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2024-07-31 21:27

子よりも親のケアを考えるべき時代


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こんにちは、いわみです。
7月31日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日で7月も終わりですが、夏休みはまだ真っ盛りというかね、むしろなんかね、そろそろ始まったんじゃないかぐらいの感じがしていますが、
高地はね、この週末ぐらいから、先週末ぐらいから暑さが本気を出してきたというか、
35度を超えたのは多分初めてというか、まだ数回しか超えてないんですけど、先週末ぐらいからずっとね、35度ぐらいいってますね。
だから今のところの僕の観測範囲だと、関東よりね、多分四国の方が猛暑日は少ないなっていう印象が今のところはあります。
それは引っ越す前の感じとは、印象とはちょっと違いますよね。
西に行けば行くほど、南に行けば行くほど地球は暑いもんだと思ってたけど、そうとは限らないっていうね、ことはあるなと思っています。
でも夏休みの過ごし方はね、僕は別に夏休みじゃないんですけど、家で仕事をしている関係で、
すごく子供のスケジュールに自分の行動が制約を受けるんで、結構ね、大変だなっていう。
言ってみれば主婦的なカテゴリーというか、時間の制約の受け方ですけど、
でも別に家のことだけやってるわけじゃなくて、仕事もしているわけですけど、そこがね、難しいところですね。
完全にもうね、とにかく仕事をやらないともうどうにもならないって感じになったら、もしかしたらちょっと違うかもしれないですね。
つまり、学童行っても行かなくてもどっちでもいいよっていう感じじゃなくて、もうとにかく行けみたいな感じになると、また多分関係性は変わってくるんだろうなと思うけど、
こうか不こうか、うちはそういう感じでは今のところないので、本当はね、もっと子供を生かした方がいいのかもしれないけど、今のところは割と自由に過ごしています。
それで、結構夏休みのイベントみたいなのに、今夏休み始まってたぶん2週間くらいかな、ですけど、
もう経ってないか、1週10日くらいなもんですけど、10日も経ってないですね、1週間くらいか。
ちょっともう時間の間隔がわかんなくなってますけど、いや、10日は経ってますね。
20日からだとすると、うん、経ってますね。
それで、いくつかその子連れでイベントみたいなのに、いろいろ参加してみたんですよ。
いろいろありましたね、公民館的なところとか、地区のセンター的なところで、なんとか教室とかね、木工の教室とかも行ったし、
ちょっと離れたところで、なんだっけな、昔の城門とか弥生の土器が発見されたような土地があるらしくて、
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そこに文化センターみたいなのが建っているんですよ。
弥生文化センターっていう名前でしたけど、そこに行って、いろいろ親子で体験できるのがあって、
マガタマってあるじゃないですか、小学校くらいの社会の授業で習った記憶がありますけど、
大昔の人の装飾品というか石を削って、そのマガタマを自分で作ったりとか、原始人みたいに火を起こしたりする体験ができるのがあって、
それに行ってきたりとか、あとはあれですね、昨日と一昨日か、近くに教会があるんですけど、
そこで英会話をやってて、英会話のキャンプ的なやつで、今回僕は手伝いというか、
外でピザ窯でピザを焼くから手伝ってほしいって言われて、焼いてきましたね。
30枚ぐらいピザ焼きましたね。別に一人で焼いたわけじゃなくて、何人かで力を合わせてやったわけですけど、
本当に炎天下35度ぐらいの中でピザ窯に火を焚いて、ひたすらピザを入れていくっていうのはね、
最後の方は意識が飛んでましたね。
いわゆるこれは過酷な労働ですけど、別に好きでやってるからいいんですけど、話が全然飛びますが、
それでちょっと思ったことがあって、言い方がちょっと悪くなりますけど、
言ってみればただ働きみたいなもんじゃないですか。
それで僕はね、でもそれは協会のイベントとか結構積極的に参加してるんですけど、
それ何でしてんのかなって自分で思うと、
これは別に金銭に換算できないメリットがあるからだなって。
ここは僕はメリット、デメリットでちゃんと言語化していいところだと思っているんですが、
子供のイベントに参加して僕が得られる金銭に換算できないメリットとは何というかというと、
それは一言で言うとコミュニティなんですよね。
人との繋がりというか触れ合いというか、
それはちょっと臭いような言い方ですけど、これ本当にお金じゃ買えないんですよね。
それで僕は特に今からの時代というか、
僕がこれから生きていくのに一番必要なところはそこだという結構確信があるので、
だから別にお金を稼ぐよりもコミュニティに参加する方が僕は人生を豊かにしてくれるっていうね。
これは臭いと言われてもなんでも人生の真理だと思っているので、
そういうところに積極的に顔を出して、別にお金がもらえなくても言い方があれですけど、
35度の炎天下の中で膝を焼くっていうね。
それで子供たちはすごい喜んで食べてるわけだし、
一緒に焼いてるお父さん連中とかも仲良くなるわけだし、
それは楽しいしプライスレス的な価値があるんじゃないかなと。
これやっぱりどういうふうな言い方をしても何かちょっと偽善的な感じがしてしまってうまく言えないんですけど、
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今のところ僕の中で完成したロジックとしては、
仕事ではない、金銭的ではない対価がちゃんとあるから、
だからそこにいる人たちが嫌な人たちだったら多分そこには行かないんですよね。
でも不思議とね、僕が参加したくなるようなところには
似たような価値観を持っている人が集まるなっていう気がしていて、
今回言った英会話の教室のキャンプ的なやつっていうのは、
もちろん子供のためのイベントなんですが、
そういうイベントに大人も参加してみて、改めて思ったことがいくつかあって、
それについても話してみたいんですが、
うまくつなげられないんですけど、結論から言ってしまうと、
子育てしているのに、特に今の現代で、
一番ケアされなくてはいけないのは、僕は子供じゃないと思っているんですよ。
じゃあ誰なのかって。
親ですよね。
子育てをする親が一番ケアされなければいけない存在になっている。
今の時代となってはそうなっている気がしていて、
そんなことを言うと、身勝手というか、
そうは言っても子供が一番大切にされなければいけないじゃないかって思うと思うんですけど、
それは前提として、むしろ子供がケアされない状態を
作る方が難しいと言ったらちょっとあれですけど、
割とそこはクリアできるというか、難しいですよね。
そうは言っても、子供がケアされない、ほっぽらかしになったりとか、
傷ついてしまう状況というのはもちろんそれは起こりますけど、
でもそれがなぜ起こるのかというと、多分僕は親に余裕がないから、
周りの大人たちに余裕がないから、特に精神的な余裕がないからだと、
そういう問題とか起こる時っていうのは、
おそらく先生たちにすごく余裕がない現場というか学校というか、
そういうコミュニティの中で余裕のない大人たちに囲まれると、
子供たちもだんだんそれに当てられてストレスを感じていくんじゃないかという気がしているんですが、
その一番最小単位として家庭があるわけじゃないですか。
誰が重要かっていうね、みんな重要なわけですけど、
親と子供がいて、どっちの方が優先されるべきかって言ったら、
それはもちろん子供なんですよ。昔から変わってない価値観だと思うんですけど、
でもね、その昔から変わってない価値観の行動を取るときに、
今は結構ね、僕はハードルが高くなっているなっていう気がしていて、
何のハードルかっていうと、俺が子供の頃から、
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穏やかにというか、ナチュラルな感じで子供に接するっていうのはね、
結構難しくなっているんじゃないかなって気がするんですよ。
なぜ難しくなっているのかっていうのは、いろんな説があるというか、
答えは僕には分からないですけど、一つね、仮説というか、
こうじゃないかなって思っていることがあって、
それはね、大人の世界が窮屈になっているからっていう、
それでなんで大人の世界、その社会が窮屈になっているかっていうと別にね、
みんながみんな心が狭くなっているわけじゃないと思うんですよ。
僕はそのいったね、コミュニティとか、その子育てにおいて、
触れ合っている大人たちっていうのは基本的にはみんなね、すごくいい人で、
大らかで穏やかな人が多いんですよ。だからそういう中にいると、
その世の中がね、すごいね、窮屈で、狭くなっているっていう感じはないんですけど、
でもね、やっぱりそのメディアの世界とか、ネットとかね、
僕はテレビは見ないですけど、人とかニュースを見ていると、
すごく窮屈になっている感じがありますよね。
それでこのギャップをどう捉えたらいいんだろうっていうことを、
よく考えるんですよ、最近。つまり、僕が過ごしているような世界では、
今まで通り世の中は動いているのに、そのメディアとか世界で見るね、
世界、世の中っていうのは、窮屈で殺伐として、
ちょっと問題があったら、クレーマーみたいな人が現れるみたいな、
ギャップがあるんですよ。だから現実とそのメディアの中でね、
すごく隔たりがあって、これをどう捉えるのかっていうことですけど、
いろんな捉え方ができると思って、答えは一つじゃないと思うんですが、
一つの仮説というか、想像として、極端な一部のうるさい人たち、
ノイジーマイノリティって言いますけど、少数のすごく声の大きい人たちが、
心の狭い人たちがいるとして、それがメディアに乗ってしまうと、
割とそれを見ている人の世界認識が変わってしまうっていう問題が
僕はあると思っていて、だから実際的にはその世界の割合、
世界に例えば簡単に言うと、100人人がいるとして、
その中に100人のうちに心の狭い人が何人いるかってね、
簡略化して言うと、実際には1人か2人ぐらいしかいないんだけど、
でもメディアを見ていると、1時間のニュースの中にそれがね、
1回か2回、10分、20分ぐらいあるとすると、
そうすると世界の中の1割か2割ぐらいが不寛容な寛容さの欠けた
窮屈な世界に思えてくるじゃないですか。
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人によってはそういうのを見ていると、
うるさい人たちにへじきにならないように気をつけようって思う人は
結構いると思うんですよね。
その結果、別に自分としてはどっちでもいいんだけど、
それを迷惑に思ったりはしないんだけど、
マスクなんてしなくてもいいと思っているんだけど、
でもマスクをしないとこんなに責められたりとか、
文句を言われることがあるんだなっていうニュースを目にすると、
どっちでもいいけど、とりあえずマスクしとくかっていう人がね、
増えると思うんですね。
もちろんマスクは一つの例というか、たとえというか、
だからマスクだけじゃなくて、むしろ僕が言いたいのは生活様式というか、
生きていく中の規範というか、マナーみたいなものもあるかもしれませんよね。
それがね、だからどんどん昔よりも大らかじゃない方向に向かっているっていうのは、
生きている人が変わっているっていうよりも、
その目にする情報が変わっていて、
その目にする情報が変わっているその大元には、
本当にごく一部のうるさい人たちがいて、
その声が増幅されて、
それが世界のように思えてしまってっていうね、
そういう悪循環があるような気がするんですよ。
このフィルターバブルみたいなことかもしれませんけど、
なんでこの話をしたのかっていうと、
子育てにおいて、
まず救われるべきというか、
癒すべきは子どもじゃなくて大人だっていうね、
その話からつながっていったんですが、
そういう不寛容な世界の中で、
やっぱり大人もストレスを感じていて、
それが家庭に伝染して子どもにも伝わって、
それも悪循環だと思うんですが、
そういうことが起きていて、
それを良しとしている人はあんまりいないと思うんですよ。
違いがあるとしたら、
それを本当に真に受けて、
本当にマスクしないと怒られるとかね、
ルールを守らないと生きていけないみたいなね、
これから社会で生きていけないみたいな極端な考え方を
する人もいるだろうし、
もうちょっとマイルドな方としては、
最近はこういうね、
うるさいニュースが増えているから、
それに当てられないように、
うまいことをやり過ごしていこうと、
いろんなグラデーションがあると思うんですよ。
僕はどっちかというとそのね、
後者の方というか、
そんなにうるさいこと言ってもしょうがないじゃんって思いながらやってますけど、
多くの人が、
僕と同じような考え方をやっていて、
似たような価値観の人が集まると、
田舎的というか、
昔の感じで子育てができているところもあるんだけど、
でもなんか僕の印象だと、
都会とか都市部に行けば行くほど、
人々は不寛容になっているような気がしていて、
それはね、だからまあ、
空間的にも狭いから、
これに余裕がなくなるっていうね、
そういう物理現象みたいなものもあるかもしれないけど、
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やっぱりね、触れているメディアのね、
種類と、触れている時間もね、
結構大きいんじゃないかなという気がしているんです。
メディアに触れる機会が長い人っていうのは、
どんな人かというと、
簡単に言うと、多分孤独な人なんですよね。
あんまりコミュニティとかに属していなくて、
普段ね、喋る人とかもいないような、
思いつくのは独居老人とかそういうところですけど、
まあそういう人たちはやっぱりテレビとかを見るわけじゃないですか。
で、テレビを見るとそういうね、
心の狭いニュースばっかりが目に入るんじゃないかなと、
想像が入ってますけど、
多分そんなに間違ってないですよね。
で、そういうのをやっぱり見ていると、
知らない間にその見ている人の価値観っていうのは、
だんだんそっちの方に寄せられていって、
それが当たり前の世界に思えてきても別に不思議はないっていうか、
多分他に入ってくる情報がなかったら、
多分自然にね、メディアの情報に流されるじゃないですか。
それは別に多分誰でも同じだと思うんですよ。
だから僕はそういう窮屈なメディアとか見てて、
あんまり心が躍らないものには触れないようにしているわけですけど、
それができるのは多分その余裕があるから、
メタ認知がある意味できているからっていうのもあると思うんですよ。
それはその触れるメディア、触れる情報によって、
その人の価値観っていうのはすごく大きく変わり得るんだってことを知っているだけで、
その普段目にする情報とかね、
要はニュースとかに気を付け合うようになるわけですよね。
だからこのメディアはちょっとあれだなとか習慣性があるわけですよね。
見てて面白くないっていうのもあるけど、
それが自分の心に悪影響を及ぼすってことをパターンとして知っているから、
事前に回避できるっていうところはあると思うんですよ。
それを知らずにとりあえず暇だからね、
家にいてテレビを見ているのかわからないですけど、
テレビだけじゃないですよ。多分価値観を持った人たちが集まると、
エコーチェムみたいなものが出てくるわけですよ。
それを知らずに、とりあえず暇だからね、
家にいてテレビを見ているのかわからないですけど、
多分価値観を持った人たちが集まると、
エコーチェンバー的にそれが増幅していって、
一部の界隈ではそれが当たり前の世界観になる。
ある意味分断ですよね、これもね。
話が2点、3点っていうか飛んでいるので、
また中盤の方に戻すと、
それでそういう窮屈な世界にストレスを感じている、
ここでは子育てをしている親っていう風に限定してみますけど、
それはあんまり良くない状況だし、
改善しなきゃいけないと思うんですよ。
なんで改善させなきゃいけないのかっていうとね、
それはあれですけど、大きな話をしてしまうと、
将来、この世界、日本の将来にとって良くないからって思うからですけど、
それはちょっと話が大きすぎるんで、
脈絡なくですね、ちょっと結論に持っていこうと思うんですけど、
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なんかね、僕の感覚としては根拠も何もない感覚的なものですけど、
なんかそんなに悪い方には進まないっていうか、
どこかで歯止めがかかって、
ある意味でちょっと生きやすい世界に戻っていくんじゃないかなっていう感覚も実は持っているんですよ。
それはなんでかっていうとよくわかんないけど、
情報がね、もう一回ひと回りしてきて、
みんながメタ認知できるようになるっていうことも一つあると思うんですよ。
僕はさっきその、自分が不健康な情報に触れると精神が不健康になって、
不健康になるっていうのをメタ認知として知っているから、
それを避けることができて、その結果健全にというか、
健康的な精神でいられるっていう話をしましたけど、
それをね、多くの人が、それが当たり前の世界認識になっていけば、
僕と同じような行動を取る人は増えると思うんですよ。
オセロみたいな感じで、今まで黒が多かったのが、だんだん白が多くなっていくと、
ある時一気にね、白のね、別にここで言う黒白っていうのは、
ただの色だと思ってもらって、白いね、人たちが増えるような、
世の中になっていきそうな感じもするんですけど、
難しいのは別に、これは一個の一つのパラメーターというか、
複合的な要素が絡み合うわけだから、
例えばマスクの問題とか、子育ての問題とか、
他にも色々ありますよね。
SNSだとか、戦争とかもあるかもしれないし、
食べ物とかね、地球環境のこととか、色々あると思うんで、
何から何まで全てが大らかな方に向かうとは思っていないけど、
ある意味で、一つの側面においては、
多分このまま窮屈な方には向かわないんじゃないかっていう、
そろそろどっかで歯止めがかかって反転する分野というか、
ジャンルもあるんじゃないかなっていう気がしています。
でもそれを起こすにはやっぱりですね、
窮屈に思っている人を救うって言ったら、
大げさというかあれですけど、そうじゃないってことを、
多くの人が声を出していく必要があるんじゃないかなと思っています。
あまりまとまらないのでこの辺で切ろうと思いますが、
今日はいつもとちょっと違う時間にね、
夕方ぐらいに喋っているんですよ。
子供は家にいたんですけど、近くに友達の家があって、
そこに遊びに行ってくれたので、一人で作業をしながら、
ちょっと疲れたので音声配信をしてみようかなと思って、
機材を用意したんですが、だんだん時間のせいなのか、
喋る量が減っているからなのか、まとめ力みたいなのが、
落ちのつけ方みたいなのが、だんだん筋力が衰えていくような気がしたので、
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なるべく喋る習慣は身につけた方がいいなと思いました。
今日はあまり身のある話ができなかったような気がしますが、
そんな日もあるということで、終わりにしたいと思います。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さようなら。
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