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こんにちは、いわみです。
6月19日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日、僕ね、誕生日です。
1年が経つのは早いもので、あれですよ、もう46かな?
そんなこと誰も求めてない情報ですけど、まあね。
誰が何と言おうと後半に差し掛かったというね。
今日は特にお祝いとかはやらないですけど、日曜日にいろいろ家族がやってくれましたね。
特に子どもがやたらね、お祝いたがっているというか。
うちの子どものお祝いたがりは、おいしいものが食べたいという、自分の欲求を満たす、あれが半分ぐらい入っているのはわかりますけど、
でもなんか微笑ましいというかね、嬉しいですよね。
ケーキ買ってこいとかね、あれが食べたい、これが食べたいとかね。
それお前じゃねえかって言いたくもなりますけど、それは楽しくやっております。
でもどうでしょうね。自分からするとそんなに変わってないというか。
むしろね、年齢よりも環境の方が大きいなって思いますが、まだ老れたくはないなと思っております。
何か話そうかなと思ってね、でも今日は本当に思いつく話題がないんですけど、
そういうときに何を話そうかなと思って、気になったネットの記事のことを話してみたいと思います。
子どものスマホ依存に対する記事です。すごい誕生日から飛びましたけど、ちょっと興味深いなと思ったので、
さっき読んだところなので、ちょっと読みながらね、考えながら読みながらという感じになるかもしれませんけど、
子育てをしている方とかしていない方も興味がある方は聞いていただければと思います。
これね、クーリエジャポンというサイトがあるんですけど、これあの有料のニュース記事なんですよね。
僕はちょっと気になって1年間契約してみて、今読める状態なんですけど、やっぱりこれ有料だけあってね、
記事の質が高いというか、いろんなところから、ワシントンポストとかエコノミストとかアトランティックとか、
多分外国のアメリカとかイギリスとかフランスのニュースサイトの記事を翻訳して編集してみたいな、そういう感じですけど、
結構興味深いものが多い中で、今回の子供のスマホ依存という話ですね。
ジョナン・サン・ハイトという、聞いたことありますね。社会心理学者の方が書いている記事ですけど、
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全文をちょっと読み上げてみましょうか。全文というか最初の文をね、リードの導入を。
アトランティック、アメリカのアトランティックからの転用ですね。
子供のスマホ依存による影響が、北内外で深刻になっている。
若年層の鬱病や不安症は急増し、計算力や読解力のスコアは低下の一等をたどる。
Z世代に当てはまりやすい特徴として、打ち切れ、リスク回避的であることが挙げられる。
オープンAI共同創業者のサム・アルトマンは、1970年代以来初めてシリコンバーレーで結出した企業家の中に30歳以下がいないと漏らした。
これらの傾向はSNSが普及してから顕著になったと、社会心理学者のジョナン・サン・ハイトは不安な世代、未包訳で述べている。
スマホが子供時代にすべき体験を奪い、成長を妨げていると主張するハイトは、
子供たちがインターネットにアクセスできる年齢に制限を設けるべきだと提言する。
これが導入文ですね。なかなかこれを読んだだけでも興味深いなと思うんですけど、
これ全部で全5回の記事があって、僕はまだ1と2ぐらいしか読んでないんですけど、
まず何を言いたいのかというと、これ最初の方にあったね、
人間の子供はある一定の年齢になるとリスクを求めるというふうに書いてあったんですよ。
リスクがないと成長できないということが書いてあるんですけど、
喧嘩したりとか、ちょっとやりとりして、ちょっとぶつかったりとかして、
結構リスクのあることを求める人って、男の子というのか女の子も同じかもしれませんけど、
そういう年代って特にありますよね。運転とかは分かりやすいかもしれませんけど、
すごいスピード出したりとか、危険なことをやってキャッキャしているのって、
大体10代後半とか20代ぐらいだったりするじゃないですか。
あれがね、その哺乳類的な本能に起因しているんじゃないかって。
ちょっと書き方が違うって、僕の読み方がそういうふうに読んだっていうところもありますけど、
でも内容としてはそういうことが書いてあるんですね。
それでなんで人間は10代後半ぐらいにリスクを求めるのかというと、
それによって成長するから。逆に言うとリスクがないと成長ができないからだっていうことを書いてあったんですよね。
インターネット、特にスマホとかに触れていると、あまりリスクに向き合うね、
危険に向き合うことが少なくなってしまうから、
人間は成長できないというか、ある意味では動物的な感みたいなのは成長する機会は阻害されますよね。
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遊びの重要な要素の一つに、身体的なリスクをとる行動がある。
子どもや若者は失敗がさほど大きな至れとならない環境でリスクをとって、
しばしば失敗する必要がある。これ今また読み上げたんですけど、
そういうのはありますよね。自分の過去みたいなのを振り返っても、
何をしているときが一番学びになったかなというと、
別に学校の勉強とか何かを習ったことというよりも、
本当にやべえなと思って必死に考えたときのことの方が、
今となっては身になっているところってあると思うから、
やっぱり人間というのは必死になって、
ちょっと危険を感じるぐらいの環境に身を置かないと必死になれないし、
必死にならないと限界以上の力が出てこないなというのは思うんですよね。
これは成長というか仕事みたいなところでも同じかなと思うところがあって、
僕は基本的に継続というのは6割の力でやればいいと思っているんですよ。
6割というのは結構ぼやっとしていても続けられるぐらいの、
長く続けることが大事だと思っているんですけど、成長するには。
でも最近思うのはそれだけだと伸び悩むなというところがあって、
それでいざというときに120%の力をガッと出す機会があると、
そのときにベースの底力が上がるんですよね。底上げになるというか。
それで120%出すと結構しんどいし、混乱もしたりとか怖がったりとかするわけですけど、
それを過ぎた後で自分のベースラインが上がっていることに気づくという経験が何回かあって、
別に若いときだけじゃなくて、僕40代になってからもこれを何回かありましたね。
それは僕は結構いろんなことを新しいことをやっているというか、結構飽きっぽいんで、
いろんなことをあんまり物によっては継続しないことが多いんですけど、
仕事だって会社員を辞めて、別にライターとかやったことがなかったのに、
今ライターみたいな仕事をしていますからね。
始めたばっかりだからというのもあるかもしれないけど、日々自分の成長は感じますよね。
今までできなかったようなことができるようになったりとか、
成果物みたいなものでも1年前と比べ物にならないなという、
これは客観的に見ても思うことはあります。
それで話を子育てとスマホに戻して、
インターネットとかスマホ、タブレット、SNSみたいなものが普及していくと、
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子どもの成長は妨げられるのかという話ですけど、
結論というか僕の感覚から言っても、
あんまり触れさせないほうが結局いいのかなというのが今のところ思いますね。
僕は基本的にデジタルには好きなだけ触れさせておけばいいと思っている派だったんですよ。
今でもそういう面はありますけど、
別に時間を決めてとか、ちっちゃいうちは触らせないっていうのもありはありだけど、
でもその一方でこれからもっとデジタルとかメタバスみたいな時代になっていくと、
そこに体制がないというか慣れていないと逆に不利になる面もあると思うから、
むしろ別にデジタル付けになっても生きていく上ではいい面というか有利になるところもあると思うから、
別にそれは本人の勝手にさせればいいんじゃないかというのが思っていたんですけど、
いたんですけど、でも実際に成長していく子どもを見ていると、
やっぱり健やかに育っているなあって健やかに過ごしているなあって思うときは、
やっぱり体を動かしたりとか、好きなことを熱中してやっているときのほうが、
生物として言えば健やかに見えますよね。
生物として健やかに見えるというのは、普通に生き生きしていたりとか元気でご飯いっぱい食べたりとかいっぱい寝たりということですけど、
その辺の生態的な欲求まで化学で補える時代はきつつあるし、それで補える面もあると思うけど、
例えばこの記事では子どもの鬱みたいなことも触れられているんですけど、
そういう鬱とかそういう傾向というか精神の状態が薬とか技術によって回復できる完全な方法がもし生み出されたら、
だったら別にそれに恐れることはないとも言えるじゃないですか。
昔は金眼だったら生きていけないぐらいの時代もあったけど、今は眼鏡によって金眼が病気じゃなくなったみたいに、
鬱だって病気じゃなくなるときも来るかもしれないし、
地方とかパーキンソンとか認知症みたいなのが薬とか医療の技術によって完全に克服されるときは僕は来ると思っているんですけど、
それとデジタルみたいなものに無制限に触れてその結果生物としての成長が妨げられるというか、機械を失うというのは表裏一体ですよね。
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これは比較はできないというか厳密な比較はできないけど、
でもなんとなくの比較は可能だと思うんですよね。
例えば今の子供と昔の子供、分かりやすく言うと僕らが子供だった、僕46歳の子供だったときと今の小学校、低学年の子供と比べて何か優れていたり劣ったりしている面はあるかというと、
思い出せないところがたくさんあるし、そのデータだけで比較できないというか、
例えば身長とか体重だったら別に数値で出るから、今の子供の方が基本的には身長は高いと思うんですけど、体重はどうなんだろう、運動神経とかそういうのも多分数値では出ると思うんですよ。
そこから見ると別に今の子供の方が劣っているというか成長が阻害されているとは言えないですよね。
でもそれと精神的な不安に弱いとかうつになりやすいとかリスクを回避するとか、そういうのは数値に表せないわけだから。
それでもう一つ、田舎に移住してきた僕から一つ比較できる対象ができたと思っていて、
それが都会と地方、田舎、地方の子供の比較なんですよね。
僕が前に関東で住んでいたのは埼玉なので別に都会ではないけど、
でもそこから見ても今住んでいる高地っていうのは結構田舎だし、みんな外でやっぱり遊んでいるんですよね。
公園に行くといつも子供がいっぱいいて、親なんて関係なくですね。
親がいないのに小学校ぐらいで子供だけで遊んでいる子供ってたくさんいるんですね。
もう最近ではそれが当たり前の光景になりつつありますけど、やっぱりどっちの方が体を動かしているとか、
子供同士のトラブルみたいなのが発生しているかっていったら、多分田舎の方っていうのは傾向としては間違いないと思うんですよ。
それでその子供たちが今から10年ぐらいして、10年か20年ぐらいして大人になったときにどういう差が生まれるかっていうね、
それは結構興味深いなと思うんですよ。
最初に紹介したこのクーリエ・ジャポンのスマホの依存する子供たちの話をしましたけど、
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ここで言われているようなデジタルに小さいときから触れまくると子供の成長を阻害するよっていうのがもし正しいのであれば、
彼らが20歳とか30歳になったときにそこには何かの差が生まれるはずじゃないですか。
それがどんな差なのかっていうのを想像することはできますけど、そのときになってみないと分からないと。
これも想像なんですけど、それを比較するときにやっぱり今と環境が変わっているから厳密な比較はできないなということも思うんですよ。
スマホとかデジタルに子供のときから触れる機会が多い子供の方が生物的な感とか思考力みたいのは育たない傾向があるとしたときに。
でもだからといって生物的な感覚とかそれが将来においてあまり役に立たない値というかデータだったら、それは結局意味がないことになりますよね。
つまり極端な話をすると、未来の世界が完全なメタバースになってみんな家の中で座っていて、
完全に遠隔で全てのやりとりとかスポーツでも読書でもゲームでも学校でも遠隔でやるようになる時代が来たとしたら、
小さいときに外で遊んだりとか自然に触れた経験というのはあまり役に立たないということになるじゃないですか。
もっと深い意味で言えば役に立ったりとか精神の回復力みたいな健やかさみたいのは出てくるかもしれないけど、
メタバースの世界でやっていく、仕事をしたりしていくということにおいてはそんなに直接のつながりは直接役に立ってはいないということになると思うんですね。
僕が親として子どもに教育というよりもどんな過ごし方をするように仕向けるかというか、もっと言うとどんな行動を禁止してどういう行動を推奨するのかみたいなことになると、
思い描いている未来のイメージによって変わってくるんですよね。
僕としてはどっちかというと未来は結構デジタル寄りになって結構メタバース的な世界が来ると割と本気で真剣に思ってますけど、
だからといって今のときに完全にデジタル世代になっていいのかというと、やっぱりこっちに越してからあれが変わってきましたね。田舎に引っ越してきてからちょっとその価値観が由来できたというか、
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今揺れているなということに今しゃべりながらすれば気づきましたね。
本当はこういう話というのは、もし聞いてくださっている方がいるんだとしたら、その人が何を思っているとか、その人の意見を聞いて間接的な議論みたいなことができればいいんでしょうけど、
僕は性格的にあまりそれができないというか、そこに触手が伸びないところはあるので、他の人の意見も取り入れつつ、これからも考えていきたいなと思ってはいます。
子どものデジタルとの向き合い方、子育てしている方はどんなふうにお考えでしょうか。
今日はこんな感じで終わりにします。
お聞きいただいてありがとうございました。良い一日をお過ごしください。さようなら。