの利益をこむるかみたいな
バランスの中で議論されたりするじゃない
現世代がたくさん贅沢したら将来世代苦しむよみたいな
そういう話とかって別に将来世代のことに対して共感しているから
そういう行動をするんじゃなくて
そっちの方がフラットに見たときに
より良いっていうふうに判断できる他の軸の話題があるよね
ヤマガミ
全然共感ではないよねって話
ミント
だけど多くの人は共感の方が
よりハードル低く共感しやすいから
そういったことによって実は
共感に基づかない行動も
共感によって解釈しちゃいがちなんだよっていう指摘をするっていう
これはなかなか面白い指摘だなと思う
そうだね確かに
逆にそこのね
行動原理違う例の中でいくつか面白かったやつあったよね
罪を着せた人を許す人の話とか
ヤマガミ
なるほどね面白いよね
毎回この罪人を許す
すごい優しい人がいて
その人がめちゃくちゃ共感する人かと思いきや
その人は共感によってではなくて
キリスト教への信仰に則って
人を許してると
だから全然共感という原理ではなくて
キリスト教への信仰という原理が
その人の行動概念になってると
ミント
要はなんか行動原理が
共感とは別のとこに存在するパターンがあるよって話だね
ヤマガミ
違うね共感じゃなくて信仰じゃんってとこ
あとなんか
お金持った人で
自分の心臓を寄付しないと
死んでしまう病気の人に寄付した人がいたのよ
すごいお金持った人で
なんでそんなことするのっていうふうにその人に聞くと
その人めちゃくちゃ賢い人物で
統計学者かなんかなんだけど
心臓を寄付した結果
自分が死ぬ確率は4000分の1に過ぎない
けど心臓を寄付しないと
その人は絶対死んじゃうと
じゃあ俺の命は
その人の4000倍の重さに値するのかっていう
結局その人の行動原理は統計学っていう
ミント
なるほどね
ヤマガミ
共感ではないだからそのあたかも共感っぽいような
心臓を寄付するなんてさ
パッと聞いたらなんか共感してるっぽいじゃん
かわいそうな心臓ないと死んじゃう人っていう
人に共感してるっぽいけど
その人自身は全然共感ではなくて
統計学の数値にのっとって
やってるだけですよっていう
行動原理が全然違いますよっていう人が
ミント
面白いよねこれ
面白いよね
今の人の話とかあれじゃない
山上くんも実は結構
身近な話題としてあったりするんじゃないですか
実際医療者としてさ
ヤマガミ
そうだね別に
患者さん達はどっちかというと共感で動いちゃうけど
俺らは今話したような話は
結局患者さんにしたりするよね
あなた移植しても
あなたが死ぬ確率は少ないけど
この人は死んじゃいますよみたいな話は
俺らはあくまで
共感なんてしちゃいけない職業だから
むしろこっち側の気持ちはよくわかるなって感じ
ミント
なるほどね
これももしかしたら見方かもしれないけど
一見すると
ある種トレードオフに見えるような選択に見えても
ある原理に基づいて
その事象を見ると
明らかにこっちの選択肢の方が光って見えるみたいな
そういう原理を持って動いてる人いるよね
って話だよねこれはね
でその原理は実は
こっちの人に共感できるかなみたいな話ではなく
全然違うロジックで
判断することもできるじゃんということなんだよね
ヤマガミ
それはもう本人聞いてみないとわからないんだよね
ミント
確かにねその行動原理が何なのか
実は外側から観察することはできないし
何なら共感してるからなのかなって思っちゃうよね
っていう指摘も
ぽいぽいだけなんだよ
確かにね
こういう例を出しながら
著者が何を言ってるかと
言うとこういうある種の利多行動だったりとか
思いやりを駆動しているものは
さっきヤマガミもちらっと言ってくれてたけど
共感だけじゃない
共感以上の何かっていう
行動原理があるんじゃないかと
結果の評価とスポットライト
ミント
それを突き止めたいんだよねきっとねこの著者はね
そうだね
ヤマガミ
むしろ共感はほとんど多分
行動原理としてはいい風には働かないよ
この著者は言ってるんだよ
ミント
そうなんだよね
ちょっとそのあたりを掘り下げていきたいな
っていうのが多分こっからの話で
ヤマガミ
そうだね
ミント
共感の結果を
どうやって評価していくかみたいなね
話がこっからさっさと出てくるんだ
はいはいはい
結果の評価の仕方みたいな話題もちょっと横道に
それるんで興味ある方はぜひ
本文を読んでいただければなと思いますが
まず結果の
話でいくと共感はね
スポットライトだということを
まずバーンと言ってますよというとこですね
これはちょっと初めにでもすでに出てたんだよね
このスポットライトっていうところの中に
他の側面があるよという話があって
例えば
大勢の人々が助けを
必要としたりとかっていう場面で
一人を
救うことで未来世代の
多数に苦難をもたらすみたいなケース
を考えたときにさっきの
共感っていうロジックだとこの人が
大変だからこの人にこの人が
苦しいからなんとかしなきゃみたいな
行動の原理だと思うんだけど
それだと今みたいなパターンだと
うまく機能しないことがあるよね
っていう話題がね
取り上げられてたりしましたね
なんかその今みたいに
一人対多数みたいなバランスが
あるパターンだと
共感がうまく機能しないって話が一つあると
いうところとでもう一つ
言われてたのはスポットライトの
当たり方にはめちゃくちゃ
潜入感が反映されやすい
ですよという話もありましたよね
そうだね
例えばどこにスポットライト当てるかみたいな
話になったときにどうしても自分と
似てる側魅力的に見える側
あるいはか弱く見える側
みたいなところにフォーカスされやすい
みたいなそういう特性があるんじゃないか
みたいな話もありましたね
この話とか結構さ
今世の中に
ウクライナとロシアのスポットライト
ミント
起きている話題そのものじゃんみたいな
気持ちもすごいしながら
ヤマガミ
読んでたんだけどどうですか?
ミント
ウクライナドロシアの戦争だったりとか
ヤマガミ
日本のメディアは
ウクライナにすごいスポットライト当てるじゃない
だから日本人でなんとなく
ウクライナが良くて
ロシアが悪いと思ってるじゃない
実情を見たら本当に勝手にそうかって言われたら
ミント
そうじゃないじゃん
ヤマガミ
ウクライナはウクライナで
歴史作の言えば色々やってるし
日本のメディアはやたらウクライナを特集する
ミント
あれがまさにスポットライトだよ
確かにね
スポットライトの当たり方みたいな
考えでいくとどちらかというと
ロシアに比べるとウクライナの方が
我々の生活の価値観と近かったりとか
そういうこと
関連になったりとか
そっち側の
在り方にどうしても共感してしまう
ヤマガミ
共感を抱きやすい人たちが
ウクライナの人々なんだよね
ミント
もちろんね今の話で全然ロシアを擁護する人は
一切ないんだけどね
例えば見え方の問題として
よりどちら側に共感しやすい
先入観を持っているかというと
ウクライナ側に肩入れしやすい構造にあるかもね
ヤマガミ
みたいな話も言えそうだよね
あとなんかほら私たち人間は
寸期で得意な出来事に
注意を惹かれて情動反応を引き起こすように
できてるってくだりがあるけど
まず俺
ウクライナのロシア戦争で
あんま戦争の詳しいわけじゃないんだけど
全然知らない人間として目を引いたのが
ゼレンスキー大統領がさ
元々コメディアンじゃん
コメディアンがあんな大統領やって
戦争の場で語ってるってあの状況が
まずパッとこの素人の目を
ミント
引いてしまったわけよ
ヤマガミ
それってだから寸期で得意な出来事に
注意を惹かれて情動反応を引き起こされてるわけじゃん
そういったことも
まさに俺はそのウクライナに
共感してしまってる一つの
要因なのかなって思った
そう面白いですね
だからこの辺は納得しながらだね
ミント
なるほどなるほどって思いながら
ちなみにちょっと話したら失礼するけど
ゼレンスキーが出てたドラマ見た?
ヤマガミ
見てない見たの?
ミント
めっちゃくちゃ面白かったよ
あれ知ってます皆さんゼレンスキーのストーリー
元々そのドラマで
国民のしもべっていう
自分がうっかり事故で
大統領にさせられちゃうっていう
そういうストーリーなんですよ
ヤマガミ
ゼレンスキーが出てた
ミント
ドラマの中で
元々社会科なんかの教師をやってる
先生役なんですよゼレンスキーが
現政府の
振る舞いに対して
Fワード満載でこき下ろすわけ
その様子をたまたま
教室の片隅で撮影してた女の子がいて
それをSNSに上げちゃったの
それ以上するかと思いきや
みんな第三世みたいになって
第一を大統領に祭り上げようって言って
ゼレンスキーさんが大統領に
社会の先生だったのにいきなりなっちゃう
っていうストーリーが
伏線にあった上で
ヤマガミ
ゼレンスキーは大統領になったんですよ
そうなんだ元々俳優っていうのは好きだけど
ミント
そういう俳優だったんだね
だからそこら辺のちょっと言葉悪いかもしれないけど
一発芸人みたいな人がなったわけじゃなくて
そういうストーリーの
そのドラマを経て
心がむしろめちゃくちゃおもろい
ヤマガミ
それ聞いてむしろさらにゼレンスキーに
共感してしまったよ
ストーリーを示されると人間は共感しちゃうからね
ゼレンスキーのことを考えながら
この話をしてるわけでめっちゃ共感しちゃってんじゃん
ってこれがやっぱり共感の悪いところだよね
ミント
そうでもそのストーリーの
物語の中でもゼレンスキーは大統領に
祭り上げられてしまった人
みたいな立ち位置だったりとか
大統領になるといろんなことが自動的に決まっていく
みたいな様子に
素人の目線からあれおかしいな
って思いながらえちらおちらやっていくっていう
コメディなんだけど
だからその中ですげえ秀逸なんだよね
その話から
ヤマガミ
その話につながっていくところも含めて
今だからまさに皆さんそのゼレンスキーのドラマを見たら
現状のウクライナにすごい共感できるんじゃない
共感してしまうかもしれない
いいことではないんだけど
ミント
共感しちゃいそうだよね
ゼレンスキー大統領の共感
ミント
そう共感しちゃいそう
っていう話もあって
要はスポットライトってめちゃくちゃ先入観反映されるよね
っていう話もあったよね
あとは先入観の話だけじゃなくて
そもそもスポットライトが
当たる対象がどうかって話でいくと
特定の個人だったりとか
に絞られちゃうことが多いと
これが複数人であることはやっぱ
なかなか難しいよねみたいなね
ヤマガミ
いろんな人に確かに
この本に書いてある通りいろんな人に
共感してみろよって本に書いてあったからさ
いろんな人に共感してみようと思ったけどできなかった
確かに
ミント
例えば複数
特に数人を超える人数に同時に共感することできるか
みたいなね話が結構面白かったよね
例えば100人ならどうか100万人ならどうか
11億人ならみたいな
ヤマガミ
そういう例もあるよね
ミント
それは無理だよね
逆にこういう話を踏まえると
共感はさっき冒頭ちょっと
言ったけど大勢に対して
何か感じるというよりは
より一人特定の個人を
重視するようになるっていう
性質があるとも言えるよね
ヤマガミ
自分と似たような社会的背景を持った
共感しやすいほどね
ミント
そうなんですよ
そこの一人かつその一人が
バイアスかかってるっていう二重区なんだよね
共感の難しさはね
ヤマガミ
これ難しいのがさ
確かにこれ言ってることは
わかるんだよこの人の
要は統計学的に見ると
共感の限界と問題提起
ヤマガミ
大勢より一人を重視しちゃうっていうのは
わかるんだけど
これ何が悪いのって思っちゃう
気持ちにもある
逆にたった一人がさ
自分の娘とか家族だったら別にそれいいじゃんみたいな
それに純粋に家族愛っていうか
家族を大事にしようって気持ちいいじゃんっていうふうに
これ何がそんな悪いのって
多分これに対する答えは五章とか六章なんだよ
と思うんだけど
俺は今そういう疑問を持っちゃってるな
共感ってそんなに悪いことじゃないじゃんっていう
ミント
確かにね
これに続くところで書いてあったのが
ワクチンの例読んだ?
ワクチンの
共感は統計を無視するよって話の
延長線上にワクチンの例があって
これ多分本書かれたのがコロナ前だから
コロナを経た我々は
よりリアリティを持って受け止められるんじゃないかと
思うんですけどこれちょっと読んでいくと
とあるワクチンのせいである8歳の少女が
重病にかかったと
それのストーリーだけ聞くとワクチンのせいで
重病かかっちゃった救いたい共感するだろうと
だけどワクチンをやめれば
そのワクチンのプログラム自体を停止しちゃえば
その子の背後に隠れた何十人もしくは
何百人何千人っていう人が死ぬかもしれない
みたいな天秤があったときに
この未来の
複数の被害者に対して
ワクチンをやめたときに
死ぬであろう人々に対して
共感することは難しいんじゃないのっていう問題
ヤマガミ
そういうことだね
明確にストーリーが描かれた
8歳の女の子に対してしか我々は
共感できないっていう
存在しない数値とか
未来のことには共感できませんよって
ミント
これでこの論点に提示されて面白いなと思ったのは
8歳の少女に
女の子に共感することが
ダメだって別に言ってるわけじゃないんだよね
その女の子に対する
感じる感覚と
それからこの今目の前で
苦しんでいないけれど死ぬかもしれない
数十人数百人みたいな
かつそれが未来で
起きてない事象に対して共感を覚えられるっていう
この2つを共感っていうレイヤーだけで
天秤にかけたら8歳の女の子が
ヤマガミ
絶対勝っちゃうじゃんと
ミント
それを引きの目で見たときにどっちを選ぶねん
って話になったときに共感っていう軸は
本当にいいんだろうかっていう
そういう問題提起として描かれてると思うんだよね
ヤマガミ
よかねえけどでも
自分の一人が自分の大切な人間だったら
それはそれでいいんじゃないか
ミント
っていう気持ちになりかねない
それは個人の行動原理みたいな話が
まずそこでありそうだよね
でもちょっと今別の角度で
今の話を大言したのは
例えばたった数人だけが受けた苦痛が
戦争の引きがいになるケースがある
ヤマガミ
みたいな話もあったじゃない
ミント
共感にはより大勢じゃなくて
一人を重視するみたいな話があったけど
少数団が何かしら大勢の
被害を生むような事象の
トリガーになることもあるよね
ヤマガミ
それ言われると確かに共感よくないなっていう
それ納得できるよね
ミント
はいはい
みたいな話題もあって
ちょっとこれ前回話題出しましたっけ
なんか全体通じてさ読んだ時に
とあるSFのことを思いながら
この本の始めに読んだんだよ
ヤマガミ
みたいな話でしたっけ あれ知ってないと思う多分
ミント
本当?なんかね
僕たまたま最近
全然この話は別で読んだSFに
虐殺機関ってSFがあって
早川から出てる
2000年代の
ベストSFなんじゃないかって
言われてたすごい
名著のSFがあって
その本自体めちゃくちゃ面白くて
人間の
言葉自体が
虐殺のトリガーになってんじゃないか
みたいなことをフックにした
SFなんですけど
その本の通想提案
っていうかテーマみたいなのが
圧倒的なヴィランみたいな
人がいるんだけど
その人がなぜその大量虐殺をするのか
みたいなところを辿っていくと
愛する人たちが傷つけられるのが嫌だから
っていうすごくシンプルな理由に
たどり着くっていう話が
あるんですよ
そういう愛する人たちを守りたい
っていう気持ちから
圧倒的大多数を殺すっていう行動を
積極的に選択する
ヤマガミ
みたいなストーリーがある
共感しちゃってるってことか
愛する人たちに共感するがゆえに
違えた行動を
とってしまってる
いい例になってるってことね
ミント
それはどちらかというと
ポール・ブルームさんみたいにどちらかというと
問題を投げかけてるみたいな感じだよね
明らかに悪として描かれるんだけど
その根源的な動機を
辿っていくと悪ではなくて
近しい人たちに対する共感あるいは
愛みたいなものが行動原理になってた
ってことが明かされて
その手前で自分が感じてきたこの虐殺っていう行為に対する
ネガティブな感情をどう処理するんだ
っていうモヤモヤって気持ちになる
そういう仕掛けの
そういう話題を少し思い描きながら
読んでましたね
共感の性質とバイアスについて
ヤマガミ
そんな映画があるわけだ
ミント
それね映画なのかな
僕は小説で読んだんだけど
アニメ化されてるのかな
ちょっと通じるテーマがあるなと思いながら
別にどっちがいいって話じゃないよね
だけど共感っていう側に
立ったとしたら
その共感の性質を考えると
そのバイアスっていうのが
ある種道徳的な判断とか
政策決定をフラットなものには
できなくなる可能性があるよね
ヤマガミ
この人は明らかに共感に対して悪っつってるけど
別に悪じゃなくても
確かにそういう
虐殺だったり戦争が起こったりするっていう事実はあるわけだ
ミント
そうだね
っていうところから
この人の結論じゃないですけど
共感っていうのはどちらかというと
ネガティブな結果を引き起こす要因にさえ
なるよねと
つまりめちゃくちゃバイアスがかかってるっていうところに
この人はすごく警鐘を鳴らしてると
かつ複数の選択肢を
選ぼうと思った時に
天秤を測る時の
測りのスケールが全然違うものになっちゃう
性質があるっていうのはこの共感の特徴として
あるからそういったものが本当に
判断軸になるんだろうかみたいな
そういう警鐘を鳴らしてると
いうような風に受け取りましたね
ヤマガミ
すごい危険な
危険な天秤というか
いつこいつに対して
世界みたいなことになりかねない
のが共感
共感という測り
ミント
共感は確かにこの測りなんだよね
そうだね
というのがこの浄土的共感の機決はどうなるのか
っていうようなテーマだったかもね
認知的共感と情動的共感の違い
ミント
ここに対してさっきね
共感二つあるよって話が出てましたけど
もう一個認知的共感の方にも
話題が
ちょっと触れるんだよね
論点としては
あれだよね認知的共感にも
反対すべきかどうかっていう話があって
結論から言うと
ヤマガミ
こっちは別に反対しなくても良くない
認知的共感はちゃんと使えば大丈夫よ
ミント
っていうような
認知的共感なんだったか改めて振り返っていくと
他者が何考えてるかとか
なんでこの人怒ってんのとか
ある種なんだよな
その感情で反応することを一旦抜きにして
人の思考とか
考えを類似するような
ヤマガミ
共感
これすごい分かりやすかった
例えばこの妹っ子の誕生日に
自分の欲しいものをあげないでしょって話
ちゃんと妹っ子が欲しいものを考えてあげるでしょ
それがちゃんと認知的共感
使ってるってことなんだぜっていうのが
ミント
すごい例えだして分かりやすかった
確かにそういう例えもありましたね
要は相手がどう思うかっていうことを
どちらかというと知性で持って
自分のその感覚的反応じゃなくて
ちょっとちゃんと考えて
共感しようぜっていう態度が
ということですね
ヤマガミ
伝説的な態度で人に接するためには
相手が何を考えているかを
ある程度把握していく必要がある
まさにこれが認知的共感のまとめだよ
ミント
さっきの情動的共感との
違いがどこにあるのかでいくとあれだね
感情みたいなところを一旦保留してる
ヤマガミ
っていうところなのかな
だから相手の中に
認知的共感してないというか
相手の中に入り込んでない
ちゃんと自分を持った上で相手を見てる
自分の世界の中で相手を動かしてるのが
認知的共感で
相手の世界に入り込んじゃうのが情動的共感
ミント
そう面白いね
ある種あれだよね自分を消してないというか
自己と相手がいることを相対化した上で
自分はこうだけど
相手はこうだよねっていう風に
理解しようとするのが認知的共感だと
ヤマガミ
そうそう
なんか俺よくさ自分
ミンティに言ったっけ俺ってあんま傷つかない
ミント
人間だったらしいって
ヤマガミ
それ何でかというと
自分の上に自分が操作してる何かがいて
山上っていう人間を上で操作してて
痛い目にあっても別に
そいつに共感しないというか
それこそ自分セルフ認知的共感をしてるわけ
ミント
なるほど
ヤマガミ
ああなんかあいつ痛い目にあってるみたいな
じゃあどうしようっていう
これに関してはすごいよく
理解できるというか
面白いですね
普通人間って自分に対して情動的共感をするんだと思うんだけど
ミント
自分に対してね
そもそもが一旦
メタに自分を認知していて
かつ自分に対して
情動的共感してるから
ある種自分に超意識してる状態
ヤマガミ
意地になるものになる
ミント
意識の話だよね
ヤマガミ
俺は多分意地になるものになるでなくて
常にこうなんか
上から自分を操作してる自分がいるから
ミント
それも山上くんずっと言ってるよね
ヤマガミ
これだからこれなんだよまさに
ミント
そもそも自分に対する
観察の仕方も認知的共感的共感
ヤマガミ
そうそうそうそう
ミント
それはなんかもしかしたら
トレーニングとしてめちゃくちゃいいかもしれないね
ヤマガミ
だからある意味
アンガーコントロールとかに通ずるところがあるのかもしれない
ああ
ミント
確かにね
ヤマガミ
建設的な態度で
自分と接してるこの本の言葉を借りる
ミント
面白いねそれはね
そうそう
ちなみにこの本の中でいうと
どういった職能がこの認知的共感を
めちゃくちゃ使うかみたいな話で
裁判の判事の話が出たら面白いですよね
ヤマガミ
ああ出てるね
ミント
そうだから裁かれる人が
あるいは被害者が全然自分と
歳も違えば性別も違うみたいなことが
まあまああるという状態で
公平なフェアな
ジャッジするためには明らかに
認知的共感力ができないよねみたいな
ヤマガミ
これは確かに丁度的共感しちゃうと
自分と歳の近い人に共感しちゃったら
まだまだ裁判にならないから
ミント
そうなんですよねそういう話も踏まえると
大事だよなって確かに分かると
一方で
っていうところでいくと
裁判って別に
良いとか悪いとかの判断と全然違うところに
あるよねって話があって
そもそも例えば詐欺師とか
サイコパスとか
って人がどう思うかってことに対する
センサーというかさ
感じる力がめちゃくちゃ
高いからある種高い認知的
共感能力を携えて
ヤマガミ
ってこともできるわけだよね
そうだよねこれ話すぎは上手い人だったり
とかすごいモテる人だったり
相手にチューニング合わせるのが上手っていうじゃん
まさにこれ認知的共感を
上手いこと使って
ミント
相手の心に取り入ってるっていう
そうだよねそういう風に考えると
認知的共感っていうことが
良い概念なのではなくて
認知的共感はあくまで中立であって
そこにどんな目的が乗っかってくるかによって
全然いろんな使い方するよねって
そういうフラットな判断を下していると
ヤマガミ
これもなんか面白い例えだなと
いじめっ子は認知的共感力が
高いっていう
その心は何かというと
自分にはどうすればよく心得ているのか
っていう
ミント
そう面白いね
嫌なことがわかるってすごい大事じゃないですか
でも思ったのは確かに
浄土的共感をしていると
嫌なことは嫌だだから自分それ感じたくない
だけどサイコパスとかは
相手に嫌がらせしようとすると
相手が何されたら嫌かわかるっていう
ヤマガミ
力が必要なの 上でそこで犠牲がないから
それを選択しちゃうだけ
そこで犠牲があれば普通はしないっていう
だからサイコパスと
認知的共感をちゃんと使い込ませる人間
はすごい紙一重
なんだなって
そういうことですね
あなたも私もサイコパスってタイトル振りは
意外と結構いいタイトル振りだった可能性がある
ミント
確かにちょっと煽った
煽ったつもりでいたけれど
そのサイコパス的側面
つまり認知的共感力をいかに
使うかっていうそういうテーマだった
認知的共感の使い方と注意点
ヤマガミ
そうそう
疲れ犠牲の力を働かせて
詐欺師になるなっていう
ミント
なるほどね
詐欺師はなぜ悪いのかっていう話をどう決めるのか
っていう話題までもしくは
ちょっとそのあたりは
おいおい話していけるといいのかなというところで
ちょっとそろそろこの章のまとめに
入っていきましょうか
まとめですけれども
実はこの章
後半にダーウィンさんよろしく
旧英雄がついてます
ヤマガミ
これ笑ったわこれ
また
自己弁護してやがる
ミント
でもこれは
ある種あれじゃない認知的共感力が
高いからですよだって
自分と違う考えを持ってるかもしれない
論者がどういった反論を
抱きうるかっていうことに考えを
呼んでるわけですから
ある一つの立場から書いてたら
ヤマガミ
こういう旧英雄は作れないでしょ
この人はメタ的に
この一章の最後で俺は認知的共感を
正しく使える人だけどねってことを
添えてるわけね
ミント
そういうマウントですかこれ
なるほどね
これをやられると相手が嫌な気持ちになるだろう
思ったサイコパスだ
サイコパスだ
彼はポールシーズン
っていうのがねこの52ページ
以降つらつら続いていくわけですけど
これを一個一個取り上げると
ちょっとね散漫になっちゃうので
今日はねこの前のところに一旦中締めみたいな
章のまとめがあるので
そこをちょっと見ておきましょう
で改めて
さっきの中立的だよって話も踏まえると
認知的共感の方は
あくまでツールだと
だから良い人になろうと思ったら
これはツールとして持っていく
置くのは必須ですよと
だけど逆に言うとこれは別に
必ずしも良い方に導くわけでもないから
使い方は
要注意だという話ですね
逆に浄土的共感
さっきの同感とか
シンパシーの方ですね
こっちはどちらかというと
実は道徳を蝕むように動くんじゃないか
っていうのが
この人の主張になってくるわけですよね
つまりフォーカスを絞っちゃって
スポットライト的な働きをすることによって
そこの範疇に入ってこない人たちを
無視したりとか不当に落としめたり
とかしてしまうようなものの
見方になっちゃう可能性もあると
だからこういった共感の使い方っていうのは
良くないと
具体的にここ文字で書いてあるところでいくと
あれですね
道徳的な判断を下そうとして
他者の快や苦を自分でも感じよう
と勤めている自分に気づいたら
その声はやめるべきだと
その質の共感力の行使は
ずくえることもあるが物事を改善する手段としては
不適切誤った判断は悪い結果を
生みやすいと
認知的共感と情動的共感
ヤマガミ
この章で見てきた例の通りではありますね
ミント
そうだね
じゃあどうすべきかって話がその後に
ちょこっと書いてあって
それよりもより距離を置いた思いやりや
親切心に意気をしつつ
必然のうちから費用対効果分析を
奉仕した方が遥かに良いと
いうことで要はあれですね
ソロバン使えよって話か
ヤマガミ
ちゃんと頭働かせて
ミント
そうそう
なんかこう心で受け止めるだけだと
怪しいよっていう話をしてるんだなつまり
ヤマガミ
理性とか
数学とかそういうデータに
エビデンスに頼ったことを
確かにあの
医学の世界と何でも繋げるの良くないけど
今の医学の世界ってエビデンスベースとメディソン
EBMって言って
最終的には
手術師と患者の間で
どうするって決めるんだけど
ある程度ガイドラインみたいなのが決まってて
例えば心筋拘束で
こんだけの
心臓の血管がこんだけ狭かったら
こういう風に治療しますよ
こんだけ狭かったらバイパス手術
こんだけだったらカテテルしますよ
ある程度その1万人2万人とかで検証した
データの蓄積があって
エビデンスレベルっていうのが1とか2とか
どれくらいのレベルでそれを推奨するか
ってどこまで決まってるわけ
それはやっぱり
医者ってエテチで患者さんとかが
先生手術したくないです
って共感しやすい立場にいる
人間だから
そういう時にエビデンスでしっかり
認知的共感をできるように
エビデンスベースとメディソンがあるのかな
ミント
みたいなことをちょっと
ヤマガミ
理性の力とか医療体効果分析を
使って患者さんに
お話しできるといいなってことを自分で思った今
ミント
なるほど
これあれだね
実は回り回ってタイパの話とか
繋がってくるなって思いながら今ちょっと
今の山上くんの話を聞いてました
別にタイパそのものじゃないんだけど
パフォーマンス何かって
大事じゃないって話してるじゃないですか
目的は何であるか言い換えると
今のこの認知的共感も
目的に対して新しく
用いればいい価値があるし
目的を誤ってサイコパスとか
詐欺師が使えば普通に悪い結果生む
ヤマガミ
ってそういうことじゃないですか
ミント
それと何か同じようなもので
例えばその
目的が共感されたいとか
寄り添ってほしいっていう
こともあるじゃん
その時に別に共感しちゃだめだ
ヤマガミ
ってわけじゃないじゃん
それもでも本当に浄土的共感してしまうと
もうドロドロの方に行ってしまう可能性が
あるっていうのがこの人の主張なんじゃない
その状況でも認知的
共感をせよみたいなことなんじゃない
ミント
ああそうだね
確かにならこの人が
ちょっともしかしたらこの後のショーで
出てくるのかもしれないけど
誰の目線に立って言ってんねん
ヤマガミ
っていう話だよね
そうだねだからどうだろうな
俺はやっぱり話を聞くと医者目線でしゃべっちゃうから
患者さんに感情移入して
自分も泣いてってのはよくないから
悲しいけどいやいや
あなたはこれからの図に触りますから
みたいなそういうアドバイスする
立場になっちゃう認知的共感者になってしまう
俺はこの話を聞くと
ミント
確かにね
ヤマガミ
それはそうだね
ミント
これはなんか
僕個人的には
言いたいことが分かるな
って思いつつ
この釈然としなさは
何なんだろうかみたいなところも
ヤマガミ
一方で思いましたね
浄土的共感に対して
絶対にこう罰にしてしまうことに対する
釈然としなさってこと
ミント
いやいやその
なんていうのかな
共感自体が目的であれば
共感していいじゃんっていうシンプルな答えも
一方ではあるよなって思ったんだよね
ヤマガミ
共感自体が目的ってのは要は
共感してほしい人間と対峙してるときってことか
そうそうそう
ミント
まあ確かにな
全ての物語はそっち側で起きるじゃんっていうのもあって
ヤマガミ
さっきの
ミント
例えば
公正に考えたとか
フェアに考えたらこの選択通りよねっていう
ストーリーが物語にはならんな
ヤマガミ
と思ったんですよ
その物語性を持たせるときは
やっぱり共感があった方が
ミント
豊かになっていく
ヤマガミ
っていうこともあるかなって思ってね
ミント
それは別に
あえて言ってるんですよ
この読みをちょっと深くするには
ヤマガミ
どうするといいかなって
まあ確かに
戦争とかそれは一つの物語と捉えるなら
確かに情動的共感がないと
波乱版上のストーリーは
起きえない可能性がある
ミント
そうそう
例えばさっきのワクチンの話とかもそうじゃない
自分の娘が何か
重病にかかっているっていうのと
他の100人の命とバランスすると
みたいな話とかもそうだけれど
結局そこで
理性的に考えると
それも100人の方が思いに決まってますよね
っていうのが多分
コレクションな答えだとすると
そこに対して
8歳のさっきの少女
ワクチンのせいで
重病にかかっちゃったという症状も
いたとして
そういう目線からすると
ヤマガミ
なんで私だったのとかさ
ミント
って思うわけじゃん
基本的にその理不尽に対して
紐づいてくるあれこれがさ
ヤマガミ
やっぱ物語だったりする訳じゃないですか
共感の目的と限界
ヤマガミ
結局人間は
情動的共感をやめることはできないし
逆に
情動的共感っていうものを利用して
いろんなコンテンツが生まれる可能性がある
ってことだ
だからこの人の立場では情動的共感は
圧倒的バツにしてるけど
語呂場的な
結論でもないけどちょっと見方すると
7月情動的共感が
前罰ではないかもなっていう
ミント
そうね
どうなんだろうねこの人がさそもそも
政治的判断とか社会的判断する
上での軸足としての
その
道徳として
認知的共感はいいけど今日情動的共感
ダメだよっていう風に言ってる訳じゃない
そうだね そうすると
それはそうだわって
自分の判断はやっぱり
情動じゃなくて認知的共感に基づいているべきだよね
多分その通りで
社会的に振る舞うときは
そういう風に振る舞ったほうがいいけど
例えば小説を読んで流音を下げる
ヤマガミ
ことなのかもしれない
こんな本読みながら
俺昨日も24時間テレビ見ながら泣いてたしさ
これまさに情動的共感だよね
やっぱり涙出る
なんかあの
嫁半年のお父さんと山の持った娘の話
なんか泣いてたしさ
あーあー情動的共感してるわー
だから情動的共感があったほうが
ミント
人生は楽しいのかもね
人生が楽しいのは間違いない
僕は24時間テレビで全然泣けないタイプの
俺もそうだったんだけど
ヤマガミ
最近なんかちょっと
ルイセンが緩いてるから
情動的共感するようになってしまったのかもしれない
ミント
仕事で認知的共感を使いすぎてるから
結局バランスを取らなきゃいけないじゃん
ヤマガミ
みたいな話も
自分の体の中で
ミント
形成してるわけか
ヤマガミ
そういうとこはあるかもしれないです
ミント
というとこで今後の論の動きに
目が離せないなという状況になってきましたけど
ちょっと若干
個人的な感覚としては
わかるけれどもやや優等生的な回答
ではないかという感覚が
ヤマガミ
あるかな
情動的共感の重要性
ヤマガミ
俺も今ミンティーの話聞いてそう思ったわ
絶対に情動的共感がだめかというと
うんって感じだね
ミント
ちょっとこのあたりは
僕らもまだ言語化できてないところがありそう
ヤマガミ
でもとりあえずこの人のレールに沿って
走っていくのは面白そうだからさ
ミント
そうですね
2章3章では多分今日の話に対する
深掘りがまた起こると思うんで
そのあたりも追っていきましょうかね
ほいほいほい
語らずよ
いやいやいや
ヤマガミ
2回目終わりましたね
2回目ね1章から3章読んでるはずが
今日は1章で終わってるという
またこの早速
全4回収録が
ミント
計画通りにも程があるね
ヤマガミ
でもね
結局楽しいんだよね特集4回で終わっちゃうと
ちょっと預けない俺らも切ないと思って
済むようなところがあるわけでございます
ミント
確かにねこのちょっとねなかなか先が
読めない中どうなっていくんだっていう疑問を
こうもやもや抱えながら進んでいくのが
そうそうそう
ぜひお付き合いいただければという感じですね
どうでしたか素朴に
ヤマガミ
1章読んでみて
面白いねやっぱ概念獲得
今ね共感という概念にちょっと
捕まったというか全然どう
共感という概念を切り崩すか全く
わからなかった共感にちょっと
とっかかり口が逃げた
こういうところから共感突き崩していくのか
意識の本読んだ時に
意識の情報統合理論の時もさ
ファインの概念とか斬新だったじゃん
情報と統合にあげて
こういう風に意識のレベルを測定するんだこの人だと思ったけど
共感は今度は
浄土的と認識的に分けて
そうやって攻撃して
分解していくわけになるほどっていう
面白い
面白いはやっぱこう
みんなこういう風に考えていくんだなっていう
常教授たちは
ミント
ちょっとね対象を2つに分ける
っていうことがね一個議論前に進めるべき
大事だったっていうのが
そうだねそうだね
というところで
久々の特集でやった
わけですけれども
次回はねだから2章3章が
1章に対する注釈だと
いう風にね言い続けられてるので
次回は2章3章まとめて
読んでいけるといいかなと思いますけどね
読んでいきましょうか
読んでいきましょうかね
というところでぜひ皆さんもね
もし興味があれば概要欄にリンク
貼っておきますのでねこの反教科の
買って一緒に概念クククしていきましょう
ヤマガミ
はーい我々と一緒に
リアリティショーに参加してください
ミント
いいですねそして参加した
あかつきにはね質問疑問
感想どしどしお待ちしておりますので
youtubeのコメント欄もしくは
お便りの欄からぜひぜひ
投稿お待ちしております
ヤマガミ
はいお待ちしております
ミント
はいでは本日の特集は
以上となります
また次回も
よろしくお願いします
01:00:52

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