1. カタラジオ
  2. 共感が僕らを悪人にする? ~戦..

特集シリーズ「あなたも私もサイコパス!?」5回目の今回はブルーム『反共感論』の5章を読み進めていきます。

凄惨な事件が起こると「相手への共感が足りないから」って言われがち?この第5章では「共感」は暴力へのブレーキになるどころか、燃料になってしまうのでは!?という仮説を検証します。

果たして共感に世界の平和は守れるのか?怒りを煽るのに、共感は役に立つ!?「同時多発テロ」「真珠湾攻撃」など様々な具体事例と「共感」の関係性を考察していきますよ。

共感で説明できる歴史的事件、もっと教えて!感想・お便りは「⁠⁠⁠⁠⁠お便りポスト⁠⁠⁠⁠⁠」まで


🪟コンテンツ🪟

  • 特集: あなたも私もサイコパス!? - 何を読んでるの?/ 前回の振り返り/ 全体概観 / 利他主義は偽善なのか? / 思いやりは自然選択の結果なのか? / 共感は淘汰されないの? / 暴力と残虐性の起源 / 暴力は人間の欠陥なのか / 同時多発テロ、2つの視点 / 真珠湾攻撃と共感の捏造 / なんで鬼畜米英なの? / 共感は権力の役に立つ


📻カタラジオとは📻

ひょんなきっかけで、突如ラジオをやってみたくなってしまった中高時代の同級生の二人。医師と企画者という異色で異職の二人が、ゆる〜く語らう、似非インテリジェントな実験型ラジオ番組です。


🤝出演 🤝

ヤマガミ:金沢在住の医師、不遜な方、ベシャり担当。

ミント:東京在住の企画者、横柄な方、ゆる進行担当。

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📚参考文献📚

サマリー

特集シリーズの5回目であり、共感のネガティブな側面を探求する内容です。マックワイン2では共感が道徳基盤としての立脚に関わるかどうかを検証し、真の悪や利他心についても探求します。第5章では暴力や残虐性が共感の欠如から生じるのかを検証し、利己心や悪いことをする意図について考えます。共感の欠如が暴力と残虐性につながるのかを検証する話です。冒頭でダッハウの強制収容所における拷問と銃殺の光景を例に挙げながら、共感の欠如によって人を非人間化したり物のように扱ったりすることが悪事の発生と関連しているのかを考察していきます。共感の欠如や道徳の価値観によって、悪人になると言われていますが、実際には共感があれば非人間化や悪行は起こり得ないという論点もあります。暴力や残虐性も道徳的な正当化や視点の問題によって喜ばれることもあり、道徳の意味や暴力の悪さについて考える必要があります。共感が暴力や戦争につながることを考えるエピソードです。権力と暴力の関係性や共感の限界について議論され、真珠湾攻撃や鬼畜米の例が挙げられます。共感が人々を悪人にする可能性があります。共感は暴力との関連性があり、暴力の燃料となることもあるということをブルームさんは指摘しています。完全に共感しているよね。ブルームの立場は共感の姿だよね。確かに反共感に対する病的までの力強さを持っているかもしれない、確かに。

00:01
スピーカー 2
カタラジオ
スピーカー 1
はい、始まりました。
意思と企画者が緩く語らう概念獲得リアリティ番組
カタラジオの時間がやってまいりました。
フィルシンコー担当のミントと
スピーカー 2
スペシャリ担当のヤマガミです。
スピーカー 1
はい、じゃあ概念獲得やっていきましょう。
スピーカー 2
はい、あ、忘れてたそれけどそうだったね。概念獲得やってまいりましょう。
スピーカー 1
いよいよね、特集シリーズの5回目でございます。
スピーカー 2
あ、もう5回目か。
スピーカー 1
いやいや、前回4回目撮ったとあれ、ヤマガミくんあれですよね?
どっかに行かれてたんですよね?
スピーカー 2
あ、ちょっとね、バカなのすぎ。
あの、ハワイ、ハワイ州、お悪党に行ってまいりました。
スピーカー 1
あら、いいじゃないですか。どうでした?ハワイ。
スピーカー 2
いや最高よ。もう5日間いたんだけど、毎日晴れてて。
もうずっと午前は車でお悪党ぐるーっと回って、午後はワイキービーチでずっとサーフィンして、
体焼いてみたいなの。黒いでしょ。わかる?あんまわかんないかな。
スピーカー 1
まああんまわかんないな。
わかんない、正直。
そうですか、いいですね。
スピーカー 2
結構ね、やっぱ久々の海外だから時差ボケとかあるかなと思ったんだけど、
結局俺らいつもさ、循環期ですごい不規則な時間に呼ばれて寝れなかったりするから、
むしろ、5時間ずれますよって言ってくれる時差ボケは全然ありがたい。
スピーカー 1
そんぐらいには全然余裕だぜってことを気づいた。
なるほどなるほど。職業病ですね。
スピーカー 2
そうだね。宣告された時差は全然効かないね。
ほんとかよ。
つい眠かったけど、日本帰って。
スピーカー 1
いやそうですか、いいやいいや、よかったですね。
間にハワイもあったというところでね、気合い入ってやってきたなというところですけどね。
スピーカー 2
そうそうそう、冒頭から他の番組の話したあれですけど、
スピーカー 1
最近コテンラジオさん聞いてます?
最近聞いてねぇな、一時なんか取り憑かれたように聞いてたけど、最近全然。
なんかね、最近僕らも自分たちでやってて、あんまり聞く余裕なかったんですけど、
たまたま週末に久々に聞いたんですよ。
そしたら今ね、ちょうどね、オスカー・シンドラーの特集なんだよね。
スピーカー 2
あ、シンドラーのリストの人?
そうそうそう、シンドラーのリストの人。
スピーカー 1
そうなんだよ、びっくりして、あらーと思って聞いてたら、これまたアプローチ面白くて、
SS隊員ってね、ドイツの隊員になって、
孫徳環状でしか動かないシンドラーみたいな人が、なんでこういう大事に救うことになったのかみたいな。
スピーカー 2
SS隊員ってのは要はゲシュタポみたいな、秘密警察みたいなやつなんだよね。
スピーカー 1
ゲシュタポじゃなくて、ナチスの党員だったシンドラーが、
基本的に孫徳環状で働くような商売人なんですよね。
そのシンドラーがなんでユダヤ人を救うことになったのかっていう話。
スピーカー 2
これいまいちシンドラーのリストっていう、小説?映画?わかんないけど、それもあんまり理解してないんだけど、
シンドラーのリストって何?シンドラーさんがユダヤ人を救うためにリストを作ったの?
スピーカー 1
そうそう、シンドラーさんがユダヤ人を救うっていう話なんだけど、
シンドラーは別にユダヤ人じゃないんだよね。
スピーカー 2
どっちかっていうとナチス側だし、その人が迫害されているユダヤの人たちをシンドラーさんに救っていくわけなんですけれど。
スピーカー 1
で、古典ラジオでは、シンドラーに救われた当時の少年側の目線で描かれた主旗と、
またシンドラーの目線両方に立って、起きた事象を声描き出していくという立て付けで、
これがバッチバチに反共感論と重なるテーマというか。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
良し悪し、良い悪いの話とか、アクションする時の動機は何なのかっていう話とか。
スピーカー 2
シンドラーはユダヤ人に共感したのかどうかみたいな話になるってこと?
スピーカー 1
そうそう、さっきも言ったようにソントクで動くから共感じゃないんだよね。
シンドラーさんは工場を持っててさ、そこにユダヤ人を雇うわけだけど、
あの人がナチに取られたら嫌だっていうことから、最初そうやってユダヤ人を救っていくみたいなムーブになるわけなんです。
スピーカー 2
この本で言うと、人造を寄付する時に統計学的な確率を考えて人造を寄付した人と同じからね。
スピーカー 1
そうそう、だから共感とか共感ドリブンじゃないんだよね。
ソントクドリブンで動くんだけど、それがどんな結果になるのっていう話。
スピーカー 2
面白いね、すごい気になる結果が。
スピーカー 1
そういう話題と最後アイヒマンが登場して、このアイヒマン側から悪を考えるっていうので、何が善で何が悪なんだろうねっていう問いを掛けられるシリーズなんですけどね。
これもぜひセットで聞いていただきたいなと。
スピーカー 2
分かりました。
でもあれだね、共感っていう話題とナウシュビッツのあの辺のナチとかは切っても切り離せないんだねやっぱ。
スピーカー 1
そうね、だからちょうどまさにこのシリーズの2回目でもさ、ブルームスさんってどんな人なんだっけみたいな話を掘ったときに、彼のパーソナリティとかさ、ユダヤの羊でみたいな話とかさ、無神論者に激かなってみたいな話題とか。
なんかそういうところがやっぱりすごく密接に関わってきてるんだなっていうのをね、改めて認識しましたね。
スピーカー 2
この人もユダヤ人なんだもんね、ポーリックスさん。
スピーカー 1
そう、でちょうどブルームスさんがユダヤ人じゃんって話したときにさ、十一種って宗教だっけ人種だっけみたいな話を山本くんにしてくれたじゃないですか。
スピーカー 2
あ、してたしてた。
スピーカー 1
であれ僕すごいはぐらかしてたと思うんだけど、それに対するめちゃくちゃ鮮やかな歴史的な解説もあってね、これはねマストリッスンですよ。
スピーカー 2
あ、そう?聞こうかな。
いや俺もちょっとね、あのくだりでどうだったかと調べて、結局ユダヤ人は十なんだよ、十。
で、ちょっと十一種がどうかってとこまで俺まだ自分でも掘ってないんだけど、とりあえずユダヤ人が十だってことはマストリッスン。
スピーカー 1
はいちょっとここはあれですね、なんてもう御手なしで聞いてください。
スピーカー 2
あんまここ掘るとね、SAインテリジェント出ちゃうからやめとくか。
スピーカー 1
そうなんですよ、僕ら本一冊しか読んでないでやってるんで、厚みが違いますんで。
間違いない、古典さんと比べないでください。
古典さんに補完していただいて、はい。じゃあ今日の収録終わりにしましょうか。
スピーカー 2
終わりにしましょうか。古典聞いてくださいっつって。
スピーカー 1
いやいやいや、というのはまあ冗談ですけどもね。
はい。
じゃあ本編やっていきましょうか。
スピーカー 2
はい。
語らずよ、あなたも私もサイコパス。
スピーカー 1
いやもう聞き迫る感じですね。
スピーカー 2
だって五章だもん。
そうなんですよ。
スピーカー 1
五章なんですよ。
そういうことですね。特集テーマあなたも私もサイコパス反共感論読む本日で五回目になりましたけれどもね。
やってまいりましたね。ここまでね。
スピーカー 2
やってまいりましたね。
スピーカー 1
もう最初の回からここが山間じゃないかと言われていた暴力と残虐性の回にようやく到達しましたと。
スピーカー 2
明らかにテーマが一つ浮いてたよね。暴力と残虐性って他のテーマとさ。
スピーカー 1
そうそう。目次眺めたときになんでここで暴力と残虐性なのっていう。
そういうですねちょっと尖ったショーだったわけですけども。
今日はまさにここを読んでいくというところで。
ちょっとね特集の概要を改めて説明しておきますけれども。
あなたも私もサイコパスというところですね。
この特集では社会一般にポジティブなイメージとセットで語られることの多い共感という概念について。
その光彩だったりとかネガティブな側面にも光を当てながら僕らの中の共感概念をアップデートしていきたいと思います。
ということでね。毎度語らし中では本を決めてそれを複数化に分けていくように読んでますけれども。
今回もそういう感じでね。お互いが感じたことを達成しながら語らっていきましょうというスタイルでございます。
共感と公共政策
スピーカー 1
毎度お馴染みですし、5回目の人は毎度失礼いたしますという感じですけれどもね。
読んでいる本はポール・ブルームさんというイエル大学の心理学教授で。
道徳心理学という学問の世界的原因が2016年に書いた反共感論という本を読んでますというところですね。
この本は全部で6章あって、あと2つの幕間で構成されているんですけれども。
前回はね、第4章まで読んだのかな。
そうですね。
なのでその直後にあるね、幕間2つ目の幕間とそれからそれに続く第5章を読んでいきましょうということでございます。
はい、いよいよやってまいりましたね。
スピーカー 2
はい、山場がやってまいりましたよ。この本のハイライト5章ですよ。
スピーカー 1
ハイライトですよ。ということでちょっと前回の話をサクッと振り返っておきましょうか。
スピーカー 2
はい、お願いします。
スピーカー 1
前回のやつ覚えてる?
スピーカー 2
覚えてる。プライベートな領域に対する議論だよね。
スピーカー 1
そうでしたね。前回番組のタイトルとしては、共感は病である。なぜ家族に共感してはいけないのかというテーマでやりましたけれどもね。
読んだのが大きく2つあったのかな。1つが幕間1で、これは共感に基づく公共政策でしたね。
もう1個が今山上が読んでくれた第4章、プライベートな領域ということで。
公共政策のほうをね、共感と政策の間の関係について整理した幕間1の章ですよというところで。
本当に雑に整理すると、右派とか左派とかいるけど、実は共感してる相手が違うだけで、密着してる共感っていう構想そのものは結構似てんじゃないのと。
そういう話。
スピーカー 2
まあまあそうだよね。
スピーカー 1
そうそう。で、逆に言うとその政治的なスタンスみたいなのは、誰の側に立つかで変わるということも言えるよね。
スピーカー 2
共感も関係ねえってことで。
スピーカー 1
まあまあそうだね。右派左派の違いとは関係ないし。
逆に言うと、右派左派のどっち側に共感するかっていう、共感するのが誰かっていうそこだけの違いだと。
そういう話をしてましたというところですね。
だから裏返すと、共感できない相手同士だからこそ右派と左派の溝が埋まるんじゃないのみたいな。
なんかそういう話ができるか。
スピーカー 2
結局その身移り同士共感しちゃうよっていうね。
相手には共感できませんよっていうのは変わりないよね。
スピーカー 1
はい、というところでしたね。だからこそ共感使わない方がええんちゃいますかっていう。
そういう話でもあるわけだよね。
これに続く4章では、これまで比較的公共政策だったりとか、意思決定においてどういうふうに共感を使うべきか、あるいは使わないべきか、話をしてきましたけれど。
親密な関係、特に家族みたいに自分にとって特別な存在ですよというのが相手だったら別に共感してもいいでしょうというような見解にマッターをかける章でしたね。
スピーカー 2
そうだね。それもあまり良くないっていうふうにどんどん展開していくんだよね、4章ではね。
スピーカー 1
これ面白かったですよね。
共感と家族
スピーカー 2
ね、これは面白かったよね。
スピーカー 1
特にアプローチとしては2つあって、共感する側の人にとってっていう話と共感される側っていう2つのアプローチがあって。
する側の人にとっては、例えば相手の怒りとか、相手の苦しみとか、そういった相手が感じている感情に対する感受性で駆動するっていうその構造自体が自分自身を消耗させてしまうんじゃないかという話がありましたね。
なのでこの構造自体がとてもネガティブですよという話でした。
逆に共感される側にとってみれば、むしろ自分の感情、例えば恐れとか悲しみとか、そういった感情を反映させて何か意思決定されるよりは、それを無視してあるいは逆張りするような動きで判断してもらえる方がむしろ公正なジャッジじゃんっていうふうに評価してもらえるねっていうのを、
例えば医療現場の話題だったりとかね、家族の話題をもとにピックアップしていきましたというところでしたね。
スピーカー 2
でね、その終盤でね、共感が少なければ少ないほど親切になれるみたいなね、逆説的だけども禁言が登場しましたよね。
スピーカー 1
これ面白いよねこれ。
スピーカー 2
よかったね。
リアルワールドで使えそうな禁言だよねこれ。
スピーカー 1
いやそうなんだよそうなんだよ。
結構ね、だからちゃんとよくよく考えてみれば確かになってとかいっぱいあってね、結構アハ体験というか認知変わるというか。
確かにね。
概念獲得しちゃいけないの。
獲得がインストール中ですからね。
どうですか山上くん的にハイライトある?前回。
スピーカー 2
自分医療者だからさ。
この当然だけど、やっぱこの患者の、医者が患者の痛みを感じちゃいかんなっていうのは当たり前のように自分に、自分の禁言として持っておかなきゃなっていう。
患者に共感しちゃダメだっていうのは当たり前だけど、やっぱり自分の中に刻み込んだねこの本を読みながら。
スピーカー 1
確かにね。心を鬼にしてみたいなことをね言ったりするけど結構そういう感じなんだろうね。
スピーカー 2
そうそうまさにまさに患者さんがどんな悲しいことを言ってても、自分はエビゲンスに基づいて医療をしようと。
そういう医療者としての思いを新たにした4章でございますよ。
スピーカー 1
いやーこれ大事なポイントですね。
なので非常になんというかね、それまでの章に比べると4章は実践的だったよね。
そうだね。身近な話題だし。
スピーカー 2
そうなんだよね。
スピーカー 1
というところを読んできました。
これを受けてのマックワイン2と第5章がどんなテーマなのかというところでね。
今回読むところをちょっとサクッと紹介できればなと思いますけれども。
例のごとくちょっと全体をざっくり概観していきましょうかね。
まずマックワイン2の方ですね。
共感の道徳基盤
スピーカー 1
これが道徳基盤としての共感というタイトルで構成されてますよというところで。
要は共感って道徳が立脚する足場としてどうなのっていうところをですね、ちょっと検証しようと。
そんな話ですよと。
これ冒頭からなんかふざけてるなと思うんだけど、仮説がおもろいんだよねこの章ね。
共感とはミルクのようなものではないかって言うんですよね。
何言ってんのとなるわけですけど、その意図は何かというと、
道徳の発生、道徳が発達していくには共感が必要で、
ミルクのようにですね、幼い頃は必要なんだけど成熟したらいらなくなるみたいな。
そういう特性のものが共感なんじゃないかみたいな仮説をまず打ち上げてこれを検証していくっていう章なんだよね。
スピーカー 2
この問いは面白いよね。
面白い面白い。
なんていうか、前回のお便りでリンゴさんにもらったさ、
常土的共感っていうのは原始的な、もともとインボーンに備わってるもんで、
常土認知的共感は後から獲得していく大臣技術だっていうことを言ってらっしゃいましたリンゴさんが。
だからこれミルクのようなもんだとしたらまさにリンゴさんのお便りの内容が正しいってことになるよねって思いながら。
しかもこれはリンゴさんだけじゃなくてアダム・スミスとヒュームっていう人もこれに関してね、
この考え方持ってるんだなと思って。
スピーカー 1
いろんな話がありつつ結論としては、
彼は共感はミルクのようなものではないかもしれないっていう、またおいおいみたいな着地になるわけですけど。
面白いよね。
スピーカー 2
ポール・ブレイム結構その面白仮説をいきなりどっかから持ってきてそれ違うよっていうみたいなスタイルじゃない?
スピーカー 1
だからなんていうか、研究者としては素直なんだろうね。
分かんないけど。
でもこのミルクのようなものじゃないかもねっていうところの意図としてはね、
面白いなと思ったら私たちは本質的に利己的なわけじゃないかもと。
ちゃんとリター的にも振る舞えるんですよと。
だからこそ共感っていうものを頼りにしなくていいんじゃないかと。
そんなことを言うんだよね。
これが結構これまでのショーの総括理になっていて、
かつちょっとトリッキーな言い回しなので、そこをちょっと検証していくみたいな。
そんな構成になってるんですよ。
例えばでいくと共感っていうものの利他的な働きは利己的な動機からのみ生じるんじゃないかっていうような論者が登場したりとか。
あるいは生物の目的っていうのは生存と生殖だけだから、だからこそ動機って利己的じゃんみたいなことを言ったりする人がいて。
スピーカー 2
言ってくる人が出てくるんじゃない?このショーで。
スピーカー 1
そうなんですよ。それに対してブルームはね、いやいやちょっとそれは取り違えてる部分があるんじゃないのとか。
なんかそういう話から反駁するよっていうことなんだけど。
これね結構面白いなと思ったのは、ブルームの前の著書って実は赤ちゃんがどうやって道徳観念を獲得していくかみたいな。
スピーカー 2
ジャスターベイビーみたいな。
スピーカー 1
そうそう。そういうテーマの本なんですけど。
なんかそこで出した結論を若干否定しながら進むんだよねこのショーが。
スピーカー 2
そうだね確かに確かに。
スピーカー 1
そうだね。でそこを見るに結構ブルームは迷いがあるんじゃないかなとかなんかそういうところが垣間見える。
スピーカー 2
ブルーム自身も本を書きながら自分の概念をアップデートしてるんじゃない?
スピーカー 1
そうだね。だからそういうところが何というか潔いというか、一個のアイディアに固執してないみたいな。
スピーカー 2
まあなんか研究者スピリットだよねこれ。
スピーカー 1
すごく良いですよね。というのがねマーク穴2でした。
ちょっとね個別の論点は後ほど放り下げていきたいなと思いますけど。
スピーカー 2
まあちょっと若干歯切れは悪いんだけれども、まあまあ道徳基盤になるかもしれないしちょっと怪しいかもなみたいなそんなね論点ね。
スピーカー 1
そうだね。だからマーク穴なのかね結論がしっかり出てないっていう。
まあまあそうなんだろう。検証マーク穴なんだろうね。
暴力と残虐性
スピーカー 2
でやってまいりました第5章と言うとこれは真打ち登場ということなんですけどタイトルがね、暴力と残虐性と。
スピーカー 1
いいねパンチ効いてるね。
パンチ効いてますよね。ここでやることは何かっていうと人間の暴力とか残虐性というちょっとネガティブな側面。
これを説明するためによくね社会で用いられるのは共感の欠如だとかね。
あの人は共感能力が足りなかったからこんな悪いことをしたんだみたいな。
そういう言い回しがよくあるんじゃないかというところからスタートしてこれって本当なのっていうところをちょっとね検証していくと。
まあそういう章ですと。でこの中で結構そのブルームさんが共感そのものだけじゃなくて共感の周辺概念についても一定のこう何というか立場を明らかにしながら進んでいくんだよね。
スピーカー 2
思いやりとか。
スピーカー 1
そうそうそう。でその中で一個面白いなと思っているのはその暴力だったりとか残虐性みたいなものって世の中一般にはシステムの欠陥みたいな風に見られるじゃないですか。
スピーカー 2
そうだね。
暴力なんてない方がいいみたいな。
ネガティブなイメージを付与されている概念だよね暴力はね。
スピーカー 1
なんだけれどもそのシステムの欠陥って見られている暴力が実はその生命の本質的な構成要素だっていう風に捉えた方がいいですよっていう立場に立ちながら共感概念を掘り下げていくんだよね。
これが結構面白くて、そこに立つと実はボリューム2かな3ぐらいで触れたんだけど、その純粋な悪ってものはあるんかいなっていうテーマが実はサブテーマとして眠ってんだよね。
スピーカー 2
それは2か何かで見てくださったエルサレムのアイヒマンで。
そうそうそう。
スピーカー 1
悪は。
スピーカー 2
まさにまさに。
左でポッと消えちゃうよみたいなくだりで。
スピーカー 1
悪の凡庸さっていうね、ハンナアレントの概念をちょっと紹介しましたけれども、それに近しいところで本当に純粋な悪ってあるのか、純粋な悪人っているのかみたいなテーマに切り込んでいくんですよね。
スピーカー 2
そのくだりにちょっとサイコパスが絡んだり絡まったり。
スピーカー 1
そうだね。ありましたね。その裏返しとして何が言えるかというと、逆にいいことをしているって思ってる。自分で思ってるんだけど結果として悪事をやってしまうみたいなケースも実はあるじゃんっていうところに着目しながらブルームさんはね。
暴力がない世界は存在しないのだ。さっきの本質的な構成要素だからこそってことなんだけどね。暴力がない世界は存在しないっていう前提に立ったときに、共感って本当に抑止力になりますか。むしろ共感って私たちをより悪い方に引っ張っちゃうことだってあるんじゃないですかっていう、そういう問いかけをグイグイっと投げかけてくる。そんな章がこの第5章、暴力と残虐性というところなんですよね。
真の悪と利他心の探求
スピーカー 1
これだけ言うともうさらっとね、なんか結構なんていうか逆回りじゃないけど、その一般的に言われていることと逆の主張をもとに逆の結果を導き出すみたいな若干トリッキーな主張にも聞こえるんじゃないかなと思うのでね。
スピーカー 2
この時点ではね、リスナーの皆さんなんでだと思うけど、これはやっぱり具体例でどんどん肉付けしていくしかないよね、この5章に関しては。
スピーカー 1
なので、なんで暴力と残虐性っていうのが共感から出てくるのかというところを今日は深掘っていきたいなと思います。
スピーカー 2
やっていきましょう。
スピーカー 1
ということでちょっと全体を外観してみましたけれども、ここからは個別の問いだったりとか、僕らが引っかかったポイントについて少しずつ見ていきたいなというところですけれども、まずマック・ワイニーの方からいこうか。
スピーカー 2
はいはい、そうですね。
スピーカー 1
道徳基盤としての共感というところでしたけど、どうですか、これ全体読んでみて、まあわかるなって感じなのかな、ここは。
スピーカー 2
そうだね、まあなんか論の進め方としてはすごいわかりやすいというか、まずこの利己心発露の皮肉屋さんが出てきて、その人に対してブルームさんが思うところへ行って、
次エッセシン・カロンジャーが出てきて、その人に対して思うところへ行って、結局共感は魅力ではありませんよみたいな、割とわかりやすい論の進め方をしているでしょうだなという印象だね、全体見たとき。
スピーカー 1
エッセシン発露の皮肉屋さん?
スピーカー 2
利己心の発露の皮肉屋さんみたいな。
スピーカー 1
利己心発露の皮肉屋さんね。
スピーカー 2
そう。利他主義者を引っ掛けば偽善者の血が流れるというふうに言っている人がいるらしい、どうやら。
スピーカー 1
はいはい、ありました。これリンカーンの話だっけ?
スピーカー 2
そうそうそう、アメリカの第何代かわかんないけど、大統領のエイブラハム・リンカーンさんの話。
スピーカー 1
ありましたね。
そうそうそう。
そうかそうか、そこからいくか。なんかこれってあれなんだよね、利他的な人なんていないんじゃないかみたいなことを言ってる人たちが、意外とその知識人界隈にはいっぱいいるんだって、そういう入りだよね。
スピーカー 2
そうそうそう。これどっかのショーでもあったけど、結局リンカーンさんも言ってるみたいで、人が良い行いをするのは利己心に駆り立てられているからだ。
はい。
馬車に乗ってる時横に乗ってる人に。これどういうことかというと、結局苦しんでる人がいるっていうのは、苦しんでる人をほっとくのは自分が不愉快だから、自分の苦しみを取り除くためにその人の苦しみを取り除いてあげようぜっていう風に考えているのが、この利他主義者の考え方なんだけど。
スピーカー 1
あったね、4章であれだよね、病的な利他主義って紹介されてたやつですよね。そうかそうか、他の人の苦しみに共感しちゃうから自分が苦しい、その苦しみを取り除かなきゃっていう意味での利他心なんだよね。
そうそうそう。
結局は自分にとっての利己的な動機で利他的な行為をしてんじゃないかっていう、そういう論者のことですよね。
スピーカー 2
そうそうそう。で、このエピソードどう進むかというと馬車に乗ってる時に泥の中に豚がブーブー溺れてて、小豚が。で親豚がこうなんかすごい哀れみの悲しい目で小豚を見てる状況に林間が出会って馬車に乗ってる時に。
で林間は馬車止めてっつって、じゃああの豚助けてやろうぜっていうふうに言ったわけよ。そしたら馬車に乗ってる人が今その豚を助けた行為のどこに利己心が関与してるのかってことを聞いたわけよ。だって全然利己的じゃないじゃん豚助けるって。
そしたら、そうそうそうそう。林間はいやいやってあの年老いたの豚を苦しませておいたら一日中私や心が休まる時がなくなる。自分の心の平安を保つためにあの小豚を助けたんだよっていうふうに言ったんだけど。
スピーカー 1
なるほどね。もっともらしいですよね。
スピーカー 2
そうもっともらしい。これだけ聞くともっともらしい。確かに自分の心の苦しみを取り除くためにやった。なるほどっていうふうに一回は納得するんだよね。
でもちょっと待てよと。なんでお前苦しんでんだよって話だよね。苦しんでる豚見て苦しんでるお前の心は優しさじゃねえのかって話だよね。
スピーカー 1
なるほどなるほど。その動機を取り違えてる可能性があるんじゃないかっていうことを指摘してるわけだよね。
スピーカー 2
そうそうそう。この本では非利己的な真理っていうふうに書いてるけど、豚助けたいよって豚の苦しみを取り除かないと苦しくなってしまう自分の心情は非利己的な真理なんじゃないかっていうふうに言ってるんだよ。
スピーカー 1
なるほどね。だから目の前の何か苦しんでる状況を見たときにそれを助けたいと思う心はリタとか利己とかを超えてもうなんか動き出しちゃうぜみたいな。
スピーカー 2
そうそうそう。だからあんた自分で利己的なことを捨てると思ってるけど、その行いの本当の根源にはちょっと月並みの言葉しか言えないけど優しさみたいな思いやりみたいなのがあるんじゃないのっていうふうにブルームは指摘してる。
スピーカー 1
なるほどなるほど。そこは確かにね。それ本当はどっちなんだろう検証するのってじゃあ難しいじゃんって話になりそうなんだけど、そこに対して一個答えをくれそうなのがあの進化の話なのかな。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
そうそう。なんかこの自分のさリタ行動をするのは利己心の発露だっていう教会に対する反論が仮にあったとしたら、そこに対する反論のレパートリーとしては生物の目的っていうのは究極生存と生殖しかないわけだから、あらゆる行為っていうのはこの目的に直結するべきであろう。
つまりこれここに直結するってことは生存とか生殖とかもう自分にとっていいことをするっていうもう基本的にそれだけなんじゃないの。だから人間だったりとかは利己心、利己的な動機から動くんじゃないかっていうふうに考える人たちもいるんじゃないのっていう紹介がその次のステップなんだよね。
スピーカー 2
あの水田選択っていう言葉を我々の大好きな水田選択って言葉を利用してそういうふうに反論してくる輩がいるっていうふうに説明してる。
スピーカー 1
これに対してブルームもきっぱりこれはそれはちゃうぜって切り捨てるんだよね。
スピーカー 2
これ面白いよな。
スピーカー 1
これは僕ら、この回から聞いてくれてる人はあれかもしれないけどね、過去の特集でラジオ進化論ってのがあったんですよね。
ラジオ進化論の中でダーウィンの種の起源っていう本を読んできたんだけど、その中で登場するのが自然選択っていう考え方だった。
スピーカー 2
我々は自然選択マニアですからね。
そうなんですよね。
実は元。
スピーカー 1
ちょっと話し取れましたけど、ここで僕ブルームの主張としてすごく美しいなって思ったのは、リコ的な遺伝子っていう本もあるんだよね。
ドーキンス。
リチャード・ドーキンスがリコ的な遺伝子。これが種の起源のずっと後に出た本だけど、結構最近の、最近って言ってもだいぶ古い、もう40年ぐらい経ってんのかな、アップデートだけど、
要は遺伝子っていうものが人間だったりとかいろんな生物の個体をビークル、乗り物として乗っていて、遺伝子というものが最終的に残れば遺伝子はハッピーなんだみたいなことを唱える本なんですけど、
ここでブルームが言ってるのは、リコ的なのは遺伝子であって個体ではないっていうことを言ってるんですよね。
だから生物の本性っていうのは、自分の遺伝子をより残す方向に作用する。これは自然選択になってそういうふうに調整されてるんだと。
なんだけれども、これはあくまで遺伝子っていうレイヤーの話であって、遺伝子のレイヤーでの目的だったりとか、持ってきたい方向性と、個別の個体が抱えてるリコ性っていうのは別に全然違うものだから、
遺伝子レイヤーの話を理由に、個体の性質っていうのを説明しちゃあかんじゃんっていう、そういうことを言ってるんですよね。
スピーカー 2
これちょっと掘りたいんだけど、ちょっと面白いなと思ったのが、このエセシンカロンジャ、ブルームさんの敵というふうに想定されてるエセシンカロンジャは、思いやりなんてない。
ただ生存と生殖があるのみで必要があるわけよ。思いやりなんてないに関しては多分バツなんだよ。その理由に関して思いやりはあるんだよね。
なんでかというと、結局生存と生殖があるのみで、生存と生殖っていう本能的な動機に従ってたら思いやりがないんじゃないかっていうふうにエセシンカロンジャは言うんだけど、
例えば食事っていうのは結局繁殖のために、繁殖というか食事っていうのは自分を生きてタンパク質生存のためにやってるわけじゃん。
でもお前ら食事中に遺伝複製のこと考えますかっていう。考えないでしょって。
スピーカー 1
生存したいと思ってラーメン食わないもんね。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
腹減ったって言ってラーメン食べるっていうことですもんね。
スピーカー 2
そう。でもう一個例あがってるのが、成功賞を捨てるときに、成功賞っていうのは結局水素を残すためにやることだけど、成功賞中に繁殖したいって考えてますか?
ありましたね。
別のことを考えてるわけじゃん。別に繁殖とかじゃないじゃん。
スピーカー 1
なるほどね。欲求みたいなものと生物が追っている使命というか目的みたいなものって似てるんだけど違うよねって話なんだよね。
スピーカー 2
ここで言ってるのは、親切なことをするって行為も一応食事とかみたいに人間が生き残っていくためには大事なスキルだとされてるんだけど、
じゃあ親切なことをしてるときにお前ら生存とか生殖考えますか?って言われたらそれも否だと言ってる。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
だから思いやりがないってのは嘘で思いやりはある。親切とか思いやりはあるんだけど、
進化論的に俺が思うのは思いやりがある人間たちが偶然生き残りやすかったっていう話なんだこれは。
スピーカー 1
なるほどなるほど。これ今遺伝子の話と個体の話が出てきたんだけど、その間にもう一個挟まるのが種っていうグループの話があるよね。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
例えば進化論を読んでるときにも出てきたけど、個体の最適な状態と種の最適状態ってちょっとギャップがあるじゃんみたいな話があったじゃないですか。
スピーカー 2
あったね。個体はこの種のためにはお前の命を諦めろみたいな究極言うと。
スピーカー 1
そうそうそう。みたいな側面も無きにしもあらずじゃんってことがあると思うんだけど、これも究極の目的である遺伝子の目的みたいなところを考えると、遺伝子はよりたくさん残ればいいと。
遺伝子よりたくさん残るってのはどういうことかっていうと、どの種であってもいずれかの種が残ればいいっていうのが遺伝子の動機なわけだよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
だからライオンが絶滅しても虎が残っていれば遺伝子としてはいいんだよねみたいな世界観なんですよね。遺伝子の目線での視点っていうの。
次の視点は仮にライオンっていう種のグループがいたときに、あるオスが死んだとしても別のメスが生き残っていれば、
オスだけだとおかしいか、あるツガイが死んじゃったとしても別のツガイが生き残っていれば次の世代が残ってライオンっていう種は残れるから、ライオンっていう種の目線に立ってみればどちらかが死んでもどっちか生き残ってたらいいみたいな、そういうレイヤーがあると。
で個体のレイヤーまで降りてくると初めて俺は死にたくないってなる。
スピーカー 2
棚取るわけね。
スピーカー 1
そうそうそう。でも大事なのはこの中でどういう種が残ってきたか、どういう生物が今も脈々と命を繋いでいるかっていうと、一度も絶やされなかったものだけが今残っているっていうめちゃくちゃシンプルな事実がファクトがあって、
その時に例えば変な話、自分が死んでも自分の子供が生き残ればいいみたいな発想している個体がいたとしたら、その個体の遺伝子は子供が生き残るから残るじゃんみたいなことなんだよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
すごく極端な例を言ってるけど、その延長線上に例えば自分の仲間に対して利他的な行動してたらその仲間が生き残ってこのグループの遺伝子が引き継がれるとか、そういうようなことがおそらくあるんだろうというふうに考えると、
別にその利他的な動機、利他的な性質をある個人が持ってたりとか、ある個体が持ってたりとかするってことは、別にその利他的な生物あるいは遺伝子の動機と全然違いますっていうことが言えるじゃんっていう話なんだよね。
スピーカー 2
これは偶然利他的な人間が生き残って今の世の中が形成されてるっていう理論だと思うけど、現にその利他的な人間もいるじゃん。なんでいるんだろうって思わない?絶滅せずにいるわけじゃん。
だってキリンとかってさ、結局首長いやつだけが上のものを食えるから生き残ってきてみんな首長くなってたわけじゃん。でも今って首の短いキリンもいるわけじゃん。その思いやりの例で言うと。利好的な人間も今いるわけじゃん。利他的な人間だけじゃないじゃん。
なんで利好的な人間もいるんだって考えたときに、利好的な人間は利好的な人間なりの何かしらその自然選択にきかつだけの何かがあったんじゃないかっていうふうに考える。
これはあるだろうね。たとえばそれで言うと、これもう完全に推測の勢いではないけど、利好的な人間は群れずに一匹狼的に動くみたいな特性があったりとかあるじゃないですか。そういうペアリングによってグループと一緒に生きる必要がないっていうスキルを身につけている利好的な人たちももしかしているかもしれないなとかちょっと思いましたけど。若干脱線してるけどね。
スピーカー 1
脱線からの方にまた寄っちゃって。
これちょっとやってるともう一時間一瞬で終わっちゃうからな。という話をしながらね、結局のところ。なので別に僕らの本質って利好性利好心だけじゃなくてちゃんと利他的な性質も持ってるよと。だからこそ共感に基づく利好的な動機に基づく利他性つまり病的な利他主義みたいなことの原因になっている共感みたいなものを
頼りにしなくたってどうつく基盤というのは成立するんじゃないかみたいなそういう結論だよっていうのもこのマークアイノリーなんですよね。
スピーカー 2
今結論言ってくれた上でまたちょっと掘っちゃうけど、今ふと思ったけどじゃあなんで共感って今あるんだって思わない?自然戦略的に共感って聞いて使えるべき感情なんであるねんって話にならない?
スピーカー 1
そうなのよ。これは僕読みながらすごい思ったところで、事例はすごい面白いんだけどブルームめちゃくちゃ迷いあるじゃんって思いながら読んでて。
迷えるブルーム。 なんかね共感否定しようとしすぎて無理してないってめちゃくちゃ思ったこの章に関しては残念ながら。
そうだね。 思いやりとかさ優しさ利他性については結構無批判に受け入れてるんだよこの人。
確かに確かに。 なんだけど共感にはやけに厳しいなみたいな。
スピーカー 2
反共感論というね、面打ってしまった手前で共感を叩かねばっていう。
スピーカー 1
そうそう。あとは結論の手前じゃないけど、共感が発達の段階で獲得されるかどうかみたいなところに結構こだわってたと思うんだけど、なんで生まれながらにして持ってるもの、生まれてから後天的に獲得するものっていうところの間に線を引こうとしてるのかなとか、ちょいちょい気になる技術はあるんだよね。
ブルームさんのスタンスでいくと。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
そうそうそう。もともと持ってるものがいいじゃんみたいな話もあれば、なんかちょっとそこに何かしらの価値観がバイアスがかかっているような気もしてて、ここは多分まだブルームの中でも溶けてないんだろうな、共感の位置づけって思いながら読んでる。
スピーカー 2
そうだね。この溶けてなさがこの幕愛になったゆえんかね。この書が五章にならなかったのは、本人の迷いの表れがこの幕愛になったってことなんだね。
スピーカー 1
そうだね。そういうところがちょっとちらっと見られるだけでもね、僕らとしては読者としては面白いですよね。
スピーカー 2
可愛いブルームさん。
スピーカー 1
可愛い可愛い。
スピーカー 2
まあでも一応現時点での知識がもとに言えば共感はミルクのようなものではないというふうに結論してると。
スピーカー 1
まあそうですね。
スピーカー 2
要請も必要ないよと。
スピーカー 1
そうね。そうなんかそのあたりはやっぱちょっとまだもやっとが残るけれどね。まあでもちょっと次の方に行きたいですねこれはね。
スピーカー 2
まあこれもやっとが残るのが面白いよね。俺らが議論する四つがあるというか、この語呂合図上では格好の値段になるというか。
スピーカー 1
まあねここでこれが正しいと彼が主張してることもね正しくないこともあると思うんでね。
そうですね。
話半分にって感じなのかな。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
じゃあネクストの第5章行ってみましょうかね。
スピーカー 2
来ましたー。今後ですよ。
スピーカー 1
いやー1時間残したわ。
スピーカー 2
次喋りましょうか。
スピーカー 1
鼻から90分やるつもりでいるっていうのはねもうほんとに。
そうだね。
やめてほしいと思ってる人もいるんじゃないかな。まあいいや。やりましょう。
ということ第5章。暴力と残虐性ということですけれども。これはね、どこから入ります?冒頭のやつ行っちゃいます?
暴力と残虐性の関連性
スピーカー 2
まずとりあえずこの章の問いをまず提示。この共感の欠如は暴力に繋がるのかっていうのが一応この章一貫するのテーマだってことを理解してもらった上で、それの検証の例をたくさん挙げていきますよっていう構成です。
スピーカー 1
そうだね。なんでいきなり暴力と残虐性に飛ぶのかっていう話が結構大事だなというところで、これちょっと冒頭の事例触れといたほうがいいんじゃないですか?ダッハウの話。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
ダッハウの事例は実はこの第5章の冒頭、いきなりこの事例から入るんですよ。結構センセーショナルで、1945年の4月、ダッハウの強制収容所で数人の捕虜が壁に向かって整理させられ、拷問された後、銃殺された。っていう書き出しで始まるんですよ。
スピーカー 2
ダッハウってのはちなみにアウシュビッツと同じくらい大きい強制収容所のことなんだよね。
スピーカー 1
そうなんだよね。これちなみに今拷問された後銃殺されたって聞くと、殺されてしまったのはユダヤ人かしらって思うんだけど、そうじゃないんだよね。これ殺されたのは捕虜にされたドイツの軍兵なんですよ。
殺した側は第二次世界大戦で最終的に勝利することになったアメリカ側の軍兵なんだよね。この現象について、殺されるのはSS単位なんですけれど、彼らが拷問された後殺された光景を見て、その光景を当然の報いだっていう風に見てる側の人が思うっていう描写から始まるんだよ。
スピーカー 2
俺もこれを読んだ時確かにそうだなって。普段拷問してる奴らだから、殺されてしまうべきって思ってしまうよね。でもこれは。
しょうがないよね。
スピーカー 1
要はこれまで散々ユダヤの人たちを虐げてきたSSの人たちが拷問されて死んだ。この光景を見た時に、この起きてる事実をどう受け止めるんだって話なんだよね。
これがこの章の最初のフックになっていて、そこでこの暴力や残虐性を説明する、いわゆる一番有力な候補っていうのは、これまで共感の欠如なんじゃないかって言われることが多かったんだけど、それって本当だろうかっていう、そういう問いを投げかけてくるのがこの5章の始まりなんですよね。
スピーカー 2
そうだね。
共感の対象にならない他者と悪事
スピーカー 1
っていうのがまず掴みとしてあって、どっから入っていくかって話なんだけど、共感の欠如に関して言うと、悪事みたいなものが、非人間化とかもの化みたいな概念が登場するんですけど、
要はこれは人を人じゃないものとして見るとか、人をもののように扱うみたいな展開によって、他者を共感の対象じゃないものにすることによって、悪事が発生するんじゃないかっていう一連の考え方があるんだよね。
これは一見正しそうに見えると。なんだけど、その議論で言われてることって、共感の欠如によって非人間化が起きてますよとか、共感の欠如によってもの化が起きてますよっていう主張であって、裏を返すと共感があったら非人間化とかもの化は起こり得ないっていう主張でもあるんだよね、その発想って。でもそれって本当に正しいってことをブルームさんは結構言ってる。
スピーカー 2
これはこの章の後半で検証されてるよ。
スピーカー 1
そうなんだよね。ちなみにせっかくなので最初、暴力と残虐性説明するための材料もう一つとして衝動コントロールする。今一個が共感の欠如だったんだけど、もう一個は衝動コントロールする能力が喪失するみたいな説明もあって、これがアルコールとか薬物とかそういったものによって暴力が発生すると。そういう説明の仕方もあるよね。大きくこの二つを挙げながら、それって本当なんだろうかってことを言うんですよ。
ちょっとまず入り口で説明しておきたいのはね、さっき冒頭の概要の説明でもちらっと触れたんですけど、今言った共感の欠如あるいは衝動コントロールの喪失、この二つの説明から分かることは何かっていうと、どちらのパターンでも暴力あるいは残虐性っていうものは、人間のその意思決定だったとか判断のシステムの中の欠陥なんじゃないかっていう見方。
ブルームさんが指摘することなんですと。ただ一方で、ここで立つべきはそうじゃないんじゃないかっていうのが、一個立場を示すための大事なポイントとしてあって、特に経済学者とか進化生物学者みたいな人たちが好む見方っていうのはそうじゃないと。
これは何かというと、暴力は生命の本質的な構成要素だと。だから特定の問題に対して暴力はソリューションになるんですよ。解決策を提示することができるんですよっていうような見方をするということを指摘するわけです。
これはこの立場に立って見てみると、この後の論の展開っていうのがスムーズにいくんじゃないかっていう、そういうある種の提案というか立場の提示という感じなんですよね。
ここだけちょっと本質化、本筋が取れるんだけどちょっとだけ補足しておくと、例えばその暴力っていうのは人間が他の動物を共有している本性の一つだと。
例えば罰を与えたりとか身を守ったりとか。それから捕食、食べ物を取るために進化してきた一つの機能であるというふうに捉えるわけなんですよね。
だからこの暴力ってものが他の暴力を抑制するために必要とされることもあるんじゃないか。そういう問題提起をこの章の前半でポコンとするという。
スピーカー 2
暴力はなくならないから。
スピーカー 1
そういうことを言うんですよね。
スピーカー 2
このあたりがね、まず最初の前提条件として。
暴力は絶対的な悪ではないという立場に立ってここから話を進めていきますよという。
ことを共有しておきましょう。
スピーカー 1
そこからね、この悪をどうやって理解していったらいいのかっていう話になるんだけど、冒頭の全体の概要説明のところで触れた話題でいくと、純粋な悪っていうのはないんじゃないかっていうね、そういう話が続くんだよねこの後。
それこそフィクションの話題、ハンニバル・レクターみたいな羊たちの中に出てくるね、悪党だったりとか。
そういう人たちの事例を挙げながら、悪、本質的な悪ってなくないみたいな話をするんだよね。
スピーカー 2
良いことを自分で、良いことをしてると自分で考えてる人たちの手で悪事がなされていくっていうの例がたくさん挙げられてるんじゃなかったっけ。
スピーカー 1
そうそうそうそうなんですよね。
スピーカー 2
道徳観に暴力や戦略性が同期付けられてしまっている事例が挙がってるよね。
スピーカー 1
そうだね。それでいくと、スティーブン・ピンカーさんっていう方の概念で一つ紹介したいのが、道徳的正当化のギャップって話題があったの覚えてる?
スピーカー 2
あったっけそれ。この章で。
スピーカー 1
この章でもちろん覚えてます。これ大事なポイントだったんでちょっと紹介しておくと、
加害を過小評価して被害を過大評価する傾向のことを道徳的正当化のギャップっていう風に呼ぶ。
スピーカー 2
よくわかる話ね。
スピーカー 1
そうそう。例えば日常生活でも国際紛争も基本的にそうで、自分が害を加えてる側の立場に立つと、自分が加えてる害ってそんなに大きくないんだけど、
害を受けてる側からすると、いやいやめちゃくちゃ大損害だからっていう風になるっていう、これが非対称だと言うんだよね。
そうするとすごく被害者側になった時にこそ、何くそっていう感情がめちゃくちゃ高まるみたいな、そういうことを言ってましたよね。
この概念があることによって何が説明されるのかっていうのが結構大事で、今そういう加害側と被害側の差があるとなった時に、
常に悪事を受ける側というか、被害を被る側の方が大きく評価されちゃうわけじゃないですか。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
そうそう。そうすると純粋な悪みたいなものがあるように見えちゃうってこと言うんだよね。
スピーカー 2
報復の連鎖みたいなのが生まれるのはそれが原因で。
スピーカー 1
そうそう。そうなんですよ。なんだけどこれに対してはブルームさんが言ってるのは、自分の被害のことを考えるんじゃなくて、
自分が加害したことのケースで考察をすると、純粋な悪意から出た行為って実はそんななくないですかっていう、そういう考察を一個入れてますよね。
スピーカー 2
これは面白いなと思いましたね。
この道徳が原因で暴力とかが起こっちゃう事例の一つとして、この娘が溺れてるみたいなくだりを覚えてる。
スピーカー 1
あーあったね。ドバイのやつね。
スピーカー 2
そう、ドバイの男の人が20歳の娘と散歩してて、その20歳の娘が海にボチャンと落ちて、海に溺れかけちゃったと。
その時に2人の男性の救助員がバッて飛び込んで助けようとしたの、当然ね。そのお父さんはなんとその救助員を止めちゃうんだよ。やめろっつって。
なんで止めたの?そんな普通助けようとする人を止めるってそれはおかしな行為じゃん。普通に考えたらね。
でもそのお父さんの道徳心では娘が見知らぬ男に触れられるぐらいなら死んだ方がマシだという風に語って歴史したと。
娘さんはどう考えたかわかんないけどそれはもう道徳心によって娘を溺れさせるという残虐なことが起きてしまった。
そんなことが起きるりますよっていう例が一つあがてだよね。
スピーカー 1
これ結構なんか衝撃的な例だけど、ここでね、あれなんだよね。
ウルモが威張んとしていることが何かっていうのも結構大事でさ。
良きことをしていると考えている人の手で悪事がなされる。その例の一つとしてこれ紹介されてると思うんだけど。
さっき言ってた道徳っていうものの意味だったりとか位置づけってことをちょっとここでは言ってるなと思ってて。
道徳の価値観と暴力
スピーカー 1
道徳性っていうのはめちゃくちゃ行動にコミットするんだという風に言うんだよね。
スピーカー 2
まあそれはその救助隊の人を止めるぐらいの勢いになってしまったことだよね。
スピーカー 1
だからその道徳的な正当化っていうのは、暴力だったりとか残虐性を要因に引き起こすことがあるんだと。
つまり自分の娘さえこの人の道徳的価値観のせいで自分の娘を殺すことができるっていうことじゃないですか。
言い換えると。
そうだね。
直接殺したわけじゃないけどね。
でも助けを止めるってことは実質殺したに等しいわけですから。
その道徳的価値観っていうものがこれほどまでの行動を引き起こすトリガーにさえなるんだってことをここでは言ってるんですよね。
スピーカー 2
そういうことだね。
スピーカー 1
これは確かにと。
僕これ読んでて思ったのは、ブルームは何をしたいんだって思いながら読んでて。
スピーカー 2
これはだって道徳ディスだよね。
共感ディスではない。
スピーカー 1
共感ディスじゃなくて道徳ディスをしてるんですよ。
共感さえダメなんだけど道徳もダメじゃん。この人の今言ってる例だと。
スピーカー 2
今思い出すと読み始め2の章あったじゃん。
あそこでは共感ダメだ道徳使えみたいなの書いてなかったっけ。
スピーカー 1
だから僕不思議だなと思うのは、道徳的な判断さえ暴力に加担するって言ってんのに、共感言わんや共感をやって感じじゃんみたいな。
スピーカー 2
そうだね。なんか共感と道徳を全然別のものとして扱ってたのが、
道徳を共感のライトバーみたいな扱いにしてしまってるのがブルームの誤りはないけど。
スピーカー 1
そうそうそう。ちょっとここは例の出し方がしんどさはあるなと思ったけど、
でもここで言いたかったのは純粋な悪っていうのがあるのかっていう話と、逆に言うと純粋じゃなくていいことをしようと思ったりとか道徳的な価値観に立却したとしても、
客観的に見ると悪事っぽく見えるようなことが多くちゃうよね。そういうことを言ってんだよね。
スピーカー 2
そうだね。難しいよねこれね。
スピーカー 1
これがよりさらに複雑性を高めるのは、視点の問題がここに加わってくるとさらに難しくなるよねっていうことだと思うんですよね。
スピーカー 2
その例で上がってるのがツインタービルの。
スピーカー 1
これ二つ事例があって、なるほどなと思ったんですけど、2001年に同時でハッセルが起きて貿易センタービルが崩れましたと。
これを見て当時アメリカにいたパレスチナの人は歓喜したらしいんだよね。パレスチナ人の人が。
それを見てアメリカ人は彼らは道徳的に大敗していると言うように非難されたということなんですよ。
その後何が起こるかというと、皆さんもご存知かもしれないですけど、2011年になるとオサマ・ビン・ラディンが今度はこの貿易センタービルにテロを起こしたということのある種報復的な形で殺害されるわけですよね。
これはアメリカ軍たちが殺害するわけですよ、ビン・ラディン。
これにアメリカ人は歓喜するんだよね。やったぞついに悪の親玉を殺したぞって歓喜すると。
この人たちは歓喜してるけど道徳的な大敗じゃないのか。
こういう問いがある。あるいは2014年ガザ地区爆撃されましたけどこの時にイスラエルの人たちは歓喜した。
このイスラエル人たちは道徳的に大敗してないのか。
そういう問いを投げかけると。
ある視点に立ってみたら、例えばアメリカっていうのは僕らがわりかし共感しやすい側の人たちだと思うんだけど、立ってみると貿易センタービルが崩れたのを見て喜ぶ人たち。
視点の問題と暴力の認識
スピーカー 1
なんでそんなに喜んでるのってちょっと気持ち悪いと感じるんだけど、立場が入れ替わった瞬間にその喜びは受け入れられるというか理解できるものに見えてしまう。
ここの裏側に潜んでいるこのなんていうかアンビバレントな。
スピーカー 2
これがまさに共感のスポットライト性じゃない?
スピーカー 1
そうなんですよそうなんですよ。
これこそが大事な事例だよね。
スピーカー 2
スポットライトがパッて当てられかえてるようなアメリカ人からパレスティナさんにポップってスポットライトが当てられ当てられしてるって状態だよねこれね。
スピーカー 1
この事例まさにそうじゃん。
あとちょっと前に流行ったけどさ、鬼ヶ島の広告覚えてる?
スピーカー 2
あーあれ好きなんだよね。
スピーカー 1
鬼の子供がさ。
スピーカー 2
桃太郎にパパは殺されましたね。
何のCMだっけあれって。
スピーカー 1
何のCMか覚えてないんだけどさ、桃太郎にパパを殺されましたって泣いてる鬼の絵があって、どっちが正義なんだみたいな気持ちになるけど、結構それもこれに近しい理由だなと思って。
電車がなんかに貼ってあるやつでしょ?
スピーカー 2
なんか見覚えがある。
スピーカー 1
そうそうそう。何のCMか忘れたけど。
まあああいう感じで、見る視点が変わると何が正義かって変わるし、正しく見える側が変わるよねっていう。
まあよく言われてることっちゃよく言われてることなんだけど、それがどちらかに共感しやすいかってことによって立つ立場が結構変わるじゃんってことを端的に示してる事例がここなんだろうなと。
その時にここからブルームが引き出してる結論が結構大事だなと思って読むんですけど、暴力が悪いっていう認識はおそらく人の行動を変えないのだってことをブルームが言ってて。
暴力っていうものがね、ある哲学者の論文でね、この本にも引用されてるんですけど、いかなる場所でも誰もが暴力を間違ってると認識すれば暴力はなくなるっていうことをあるとある哲学者の人が言ってると。
でブルームさんそれに対してまあ違うんじゃないって言うんだけど、それは何かというと暴力っていうのは常に間違ってるっていう風に実はみんな思ってないんじゃないかっていうんだよね。
例えば道徳的直感においてこの場合は正しい暴力だっていう風に意外とみんな思っちゃうことがあるっていう風に指摘するんですよ。
そうすると暴力が悪いってそもそもみんな思ってないんじゃない?許される暴力あるって思ってんじゃない?
だとすると暴力が悪いって認識させること無理じゃない?みたいな。
スピーカー 2
それも難しいよな。
そういうこと言うんですよね。
暴力の程度もその共感とかスポットライトによって変わってくるよね。
スピーカー 1
だから難しいって話をするんだけど、もうちょっとそのマイルドな例を考えるとすごい面白いなと思って、その後にちょろっとね出てくるのが、
例えば法律を犯した者を、まあ要は違法な行為をした人を罰する権限がない国にあなたは暮らしたいですかって言われたらどうでしょうかっていう話がね出てくる。
そうね。
どうですか?例えば。
まあそれいいや。
スピーカー 2
住みを働いた人がいて、その人は罰されないんだ。どうですか?
いや罰されろよってなるよね。
暴力と権力
スピーカー 1
そうでこれって今なんで暴力になるのって話だと思うんだけど、このその罰する権限っていうのを成立性占めているものは何かっていうのを紐解いていくと、
最終的に行き着くところは権力。引いては暴力による裏打ちってものが効果ってものを成立させて、その裏側にはその法律を成立させて、そこである人を罰することができるっていうような力を持っている。
っていうことに繋がるんだ。
スピーカー 2
だって全然自分と関係ない弱い人間にさ、お前は罰するぞって言われても何の効力も持たないし別に。
スピーカー 1
そうそうそう。なんならその場の力関係さえ強ければ勝てるわけだけど、そうじゃないんだよね。
スピーカー 2
警察とかが言うから、逮捕する権限を持った、いや暴力を持ってる人が言うから、我々に響いてくるわけだっていうことだよね。
スピーカー 1
そうそうそうなんですよね。そうなった時にブルームが言うのは、結局暴力がない世界はやっぱり存在しないんだってことを、今の例を踏まえて結論するわけですよ。
スピーカー 2
まあ確かにそうだよね。
スピーカー 1
でその次に言うのが、いかなる暴力がどの程度許容できるのかっていう困難な問題を解決しないことにはこの問題は解けないと。そういうことを言うんですよね。
これはあれだよね。しかも解決できてないんだよね。取り組まなければいけない。
そうそう。取り組まなければいけない。だからそんなに、例えば共感すれば暴力が無くなるんだとか、まあそういう安易なことは言えないぜっていう釘を刺してると。
スピーカー 2
だってこの暴力が許容されるんだったらさっきの例に戻るとさ、ツインタワー攻撃などのオサマ・ビン・ナディンを殺すっていうのはさ、報復の暴力はそれは別に正しいってややもすればそういう見解を持つ人もいそうじゃん。
共感の限界
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
だからそれをどこまで許容するかってすごい難しいよね。
スピーカー 1
そうなんだよね。そこの話をして、あれ共感どこ行ったって話なんだけど、ここでブルームが一応問うてるのは、共感は暴力への抑止力にじゃあなるのかと。さっきはね、暴力が悪いっていう認識は抑止力にならないっていう結論が一回出てましたけど、
共感はじゃあどうなのかって話でいくと、おそらく特定の状況ではブレーキになるんだと言うけれども、別の状況では燃料にもなってるよねと。
これはまさに今の例でも出てきたとおり、例えば被害をこむった側に共感してしまったら、むしろ加害者に対する怒りっていう、怒りの仲間意識の活性化につながっちゃうよねっていう、このあたりは直感的によくわかるんじゃないかと。
スピーカー 2
そうだよね。
スピーカー 1
そういうところにつながる。だからこそ共感っていうのは別に暴力の抑止力にならない。何なら共感の欠如じゃなくて共感こそが暴力の原因になってるよっていう、そういう指摘をすると。
スピーカー 2
むしろこのブルームは結構過激なこと言ってるけど、共感という言葉によって親切心を想像する人もいるだろうが、私は戦争を思い浮かべるって結構断言しちゃってるよ。
スピーカー 1
なるほど。だからこれは、まあそうだな、結構ブルームの老いたちとかもあるのかもしれないよね。そこにヒュッて結びつく感じはね。
スピーカー 2
そうだね。すぐ戦争を思い浮かべちゃう。
スピーカー 1
これなんかヤマガミ君こうなってて、最近の体験とつもづけて気になるポイントがあるってさっき言ってましたけど。
スピーカー 2
最近俺ハワイに行ってきたと言ったけど、3日目ぐらいかな。真珠湾ってわかる?パールハーバー。
スピーカー 1
真珠湾攻撃の。
そうそうそう。
まさにその場所じゃないですか。
スピーカー 2
あそこに行ってきて、あそこってすごい面白い場所で、実際に沈んだアリマ号っていう空襲を受けた船を逃げたりとか、
あとミズリ号っていう日米の日本の航空の調印文書の船に乗れたりとか、あと戦争への道みたいな、日本側の立場でアメリカ側の立場でどういう風に戦争に進んでいったかみたいなのを
一帯迷路みたいな感じで進みながら、本当に自分がどんどん戦争に進んでいくような気分になれる仕組みができて、すごい面白い体験型のミュージアムなんだよ、あそこって。
ちょっと色々学んできたんだけど、あそこで。ミンティ、真珠湾攻撃が米国世論に与えた影響って知ってる?
スピーカー 1
ミンティ 真珠湾攻撃が米国世論に与えた影響。一般的にイメージできるのは、むしろ火に油注いだみたいな感じなんじゃないの?
スピーカー 2
そうそうそう、まさにそうなんだけど、その注がれた油っていうのが実は共感だったっていうのがちょっと俺の言いたいことで。
スピーカー 1
なるほど、どういうことでしょう。
スピーカー 2
ミンティ 実は、真珠湾攻撃って一般的に騙し撃ちっていう風に言われてるんだよね。今の国際法で、いかに戦争する時でもさすがに海戦通知をしないとせずに攻撃しかけちゃいけないと決められてて、その当時から。
日本は海戦通知をせずに攻めてきたっていう風に一般的に言われてるんだけど、実は当時のルーズベルト大統領は日本の暗号を解読してファルハバ起こることを知ってたんだよね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
ミンティ そう、じゃあ知ってたんだよ。知ってたから防ぐこともできたわけよ。
なんでルーズベルト大統領はわかってたのにあえて真珠湾攻撃させたかという話なんだけど、これもルーズベルト大統領の公約、この人は第二次世界大戦に介入しないということを公約に選挙に当選したわけ。
でも、実はルーズベルト大統領はイギリスとかの同盟国への支援だったりとか、軍事産業での大恐慌からの復活みたいな理由に第二次世界大戦に参加したかったんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
ミンティ その時に真珠湾攻撃が起きれば、それで日本は騙し撃ちをしたっていうエピソードをバッてあげれば、国民がわーっとそれに共感、浄土的共感して戦争に行くぞっていう空気になって、ルーズベルト大統領は戦争しないって言って大統領になったけど、結果的に戦争しようぜっていう空気を国民に一丸に作ることができるって考えて、あえて攻撃させたっていうふうに言われてる。
スピーカー 1
なるほど。そうすると公約から逸脱するための免罪符を真珠湾攻撃によって手に入れたと。
なるほど。
スピーカー 2
実はこれ面白くて、チャットGPTさんに、なんでルーズベルトは第二次世界大戦への参戦を望んだかって聞くと、最初に出てくるのが民主主義の防衛って出てきて、次に同盟国への支援って出てきて、次に大恐慌からの復活って出てきて、4番に真珠湾攻撃が出てくるから、真珠湾攻撃が後付けの理由だってことがチャットGPTもわかってるんだよ。
だから結構みんなは真珠湾攻撃されて何かが起こったって思ってるけど、実はそうじゃなくて、最初から行くつもりで真珠湾攻撃は共感ゲットに利用されましたよっていうのが。
スピーカー 1
なるほど。タイミングをうかがってたわけだね。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
今か今かと、参戦する隙はないかと。
そう。
したところに暗号を解読しちゃったもんだから、これは後期だと。
スピーカー 2
リメンバーパールハーバーってスローガン掲げて、日本も騙し討ちしてきたっていうエピソードを掲げて共感させて、どんどんどんどんアメリカは戦争に参加していきましたよっていうのが、実は真珠湾攻撃の真相でしたっていうのが。
スピーカー 1
なるほどね。その共通の敵を作るというか、みんなで何くそ、あいつになんか仕返ししてやるぞっていう、そういう感情を焚きつけたわけだよね。
そうそうそう。
なるほどね。これもまさに共感が暴力に繋がった、あるいは戦争に繋がった。
スピーカー 2
結局その真珠湾攻撃が原因でわーっとどんどん燃え上がって原爆にも繋がってるわけだから、結局すごい悲惨な出来事も共感のもとに起きてしまったのかなーみたいなことを考えて。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
そうそうそう。共感光栄となったはずですよ。
スピーカー 1
確かにな。
スピーカー 2
そうそうそう。あともう一個問いがあるんだけど、これもちょっと衝撃的で。日本の世論を一番刺激した写真って知ってる?日本の。
スピーカー 1
戦時中にってこと?
スピーカー 2
日本ってもともと、原子力圏とか読んだら分かるけど、鬼畜兵衛とかいう言葉がよくあるじゃん。スローガンで一力総玉砕とか、アメリカの鬼畜兵衛を殺せみたいなことをさ言ってたのよ。
それ最初から言ってたわけじゃなくて、とある写真を見て、それは言い始めたんだけど。
何かというと、アメリカのライフっていう写真集があるんだけど、そこに日本人の頭蓋骨を送ってくれた海軍のボーイフレンドにお礼状を書くアメリカの少女って写真。
スピーカー 1
それを見て、アメリカ人は日本人の骸骨を見ながら楽しんでるみたいなことを、それで日本の国民感情が刺激されて、日本はそういうアメリカ人をやれっていう空気になったらしい。
スピーカー 2
でも、これも嘘ではないけど、これもメディアが勝手にやっただけで、実際は水利号で見てきたんだけど、本当は神風で突っ込んできた兵士の遺体を、鉄屋で作った日の丸の旗で吹奏してあげるみたいな、すごい礼儀払って、水利号の繊維は日本人に手厚く葬ったりしてたんだけど、
すごい礼儀正しく本当はしてたんだけど、メディアがそういうものを煽ってしまったから鬼畜米になってしまったっていう、これもまた共感が真相じゃない方向に行ってしまった事件なのかなっていう。
スピーカー 1
全然そんな鬼畜がなかった なるほどね、そうかそうか、だから共感の悪いところなのかどうかわかんないけど、直感的にピコーンって動いちゃうわけじゃない?共感って。
スピーカー 2
そうなんだよ。
スピーカー 1
その反射的にというか、その時に見たものが正しい情報なのかどうかっていうところに行く前に先にあんなことしやがってみたいな与えられた文脈の中で結構意図も簡単に乗っかっちゃうわけだよね。冷静じゃない人。
スピーカー 2
ユニセフボキンとかもさ、黒人さんのちっちゃい子供の写真載せてるじゃん、ああいうのに弱いじゃん共感的に。これも結局その少女が頭蓋骨を見てる写真で煽って戦争に火付けたみたいな、なんか上手いこと煽ってんだなっていう当時から。
スピーカー 1
なるほどですね。なるほどな。今そのたまたま鬼畜米みたいなさ、話が出てきたからさ、このショーの結構後半でも取り上げられている非人間化っていうテーマについてもちょっと話してみたいな。
スピーカー 2
確かに確かに。
非人間化と差別
スピーカー 1
ちょっと冒頭でもねチラッと紹介したけどさ、共感する対象としない対象みたいなのがあったときにさ、その共感をしない、要は悪事を働く対象になるのは人間として見られてない人ですよっていう言説があったりするんですよね。
これは例えば具体的に言うと、今の鬼畜米も多分そうだし、共感している鬼畜米もそうだし、例えば第二次世界大戦でもそうだけどユダヤ人みたいなのは人種丸ごと人間っていうカテゴリーから外されちゃったわけだよね。
そういうことだよね。
だから彼らは人間ではないから暴力を振るっていいんだとか、例えば別の時代の別の場所だと黒人の奴隷みたいな話もそうで、奴隷は人間ではないから暴力の対象になっていいんだ。
共感する対象ではないんだとか。日本で言えば得た否認とかもある。階級として人間から外されている人たちっていうのが存在していて、そういう人たちに対しては暴力をすることに躊躇がなくなるというか、共感の対象じゃなくなるみたいな、なんかそういう話があって。
スピーカー 2
非人間化というふうに言うんですか。
スピーカー 1
これは非人間化ということ。ここでちょっと若干細かい脱線ではあるかもしれないけど、レビストロースさんっていう人類学者、社会学者の人がいるじゃないですか。
構造主義の蘇打とかって言われてるじゃないですか。
スピーカー 2
割と最近まで生きてた人だね。
スピーカー 1
このレビストロースさんが指摘してる内容がすごく面白くて、多くの種族にとって、これは人種とかも含めてだけど、トライブとかだよね。
にとって人間っていう言葉はその種族あるいはその言語を話す集団だけを指したっていう指摘をしてるんですよ。
これめちゃくちゃ面白いなと思ってて。要は同じ、当時国っていう概念があったかどうかわかんないけど、隣の種族の人たちは人間じゃないっていうような見方をしてるんだって言うんだよね。
スピーカー 2
そういうことね。
スピーカー 1
例えば自分の集団以外は野蛮の猿って呼んだりとか、白身の卵って呼んだりとか、言い回しが面白いんだけど、その延長線上に鬼畜米があるわけじゃん。
スピーカー 2
そういうことだよね。
スピーカー 1
つまり自分たちと同じ集団じゃないと思った瞬間に、人間から切り離すっていうことをやるんだと指摘してて、これって現代の差別主義者的な人がやってることとあんま変わんないじゃんみたいなことを思いながら読んでたんですよね。
スピーカー 2
面白いよね。ここに書いてあるけど、結局非人間化するってことは、お前は人間だって認めてるのと同じだってことなんだよね。
スピーカー 1
その指摘も面白いよね。
スピーカー 2
何でかというと、本当に犬だと思ってるのは犬に対してこの犬畜生って言わないでしょって話なんだよね。
人間に対してお前を犬っていう立場まで下げてやりたいっていうふうに思う気持ちの現れが犬めっていう気持ちに言葉に現れますよっていう指摘があって。
スピーカー 1
これ面白かったね。人間として認められたいはずの存在に対してその存在を貶める、劣った人間であるっていうレッテルを貼るっていうのが非人間化の本質だみたいなことを書いてあってこれすごい面白いですよね。
スピーカー 2
これも俺ここで鬼畜米の話をちょっと絡み合うと思ってたんだけど、すごい面白くて。何でかというと、日本とアメリカとか日本とイギリスって仲が悪いはずなくて。
だって日英同盟だったりとか西米中古通商集落とかで結構仲良くしてたはずの国のはずなんだよね。日本とアメリカ、日本とイギリスって。
共感と暴力の関連性
スピーカー 2
でもそういう国と戦わなきゃいけない、そういう人たちを殺さなきゃいけないってなった時にどうしようってなって、じゃあ非人間化して自分の心の迷いなく殺せるようにしようってことで鬼畜米にしたのかなみたいな。
まさにこれ非人間化の一例だよね。本当は人間だと思ってるけど、もともと仲良かった人間だと思ってるけど、お前らは下げてやるっていうような気持ちの表れの言葉なんかなって。
スピーカー 1
これ面白いね。これ人間性があるっていうことを意識した上で非人間化することがポイントで、さっき冒頭で非人間化あるいは物化っていうふうに言ったんだけど、単純に物化するだけだったら実は道徳的な懸念って発生しないよっていう話も裏返しとして言ってると思うから。
例えばカップルが膝枕をするみたいな状態でさ、枕として使ってるやんっていう物化によって道徳的に何か問題があること起きてないよねとか、例えば小さい子は日差しが当たってるからそういうふうに防ぐために自分が人影になって影を作るっていうものとして自分を扱うときに別に問題ないじゃんとか、
石巡考えるときにさ、抽象化して順番を考える、別にこれ物化してるけど問題ないじゃんとか、物化自体が問題なんじゃなくて物化のすぐ隣にある人間でありたい人を人間から外すっていう行為が道徳的な問題あるみたいな、そういう言い方をしているのは非常に面白いなと思いましたよね。
この非人間化と共感がどうつながるかって話なんだけど、ここは山上くんキャッチできてる?
スピーカー 2
非人間化と共感つながるというか、非人間化をっていうそのやばい行為を共感が止めることができれば、共感っていうのは再び擁護できる感情になるんじゃないのっていうテーマを走って始まってると。
スピーカー 1
そう、おっしゃる通りおっしゃる通り。そうなんだよね。だからその非人間化だったりとか物化っていうものは共感によって止めることができるんじゃないかっていうのが冒頭の問いだったわけだよね。
共感の欠如が暴力を生んでるんじゃないかっていう言説が正しいかどうかという検証の章だったわけだから。
それでいくと、もし今の話が止められるよってことであれば、じゃあ共感を元に戻せば止められるじゃんって話なんだけど、そうじゃないと。むしろ逆で非人間化して人間から一個外すことによって共感の対象からも外すっていう所作なわけだよね。
非人間化するってことは。そうすることによって共感する相手を絞ったりとか、自分たちっていう近い集団だけに留めたりとか、それこそ前回の4章の話でいくと、自分と身内と赤の他人みたいな割合の話が出てきましたけど、赤の他人側に押し合っちゃうみたいなね、そういうことなんだろうね。
スピーカー 2
共感ってもう一応人間に対してする感情ですよっていうことなんだよね。非人間化した時点で共感の対象からすらも外れちゃうから、それはもう全然別の話になっちゃいます。
スピーカー 1
ということで、じゃあ共感って結局非人間化を止めることできないじゃんと。そういう結論に至るわけですよね。
そうだね。これは別に共感がそんな悪いかって言われたら、これは別に非人間化が悪いんだけど。共感のところが別に他の感情、非人間化に対してはさ、あらゆる感情が外されちゃってるわけだから、別に共感に限った話じゃないよなと思いながら読んでたんだけど。
非人間化に関してはそうだね。非人間化に関しては共感が止めることができなかった概念が非人間化なわけであって。大事なのは一個前のね、さっきのパールハーバーの話もそうだ。怒りを煽る時に共感っていうのは非常に役に立つ。そこが暴力との一番の接点というか、共感の危ういポイントだよね。
スピーカー 2
しかも使われちゃうんだよね、権力者たちによって。共感を使って戦争に突入っていう風になっちゃうのが嫌なところだよね、共感の。
スピーカー 1
共感したりとか、一眼となるみたいな。大義に対してみんなが共感して熱狂するみたいな状況って、なんかちょっとやばいなみたいな。そういうニュアンスをちょっと感じますよね。
共感による暴力の燃料
スピーカー 2
そうだね。 この共感の暴走じゃないけど、なんかそういう側面があるんじゃないか。 最近で言うと新型コロナウイルスの話とかでさ、結局子どもとかで新型コロナで重症化して亡くなっちゃう人っているにはいるけど、すげえ少ないわけよ結局。
でもそういうすげえ少ないエピソードをメディアとかで大々的に取り上げることによって、そのことを共感させて日本全員を自粛だったりマスク警察だったり、ああいう空気が出来上がったじゃん。あれも結局その共感のなせる技だったのかなって今振り返ったもんだよね。怖いよね。
スピーカー 1
例えばレアなケースだったりとか、N1みたいなケースが非常に共感に対して訴えかけるような例だとすると、それが数的なインパクトが大きいか小さいかっていう問題を一旦保留にした上で、そういった暴力っていうケースもそうかもしれないし、誤ったファクトに対する追従もそうかもしれないし、
要はその暴力や残虐性との直接的な関係性もあるにはあると思うんだけど、どちらかというとそのとある方向に人を暴走させるというか借り立てるみたいな、そのための燃料に共感はなるみたいな、なんかそんな感覚なんでしょうな。
スピーカー 2
統計学的な数値とかそういった孫徳とかそういったところが一旦見えなくなってしまうのが共感なんだよな。
スピーカー 1
そうね、ということでございました。なのでちょっとここまでのまとめでいくと、共感というのは私たちを悪人にすることもありますと。なぜなら加害者の怒りと共感して反撃する仲間意識みたいなものの根拠にもなるからだと。
つまり戦争みたいなものの開始のトリガーっていうのは、何してくれるんだこの野郎みたいな、そういう感情であることが多いよねというところですね。逆に共感がないということ、単に相手をものや監視の対象として見るっていうのは暴力性の理由にはならないって話もあったなと思ってて。
これがいわゆる思いやりの対象として見るっていう時には普通にシンプルに関心を持ってるけど別に共感してないみたいなね。そういう話でしたと。
スピーカー 2
ミルクの話にも出てきたよね。
スピーカー 1
そう出てきたね、確かに確かに。で、これはもうちょっと若干共感の話からそれちゃうんだけど、悪みたいな話に関して言うと、ある種必要悪としてある種の暴力行為をしなければいけないことがある場合もあるんですよ。
それはなぜなら人間にとって暴力行為っていうのはある種の本質的な特性であると。それが何かしらの機能をもたらすということですね。例えば、あるこれあれだっけ、ダライラマだっけ?
ダライラマに聞きましたみたいな事例がありましたけど、ホロコーストを止めるためにヒトラーを殺しましたかってダライラマに聞いたんだよね。すげえ質問するよな。
スピーカー 2
ちょっと考えて殺すべきって言ったんだよね。
スピーカー 1
そうそう殺すべきかもしれないって言ったということで、つまりより大きな暴力を止めるために小さな暴力を働かざるを得ないみたいなことがあるかもしれないと。そういうことを言ったダライラマでさえそう言うわけだよね。
スピーカー 2
ダライラマはだからちゃんと共感してないというかね、ちゃんと見えてるよね。見えてる人の一例として挙げてるわけだもんね、ダライラマは。
共感の限界と人間性
スピーカー 1
そう、ということを考えると共感とかね、あるいは怒りにすごく似たところもあるよねっていう指摘もあるんだけど、共感も怒りもめちゃくちゃバイアスの影響を受けるんだということですよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
ここから脱するためには非常に難しい線引きなんだと思うんだけど、そこに対する理性的な熟慮っていうのが必要なんじゃないかということを最後に問いかけてくるのがこの5章でしたと。
スピーカー 2
で、6章が理性の時代になるということだね。
スピーカー 1
じゃあどう理性を用いていけばいいのかというのが次の章で語る。
いやー楽しみだね。
まあそういうことですね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
いやこれで一応5章をなんとなくカバーしてきたわけですけれど、どうですか?なんか大体話したいポイントは話せたかしら?
スピーカー 2
そうだね、話したね。なんか一応盛りだくさんだったけど全部拾ったね、この5章の実例だったり。
スピーカー 1
そうね、これちょっと改めて話してみて思ったけど、だいぶ発散してるね。
スピーカー 2
いやまあ小…
スピーカー 1
ブルーム自身が発散してるなと思ったのよ。結構言いたいこといっぱいあるなって。
スピーカー 2
なんかそうだね、5章ブルーム随筆みたいになっちゃったけどね。
スピーカー 1
ああそうそうそう。結構この暴力に対する思いが強いんだろうなと思いながら読みましたね、ここはね。
スピーカー 2
ブルームも結構なんてか、これ読んでるとあんま穏やかな人ではないんだろうね。結構意外とこの攻撃性を兼ね備えた人なのかなみたいな。
スピーカー 1
そうね。まあでもその最後に言われていたその暴力は許容される範囲っていうのもあるんじゃないかっていうところで、と思っていた許容できるかを解決しないといけない。
それを頭で必死に考えるのが人間にとって大事だみたいな主張はまあ一定僕も理解できるなと思ったし。
スピーカー 2
まあ確かにね。
スピーカー 1
そうだなと。だからそんな綺麗になんていうかシンプルにいくわけではないよねっていうことも言っているという感じだと思うんですけど、なんかこれ僕が共感に対してというか反共感論かに対して思ったのは、これ実はブルーム自身が結構共感でやらかしてるんじゃないかと思ったんだよな。
スピーカー 2
だからこんな自信持ってこれ実体験として書いてるってこと?
スピーカー 1
完全に雑談ですよ。雑談なんだけど、なんでこんな共感に対してその意地悪なんだろうなとか善悪に対してのこだわりがこんなにストイックなんだろうなって思ったときに、なんかこう実体験で失敗してるんじゃないのってちょっと思いながら読みました。
スピーカー 2
前回のカタラジオのさ、ブルームさんまだ生きてらっしゃるよね多分。前回のカタラジオのお便り募集のとこにさ、共感でやらかしたことあるって質問あるけどブルームさんに送ってほしいよ。
スピーカー 1
ぜひ。ブルームさんにじゃあ無理矢理送ってもらおうかな。
聞いてもらおう。英訳多分できるじゃん。今のYouTubeとか。
スピーカー 2
聞いてもらいましょうか。
カタラジオ。
スピーカー 1
はい、ということでエンディングでございます。おつかれさまでした。
スピーカー 2
おつかれさまでした。今回も面白かったね。
スピーカー 1
面白かった。面白かったし、盛りだくさん今回は。
スピーカー 2
もうなんか頭の中にいろんな絵が浮かびながら、話を進めたショーだったね。
スピーカー 1
いや本当ですね。事例が多いのなのってね。ちょっとこれは一回聞いてなんかあっちゃこちゃ言ってるんじゃないかって感じを受ける人もいるかもしれないけどね。これはぜひ本書を読んでほしいですね。
スピーカー 2
そうだね。読んでると楽しいんだよね。読みやすいよね。事例ばっかりだから。
読みやすい。
なるほどなるほど。
スピーカー 1
まあでもねストーリーとしては比較的シンプルというかね。改めてですけれど、なんで人間の暴力とか残虐性ってあるんだろうかってところでね。その共感の欠如っていうのが本当に原因なのってところに対してね、答えを出してるというところですけど、結果共感は暴力に対しての抑止力にはならないぞと。なんなら燃料になってしまうぞって。
確かにそういうふうに言われると直感的にわかるよなっていう気もするし、さっきの反撃したいみたいな気持ちっていうのは誰しも心の中にあると思う。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
確かにと思いつつも、じゃあだからといって共感せざるを得ないみたいな状況もあるじゃないのって思っちゃうわけですよね。
確かに確かに。
共感止められないじゃんみたいな。
スピーカー 2
これはもう本能みたいなとこあるからね。
スピーカー 1
そうそう反応しちゃうじゃんみたいな。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
ここに対してどう対処していくのかっていうのがね、まさに理性的な熟慮。次のショーンのテーマになっていくんじゃないか。
スピーカー 2
この共感っていうね、ややもすればネガティブな感情をさ、うまいこと使いこなせる人間になれたらいいなって思ったりするけどね。でもまあまあでもその使いこなし方によっては結局その戦争に繋がったりしちゃうからね、難しいよね共感って。
スピーカー 1
そうかね。これはなんかもうちょっといろんな大事なテーマがいっぱい入ってるから、悪だって出てきた概念いっぱいあるで。だって共感がまずあるでしょ。あと道徳性の話があるでしょ。で暴力みたいな話があって。であとは残虐、戦争だったりね、残虐行為みたいな話があって。
じゃあ暴力と残虐性止めなきゃいけないっていう議論をしてるんだけれど、でも一方でブルームさんは一定の暴力は共有されないといけないよねとか、必要悪として戦争も何か必要かもしれないみたいなこと言ってたりとか、結構変数が全部定まってないんだよ。全部変数なんだよ。
スピーカー 2
変数多いんだよ。
だから共感を下げるよね。
スピーカー 1
そうそうそう。今回のフェアじゃないところでいくとさ、道徳はさ暴力の原因にもなるよって話をしてて、けど必要悪としての暴力は認めるぜって言ってたりとか、一方で共感の座になると共感は暴力の抑止力にならないと、暴力はできる限り止めなきゃみたいな話をしてるんだよとか、なんか結構暴力に対するスタンスとなんか入れ替わってたりとか。
スピーカー 2
共感のことになるとヤッキーになっちゃうんだから。
スピーカー 1
共感の時にはすごいなんかシビアな事例をいっぱい紹介してきてね。ちょっと共感に若干肩を持ちたくなる人も出てきちゃうぐらいのこき下ろし方だけど、まあそれが面白いと。
スピーカー 2
反共感に共感しちゃってるみたいな状態になるんだね、ちょっとブルームさんは。
スピーカー 1
ああ、なるほどね。反共感に身を滅ぼすブルームっていう。
Chapter 1
スピーカー 2
完全に共感しちゃってるよね。ブルームの立場は共感の姿だよね。
スピーカー 1
確かに反共感に対する病的までの力勢を持ってるかもしれない、確かに。
スピーカー 2
ってことはこの5章まで読んでなんとなくわかってきたぞっていう。
スピーカー 1
まあそうですね。でも個別の事例だったりとかね、一個一個の命題は結構多くて思うものは多いのでね。
スピーカー 2
確かにね。
スピーカー 1
概念獲得としては非常に面白い旅だったんじゃないかと思いますけれどもね。
いやー面白いね。
というところで山であった5章までやってきましたけれども、結構これはね、ブルームさん思い入れ強かったんじゃないかな、この暴力と弾逆性に関しては。
スピーカー 2
そうだね。思い入れの強さを読んでれば伝わってくるよね。
スピーカー 1
それゆえにというね。
スピーカー 2
いやー面白く読めてよかった。しかもこれ読む前にハワイに行っておいてよかったなみたいなことも思うんだから。
スピーカー 1
本当だね。
確かに確かに。これはそうかもしれない。
スピーカー 2
概念獲得旅してきたわ。概念獲得ロケ。概念獲得ロケしてきたわ。
Chapter 3
スピーカー 1
いいですね。ということでいよいよ次回が最終章。
スピーカー 2
終わっちゃう。寂しい。
スピーカー 1
終わっちゃいますね。ということですけれども、第6章ですね。第6章は理性の時代というタイトルの章でして、これがもう最後ということで。
5章のボリュームに比べると比較的軽くしてるので、6章読んだ後ちょっと全体の総数なんか。
スピーカー 2
これまさにでもほら、イスキーの時もそうじゃなかったら最後の章ちょっと軽くして、俺らがフリートークちょっと多めにしてるみたいな。
そうだね。
いつものパターンじゃん。
スピーカー 1
という形でございますのでね、次回はゆったりこの本全体を振り返りながら締めていきたいなと思っております。
最後にお知らせじゃないですけどね、毎回のコメントですけれども、カタラジオではお便りをお待ちしておりますというところで、
番組の概要欄にリンク貼ってますので、YouTubeでのコメントでも全然ウェルカムですので、
疑問・感想・お叱りの言葉など何でもウェルカムですので、どしどしお待ちしております。
スピーカー 2
おります。
スピーカー 1
ではね、5章も終わりましたので、次回6章に向けて皆さんもぜひ本書を手に取って読んでみてください。
それでは本日の放送は以上ということで、次回もお楽しみに。
スピーカー 2
お楽しみに。おやすみなさい。
スピーカー 1
おやすみなさい。
01:27:01

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